「ここは俺の出店場所だ! ショバ代だってちゃんと納めてあるんだ!」
「でたらめを言うんじゃない! 私はこの通り許可証だって持っている!」
ケルディックの大市へ駆けつけると二人の商人が激しく言い争っていた。地元の商人と帝都の商人の両人が同じ場所の許可証を持っているため困惑し、話し合いがだんだんヒートアップしてしまったようだ。喧嘩する二人を見ている若い女性に声をかけると、わたわたしつつも丁寧に答えてくれた。
「さっきからずっとあの調子なんです」
「ここ最近は揉め事が多くなっててな。折角来てくれたのに悪いね」
困りきったとばかりの表情が浮かぶ。横から別の商人が補足を言い加えた。眉を八の字にして力なく笑っている。
屋台から覗くように見ている商人もいれば、白けた顔で関わらないようにしている商人も少なくはない。規模は違えど揉め事が多くなっているのは確からしい。
「…………」
ふむ、と話を聞きながらティアは考え込む仕草をした。ぽつりぽつりと商人を囲む人だかりが増してきているが、両者一歩も譲らない口争は未だ終結の色を見せない。
「まずい……!」
「止めるぞ!」
言い争いだけではなくお互いの襟ぐりを掴み始め、このままでは殴り合いになってしまう。リィンとラウラが急いで二人を引き剥がし羽交い絞めにした。
「事情は分かりませんが、まずは落ち着いてください!」
「ガキが大人の話に口出すんじゃねえ!」
身なりの良い商人は押さえられて落ち着いた様子だったためリィンは手を放した。一方、若い商人はまだ怒りが収まらないらしくラウラの拘束を振りほどこうとしている。
「少しいいでしょうか」
眉を寄せて真剣な眼差しでティアは声をかけた。若い商人が不機嫌に振り向く。
「事情は窺いました。ですが、ここは一度この場を収めてもらえませんか」
「ふざけんな! 嘘ついてやがるのはこのおっさんだぞ! なんで俺が――」
「権利を譲る、ではなくまずは周囲を見てほしいのです」
言葉を遮り一歩近づく。自分達を取り囲む人だかりを見て、大勢に迷惑をかけていたことを認識し、ようやく落ち着いた男は顔を俯かせた。羽交い絞めにされたままの男の顔を覗き込む。
「揉め事が増えていて不安なお気持ちは分かりますが、まずは場所を移し、冷静に話をしませんか。嘘をついていないと言うのなら、責任者に判断を仰ぐべきだと思います」
「……」
「元締めだって信じてくれますよ」
「はあ……もういいよ。放してくれ」
若い商人はそれでも無関係の子供に介入されたことが不満で、煮え切らない顔をしているが頭が冷えたのかラウラに声をかけた。
「やれやれ、落ち着いたようじゃな」
「元締め……」
落ち着いたところで大市の入り口から大市の責任者であるオットー元締めが現れた。騒ぎを聞きつけてやって来たようだ。元締めが声をかけると集まっていた人々も散り、大市の不穏な雰囲気を払いだんだんと活気のあるケルディックの大市の姿を取り戻していく。
かくして大市での騒動は収まり、ティア達は元締め宅に招かれ話を聞く運びとなった。
*
元締めの話により、今回起こった騒動の背景にある領主――アルバレア公爵家との確執が明らかになった。
陸軍機甲師団の軍備拡張計画が正式に帝国政府より発表された。現時点でも大陸最大規模の軍事力を誇る帝国正規軍の更なる戦力の強化。議会で反発していた貴族院――貴族派がとる行動は自ずと決まってくる。
常識の範囲を超えた大幅な増税。それに対する商人の陳情。そして急に管理が杜撰になり大市で起こった騒動にも不干渉を貫く――。あまりに"分かりやすい"行動だが、切羽詰まっていることがよく分かる。
大市で騒動を起こしていた二人の商人は交代であの場所を使うことに決まり話は落ち着いた。安心はしても、やはり腑には落ちない。遣る瀬無いままに元締め宅を後にしてもう一度大市を見回ってから風見亭に戻った。
「ふぅ……ごちそうさま。流石に野菜とか新鮮で美味しかったね」
「うん。これは明日も気合が入るな」
エリオットが満足そうに笑うとラウラが同意する。
ライ麦パンのサンドにポタージュ。にがトマトとサーモンをマリネしたサラダ。メインディッシュにはクリームシチュー。地元の食材をふんだんに使った夕食を満喫し、一息ついたところで5人は実習一日目に付いて振り返る。
「……本当、僕たちってなんで集められたんだろうね」
「私たちに色々な経験をさせようとしてるみたいだけど」
意図があることは分かるがそれが何なのかは分からない。考えるにはまだまだ情報が少なすぎる。アリサ達は考え込むが答えはなかなか出そうにない。
「なんでティアは嬉しそうなのよ」
「いえいえ。こうやって悩む時間もいいなと思いまして」
なによそれ、とアリサがくすりと笑う。Ⅶ組の真の目的は分からないけれど、士官学院に入った以上何かの目的はあるだろう。リィンの一言によって話題はそれぞれの士官学院への志望理由へ移っていった。
目標としている人物に近づくため、とラウラが。
実家を離れて自立したかった、とアリサが。
それぞれの入学理由を話した。ラウラの憧れる人物といえば父親の光の剣匠かと思われたがラウラはぼかして話をアリサに振る。実家と上手く行っていないというこれまた意外な動機だった。自然な流れで次はティアの番に。
「もっと広い世界を見てみたくなったんです。私は帝都から一人で出たことがなかったので」
多感な時期らしいもっともな理由。より具体的にするならば、現場を知っていれば報告だけでもより詳細に状況が分かる。貴族と平民の生徒がいるトールズならば両者に触れ、それぞれの目線を知ることが出来るから、といったところか。
ぐるりと女子三人が時計回りに答えていくと次は男子。
エリオットは元々音楽系の進路を目指していたけど、と言葉を濁した。
「俺は……そうだな。"自分"を――見つけるためかもしれない」
4人とは違い抽象的な言葉を選んだリィン。エリオットのように追求されたくない様子でもなく、自分でも分からないといった感じだ。
アリサの言葉を借りるならばロマンチスト。三対の暖かい視線に照れくさくなったのかリィンは目を伏せた傍ら、ラウラだけが無言でリィンを見つめている。一日の間リィンへ視線を送ることの多かった彼女だがその視線は徐々に厳しさを増していた。最早睨んでいるという表現の方が適しているかもしれない。
一通り話し終えるとレポートを書くためにも二階の用意された部屋へ向かう。用意されていた課題に、大市での騒動。その後偶然出会った士官学院生ベッキーの父ライモン商人から提案されたタイムセール中の店番。1日目のレポートを纏め上げると後は明日に備えて寝るだけ。ではあるのだが、その前にしなくてはいけないことが一つ。
*
浴槽の縁にもたれかかり大きく伸びをする。少し遅くなってしまった為ほぼ貸しきり状態の浴室。人数を考慮しても浴室そのものが寮のものに比べて広い。木製の趣を感じる風呂だ。
「癒されるわねえ……」
「極楽です……」
首までどっぷりと浸かり疲れた体を癒す。西から東へ、北から南へ。ケルディック中を歩き回り、手配魔獣の他にも街道にいる魔獣との戦闘も何度か。街道にいる魔獣との戦闘そのものは呆気ないものではあったが、慣れない街道探索もありティアやアリサ、おそらくエリオットもそれなりの疲労度だ。
「満喫しているようだな」
少し遅れて来たラウラが体を洗い終えてティア達に近づく。鍛えられて引き締まった美しい体が湯船に浸かり、小波を立てた。ちゃぷちゃぷとお湯を手で掬い肩にかける。
ちなみにあれだけ飲んでいたサラ教官は顔色もすっかり元通りでB班のゴタゴタを収めるためにパルム市へ向かった。どういう構造をしているのだ。
「あの二人はいつまでこじれてるのかしらね……」
やれやれとアリサが肩を竦める。少なくとも。
「今晩一緒にテーブルを囲んで食事した光景は……想像できませんね。全く」
アリサに続けてティアが苦笑する。
マキアスが嫌っているのはユーシス個人ではなく貴族そのもの。"貴族は傲慢"――それはユーシス個人に対する評価ではない。ユーシスはそれを理解しているのに訂正せず逆に煽るためマキアスが謝ることも、歩み寄る事もできないのも事実。
原因ははっきりしているのにこればかりは当人達に納得させるしかない。頭を悩ませるだけで時間が過ぎていく。まあ、とラウラが一旦言葉を切った。
「彼らのことばかり気に病んでいても仕方あるまい」
「そうね。こっちだって問題がないわけじゃないんだし。気を引き締めなくちゃ」
「はい。明日に備えて今は体を休めましょう」
「ええ」
「……それで、さっきからそのジロジロ見てくる視線は一体何かしら?」
穏やかな笑顔から一転、にこにこしながらアリサを見つめているティアの視線を指摘する。
「女として憧れちゃうなと思いまして」
「ふむ。確かにこれは見入ってしまうものがあるな」
「も、もうっ! 何言ってるのよ!」
ラウラまで乗ってきた話題に、アリサが伸ばしていた足を抱え体操座りにする。元々小柄なこともありかなりコンパクトなシルエットになってしまった。それでもキッと睨んでくるがじんわりと温まった体は頬までほんのり赤く、あまり期待した効果は得られない。ありていに言うのならば可愛いの一言に尽きるだろう。
「ふふ。私は先に失礼する。そなた達も、のぼせる前に上がるといい」
「そうします」
もう少しゆっくりしないかと引き止めるのは憚られて。ラウラを見送り体を反転させる。ちゃぷん。ティアの動きに合わせて波紋が広がった。縁に身を乗り出すようにして体を預ける。視線の先には湯気に隠れてだんだん見えなくなっていくラウラの後姿。いつも颯爽としている彼女らしからぬどこか気落ちした背中だ。
「気になりますか」
「そりゃあね」
ティアがアリサに顔を向ける。話題に上がったのはラウラが風呂に来るのが遅れた理由。
『――そなたはなぜ本気を出さない?』
レポートを書き終えたアリサ、ティア、エリオットに続いて部屋を出た後でラウラはリィンを引き止めた。怪訝な表情で尋ねられ、リィンは動揺した。
『実技テストも、今日の手配魔獣にしても。周りをよく見ていると判断しても良いが、八葉の者ならばあの程度の魔獣、そうなる前に仕留められたのではないか?』
『買いかぶりすぎだよ』
『これが自分の"限界"』申し訳無さそうに告げるリィンにラウラは『そうか』と一言だけ返す。その後、素振りをしてくるとラウラは一度宿を出た。
まるでリィンがラウラのお眼鏡に叶わなかったように見える一幕だが、彼女が怒っているのは多分、実力ではないのだろう。ティアは剣の道には生きていない。だが、なんとなくその感情を知っているような気がして、じっと爪先を見つめた。
「エリオット君も言っていましたが、何かを抱えているのは皆同じですよ」
顔を上げて宥めるような瞳でアリサを見つめた。向かい合わせのまま、少しの沈黙が流れる。ふいにアリサが口を開いた。
「……ティアも同じなの?」
「さあ。どうでしょう」
ぽたりと雫が滴る前髪を手で梳かす。そしていつも通りの綺麗な笑みを浮かべたまま、仕切りなおしとばかりにラウラとリィンを仲直りさせる方法について悩み出した。ラウラもリィンも、お互いが嫌いなのではない。逆に、お互いに気を遣いすぎてしまっただけで。落としどころはあるはずだ。そうであればいい。リィンもラウラも。――ユーシスとマキアスも。
閃の軌跡マガジンが楽しみです。