4月ということで、色々とバタバタしていました。毎日は無理ですが、少しずつ更新ペースを上げられたらと思います。
翌朝、拓海は身支度をしながら昨日のことを振り返っていた。
光樹の家で出会った娘のことは、正直思い違いであって欲しい。
自分の妹が、親友の娘として目の前に現れることなど、あり得ないことだと思う。
しかしその所作の一つひとつに、妹の面影を感じてしまったのだ。顔つきも違う筈なのに、そっくりに見えてしまう。
本当に妹だったとして、どう彼女と接すればいいか、今の拓海には分からない。
どんな経緯でこの世界に生まれたかということもあるし、昔の出来事のこともある。色々な意味で、拓海は掛けるべき言葉を持っていなかった。
そして、榛名のこと。
彼女には無様な姿を見せてしまった上に、話まで聞いて貰った。妹の話が中心だったが、彼女の話をしたのは、この世界では榛名が初めてだった。
少なくとも、こちら側では光樹と同様に、拓海にとって信頼出来る相手だ。そんな彼女を前にしても、拓海は踏み込んだ話が出来なかった。
帰り際の榛名の背中は、怒っていたように思う。肝心なことだけは、話さなかったのだ。当然のことだろう。
「話せるわけ、ないだろ……」
準備を整える拓海の自責の念の籠った声が、空虚な部屋の中に響いていた。
翌日、拓海はその日のカリキュラムを終えると、艦娘の宿舎に来ていた。
榛名に、一昨日のことを謝るためだ。
どの面を下げて行くのかと思いもしたが、それでも謝りたかった。明らかに、自分に非があったのだから。
艦娘は通常、宿舎で寝泊まりしている。榛名も、この約1ヶ月はここに泊まっていた筈だ。
早速宿舎に入ろうとすると、自動ドアが開いて中から青葉が出て来た。
「あれ? 白瀬さん、ご用事ですか?」
「ああ、うん……。榛名は、いるか?」
拓海が尋ねると、青葉がきょとんとした顔をしてこちらを見つめていた。
その間に妙な不安感を覚える。
「まだ、帰ってない?」
拓海が重ねて問うと、青葉は何やら一人で頷く。
「もしかして、聞いてないんですか?」
「何を……?」
「榛名さん、二日前に呉に帰りましたよ」
それを聞いた瞬間、拓海は目を見張った直後咄嗟に踵を返し、鎮守府の本庁舎に向かって駆け出していた。
本庁舎の建物に駆け込むと、拓海は真っ直ぐ受付の方に向かう。
自身の名札を見せつつ、拓海は前のめりになって、受付嬢に迫った。
「すみません、鳴川少将は!?」
血気迫る表情をして肩で息をする拓海に戸惑いつつ、受付嬢は事務的な表情を取り繕って答える。
「い、今のお時間でしたら、執務室にいらっしゃるかと――」
「ありがとうございます!」
事情がよく呑み込めていない受付嬢に礼を言いつつ、拓海は階段を駆け上る。
そのまま4階まで上がると、廊下を進んだ先にある第1艦隊司令長官の執務室まで一直線に進んだ。
部屋の前に到着すると、拓海は勢いよくドアを開けて中に入った。
白い壁紙に囲まれた執務室には木製の本棚が幾つも並べられており、そこには大量の資料や書籍が治められている。
その一角、部屋の出入り口の正面に当たるところに、執務用の木製机が一つ置かれていた。
「おい! 光樹!!」
拓海はその机に座る人物――光樹に向けて、上擦った声を出した。
部屋の主である光樹は仕事中だったのか、書類の一つを手にしたまま驚いた様子で顔を上げ、拓海を見ていた。
「拓海――――」
光樹は言いかけたところでふと何かに気付き、得心したように頷くと、書類を机に置く。
拓海は乱暴気味にドアを閉めると、机の前まで歩を進める。
「榛名が帰ったって、どういうことだよ!?」
光樹は拓海を見上げると、息を一つ吐いた。
「誰から聞いた?」
「青葉だよ。艦娘の宿舎に行ったら、榛名は呉に帰ったって――」
興奮しているせいで、拓海の額から汗が一筋、流れ落ちる。
「言葉通りの意味だ。それがどうかしたのか?」
憮然とした表情で、光樹は尋ねる。明らかに何か知っている様子だ。
そんな光樹を見て、拓海は無性に腹が立ってくる。
「呉って、あの磯貝少将がいるところだろ! 何で帰したんだよ!」
「向こうには、金剛型の姉妹もいるからな。あいつらがいれば、大丈夫だと判断した」
「書類じゃ、相当マズいって書いてただろ!」
拓海の張り上げた声が、室内に響く。
――――磯貝風介。
横須賀に来た際に光樹から渡された資料によると、彼は15歳で防衛大学校に入学し、18歳で特生防衛海軍の所属となったらしい。それ以前の経歴は、一切不明とのことだ。現在は、25歳になるという。
配属された時点で、既に高い身体能力と銃火器の扱いに長けており、指揮能力の面でもみるみると頭角を現していった。
そんな彼だが、今年に入って問題視されるようになったのが、艦娘・榛名への強い執着だ。
僅か1,2ヶ月の間にストーカー行為を始めとして、犯罪と言うべき行いが多々見られるようになった。
若くして優秀な指揮官であったため、特防海軍は彼への処分を先送りにしてしまう。それが榛名の所属する第2戦隊の指揮にも影響し、巡り巡って南鳥島での事態になってしまったそうだ。
現在でも、処分は保留され続けている状態だという。
拓海は書面を通してしか彼を知らないが、その印象は最悪と言っていいものだった。
「榛名は、自ら呉に帰ると言ってきた」
「は……?」
光樹から告げられた言葉に、拓海は口を半開きにする。
「は、榛名が……? う、嘘だろ……」
「事実だ。それに、磯貝少将もこの数週間は手出し出来ない」
拓海は、目を見開いて光樹を凝視した。
「え……?」
「今から約2週間後に、石垣島攻略作戦――。深海棲艦に占拠された、石垣島周辺海域の奪還作戦が行われる予定だ。第2戦隊は、その主力の一角となる。榛名が向こうへ帰る際に、最後通告も出しておいた。おいそれと手出しを出来る状況には無い」
「ちょ、ちょっと待て……。こ、攻略作戦?」
よく呑み込めず、拓海は眉を顰めて困惑する。そんなことは、初耳だ。
「石垣島を中心拠点として、先島諸島に深海棲艦が密集している。ここを中心に、沖縄本島や台湾への襲撃が行われていた。ここを叩けば、被害の軽減にはかなり役に立つ。同時に、周辺の島々の奪還も出来るからな。この攻略には、現有艦娘の半数近くを使うことになる」
「だからって、磯貝少将が何もしない理由には――」
「その点は同意だ。だがこんな状況で、もしものことがあればどうなる? 部隊に動揺を与え、士気の低下にも繋がりかねない」
「それが、手出し出来ない理由っていうのか?」
拓海の言葉に、光樹は首肯する。
だが、その後に光樹は口を開いた。
「――――とは言っても、俺も安心出来るとは思っていない。ここ数か月の間に何度か彼と顔を合わせたが、このままでは第2戦隊そのものも、危ないな。榛名が安否不明の時にはほとんど機能出来なかった上に、榛名が戦隊にいた時も、指揮に混乱があった」
「何で、解任しないんだよ。確か、第3艦隊の司令長官も兼任してたよな?」
「上から止められてたんだよ。今は最後通告を出すところまでは認めてもらえたとはいえ、彼の司令官職の解任には、未だに良い顔はしていないな」
難しい顔をして、光樹は拓海の問いに答えた。
「榛名は……、榛名は、そんなところに戻っても良かったのかよ」
拓海は俯き、声を絞り出す。
現状では、金剛たちが磯貝風介を抑えるのに期待するしか無いということだ。それだって、どこまで持つかは分からない。
「榛名が呉に戻ると言い出した原因は、多分お前だぞ。拓海」
拓海は顔を上げて、正面にいる光樹の顔を凝視する。光樹は腕を組み、感情の無い目をこちらに向けていた。
「俺、が……?」
「お前の妹について、榛名に話したそうだな」
「榛名から聞いたのか?」
「ああ。何を話してたかは聞かなかったがな。お前、結局榛名にも肝心なこと、話せなかったんだろ」
「――――っ!」
図星を突かれて、拓海は苦虫を噛み潰したように口元を歪める。
「やっぱり、そうか。拓海、何を怖がってるんだ?」
続けざまに、光樹が核心を突いてくる。
「それ……は……」
――今の関係が壊れてしまうから。
そんな懸念を言うことが出来ず、拓海は口を噤んでしまう。
「言えないなら、今は言わなくていいさ。そんなに俺に言えないことなら、聞かない。まあ――いつかはケリをつけろ。墓場まで持って行くっていうならそれも構わないが、今のままじゃこの先、辛いぞ」
拓海は、光樹の目を覗き見る。
それは、心の底から自分を心配して気遣う色を見せる、親友の瞳があった。
「そうだな……。ありがとう。――少し、時間をくれないか」
「おう。作戦の発動前までなら、いつでも付き合おう」
光樹の頼もしい言葉に再度礼を言いつつ、拓海は踵を返し、光樹の執務室を後にした。
それから日付が変わってからの二日間、拓海はカリキュラムを受ける傍ら、悶々と考えていた。
榛名が横須賀を去ってしまったのは、光樹の言うように自分の所為なのかもしれない。
自身が心の内に隠していることを、打ち明けることが出来なかったから、彼女は出て行ってしまった。
気持ちだけ伝えておいて、悩みを打ち明けることは出来ませんという態度を取られては、怒るのは無理も無い。
だが再び榛名に会って、話すかと聞かれれば「ノー」と答えるだろう。
拓海にとってそれは、簡単には片付けられない問題だった。
そんな事を考えていた所為で、カリキュラムにはあまり集中することが出来なかった。ふとした瞬間に考え事をしてしまい、上の空になってしまうのだ。
おかげで、何度も注意を受ける羽目にもなってしまった。
二日目を終えた拓海は意気消沈しつつ、光樹の執務室を訪れていた。
拓海の様子を心配した光樹から、後で来るようにと伝言があったからだ。
部屋の適当な場所で待っていると、程なくして光樹が入って来た。
「来てたか。そこにある椅子、使っていいぞ」
光樹は拓海を見るなり、部屋の壁際に設置された机とセットになっている椅子を指し示す。
光樹が執務用の机に着くと、拓海は椅子を持って来て、正面から向かい合うように座る。
拓海が座ったのを確認するなり、光樹が早速話題を切り出した。
「聞いたぞ。拓海、昨日今日と集中出来てないんだってな?」
「う……。もう知ってんのか」
鎮守府の最高責任者だけあって、流石に耳が早い。
「そりゃあ、お前のカリキュラムの報告だって、日ごとに上がってくるからな。やっぱり、榛名の事か」
「まあ、な……」
三日前に話をしたのだから、そのことに思い至るのは当然と言える。
拓海は曖昧に頷きながら、肯定した。
「お前は、どうしたいんだ?」
光樹が、単刀直入に尋ねる。その視線はどこか、親が子に語り掛けているようにも見えた。
「俺は……」
言い淀んで、ふと考える。
こんな情けない状態の自分が、今更になって後を追いかけて、榛名と会ってもいいのだろうか。行ったところで、果たして榛名は自分と会ってくれるのだろうか。そんな不安が頭を過ぎる。
「この間、艦娘の宿舎に行ったって言ってたな。あの日、榛名に会いに行ったんだろ? 何で、会いに行こうと思ったんだ?」
「――この前のこと、謝りに行こうと思ってたんだよ。榛名には、悪いことをしたから……」
「ならお前は、何を躊躇してるんだ?」
光樹の言葉に、拓海は目を見張り、それから顔を俯ける。
「俺は躊躇ってなんか……」
「ちょっとくらい、図々しい方がいいんだ。謝りたいって言うなら、謝りに行けばいい。理由なんか、後から幾らでもこじつけられるさ」
「お前がそれを言うのか……」
艦隊の司令長官を務めるような人間が言う台詞に、拓海は嘆息する。だが、彼の言うことにも一理ある。
「ったく、お前はこういう事には意外とヘタレなんだな。芝生の上にいる時の積極性はどこ行ったんだ」
光樹は半ば呆れ顔をしつつ、遠慮の無い物言いをする。
「ヘ、ヘタレって……」
「ヘタレだろ。少なくともフィールドの外じゃ」
拓海は反論しようとするが言葉が見つからず、閉口してしまう。
光樹は小さく咳払いをすると、拓海を正面から真っ直ぐ見据える。
「それで、拓海。もう一度聞く。お前は、どうしたいんだ?」
寸瞬ばかり間を置いて逡巡した後、拓海は小さく息を吸い、面を上げた。
「榛名に会いたい。会って、ちゃんと謝りたい」
真っ直ぐ光樹を見返して、はっきりと告げる。
正直、まだ割り切れない部分はある。肝心なことを語れなかったために、好きな相手を怒らせてしまった以上、どんな顔をして会えばいいか、拓海にはよく分からない。
ただ光樹とのやり取りを通じて、件の事は話せないにしても、ここでいつまでも悩んでいるよりも、直に会ってみるべきだと思えた。
「よく言ったな、拓海」
「何か、上手い具合に誘導されたような気はするけどな」
溜め息交じりに拓海が言うと、光樹がくつくつと笑う。否定しない辺り、やはり意図していた部分はあったのだろう。
「それじゃあ、呉に行くということでいいんだな?」
「ああ」
光樹から今後について問われ、拓海は首を縦に振る。
「なら――――明日の昼頃に、厚木からフライトがあるな。9時になったら、お前の宿舎前に迎えに行くが、それでいいか?」
「迷惑かけるな。忙しい時期に」
光樹の親切ぶりに申し訳なく思って言うと、彼は首を横に振った。
「こうなるのを見越して、引き継ぎも済ませておいたからな。明日のカリキュラムのキャンセルは、こっちでやっておく。明日から2泊3日くらいになるかな。予定が早まることもあるから、そのつもりで準備をしておいてくれ」
幾つかの連絡事項を終えると、その場は解散となった。
一方その頃――――。
富士山の麓には、青々と葉を生い茂らせた木々が生える、樹海が広がっていた。富士山と密接な関わりを持つと言われる場所だ。
その樹海のとある場所に、今にも崩れ落ちてしまいそうな祠があった。祠の近くには穴が開いており、その穴は地下へと続いていた。
奥へと進んで行くと、白っぽい岩石で覆われた白い空間が辺り一帯に広がる。洞窟は崩落してから何十年と経っており、床は夥しい数の岩で埋められていた。
洞窟の入り口へと繋がる坂を下りたところで、一人の男性の老人が、感慨深げにその場所を眺めていた。その手には、1本のロープが握られている。
「ははっ。流石に、誰も邪魔出来んだろ」
他に誰もいない洞窟で一人呟きながら、老人はロープを天井の適当な場所に一本通し、輪っかを作る。
「俺は、十分生きた。もう、あの時みたいに死に損ないにはならねぇ
」
老人の声には、どこか決心の籠った響きがあった。
彼の頭の中で、何十年も前の記憶が呼び起される。当時まだ働き盛りだった彼は、今のようにこの場所を訪れたことがあった。
生きる事に疲れてしまい、死んでしまおうと思って、この場所にやってきたのだ。
だが、男の自殺は失敗してしまう。
天井に縄を掛け、石像を踏み台にして首を吊ろうとしたときに、下を見た。足元には透明な床があり、その下には黄金色で三つ首を持った、巨大な得体の知れない生物が眠っていたのだ。動揺しながら周りを見ると、その首から伸びていると思しき頭部が三つ、洞窟の壁に存在していた。
あまりの恐ろしさに、男は腰を抜かして逃げ出した記憶がある。
その所為で、こんな歳まで生きる事になってしまったのだ。
家族を持たず、親戚との繋がりも断たれた男は、今度こそこの場所で人生の幕を下ろそうと考えた。あの時と違って、化け物はもういない筈。そう思ってのことだった。
男の予想は、見事に当たっていた。
当時と違うのは、壁や天井が崩落して、中が荒れているということくらいで、縄を掛けるのには何の問題も無かった。
震える手で何とか天井に縄を掛け、手頃な岩を持って来て、踏み台にする。息を一つ吐いてから首を掛けようとすると、不意に辺りで変化が起こり始めた。
「じ、地震……?」
男は縄に手を掛けたまま、あたふたと周囲を見回す。
この縦なのか横なのかはっきりしない揺れは、地震なのだろうか。そう思っていると、洞窟内に金色の粉のようなものが舞い始めた。
「金粉……?」
お菓子などの上によく乗っているものを思い出して、男は呟く。
その間にも、金の粉は洞窟の中を舞い、密度を段々と濃くしていく。老人は嫌な予感を感じつつ、洞窟の入り口に向かってじりじりと後ずさりをした。
老人が坂に差し掛かった直後、岩が大量に落ちた床が抜け、同時に岩も下に向かって落ちる。
金の粉はますます密度を濃くし、床が抜けたことで生まれた巨大なスペースに、一気に収束する。やがて金の粉の塊が、直視すら出来ないほど強烈に眩しい光を放った。
「な……っ、な……っ!」
そこに現れたモノを見て、男は顔面蒼白になる――――。
彼の視線。その先には、かつて怨霊ゴジラによって倒された筈の、「千年竜王キングギドラ」が、静かに目覚めの時を待っていた。
キングギドラって、何かと樹海と縁がありますよね(小並)