中途半端に降ろしたスクロールの隙間から日差しが差し込む。その光は的確に俺の目を捉え、半ば強制的に意識を覚醒させる。
「いてっ」
いつもと違って壁側に詰めて寝ていた俺は、左に寝返りを打つと案の定、壁に鼻とデコをぶつけた。
「ん~~~・・・よっ、ほっ」
腰を左右に捻ってボキボキと骨をならす。これは俺の癖。
エイブリーはまだ寝ているのか、と思い彼女が寝ていた、ベッドの右側に視線を向ける・・・が、
「・・・あれ?」
そこにいるであろう人物はいなかった。布団を見ればついさっきまでそこにいたのは確かなのだが、肝心の本人は部屋を見渡しても見当たらない。用を足しているのかと思ってトイレを見てみるも、やはり彼女はいなかった。
「一体どこに行ったんだ・・・?」
俺はエイブリーの身に何か起こったのかと思い、家を飛び出そうとドアノブに手をかけたところではっと冷静になった。
ーーー今なら分かる。きっと彼女は『あそこ』に行ったんだ。
朝の早い時間独特の、木々が放つ自然の香り。私は毎日朝早く起きて、森林浴をする事を日課にしてた。
あちらの世界でもこちらの世界でも、形は違えど自然はそこにあった。
やっぱり、ここの木々はエルフの里のそれと似ている。生えている木々の種類が一緒というわけではないのだけれど、雰囲気がどことなく似ていたのだ。
鼻から空気をゆっくりと吸い込み、同じようにゆっくりと、口から吐き出す。これらを数回繰り返したたころで、後ろから誰かが歩み寄る音が聞こえた。逃げ続ける生活を送っていたせいなのか、私の聴覚は敏感になっていた。
とっさに神社の裏に隠れるが、来たのはあの人だった。
「おーい、エイブリー。俺だよ、圭太郎だよー」
今ではもう聞き慣れた声を耳にしたことで安心した私は、緊張を解いて姿を現す。
「おはようございます、圭太郎さん。良くここにいるって分かりましたね。圭太郎さんが起きる前に戻るつもりだったんですけど」
「今日は偶々早く起きたんだ、いつもはもっと遅い時間まで寝てるよ。最初、エイブリーがいなくなっててビックリしたけど、きっとエイブリーならここだろうと思ってね。(まさか、浴槽に入らなかったせいで疲れが取れなかったから早く起きてしまった、なんて言えないよなぁ・・・)」
結局昨日は風呂に入らなかった。「水道代が勿体無い」とか「湯船に浸からないのは不潔だ」という考えと昨晩の考えが脳内でデットヒートを繰り広げていたが、あれこれと自分の中で問答をする内に、ある事に気付いてしまった。
俺が、エイブリーが入った後の湯船に浸かりたくないと思ったのは、俺が変態扱いされたくなかったから。というのはほんのちょっとした理由であって、本当のところは、「他の誰かが入った後の湯船に抵抗があった」からだった。
一人暮らしを始めて早数年、毎日の楽しみである入浴の時間は俺1人の心安らぐひと時だった。俺以外の人物などいない隔離された空間の中に昨日、数年ぶりに他者の存在があった。それまで俺が入るときは一番風呂だった我が家の浴槽が既に誰かに使われていたというのは、俺が考えもしなかったほど自身を憂鬱にさせていた。どうやら俺にとっての「俺専用の浴槽」というのはそれほどまでに心地の良いもので、他者がそれを使うと一種の潔癖症的な不快感を催すという事実が判明した・・・そんな昨晩であった。
とまぁ自己分析はこの辺にしておいて、今は自分の外に意識を向けよう。
「そうでしたか、心配させてしまってごめんなさい・・・」
「あ、いや気にする必要は無いよ」
その後、私は圭太郎さんと家に帰った。
問題発生。分かっちゃいたが、避けられない事だ。
俺が学校行ってる間、エイブリーはどうすんの?
エルフの少女と朝食を食べながら深刻な問題にふと気付いてしまった件。
「あのー圭太郎さん、圭太郎さんが学校というところに行ってる間、私はどこでどうしてれば良いんですか?」
「・・・ごめん、考えてなかった(笑)」
「いや、(笑)じゃないですよ! もっと真剣に考えてくださいよ! (笑)の使い所を間違えないでください!!」
テーブルの向かい側からエイブリーがそう言って身を乗り出す。
「うーん、どうしよっかなぁ〜・・・夕方までエイブリーをこの家に1人、ってのは心配だし、何があるか分かんないし・・・」
「私もそれはちょっと・・・」
「かといって、エイブリーをこのまま学校に連れて行くのも無理だしなぁー・・・」
さぁ、ここでアンケートをとります。『エイブリーを家に1人にする』が1、『何とかしてと学校に連れて行く』が2です。
画面に表示されるアイコンをタップしてどちらかをお選びくだs「もっと真面目に考えてください!」何故分かったし・・・
「! 分かった、こうなりゃ奥の手を使おう」
「何か良い手があるんですか?」
「あぁ、とっておきの、最終兵器と書いてファイナルウェポンと読むやつがな。ちょっと耳貸して」
俺はそう言ってエイブリーに手招きをする。
「・・・」
「いや、何もしないから。だからそんなジト目でこっちを見ないでくださいエイブリーさん」
俺から距離をとるエイブリーを呼び寄せて作戦を伝える。
「ーーーそんな事で本当に何とかなるんですか・・・?」
「なる。それじゃあいくぞ? せーの、」
「「助けて〜! ナミえも〜ん!!」」
俺とエイブリーが声を合わせると、玄関から神様が自分の家に入るように入ってきた。あれ? 鍵はしっかり締めてたんだけどなぁ・・・? もっと威厳のある登場の仕方をしてくださいよーーーあ、ここ家の中なんで土禁です。
〈いや、普通に呼ばれても出てきますが・・・〉
なんだかしっくりこないが召喚成功だ。久しぶりに神様にあったなぁ・・・
ていうか普通の呼び方ってどんなだよ。
「お久しぶりです神様」
久しぶりの登場を祝して挨拶。
「あ、あなたは・・・あの時の神様ですか?」
エイブリーは、この世界に来てから神様に会うのはこれが初めてのようだ。
〈いかにも、私がエイブリーさんをこの世界に転生させたイザナミノミコトです。まぁ、張本人はクロノスですが。というか、あの呼び方はどうにかならないんですかね・・・〉
「わざわざありがとうございます。しばらく見なかったので顔を忘れそうになってましたよ」
(あ、圭太郎さん、呼び方の事はスルーするんだ・・・)
〈そのようなことはこの私が許しません。この物語の真のヒロインは私だというのに〉
(あれ、神様もスルーしちゃった? 案外、あの呼び方が気に入ったのかなぁ?)
「あのー、何の話をしているんですか・・・?」
「〈気にするでない〉」
「そうですか・・・」
登校前の貴重なフリータイムの時間を使って神様にお茶を出す。お茶受けも一緒に。あ、お湯はやかんで沸かしました。
〈成る程。私の力で、あなたが学校にいる間エイブリーさんを安全な所に居させたい、と〉
「まぁそんな感じです」
「何とかなりませんか? 私からもお願いします」
エイブリーも一緒に頼む。神様はお茶をズズッと一口飲んでから口を開く。
〈ーーー分かりました。エイブリーさんには、一時的に熊野神社の神職になってもらいましょう〉
「神職って、神主の事?」
〈大体合っています〉
「でも私、そんなに難しそうなことなんて出来そうに無いです・・・」
〈心配しなくても大丈夫ですよ。元々誰も来ませんし地図にも乗らないような神社ですから、掃除などをしてもらえれば結構です〉
「あ、それなら私にも出来そうです!」
成る程、考えたね神様。ていうか前半自虐してるし・・・
〈では、万が一の事を考えてエイブリーさんの耳を人間のそれにしておきましょう〉
「うーん、ちょっと不安ですけど・・・よろしくお願いします」
「ていうか、神様はそんな事も出来るんですか?」
〈出来なければ、最初から言いませんよ〉
〈ただし、あくまでも『他者からそう見える』ようにするだけなので、感情が乱れると元に戻ってしまうので気を付けてくださいね?〉
「はい、分かりました」
俺が通っている学校は県立境堀(さかいのほり)高等学校。自宅から自転車で15分程度のところにある。この辺には他にも高校はあるのだが、境堀高校が一番近かったのでここにした。せっかく受けるならということで早めに決めたいと思って前期選抜を受験したら合格したのでそのまま入学した。
俺はいつものように自転車で田んぼに囲まれた道を走り、通学路を行く。田んぼに植えられた苗たちはまだまだ背が低く、水路を流れる水の音が風の音に混じって聞こえてきた。
2-4と書かれた教室のドアを開け、もはや見慣れたクラスメイト達(男子のみ)にいつものように挨拶をする。家の玄関で俺を見送ったエイブリーは早速神社へ向かったようだ。
このクラスは出席番号順に席が並んでいるので、出席番号1番の俺は窓側の一番後ろの席に座る。普通なら一番前の廊下側に座るのだろうが、うちの担任は趣向を凝らして席順を真逆にしたのだ。
この席なら、夏は窓から風が入ってくるし、冬はストーブが温かいし、何も困ることはない。いや~、このクラスに『相沢』とか『朝野』とか『相川』とかいなくて良かったなぁ。
ーーーあ、どうせ席替えしちゃうか。
「オイ! 鬼の熊ちゃんが来たぞ!! 」
男子の誰かがそう言った。猛獣注意ーーーじゃなくて、担任の先生が来ることを知らせる合図だ。
鬼の熊ちゃんというのは、うちのクラスの担任、鬼怒川 熊二(きぬがわ くまじ)先生の事だ。保健体育担当で、生徒指導部の先生。柔道部の顧問でもある。恐ろしく顔が怖くて、睨まれたら泡を吹いて倒れるという噂があるとかないとか。熊ちゃんは眼鏡を掛けているのだが、その眼鏡がサングラスならば完全にヤッさんに見えていただろう。
鬼の熊ちゃんという呼び方は俺達が勝手につけた呼び方だが、自分たちの間だけでしか使っていない。というか使えない。
伝達が伝えられてから僅か9秒後、先程までの馬鹿騒ぎが一転、全員が各自の席に座って教室は静まり返った。
廊下から聞こえてくる熊ちゃんの独特の足音がだんだんと大きくなっていき、ついに最終防壁(教室のドア)が突破された。
「おはよう」
『おはようございます』
みんなで一緒に挨拶をする。
「起立、 礼。 着席」
日直の俺が号令をかける。
「号令ご苦労。今日の日直は生明か?」
「はい」
熊ちゃんに聞かれたので返事をする。
「よろしい、今日は1時間目が5時間目と交換で3時間目は木曜の2時間目の教科だから把握しておくように」
簡単な今日の日程を伝え熊ちゃんが教室を出て行き、みんなが肩を下ろした。
4時間目終了のチャイムが鳴り、昼休みになった。お楽しみの弁当タイムだ。他の奴らは購買に行ったりしているが、俺は持参の弁当を机に広げる。ーーー購買に行くのめんどいしね。前日の夕食のおかずをそのまま使ったり出来るし。
高校入学前は、「屋上でお弁当を食べたり出来るんだろうなぁー」なんて期待していたのだが、ものの見事に打ち砕かれた。屋上へ出る扉を開けようとして開かなかった時の悲しさはもう思い出したくない。という訳で、俺のランチタイムは誰と一緒に食べるでもなく、教室の、自分の机の上で開かれる。窓から見える風景を眺めながら。
そんな俺の所へ、見慣れた・・・というか見慣れすぎた2人がやって来た。
「あ、やっぱりけーちゃんここに居たんだ」
最初に口を開いた大柄の男は、袋 隆幸(ふくろ たかゆき)。身長180cm超え、体重100kgちょいの大男。柔道部に所属していて、めちゃくちゃ力持ち。
俺は彼を『デーブ』という愛称で呼んでいる。
・・・決して他意はない、筈・・・
「・・・僕が言った通りだったね」
聞き取りにくい小さな声で話す知的メガネは、小原 巧(おばら たくみ)。容姿を端的に表すとひょろ長のもやし。部活動はパソコン部で、主に映像の編集や写真の加工をしているらしい。
見た目通りのオタクで、興味の有る事にはのめり込むが、興味の無い事には恐ろしい程無関心。ちなみに、三次の女には興味が無いそうです。
俺は『やしも』と呼んでいる。
他意は・・・というか他意しかねぇわ。
この2人は中学から一緒で、色々あって中学の時に仲良くなった。俺にとっては数少ない、腹を割って話せる親友達だ。2人とも俺より背が高く、デーブ>やしも>俺 といった関係図になる。中学時代は3人とも同じくらいの高さだったのにーーー悲しいかな、俺の背丈の成長は止まってしまったらしい。170cmと数ミリのこの身長を少し恨んでいる。
「卵焼きも〜らいっ!」
「あ! ちくしょうデーブ! ウィンナーは良いって言ったけど、卵焼きは駄目とも言った筈だぞ!」
「・・・」
「? どうしたんだよデーブ?」
デーブは突然、咀嚼(そしゃく)行動を停止したかと思うと、いきなり俺の両肩をガッチリと掴んできた。
イタイ、イタイっすデーブさん・・・
「けーちゃん、この卵焼き、いつもと味付けが違う・・・」
「へ?」
「これ・・・誰に作ってもらったの・・・? けーちゃんが作ったやつじゃないよね・・・? ーーーまさか、女?」
「おっと、それは由々しき問題だね」
「ギクッ!」
デーブはユラユラと揺れる炎を目に宿し、俺を見つめてくる。
ていうか、台詞だけ見ればただのヤンデレなんですけど・・・おっと、スーパークズトレインばりに脱線してしまった。
「・・・はぁ、俺に『安全地帯』(セーフティゾーン)なんて無かった・・・」
その後、ミートボール1個とコロッケ1個を犠牲にして、この件は不問となった。