イメージするのは常に最高の調理だ   作:すらららん

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ほぼ全ての文章を6月に書いていたんだから、これはもう6月の更新分ですよね(挨拶)

そして7月に更新したから当然7月分なんですよね(迫真)
よし。
月1ペースは守れてるな(真顔)






第四話 愛する家族

「行ってらっしゃいませ、宗一郎様」

「……」

「どうされました?」

「いや、行ってくる」

 

 それだけを告げ離れていく男の背中を女は愛おし気に見つめていた。

 短い付き合いであるが今の短い言葉を発する前の沈黙、僅かな所作やイントネーションの中に含まれていた優しさをしっかりと見出す。

 寡黙な男なりの不器用な優しさ。

 

 遠ざかっていく背中を遠見の魔術で何時までも観察していたい衝動を振り切り、女はこれからの為の準備に邁進する。まあ暫くは遠見を続けるのだが。

 魔力供給に問題ないとはいえ無尽蔵な訳ではない。

 無駄な魔力を使う事は極力避けて行かなければ、この聖杯戦争を勝ち抜く事は難しい。

 

(行ってらっしゃい……いい、凄くいいわ)

 

 浮ついた気分で勝てるほど甘い筈はない、何せ今から挑むのは“戦争”なのだから。

 7人だけの戦争。

 たった7人、されど7人。

 万の軍勢をたった1人で打倒し得る常軌を逸した力を持つ英霊(化物)が7人も集まる殺し合い。

 

 女もまたその英雄の1人である。

 だとしても……いや、だからこそ英霊を敵に回す事の恐ろしさを誰よりも理解している。

 

(新妻……素晴らしい響き、たったの数文字がこんなにも心を揺さぶるなんて)

 

 それでも勝たねばならない。

 神に人生を狂わされて続けて来た女の、この状況すらも神の采配だと言うのならーーー神に感謝すらしても良い程に今の状況は悪くない。

 女の“夢”を叶える為の、今回の聖杯戦争の現状は想定していたよりも最悪では無かった。

 

 アーチャー、ランサー。

 どちらも対魔力を持つ三騎士であり優れたサーヴァント。

 だが、付け入る隙が無い訳ではない。

 

 ライダー。

 未だ見ぬ宝具こそ注意が必要だが、マスターがお粗末すぎる。

 始末する事も“手駒”とする事も容易。

 

 アサシン。

 問題外、せいぜい上手く使い潰すとしよう。

 

 セイバー。

 対魔力Aという冗談の様な能力を持つ、女にとって最も厄介な相手。

 何とか彼女を手に入れる事が出来れば、この聖杯戦争に王手を掛けられると言っても過言ではないが……それは難しいだろう。

 

 バーサーカー。

 未だ現れぬ最後の一騎。

 しかし所詮は低ステータスの英霊を狂化によって向上させるだけが取り柄のクラス。

 理性を失った英霊など、そこらの畜生と大差ない。

 危険度は低い。

 

(手作りお弁当……流石にレベルが高いかしら、料理を作る魔術なんて知らないし……んん、みこーん知恵袋に質問しなきゃ)

 

 女……キャスターは冷静に状況を俯瞰し最善の戦略を構築していく。

 先ずは何を置いても聖杯の器の確保が先決となる。

 既に聖杯の“大体”の仕組みは掴んでいる、入手してしまえば後は詰将棋の様なもの。

 

 もちろん一手足りともミスが許されず、そもそも将棋と違って効果不明な駒が幾つ隠れているかも分からない非常にリスキーなものだが。

 そんな事がキャスターの夢を諦める理由にはならない。

 その為に自らに課していた禁を破ってまで形振り構わず勝利の為に策を弄したのだ。

 

(ああ、いけないわ……流石にこれ以上は妄想に浸っていられない。ああ、でも! もう直ぐ妄想ではなく現実となるのよ、してみせるの!

そう、私は宗一郎様と添い遂げるの……ウェディングドレス、ブーケトス、群がる女どもを見下す私……ふ、うふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふ)

 

 これから先一秒足りとも無駄には出来ない。

 卓越した魔術師であるキャスターの全能力を、その優れた頭脳を以てしても残された時間は余りに少ない。

 深く、静かに策謀を巡らせる。

 焦る事は無い。

 全ての陣営の中で今、聖杯に最も近いのは自分達なのだという確信がキャスターに絶対の自信を与えていた。

 

 

 

 キャスターが陣地としている柳洞寺は山頂に存在しており、そこに至るには整地されていない道無き道を登るか果てしなく長い階段を登るかのどちらかしかない。

 だが、道を選ぶ事が出来るのは人間だけだ。

 階段以外の場所には自然霊以外を排除しようとする強力な結界が存在しており、それは精霊に近い存在であるサーヴァントをしても例外無く干渉される。

 

「おや」

 

 故に柳洞寺へ他のマスター達が攻め入るには正面から乗り込む必要がある。

 キャスターはそこに目を付けて山門に“アサシン”を門番として配置した。

 このアサシン、その真名を佐々木小次郎という剣豪ーーーの役割を与えられた無名の亡霊。

 詳細は省くが、佐々木小次郎という“存在しない”剣豪の逸話に近い業を振るえるという理由だけで“非正規的”に召喚されたサーヴァントである。

 

 彼が“召喚者”たるキャスターに与えられた役割はただ1つ。

 他のサーヴァントの侵入を防ぐ事。

 

「ふむ……」

 

 そして今、山門に向かってくる存在を見つけて彼は思案する。

 さて、この場合“令呪”の縛りはどう働くのだろうか……。

 

 

 

 太陽が中天に差し掛かる手前。

 柳洞寺の奥で神殿の構築に精を出していたキャスターは、結界が強引に破壊された事を知覚する。

 酷く乱雑に、引き散ちぎるように行なわれた破壊はーーー中核を成す魔術式を丁寧に“書き換えた上”で行われており、幾らでも気付かれず破る事が可能であった事を主張していた。

 その意図はキャスターに正しく伝わる。

 

(あらあら)

 

 不躾な訪問の仕方ではあるが、非常に興味をそそられた。現代の魔術師には感知出来まいとさえ考えていた結界を破った存在。

 ローブを解除し現代風の装束を着用する。

 サーヴァント特有の気配を遮断する魔術を使い一般人に見えるように偽装。

 

 その間も侵入者は堂々とした足取りでキャスターの居る方向へと近付いており、山門の手前で僅かに停滞した後すぐに境内の中まで侵入して来た。

 アサシンを破った……それにしては早過ぎる。

 過大にも過小にも評価せず能力だけを見るならば、門番としては決して悪く無い筈なのだが。

 

(アサシンを振り切った……いいえ、違う。あの男の性格を考えるなら“見逃した”可能性が高いわね。使えないわ)

 

 ギリッと歯を食いしばり、後でどんなお仕置きをしてやろうかと考えながら侵入者の元へ急ぐ。

 生意気にも監視の目を全て潰し待ち構えている相手の姿を想像しつつ努めて朗らかな笑顔を装って。

 

 どんな屈強な男かと想像していたキャスターにとって、その侵入者の正体は良い意味で意外だった。

 だから張り付けるようにしていた笑顔ではなく、思わず素の笑顔で挨拶していた。

 

「あら、いらっしゃい。可愛らしいお嬢さん」

 

 そこに居たのは、年端も行かぬ見目麗しい少女だった。

 

 

 

 

 

 第四話 家族

 

 

 

 

 

「柳洞寺へようこそ。ご用向きは何でしょうか?」

 

 あくまで一般人を装い話し掛けるキャスターであったが、目の前に居る少女が既に只者では無い事は“知って”いる。

 簡易的とはいえ山道の結界を綺麗に潜り抜け容易く書き換える能力。何よりも冬木市全体に張り巡らせていた監視の眼で、遠坂、間桐と同じく。

 底を探る事が出来なかった衛宮の少女。

 

 実際に相対してみて改めて理解する、とても優れた魔術師だ。

 自分を召喚した三流魔術師とは一線を画する、いや比べる事自体がバカバカしい。

 深夜に行われた“セイバーの召喚”も見事な物だった。

 神秘の薄れた現代に於いて、奇跡の様な存在と言っても過言では無いだろう。

 

(ふぅん……)

 

 キャスターはそれとなく少女の観察を続ける。

 

 腰まで伸びた白銀の髪。

 幼さを残しながらも美しく整った顔立ち。

 紫を基調としたコートと、その隙間から覗く陶器のごとく白い肌。

 僅かな所作から感じる育ちの良さ、しかし型式ばった硬さは見せず優美な立ち居振る舞い。

 

 どれもこれもが好みだ。

 

(……ドレス、可愛らしいドレスが似合うわね。白、いいえ在り来たりかしら。黒、もしくは紫……ええ紫。ぴったりだわ、飾り立ててみたくなるわね)

 

 これはとんでもない逸材が現れたものだと内心で興奮しつつ、冷徹に少女を見極め終えた。

 取るに足らない相手である、と。 

 

 幾ら優れた魔術師であろうとも、魔術師の英霊たるキャスターには遠く及ばない。

 サーヴァントを連れているならばともかく、少女はマスターでは無い。

 1人ならば全く驚異足り得ない。

 

「そうね、目で見て確認しに来たのよ……キャスター」

「キャスター? 何でしょうかそれは、私はここに居候しておりますーーー」

「そういう駆け引きは結構よ、キャスター。無駄なお喋りに付き合う気は無いわ。私は宣戦布告に来たのよ」

 

 不快さと不穏さを感じさせる視線にげんなりしつつ、イリヤはキッパリとクラス名を断定する。

 誤魔化しはいらない。

 さっさと話を進めようではないかと。

 

「ーーーそう、確信しているようね。ええ、そう。私がキャスターよ」

 

 身に纏っていた現代風の装束が掻き消え、長いローブを羽織った古式ゆかしい如何にも『魔女』といった風体の装束に包まれる。

 同時に濃密な魔力がイリヤの肉体を囲うように放たれた。

 

 もしもこの場に居たのが凡百の魔術師ならば、それだけで戦意を喪失していただろう。

 只の魔力放出だけで息が詰まりそうになる。

 

(規格外ね)

 

 現代の魔術師として破格の能力を誇るイリヤをして、そう思う程にキャスターから感じ取れる力は凄まじい。

 まだほんの触り程度の力しか見せていないと言うのに、これだ。

 成程。

 流石は魔術師の英霊。

 事前の予想を遥かに超越した絶対的存在。

 

「後学の為に、なぜ私がキャスターと分かったのか聞かせてもらえるかしら?」

「単なる消去法よ。それよりもキャスター、穂群原学園の結界はあなたの仕業?」

「……死にたいのかしら」

 

 深く事情を知らぬが故のその一言は、キャスターにとって逆鱗にも等しかった。

 しかし、その大袈裟な反応の仕方は。

 イリヤの中にあった一欠片の疑心を吹き飛ばすには充分なものだった。

 

「失礼。単なる確認よ、万が一って事があるじゃない? あれは宝具の域の代物だけれど、結界としては三流も良いとこ。でも良かったわ。もし、あんなお粗末な結界がキャスターの宝具だと言うならーーー直ぐにでも貴女を殺していたもの」

「ーーッ!」

 

 柳桐寺に満ちていた魔力を押し退けてイリヤの魔力が強烈な殺意と共に放たれる。

 それはキャスターが放った殺意や魔力量と比べても遜色なく、その奥に秘められている激情……その意味に無意識に“共感”したキャスターの気勢は削がれた。

 

 学園に張られた結界と、そこに居る“愛しい人”の姿を一瞬だけ脳裏に浮かべて。

 

「……どうやって此処に? アサシンを倒したという訳では無いようだけれど」

「どうやっても何も、普通に通してくれたわ。面白いサーヴァントね、呆気なく真名を教えてくれたわ」

 

 思い出しながら語るイリヤ顔に浮かんでいた表情は、敵陣のサーヴァントと相対した人間にしては酷く楽観的で好意に満ちていた。

 

 それに対しキャスターの方は苦虫を潰した様な、酷く苛立たしい表情を顕にし件のサーヴァントに対し内心で罵倒を続ける。

 

「門番さえロクにこなせないのかしら、あの男は……」

「そうね、あなたには分不相応な男前だと思うわよ。あんな“変則的”な召喚をしたにしては、結構な当たりを引いたようねキャスター」

 

 気付かれた。

 確かにアサシンの存在は歪であるが、それを初対面で見破りーーーそれがキャスターの“ルール違反”である事に気付く洞察力は異常だ。

 目の前に居る少女を、この時キャスターは初めてしっかりと認識したのかも知れない。

 

「……謝罪するわお嬢さん。貴女を侮っていた、どうして気付いたの?」

「そんなもの直接“見れば”分かるわ。でも、アレが貴女の策だと言うのならーーーあら、意外と大した事が無いのかしら?」

 

 くすりと笑う少女の姿が唐突にブレて消失する。

 驚く間もなく次にキャスターが少女を知覚した場所は……。

 

「だってこんなにも隙だらけなんだもの」

 

 背後に、居た。

 瞬時にその存在を捉えたとはいえ、完全に隙を見せてしまった事を悟りキャスターの背筋を悪寒が駆け抜ける。

 

「『ーーーー』!」

 

 それまで想定していた危険度を一気に最上級のモノへと引き上げ、振り返る事無く防御魔術を展開し上空へと短距離転移。

 直ぐに複数の光弾を生み出して待機させる、その量は莫大でイリヤの視界が埋め尽くされる程だ。

 1つ1つが大魔術級の威力を持つソレをたった一言“何事か”を呟いただけでキャスターは作り出した。

 

 一般的な魔術師ならば、彼我の絶望的なまでの実力差にもはや思考すらままならぬ恐怖を感じる光景を目の当たりにしてーーーしかしイリヤは、臆することなく尚も笑っていた。

 

「凄いわね、飛翔と空間転移……加えてこれだけの短時間でそれ程の大魔術を複数構成する能力。

訂正するわキャスター、あなたやっぱり大した魔術師ね」

「……」

 

 返答の代わりとして、光弾が閃光となってイリヤへと降り注ぐ。

 尋常ならざる破壊力を秘めた閃光は、大地に突き刺さると数mもの大穴を穿ち大量の土砂を巻き上げる。

 直撃は当然として掠っただけでも人を容易く屠る一撃が雨あられとなって柳桐寺の境内を破壊していった。

 

 一般的な魔術師とは隔絶した力量を誇るイリヤを、しかしキャスターは容易く上回っている。

 それだけではない。

 魔術師としての力量、経験、場数。

 比べれば比べる程に両者の実力差は顕著なものであり、それはイリヤとキャスターの共通認識でもあった。

 

「ほらほら。こっちよ、キャスター」

「くっ!」

 

 にも関わらずキャスターが放つ魔術はイリヤを捉え切れず、それだけでなく幾つかを相殺すらしていた。

 その数はキャスターの放つ光弾と比べるべくも無いが、そんな事は当然だ。

 現代の魔術師が、いや例え魔法使いであろうともキャスターに魔術戦で勝てる者は存在しない。

 

 そんなキャスターを相手にして僅かな時間とはいえ拮抗している現状がどれだけ異常であり、特別な事か。

 何の苦労や代償も無く成し得る事では無い。

 対面しているキャスターは直ぐに何をしているかを理解したが、然しものキャスターをしてイリヤの行っている“ソレ”は常軌を逸していた。

 

「……随分と器用な真似をするのね今時の魔術師という者は。普通なら揺り返しで肉体がボロボロになってもおかしくないと言うのに、貴女は不完全ながら“無効化”している。

お嬢さん。貴女こそ大した魔術師よ」

 

 いつの間にか荒地と化した境内、その中央で僅かに口元に血を滲ませたイリヤはコートの裾でそれを拭いつつ上空へと勢い良く脱ぎ捨てた。

 使用した魔術の反動を“かつての使用者”とは次元違いの領域で抑えられる彼女であったが、久方ぶりの使用である事、敵が格上である事、セイバー召喚に魔力を割き過ぎた事……幾つもの要素が重なり完全とはいかなかった。

 

「……お褒めに預かり光栄だわキャスター。けれど1つだけ、重要な部分を間違えているわ」

 

 脱ぎ捨てられたコートは風に流される事なく、キャスターの視線からイリヤを遮る様に真っ直ぐ落ちてきて……地面に落ちた頃にはイリヤの姿は消えていた。

 同時にキャスターの頭部目掛けて飛翔する“何か”が防御陣に阻まれ地面へと転がる。

 

「間違い? あら、それは何かしら」

 

 地面へと転がった“何か”の正体をキャスターは直ぐに理解する事が出来なかった。

 初見の魔術であろうとも、如何に上手く隠蔽されていようともキャスターに見抜けない魔術は存在しない。

 それが魔法であろうとも目の当たりにすれば概要を把握する事すら可能な彼女が、だ。

 

 しかしキャスターは知らなくとも、彼女の“知識”はその正体を知っていた。

 魔術とは対極の道を行く存在。

 未来へと突き進む力。

 科学の兵器。

 

「私は魔術師じゃないわ」

 

 イリヤがその両手に持っている物の正体をキャスターは遅まきながら理解する。

 彼女の生きた時代には存在しなかった、現在最もポピュラーで有り触れた携行型の殺傷兵器。

 拳銃。

 

 1つは連射力に優れた白銀の拳銃。

 手に馴染む様な大きさで、片手での装填を可能とした特殊機構。

 イリヤが自身の為に作った特注品だ。

 

 しかしもう1つは、少女が持つには些か無骨であり、高威力な弾丸を放てるが実戦で使用するには不向きな単発式の古びた大型拳銃。

 それでも敢えて使う理由は、愛着が有るからだろう。

 

「そう、貴女は……」

 

 大型拳銃の中折れした部位から薬莢を捨て、新しい弾薬を装填する。一連の動作は1秒も掛からず行われ非常に洗練されており、使い慣れている事を思わせる。

 

「“魔術使い”よキャスター。古臭いカビの生えた如何にもな“魔女”の貴方に私が直々に教えてあげる、今時の戦い方ってものをね」

 

 軽装になった事で肌の露出が増え、全身に線の様に浮かび上がる魔術回路が顕となる。

 その総量にさしものキャスターも目を丸くさせ、同時にイリヤがどういった存在であるかを遅巻きながら見抜いた。

 

「……ふふっ、いいわ。貴女に魔術の深奥を見せてあげる、そして反省しなさい。私を魔女と呼んだ事を!」

 

 羽を広げるようにローブをはためかせキャスターは新たに魔術を構築する。

 本気では無いが、手加減は一切しない。

 ゆったりと力の差を見せ付けて、心をくじいてから手駒の1つとして活用しよう。

 

 迫り来るキャスターの猛攻を不敵な笑顔で見つめながら“刻印”へと魔力を回し、体内時間を加速させる。

 受け継いだ部位と時計塔から無理やり奪った部位、加えて聖杯として調整されてきた魔術回路を連動させ1つの大魔術を発動させた。

 

(さっさとしなさいよね、リン! 出来れば“これ”は使いたくないんだから)

 

 勝つ必要は無い、いや勝てる筈も無い。

 元よりこれは単なる時間稼ぎに過ぎないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝。

 朝特有の清廉な空気を、安っぽい原チャリのエンジン音と調子の外れた鼻歌で台無しにしつつ全開で飛ばしながら衛宮邸に向かっている人影があった。

 書類上はホモサピエンスの雌であるが、明らかにそれは間違いであり、その実態は世にも珍しい二足歩行する虎に違いない。

 多分。

 

 名を藤村大河と言った。

 

「ごっはんーごっはんー♪ 士郎のごっはんーが食ーべれーるぞー♪」

 

 見た目は美人である。

 

 スタイルも良い。

 

 教養もある。

 

 スポーツ万能にして剣道の達人。

 

 穂村原学園の生徒に慕われる(尊敬とは言っていない)教師No.1と言っても過言では無い。

 

 これだけの優れた要素を持ちながら浮ついた噂の一つも無く、冬木の虎という称号で評される彼女は総合的に見ると……残念な女であった。

 凄く凄く、残念な女であった。

 

「「お疲れ様です!!」」

「はいはーい、お勤めごくろーう!」

「「ありがとうございます!!」」

 

 衛宮邸の護衛に就いている彼らにとって、大河は元締め的な地位にある。

 一糸乱れぬ挨拶をする男達の間を縫って進み、原チャリを預けるとスキップしながら玄関の扉を勢い良く開けた。

 うるせーぞ藤村! といった幻聴も一緒にした。

 

「おっはよーう士郎! イリヤちゃーん! 桜ちゃーん! 大河お姉さんが来ましたよ~ん」

 

 乱雑に脱いだ靴を護衛の1人が直している事に全く気付くこと無くドタバタと派手な足音を立てながら居間へと向かう。

 グゥルルル……。

 虎の唸り声の様な空腹音を鳴らしながら、3人で囲んでいるであろう朝食に混ざる為に更にスピードを上げる。

 うるせーぞ藤村!

 

「お腹ぺっこぺこだよ~ギブミー飯ー!」

 

 ここ数年、士郎の技術向上は目覚しいものがある。

 今日は何を食べられるのだろうかと、考えただけで涎が止まらない。

 もう士郎の料理以外は口に合わない体になってしまったの(キラッ☆)と、物凄くイラッとくるような事を考えながら居間へと辿り着いた。

 うぜーぞ藤村!

 

「やっほー! 士郎士郎ー、私のご飯は大盛りで…………あるぇー?」

 

『おはよう藤ねえ、すぐ用意するから落ち着けって』

『お早うございます藤村先生。先に頂いています』

『朝から煩いわよタイガー』

 

 と、こんな風に返ってくる返事が無く。

 それどころか3人とも居間には居らず、あるのはラップが貼られた小さな皿が2つと水筒、その下に挟まれているメモ用紙だけ。

 右を見ても左を見ても、ついでに上と下と背後を見ても誰も居ない。

 今度は幻聴も聞こえない。

 

「もーう、お寝坊さんかなー? 3人ともなんて珍しいわねー……あははー…………ヤベーすっげー嫌な予感するんですけどー」

 

 そんな野生の勘がビンビンに危機感を煽ってくる中、他に宛も無いので恐る恐るメモ用紙を拾い上げる。

 そこに書かれていた文字を読み上げ、縦読みし、斜め読みし、もう一度普通に読んで「ファッ!?」大河は絶望の淵へと叩き落とされた。

 

 

   悪い藤ねえ、それしか残ってない。

 

   ごめんな、急にお客様が出来たから用意出来なかった。

 

   でも食費貰ってないんだから仕方ないよな。

 

   あと今日の昼は自分で食べてくれ。

 

   その代わり、夕飯は楽しみにしておいてくれ。

 

   肉だぞ、肉。

 

 

   追記

 

   皿は洗っておきなさい、じゃないとメシ抜きよ

                 Illyasviel

 

 

「…………いただきまーす」

 

 小さめのおにぎりが2つ(中身は梅とおかか)

 肉野菜の炒め物(小盛り、塩分控えめ)

 それだけが広いテーブルの上に置かれている小さな皿の中に虚しく存在していた。

 

 あとお茶が入った水筒。

 

「あ、おいしー。さっすが士郎わーもう食べ終わっちゃった。やっぱ食後はお茶よねー、飲み頃だわー。全部飲んじゃったー。

ごちそーさまでした、よーしこれで今日も一日頑張れる………わ、け、ぬぅわぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!!

フッシャーーーーー! 皿洗うぞゴルァアアーーーー!」

 

 衛宮邸から虎の咆哮が御近所へと響き渡った。

 その勇ましさを感じさせる声はどこか悲しげで、寂しげで……あと普通にうるさかった。

 

 朝っぱらから迷惑禁止条例違反ものの大音量を垂れ流しやがった大河だったが、それを聞いた御近所さんの感想は「あらあら大河ちゃんは今日も元気ねぇ」とか「うるせーぞ藤村!」とか「危ねぇ、タイガーの声が聴こえなかったら遅刻してた!」など、概ね好意的なものばかりであり、緩やかに日常へと戻っていった。

 普段から迷惑を掛けつつも愛される大河の一面が良い方向に働いた結果である。

 いやー素敵ですね。

 

「ガルルルル、どうよイリヤちゃん! このピッカピカのお皿はー!

ふっふーん、私だってお皿ぐらい洗えるんだゾ♪ だから私にお肉プリーーーーズ! 行ってきまーす!! って誰もいなーーい!! うわーーーーーーん!!」

 

 半端に食べた事で余計に空腹感が増した大河は、ギャーギャーと吠えながら割と丁寧に皿を磨いてから衛宮邸を飛び出し、原チャリに跨ると学校へーーーは行かずコンビニへと走り去って行った。

 

 因みに余談ではあるが。

 護衛の者達はセイバーに料理を作っている際に差入れを貰っており、お客様である凛やキチンと食費を貰っている桜の分は別に確保されていた。

 イリヤは摘み食いをして腹を満たし、士郎は料理の味見で腹を膨らませていた。

 つまり。

 今日、衛宮邸でしっかりとご飯を食べる事が出来なかったのは大河だけだったのである。

 

 

 

「あー……藤ねえ行ったみたいだな」

「凄まじい怒りを感じました。タイガとやらには申し訳ない事をしてしまった」

「いや、あれはセイバーの所為じゃなくて……」

「いえシロウ、あれは私の不徳が……」

 

 既にもぬけの殻と思って衛宮邸を飛び出した大河だったが、実は奥座敷に士郎達は居た。

 

 朝方まで続いた2人の決闘(?)は、食材を切らしてしまった士郎の敗北で終わった。その時になって大河の分の朝食の用意を忘れていた事に気付いた士郎だったが後の祭り。

 今更セイバーに食べるなとも言えず。

 キチンと食費を貰っている桜にも食べるなと言えず。

 勿論お客様である凛の分を削る事は出来ない。

 

 八方塞がりになった士郎にイリヤは悪魔の囁きを行った。

 

『タイガ食費払ってないんでしょ? ならいいわよ1日ぐらい』

『でもなぁ、それは流石に……』

『シロウ! タイガは大人なのよ、働いてるし住む家だってあるしお金だってあるわ。身内だからって甘やかしちゃダメよ、タイガの為にならないわ』

『そう……かな』

『そうよ(ニヤリ』

 

 そんなこんなで図らずも大河へのお仕置き決定となり、それでも何とか集めた材料で最低限の分は確保しおいたのが士郎の精一杯だ。

 大河の反応を見るに。作らない方がマシだったのかも知れないが。

 

 それにしても急遽(愉快な擦れ違いで)始まった大食いバトルに辛うじて勝利したセイバー、流石は常勝の王と言った所か。

 そう、こんな流れで明かす様な事では無いのだが……セイバーの正体はアーサー王その人なのである。

 しかしアーサー王伝説を知る者ならば不思議に思う事があるだろう、なぜアーサー王が女性なのか?

 その理由は、特に大した意味はない。

 女性である事を隠していたからだ。

 

 尤も、セイバーの容姿はどう穿った見方をしても美少女である。にも関わらず、殆どの者はセイバーが女である事に気付かなかった。

 昔の人間は視神経に重大な障害を抱えていた可能性がある。若しくは美醜や男女の見分けの仕方が現代と著しく異なっていたか。

 或いはそれだけ蛮族(?)の侵略が凄まじく王様の顔が女顔だと気づく余裕すら無かったか。

 

「ほら2人とも、余所見していないで聞いていなさい。特に青い奴(ボソッ」

 

 大河の咆哮に気を取られる2人(主に片方)を叱咤して、イリヤは広げていた冬木市の地図に赤ペンで囲んでいる場所を改めて指差した。

 まあイリヤとて2人が驚く気持ちは分からないでも無い。と言うか一番驚いている。

 

 幾ら震源地に近い場所とはいえ、大河の咆哮は結界を容易く突き抜けて響いたのだから。

 初めて会った時からずっと大河はイリヤの予想を良くも悪くも超越している。

 その意味不明さは、長年生態を観察しているイリヤにすら未だに全く分からない。

 何かもう……何だこれ?

 冗談半分で考えた『虎のアルティミットワン説』が一番違和感が無い程に、大河は人間として(変な方向に)突き抜けていた。

 たぶん固有結界を使える。

 聖杯も持ってる。

 なんの証拠もなく、そう確信していた。

 

「リンが戻って来たら二手に別れるわよ。私とリンで大聖杯の調子を確認して、壊せたらその場で壊す。その間シロウは“ソレ”と学園に行って普通に過ごしてていいわ。学園の結界は手を出さないで、今なら大した影響もないし下手な事をして刺激したくないから。

何か問題があったら連絡しなさい、いいわね? 何か質問ある?

…………無・い・わ・ね、はい解散。行ってらっしゃいシロウ♪」

 

 おずおずと手を挙げたセイバーに対し露骨に顔を顰めつつ無視したイリヤは一方的に話を打ち切った。

 そんな態度を取られる事に身に覚えがあるセイバーは無理に問い質そうとはせず、しゅんとしながら士郎に促され立ち上がる。

 玄関に向かって歩いていく2人の背中(の片方)を苛立たし気に見つめつつ、イリヤも立ち上がる。

 

 昨夜よりも格段に近い距離感で会話する2人(片方)の空気が気に入らない。

 

(随分と仲良くなってまぁ……ウチの食材を切らすまで食べる卑しさと言い、卒なく制服を着こなすスタイルと言い。ほんっと嫌味なサーヴァントね)

 

 今のセイバーは穂群原学園の制服を着用していた、勿論何故かサイズはピッタリである。

 エミヤグループが一晩で用意してくれました。

 

 セイバーに対して嫌悪感を持っているイリヤをして、彼女の制服姿は非常に似合っており、それが腹立たしい。非常に腹立たしい、超ムカツク。

 士郎の進級時にこっそり自分用を作って着たイリヤの姿は、自分で見てもコスプレ姿同然だったと言うのに。

 胸のサイズこそ大差ないが、身長やスタイルに於いて2人には埋めようの無い差が存在していた。

 

(ふんっ、でも幾ら若く見えても実年齢は私より遥かに上。西暦で数えればざっと千歳以上のババア。

何よりサクラの胸に比べれば貴女の胸なんて板……いいえ窪み、大穴なのよ、クレーター!

ククク、生憎だったわねセイバー。貴女のその将来性の無いブラックホールでは、未だに私以上のペースで胸が育っているサクラには及ばない……!

貴女なんかにシロウは渡さないわ、大切な弟の結婚相手を決めるのは私よ! このイリヤスフィールなのよ!! ククク、クフフフフフフ、アハハハハハハハッー!)

 

 切嗣やアイリスフィールを護れなかった(そう切嗣から教わった)セイバーに対する苦い思いと、士郎に擦り寄る泥棒猫(イリヤにはそう見える)に対する姑的な思いと、様々な劣等感が入り交じって……端的に言ってイリヤは少しばかり錯乱気味な状態だった。

 

 聖杯戦争を早期終結させる事を第一に考えて行動している事に変わりは無い。

 だが、その理由が『士郎に纏わり付く悪い虫を払い落とす』事にシフトし始めている事に本人は気付いていない。

 

「んじゃ行ってくるぞイリヤー」

「フク、ククク、クフフフフフ……」

「あー……早く戻ってきてくれよー。んじゃ行こうかセイバー」 

 

 不気味に笑い続けるイリヤを置いてスタスタと学園へ向かう士郎を、慌てて追い掛けるセイバー。

 しかし最後に見たイリヤの奇怪な様が気になってしまい、玄関を通り過ぎ衛宮邸が見えなくなってもチラチラと後ろを振り返っては士郎の横顔を窺う様な仕草をして、また後ろを振り返る。

 ……そんな一連の動作を幾度も繰り返し続けていた。

 

 普段の彼女らしくもない優柔不断な姿だが、しかしセイバーをよく知らない士郎には奇異に映らず気を利かせて話し掛ける甲斐性は無い。

 と言うよりもだ。

 美少女と一緒に学園へと向かっている事に気恥ずかしさを感じている士郎に、セイバーからの視線に気づく余裕は欠片も無かった。

 

「くしゅんっ! ……なんだろう、変なの」

 

 先に学園に行かされた桜は唐突にクシャミをしたあと、妙な胸騒ぎを覚えた。

 具体的に言えば、自分ではドキドキしてくれないのかという胸騒ぎを。

 

 

 

「……良かったのですかシロウ、その、イリヤスフィールを放っておいて」

「ん? ああ大丈夫だよ、暫くしたら元に戻る」

 

 ようやく切り出した質問に、随分とあっさりした答えが返されセイバーは面食らう。

 あの、誤解を恐れずに言えばーーーどう見ても精神的におかしな状態の人間が“大丈夫”などとは。

 

(他人の私よりもシロウの方が彼女をよく知っているのでしょうが……いえ、どう見ても“アレ”は人間として大丈夫な状態ではない!)

 

「しかしですねシロウ、あれは……例えば蛮族に村を滅ぼされ家族や友人を目の前で失って精神的に追い詰められ心を病んでしまった人間の様な、そんな虚ろな状態に思えるのですが?」

「い、いやに具体的で嫌な例えだな。

大丈夫だって。イリヤは今、ちょっとだけ遠くて近い世界に旅立ってるだけだから……うん、その、稀によく有るんだ」

 

 妄想家のイリヤは、時々あんな状態に陥る。

 

 前にあんな状態になった時は何が原因だったかと考える士郎の脳裏に過ぎったのはーーー涙目になりながら下着姿で逃げ回る桜と、鼻息を荒らげながら喜々としてメイド服を持ち追い回すイリヤの姿ーーーだった。

 

(あ、これ思い出したらダメなやつだ)

 

 頭を振り、記憶の隅に眠っていた惨劇から意識を逸らす。せっかく忘れていたというのに、頬に赤みが増すのを抑えられない。

 

 人は日々、幾つもの記憶を忘れて生きていく。

 楽しかった日々を思い出せなくなる事は悲しい事だが、忘れる事は何も悲しい事ばかりでは無いのだ。

 忘れる事で人は、救われる事もある。

 

『あ、やめ、ダメですイリヤさぁん!!』

『フィひひひふぇふぇ、うるさーい! さっさと着替えて跪きなさい! めいど! メイドー!』

『た、助けてくださいせんぱい! せんぱぁーーー、きゃぁあ!?』

 

 よし、忘れた。

 何やら幻聴や幻視が収まらないが多分気の所為だろう。

 最近のニワトリの発声は複雑だなーと目を細める。

 

「……それは大丈夫と言わないのでは?」

 

 そんな現実逃避は、そのセイバーの一言で呆気なく現実に引き戻され終わった。

 

「………………………………大丈夫だよ」

 

 とても長い沈黙。

 絞り出す様にそう答えた士郎の表情は、まるで尊い答えを得た人間の様な澄み切った笑顔だった。

 それはもう、語尾に「ああ、安心した」と付いて眠るように亡くなってしまいそうな程に。

 

「……すみませんでした」

 

 

 何となく気持ちを察したセイバーは、士郎の笑顔を正視する事に耐え切れず顔を逸らす。

 そのまま気まずい沈黙の中2人は歩き続けた。

 その姿は多くの者達に見られ、恋人説、愛人説、ハニートラップ説などで穂群原学園の今日の話題を席巻した。

 

 

 

 

 

「待たせたわね衛宮さん。さあ、柳洞寺に行きましょうか」

「待ったわリン。さ、乗りなさい」

「……歩いていきません?」

 

 士郎の予想通り短時間で復帰したイリヤは澄ました顔で凜を待ち構えていた。

 よってイリヤの醜態に気づく事なく合流した凛は、いよいよ大聖杯が安置されている円蔵山は柳洞寺の中腹へと向かう事となる。

 そこでの調査結果次第ではあるが、場合によっては大聖杯の物理的解体も視野に入れねばならない。

 ……その前に、無事辿り着けたらの話だが。

 

 凛の前には昨日とは別のベンツが鎮座しており、その車体の色は真紅に染め上げられていた。

 色自体は割と好みであるのだが、昨夜の事が脳裏を過ぎり一瞬でトラウマを呼び起こす。

 とても好きにはなれそうにない。

 無理だ。

 あんな物に乗れば遠坂凛は、死ぬ。

 少なくとも只でさえ精神的に弱っている今よりも、更に悪化してしまう。

 そうだ、第一魔術師ともあろうものが科学の力に頼ること自体がおかしいのだ。

 絶対そうだ。

 

「なんで? 何が起こるか分からない以上、体力の消耗は控えるべきよ」

「(体力の前に、私の精神が磨り減るってのよッ!)……お願いだから歩きましょう衛宮さん。この宝石も返しますから、お願いだから歩いて行きましょうよ。何ならおぶって行きますから」

「?? まあ仕方ないわね、聖杯戦争中はリンに従う契約だもの。あと、宝石は結構だし余計な気遣いも結構よ」

 

 ガッカリした表情を隠しもせずベンツから降りたイリヤは、ホッと一息つき隠れてグッと手に力を込めた凛に気付く事は無かった。

 そのまま脇に控えていた護衛に鍵を投げ渡し、ついて来なくて良いと厳命し柳洞寺に向かい始める。

 

 その後ろを黙して追随する凛は、柳洞寺に着く前だというにのに既に激戦をくぐり抜けて命からがら生還した兵士の様な達成感と疲労感を肩に感じていた。

 プライドを投げ捨ててまで車を拒否した価値があるというもの、何だか空気が普段より美味しい気もする。

 

(はぁ、助かった)

(……ふ)

(なによアーチャー、言いたい事があるなら言いなさいよ?! あぁん!?)

(いや……失礼、気に触ったのなら謝罪しよう)

 

 皮肉屋の気があるアーチャーとしては、こうした時にはからかい倒したくなるものだが……流石に自重する。

 どうやら凛とイリヤ、この2人の関係はよほど相性が悪いか逆に良すぎるらしい。

 

 朝にはすっかり回復していた凛の精神的余裕が、たった一台の車を目にしただけで急転直下の勢いでダダ下がっている。

 遠坂の家訓からは程遠い、優雅さの欠片も見られない有り様だ。

 そんなマスターに鞭打つ様な真似は出来なかった。

 

 

 

 その後は特に会話する事は無かった。

 同盟関係とはいえ、別に仲良くなった訳でも何でもない。契約を結び、互いにその履行の為に足並みを揃えているに過ぎないのだから。

 別に、車を目にして気分が悪いから口を開くのも億劫だった訳では無い。

 

 呼吸を整え精神を落ち着ける。

 何とか気分を持ち直した凛は今日何度目か分からない“切り札”の確認をしながら、ようやく柳洞寺へと続く階段まで近付いた事に気付く。

 大聖杯の確認なんて勿論初めてする作業となるので大急ぎで文献やら何やらを読み漁ったのだが、肝心な事は何一つ書かれておらず嘆息するしか無かった。

 

(……こういう時にお父様が亡くなられた事が遠坂にとってどれだけ大きい損失だったかを思い知るわね。私の知らない遠坂の秘伝がどれだけ有った事か……仮にも後見人だった癖にアイツはあんまりこういう事には役に立たなかったしーーー)

(凛、止まれ)

 

「! 衛宮さん、此処で止まって」

 

 肝心なモノが見付からなかった事への苛立ちが身近な人物への愚痴へとズレて思考が浮ついていた凛に、索敵を任せていたアーチャーからの警告はその全てを振り払い現実へと戻すには充分だった。

 直ぐに立ち止まり、宝石を指に挟んで戦闘態勢に移行する。

 急に鋭さを増した凛の雰囲気を肌で感じ、イリヤもまた全身の魔術回路の“半分程”を励起させた。

 

 実体化したアーチャーは屋根の上から周囲を隈なく見渡し、じっくりと観察し終えてから凛の傍らに降り立つ。

 未だ双剣を構えていない事とパス越しに感じる落ち着いた気配から、凛は幾らか警戒を緩める。

 少なくとも先日のように、気付かれず背後を取られた訳では無いらしい。

 

 いきなり襲撃される最悪の展開は回避したが、逸早く状況を把握する必要がある。

 その為には多角的な視点からの意見が望ましい。

 

(凛、どうやらーーー)

(待ってアーチャー、衛宮さんにも聞かせて)

(ふむ、いいのかね?)

(いいわ)

 

 衛宮イリヤスフィールに負けたくない、頼りたくないと思う気持ちはある。

 その下らないプライドを抑え込む。

 見栄や矜持は大事だが、そればかりに傾倒しない柔軟さが凛の美徳の一つだ。

 

「状況説明!」

「……どうやら山門にサーヴァントが居る様だ、マスターらしき人影は見当たらん。此方に気付いてはいない。我々の先回りをしていると言うよりは、あそこを根城にしている可能性が高いだろう。どうする?」

「……衛宮さん、貴女はどう思う?」

 

 柳洞寺のある円蔵山は冬木で最も優れた霊地である。

 そこに拠点を構える事のメリットは魔術師にもサーヴァントにも多大な物がある。

 同時にデメリットも少なからずある。が、今問題なのはそこではない。

 

「……素直に考えるならキャスターかしら、でもキャスターが人目に付く様な場所に居るなんて考え辛い。アサシンは問題外。ランサーとは違うんでしょ、ならライダー……って事になるのかしら?」

「概ね同意よ。一応訊いておくけど貴女の罠じゃないわよね?」

「リン。答えの分かってる質問をするより、有意義な意見を出したらどうかしら?」

「……そうね、ごめんなさい」

 

 自己強制証明を結んだ以上イリヤが凛を害する事は考え辛いし、そもそも罠に掛けるならこのタイミングは微妙過ぎる。悪手に近い。

 そう頭では理解していてもイリヤに対する警戒を怠らない凛と、その心中を察し辟易しているイリヤ。

 2人は同時に、小さく溜息を吐いた。

 

 それを目敏く見ていたアーチャーは(やはりこの2人の相性は悪くないようだ)と思うのだが、思うだけで口に出したりはしない。

 イリヤはともかく、そんな事を指摘したら凛からガンドが飛んでくるだろう。

 ムカついたなら相手が誰であろうとも、それがサーヴァントですらも喧嘩を吹っかける豪儀さも凛の美徳の一つだ。

 喧嘩っ早いわけでは無い。

 

「……訂正するわ、キャスターで確定よ」

 

 警戒しつつ、階段の傍まで近付いたイリヤは唐突に……しかし確信を持って断定した。

 訝しむ凛の視線を気に止めず、そのまま眼を瞑り目の前の空間に手を翳す。

 僅かな間を置いて浮かび上がったのは、高度に隠蔽されていた“結界”に干渉し目に見える様に“改竄”された結界だった。

 その結界に全く気付けなかった事に凛は驚愕しつつ、視覚化された結界の構造を解析し……再び驚愕した。

 

(なんて複雑で綺麗な結界なのよ。校舎の結界と比べても遜色ない高度な神秘で構成されている癖に、これは“魔術式のみ”で構築されてる……私じゃ侵入するまで気付けない、それを……ッ!)

 

 侵入者を術者に知らせる基礎的な結界。

 それを一般的な魔術師のレベルを遥かに超越した術式で構築している矛盾。

 それは宝具級の結界に比べ見劣りするどころか凌駕していた。

 凛ですら事前に見破れない程に優れたこの結界。

 そこらの魔術師ならば気付きもしないだろう。

 しかも用途を考えれば、これは“特別な”結界では無い初歩的な結界なのだろう……あくまでその術者の能力的には、の話だが。

 

 成程、これだけの結界を張れるなら現代の魔術師の可能性は限りなく低くなる。そして聖杯戦争が行われている冬木市の中で術者の可能性が高いのは誰かと言われれば……十中八九、キャスターに相違ない。

 よしんばキャスターでないとしても、優れた魔術を扱うサーヴァントである事に変わりはない。

 これは同時に、この結界を見破り干渉して見せたイリヤの魔術師としての能力の高さを際立たせている。

 

 凛は無意識に唇を噛む。

 まだ見ぬ謎の存在への警戒心よりも、隣に居るライバルとの差に対する焦りを感じて。

 

「よく気付けたものね衛宮さん、流石だわ」

「そうでもないわ」

「謙遜も過ぎれば嫌味よ?」

「いいえ、違う。結界に関しては“身近”でよく知ってるからからだし、それにーーーううん何でもないわ。よし、無効化した。これで正面から侵入しなければ悟られる事は無いけれど……」

 

 イリヤは振り返り、アーチャーを見る。

 目と目が合うと、その鷹の目を思わせる鋭い眼差しがほんの少しだけ優しげに揺らぎーーそれを気付かせる暇もなく首を振った。

 

 伝えたい事を瞬時に汲み取ったアーチャーにイリヤは素直に感心する。

 とても出来たサーヴァントだ。

 流石は凛が召喚しただけはあると関心しつつ、もう1度アーチャーを見た。

 

(アレとアーチャーしか知らないからかも知れないけれど、やっぱり素敵ね。うん、私のサーヴァントに欲しいぐらい)

 

 出会った時から妙にアーチャーの事が気になる自分の感情を、セイバーの他に比較する対象がいないからだと冷静に分析するも……しっくりこない。

 まるで答えを知っている筈なのに、思い出せない様なもどかしさ。

 聖杯としての機能を十全に残していれば、もしかしたら分かったのだろうかと考えーーー詮無い事だと振り払う。

 

 今はそんな事を考えている場合でも、余裕も無い。

 瞬時に思考を切り替える。

 大聖杯を破壊する為に行動する以上サーヴァントが妨害してくる事は織り込み済みだ。幾つか手段も浮かんだ、問題はこの場でどの手段を取るかだがーーー

 

「私達はともかく、アーチャーは正面から入らなければ弱体化は免れない。敵サーヴァントが存在する場所でそんな愚行は犯せない、けれど正面から行けば気付かれる。サーヴァントを連れずに敵の領域を歩くなんてバカな真似も出来ないし……面倒ね、いっそ正面から行って戦おうかしら?」

 

 凛も同じ結論に至っていたようだ。

 その上で戦う事を視野に入れるところが実に彼女らしく、好ましい。だから魔術師とはいえ、凛の事が嫌いになれない。

 惜しむらくは胸が控え目な事かと、胸部に視線を送り哀しげに逸らした。

 そうイリヤが考えた時に凛は謎の苛立ちを覚えたが、これは恐らく戦闘前の気の昂りだろうと考え納得した。

 今から挑むのは、キャスターの領域なのだから。

 

 魔術師の工房。

 その中では、格下が格上に勝利する事も不可能では無い程の圧倒的アドバンテージを得る事が出来る。

 キャスターのクラスは、その工房よりも上位の神殿を構築する事が可能となる。

 その中に飛び込む事は無謀を通り過ぎて、もはや自殺行為に等しい。

 更に一級の霊地である柳洞寺を拠点とする事で莫大なマナを手中に収めており、且つ歴史に名を残す程の優れた魔術を行使する英霊とくれば……もはや現代の魔術師では比較対象にもならない。

 

「賛成だ凛。聖杯戦争を続けるにしても終わらせるにしても障害と成り得る相手だ。此処で後顧の憂いを断っておくのは理に適っている。

それにこの距離は……弓兵の領域だ」

 

 山門で呑気に佇んでいるサーヴァントの姿を、アーチャーは逃す事なく捉え続けている。

 

 現在地から山門までの道は開けており、この距離ならば弓の英霊たるアーチャーが外す道理は無い。

 無論、回避する暇など与えるつもりはないが。

 左右はサーヴァントの存在を許さない結界で囲まれている、万が一山中に逃げ込んだとしても弱体化は避けられず、そんな状態であればアーチャーは確実に射抜く事が可能だ。

 

「……だが、それは早計かも知れん」

「どういう事アーチャー?」

「簡単な話だ、凛。奴がキャスターであるならば、これは罠の可能性が高い。そして奴がキャスターでなければ、この状況は余計に質が悪い」

 

 アーチャーの言わんとする事を、2人はほぼ同時に理解する。

 キャスターは策謀を巡らせてなんぼのサーヴァントだ、神殿を構築したとしても他のサーヴァントを相手にするには些か力不足。

 普通の人間なら到底不可能な事を成し遂げてきた英霊ならば、力業でキャスターを圧倒する者も居るだろう。そして正面から戦うにはキャスターはアサシン以上に向いておらず、故に表に出ず暗躍する事がキャスターのスタンダードと言ってもいい。

 

 そんなキャスターが堂々と姿を表しているならば、それはもう『罠を張っています』と宣言しているのと同じだ。

 そしてそれは。

 山門に居るサーヴァントがキャスターではなく“別のサーヴァント”である場合に、少し違った意味合いを持つ事になる。

 

「私達の様に同盟を組んでいる可能性ね?」

「その通りだ、イリヤスフィール」

 

 そう、仮にこの結界をキャスターの仕業であると仮定しても……それは山門のサーヴァントがキャスターである証拠にはならない。

 最終的に聖杯を手にする事が出来る陣営は1つだが、だからと言って手を組む者達が居ないとも限らない。

 目的が違うとはいえ現在アーチャー陣営とセイバー陣営は同盟関係にある、ならば他の陣営が手を組んでいる可能性は0では無い。

 

「……キャスタークラスに選ばれる程の魔術師ならば、他のマスターを手中に収めている可能性もーーーいいえ、これ以上はやめましょう。

憶測ばかりで確かな事は何一つ分からないんだし……どうします衛宮さん?」

「…………」

 

 色々な可能性が考えられる以上、今現在取るべき行動は単純に考えるなら2つだけだ。

 行くか、行かないか。

 

 大聖杯を確認しに行くならば気付かれる事は覚悟の上で望むべきである。その場合、主な戦力となるのはアーチャー1人で、相手が同盟を組んでいるならば最良でも2対1、悪ければ最大4対1の構図となる。

 

 しかし1度戻って士郎達を……セイバーを連れてくれば話はガラリと変わる。

 セイバーの対魔力Aならば、ありとあらゆる魔術を防ぐ事が可能となる。

 それは勿論キャスターが相手でも例外では無い。

 

(そうね……)

 

 考えるまでも無い。

 

 戻るべきだ。

 

 無理に今挑む意味は無い。

 

 セイバーが居れば。

 

 それだけで勝手が変わる。

 

 キャスターを相手にするならば。

 

 これは当然の選択だろう。

 

 そう。

 

 本当に、考えるまでも無い話だ。

 

 だから……。

 

「行くわ」

 

 別にセイバーに対する嫌悪感からの判断では無い。

 寧ろ使い物になるなら優先的に使って、使い潰してしまった方が気分的にも上策だ。

 ただ一つ問題がある。

 それはイリヤにとって最も回避しなければならない問題だ。

 

 士郎が巻き込まれる。

 

「そう、分かった。私も元よりそのつもりだったもの、行くわよアーチャー。あなたの力、まだ充分に見せてもらってないわよ」

「耳が痛いな。そうだな、首級の1つぐらい挙げねばと思っていたところだ」

「勘違いしないで、リン」

 

 孫の様に可愛がってくれる雷画。

 

 姉貴分を自称してくる騒がしい大河。

 

 衛宮の嫁として目を掛けている桜。

 

 何かと必死に競ってくる凛。

 

 街を歩けば近所の住人は気軽に声を掛けてくれるし、海外にも知り合いは居る。

 

 誰も彼もが好きだ。

 

 あの冬の城に閉じ込められていた頃には考えなかった程に、今のイリヤは沢山の交友関係を築いている。

 

 それでも。

 イリヤにとっての家族は、もう士郎だけだ。

 イリヤの特別は士郎だけ。

 依存にも似た愛情を向ける只一人の相手。 

 未来永劫それは変わらないだろう。

 士郎の為ならば命も惜しくない。

 

「ーーーキャスターと戦うのは私だけよ」

 

 サーヴァントが傍に居る方が士郎は安全だ、それは家に居ても結界の張られた学園の中でも、何処でも変わらない。

 しかし戦場に絶対は無い。

 既に1度、士郎は聖杯戦争に巻き込まれている。

 そして聖杯戦争の間中は、この冬木全体が戦場と言っても過言では無い。

 

 これ以上は、許容出来ない。

 傷だらけの士郎を思い起こす度に“あの日”の絶望が心を凍てつかせる。

 

「……正気?」

 

 一刻も早く、こんな茶番は終わらせなければならない。その為に“封印”を解く事も視野に入れている。

 ふと隣の凛に視線を合わせた。

 思えば長い仲だ。厳しい視線の中に見え隠れする彼女の生来の不器用な優しさを確かに感じ取り、これならば大丈夫だと改めて判断する。

 

 イリヤの知る誰よりも優秀な魔術師であり、誰よりも魔術師らしからぬ少女。

 彼女ならば大聖杯の状態を目の当たりにすれば此方の言い分に納得して、解体の為に動いてくれるだろう。

 それまで保たせれば良い。

 5分だろうか?

 10分だろうか?

 それぐらいなら、例えサーヴァントを相手にしても生き残れる自身はある。

 最悪“切り札”を使えば良い。

 

「ええ。私が囮になるからリン達は大聖杯を確認してきて頂戴。納得出来たら合図を送って、何でもいいわ。そしてアーチャー、恐らく不可能だろうけど壊せたら壊していいわよ。

じゃあね、任せたわ!」

 

 2人の返答を確認する事なく強化された足で山門への階段を駆け上がる。

 その姿が見えなくなる前に、凛は急いで大聖杯の安置してある場所へと向かった。

 

「なによ……これ」

 

 大聖杯の元へと辿り着いた凛が目にしたのは、嘗て先祖が創り上げた荘厳な大魔術礼装だった。

 圧倒されてしまう。

 御三家として生まれ、生きてきた凛はある意味で感覚が狂っているところがある。

 聖杯は元より、英霊をサーヴァントとして召喚し、その行動を束縛出来る令呪、そのどれもこれもが超一級の魔術の結晶だ。

 頭ではそのデタラメさを理解していても、何処かしら有って当然の様に感じる部分がある。

 

「我らを召喚し、この場に留める楔となる大魔術礼装。いや、中々に見物ではあるな」

 

 そんな呑気な感想を呟くアーチャーの声も耳に入る事なく、凛はただただ圧倒されていた。

 これが聖杯戦争の根幹を成す物、全ての始まりにして究極の大魔術礼装。

 さしもの凛をして、圧倒されるしか無い。

 

「………………気持ち悪い」

 

 これだけ優美な姿をした大魔術礼装が。

 その在り方が“こんな風に”歪んでしまうのかと、凛は人の悪意と言う物に圧倒され続けていた。

 気分が滅入る。

 

 そんな意識とは裏腹に休む事なく動き続けていた身体は、大聖杯の奥深くに隠れ潜んでいる闇を暴いていった。キモチワルイ。

 調べれば調べる程に、清浄さの裏側に存在する醜悪さが垣間見える。キモチワルイ

 この場にいるだけで、ナニカよくないモノに魂まで毒されてしまいそうな錯覚。キモチワルイ

 

「アーチャー、これは……何」

 

 それは質問ではなく、思わず言葉として洩れた凛の本心だった。

 此処にある物の正体を、それが指し示す意味を理解しているのにーーー理解してはならない事だと暗示をかけるように呟いた心の鎧だった。

 答えは求めていなかった。

 

「人間だよ」

 

 ハッとして、振り向く。

 此方に背中を向けて立っているアーチャーの表情は窺えない。

 空耳だったのかと思う程の囁き声。

 しかし強い意思を感じさせる張りのある声とも感じた。けれども、その言葉に込められた思いが凛には理解し切れなくて。

 こんな近くに居るのに、果てしなく遠い場所から告げられた様に思えた。

 

 大きく逞しい背中。

 召喚してから今まで変わらないその背中が、どこか物悲しく思えたのは。

 果たして凛の錯覚か。

 それとも……。

 

 

 

 

 

 キャスターとイリヤの戦闘が始まってから凡そ5分。

 神代の魔術を惜し気もなく行使した面制圧により終始圧倒するキャスターに対し、現代兵器と魔術を巧みに織り交ぜキャスターの虚を突く事で何とか生き残っているイリヤ。

 2人の戦いは最初から変わる事なく、一方的なままだった。

 

「……vier……!!」

 

 今もまた眼前にまで迫った大量の光弾を避ける為に“加速”して、避ければ直ぐに反動を消す為の対抗魔術を発動させる。

 戦闘開始後に変わったのは魔術のキレをベストに戻した事ぐらいだ。お陰で自分の魔術でダメージを蓄積させるなんて間抜けな事態には陥っていない。

 だからと言って何も事態は好転していないが。

 

(いい加減きっついっての! これじゃあ保たない、わよ……ッ!)

 

 互いに決定打は浴びておらず、身体の何処も異常は起こっていない。

 それでも追い詰められているのはイリヤの方だ。

 卓越した魔術師であるキャスターは徐々に、確実にイリヤの戦闘法を学習しながら上手に“手心”を加える。

 殺さぬ様に。

 死なぬ様に。

 

「もう5分は過ぎたかしら。まだ私に、今時の戦い方ってものを教えてはくれないの? それとも、時の流れから外れる貴女には時間の感覚が分からない?」

 

 キャスターは“手加減”し続けている。

 彼女にとってイリヤという魔術師を相手にするには、片手間とは流石にいかないがーーー全力には程遠いものだった。

 

「せっかちね……! 急いては、事を、仕損じるって諺が日本には、あるのよっ!!」

 

 ガリガリと削られていく魔力量は、遂に最大量の半分を切った。

 やはり不味い。

 このままではジリ貧だが、幸いにも凛の侵入をキャスターは気付いていない。

 

(でもこれ以上は無理……ッ~~! バッッッカじゃないの今の、当たったら蒸発するってば!)

 

 勿論キャスターは避けられる事を前提として攻撃を組んでいるが、当たれば一巻の終わりとなる一撃を避けなくてはならないプレッシャーはイリヤの精神を大きく削る。

 

 次第に見えて来た戦いの終わりを見据えて、キャスターは舌なめずりをする。

 駒として使う事は確定しているとはいえ、これだけの美少女をただそれだけに使い潰すのは惜しい。

 色々と着飾って楽しまなくては損だ。

 

「さあ、良くやったわよお嬢さん。もうおしまいにしましょうか? 私も暇じゃないのよ」

 

 キャスターが本格的にイリヤを打ち倒そうと魔術を構築し始めた事を、当のイリヤも気付いた。

 恐らくあと1分は保たないだろう。

 未だに凛からの合図は無い。

 逃げ出すにはタイミングが悪い。

 アーチャーの支援なくして撤退は困難だろう。

 士郎に令呪による救助を求めれば間違いなく助かるがーーーそれではこうして1人で囮を務めている意味が無い。

 

(…………あと2発、間に合う? それより出来る? ……いいえ、やる。仕方ない。最悪、こんな賭けに出なきゃいけないなんて)

 

 少しばかりキャスターを甘く見過ぎていた。

 いや、自分を過大評価し過ぎていた。

 体調が万全では無いにも関わらずサーヴァントの足止めをしようなんて大それた事を考えるべきでは無かったのだ。

 そう、分かってはいたが……過ぎた事だ。もはや事此処に至っては手段を選ぶ余裕もない。

 

「ふっ!」

 

 身動きの取れない上空へと無謀にも飛び出し、必要な地点へと銃撃する。

 そして迫り来る幾つもの大魔術から逃れる為に魔力を暴発させ、勢い良く地面に叩き付けられる。

 加減を間違えた、痛い。

 結局は自分の魔術でダメージを受けてしまった。

 

「どうしたの? 恐怖のあまり錯乱してしまったのかしら、フフフフ」

 

 ボロボロになった上着を脱ぎ、下着だけの姿になったイリヤを嘲笑うキャスター。

 釣られてイリヤも笑う。それは諦めによる自暴自棄の笑いだとキャスターは思った。

 

 人間とサーヴァント。

 初めからこの両者の勝敗は決まっている、人間がサーヴァントに勝つ例外も世界を探せば見付かるだろうが……生憎と、この場はその例外には含まれないだろう。

 だからイリヤは笑う。

 

 さて、では人間とサーヴァントでは勝負にならないのならば……一体どんな存在ならばサーヴァントに勝てるだろうか。

 5つの魔法を使う魔法使いか?

 使徒二十七祖と呼ばれる化け物共だろうか?

 それともアルティミットワンと呼ばれる星の最強種だろうか?

 

 成程、確かにどれもこれも人間よりは格段に勝つ事は可能かも知れないだろうが、それらの内の何れかが今この場に現れてキャスターを倒して去ってくれる可能性はあまりにも低い。

 

「ええ、そうねキャスター……終わりよ」

 

 そんな奇跡の様な確率が起こる事を期待する程、イリヤは見た目とは違い夢見がちな少女では無い。

 そんな方法よりも、もっとずっと、確実とまではいかないが悪くても50%以上の高確率で生き残る手段が残されているのだから。

 

 “全て”の魔術回路を励起させる。

 身体の所々に線が走る様に浮かび上がっていた魔術回路は、今やくっきりとした紋様となりイリヤの身体を覆い尽くしていた。

 

「貴女、何を……!? これは」

 

 イリヤを中心にして地面を伝い魔力線が迸る、それは見境なく広がっているのではなく地面に埋没した“弾頭”を起点として柳洞寺の境内に、とある魔術陣を描いていた。

 それを上空から俯瞰して見ていたキャスターは一瞬で何であるかに気付き、しかしそれは有り得ないと頭を振る。

 ここは、柳洞寺は既にキャスターの神殿と化している。

 まだ不完全とはいえ、それでもこの地の支配権はキャスターのものであり……だから……不可能なのだ。

 

「そんな事が出来ると思っているの!? そんな事も分からない筈がないわ、本当に錯乱しているの?」

 

 サーヴァントの能力は凄まじい。

 だから、そのサーヴァントと渡り合うならば何が一番か?

 決まっている。

 サーヴァントには、サーヴァントをぶつける事が聖杯戦争に於ける常道。

 

「アハハハ! 違うわ、貴女は本当に酷い勘違いばかりするのね。出来るんじゃない、叶えるのよ!

元より、私の体はーーー」

 

 切嗣に連れ出されてから今日まで。

 その本来の形を歪め、削ぎ取り、長きに渡り封じられてきたイリヤスフィールの本質が顕になろうとしていた。

 元より無理をして押さえ込んでいたソレが解放されたならば、安定期まであと10年という束縛を破り“もはや耐えられない”体になった今のイリヤの身体に重大な欠落を生む可能性が高い。

 

 ガチリ。

 激鉄を上げる(イメージする)

 封印の張られた頑丈な箱を破壊して、中身を取り出す為に銃を構える。

 中に居るだろう自分自身を、引き摺り出す。

 

 そして成すのだ、生まれてきた意味を。

 

 アインツベルンの道具として? ーー違う。

 聖杯となるべくして? ーー違う。

 確かにそんな風に生まれる可能性もあった、それは事実だが。 ーー正しくはない。

 

 母は人形だった。

 人に似せて作られた人形が、1人の人間と恋に落ち……やがてその愛の結晶を欲した。

 母は人間になった。

 

 父は人間だった。

 無謀な夢を実現させる為に人形よりも人形らしくあろうとして、1人の人形を愛してしまった。

 そして人間に戻った。

 

 そうして生まれたのだ。

 千年の妄執を叶える為の道具としてではなく、母に望まれ、父に愛され、そうやって生まれてきた“1人の人間”がイリヤスフィール。

 人間の子供。

 

 ああ、ならば恐れる必要は無い。

 

 この身は確かに聖杯として生まれ、今やその機能の半分も成せない壊れた身だが。

 

 衛宮イリヤスフィールは。

 

 衛宮アイリスフィールの娘で。

 

 衛宮切嗣の娘で。

 

 衛宮士郎のーーー姉なのだ。

 

 父や母は自分を人間として愛する事の出来る世界を作る為に戦い、死んで行った。

 愛する家族を護る為に、その身を捧げた。

 

 今度は自分の番だ。

 愛する弟が暮らすこの冬木を、滅ぼしてしまうかも知れない穢れた大聖杯を破壊する。

 その為に必要ならば、この命を賭けてでもーーー成し遂げる。

 

「ーーー体は、願いで出来ている」

 

 激鉄が、落ちた。

 

 

 

 

 

 その現象に大空洞の中で聖杯を調査していた凛が逸早く気付いた。

 大聖杯に蓄積されていた魔力が、柳洞寺へと集められていた魔力と共に急速に一点へと収束していく。

 

(何これ、キャスターの仕業……ううん、違う。きっと違う)

 

 今までの、醜悪さを薄皮一枚で覆い隠していた雰囲気とは打って変わって大聖杯の中心部から眩いまでの光が粒となって空へと溢れ出していた。

 その光景は、今まで凛が見て来た全ての美しい光景と比較しても……なお尊い輝きに満ちていた。

 

 そして唐突に、大聖杯から光が失われる。

 元の状態へと戻った大聖杯を、しかし凛は空を見上げていて気付かない。

 何があったのか正確には分からない。

 ただ空を、その先を思い描いて……唐突にイリヤの事を思い出した。

 

「っ! マズっ、呑まれてた。引くわよアーチャー、大聖杯に手を出すのは“今は”まだ早い! 大至急この場から離脱して合流するわ!」

「心得た。では脱出してから彼女の依頼通り合図を送るとするか、掴まっていろ凛」

 

 そう言って凛を片手で抱えたアーチャーは入口へと走りながら一振りの魔剣と弓を“引き出し”て空いた片手に出現させる。

 その魔剣が何なのか、振り落とされないよう精一杯しがみついている凛には判別も出来ないが。

 感じられる魔力の質は桁違いだ。

 どうやら派手な“合図”になるだろうと、ニヤリと口元を歪めた。

 

 

 

 

 

 己の領域が、召喚陣がある場所だけとはいえ敵の手に落ちた事にキャスターは驚愕しつつ素早く魔術を構築。

 もはや一分の情けも無い。

 この世から完全に塵と化し消滅させるレベルの魔術を都合10以上も放つ。

 

 そこで静止した世界の中で、イリヤは詠唱を続ける。

 

 極限まで加速された体内時間の中で、封印を解き聖杯としての機能を一部復元させ大聖杯へ限定的なアクセス、サーヴァント召喚を執り行う。

 元より令呪を“与えられて”いたイリヤの召喚と魔力のバックアップ要請に大聖杯はーーーその核となって眠る者がーーー応えた。

 

(誓いを此処に)

 

 ポケットに突っ込んでいたままの聖遺物は違う事なく召喚の触媒としての効果を果たし、残されたクラス・バーサーカーへと座から降りてくる英霊を導く。

 さあ、全ての準備は整った。

 これから反撃の時間となる。

 

 現れる英霊の力をイリヤは確信している。

 しかし同時に心配もしている。

 確実に・容易くキャスターを凌駕するだろうその英霊を寄りにもよってバーサーカーのクラスで呼び出すのだから。

 只でさえ消耗した魔力で、聖杯として不完全なこの身で“彼の大英雄”を支えなくてはならないのだ。

 

(来なさい、天秤の護り手よ!)

 

 体内時間の加速を終える。

 これ程の高加速による負荷であと数秒は揺り返しを抑える為に身動きする事が出来なくなる。

 もはや任せるしかない。

 こんな風に追い込まれてしまったのは自分のミスなのだから、致し方ない。

 

 

 

 ドン!

 

 

 

 着弾。

 

 威力にしてA+にも匹敵する大魔術がイリヤの居る場所へと叩き込まれた。

 キャスターの全霊を込めた攻撃だ。

 避ける余裕など無かった。

 召喚する余裕も。

 

「……そんな」

 

 無かった筈だ。

 そうだ、例えサーヴァントを喚び出す事が間に合ったとしても。あのタイミングでは状況判断する間もなく無防備にやられる筈。

 強い対魔力を持つセイバーをピンポイントで召喚したならば防げるだろうが、既にその席は埋まっている。

 

 ましてや。

 残っているクラスはバーサーカー只1つ。

 そうだ、陣地を奪われるという想定外の事態に咄嗟に気付けなかったが高々バーサーカー如きがキャスターの攻撃を防げる道理など無いのだ。

 

 焦ってしまい、極上の素材を無為にしてしまった。

 そんな風に思っていたキャスターの思考は今や、恐怖一色に塗り替えられていた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」

 

 立ち上る煙を吹き飛ばす様に、咆哮が放たれた。

 何処から?

 決まっている。

 

 キャスターの魔術で、もはや誰も生きてはいない筈の死地。

 そこに誰かが居るのだ。

 

 とすれば、それは一体どんな存在か?

 決まっている。

 

「……そんな……まさか、なんで…………貴方が!?」

 

 ゲホゲホと、埃が喉に入って咳き込む少女を囲む様に鋼の鎧が存在していた。

 食い入る様にそれを見て、恐怖のあまり絶望の声をあげるキャスター。

 

 彼女はその鋼の鎧の正体を知っていた。

 恐らくは少女よりも、誰よりも。

 

「■■■■…」

 

 ゆったりとした動作で鋼の鎧が動き出し、全長2mを越える隻腕の巨人となった。

 その立ち上がる迄の所作は雄々しく、されど優しく、少女を労る様な慈愛に満ちたものであった。

 そして、まるで“時間が遡る”様に根元から千切れていた腕が急速に元の形を取り戻し始める。

 

 全力で防御を固め、慌てて距離を取るキャスターが視界の端に映るも全く意に介さず。

 イリヤは巨人を惚けたように見上げていた。

 バーサーカー。

 狂気に支配され、理性の残っていない筈の瞳と目が合い……吸い込まれそうな程に釘付けになりながらイリヤは満面の笑みで呟いた。

 

「バーサーカーは、強いね……」

 

 此処に、最後の一騎が参戦し聖杯戦争は正式に幕を開けた。

 

 未だ誰一人として脱落者は居らず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次回予告。

 

 現れた最後の一騎バーサーカー。

 

 大聖杯の歪みを知った凜。

 

 その命を削りながらもイリヤは、遂に聖杯戦争を集結させる一手を打つ。

 

 

 

 

 次回!

 

 最終回 その一!

 

   Ending of “E”

 

 

 

 




因みに次の更新は2話連続となります、その内先に更新するのが最終回その一です。
最終回その二はありません。
つまり……後は分かるな?





はい、何時の間にか7月になってましたがギリセーフですね。ロスタイムって奴です。
まあロスした原因は主に爆睡の所為なんですが(笑)

今回の更新は何と、料理描写が殆ど無いという体たらくですが大丈夫です。
この小説は料理メインです。
そしてしれっと感想欄への返信で最終回の敵や展開をネタバレしてるのに唐突な次回最終回……などと言った理由は次回に分かると思います。

それでは。
もちろん2話連続の更新と言うことは、感覚が空くと言う事です(断定)
夏が終わるまでにまた会える事を願ってています。
ではでは。

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