俺は今シャワーを浴びている。怪我を免れたエイブリーに着替えてもらい、リビングでテレビを見ているよう頼んでから現在に至る。やっーとゆっくり風呂に入れるので、一日中俺の肩に乗っていた重いものを降ろせたような気分だ。
シャワーを止めて左の手のひらにシャンプーを2、3回出して泡立てながら先程の事を思い返す。
いやぁ・・・危機一髪だったなぁ。確かに俺はエイブリーを助けたけど、彼女も俺の危険を察知して声をかけてくれた訳だから後でちゃんとお礼を言っておこう。
あ、いや、色々な意味での『お礼』じゃないからね? あの時は自分に酔っていたというか、若気の至りというか・・・
そんな事を考えるうちに髪を洗い終え、今度はボディソープをタオルで泡立てる。
ていうか、エイブリーには申し訳ないけど、風呂場の泡で足を滑らせるなんて漫画かアニメかラノベか、ごく一部のリアルでしか起きないっつーの。
ローションくらいじゃないと普通滑らないよ。それともなにか? 足腰が弱すぎるのか? 何処ぞのスタンド使いに足の裏の摩擦を奪われたのか?
・・・まぁ、実際に危ない目にあった娘がいるんだから、この辺にしておこう。後で反感を買われそうだ。誰にとは言わんが。
体全体を綺麗にし、お楽しみのバスタイムに突入しようと浴槽へ目を向け、ふと気付く。いつもは閉じられている浴槽の蓋が開けられ、いつもは波一つない水面が僅かに揺れている。これらの現象が意味すること、それ即ち『使用済み』。
皆さんは知らないだろうが、自分の趣味の一つに『入浴』がある。シャワーを浴びただけでは風呂に入ったことにはならず、疲れが取れず、明日への活力を得られない。そういうわけで自分は春夏秋冬365日・・・閏年とか面倒くさい事は気にしないで下さい。欠かさず浴槽に入ってきた。
・・・だかしかし、史上最大のピンチが訪れた。『コレ』、エイブリーが入った後じゃん・・・
私は今、圭太郎さんに言われてリビングで待機しています。そして、『てれび』というものを見ながら麦茶を飲んでくつろいでいます。
てれびでは、にゅーすというこの世界の世の中の情報を伝えているものが映っていて、私はこの世界の事をまだ何も知らないから興味があって、真剣に見つめています。
てれびを見た私は驚愕しました。この世界の人間が持つ技術や知識の多さ、街並みなどは私たちエルフとは比べ物にならないくらい発展していました。それそこ、私のいた世界の人間よりも。目に入ってくるもの全てが初めて見るようなものばかりで、見たことがあるのは街中に生えている木々くらいでした。
でも、私に入ってきた情報は良い物だけではなかったのです。
男性が高い所から飛び降りて自殺、16歳の子供が放火、親が自分の子供を殺したなど、1番強く印象に残ったのは『人間が人間を殺す』でした。エルフの里では考えられない『同族殺し』がこの世界では起きていたのです。
私は先程よりもさらに驚いて、悲しい気持ちになりました。
(どんな世界でも、平和なんて無いのかな・・・)
『この世界は平和だ』という私の、そう考え始めた安直なそれを否定された瞬間でした・・・
波が静まった浴槽の水面を眺めることはや5分。俺は悩んでいた。・・・ん? 何に悩んでいるかだって? この浴槽に入るか入らないかで悩んでいるんだよ。
普通はこんな状況なら気にしないで入ったり、迷わずに入ったりするだろう。・・・いや、2つ目は普通じゃないな。
風呂には入りたい。けれども、これはエイブリーが入った後の浴槽だ。
俺が考える、こういう時の主人公の行動パターン
その1:恥ずかしがりながらも入る。
その2:グヘグヘ言いながら嬉々として入る。
その3:入ろうと思うも誰かに見つかってしまう。まぁ、これくらいかな。
そんな中で俺が選ぶのは・・・
「あ、圭太郎さん。上がったんですね。ゆっくりと浸かれましたか?」
「えっ?あぁ、まぁ・・・」
「?」
さっき俺がとった行動、結局入らなかった。ヘタレとヘンタイのどっちを取るかを悩み、結果俺はヘタレを取った。
「そんなことよりさ、エイブリー。髪まだ濡れてるでしょ? そのまま寝ると風邪ひくから、まずは髪を乾かそうよ」
「そうですね」
「そこで出しますはコレ! デレデデッデデ~ン ド~ラ~イ~ヤ~」
「・・・なんだか、使い古したネタみたいですね」
「たとえそうであったとしても、使わなければならない時があるんだ」
「ネタ切れですね、分かります」
「グゥッ! 痛いところを・・・」
「フフフ、それじゃあ生明さんにその『どらいやー』っていうのお願いしてもいいですか?」
「もちろん」
ふーん、女の人って男の人に自分の髪を触られるのに抵抗あるって聞いたことがあったけど、エイブリーは気にしないんだなぁ。
そんなこんなでエイブリーの髪を乾かすことになった。
「よーし、乾かすよー」
俺はそう言って、エイブリーを目の前に座らせる。
そして、スイッチをいれた。
「ポチっとな」
「キャッ!」
案の定、エイブリーは肩を跳ねさせビックリした。
「大丈夫だよー温かい風が出てるだけだからねー」
「あ、本当だ・・・慣れると気持ち良いですね」
「そう言ってもらえて良かったよ」
生まれてこの方16年、自分の髪しか乾かしたことがなかったので上手く乾かせるか心配だったが、杞憂だったようだ。
そうして安心した俺に少しの余裕が生まれ、少しばかりテレビによそ見をしていた時のことだった。
「ひゃうっ」
エイブリーの髪を乾かしていた俺の左手の指が、彼女の耳に当たったのだ。
俺はよそ見をしていたせいで、その声に気付かなかった。
「あの、生明さん? 耳は敏感なので・・・」
エイブリーが俺に声をかけるもまだ気付かず、さらに俺はエイブリーの耳を無意識に弄る。
「あっ、ちょっ、そこは・・・ひゃっ!?」
俺の指は留まることを知らず、エイブリーの耳の奥へと侵攻を続ける。
「生明さぁん、そこは、そこはぁ・・・」
エイブリーが耐え切れずに身をよじらせ、涙ぐんで声をかけてきたところで俺はやっと気付いた。
「ん? どうしたのエイブリー・・・ってオォイ!?」
俺は声のする方へ向き直ると、そこには俺の手から離れて倒れているエイブリーがいた。彼女の上気した顔からは涎が垂れ、肩で息をしていた。
「どうしたんだエイブリー!? 一体何があった!?」
「あ、あざみ、さ・・・」
彼女はそこまでいうとコテッと倒れてしまった。
俺の今の状況・・・正座。
「ごめん! 本当にすまなかった!」
「・・・」
あっちゃ〜やっちまった・・・
俺はあの後、自分のした事をエイブリーから聞かされた。無意識の力ってすげー。っと、そんな事よりも、
「まったく、女の子にあんな恥ずかしい思いをさせて・・・」
「返す言葉もありません・・・」
「・・・まぁ、生明さんもわざとやったわけではないようですし、誠心誠意誤ってくれているので許してあげます」
あ、結構簡単に許してくれるのね。
「ありがとう、エイブリー。ーーーあ、そういえば、風呂場で俺の危険を知らせてくれたこと。あのお礼も言ってなかったね。まとめて言うようで悪いけど、ありがとう」
「いえ、結局助けられたのは私ですし。お礼を言うのは私の方ですよ。ありがとうございました」
お互いに頭を下げてる状況が可笑しくなって、俺とエイブリーは目が合うと一緒に声を上げて笑った。
「それじゃあ、寝ようか。」
「はい」
俺達は二階へと上がった。二階にはトイレと両親の寝室と俺の部屋があるのだが、両親の寝室は滅多に使われないので物置のような状態だ。つまり、残された選択肢は一つ。
「わぁ〜、綺麗な部屋ですね」
当たり前だ、エイブリーが風呂に入ってる間、全力で片付けてたからな。湿る程度にはファブリーズしたし、問題は無いだろう。
「エイブリーはこのベッドで寝てくれ。俺は床で寝るから」
「・・・そうですか。いや、そうですよね」
「俺なら心配いらないよ。慣れてるからね」
慣れてるっていうのは嘘。けど、床で寝る事に抵抗があるわけじゃないから大丈夫だ。
「わ、手で押すと押し返してきます! これなら気持ち良く寝れそうですよ!!」
「そいつは良かった。じゃあ電気消すよ?」
「はい」
エイブリーの返事を聞いた俺は天井の照明から伸びている紐を引っ張って明かりを完全に消す。
するとエイブリーが、
「あの、生明さん・・・もうちょっとだけ明るくしてもらえませんか?」
「え? あぁ、良いよ」
そう言われた俺は再度紐を2、3回引っ張って、全照状態から今度は豆電球の状態でストップする。
真っ暗だった部屋は、ほんのりとした淡いオレンジ色に染まった。
「これくらいで良い?」
「ありがとうございます」
「ーーー怖い?」
「はい、真っ暗にして寝るのは少し怖くて・・・」
「そっか・・・」
俺がそう言うとエイブリーはうつ伏せになって枕に顔を埋めた。
「この布団、生明さんの匂いがします」
「ブッ! いきなり何を言うんだよ!? は、恥ずかしいからよしてくれよ・・・」
あれ~? ファブリーズが活躍しなかったのかなぁ?
「フフフ、さっきのお返しです」
エイブリーは意地悪な目でこちらを見る。
「そっか、なら仕方ないね」
これで差引勘定0かな。
するとエイブリーは少し黙っていた後、ポツリポツリと喋りだした。
「ーーー私、今まで人間をすごく嫌っていました。恨んでいました。家族の、エルフの仇ですし・・・」
「・・・」
エイブリーが真剣に話し始めたので俺は黙って話を聞く事にした。
「けど、神様にこの世界に連れてきてもらって、分かったんです。確かに、この世界は私のいた世界と比べれば平和です。けれど、この世界にはこの世界の危険がありました」
「・・・そうだね」
「私は一瞬こう思いました。『どの世界の人間も、危険だ』って。私はどの世界に逃げても、人間に襲われると。そう考えました」
「でも、今目の前にいる『生明 圭太郎さん』は優しかったんです。初めて、人間が私に優しくしてくれたんです。そして、人間から・・・圭太郎さんから、『エルフと変わらない優しさ』を感じました」
「エイブリー・・・」
「だから、私ーーー決めたんです。例えこの世界の人間がみんな私の敵だったとしても、この人だけは・・・圭太郎さんだけは信じてみようって」
エイブリーの言葉につっかかりが出始めて、先程までとは様子が違うようだ。床に寝ていた俺は自然と布団を這い出て起き上がった。
「もう私には・・・信じられる人がーーー圭太郎さんしか、いないからっ・・・!」
大粒の涙で枕を濡らし、しゃっくりで上手く喋れない中エイブリーは必死に自分の言葉を紡いでいるようだった。
「エイブリー、俺、凄く嬉しいよ。エイブリーにそう言ってもらえて。口下手だから上手く言えないけど・・・俺は絶対にエイブリーを裏切ったりしない。どんな時でも、必ず君を助ける。だからこれからは、もっと俺を頼ってくれ。いつだって、君の期待に応えてみせるから・・・」
そう言ってエイブリーの頭に手を乗せると、彼女は初めて俺の目の前で声を上げて泣いた。小さい子供が親にすがる様に、延々と、ただひたすらに泣き続けた。
しばらくしてエイブリーは泣き止み、俺もあくびを我慢できなくなってきた。
「今日はもう遅い、寝よう」
エイブリーを離してベッドに寝かせ、俺も床に敷いた布団で眠りにつこうとする。が、服を引っ張られた。
「一緒に・・・寝てくれませんか?」
「え、いや、このベッド、シングルベッドだし・・・」
振り返ってエイブリーを見た瞬間、衝撃が体を突き抜ける。彼女は涙で潤んだ瞳でこちらを見つめていた。しかも上目使いで。意識してやっているわけではないのだろうが、天然物の上目使いは俺を折れさせるのに十分すぎる程の武器であった。
「・・・分かったよ。俺が壁側に寝るから」
「・・・はい」
その言葉を最後に喋らなくなったエイブリーは、俺の服を掴んで離さなかった。
(あああああぁぁぁぁぁ今になってめちゃくちゃ(現代日本語では表現不可)恥ずか死ぬるぅぅぅ!!)
後に俺の忘れられない記憶になるのは言うまでもない。
ーーー良い意味でも、悪い意味でも。