「初めまして、私は遠野秋葉と申します、いつも兄がお世話になっています」
意外過ぎる人物の登場にボクは動揺を隠せずにいた。
というのも、そもそも【月姫】においては彼女がこうして外に出て積極的に関わることはなかったからだ。
その上、彼女を主題とした遠野秋葉ルートは結局の所遠野家内部で始まり、完結する話であった。
…まあ、弓塚さつきに至ってはルートによっては人気があるモブで一生を終えるか、
そもそも冒頭部分で出て終了か、目玉の部分では吸血鬼化して志貴を襲った挙句に返り討ちにあうのだが。
そして、どうして彼女がここに居るかはわからない。
少なくても友好を交わすために来たわけではなさそうだ。
「秋葉さんでいいかな、こんな時間に何の用かな?」
だが、こうして現れたということは話し合う意思があるはずなので、とりあえず会話を試みる。
「はい、弓塚さん。本日こうしてやってきたのは――――貴女を殺すために来ました」
直後無数の赤い、
うっすらとした糸の様な物が襲いかかってきた。
――――というか、このナイ乳妹いきなり抹殺宣言ですか!?
「っぅ!?」
地面を蹴り、横へ跳ぶ。
刹那、先ほどまでいた地点を赤い糸が幾重にも包み込み、
ジュウジュウと音を立てて熱が奪われ、冷えた空気が流れる。
間一髪だった、
【原作】として知っていたから良かったけど、
もしもあのまま踏みとどまり迎え撃とうなんてしたら、
今頃体中の体温が奪われ、よくて全身大火傷を負っていただろう。
遠野秋葉が混血の能力として有するのは「略奪」系の能力。
簡単に言えば視認した対象から熱を奪う能力だが、対象は無機物、
有機物のどちらでも可能で、最悪対象を気化させてしまう程の凄まじい火力を有する。
これを最大限発動させた、略奪呪界「檻髪」は対象を自動探知し、対象を抹殺することが可能だ。
彼女を主題としたルートでは、この能力で教室に隠れていた志貴の足を潰した後に殺したり、
逆に足や腕が潰されても、七夜モードに突入した志貴に首をはねられたりと実に型月的展開を繰り広げた。
そんな危険極まりない代物からこうして逃れられたのは、
ボクが吸血鬼になり霊格が向上し、人のころには見えなかった霊視が可能となったので、
その能力が赤い糸として見えたからである。
閑話休題
「一体全体、どういうことですか!?」
初対面でいきなり殺しにかかってきた理不尽さに叫ぶが、
当の本人は澄ました顔のままであった。
「どうしたこうしたも、決まっています。
これ以上兄を、兄さんを私と同じ夜の世界に巻き込ませないためです」
残念ながら相手は聞く耳を持っていなかった。
しかし、彼女が言っている内容は肉親ならではの切実な願いであった。
「無論アルクェイドという名の方もです、
ようやく、ようやく過去との因縁が切れて兄さんと一緒に暮らせるようになったのに、
例えそれが兄さんの意思で貴女達を手助けしているとしても、これ以上兄さんを巻き込むわけにはいきません」
自分より歳下にも関わらず威圧感を纏いながら、
じゃり、じゃりとブーツを鳴らしてゆっくりと間を詰めている。
「突然こんな事を言われて、理不尽だと感じるのは当たり前です、
恨まれて当然なのは分っています、何せ私は貴女を殺すのですから。ええ、憎んでもまったく構いません」
そして一拍置いてから遠野秋葉は言った、
「ましてや貴女は私と同じく魔、だから――――」
瞬間、遠野秋葉の姿が消えた。
いや違う、消えたのではなくて移動しただけ、現に彼女は既にボクの眼の前にいた。
というか、この人混血だとしてもなんでこんなに速いんだ!?
「――――うぐぅ!?」
不意を突かれ、胸に強力な一撃を受ける。
骨が軋み、衝撃が殺しきれず後ろへ飛んでしまう。
「さあ――――逃げてごらんなさい!!」
「っ――――――!!」
地面に転がり、
起き上がる間もなく次の攻撃。
彼女の真っ赤に染まった髪が自分を囲むように公園に広がる。
「くそ!」
そして回避する間もなくそのまま覆い尽くされようとした。
※ ※ ※
アルクェイドは静かに寝息を立てて寝ていた。
元々彼女の造形、と言うのも変だが人よりずっと美人なせいか、
その姿はまるで呪いのリンゴを食べて眠りにつく姫のようで美しかった。
「アルクェイド…」
彼女が眼を覚ました時、俺はなんて言葉をかけるべきだろうか?
安心しろ、とか大丈夫とかそんな言葉では通じないのは見えている。
起きて俺が追いかけて来たのを知ったら、きっとまた逃げ出すに違いない。
「くそ、このア―パー吸血鬼。自分勝手なのはおまえの方だろう」
巻き込みたくない?
だからどうした、それがどうした?
それらを一切合財承知の上でアルクェイドと一緒にこれまでいたんだ。
たしかに、始めは戸惑った。
なんで俺がこんな世界に入ったんだろう?
なんでこの夜の世界に違和感なく自分が入れたのだろう?
けど、今はどうでもいいことだ。
たぶん、俺は世間一般の人様と比較すれば異常な人間の類だろう。
何せ義務感に襲われているから、とかそういった理由はなく単純に一緒に居てやりたいなんて。
だけど後悔はない。
こんな「眼」を持って絶望したあの日、
先生が言った通りこんな俺でも俺なりに生きてゆこうと決めたんだから。
だから、逃げずにアルクェイドと話そう。
もしも彼女の方から逃げるのであれば俺はどこまでも追いかけてやる。
「おい、アルク――――」
そこまで言いかけた刹那、背筋に走る悪寒。
続いて爆発音が公園を轟かせた。
「な、なんだ?」
強い風が公園を吹き抜ける。
秋とはいえ、妙に冷たい空気が肌を刺激する。
「まさか、ロアなのか!?」
瞬間、この場にいない弓塚の顔を思い出しながら、
自然とナイフを手にして走り出した。
※ ※ ※
タン、と着地する音。
【原作キャラ】から与えられた絶体絶命のピンチを乗り越えて、
こうして地面に足をつけることが出来るとは、我ながら褒めてやりたい。
が、
「あ――――はぁ!はぁ!」
空気が熱い、吸い込むごとに喉が焼きただれるような痛みを覚える。
筋肉痛ではなく、振りほどいたとはいえ喉に彼女の「髪」が巻きつかれ、火傷を負ったからだ。
ハッキリ言って遠野秋葉の強さは想定外だ。
軽業師のように何とか攻撃をかわしたけど遠距離攻撃が得意な上に、
近接攻撃も、見た所シエル先輩程ではないがそれでもなお、強力な一撃を出してくる。
そして、既にここは彼女の庭と化している。
逃げようにも即座に捕捉されてしまうだろう。
やるとしたらそれこそ、彼女を殺すつもりで掛らねば。
――――ドクン、
殺すつもり、
その単語でぞわりと黒い衝動が湧く。
言葉通り、このままあいつを殺してしまえという衝動。
頭痛がする、アタマがイタイ。
脳が血を以て喉の渇きを満たせ、と騒がしい。
こんな時に吸血衝動が出るなんて最悪だ。
血を吸う事だけしか考えられず、思考する事、自己を維持する事ができなくなりそうだ。
「……さて、まさかあそこで逃げられるなんて。どこに逃げたのかしら?」
公園の草むらの間から覗く、距離にして20メートル程だろうか?
暗闇にぼんやりと浮き上がる人影はそう呟いた。
たしかに、正直自分でも驚いている。
あの熱気に囲まれた瞬間自然と後ろに跳躍していた。
喉にまきつかれたけど一度だけの跳躍にも関わらず、ここまで距離をとれたのも吸血鬼の肉体のお陰だ。
考えて見れば、機動力は此方が上だからきっと彼女を…。
――――彼女を殺せる。
「ち、違う!殺したいなんて――――」
自分の声だけど、自分じゃない声が聞こえた。
加えて頭痛が倍加してゆき、アタマ、頭が痛くて気が狂いそうだ。
「さすが西洋の魔、ヴァンパイアといった所かしら。こちらの動体視力を上回るなんて」
ゆらゆら、と蜃気楼のような物を漂わせながら何か言っている。
けど、こちらはそれどころではない。
いつになく強烈な吸血衝動が際限なく肉体と思考を蹂躙する。
ガチガチと歯を鳴らして、肩で息を吐くような有様であった。
「でも、今度は油断しないわ」
広々とした公園では睨むだけで攻撃できる彼女の方が有利だ。
このまま隠れて密かに公園の外に逃げようにも、物音を一つでも立てた瞬間。
周辺の草むらごと熱を奪われて蒸発してしまう確率の方が高い。
だから、なんとか息を殺して逃走する機会を探っていたが、
「まずは――――そうね。その素晴らしい逃げ足を潰してあげる…!!」
遠野秋葉の瞳が確かにボクを真っすぐ捉えていた。
月と街の僅かな明かりを除けば碌な照明がないにも関わらずこっちを見ていた。
反則だ――――息を殺して潜んでいたのに、まさか赤外線でも搭載しているのだろうか!?
そして、立ち上がりとにかく駆ける。
が、それよりもずっと早く彼女が纏っていた蜃気楼がゆらり、と動く。
「――――くっ!?」
ジュ、と焼けるような音と痛みが足首に走る。
身体が硬直しそうになったが、走る意思を無理やり足に伝え、地面を蹴る。
そのお陰か飛ぶというより飛翔する、といった言葉が似合う程の速度で走れた。
さらに足元から赤い髪が纏わりつこうとしたが、振り切る。
「この――――」
遠野秋葉の忌々しげな呟きが聞こえた。
が、こちらも正直厳しい。
「…いつっ!?」
脳髄の痛みがさらに激しくなる。
逃げることに集中することができない。
そして、あっさりと終わりを迎えた。
「つかまえた」
「なっ!?」
眼の前に赤い壁があった。
いや、これは遠野秋葉の能力である赤い糸でできたものであった。
最初からこちらに逃げることが読まれていた…っ!
「ああああぁぁぁぁ!!!」
地面に着地した足を回転させ、
踵でブレーキをかけるが間に合わず真正面から突っこんでしまった。
体温が奪われる痛みに苦しみ、口から絶叫が響く。
痛い痛い痛い痛い痛い!!!
熱が奪われてゆくというより身体が溶けてゆく。
足を止めたところでさらに赤い糸が身体に巻き付き無様に地面を這いつくばる。
時間感覚が失われ、どれだけ経ったかはわからない。
ただ、身体が溶けるような感覚しか感じられない。
五感が感じられず自分がどうなっているかすらも徐々に怪しくなってきた。
「ぉ……」
もしかするとこのまま、死んでしまうのか?
この世界で得た弓塚さつきとしての人生はここで終焉を迎えるのだろうか?
元より半ば借り物のような人生。
例え生き延びても吸血鬼として永き修羅の道を歩まねばならない――――ならばいっそ。
――――いや、こんな所で死んでたまるか!!
「あ、ああああああああああ!!!!」
地面に這いつくばっていたが、
足、腰、腕、の全身で地を蹴り、飛ぶ。
戦わねば生き残れない、ならば目指すはただ一人、遠野秋葉!
「この死に損ないが――――!!」
遠野秋葉はボクが襲いかかって来たのを見ると、
真っ赤に染めた赤い髪を真っすぐボクに突いて来た。
飛びかかるボク、そして地に足をつけて迎え撃つ彼女。
どちらが狙いやすく攻撃が当たりやすいかは自明の理であった。
赤い糸がボクの眼を貫こうとする。
1秒以下の刹那の時間の間に刻一刻と迫ってくる。
気休めだけど、身体を捻りそれ以上焼かれないようにして、
回転しつつ、爪を伸ばした手を彼女に向けて腕を大きく振り抜いた。
鮮血が舞った。
鋭い刃となったそれは、遠野秋葉の片腕を切り落とした。
こっちも片目が派手に焼かれて、たんぱく質が焦げた嫌な臭いが出た。
さらに、正面から遠野秋葉に突っこんだためお互いぶつかり2人して地面を転がった。
「う、ぐ…」
またもや公園で転がったせいで土まみれになってしまった。
視界は片方しか存在しなかったが、幸い感覚が相当麻痺しているのか痛くはない。
「げほ!!ごはっ、げほ、げほ!」
直ぐ近くで遠野秋葉が胸を押さえてせき込んでいる。
吸血鬼の力を全開にして真正面から衝突したから、もしかするとアバラ骨の何本かは折ったかもしれない。
おまけに片腕を一本ボクが切り落としたから、鮮血が地面を染めていた。
けど、ボクはその前に全身の熱を奪われ、
危うく蒸発させられかけた上に、片目が見えないし頭がクラクラする。
いくら吸血鬼の力で回復するとはいえ痛いものは痛いし動けないものは動けない。
このままだと、どっちが先に動けるかが勝負となるけど、意識が遠のく。
「……あ、あき、秋葉、なのか……?」
「え――――に、兄さん?どうしてここに!!?」
遠のいたが志貴が来たことで眼が覚めた。
※ ※ ※
そこはひどい有様だった。
草木は涸れ果て、周囲に破壊と殺意の惨状が残っていた。
そして、そんな場所の俺がよく知る2人。それもあり得ない組み合わせでいた。
「秋葉!!その腕はいったいどういうことだ。ここで弓塚と何をしていたんだ!!」
秋葉は公園の土を浴びたせいで全身埃まみれな上に、
黒く日本人形のように綺麗で長い髪はボサボサで、何時ものお嬢様のような清楚な姿をしていなかった。
おまけに片腕を欠落しており、血が絶え間なく地面を汚しているし他にも怪我があるようで顔色が悪かった。
「え、それは、その、いっ―――!」
「おっと―――おい、秋葉!秋葉!」
立ち上がれないのか地面に座り込んでいた秋葉が倒れる。
俺は慌てて秋葉に駆け寄ると倒れこむ寸前に受け止めることができた。
「秋葉、説明してくれないか。どうしてこうなったのか?」
「……………………」
秋葉は何も話さない、
ただ俺の胸元を掴んで潜るように顔を埋めたままだ。
「やっぱ志貴は主人公だね、こんな時に来てくれるなんて」
「弓塚!!おまえは大丈夫なのか!?」
対して弓塚も意識はあった。
けど、起きるのが辛いのか寝転がったままである上に、
よく見れば片眼が回復しつつあるとはいえ焦げていたし、全身に火傷を負っていた。
喧嘩なんてレベルじゃない傷を2人は負っていた。
てっきりロアが来たのかと覚悟していた俺はこの事態に正直俺は混乱している。
どうして二人が殺しあうような事態になったか聞かなければ…。
「え?」
そこまで考えた時点でふと気づくと、正面に誰かが立っていた。
今の視線だと影しか視認できなかったが、そのシェルエットは先輩やアルクェイドではないのはたしかであり。
「よぉ、志貴。久しぶりだな」
顔を上げれば過去と対面した。