漆黒の剣閃   作:ファルクラム

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第6話「狙撃手」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝都宮殿内。

 

 至高の存在である皇帝の住まう場所であり、帝国における政治、軍事、情報の中心となっているこの場所は、世界中のあらゆる美を凝縮したような、荘厳美によって埋め尽くされている。

 

 その中を覗き見た者は、あまりの美しさに、思わず目眩がする程だった。

 

 帝国で並ぶ存在の無い程の美しさを誇る宮殿。

 

 しかし、その内部は、腐臭がするほど醜い空気によって満たされていた。

 

 そしてこの日もまた、腐れた魂に飲み込まれた犠牲者が、闇へと落ちて行こうとしていた。

 

「内政官ショウイ。予の政策に口を出し、政務を遅らせた咎により、貴様を牛裂き刑に処す」

 

 幼く、あどけなさの残る声は、しかし、その言葉の意味すら分からぬまま、極限の残酷さを貫く。

 

 幼いからこそ、却って不気味な感すらあった。

 

 極刑を告げられた男は、その言葉を前にして絶望感を募らせる。

 

 男の名は、国内における政務を司る内政官の地位にある男で、名はショウイ。

 

 実直な性格で、また正義感も強く、多くの部下達から慕われる存在である。

 

 反乱軍(革命軍)と言う大きな内憂を抱えながらも、帝国の国政機能が異常なく動いているのは、このショウイの手腕によるところが大きい。

 

 だが、そんなショウイに、極刑の沙汰が下されていた。

 

 そして、ショウイに極刑を言い渡したのは、彼が至高の存在として仰ぎ、最高の忠誠を示し続けてきた皇帝に他ならない。

 

 玉座に座し、まるでゴミでも見つめるような目でショウイを見る皇帝は、今だ10歳程度の少年に過ぎない。

 

 しかし、彼こそが、この国における最大の権力者であり、言葉一つで国民を死に追いやる事も可能な存在である事は間違いなかった。

 

 ショウイは先日、皇帝に対し自身の信念でもって直言を行った。

 

 現在の、大臣偏重の政治体制を改め、より広く人材の登用を行うと同時に、民に対する負担を減らすために大幅な減税を行い、国としての在り方を改めるべきだ、と。

 

 この主張は傍から見ても当然の事である。

 

 今の帝国の政治は末期的な状況にある。

 

 一部の者達が特権を有して暴利をむさぼり肥え太る一方、地方の民は重税に次ぐ重税で痩せ衰え、餓死者まで出る始末。

 

 何より許されないのは、帝国上層部に、その事を憂慮する人間がほとんどいないと言う事実だった。

 

 国政を壟断する大臣は勿論の事、彼の息のかかった官僚たちも皆、飢える民の事など見向きすらしようとしない。

 

 中には「地方の民など何の役にも立たないクズばかり。せめて我々の為に奉仕して死ねるのだから誇りに思うべき」と言う事を公然と言っている者までいる。

 

 大臣派ではない政治家たちも皆、大臣の威光を恐れて口を閉ざしている。

 

 そんな中、ただ1人声を上げたのがショウイだった。

 

 彼は心の底から民を想い、また皇帝に対する溢れ出る忠誠心故に行動を起こしたのだ。

 

 このまま民の心が帝国から離れ続ければ、いずれ取り返しのつかない事になる。帝国は屋台骨から崩れ落ち、ひいては皇帝の身すら危うくしかねない。

 

 そうなる前に、誰かが勇気を持って行動を起こさなくてはならないのだ。

 

 出仕する前、ショウイは彼の妻に言った。

 

 皇帝陛下はまだ幼いが、こちらが真摯な気持ちで申し上げれば必ず判ってくださる。今は、誰かが勇気を持って行動を起こさなくてはならないのだ、と。

 

 だが、彼の勇気ある行動は、最低最悪の形で報われる事となった。

 

 牛裂き刑とは、その名の通り、罪人の四肢をそれぞれ紐で縛り、その紐の両端を牛にくくり付け、四方へ一斉に引かせるのだ。

 

 牛は歩みが遅いため、初めはゆっくりと進んで行く。

 

 しかし、やがて限界に達した紐はピンと張りつめ、徐々に罪人の体を引っ張り始める。

 

 勿論、人間一人の力が牛四頭に敵う筈も無く、如何に抵抗しようとも牛の歩みは止まらない。

 

 やがて激痛と共に、体は引き裂かれていき絶命に至ると言う訳だ。

 

 牛の歩みの遅さと相まって、身体が引き裂かれる激痛と恐怖が罪人を長く苦しめる事から、最も残酷な処刑方法の一つでもある。

 

 臣下の最大限の忠誠に対する、それが皇帝の下した回答であった。

 

「これで良いのであろう、大臣?」

 

 問いかける皇帝に対して、

 

 「それ」は玉座の陰から、ヌッと姿を現した。

 

 通常の人間の4倍はありそうな巨体を揺らし、手には食い掛けの肉を持ちながら現れた男こそ、帝国の国政を牛耳る男、現大臣オネストに他ならない。

 

「ヌフフ、お見事です。まこと陛下は、名君であらせられますな」

 

 持ち上げるように言いながら、肉を貪り食う大臣。

 

 とても、人一人、それも国政を憂い、勇気を振り絞った人間に無慈悲な処刑を言い渡した場とは思えない。

 

 まさに、人の忠誠を土足で踏み躙る光景だった。

 

 ショウイは唇をかみしめると、尚も諦めきれずに言い募る。

 

「陛下!! 陛下は大臣に騙されておられます!! どうか・・・・・・どうか民の声に、耳をお傾けください!!」

 

 自分はどうなっても良い。

 

 この場で処刑されても構わない。

 

 だが、それでも、

 

 この命を賭してでも、この国を、皇帝陛下を正さねばならない!!

 

 ショウイの切実な思いを、

 

 しかし皇帝は一寸たりとも心動かされる事無く、無感動のまま大臣に目をやる。

 

「おい大臣、奴はあんな事を言っているぞ」

「気が触れたのでございましょう」

 

 対して、大臣はにこやかに告げる。

 

 まるでショウイの忠誠など、その辺に転がるゴミクズ程度にしか考えていない様子だ。

 

「うん! 昔からお前の言う事に間違いは無いものな!!」

 

 それに対し、皇帝も無邪気に頷きを返す。

 

 オネストは皇帝が就任する際、ありとあらゆる手練手管を尽くし、彼を担ぎ上げている。その為、皇帝の彼に対する信認は絶大な物がある。

 

 また、それが判っているオネストもまた、皇帝に対して耳障りの良い言葉を吐き続けている。

 

 その為、今や皇帝は、オネストと彼に同調する臣下の言葉以外は、殆ど耳に入らなくなってしまったのだ。

 

 まさに絶望的で、そして末期的な有様だった。

 

「ショウイ殿、悲しいお別れです」

 

 オネストが冷ややかな声で告げると、控えていた近衛兵2人が、儀仗でショウイを打ち据え取り押さえる。

 

 くぐもった悲鳴を上げるショウイ。

 

 それでも、最後の力を振り絞って顔を上げる。

 

「陛下ァァァ!! このままでは帝国1000年の歴史が!!」

 

 だが、

 

 その言葉を遮るように、オネストはショウイと皇帝との間を塞ぐようにして座り込むと、倒れているショウイの顔を覗き込んできた。

 

「ショウイ殿。残された、あなたの美しい細君は私にお任せください。面倒を見て差し上げますよ。隅々まで、ね。ヌフフフフフフ」

 

 その言葉を聞き、

 

 ショウイの心は絶望の奈落へと落ちていく。

 

 やがて、近衛兵がショウイを連行していく。

 

 これが、この国の現状である。

 

 苦しむ民を顧みる事無く、只々、自分達の快楽のみを追い求め、そして、それが当然の事として誰も咎めようとしない現実。

 

 何より、幼い皇帝が、現実の正邪も判らず、大臣を盲信している。

 

 誰かが変えなくてはならない。

 

 だが、

 

 未だにその兆しは、見えて来る事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木剣を構えたタツミが地を蹴って斬り掛かる。

 

 その先で待ち構えるブラートは槍を構え、斬り込んでくるタツミを迎え撃つ。

 

「だァァァァァァァ!!」

 

 剣を振り翳すタツミ。

 

 その刃がブラートへと迫り、一気に斬り掛かる。

 

 迸る剣戟。

 

 対して、ブラートは迫るタツミの剣を槍の柄で弾き、逆に刃を繰り出す。

 

 空中にあるタツミに、回避のしようはない。

 

 だが、

 

 タツミは一瞬身を捻りブラートの槍を回避すると、そのまま着地する。

 

「まだ、まだァ!!」

 

 着地と同時にタツミは地を蹴って再び疾走。身体を低くして斬り掛かる。

 

 繰り出される連撃。

 

 対して、

 

「フッ」

 

 ブラートは口元に笑みを浮かべると、自身も槍を振るってタツミの攻撃に応じる。

 

 互いの刃が、凄まじい勢いで交錯する。

 

「今日は負けねえぞ、兄貴!!」

「おうッ その意気だぜ、タツミ!!」

 

 更に攻撃速度を上げる両者。

 

 一瞬の隙を見て、ブラートが仕掛ける。

 

 する上げるような一閃が、タツミの木剣をすり上げる。

 

 だが、

 

 タツミは勢いに逆らわず空中に飛び上がると、そのまま後方宙返りを行いつつブラートの攻撃を回避、着地と同時に顔を上げる。

 

 その瞳が、鋭く輝く。

 

「今だ!!」

 

 ブラートが隙を見せた一瞬で距離を詰めるタツミ。

 

 飛び込むと同時に、横薙ぎに繰り出される木剣。

 

 ブラートは未だに槍を振り切った状態で硬直している。

 

 タツミの攻撃が決まるか?

 

 そう思った次の瞬間、

 

 ドゴォ

 

「うがっ!?」

 

 とっさに槍を放したブラートの拳がタツミの顔面に決まり、大きく吹き飛ばされた。

 

 そのまま地面をゴロゴロと転がり倒れ込む。

 

「俺に槍を放させたのはなかなかだが、まだまだ甘いな。もっと相手の事を観察しろ。敵は型通りの攻撃を仕掛けてくる訳じゃないんだぜ」

「クソッ やっぱ強ぇな、兄貴は」

 

 起き上がるタツミ。

 

 幼いころから体を鍛え、剣術を学んできたタツミだったが、やはりまだ《ナイトレイド最強》には敵わないらしかった。

 

 だが、一方でブラートは、タツミの持つ可能性に、久々に自分の中にある武人の血が騒ぐようだった。

 

 確かに、タツミはまだまだ粗削りな部分が多い。

 

 しかし、現状でもブラートの攻撃に追随できるだけの力を秘めている。

 

 これからも修行を続け、より洗練された動きができるようになれば、いったいどれほどの強さを得られるか、ブラートですら想像できなかった。

 

 将来がこれ程楽しみな逸材を、ブラートは見た事が無かった。

 

 それはさておき、

 

「さてタツミ。怪我したところを治療してやるぞ。大丈夫、俺が手厚く看護してやるぜ」

「・・・・・・い、いや、遠慮しておくよ」

 

 呆然としながら、ブラートの麗しい申し出を謝辞するタツミ。

 

 ホモ疑惑言動も相変わらず全開だった。

 

 

 

 

 

 揺るがぬ視線は、全ての雑音を排除して研ぎ澄まされる。

 

 シノンはシェキナーを引き絞り、彼方にある的に集中している。

 

 的はかなり小さく、シノンがいる位置からでは胡麻粒以下にしか見えない。

 

 だが、これでもまだ足りないくらいだ。

 

 射撃武器の命は、何と言っても射程である。

 

 そもそも、武器の進化とは、概ね「射程距離」に比例している。

 

 素手で強い人間がいたなら剣を持ち、剣の達人がいれば槍を持ち、槍に長けた人間がいたら弓を使い、弓で強い人間がいたら銃を持ち、銃の名手がいれば大砲を撃つ、と言った具合に。

 

 これは、力の弱い人間が強い人間を倒す際に辿った必然であり、どんな強い人間であっても、その攻撃が当たらない距離から攻めれば、弱い人間であっても勝機があると言う訳である。

 

 ただ、逆説的に考えれば、達人であればある程、逆に武器は短い方が有利となる。武器を持つと言う事は、それだけスピードも落ちるし、重量がある武器なら振るった際の遠心力も半端な物ではない。達人であれば、その間に懐に飛び込む事もできる。

 

 シノンはタツミのように、武芸に通じている訳ではなく、身体能力も並みの人間と変わらない。

 

 必然的に、バトルスタイルは遠距離戦一極に絞られる。

 

「目で見て狙うんじゃなく、飛んでいく弾道をイメージしなさい。目をつぶってでも的に当てられるくらいじゃないと、実戦じゃ役に立たないわよ」

 

 シノンの背後に立ったマインが、そう言って指導する。

 

 同じ射撃武器を使う人間として、マインはシノンの訓練に付き合っているのだ。

 

「シェキナーの使い手は百発百中だったて言うからね。それくらいになれれば上等よ」

「うん」

 

 マインの言葉に頷いた瞬間、

 

 シノンは光矢を解き放つ。

 

 唸りを上げて飛翔する矢は、一瞬にして目標へ到達。

 

 次の瞬間、矢は的を捉えて粉砕した。

 

「よしッ」

 

 力を抜き、弓を降ろすシノン。

 

 特訓の成果は着実に現れ始め、シノンの腕は着実上がり始めていた。

 

 その様子を見てマインも、満足したように腕組みをして頷く。

 

「ん、上出来よ。今の感覚、覚えておきなさい」

 

 実際、今の狙撃はマインの目から見ても、充分に合格点をあげる事ができるだろう。これからの戦いにおいて、シノンは充分に狙撃手としてやって行けるだろう。

 

 対して、会心の結果を示す事が出来たシノンも、そう言ってマインへ笑い掛ける。

 

「師匠の腕が良いからよ」

「ま、当然ね」

 

 そう言うと、少女2人はクスクスと笑い声をあげる。

 

 実際、同じ射撃系武装を使う者として、マインがシノンにできる指導は多い。マインの実際的な指導の元、シノンは急速に成長を続けていた。

 

 この先、革命軍が行動開始する日まで、ナイトレイドを取り巻く環境は常に孤立無援である事が予想される。

 

 それを考えれば、シノンとマイン、射撃系の武装を持つ存在が示す役割は大きい筈だった。

 

 と、そこへ黒髪を風になびかせながら、アカメがやってくるのが見えた。

 

「マイン、シノン、戻ってくれ。アルゴが来ている。次の仕事の依頼だそうだ」

「うん、判った」

「いよいよね」

 

 かなてより、アルゴに頼んで内偵調査を続けていた案件が固まったらしい。

 

 今回は聊か難しい任務になる筈なので、ナイトレイド独自の情報収集の他に、アルゴにも協力を頼んで入念に準備を進めていたのだ。

 

「あれ?」

 

 そこでふと、シノンは何かに気付いたように足を止めた。

 

「そう言えば、キリトは?」

 

 見回してみても、訓練場内に片手直剣使いの少年の姿は無い。確か、一緒に訓練をすると言っていた筈なのだが。

 

 訝るシノンに、マインは呆れ気味に肩を竦めた。

 

「キリトなら、ここにはいないわよ」

「キリトはいつも、1人で山の方で訓練をしているんだ」

 

 2人の説明を聞いて、シノンは頷きつつ山の方に目をやる。

 

 こんな立派な訓練場があるのに、なぜ1人で訓練などしているのか?

 

 ふと思い立ち、口を開く。

 

「あいつの事だから、もしかしてサボっているとかなんじゃないの?」

「いや、そんな事は無いぞ」

 

 疑うようなシノンの言葉に対し、しかしアカメは首を振って否定した。

 

 付き合いという意味では、シノンよりもアカメ達の方がキリトとの付き合いは長い。それを考えれば、キリトの性格をより深く把握できていて当たり前であった。

 

 更にマインも、腕を組みながら頷いた。

 

「あいつは格好付けだからね。何でもかんでも人の目の付かない所でやろうとするのよ」

「・・・・・・ふーん」

 

 呟くように言いながら、シノンはもう一度、山の方に目をやった。

 

 

 

 

 

 その頃、キリトは木立の間に立ちながら、右手に持ったエリュシデータを構えていた。

 

 先日のザンクとの戦い。

 

 実力的には伯仲していたと言うのに、帝具の差で危うく押し切られそうになった。エリュシデータの能力を使わなかったら危ない所であった。

 

 勿論、帝具使い相手に帝具無しで勝てる人間など、そうはいないだろう。帝具には帝具、これは常識である。

 

 だが、戦いになっても、可能な限り手の内は隠したい、と言うのがキリトの考えである。勿論、いざとなれば仕様を躊躇う気は毛頭無いが、それでも敵に与える情報量はできるだけ少ない方が良い。

 

 それを考えれば、先の戦いは失敗だった。

 

 一歩、前へと出る。

 

 次の瞬間、大上段に振りかぶった剣を勢いよく振り下ろす。

 

 更に、振り切った剣を、今度は擦り上げるように繰り出すと、続けて3撃目の振り下ろしを繰り出す。

 

 そして、トドメとも言うべき一撃を振り抜いた。

 

 剣の軌跡が正方形(スクエア)を描く中、キリトは残心を示すように動きを止めた。

 

 バーチカルスクエアと呼ばれる、高速四連撃。

 

 本来はエリュシデータの能力アシストによって可能になる技だが、今はアシスト無しで繰り出した。

 

 当然、威力と速度はアシスト有りの状態に比べて劣る訳だが、技を繰り出す際の癖は体に染みついて居る為、型をなぞる事は可能だった。

 

 実戦でも十分に通用するレベルだが、それでもやはり、ザンクのような強敵に対抗するには、まだまだ力不足は否めなかった。

 

「・・・・・・もっと、強くならないとな」

 

 これから現れる敵が帝具を繰り出してくる可能性は充分に考えられる。それに対抗するためには、こちらも帝具の能力ばかりに頼り切るのでは足りない。何より、キリト自身が充分な強さを得る必要があった。

 

 枝を踏む音が背後から聞こえてきたのは、その時だった。

 

 殺気は感じない。恐らく、ナイトレイドの誰かだろう。

 

 そう思って振り返ると、水色の髪をした少女が、ネコ科の動物を思わせる瞳をこちらに向けて来ていた。

 

「あ、ここにいたんだ」

「シノン、どうしたんだ?」

 

 キリトはエリュシデータを背中の鞘に収めながら振り返る。

 

 自分がこの場所に居る事はアカメ達に伝えてある為、彼女達に場所を聞けば、キリトの居場所の見当くらいは付けられるだろう。

 

 しかしまさか、シノンがここまで来るとは思って無かったのだ。

 

「どうかしたのか?」

「アカメが、アルゴさんが来てるから、すぐ戻れって」

 

 その言葉を聞いてキリトは、ああ、と頷きを返す。

 

 アルゴが今日、収集した情報を携えてアジトに来る事は事前に聞いて知っていた。何でも、今回の相手は少し難度が高いミッションになるらしい。

 

 そのアルゴが来たと言う事は、いよいよ仕事に掛かる訳である。

 

「判った、すぐ行くよ」

 

 そう言うとキリトは、手早く後片付けをすると、アジトへと足を向ける。

 

 と、そこでシノンが声を掛けて来た。

 

「ところであんた、何でわざわざこんな場所で、しかも1人で訓練なんかしてんのよ」

「べ、別にいいだろ。趣味だよ、趣味」

 

 自分で言っておいて何だが、なかなか苦しい言い訳だとは思う。

 

 案の定、シノンはジト目になってキリトを睨んで来た。

 

「暗い奴」

「グッ・・・・・・・・・・・・」

 

 ボソッと言われたシノンの言葉に、キリトはぐうの音も出なかった。

 

 実際、本来の理由を考えれば、暗いと言われても仕方がない面も確かにある。

 

「ほ、ほら、アルゴが来てるんだろ。早く行こうぜ」

「あ、ちょっと待ってよ」

 

 そう言ってすたすたと歩きだすキリト。

 

 シノンは、慌てて追いかけようと歩き出す。

 

 と、その時、シノンの足が枝に引っ掛かり、少女の体は大きくよろけた。

 

「キャッ!?」

 

 倒れそうになるシノン。

 

 だが、無様な顔面ダイブを決める直前、その体は黒いコートに包まれた腕に支えられた。

 

「おいおい、気を付けろよ。この辺、足元が悪いんだから。まあ、だから俺は訓練場所に選んだんだけど」

「あ、う、うん・・・・・・」

 

 見れば確かに、地面から突き出した木の根や岩がそこかしこに散見し、見るからに足場が悪い。注意して歩かないとすぐに足を引っかけてしまいそうだった。

 

 キリトとしては、こういう足場の悪い場所で敢えて訓練する事で、実戦における状況判断力を養っているのだ。

 

 と、

 

「ちょっと、いつまで抱いてんのよ」

 

 不機嫌そうに声を上げるシノン。

 

 見れば、キリトは未だに倒れそうになったシノンを支えたまま、彼女の体に手を掛けている。

 

 少し慌てたように体を放す始シノン。

 

 そのまま、スタスタとアジトの方へと歩いて行ってしまう。

 

 1人、取り残される形となってしまったキリトは、訝るように首をかしげる。

 

「・・・・・・俺、何も悪くないよな?」

 

 呟くひとり言に、帰る言葉は当然無い。

 

 そこで、先を歩くシノンを、慌てて追いかける。

 

 が、慌てていたせいで足元の木の根に足を引っかけてしまい、盛大に地面にダイブする羽目になるのだった。

 

 

 

 

 

 アジトの会議室に戻ると、ナジェンダに向かい合う形で、フードを被った小柄な女性が既に来ており、ラバックが淹れたお茶を飲んでくつろいでいた。

 

「ようキー坊にシノっち、お邪魔してるゼ て、キー坊、その顔どうした?」

 

 そう言うと、手を上げて挨拶してくるアルゴ。しかし、キリトの顔がすりむけている事に気付くと、怪訝そうに首をかしげる。

 

「いや、ちょっと修行でな。いやー激しい修行だったぜ」

 

 そう言ってごまかすキリト。実際には、さきほど盛大にこけた時の傷である。

 

 一人、真相を知っているシノンは、そっぽを向いて笑いを堪えている。

 

 そのシノンを、横目でにらみ付けるキリト。無性に、少女の頭をはたいてやりたい気分だった。

 

 と、そこで、このままでは話が進まないと感じたのか、割って入るようにナジェンダが口を開いた。

 

「わざわざ遠い所まですまないな、アルゴ」

「何の何の、上得意様の為ナラ、この程度の事は苦にならないヨ、ナーちゃん」

 

 そう言って、アルゴはカラカラと笑って手を振る。

 

 帝都一の殺し屋集団を率いるボスですら、アルゴに掛かれば友達扱いである。

 

 もっとも、ナジェンダ自身はフレンドリーなアルゴの態度について、特に気にする様子も無く、隻眼に笑みを浮かべているで問題は無いのだが。

 

「それで、アルゴ」

 

 自分の席に着いたキリトは、先を促すようにアルゴを見ながら口を開いた。

 

「標的の情報は、どうなんだよ?」

「勿論、完璧だヨ」

 

 そう言うと、アルゴは持って来た荷物の中から、自身の集めた情報について記した書類を取り出す。

 

 今回の標的は、イヲカルという貴族になる。

 

 現大臣オネストの遠縁にあたり、その権威をかさに着て不当な暴利をむさぼる一方、女性を拉致しては、己の趣味である拷問に掛けてなぶり殺している。

 

「遠縁と言っても、大臣との交流は殆どと言って良いくらいに無い小物ヨ。けど、遠縁でも縁は縁カナ、屋敷はちょっとした宮殿並みの警護が敷かれ、直接の護衛には皇拳寺で修行した連中が付いているヨ」

 

 アルゴの言葉を聞いて、ナイトレイド達は一斉に息を呑んだ。

 

 皇拳寺、それは帝国最大の拳法寺である。

 

 人知を超えた肉体、および精神修養によって武芸百般を磨く事を旨とし、そこで修行した者達は凄まじい格闘戦技を身に着けると言う。

 

 特に戦闘力に秀でた者達は「羅刹」とまで呼ばれ、生身で帝具使いに対抗できるらしい。

 

「厳重な警戒の上に皇拳寺出身者の護衛ですか。厄介ですね」

「こりゃ、潜入して直接ってのは難しいな」

 

 険しい顔のシェーレの言葉に、レオーネも同調したように頷く。

 

 こちらは闇にまぎれて動く身。無理な力攻めができる状況ではない。

 

 あくまで闇にまぎれて動き、標的を仕留めたなら速やかに退く。他者の目に触れないように動くのが基本だった。

 

「やるとしたら、狙撃しかない。屋敷の外から、標的が出て来た所を狙い撃ち、確実に仕留めるのだ」

 

 ナジェンダの言葉に、皆が異存なく頷きを返す。今回の作戦は、それがベストの選択であった。

 

「決まりだな、じゃあ、今回はマインちゃんがメインって事か」

 

 ラバックの言葉を受け、一同の視線がマインに向く。

 

 確かに、狙撃ならパンプキンの独壇場である。ここは経験のあるマインが適任だろう。

 

 だが、

 

「ちょっと待った」

 

 そう言って皆を遮ったのは、当のマイン本人だった。

 

 皆の意見がピンクの少女に集中する中、マインは真剣な眼差しで言った。

 

「今回の任務、あたしはシノンに任せて見たいと思うんだけど、みんなはどう思う?」

 

 そのマインの言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。

 

 確かに、シノンの腕の上達ぶりは皆が知っているが、それでも、今回の任務はリスクが大きすぎる気がした。

 

 下手をすれば任務が失敗し、相手の反撃を受ける可能性すらある。その状況下で実戦経験の無いシノンの投入には異議がある事は否めなかった。

 

「ちょ、ちょっとマイン、私は・・・・・・」

 

 当のシノン本人もまた、戸惑いがちにマインを引き留めようとする。

 

 ナイトレイドの仕事は失敗が許されない物。それを、自分のような経験の薄い者がやるべきではない。

 

 だが、そんなシノンに、マインは笑い掛ける。

 

「大丈夫。あんたはもう、充分に腕を上げているわ。自分を信じなさい」

「マイン・・・・・・・・・・・・」

 

 言いかけた言葉を、シノンはあえて飲み込む。

 

 少女の中で、意志が固まり始めていた。

 

 ここ数日、付きっきりで指導してくれたマインここまで言われた以上、腹をくくらない事には申し訳なかった。

 

「判りました。私にやらせてください」

 

 ナジェンダを真っ直ぐに見据えて、シノンは言う。

 

 その瞳には、もはや迷いは無かった。

 

「よし、標的担当はシノン。他の皆は、追ってくる護衛達の追撃に備えろ」

 

 言ってから、ナジェンダはキリトに目を向ける。

 

「キリト、お前はまたシノンの護衛だ。万が一、相手が追撃を掛けてきた場合、お前が対処しろ」

 

 その言葉を受けて、キリトとシノンは互いに顔を向き合わせる。

 

「よろしく」

「・・・・・・よろしく」

 

 片や笑みを浮かべて、片や渋面を作って互いに言葉を交わすキリトとシノン。

 

 そんな二人を横目に、ナジェンダはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「行くぞお前達。民を苦しめる外道に、鉄槌を下してやれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗がりの中で、そこだけは昼間のような明るさを保っている。

 

 いったいどれだけの金をつぎ込めば、あれだけの家を建てる事ができるのか? 今の帝国では、たとえ帝都であってもあれだけの家を持つ事は容易な話ではない。

 

 ただ貴族と言うだけで莫大な金を貯め込み、利益を独占しているからこその芸当だろう。

 

 イヲカルと言う人物が、どういう類の人間であるかが伺い知れる光景だった。

 

「やっぱり駄目だ。狙撃できそうなポイントはここだけだったよ」

 

 大木の枝の上で待機していたシノンの元へ、周囲の見回りを終えたキリトが戻ってきた。

 

 今回、他のメンバーは、シノンの狙撃後に行われるであろう敵の追撃を断つ任務に就いているが、キリトはシノンの直接的な護衛に入っている為、彼女の狙撃のサポートも同時に行っていた。。

 

 狙撃手は距離を置いている分には存分に強さを発揮できるが、ひとたび懐に潜り込まれると弱い。そこを補うのがキリトの存在と言う訳だ。

 

「充分よ、ここからなら、部屋から出て来た所を狙い撃てるし」

 

 確かに。

 

 この場所はアルゴの情報にあった、イヲカルの私室を正面に捉えている。正に、狙撃する為にあつらえた場所のようだ。

 

「けど、まだだいぶ距離があるな」

「問題無い。この程度なら、ね」

 

 そう静かに言い放つと、

 

 シノンは目をスッと細める。

 

 同時に、周囲の音を全て遮断。意識を屋敷内の一点に絞る。

 

 そのシノンの集中ぶりに、キリトは思わず息を呑んだ。

 

 マインも狙撃をする時はそうだが、仕事に入る際の狙撃手の集中力には凄まじい物がある。まるで、それ自体が一個の石像であるかのように微動だにせず、視線はただ標的の動きだけを求めて光を放つ。

 

 キリトも長く戦い続けているが、これ程の集中力を発揮できる自信は無い。

 

 まして、それが殺し屋を始めたばかりの少女である事を考えれば、戦慄にすら値した。

 

 やがて、

 

「出てきたわよ」

 

 シノンの言葉に弾かれるように、双眼鏡を屋敷へと向けるキリト。

 

 そこには、多数の女どもを侍らせた標的、イヲカルの姿があった。

 

 縮れた髪に、小太りの体、苦労を全く知らずに育ったようなゆるみきった顔は、人相書きにあった顔に間違いない。

 

「随分と良い御身分だな。あんなに女の子侍らせて」

「あんた、あんなのが良い訳?」

「冗談。ただ言ってみただけ」

 

 茶化すキリトに嘆息しつつ、シノンは再び集中する。

 

 標的は女たちに囲まれた状態であり、直接狙うのはかなり困難だ。

 

 だが、

 

「問題無い・・・・・・・・・・・・」

 

 呟くと同時に、

 

 シェキナーの能力を起動させる。

 

 次の瞬間、

 

 狙撃に必要な様々なデータが、シノンの網膜内に映し出された。

 

 標的までの距離、移動速度、方向、風向、風速などのデータが数値化され、情報となってシノンに与えられる。

 

 更に、

 

 シノンの瞳には、イヲカルの姿が拡大して映し出される。

 

 これがシェキナーの能力。「スコープ・アイ」。狙撃に必要なデータを使用者に与えると同時に、標的を拡大照準する事が可能となる。

 

 シノンの目には、イヲカルの緩み切った顔が拡大して映し出される。

 

 その顔を見詰めながら、

 

 シノンは光矢を解き放った。

 

 一瞬にして駆け抜ける閃光。

 

 狙われた本人は、何が起きたのかすら理解できない事だろう。

 

 次の瞬間、

 

 その一撃は、

 

 周囲の女性たちを避け、見事にイヲカルの額を撃ち抜いた。

 

 のけぞりながら吹き飛ばされるイヲカル。

 

 そのまま、背後にゴロゴロと転がっていき、やがて壁にぶつかって動かなくなった。

 

 標的抹殺完了。ミッションコンプリート。

 

 正に、非の打ちどころがない見事な狙撃だった。

 

「お見事」

 

 状況を確認したキリトが、手放しの賞賛を送る

 

 事実上、シノンの初陣となった仕事だが、その狙撃には危なげなところが全く無かった。

 

「よし、それじゃあ、合流地点に行こうぜ」

「ん、了解」

 

 主が殺された以上、護衛達も動き始める事だろう。

 

 敵も狙撃手のだいたいの位置は把握しているだろうから、この場所はすぐに特定されてしまう。

 

 急いでこの場を離れ、合流地点へと行く必要がある。

 

 シノンもシェキナーを素早くケースにしまうと、立ち上がってキリトに続き歩き出した。

 

 

 

 

 

 その頃、

 

 闇にまぎれるようにして、疾走する6体の影があった。

 

 皇拳寺の拳法胴着に身を包んだ彼等は、イヲカルの護衛を務めていた者達である。

 

 普段はイヲカルのおこぼれに預かり、連れ去って来た女性をいたぶる事にまい進している彼等は、この日起きた事によって、一転して窮地に追い込まれていた。

 

 まさか、屋敷内でイヲカルが殺されるとは思っても見なかった。護衛達にとっては、あってはならない大失態である。

 

「急げッ 必ず捕まえるんだ!! 賊を取り逃がせば、我々が大臣に殺されるぞ!!」

 

 遠縁とは言え、イヲカルはオネスト大臣の縁者である。それが殺されたと言う事は、オネスト大臣の名誉が傷つけられた事を意味する。

 

 何としても賊を捕まえ、せめて名誉の回復を図らなければ、失態を押し付けられて自分達が処刑場に送られる事は火を見るよりも明らかだった。

 

 駆け抜ける護衛達。

 

 だが、

 

 その前を遮るように、人影が現れた。

 

「はいはーい、ご苦労さん。悪いけど、ここで行き止まりだよ」

 

 不敵な笑みと共に、指の骨を鳴らすレオーネ。

 

 同時に、待ち構えていたナイトレイド達は、一斉に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 イヲカル暗殺と言う重要任務を終えたキリトとシノンは、足元の悪い裏道を通り、合流場所である丘の上の一本桜までやって来た。

 

 この場所は標的の屋敷からもある程度距離が開いており、更に判りやすいポイントである事から、合流場所に指定されたのだった。

 

「みんなは、まだみたいだな」

「そうね、もう少し待ちましょう」

 

 そう言うとシノンはシェキナーを入れたケースを木の幹に置くと、そのまま幹に寄り掛かって座り込んでしまった。

 

「お、おいシノン、大丈夫か?」

「大丈夫・・・・・・ちょっと疲れただけ」

 

 そう言うと、シノンは大きく息を吐く。

 

 帝具の能力を使うと、程度の差こそあれ、相当な体力と精神力を消耗する。慣れないシノンの消耗が半端な物ではない事は予想できたことである。

 

 まして、シノンは今回が事実上の初陣である。ストレスと相まって、精神疲労が半端な物でない事は充分に予想できた。

 

 そんなシノンに、キリトは笑い掛ける。

 

「君はゆっくり休んでろ。あとは、俺がやっておくから」

「え、キリト?」

 

 顔を上げて訝るシノン。

 

 まるで、まだ終わっていないかのようなキリトの言葉に、違和感を覚えたのだ。

 

 それに対して、キリトはシノンへは振り返らずに、背中のエリュシデータへと手をやる。

 

 そこへ、藪をかき分けるようにして、道着を着た男が近付いて来るのが見えた。

 

 見覚えがある。確か、皇拳寺に所属する者が着る道着だ。

 

「やはりこっちにいたか。我ながら冴えてるぜ。流石は、10年前は師範代ってところか」

 

 自画自賛するように言いながら、拳を構えてキリトと対峙する。つまり、イヲカルの護衛の一人と言う事だ。

 

 仲間達とは別に、独自の判断からキリト達を追撃して来たのだ。

 

 対してキリトも、いつでもエリュシデータを抜けるように構える。

 

「皇拳寺で師範代までやってた奴が、今じゃ外道の護衛役か。随分と落ちぶれたもんだな」

「悪さして破門されちまってね。まあ、あんなクソつまらん場所、あれ以上いるのはこっちから願い下げだったがね」

 

 相手の返事を聞きながら、キリトは斬り込むタイミングを計る。

 

 強い。

 

 対峙して分かった。

 

 腐っても、皇拳寺で師範代を務めていたと言うのは伊達ではないのだろう。対峙した男は、かなりの実力者である事が体の動きから伺えた。

 

「生きたまま捕えて大臣に突き出してやる。覚悟しろ」

「そいつは勘弁願いたいな」

 

 元師範代の言葉に、キリトは軽口で応じる。

 

 そんなキリトの背中を、シノンは不安そうに見つめる。

 

「キリト・・・・・・・・・・・・」

 

 大丈夫だろうか? 自分も掩護に入った方が良いのではないだろうか?

 

 そんな事を考え、シェキナーに手を伸ばそうとするシノン。

 

 だが、大してキリトは、安心させるようにシノンに笑い掛ける。

 

「大丈夫だ。君は俺が守る。必ず」

「え・・・・・・・・・・・・」

 

 その笑顔に、僅かに顔を紅潮させるシノン。

 

 次の瞬間、

 

 両者は同時に地を蹴って駆けた。

 

 疾走しつつ、エリュシデータを抜刀するキリト。

 

 突撃の勢いそのままに、相手に袈裟懸けに斬り掛かる。

 

 だが、

 

「遅いッ!!」

 

 元師範代はキリトの剣の軌道を見切り、僅かに身体を傾けて回避。同時に拳を繰り出して攻撃を仕掛けてくる。

 

 思った通り、速い。

 

 修業を積んだ拳法家らしく、無駄を極力排した素早い動きでキリトに対抗してくる。

 

 素早く繰り出される拳撃。

 

 その動きを見極めたキリトは、一瞬、身体を低くして回避行動を取ると、今度は地面すれすれから剣を擦り上げるようにして繰り出す。

 

 上昇するように斬り上げられる、漆黒の刃。

 

 だが、

 

「おっとッ!?」

 

 その一撃を、のけぞる事で回避する元師範代。

 

 その口元には、笑みを浮かべる。

 

 元師範代は、勝利を確信していた。

 

 キリトの動きは、それなりに熟練しているものの、自分に追随できるような物ではない。

 

 この男をボコボコに殴り倒して、後ろの女と一緒に大臣に引き渡せば、大手柄は間違いなかった。

 

『いや、待てよ』

 

 シノンの姿を見ながら、元師範代は嫌らしい笑みを浮かべる。

 

 どうせ女は、大臣に逆らった咎で処刑されるだろう。ならば、引き渡す前にそれなりに楽しませてもらうのも面白かった。

 

 見れば水準以上の美少女である。いたぶってやれば、どんな顔で泣き叫ぶのか楽しみである。

 

「さあ、死ねや!!」

 

 拳を振り上げる、元師範代。

 

 対して、

 

「おい」

 

 キリトは低い声で、囁くように言う。

 

「なに、うちのお姫様に色目使ってんだ」

 

 次の瞬間、

 

 満を持して、エリュシデータの能力を発動する。

 

 キリトはこのタイミングを待っていたのだ。能力を使って、一気に勝負を決する事ができるタイミングを。

 

 鋭さを増す剣閃が、一気に振り下ろされる。

 

「ぬおッ!?」

 

 その動きに対応しきれず、身体を斬り裂かれる元師範代。

 

 その体が袈裟懸けに斬り下ろされる。

 

 舞い散る鮮血。

 

 しかし、

 

「まだ、だァッ!!」

 

 まだだ。

 

 まだ、こんな所で終わってたまるか!!

 

 最後の足掻きとばかりに、残る力を振り絞って拳を振り上げる。

 

 だが、キリトの攻撃も、まだ終わっていなかった。

 

 エリュシデータの刃を返すと、全力で斬り上げを行う。

 

 鋭い2連撃が、V字に元師範代の体を斬り裂いた。

 

「バーチカルアーク・・・・・・」

 

 低い呟きと共に、キリトは剣を数度振り回し、背中の鞘へと納める。

 

 それと時を同じくして、元師範代の体も地面に倒れ伏した。

 

「すごい・・・・・・・・・・・・」

 

 強敵を一瞬で倒したキリトの剣に、シノンが思わず感嘆の声を漏らす。

 

 対して、キリトは口元に微笑を浮かべる。

 

「言ったろ。君は必ず守るって」

 

 そう告げるキリトに、シノンは何となく、ぎこちない笑みを返す。

 

 やがて、他の護衛も始末したらしい仲間達の声が聞こえてくる。

 

 どうやら、向こうの戦いも無事に終わったらしかった。

 

 

 

 

 

第6話「狙撃手」      終わり

 


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