「マハブフダイン」
侵入者だと告げた男は、その一言を元に発現した氷柱に呑まれて、氷付けとなった。紗久弥は一瞥もせず、ルイズ捜しを続ける為に走る。
だが、城内は既に侵入者で混乱の最中にあり、情報を得るには至らずそれ故か、紗久弥の表情に何時もの余裕が見られない。
「ぐっ!?」
左手甲と胸に刻まれたルーンが脈動する。
『ガンダールヴ』だけならばまだ走れた。
だが、あの日胸に刻まれた『リーヴスラシル』の脈動は堪える。走れない、体が止まる……が、その苦しみの最中、左目に異変が起こる。見る筈の無い景色、何かの像、倒れ行くウェールズ、そして『紗久弥に向かって』杖剣を突き出す四人のワルド。
刹那、それがルイズが目にしている光景だと理解した。
同時に『死』が脈打つ。
「な……ん!?」
後ほんの数サントと言ったところで、ワルドの凶行はルイズに届かず終わる。
安心する間も惜しいとばかりに、ルイズはワルドと距離をおき、身構える。
「……何だというのだ今のは……まあいい、ルイズ今ので解ってくれると思いたいのだが……私は君を馘る事に何の躊躇いもない」
突如襲った気配、それに集中を乱されはしたものの、依然大勢は変わらない。
ウェールズの心臓を貫き手紙を手に入れた、後はルイズを連れ去るのみ、尚も治まらない寒気は我慢できるもの、ならばやるべき事は一つ。
「さあルイズ、この手を取ると良い、断るというのであれば仕方あるまい」
偏在を作り、エアニードルを唱えてルイズに見せつける。
最後通告。
ルイズは、恐怖に顔を青くしながらも後退を続ける。
従う理由などとうに潰えている、ほんの少し舞い上がった隙を突かれてしまったが。
ここに居ない紗久弥の、その視界とおぼしき光景が先程から左目に映り込んでいる、そして確実にこの場所に迫っているのだ。
ならば、恐怖に身をやつし逃げ惑う今が無様だろうと構いはしない、紗久弥が来るまで逃げて、生きて見せる、ルイズの心に決意が芽生え、瞳に再び光が戻る。
「……希望を宿したか、だが、残念だったねルイズ、君の希望は此処には来れない、何故ならば……」
そう口にすると、ワルドの偏在の一体が壁に向かいエアハンマーを叩き込み、穴を開ける、するとここに来るまで、否、ここにいる間、聞こえることのなかった外の音が聞こえてきた。
「これは……まさか!?」
「ハハハ! そうさルイズ、レコン・キスタの襲撃……その先陣の傭兵隊さ!」
聴こえてくるのは怒声、悲鳴、魔法の炸裂音、鉄のぶつかる音……戦の、一方的な蹂躙の、凌辱の音。
ニューカッスルは、王党派は、最早戦う事など叶わない。
レコン・キスタの余りに残酷な、卑怯な遣り口に怒りが沸き上がる。
「さあルイズ、問答は最早要らないだろう?」
「ふざけないで……この卑怯者……がっ!?」
顔に迸る痛みを感じながら、ルイズは壁に叩き付けられ、床に落ちる。
「ふむ、いけない娘だ、公爵の娘であるというに言葉の選び方がなっていない」
「っく……ふふ……幻滅なさっていただいて構いませんわ『自主規制』」
痛む体をどうにか起こし、ゆっくりと歩み寄るワルドに到底貴族の、公爵家、引いては王家の庶子の娘の口から、出る筈の無いと思われた罵声を吐くルイズ。
吐かれたワルドは言葉の意味はともかく、そんな言葉がルイズの口から出てきたことに、動きを数秒止めてしまう。
それが、ワルドには致命的な、そしてルイズ『達』には絶好となる。
『イノセントタック!』
その言葉に漸く我に返るワルドだが時既に遅し、扉は巨大な拳に吹き飛ばされ、破壊された扉の破片が容赦なくワルドを襲う。
「しまっ……!」
「サクヤ!」
怯んだワルドを尻目に、ルイズは現れた使い魔の、紗久弥の元へと駆け寄った。
「ルイズ……メシアライザー」
乱れた髪を手で梳きながら、回復魔法を掛けると紗久弥はルイズをワルドから守るように背に庇う。
「……ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド……覚悟」
正面に見据え、紗久弥が一歩を踏んだその時、ワルドとの間に炎の壁が現れた。
その壁に阻まれ、向こうが見えないが、ワルドと誰かの会話は僅かに聞き取れる。
『元衛士隊長さんよ、ここは退くぜ』
『……くそ……っ』
その言葉を残して、炎の壁と共にワルドともう一人は姿を消した。
半壊した礼拝堂、その一角にこの状態にも関わらず、無事な姿を見せる像、その像の台座のすぐ側に、先程ルイズの視界を通して見た、殺害されたウェールズの遺体。
「ウェールズ殿下……せめて、貴方と共にあった指輪を、アンリエッタ姫にお渡し致します、どうか安らかに……」
「……ルイズ、まだ間に合うよ」
ルイズが言葉を発する前に、紗久弥の行動は終わっていた、すなわち『黄昏の羽根』の使用。
命を弄ぶ行為だと解っている、けれどこれでは余りに無惨、ならばせめて再びの生を、彼が願う本来の死に場所へ向かう為の生を。
ニュクスが示したその羽根。
今更ながら、自分はニュクスと共にあるのだと、紗久弥は思う。
『完全に死んだ者を、完全に甦らせる』
羽根は優しくウェールズに舞い降りて、溶けて消える。
その不思議な、神々しい迄に不思議な光景を、ルイズは見守る。
やがて、もう二度と聞く事は叶わないと思ったウェールズの声が、ルイズの元に届く。
「……これは、何の冗談だ……」
体を起こし、自らの目で己の体を認識する事に違和感でもあるのだろう、しばし呆然となりながら、体の動きを確かめるウェールズ。
「ミス・ヴァリエール、君が?」
「いえ……サクヤが使った不思議な羽根の力……です」
ルイズの言葉にほんの少し驚きの表情を浮かべたが、ウェールズはその驚きをすぐに引き、改めて紗久弥に向き直ると、頭を下げた。
それに驚いたのはルイズである……が。
「ありがとうミス・コシハタ、私に『望む死に場所』へ赴く機会をくれて」
それは、ルイズの願いとは違い、それでも解っていた、ウェールズに亡命の意がないと聞いたときから。
城内の状況を紗久弥に訊いて、ウェールズはルイズに指に嵌めてある風のルビーを手渡すと、申し訳なさげにアンリエッタへ渡して欲しいと願う。
「……確かに……承りました」
「ありがとう、ミス・ヴァリエール」
「ウェールズ殿下……」
俯いてしまったルイズに、困った表情を浮かべはしたが、ウェールズは一言『では、頼んだよ』と紗久弥に告げると、一人礼拝堂を後にした。
その直後床が抜け、キュルケ達が顔を見せると、ルイズは気丈にも『帰るわよ』と、紗久弥に向き直る。
ーー終り