イメージするのは常に最高の調理だ   作:すらららん

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アニメ盛り上がってきましたね、士郎はやっぱりカッコイイ。セイバーさんやること無いからって顔芸担当になってて草不可避(真顔)

今作は設定上あんな風にガチる盛り上がりは不可能ですが、ランサー兄貴のように渋く書き抜いてみたいと思います。






VSセイバー ~あなたが私のシェフだったのですね~

 まだ陽も明けぬ内から唐突に……割と何時もの事なのだが、イリヤに呼び出され衛宮邸へと心中複雑な思いを抱きながら桜は走っていた。

 突き刺さる様な寒波が身体に容赦なく吹き付けるも、そんな事を気に掛ける余裕は今の桜には欠片も存在しなかった。

 

 士郎に令呪の兆しが現れたその場に、当然ながら衛宮邸に足繁く通う桜も居合せた。

 居合せてしまった。

 余りの衝撃に暫し放心した程に……それは桜にとってあって欲しく無い出来事だった。

 

 士郎が魔術師である事は知っていた。

 亡き義父の夢を継いで料理人を目指している事も知っていた。

 叶えるべき願いが、ある。

 だから万能の願望機である聖杯に選ばれるかも知れないと……そんな事にならなければ良いのに、と願って。

 期待は裏切られた。

 

(……もしかしたら、私の見間違い……だったのかな)

 

 令呪の兆しは、知識の無い者が見ればただの傷にしか見えない。

 当の士郎も、うっかり出来た傷だと思っていた。

 しかし、その傷をイリヤが確認した時。

 ほんの一瞬だけ見せた動揺を、桜はハッキリとーーー見てしまった。

 

(可能性はゼロじゃ、ないよね……)

 

 あれはイリヤが自分をからかう為にした冗談だったのではないか。

 昨日からずっとそればかりを桜は考えていた。

 自分すら信じていない“もしもの可能性”を夢見て。

 祈り続けていた。

 それも、後ほんの少しの間しか見れない夢だ。

 もうじき明確な答えが出てしまう。

 夢から覚めてしまう。

 衛宮邸までの距離は、こうして悩んでいる間も確実に近付いているのだから。

 

(もし、イリヤさんが私を呼んだ理由が……)

 

 昨日から桜は一睡もしていない。

 寝てしまえば全てが悪い方向に進んでしまうかも知れない、そんな漠然とした不安の中で普段以上に精神が張り詰めていた。

 呼び出しの意図は分からない。

 ただ、その真意がどうであれ。

 今日まで続いてきた両家の偽りの友好関係が終わりを迎える時は近いのだろう。

 

 

 

 間桐臓硯。

 始まりの御三家の1つ、間桐の当主にして五百年以上を生きてきた魔術師。

 全盛期こそ過ぎたとはいえ、その技量は並の魔術師を凌ぐ。アインツベルンが滅んだ今もっとも聖杯に近い位置に居ると言っても過言ではない。

 並の魔術師では正面から相対する事すら難しいだろう。

 そんな彼だからこそ、魔術師として一流でありながら発展途上の遠坂をハッキリ言って脅威に考えてはいない。

 外来から参加するまだ見ぬ魔術師や、教会に居る“神父”の方がまだ警戒に値する。

 

 そんな臓硯が。

 聖杯戦争が始まる以前より。何よりも、誰よりも警戒し続けている者が居る。

 衛宮イリヤスフィール。

 あの“アインツベルン”の最高傑作であり、あの“衛宮”の後継者。

 臓硯は確信している。

 彼女こそが己の願望を阻む絶対敵であると。

 聖杯戦争の予兆を掴んだ臓硯の警戒度はますます跳ね上がった。

 幼いながらも既に“完成”された魔術師だ。

 恐らくは“最後”となるだろう今回の聖杯戦争、確実に勝利する為に絶対に避けては通れない存在。 

 

『桜よ……お主は余計な事をせずとも良い、ただ衛宮の動向を余さずワシに伝えよ』

 

 そう言って、かつて臓硯は衛宮へと桜を遣わした。

 次代の間桐の要たる桜を使った危険な賭けは成功し、少なくない情報を掴む事が出来た。

 桜は知る由もない事だが、先代の衛宮切嗣は聖杯を目前にしながら“聖杯を破壊”している。

 その理由を、臓硯は正確に把握していた。

 故に、第五次聖杯戦争でもーーー衛宮は再び聖杯を破壊するだろうと睨んだ。

 確実に。

 

 

 

(イリヤさんも、お爺様も……互いを警戒し合ってる。私が間桐のスパイで、それはイリヤさんも承知している。そんな中に呼び出されるって事は……つまり)

 

 衛宮邸の門が見える距離まで近付き、その傍らに立つスーツの男の存在に気付く。

 冬木市内では藤村組の存在もありマスメディアなどは衛宮とその関係者の住居へと近寄る事は制限されている。

 が、それでも何があるか分からない以上こうした警備は欠かせない。

 最も、本当に重要な“裏の”警備担当は隠れ潜んでおり常人には到底見つけられないだろうが。

 

(よかった……)

 

 最初の頃は強面で物静かな佇まいに苦手意識を持ったものだが、今では甘い物に目が無いところがある親しみやすい性格の人物だと知っている。

 だから、彼が居る事に……安堵する。

 魔術は原則、秘匿されるもの。

 魔術師として相対する時のイリヤは、無関係な者を傍に置いたりはしない。

 だから安堵した。

 少なくとも今日は。

 

 ーーー殺される事は、ない。

 

「おはようございます」

「おはようございます、桜嬢。どうぞお入りください」

「はい、ありがとうございます」

 

 扉を開けると芳しい匂いが鼻腔をくすぐる。

 料理人を目指し長期休暇の度に全国の料理店で修行をする士郎の料理の腕は、手習い程度の桜ではどうしても追い付けない領域にある。

 凄い、そんな陳腐な感想しか浮かばない。

 漠然とした目的しか持たず生きている者の多い同年代の者達に比べ、既に確固たる信念を持って夢へと近付いている士郎。

 その姿は、在り方は。

 桜の瞳には他のどんな物よりも尊く輝いて映る。

 

 けれど時折、その輝きが余りにも眩し過ぎてーーー薄汚れた自分が傍に居る事があまりにも罪深く思えてならない。

 それでも居たいと思い続けてしまう。

 ほんの数年前までは考えもしなかった。

 あの輝きに魅せられてしまっては。

 今更失う事など考えられない。

 桜の人生を照らしてくれるただ1つの光。

 

(……ダメ、せっかく先輩に会うんだから。しっかりしないと、こんな顔なんて見せられない……!)

 

 士郎にとって桜は友達の妹、いつも元気な後輩。

 そうでなくてはならない。

 目を瞑り深呼吸して余計な考えを頭から追い出す。

 ゆっくり目を開く。

 もうここに居るのは何処にでも居る少女だけ。

 兄の友達に淡い恋心を抱き、それを隠して気付かれないように振る舞う少女。

 間桐桜が居た。

 

 

 

「おはようございまーす。せんぱーい、イリヤさー……ッ?」

 

 居間に人の気配を感じ、歩くーーー途中でナニカに遭遇した。

 

「……ぁー……」

 

 見た目は人間の女性の様に見える。

 しかし長く艶やかな黒髪をゆらゆらと垂らし、虚ろな表情でヨロヨロと歩く姿は……とても現世の存在とは思えない。

 衛宮邸の中でなく、街灯の存在しない夜道で出会していたら悲鳴を上げていただろう。

 まず間違いなく妖怪の類である。

 呪いのビデオから出て来る系だ。

 

 何だか何処かで見た事あるような相手の気もするが、そんな筈は無いと頭を振って否定する。

 だって目の前の存在が本当に桜の思う通り“あの人”ならば。

 こんなおどろおどろしい気配など発する訳が無い。

 

「うー……あー……」

 

 ほら、やっぱり。

 あの人が……こんな情けない声を出す筈が無い、というか衛宮邸に居る訳が無いのだから。

 とても失礼な事を考えてしまったと、桜は心中で謝罪を述べる。

 

(やだな私……疲れてるのかな)

 

 どうやら睡眠不足による疲れが想定しているよりも深刻で、その所為で幻覚を見たのかも知れない。

 パシリと顔を叩き、深呼吸し、ゴシゴシと目を擦る。

 恐る恐る目を開く、すると……謎の存在はもう目の前には居なかった。

 

(ああ……良かった。やっぱり気の所為……だっ…………)

 

 ホッと一安心するものの、何故か唸り声のような音はまだ廊下中に響いていた。

 ギシギシ……と、まるで誰かが廊下を歩いているような音も聴こえる。

 具体的に言えば、桜の3mほど隣に。

 振り向いて確認したいが、もし幻覚ではなく本当に存在していたらと思うと……そんな度胸は桜には無かった。

 

(……気の所為……うん、気の所為…………あは、は)

 

 全ては自分の気の所為だと決め付け、耳を塞いで早歩き気味に廊下を進み出した。

 早足になったのは、そんな気分になったからだ。

 耳を塞いだのは、寒気に晒されて耳が冷えてしまったから。

 他意は無いのだ。

 うん、本当に。

 ないったら無いのだ。

 

 

 

 

 

「先輩……あっ」

 

 恐ろしい幻覚を乗り越え居間へと辿りついた桜が目にしたのは、見覚えの無い美少女の姿。

 その存在感から桜には直ぐ“正体”が理解できた、彼女こそが士郎の呼び出したサーヴァントなのだと。

 

(本当に……始まっちゃうんだ)

 

 胸の奥、心臓の辺りが痛む。

 あの優しく暖かな憧れの先輩が、魔術師同士が相争う聖杯戦争などという殺し合いに否応無しに巻き込まれてしまった。

 その証であり象徴であるサーヴァントが、目の前に居る。

 

 勿論、まだ可能性は残っている。

 この衛宮邸には士郎より遥かに優れた魔術師のイリヤが居る、彼女のサーヴァントである可能性も僅かながら残ってはいる。

 しかし、それは有り得ないだろうと桜の感覚が告げている。

 特別な感覚を持っている訳ではないが、今回は違う。まず間違いないだろう。

 他の誰でもない、士郎と関わりのある事柄について己の感覚が間違う筈は無いという自負があった。

 

「…………」

 

 コクコクと頷きながら黙々と食事中の彼女。

 その周りには堆く積まれた大量の皿。

 ヒョイ、パク、モグモグ、ゴクン。

 目を離したつもりは無いのに、気付けば皿の中身が次々と消えていく。

 いったい何が起きているのか直ぐには理解出来なかった。

 

 見た目は本当に普通の少女にしか見えないと言うのに、何処にあれだけの量が消えていくのだろうか?

 内心ありえない大食いだと思っていた大河ですら、この量は捌き切れないだろう。

 桜は心中で大河に謝罪する。

 食い意地が張ってるなぁ、なんて思っていたりした自分が恥ずかしい。

 今日は反省することばかりだ。

 

(それにしても綺麗……)

 

 見た目の美しさだけではない。

 豪奢な青いドレス姿は、和風の衛宮邸においては場違いであるにも関わらず彼女が纏っているだけでこれ以上なく場に相応しかった

 何よりも醸し出す雰囲気が、美しい。

 サーヴァントを見た事は初めて“では無い”が、彼女から受ける存在感は強烈で……思わず、見蕩れてしまった。

 あまりにも尊く輝いている存在。

 そんな存在を桜は良く知っている。

 だから、見蕩れてしまうのだろう。

 そう、このサーヴァントから感じる在り方は。

 余りにもーーー士郎に似通っている。

 

 相応しい、と思う。

 数多の英霊の中で、彼女以上に士郎に相応しい存在はいない。

 そう確信する。

 断言できる。

 ……嫉妬を覚える程に。

 

(やだな、私ーーーきっと嫌な顔してる)

 

 ほんの少し先の台所で料理を作っているだろう士郎に、今は顔を合わせられない。

 こんな情けない顔を、見せたくない。

 

「……モグモグ……」

 

 こちらに気付いているにも関わらず、話し掛けてくる事なくサーヴァントは食べ続けてくれている。

 その気遣いが有り難かった。

 言葉を交わしていたら、この胸の奥で渦巻いている感情をぶつけてしまうかも知れなかったから。

 

 それにしても本当に、よく食べるものだ。

 まさか食べる事に夢中で気付いていない……という事も無いだろう。

 それは有り得ない。

 相手は歴史に名を残した英雄なのだ。

 いつ何処で敵が襲ってくるかも知れない聖杯戦争中に『食べるのに夢中で周りを見てませんでした、それよりもお代わりを(キリッ』なんて事、ある筈が無い。

 

 本当に嫌になる。

 初対面の相手に、こんな風に浅ましい考えを抱く自分は……嫌な女だ。

 

 

 

 

 

「はぁ……何やってるんだろう私」

 

 俯きながら居間を後にし、しかし何処かに行く宛もなく膝を抱え込んでうじうじと悩むこと数分。

 聴き慣れない乾いた音が耳に届いた。

 一瞬、先ほど見たおぞましい存在がまた現れたのかと思ったがーーーどうも違う。

 

「……?」

 

 妙な音だが、経験から類似する音に心当たりが全く無いワケでは無い。

 と言っても具体的に何であるか確信するにはまるで至らないのだが。

 さっきの妖怪みたいな幻覚や幻聴の類でない事だけは間違いない。

 さっきまで気付きもしなかったのに、1度意識してしまうと気になって仕方ない。

 

(これ……何なんだろう)

 

 想像を膨らませる間も鳴り続けるこの、妙に不快な音の発生源を探る為に耳を澄ますーーー中庭の方からだろうか?

 あまり聴いてて気持ちの良い音では無いし普段なら近寄らなかっただろう。

 けど今は。

 ここから離れられる正当な理由が出来るなら、何でも良かった。

 

 中庭に近付くにつれ音はハッキリと聴こえる。

 考え辛いが泥棒だろうか?

 仮に泥棒が居たとしても、二重三重の厳重な警戒を潜り抜けて衛宮邸に侵入する可能性は低い。

 それでも万が一。

 何者かが居る可能性を考えなるべく音を立てない様に忍び足で、廊下の電気も点けず息を殺しながら中庭へと向かった。

 

「…………!」

 

 中庭が一望出来る廊下の曲がり角から少しだけ顔を覗かせると、うっすらと射し込む月明かりに照らされーーー何者かの姿が影として浮かび上がっていた。

 十中八九、誰かが居る。

 この場合、考えられる可能性は大きく分けて3つ。

 

 最も高い可能性はイリヤと大河。

 この2人なら成程、藤村組の警備に反応が無いのも頷ける。

 次に考えられるのは、侵入者。

 これは殆ど考慮する必要もないだろう、もしそんな馬鹿が居たとしたら……南無。

 そして、3つめ……これは最悪の可能性。

 

(……魔術師)

 

 今は聖杯戦争の時期。

 もう直ぐ夜が明けるとはいえまだ夜に違いはない、ならば他の参加者が襲撃してくる可能性も0ではない。

 桜自身、広義の意味では間桐の尖兵のようなもの。

 

 足が竦む。

 何処か遠いものと考えていた。

 士郎が巻き込まれた事は真剣に考え心配し、出来るだけの事は全てしようと考えていた。

 それでも。

 自分が聖杯戦争に関わっているという自覚は、あまりにも低かった。

 

(……行こう)

 

 決意する。

 この場にイリヤか大河以外の何者かが居て、それが士郎を狙う敵ならば。

 死のう。

 こんな命でも、役に立てるなら。

 彼を護れるならば。

 死ぬ事は不思議と、怖くなかった。

 

 

 

「……ブツブツ………」

 

 しかし庭に居たのは、敵のサーヴァントや魔術師ではなくイリヤだった。

 それもそうだと溜め息を吐く。

 先程まで悲壮な覚悟を持っていた自分がどうにも滑稽に思えて恥ずかしく、同時に新たな驚異に立ち向かう為に心を震わせる。

 桜にとってイリヤは格別に苦手な存在だった。

 

 一心不乱に何かを行っているイリヤは此方に気付いてるのかいないのか、振り向く事なく何かの作業に没頭していた。

 手元に置かれている段ボール箱の中身をじっと見つめては、何かを振り降ろす。

 そしてもう一度じっと見つめる。

 この一連の作業を繰り返している。

 

 普段ならとっくに気付いてもおかしくない距離まで近付いているにも関わらず一切の反応は無い。

 これは非常に珍しく、不気味だ。

 

(また始まったのかな……)

 

 本当に稀にだが、イリヤはこうした奇行をする。

 そういう時は大抵よく分らない魔術を行使しているか、パソコンを激しく罵倒しながら叩いている。

 今回は前者だろう。

 こういう時に近付いたり声を掛けるとロクな事にならないので放置したい所だが、生憎とそうもいかない。

 例えどんな理由があろうとも呼び出しに遅れると、決まって士郎の前で恥ずかしい事をされるか……弄られる。

 

 この前は士郎の目の前で胸を激しく揉まれ、一日中マトモに顔を合わせられなかった。

 今思い出しても恥ずかしくて仕方がない。

 そういう人なのだ。

 

「あ、あのー…」

「……」

 

 勇気を出して声を掛ける……ものの、残念ながら気付いて貰えなかった。

 本心を言えば出来る事ならもうこの辺で放っておきたい所なのだが、何度でも言うが恐らく声を掛けなければ後で士郎の前で弄られるに違いない。

 そして経験上、声を掛けたとしても士郎をネタに弄られるのは確定的に明らかだ。

 

 理不尽な事だが仕方がない。

 この衛宮邸の主人は彼女なのだから。

 彼女こそがルール。

 従わなければ、それこそ本当に衛宮邸への出入りを禁じられてしまうだろう。

 それに比べれば、弄られるぐらいなんてことは無い。

 ……そう思わなくてはやっていられない。

 衛宮邸に通うようになってから、変な精神性が鍛えられてしまった桜だった。

 

「お、おはようございまーす……イリヤさーん。あのー、お邪魔してます……」

「……ブツブツ……」

「イリヤさん、そのー……お忙しいとは思いますが、良ければお話を……して……」

「……ブツブツブツ……」

 

 一向に気付かないイリヤと、ヘタレて大声の出せない桜。

 いい加減覚悟を決めないといけない頃だろう。

 その覚悟が、先程の決死の決意に比べなかなか決まらない事に桜は気付かない。

 無意識にイリヤの不興を買う事を、死ぬよりも恐ろしく思っているのだろう。

 この先どんな出来事かあったとしても、この2人の力関係が変わる事は永遠に無さそうだ。

 

(すぅ………はぁ……)

 

 深く息を吸って、吐く。

 なるべく近所迷惑にならないように、けど声を押し殺しながら大声を出す無駄に細かい技術で桜はーーー

 

「イ、リ、ヤ、さぁーんっ!!」

 

 ーーー不意に、天地の感覚が消えた。

 

(あたまがぼーっとする……)

 

 目の前に誰かが居た様な。

 何かをしようとした様な。

 しかし何も思い出す事が出来ない。

 

(赤い……なに……)

 

 思い出すという事すら理解できなくなる。

 緩やかに意識が途絶えていく感覚。

 身体がバラバラになっていく感覚を、どう思っているかも理解できなく……「サクラ!」……唐突に意識が覚醒する。

 

(ううん……えっと…………なんだっけ)

 

「遅いわよサクラ、何をしていたの」

「……あ、すみません……?」

 

 どうにも頭がハッキリしない。

 さっきまで何を考えていたのか……思い出せない。

 イリヤに声を掛けようとして、何時の間にか振り返っていた事に気付いて口を噤んだ。

 

 そう、それだけの筈。

 なのにーーーどうにも、心臓がひときわ激しく高鳴って、痛い。

 

 拭い切れない違和感がしこりの様に頭に残留する、そんな不快感は……

 

「まったく、そんな調子じゃシロウはお嫁に出せないわね。精進なさい」

 

 その一言で、呆気なく消し飛んだ。

 

「……えっと、逆じゃないですか。じゃなくって! な、なな何を言ってるんですかイリヤさん?! わ、私と先輩はそんな仲じゃーーー」

「黙りなさい。言った筈よ、シロウをデートに誘う度胸も無い内は私に口答えするなって」

 

 一瞬で茹で蛸のように真っ赤な顔になった桜を見やり、ぺろりと舌なめずり。

 見た目こそ儚い美少女であるイリヤの、その内面に普段は隠されている嗜虐的な感性が大いに刺激される。

 何時まで経っても初な反応を示す桜の、あまり自覚のない乙女心を弄んだりからかったりするのはイリヤの娯楽の一つだった。

 

「まったく、その豊満な胸は飾りなの? それとも、通い妻してる余裕? ハッ。言っておくけどシロウには毎日お見合いの申し込みが何十件も来てるのよ、まあ握り潰してるけど。金目的の女はお呼びじゃないもの。

あなたには期待してるのよ、少しだけね。

百点満点で言えばギリギリ、お情けで五十点ぐらいだけど、その胸は良いわ。見て良し、触って良し、叩いて良しの三拍子! もう少し自信を持って、胸を張りなさい。そう胸をね、胸!

…………ほんと何を食べたらそんなになる訳?」

「……あぅ……あぅ」

 

 褒めてる様であり貶している様な微妙な言い回し、相変わらずイリヤの思考は桜には良く分からない。

 ただ1つ確かな事は。

 イリヤは士郎をとても大切に思っているという事。

 ……それがどうして胸を強調する事に繋がるのかは、恐らく今後も理解できないだろう。

 理解したくもない。

 

「ううっ、もうっ。イリヤさん、からかわないでくださいっ」

「はいはい。ま、今日は良いわ。ほら、突っ立ってないでシロウの手伝いに行きなさい。その為に呼んだって私、言わなかったっけ?」

「え? 言われてませーー「あ!?」ーー何でもないです。えっと、その」

 

 イリヤに弄られて忘れかけていたが、士郎に会うのは少しだけ躊躇われる。

 もちろん、会いたい。

 けどもう少しだけ……心を落ち着かせる時間が欲しかった。

 

「……い、イリヤさんは此処で何をしてらっしゃるんですか?」

「……」

「……なんて、聞いてみちゃったり……して…………その」

 

 苦し紛れの質問だった。

 心を落ち着かせる為、気を紛らわせる為の。

 イリヤに軽く罵倒して貰えれば気も紛れるんじゃないかなという、ちょっと錯乱気味の質問。

 何時もなら既に罵倒の嵐に巻き込まれている筈が、予想外に此方を眺めるイリヤの表情は硬い。

 

 値踏みをする様な鋭い視線。

 氷の様な無表情。

 余計な事を言ってしまったと直ぐに後悔した。

 普段は明るい少女然とした彼女の、ふとした時に見せる冷たさが桜は恐ろしくて堪らない。

 

「……そうね」

 

 2・3度まばたきをする間に元の表情に戻ったイリヤは、両手に持っている物を見せ付ける事で桜の疑問に答えた。

 金槌と、皿。

 

 金槌は長年使った事により僅かに変形し、錆が浮いている。使えない事は無いだろうが、あまり品質は良くない。

 彼女の持ち物ではなく、士郎の持ち物を土蔵から引っ張り出して来たように思われる。

 何処の量販店でも買える極普通の品だ。

 ドイツ語で喋って変形したり、金色に光って原子分解したりするトンデモ機能は無さそうである。

 

 庭に置かれている段ボール箱の中には、桜の位置からは分からないが同じ様な皿が何枚も存在するのだろう。

 箱を持って揺らし、ガチャガチャと皿同士が擦れる音が聴こえた。

 特別な拵えではない、これも極普通の品だ。

 鑑〇団に出しても4桁ぐらいでカウントが止まり、司会者や観客が失笑すること請け合いのお値段だろう。

 

 敢えて特筆する所を上げるなら、控え目に言っても大富豪である衛宮邸にある物とは思えない品質な事ぐらいか。

 それ以外には本当に、何もおかしくはない。

 

「金槌と……お皿、ですか」

 

 だからこそ“逆におかしい”と思った桜の判断は経験上、間違っていない。

 こういう時にイリヤが真実“何もおかしい事をしていない”などと、太陽が急に擬人化してケモミミ付けた良妻狐が爆誕し日本の国号がタマモランドになるぐらいありえねーです。

 みこーん!

 

「そうよ」

「えっと、その、何をなさって……」

「は? 分からない?」

「えっ」

「えっ、はこっちのセリフよ。本当に分からないの? ん? んんん?」

「はい……すいません」

 

 イリヤの目が細まり、ジト目に変わる。

 その視線を敢えて言語化すると「これだけ見せてもまだ分からないの? 頭に脳みそは無いの? その胸に回す栄養の一部だけでも脳みそに回しなさいこの乳牛!」とでも言いたげな感じか。

 

 恐らくそんなに間違ってはいないだろう。

 何せ今まで言われた事のある組み合わせで構成した内容なのだから。

 しかし残念ながら、肝心のイリヤが何をしていたのかはーーー桜にはサッパリ理解出来ない。

 

(もしかして、私にも分かるレベルの事なのかな……)

 

 御三家の一員である桜だが、魔術に関しては無知と言ってもいい。

 イリヤと一緒に見たアニメのファンシーだったりクレイジーな魔法の方が詳しい程だ。

 何度も見せられれば、あまり興味が無くても無駄に詳しくなってしまうというもの。

 

 故に、優れた魔術師であるイリヤが金槌と皿を使ってどんなけったいな魔術儀式を行っているのかなど一見しただけで判別出来よう筈も無い。

 桜の知っている本格的な魔術など、口に出すのもおぞましい外道な行為だ。

 一度だけイリヤに内容を漏らした時には、一週間ほど衛宮邸への出入りを禁止された程に間桐の魔術はイリヤに受けが悪い。

 

 どうにかこうにか必死に考えを巡らせ、辿りつ着いた桜の答えはーーー

 

「えっと……の、呪いの儀式……ですよね?」

「……サクラが普段、どういう目で私を見てるかよーく分かったわ」

「違うんですか!?」

「なんで驚いてるのよ、驚いてるのはこっちよ! 見てなさい」

 

 意気も荒くイリヤは金槌を持ち上げる。

 ビクッ、と桜の身体が反応する。

 その反応にイラッときたイリヤだったが指摘することはしなかった。

 自然と桜の視線は金槌へと注がれ、そのままある程度の高さまで持ち上げたイリヤは桜に向かって空いている手を横に振った。

 下がれ、という意味だろうか?

 コクリと頷き、3歩ほど下がったのを確認するとイリヤは勢い良く段ボールの中へと金槌を振り降ろした。

 

 パリン。

 

 小気味よい音がして皿が割れた。

 慌ててキョロキョロと周囲を見渡すも、特に変わった現象は起きていなかった。

 空間がおぞましい色に変わったり、見るからに身体に悪そうな煙が発生したり、僕と契約しろとか言ってくる宇宙人とか、勿論メンでインでブラックな人達も現れなかった。

 特別な事は一切なかった。

 

「ね?」

「……はぁ」

 

 イリヤの奇行は今に始まった事では無いので色々と勘繰っていたのだが、今回は特に何の捻りもなく金槌で皿を割っただけ……で正しいらしい。

 まあ冷静に考えるまでもなく、金槌で皿を何枚も割ること自体が妙な行動に違いは無いのだが。

 そんな事を指摘する度胸は桜に無かった。

 

 

 

「居間のアレ、見た?」

「えっと……アレ、ですか」

「アレはアレよ。あの大飯ぐらいのまな板よ」

「あー……」

 

 アレ=セイバー。

 どうもイリヤ判定で、かのサーヴァントは不合格の烙印を捺されているらしい。

 ちょっとだけ嬉しく思ったことは桜だけの秘密。

 

「ん。話すと長いから説明は省くけど、シロウが料理を作ってあげる約束をしたのよ。満足するまでって約束でね。で……それから予想外。

めちゃくちゃ食べるのよね、有り得ないぐらい。引くわ。最初は私も手伝ってたんだけど、もう私の限界を越えちゃって……で、サクラならシロウの手伝いも出来るだろうから呼んだのよ。

2人きりの共同作業よ、密着するチャンス! モノにしなさいサクラ。絶対にアレに遅れを取るんじゃないわよ!

でも避妊はしなさい。まだ早いわ。

ほら、説明終わり! しっしっ。さっさと行きなさい、時は金なりよ」

 

 相も変わらず酷い言い草であったが、要約すると自分を買ってくれているという事なのだろう。

 普段はボロクソにいわれる事が多いので、そこまで思われていた事に少なからず感動を覚える。

 胸を震わせていた桜に、何処か頬を赤くしたイリヤから強烈な視線が突き刺さる。

 

 さ っ さ と 失 せ な さ い !

 

 無言のプレッシャーに晒された桜は、慌てて踵を返し台所へと慌てて走り去った。

 あの美しいサーヴァントよりも、自分の方が良いと言われた事の嬉しさを噛み締めながら。

 

「……あとで絶対に胸を叩いてやるんだから」

 

 自分の胸をペタペタと触り、意外と去年より発達している事に喜びを感じながら桜との距離が充分に離れた事を確認する。

 これから先は“魔術師の時間”だ。

 

「……お久しぶりね、マキリ。けれど感心しないわ、勝手に上がり込むなんて。貴方を招いた覚えは無いわよ」

 

 つい先程まで桜が立っていた近くの陰から蟲が一匹這い出て庭先へと降りる。

 相変わらず醜悪な姿に嫌悪感を持ちつつも、決して表情には出さない。

 表情だけではない、何一つ情報を与える気はない。

 特に魔力の消耗が激しい事だけは。

 

『ーーなに、こんな時間に出掛ける桜が心配でな。最近は物騒だからのぉ、つい過保護になってしまった。孫可愛さ故のこと、すまなんだ衛宮よ』

 

 順調に行けば明日にでも、この聖杯戦争は“終わる”のだから。

 

 

 

 

 

       VSセイバー

 ~あなたが私のシェフだったのですね~

 

 

 

 

 

 少しだけ時間は遡る。

 召喚された直後、敵サーヴァントの気配を感じたセイバーが斬り掛かり何故か不意を突かれたアーチャーが手傷を負うーーーという事は無かった。

 予めイリヤに霊体化して下がっていろと言い含められ素直に従っていたアーチャー(凛には不興を買った)の気配を感じ、警戒こそしていたが。

 

 想像以上の魔力消費にマスターである士郎が身動き取れなかった事も一因だが、一番の要因は傍らに寄り添う白銀の髪を持つ少女の存在が気になったからだろう。

 過去……まだ聖杯を求めて間もない頃に出会った“誰か”に似ている少女。

 誓いを果たせなかったその誰かに似ている少女に、郷愁にも似た感情を覚えたから。

 

 聖杯から与えられた知識が己の中の“経験”と繋り、この時代が“あの時”に近い時間軸である事に気付く。

 ほんの一瞬だけ過ぎる“最初の”聖杯戦争の記憶、思い起こす事は後悔ばかり。

 特に最後の最後、あの男からの裏切りはーーーそこまで思い起こし、連鎖的に気付いた。

 アイリスフィール。

 そう、この少女は彼女に似ているのだ。

 

「大丈夫ですかマスター」

「あ、あぁ……大丈夫。このぐらい、死にはしない」

「そうね。大丈夫、もう少しの間だけそのまま我慢していてね」

 

 英霊召喚は聖杯のバックアップを以て何とか成功する大儀式だ。

 半人前の士郎では魔力が持たず召喚に失敗、若しくは中途半端に成功しサーヴァントとの繋がりが上手く結べない等のトラブルが起こるだろう。

 今回はその消費魔力の大部分や詠唱など、諸々の作業をイリヤが賄う事で無事に成功を収めた。

 

 今、士郎に残された魔力量は僅かしかない。

 サーヴァントを維持するだけで限界だ、戦闘には耐えられないだろう。

 異常な量の汗を搔く士郎をこのままにする事はイリヤとしても避けたい事だが、敢えて今はパスを意図的に塞いでいる。

 これから行う“交渉”の為に、セイバーへの魔力供給は最低限に抑える必要がある。

 失敗した時に直ぐーーー“始末”できるように。

 

「シロウ、しっかりしなさい。いい? 今から言う事を真剣に念じながら左手に魔力を込めて復唱しなさい。

『許可なく遠坂凛とそのサーヴァント・アーチャーへの攻撃を禁じる』」

「なっ! 貴女は「許可なく遠坂凛とそのサーヴァント・アーチャーへの攻撃を禁じる!」マスター!?」

 

 セイバーが口を挟む暇もなく士郎はなけなしの魔力を込めて“令呪”を発動させた。

 訳もわからぬままに貴重な令呪を、よりによって敵への攻撃を禁じるという事に使われセイバーは困惑し、同時に怒りを覚えた。

 

 これがマスターの独断なら、まだ良い。

 理解できない行為であるが、何かしらの事情があるのだろうと慮る事は出来る。

 しかし今回の令呪は第三者からの強制であり、一切の躊躇なく令呪を使用したマスターとのラインから流れてくる魔力量は今にも無くなってしまいそうな程に拙い。

 このままではマスターが死ぬ可能性もある。

 

「落ち着きなさいセイバー、あなたが危惧している様な事は起きないわ」

「何を……!」

「落ち着けと言っているのよ、さもなければ2つ目の令呪を使わせる事になるわ」

「それを私が見過ごすとも? 貴女がマスターに指示するよりも、私の剣が貴女を斬る方が速い」

「黙れと言っているのよ! これ以上グダグダと戯れ言を宣ってる間にシロウに何かあったらブッ殺すわよッ!!」

「!」

 

 イリヤの怒気を受けセイバーは押し黙った。

 苦痛の中、自分から少女を隠す様な位置に動いたマスターである少年。

 その少年を更に庇う様に前へと出る少女。

 2人が互いに厚い信頼関係を結んでいる事が見て取れた故の判断。

 それに加えて、少女から発せられた魔力の質があまりにも懐かしく思えてーーー戦意が鈍った。

 

「……分かりました。では、納得のいく説明をお願いしたい」

 

 自分が騒ぐ程にマスターへの負担となる事を察し、セイバーは警戒を続けながら少女ーーーイリヤスフィールと名乗った彼女の言い分を聞く事に決めた。

 朧げながらも、今回の聖杯戦争が容易くいかない可能性を感じながら。

 

 そして思い出した。

 かつて自分が立てた誓いを、果たせなかった相手が“2人”居た事を…… 。

 

 

 

「……話は分かりました。聖杯が穢れているというのなら、その破壊に協力する事をお約束します。

それでいいですね? マスター」

「ああ、ありがとう。ゴメンな、セイバーには叶えたい願いがあるから召喚されたんだろ?」

 

 セイバーは聖杯戦争がもはや根底から成り立たないという事、この儀式に隠された真実の説明を受けた上で協力する事を快く承諾した。

 最悪の展開を予想し覚悟していたイリヤにとって、これは望外の結果と言えた。

 

 サーヴァントは基本的に聖杯を求めているからこそ召喚に応える、今回はその聖杯が欠陥品である事を承知の上でイリヤは召喚を行なった。

 これは明白な裏切り行為だ。

 呼び出された相手にも因るだろうが、下手をすれば言い訳すら口にする間も無く殺される可能性が高い。

 

 尤も、この聖杯戦争自体がサーヴァント……英霊の魂を利用し第三魔法の再現をする為にアインツベルンが画策し、遠坂と間桐が同調して始めた魔術儀式だ。

 嘘偽りで塗り固められ隠されていた真実を、全てありのままに説明しただけ良心的ではある。

 

「いえ、構いません。真実、聖杯が穢れており災厄を齎す物であるというのなら私も見過ごす訳にはいきません。

それに、穢れていなければ通常通り。戦えば済む話です」

 

 自分達英霊が聖杯を完成させる為の生贄だったと知っても、セイバーは殆ど取り乱さなかった。

 それもその筈。

 このセイバーは通常のサーヴァントとは少し違っており、こういう事態には“慣れて”いた。

 

 サーヴァントは“座”と呼ばれる世界の外側に存在する英霊の本体からコピーされた分身に過ぎない。

 召喚された時に経験した全ては記憶ではなく、記録として本体へと還元される。

 その記録を参照する事は、膨大な蔵書が無造作に収められている図書館の中から何のヒントも無く探し当てる事に等しい。

 故に全く同一のサーヴァントを再召喚したとしてもその記憶に連続性は存在しない。

 

 そう、本来ならば。

 

 しかしセイバーは例外的に“数多の”聖杯戦争へと記憶を保持して幾度も召喚されており、それは聖杯を得るか聖杯を“諦める”まで永遠に繰り返される。

 故に、今回の聖杯が得られなくともあまり問題では無い事から冷静な判断を下せた。

 何しろ時間や機会は無限に存在する。

 

「ああ、イリヤが言ってる以上それは無いだろうと俺は思ってるけどさ。もしセイバーの言う通りに聖杯が正常な状態なら、俺も出来る限りセイバーを応援したい。

ま、俺は魔術は見習いレベルだからさ、戦いには役に立てないだろうけど」

「そんな事はありません。その気持ちだけで充分です」

 

 そう、充分だ。

 確かに聖杯を得られる可能性が今まで召喚されたどの聖杯戦争よりも低く、己の宝具を存分に振るう事がままならない魔力量だとしてもーーー今まで召喚されたどのマスターよりも士郎は好ましかった。

 

 例えどれだけ優れたマスターだとしても、どれだけ宝具を連発出来たとしても。

 それで勝てる程聖杯戦争は容易くない。

 それは聖杯戦争のベテランとも言えるセイバーが一番よく分かっている。

 

 聖杯を得る直前で裏切った者。

 

 自身の力を過信し他のマスターと争い敗れた者。

 

 令呪の使用を渋るばかりに勝機を逃した者。

 

 数多の聖杯戦争に参加し敗北し続けたセイバーは、聖杯戦争に於いて最も重要視するべき一つの事柄を見出した。

 

 信頼。

 

 士郎はマスターとしても、魔術師としても、戦闘者としても本人の言う通り三流なのだろう。

 それは短い時間しか交流していないセイバーにも理解出来た。

 それでも彼は。

 その心根は。

 意思は。

 今までの誰よりも信頼に値する。

 

 惜しむらくは、彼と共に聖杯を得る可能性が低い事か。そう、セイバーも口では聖杯戦争を諦めていない風に語っていたがーーーその実、今回の聖杯は得られないであろう事を確信していた。

 証拠は無い。

 ただ、そう“直感”している。

 召喚直後に朧げに感じた、この聖杯戦争に対する違和感はイリヤから齎された情報の詳細を聞く程に確かな物となっていた。

 

 同時に“あの時”の結末に、初めて疑問を持った。

 あれ程に聖杯を欲していた“あの男”が、妻も、仲間すらも切り捨て手段を選ばず聖杯に固執したあの男が。

 どうして聖杯を手に入れられる絶好のチャンスを目の前にして裏切ったのか。

 その疑問への答えが、ハッキリとするような気がした。

 

「あー、その……ありがとう。そ、そうだセイバー! セイバーは何か好きな食べ物とかあるかな? 大抵の料理は作れるから、遠慮しないで言ってくれ」

 

 好意は時に、口に出さなくとも如実に伝わる。

 セイバーからの信頼と親愛の笑み。

 その美しさに年頃の少年らしく照れてしまった士郎は、気恥しさを誤魔化す為に何気なくそう口に出した。

 それだけの、軽い一言だった。

 

「いえ、サーヴァントは魔力さえ供給されていれば食事は……」

 

 この時は士郎も。

 

「でも、食べられない訳じゃないんだろう?」

 

 セイバーも。

 

「はい、それはそうですが」

 

 互いの尊厳を賭けて争う事になるとは。

 

「じゃあ、一口だけでも食べてくれ。気に入ってくれたら好きなだけ(・・・・・)作るからさ!」

 

 露ほども思わなかった。

 

 

 

 

 

 士郎は買い物の際およそ5日分を目安に食材を一気に買い込む。

 これは冷蔵庫のサイズや賞味期限に割引きなど、食材の鮮度が保たれるギリギリの線を鑑みた上での最適な量だ。

 

 とは言っても、衛宮家には食欲旺盛な野生の虎が生息しているので一般家庭の5日分とは量が違う。

 極普通の4人家族が1日3回しっかり食べたと仮定すると、10日程は食べられる量。

 つい先日に買い物をしたばかりなので、まだまだ一週間分以上は残っている計算になる。

 保存食を合わせれば半月分は堅いだろう。

 

「シロウ、ご飯のお代わりを!」

 

 だから問題はなかった。

 例えセイバーがどれだけ大食いだとしても、人が一度に食べられる量など限られている。

 それが例えばテレビを賑わす大食いタレントでも、最強の国技SUMOUの継承者であるRIKISHIでも。果ては食べる事に命をも賭けるフードファイターだったとしても。

 

 充分に満足させられる量が賄える筈だった。

 

 ……その筈だった。

 今や食材のストックは半分を切ったというのにセイバーのペースは全く衰えない。

 

「あいよ、お待たせ!」

 

 一升炊きの炊飯器を引っ張り出して用意したご飯は既に空に近い、これは大体20人前の量である。

 もう一回ほど炊かねばならないだろう、同じ味では飽きるだろうから今度は炊き込みご飯だ。

 存外に達者な箸使いでご飯を食べ続けるセイバーだったが、それ以上におかずを食べるペースが凄まじかった。

 

 しかしセイバーの食事ぶりは、大食いタレントのような雑に胃袋へ放り投げるような暴食では決して無い。

 あくまでも一定のペースを維持する。

 しっかりと噛んで咀嚼し、口いっぱいで旨味を感じてから、食道を通る食材の一片にまで感謝しながら一口ずつ食べている。

 ……それが何故か常人の目には留まらない速さと言うだけの話で。

 それこそが士郎にとっては大問題なだけだった。

 

「うわ……もうお皿ないわよシロウ」

「本当か? あー、このペースだと洗うのが追い付かないな」

 

 戸棚に残っているのは小皿ばかり、使うだけ洗い物が嵩み邪魔になるだけだろう。

 土蔵の奥に予備の皿があるが、煮沸消毒もしていない新品を引っ張り出す訳にもいかない。

 ならばどうするか?

 決まっている。

 無いならば、作り出せばいい。

 

「どうするの?」

「ん……悪いイリヤ、魔力を回してくれ」

 

 セイバーを維持する為の慢性的な魔力不足による負担は“数年前”まで行っていた修行を思い起こす程に、士郎の身体を苛んでいた。

 この上、何かを投影するにはかなりの無茶が必要になるだろう。

 

 無茶と言えば、魔術に関しては昔から無茶な事ばかりしてきたものだ。

 

(そういやあの時が“2度目”だったか、イリヤを泣かせた事は)

 

 魔術回路を1から作り続けるという荒業。

 そんな常軌を逸した行いを、1日たりとも欠かさず続けていた。

 ソレが“間違った”方法だと気付かされたあの日。

 忘れえぬ失敗の記憶。

 

 そして、昨日の3度目。

 もう3度も泣かせてしまったのかと思うと男として、弟として、家族として自分が酷く情けない。

 しかし幸か不幸か、その制御のミスにより死に掛けた経験が無ければ。

 ランサーと対峙した経験が無ければ。

 今頃は意識を失っていたかも知れない事を思えば、失敗した事も無駄にはなっていないのだろう。

 

「魔力が足りなかった? 最低限は回してたつもりなんだけど」

「いや、大丈夫。維持するだけの量はキチンと貰ってる、魔力は大事に取っといてくれ。料理を盛る皿を何枚か投影したくってさ。本当、それだけだ」

「ああ、そういう事。はぁ……分かったわ、持っていきなさい」

 

 送られてきた魔力量は必要量より幾分か上だった。

 本人よりも正確に消費魔力量を把握しているイリヤが間違える事など珍しいので横目でチラリと見ると、不満気な顔で口を尖らせながら肩をすくめていた。

 

(……バレたか) 

 

 セイバーを召喚してから“何故か”体調は良くなってきていた。それこそ折れた筈の脚に違和感すら感じない程に。

 だから魔力不足による酩酊を誤魔化せていると思っていた士郎の思惑は、イリヤには筒抜けだったらしい。

 ショートして機能不全になっていた回路も段々と正常に戻って来ている。

 一眠りすればセイバーを維持するのに困る事は無いだろう。 

 その一眠りが何時になるか、今のところ全く分からないのだが。

 

(投影、開始)

 

 設計図を構築する。

 普段から何気なく使っている日用品の投影は、一番出来の良い包丁に比べてもかなり精度が高い。

 と言っても包丁やナイフ等に比べれば消費魔力は増えるし、構成も甘くなり勝ちだ。

 それでも昔の様に完全に中身が無い失敗作よりは随分とマシになったものだ。

 

「ーーー終了」

 

 ところが。

 今までの投影とは段違いに素早く、真に迫った皿が出来上がった。

 消費する魔力は変わらない、使った設計図も変わらない、ならば……変わったのは自分。

 

(……不思議だな、気味悪いくらい上手くいった。あの双剣も、次はもっと上手く出来る自信がある)

 

「シロウ、こんなに投影速かったっけ?」

「いや、そんなこと無いぞ。多分だけどムチャな投影したからかな、普段より回路が敏感になってる気がする」

「そう……それじゃあ私、これ持っていくわ」

 

 投影した新しい皿を何度か叩いて強度を確認してから盛りつけた料理を持って居間でコクコクと頷いているセイバーの元へと向かったイリヤを見送り、士郎は次の調理工程へと取り掛かる。

 

(魔力に余裕が出来ると流石に頭がスッキリしてきた。イリヤに後で感謝しとかなきゃな、セイバーを召喚したのだって“俺の為”なんだろうし)

 

 誰がどう考えても。

 魔術師見習いの士郎にだってわかる事だ。

 令呪の有無など関係ない。

 士郎よりもイリヤの方がサーヴァントを従えるに相応しい事を。

 

 今セイバーを維持している魔力こそ士郎のものだが、召喚陣も、呪文も、魔力の大部分もイリヤが負担したもの。何もかもを負担して、しかし肝心の契約だけは士郎に結ばせた。

 この理由が分からないほど士郎はも愚かではない。

 他のサーヴァントから護らせる為。

 原則としてサーヴァントはサーヴァントでしか倒せない。

 どれだけ優れた魔術師といえど、サーヴァントと闘うなど……ましてや打倒するなど到底不可能。

 それは身を以て体験した士郎自身が、誰よりも分かっている。

 

(女の子を闘わせるってのはどうかと思うけどーーー)

 

 今振り返ってみても、あのランサーの攻撃を防げた事は奇跡に近い。

 もう少し相手が本気ならば、もう少し投影速度が遅ければ、もう少し怪我をしていれば、もう少し強化が上手くいかなければ、もう少しアーチャーが来るのが遅ければ……あの数秒を乗り越えられたのは確実に運が良かっただけだ。

 2度はない。

 まだ見ぬサーヴァントが命を狙ってきた場合、十中八九ーーー死ぬ。

 

 士郎の予想は概ね当たっていた。

 もともと大聖杯破壊用の戦力と言うよりも士郎を護らせる為にサーヴァントを召喚する事はイリヤの中で規定事項であった。

 だが、それほど急ぐ事では無いと思っていた。

 呑気に昼寝をする程度には。

 

 状況が変わったのは、期待していた遠坂の守護が全くと言っていいほど役に立たなかったからだ。

 士郎を護る為に戦力の補充は急務となった。

 存外に“最上級”の触媒を手に入れられた事もあり、これならば問題なく士郎を護れると考え……懸念していた問題が起きた。

 

 召喚者を己自身と聖杯に誤認させながら行う事で士郎の中に眠る“あるモノ”との縁を回避させようとした策略は、結果的に失敗した。

 現れたサーヴァントに対し心中で何を思ったかを知るのは、当人であるイリヤのみだが。

 何となくだが、イリヤがセイバーに対し悪感情を持っているだろうとは士郎も薄々は感づいている。

 

(ーーーいや、今はいい。余計な考えは腕を鈍らせるだけだ。今、俺がやらなければならないのは料理を作る事だけだ)

 

 こんな自分が、自分に従い護ってくれると言ってくれた彼女にしてあげられる唯一の取り柄。

 それが料理なのだ。

 何より、あんなにも美味しそうに、幸せそうに食べるセイバーの笑顔が……嬉しい。

 

 誰かを幸せに出来る料理人になる夢への遠い道のり。

 きっとまだ、ほんの一歩だけ。

 全体から見渡せばきっと誤差にすらならない一歩。

 それでも確かな一歩を踏み出せた気がした。

 

 まだまだ彼女は満足していないのだろう、チラリとセイバーの方を見ると変わらずコクコクと食べ続けている姿と、そんなセイバーを憎々しげに見ながら空いたお皿を片付けているイリヤが見えた。

 これだけ長時間の調理は初めての経験だ。

 無意識に頬が釣り上がる。

 

(さあ、次は何を作るかーーー)

 

 作り続ける。

 手を動かし、鍋を振り続けよう。

 それが彼女と交わした約束なのだから。

 

 

 

 カリッ、ジュワ……。

 パリパリの皮と柔らかくも強い弾力を持った鶏肉の旨味が、溢れ出す肉汁と共に舌に絡み付くようだ。

 香辛料で引き立てられた肉本来が持つ甘さが、丁寧に下処理された事によって一切の臭みを持たず口内に広がる。熱くて呼吸する度に、漏れ出していく香りすら勿体なく思える。

 このままでも充分に美味しい。

 

 というのに、ツヤツヤに炊き上がったご飯を一緒に食べ咀嚼するとーーえも言われぬ満足感が身体中を駆け巡るではないか。

 

(唐揚げーーー美味しいです、これも素晴らしい)

 

 脂っこくなった口の中をリフレッシュする為に漬物を一口。ポリポリ。

 うまうま。

 

 味噌汁の入ったお椀を持ち上げ、ゆっくりと傾ける。

 味噌独特の甘みと風味、出汁の持つパワーがセイバーの舌へと続けざまに叩き込まれ味覚を刺激する。

 既に慣れたものだが、最初に口にした時は驚いた物だ。こんなにも複雑な味わいが小さなお椀の中で綺麗に纏まっている。

 想像だにしなかった世界。

 

(ふわぁ……この豆腐やワカメも堪りません。これだけで充分な一品料理ですね)

 

 付け合せのサラダへと箸を進める。

 水洗いして一口サイズに加工しただけの簡素な野菜の上に、琥珀色のソースを絡めるだけで何倍も食欲が増す。

 食べれば食べる程にお腹が空くような錯覚に囚われ、今度は別の揚げ物へと箸が伸びる。

 どれもこれもが聖杯からの知識には存在しないモノだった。

 

(何ですかこれは、何でこんなに簡単なのに美味しいんですか! むしろ野菜って美味しかったんですね!?

もう、これ。本当に、もう。もう、もう!)

 

『すみませんマスター、私なんかの為に』

『気にしないでくれ、勝手に作っただけだから。要らなかったら残してくれていいから』

『そんな事は出来ません! では、その……少しだけ、頂きます』

『召し上がれ』

 

 まがりなりにも、遠慮していたのは最初だけだ。

 今やセイバーは次々に手を変え品を変え、多種多様な料理の数々に惜しみない賞賛を挙げながら、ひたすら食べ続けるだけの装置と化している。

 

 もともと優れた素質を持っていながら、食糧事情によって無用の長物と化していたセイバーの優れた味覚は。

 士郎の作る料理によって今や錆をすっかり落とされた剣の如く、輝いていた。

 

「シロウ、ご飯のお代わりを!」

 

 思い返せばサーヴァントとなってから……いや、その前からセイバーは“料理”を食べた事など無かった事に気付かされた。

 

 料理という物を侮っていた。

 焼いたり、煮たり、適当に混ぜたりしたものを今の今まで料理だなどと思い込んでいた。

 とんでもない事だ。

 これは料理に対する侮辱に等しい、何たる愚かしさか。

 

 かつて自分へ、自信満々に味も素っ気もない料理()を振舞ってきた騎士達を叱りつけてやりたい。

 特に「日中は3倍美味しいですよ」とか馬鹿な事を言っていた騎士はブン殴りたい衝動に駆られていた。

 

(こんなにも料理が心を暖かくしてくれるとは知りませんでしたーーーシロウ、あなたが私のシェフだったのですね)

 

 とまぁ、こんな事を2・3分に1回ぐらいのペースで考えながらセイバーはもう2時間ほど食べ続けていた。

 その間も士郎は作り続けており、今はイリヤが補助に根を上げた(もともと士郎1人の方が早い)ので1人切りだ。

 

 実を言えばセイバー、けっこうお腹は満たされていたりする。満腹でない辺りは御愛嬌。

 適当なところでご馳走様でしたと言うつもりだったというのに、ついつい美味しさに釣られ箸を止める事が出来なかった。

 ご飯が足りないと思うと勝手にお代わりをしてしまう。

 

 その間もあれよあれよと積み上がる皿、供給され続ける料理。

 幾ら何でも多過ぎると考え出したセイバーに、ある閃きが生まれた。

 これは所謂、満漢全席なのでは?

 そんな、間違った直感が。

 

 聖杯はサーヴァントが現代に問題なく順応出来るようにある程度の知識を召喚時に与える。

 言語や風習、様々な神話や英雄に関する基礎知識。

 それらの中に混じって偶に「よりにもよって何でこれ?」という感じの無駄知識を、時に正確に、時に不確かに与えてしまう事が間々ある。

 今回セイバーの脳内で起きた突飛な解釈は以下の通りである。

 

 大量の料理が並んでいる→こういうスタイルあったような……→満漢全席→それだ→私の直感に間違いは無い(キリッ

 とても正気とは思えない発想だったが、それは仕方ない。

 セイバーは聖杯の被害者だ。

 適当ではなくテキトーな知識を植え付ける聖杯が何もかも悪い。

 

 自分が間違っているとは露程も気付かず、セイバーは愚直に箸を進め続ける。

 作り続けてくれている士郎へ惜しみない賞賛と感謝の念を抱きながら。

 全ての料理を食べる事こそが、何よりも士郎への感謝の念を示す手段であると思って。

 ひたすら食べ続けた。

 

 

 

 ある意味で悲劇の……実際は喜劇の擦れ違いをしている2人の共通点は、互いを尊重しているという事だ。

 士郎は美味しく食べ続けてくれているセイバーがもういいと言ってくれるまで。

 セイバーは作り続けてくれている士郎に感謝している為。

 どちらもお互いの為に鍋を、箸を、動かし続けていた。 

 

「……フム」

 

 そんな2人を静かに見つめる1人の男。

 

 3つめの貸しである“令呪によるサーヴァントの行動抑制”を確かに見届けた凛は、話し合いの為に居間へと向かった3人を尻目に一足早く部屋へと戻り眠った。

 ちょっと目を離した隙に新品の学生服が用意されており、ご丁寧な事だと嘆息。

 

『あいつらの事しっかり見張っときなさいアーチャー、何かあれば私も直ぐに起きるから。いいわね? 勝手な事すんじゃないわよ?』

 

 そう言って直ぐに眠ったマスターからの指示を受けて3人を、特に士郎とセイバーを監視する事に精を出しているアーチャーだった。

 イリヤは結構ウロウロと動くが常に魔力を発して現在地を分かり易くしており、監視されている事は承知しているのだろう。

 それにしても……まさか深夜に料理大会を行うとは思わず、面食らってしまった。

 聖杯戦争中だと言うのに呑気なものだと思う。

 

 どうやら外に居る連中の中に何人か“こちら側”の者が紛れているようだが、士郎よりはマシとしても凛やイリヤに遠く及ばない技量である事は明白だった。

 ならば捨て駒かとも思ったが、赤外線カメラなどが上手く隠されている辺り“対魔術師”対策の釣り餌である可能性が高い。

 

(全員魔術使いか。それに外国人、傭兵……とは少し違う、あの雰囲気は殉教者のソレに近い)

 

 例えば死の直前、誰にも手を差し延べられなかった少年が居るとして。

 その少年を、いやその周辺に居る者達に救いの手を差し延べた男が居るとする。

 その男が世界レベルで災害支援や復興支援などを積極的に行っており、衣服や食べ物に住む家、安定した労働環境を与えられる財力を持っており、惜しみなく与えたのならば。

 

 感謝し、必死に働く事で恩に報いようとする者が殆どだろう。

 自分も同じ様な者達に手をさし延べようと励む者も居るだろう。

 中には、自分の命に変えても恩返しや彼の家族を護りたいと願う少年も居る筈だろう。

 

 アーチャーが知る由も無い事だが、つまりはそう言う事だった。

 

(この気配は……)

 

 玄関の方で動きがあった。

 特に警戒される事無く衛宮邸に入って来た2つの気配が1つになり……急に消える。

 セイバーの方を見るが全く動く様子は無い、気付いているのかいないのか分かり難いが恐らくは気付いているだろうと考え、霊体化したまま廊下へと出る。

 

 いつでも実体化して戦闘できるようにしながら複数の“矢”を待機状態にして玄関方面へと向かった。

 まさかセイバーが気付いていないなどとは全く思わず。

 

(あの小僧はセイバーが護るだろう、凛は……チッ、何故起きている? いや違う、寝ている……分からん)

 

 大方トイレに行った後、普段の家と違う事に気付かず徘徊しているのだろうと当たりを付ける。

 凛が向かってくる方向の角で待ち構える事に決めたアーチャー。

 フラフラと歩いてくる凛へと警戒を促そうとした瞬間、凛の隣に“唐突に”人影が生まれた。

 

(! 軽度の認識阻害魔術、視界による看破を容易とした代償に聴覚や嗅覚への耐性を持たせたもの。妙な違和感はコレかーーしかし普段の凛なら兎も角、今の凛では看破は不可能)

 

 よほど注意が散漫か、よほど精神的に余裕が無ければ騙せない程度の魔術を施した相手は……しかし何故か凛に何かをするでもなく、逆に怯えながら居間へと向かって行った。

 もう少しでアーチャーからの攻撃を受けていた事など気付いてもいないだろう。

 

(やはりこの家の関係者だったか……まだ分からんか、警戒は続けるべきだろう)

 

 普段のアーチャーなら即座に斬りつけていただろうが、外の魔術使い達や一般の警備員達が何もせず玄関から通した相手だ。

 怪しい行動を取ったとはいえ、凛に何もしなかった為に見逃した。

 セイバーの居る居間へと向かった事もある。

 

 凛から見張れとは言われたが助けろとは言われていない、自分達で何とかしろと心中で呟く。

 

「おい、凛」

「ぁー…………」

「凛!」

「……ぅー……」

「……はぁ」

 

 これは話にならないと察したアーチャーは後ろから背中と膝を支点に抱き抱え、部屋へと向かった。

 いわゆるお姫様抱っこの状態で運ばれた事など気付きもしない凛は、夢うつつ。

 契約の繋がりからくる安心感に身を任せ完全に夢の中へと戻って行った。

 

「やれやれ、朝では無いというにーーーそんなにも気疲れする事だったのかね?」

 

 イリヤとの交渉に際し、不必要ではと思えるぐらい神経を張り詰めていた事を思い出しながら布団をしっかりと掛けて部屋を後にする。

 結界の上に更に初歩的な結界を構築し、その要として“一振りの剣”を据える。

 その最中に、妙な魔力を庭の方から感じた。

 

(この魔力の高まりはイリヤか、彼女に何かあった……?)

 

 念の為に別の“剣”を入口に飾る。

 これならば万が一敵襲があっても、自分が来るまでの時間稼ぎになるだろうと納得して勢い良く隣家の屋根へと跳躍した。

 

「……なるほど、間桐か」

 

 衛宮邸の庭に、先ほど見た気配ではなくもう1つあった気配の主とイリヤが居る事を“鷹の目”で捉える。

 何もない空間から瞬時に弓と矢を“造り”出し、引き絞り狙いを定めた。 

 

 必要とあらば衛宮邸を吹き飛ばしてでも、あの少女に傷は付けさせないと心に誓いながら。

 

「I am the bone of my sword...」

 

 静かに魔力を高め獲物を見定める。

 暫くそのままの体勢で眺めていたが、およそ5分ほど後、気配のあった場所に居た蟲が突如として現れた針金で潰され消滅した。

 見事な物だと舌を巻く。

 少なくともアーチャーにさえ前兆を悟らせなかった一撃を、あの至近距離で回避したとは思えなかった。

 

「……フゥ」

 

 黙って弓と矢を魔力へと還元したアーチャーは霊体へと戻ると、もう一方の気配が居る居間へと向かった。

 そこには相も変わらず食事を続けるセイバーと、1人の少女のお陰で大分余裕が生まれた士郎が和気藹々と料理を作り続けていた。

 

「桜、それもう少し蒸し焼きにしてから出す。皿を温めておいてくれ。ソースは?」

「はい先輩、ソース出来てます。確認お願いします」

「いや大丈夫、見てた。桜が良いなら心配ない、かけておいてくれ……っと、そろそろ炊けたか」

「茶碗、出しておきました」

「助かる」

 

 和風を中心に構成されていた料理は、今は半数以上を洋風へとシフトしていた。

 時々刃幅が微妙に違うナイフや鉄串などを桜から見えない位置で変形・投影している士郎の手は全くと言っていいほど淀みが無い。

 基礎がしっかりと身体に染み付いているのが窺える。

 

(フム、料理は才能よりも経験がモノをいう。包丁を持つ手を見れば料理人のある程度の格は知れる……あの年齢にしては大したモノだ。私が……俺があの年齢の時は趣味の域を出てはいなかった)

 

 しかしアーチャーから見ると、まだまだ全体的に荒い。

 包丁を部位や用途に合わせて常時変形させる発想は買うが、一瞬の刃の変成に伴い切り口に僅かな違いが見られる。

 見た目はともかく、舌が肥えた人物ならば味わう時に微妙な違和感を覚えるだろう。

 

(今のセイバーは、どうやら初めての食事らしいから問題ないが……そうさな、あと1時間もあれば彼女の舌はその違いを見抜くぞ)

 

 投影の完成度、これも年齢からすれば悪くないが良くもない。落第点に近い。

 全ての包丁が“投影品”である事を見抜いたアーチャーは、その理由が何度でも新品同様の状態に戻す為であろう事を“解析”した。

 

(宝具の模倣に比べれば雲泥の差だが……惜しいな、お前の包丁には決定的に“経験”が欠けている)

 

 包丁はただの道具では無い。

 料理人の分身の様な物だ。

 士郎が本来持っていた本物の包丁は切嗣からのプレゼントだ。だからだろう、研ぐ度に短くなっていったソレを大事にするあまり“常に新品”を士郎は使い続けていた。

 

(道具を大事にするのは結構だが、1本や2本は使い潰す覚悟が無ければ技術が完璧に身体に馴染む事はあるまいよ。ましてや、包丁に“経験が宿る”事は無い)

 

 投影品の包丁の質は変わらない、いや構造を補強し変更する事で切れ味を良くする事は出来るだろう。

 しかしそれは、包丁の質ではなく投影の質を上げているだけに過ぎない。

 

 これが“剣製”であるならば問題視はしなかったが、こと“料理”となると話は別だ。

 

(……今は良かろう。しかしな衛宮士郎、お前の進む先に必ず壁が立ちはだかる。それは俺が経験してきた事とは段違いの壁となり、お前の未来を阻むだろう。

なにせ、俺は殺せば良かった。妥協し、次善策を用意し、ひたすら1を切り捨てて進み続ければ良かった。

だがお前は違う……お前の進むその道は、なまじ英雄になるよりもーーー)

 

 そこまで考えて頭を振る。

 柄にも無く考え過ぎてしまったのは、この世界では召喚された目的が“果たせない”事に気付いてしまったからだろうか……。

 それとも、あの少女の幸せそうな笑顔を“また”見る事が出来たからだろうか。

 

「……さて、敵襲がないか確認してくるか」

 

 わざと声に出すことで気持ちを区切り、屋根の上へ出て実体化する。

 土蔵の方に向かって段ボール箱を持って歩くイリヤが見えた、先ほど見えた皿の量から考えれば割って敷き詰めたとするとかなりの重さだ。

 で、ある筈なのに“随分と軽々と”持ち歩き、最後には土蔵の奥へと放り投げてしまった。

 

 さもありなんと納得し、地平線に近くなった月を見つめ苦笑いを浮かべ小さく呟いた。

 

 ーーーやはり剣以外は、才能が無いらしい

 

 

 

 

 




くっ、まさか最初の強敵がセイバーだったなんて!(棒読み)

セイバーさんは設定上、何度か他の次元や時代の聖杯戦争を経験しており“全て負けて”しまっています。
これは別にセイバーさんイジメでは無いので勘違いしないで下さい。勘違いしないで下さい(大事な(ry)


さて今回のお話。
軽く試算してみたところ今までのペースでは30話近く掛かりそうだったので、2話分のネタを一纏めにしました。
つまりです、今回で今月は2話分投稿したって事になっちゃうんですよねぇ~w(暴論)

すみませんでした。
月に2回なんて出来もしない事を言ってしまいまして。
これからは今回ぐらいの量で月に1回+αなペースでいきたいと思います(月に1回載せるとは言っていない)


次回は、順調にいけばキャスター登場→退場のワンキル話と他1本です。
あのサーヴァントも登場するかも……?



ネタバレ※ギルガメッシュはまだ登場しない、というか冬木に居ない

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