千三つトリックスター
4月17日
突然オリエンテーリングの始まった入学式の日から約2週間が経った。士官学院といえど、軍人として必要な知識、心得を学び、体を鍛えるだけではない。かつては銃火器の扱いや戦闘訓練を重視する本格的な軍事学校であったが、今となっては形骸化しており、一般知識や芸術科目を学ぶ高等教育機関という側面が強い。故に、授業内容も相応の密度の濃さである。
教官たちの中でも飛びぬけて熱い授業を行うトマス教官が担当する歴史学が終わり、迎えた放課後。明日が初めての自由行動日とあって、学院全体がどこか解放感に溢れている。
「入学式からもう二週間か~」
エリオットが机に突っ伏しながら深い溜め息をついた。HRでサラ教官から告げられた実技試験の言葉に肩を落としていると、お疲れ、と声をかけながらリィンとガイウスがエリオットに歩み寄る。
「武術訓練だけじゃなくて普通の授業までこんなにレベルが高いなんて思わなかったよ」
「文武両道は帝国の気風でもあるからな」
「僕なんてついて行くのでやっとだよ。置いてかれないようにしなきゃ」
エリオットは体を起こし、両肘をつく。エマとマキアスは入学試験では主席と次席。留学生のガイウスも、帝国の雰囲気に慣れてはいないようだが座学にさほど苦戦している様子もない。なんとか授業について行くことはできているし、休憩時間にリィンやエマ、アリサも解説してくれる。意外なことに、同じ帝都出身者でマキアスも話がてら説明してくれるので不安は少ない。
「エリオットは俺達の一つ下だろう? よくやってると思うぞ」
「えへへ、ガイウス。ありがとう」
お人よしが多いのだ、このクラスは。常にギスギスして嫌味の応酬を繰り広げるマキアスとユーシス等、勉強面以外でも不安要素は残ってはいるが。
皆と上手くやっていけそうな気がすると感じた自分の勘を信じてよかった。
HRが終わった後すぐに教室を出て行ったフィーやユーシス、マキアス達を横目に、話しながらゆっくりと帰り支度をしていると、アリサが声をかけた。
「ねえ、あなた達はもうクラブは決めてあるの?」
「僕は吹奏楽部だよ」
「俺は美術部というところに入ろうと思っている」
「まだ何とも言えないな」
楽器を嗜んでいるエリオットと、独学で絵を描いていたガイウスは、その趣味をそのままクラブ活動で突き詰めることにした。新しいことへの挑戦もいいが、趣味を高めるのもいいかもしれない。リィンはクラブに入るかどうかも迷い中のようだ。ティアとラウラは既にクラブを決めているため、声をかけると教室を出て行った。
「私はエマとこれから見学に行くつもりなんだけど、良かったらリィンも行かない?」
「そうだな……」
「よかった、まだ残ってたわね」
いいかもしれない。思った瞬間、狙ったかのようなタイミングでサラ教官が再び教室に入ってきて、リィンに声をかけた。
「リィン、昨夜はありがとうね。あと悪いんだけど、この後生徒会室に行ってくれる?」
「はい……わかりました」
カリキュラムや戦術オーブメントの違いから、Ⅶ組専用で発注した為遅れて届いた生徒手帳を、昨夜Ⅶ組生徒に配ったのはリィンだ。その為か、今日も手伝い役に指名されたらしい。内容だけ告げると、サラ教官はすぐに教室を出て行った。
「……という事で。アリサ、委員長、折角誘ってくれたのに悪いな」
「何だか色々頼まれているみたいですね」
「ちゃんと断りもした方がいいわよ」
「善処するよ。二人も、いいところが見つかるといいな」
呆れたように言うアリサにリィンは眉を下げて笑った。ハプニングのせいで厳しい態度をとってしまったアリサだが、元来お人好しなためか、雑用を押し付けられるリィンを心配しているらしい。当人にも多分伝わっているだろう。
*
そして翌日、4月18日午前7時30分過ぎ。グラウンドを見ても、まだ部活は始まっていない。もう少し経てばそこかしこから活発な声が響いてくるのだろうだろうか。以前通っていた聖アストライア女学院では部活には入っていなかったから、初めての部活に少し胸が躍っているのを自覚する。
生徒会館でアリサ、エマ、ラウラと朝食を済ませた後、昨日見学に行ったクラブ活動へ参加するために別れた。フィーは既に部屋にはいなかった。気まぐれな彼女のことだから、学院内にくつろぎスポットでも見つけているのかもしれない。
階段を上がった先、二階の角にある教室の扉をノックするとすぐに声が返ってきた。少しばかり早かったかもしれない、とは杞憂だったようだ。
「失礼します」
扉を少し開けただけで鼻腔がくすぐられてきて、中を見ずとも何が行われているかが分かる。
「昨日見学に来てくれた子だよね。もしかして入部希望かな?」
「はい。改めて、一年Ⅶ組のティア・レンハイムです。よろしくお願いします」
「調理部へようこそ。こちらこそよろしくね」
エプロンをつけた青年――ニコラスがおだやかな笑みを浮かべ微笑んでティアを歓迎した。
水切り場には洗い終わったばかりであろう食器が並んでいて、すでに何かを作って片付けた後らしい。コンロには鍋が置かれたままで、匂いの正体かと納得する。
「お早いですね。もう部活を始められていたのですか?」
「自由行動日は自分で朝ごはんを作ってるから、僕が特別早いだけだよ。八時に始めるところが多いんじゃないかな」
調理部は基本活動の時間も参加も自由。作りたいときに作って、食べたいものを食べるらしい。
一通りの活動内容に、各調理器具や調理本の収納場所を聞いた後、部活で用意しているという手帳を受け取る。おとといの晩、リィンによって届けられた黒字に学院の紋をあしらった学生手帳とは違い、紅色のカバーに白地で"RECIPE NOTE"と書かれたものだ。
時間にして約三十分が経った頃だろうか。話を聞きながら、時々、レシピ手帳にペンを走らせていると調理室の扉がノックもなく開かれた。
「ようニコラス」
「やあクロウ」
現れたのは、白いバンダナを巻いた銀髪の青年。突然入ってきて親しげに話しかけているが、ニコラスも戸惑うことなく平然と答えているから、彼の無作法は日常茶飯事なのだろう。耳についているいくつものピアスや着崩した制服からは軟派な印象を受ける。
「そんで、お前さんは……」
クロウと呼ばれた青年はティアへ目を向けた。話を振られ、ティアは簡単に自己紹介を行ない、お辞儀をした。うへえ、と失礼なうめき声が聞こえる。
「堅ッ苦しいな、後輩ちゃん。オレは二年のクロウ・アームブラストだ。ここにはしょっちゅう顔出すから、まあよろしく頼むわ」
クロウはへらりと笑う。彼の声なのか雰囲気か、人好きのする態度は緊張をほぐすのが上手い。
「それで、クロウ? 今日はどうしたの?」
「寝坊したら食堂閉まっちまっててな。何か食わせてくんねえ?」
「仕方ないな。後で作るから、少し待っててよ」
柔和な笑みを浮かべながら、慣れたようにニコラスはクロウの頼みを受け入れる。
黙っていると暇なのだろうか、彼はニコラスと話す傍ら、学院についてティアに色々と助言をしていた。単位がとれればいい、サボるのも立派な社会勉強、等の内容ではあったが。
「帝国史の授業が良かったってマジ? 変わってんな~」
「教科書には載らない伝説や事件についてまで熱く語ってくださって、面白いですよ」
「オレあのおっさん苦手なんだよ」
なるほど、確かに苦手なタイプなのかもしれない。うへぇと舌を出すクロウを見て、ふふと笑う。
そのまま作業を続けていると、クロウがちらりと調理室入り口に目を向ける。つられてティアも入り口に意識を向けると、ノックの後に失礼します、と聞き覚えのある青年の声がした。
「えっ、ティア? それに昨日の!?」
「リィン君? ……と計量器?」
「よっ。偶然だな後輩クン」
予想だにしなかった人物が入ってきてお互いに驚いている一方、クロウは片手を上げて平然と挨拶した。
リィンガ手に持っているのは導力式の計量器のように見える。なぜ彼がそんなものを持っているのか。問うてみると、修理した計量器を配達しているらしい。なぜ君が配達しているのか。
「技術部の依頼で配達に来たんだ。部長さんは?」
「部長は僕だよ」
エプロンで手を拭きながらニコラスが計量器を受け取る。
「ジョルジュ君は相変わらず仕事が早いね。本当に助かるよ。君も、届けてくれてありがとう」
「いえ。それにしても……今はこんな器具もあるんですね」
目盛がなく、上皿もないこれが計量器かとリィンは興味深そうに見ている。
「アナログ式と違って、細かく正確な数値も出るし、容器の重さだけを引くこともできるんだ」
「へえ……。ティアはよく知ってたな」
「帝都では評判ですから」
感心しているリィンの肩か背後からガシっと組まれ、うわっと声を漏らした。
「絶好調だな、後輩クン」
「何がですか……」
胡散臭そうに視線を送り、肩を組まれた腕を外そうとする。口ぶりから初対面ではないことは分かるが、リィンからそんな塩対応をされるなんて。
「ところで、昨日の手品のタネは分かったかよ?」
「手に取らず、足元においてあったカバンに入れたんですよね」
「せーかい! いやーカンシンカンシン」
目に見えて好感度が下がっていく様子に、食えない人だと感じさせられる。
「ま、50ミラは返してやるから」
「50ミラ?」
ティアがリィンに尋ねると、昨日生徒会室に向かう途中でクロウに出会い、手品に使うためにと渡した結果、持ち逃げされたようだ。
クロウはズボンのポケットに探るように手を入れるが、すぐに動きが止まる。指で硬貨を一枚摘まみ、リィンに見せるように持ち上げた。
「……わりぃ、今10ミラしか入ってねーわ」
「はあ……いいですよ。大した額じゃありませんし」
「そうか? いや~、お前多分出世するぜ」
「なんて調子のいい……」
「クロウったら、だめだよ。後輩にたかったりしちゃ」
呆れ顔で見るリィンにクロウは名乗る。
「リィン君、断ることも大事ですよ」
「アリサにもおなじことを言われたよ……」
「まあまあ、詫びにその配達手伝ってやるからさ。ジョルジュの依頼だろ?」
「いえ、結構です」
「じゃあな~。学院生活は楽しんだ方がいいぜ?」
それでも尚リィンの手からヒョイと残りの配達物らしき導力灯を奪う様は、もはやチンピラのそれだ。二人が出て行き、閉められた扉を見つめてしまう。
「今日は賑やかで嬉しいなあ」
「(大物だ)」
楽しそうに呟いたニコラスは、調理作業に戻る。
嵐のような、猫のようなクロウと、何事にも動じないおおらかなニコラス。不思議な関係だというのが、ティアの第一印象だ。
お久しぶりでございます。
入学オリエンテーリングから約2週間でもリアルでは2年の月日が流れておりますこと、心よりお詫び申し上げます。
色々と思うところがありまして一旦今まで書いていた話を消していたのですが、先日閃の軌跡Ⅲの情報を見たらやっぱり好きだなと改めて思い、リハビリがてらに自由行動日の話を書いておりました。
シェフでもないのに気まぐれが過ぎますが、気楽に楽しく書けたらなと思っております。
読んでくださってありがとうございます。