「エラ・・・大丈夫かなぁ?」
エリーは圭太郎とエラがいるであろう二階の方を見ながら、そう呟いた。圭太郎に対して信頼を寄せている筈のエリーのその言葉には、明らかに不安の色が見て取れた。
「大丈夫とは、どういう意味で言っておるのだ」
「昨日小春がエラと話した時、エラが怒っちゃったでしょ? だから・・・」
「ふむ・・・妾としては、少し圭太郎の言い方を意識して言ってみたのだがな」
妾が小春に諭された時のように、相手の心の闇の核心を突く鋭い一言で心に隙を作っていく。おそらくこれは圭太郎の得意とするやり方なのだろうし、エリーもそれを見て真似し、妾に対しあのように言ったのだろう。
「それにしても不思議だよねぇ、何で圭太郎さんの言葉はああもグサッとくるんだろ? ・・・良い意味でも悪い意味でも。本当に思ってる事とか気にしてる事を一直線に言ってくるから、かなり心にくるんだよねぇ・・・」
「同感だ。ダレンも昨晩、圭太郎にこっぴどくやられたのであろう?」
「えぇ、まぁ・・・」
ダレンは俯きながらそう呟いて頬を掻く。昨日と今日で言動がここまで変わるのだから、ダレン本人にとっては劇的な変化だったろう。
「まるで妾達の心が見えているというか・・・いや、妾達の気持ちになってくれているようだ」
「あ、何だかその例えだとしっくりくるね」
「・・・」
ダレンが黙りこくってしまった。何か思うところでもあるのだろうか。
「どうしたのだ、ダレン」
「あ、いや・・・確かに僕も昨日圭太郎さんにズバッと言われてしまったんですけど、やっぱりお姉ちゃんがそれに耐えられるかどうかが心配で・・・」
やはりこの話題に戻ってきてしまう。なにも、その件について心配しているのはエリーやダレンだけではない。昨晩、直接エラに厳しく言った妾の身にもなってみろ。今朝からずっと、まともにエラの顔を直視出来なかったではないか。
「なんだ、圭太郎を信用していないのか?」
「そ、そんなんじゃないですよ。圭太郎さんは絶対上手くやってくれるって、そう思ってます。けど・・・」
「けど・・・?」
エリーが問う。
「圭太郎さんが『上手くやりすぎて』、お姉ちゃんの心を抉り過ぎてしまうんじゃないかって、そう思って・・・」
・・・確かに、その可能性はあるな。ああいう問答に慣れていない妾の言葉でエラがあのような態度をとったのだから、『本業』の彼奴ではダレンの言うようなことになるのは無い事ではない。だが・・・
「・・・ふふ」
「小春さん・・・?」
「ダレンよ、お前は圭太郎の実力を侮っている。彼奴は平安貴族の当主を黙らせる程の器量と度胸を持った人間だ。口が達者なのと心臓の毛深さは妾が保証しよう。そんな彼奴が相手の心への刃物の突き立て方やその捌き方など、身に着いていない筈があるまい」
「(小春、『心臓の毛深さ』っていうのは余計なんじゃないかな・・・)」
妾の父と面と向かい、妾を引き取ってくれた彼奴だからこそ・・・必ず上手くやってくれると、そう確信している。昨晩「どうってことない」と言ったそなたの言葉、頼らせてもらうぞ。
「・・・詳しい事は分かりませんけど、小春さんの言う通りですよね。すみません、いらない心配でした」
「うむ、分かれば良い」
このまま心配だ心配だと言われ続けてはこちらの気がもたん。どうにか話題を変えられないものか・・・
「やっぱり、ダレン君はエラの事が心配になったりします?」
「はい、いつもお姉ちゃんに心配をかけてましたから・・・」
するとエリーは何を思ったのか、ダレンにずいと近寄って顔を覗きこんだ。
「あ、あの・・・」
ダレンは恥ずかしいのか、顔を赤らめて視線を逸らす。
「やっぱり・・・ダレン君とエラって、顔つきが似てますよね」
「え、そうですか?」
「二人とも顔の線が細いから、遠くから見たらどっちがどっちなのか全然分からないです」
「は、はぁ・・・」
「確かにそうだな。一卵性双生児というやつなのかどうかは分からんが、そなたら姉弟は本当に似ているぞ」
「僕からすれば結構区別がつくんですけど・・・」
「ダレン君ってまつ毛が長いし、二重(ふたえ)だし、まるで女の子みたいで・・・」
ち、ちょっと待て、エリーが話を逸らしてくれたのはありがたいが、この雰囲気は・・・!
「ち、ちょっとエリーよ! こっちへ来い!!」
「へ? ちょ、ちょっと小春!?」
妾はエリーの腕を無理やり引っ張って、とりあえずダレンから引き離した。
「え、エリーよ。暗い雰囲気を紛らわそうと話を逸らしてくれたのは助かるが・・・」
「(紛らわす?)助かるが・・・?」
「いや・・・その・・・あのようにダレンに近寄っては、彼奴も男子であるというか・・・その・・・」
「・・・小春?」
「え、えぇい! エリーがあのように近づいては、ダレンが気まずいと言っておるのだ! 察しろ!!」
目を丸くさせて動揺しているダレンの姿をエリーの後ろに捉えながら、エリーに状況を説明する。だが・・・
「・・・? ダレン君が男の子だからって、何か問題があるの?」
「だあぁぁぁぁ! 何故エリーもそのような所で鈍感なのだ!? 良くも悪くも圭太郎に影響を受けおって!!」
「そ、そうかなぁ・・・?」
「と・に・か・く・だ! あまりダレンが動揺するような所作をしてやるな!」
「わ、分かったって・・・」
「まったく、本当に分かっているのかどうか・・・」
「ダレンが自分よりもしっかりしていてお兄ちゃん面(づら)されるのが気にくわないんだろ?」
・・・言われてしまった。昨日小春に言われたことを受け入れたくなくて、無理矢理掻き消そうとしていたのに・・・!
「本当は昨日の時点で大体自覚してたんだろ? それを同じくらいの歳の小春から言われたせいもあってか、認めたくなかっただけであって」
嫌だ。認めたくない。ワタシはそんな弱い人間じゃない。
「違う! ワタシはそんなこと思ってない!」
「全く・・・性格は全然違うのに変な所で似てるんだから・・・」
「どういう意味よ」
「昨日ダレンと話した時も最初は「そんな事思ってない」って言ってたぞ」
「・・・ワタシとダレンは違うわ」
「ほら。そういうところに滲み出てるんだよ、自分とダレンを区別しようとしているのが」
「何よ、それが悪いことだっていうの?」
「それ自体が悪いことだって言ってるんじゃない。それで自分をダレンより上にしようとしてるのが駄目だって言っているんだ」
「・・・姉が弟より上なのは当然の事よ」
「本当にそうか? 何でエラがダレンの姉だって言い切れるんだ」
「・・・」
「単に、『自分の方が早く生まれたから』なんて言うつもりだったのなら撤回するんだな。小さい頃の記憶が薄れているのに、どっちが早く生まれたかなんて分かる筈もないし、それを証明するものも無い」
「・・・そうね、証明することは出来ないでしょうね」
「じゃあ何でエラはダレンの姉であろうとするんだ?」
何で・・・? そういえば、いつからワタシはダレンのお姉ちゃんになってたんだろう。いや、そもそもの話、圭太郎が言うように実は自分が妹で、ダレンがワタシをお姉ちゃんって呼ぶからそう振舞っていただけ・・・なのかな・・・?
「・・・どうした、言えないのか?」
「・・・分かんない」
「何がだ」
「ワタシが何でダレンの姉であろうとするのかが」
「・・・そうか、じゃあ質問の仕方を変えよう」
これまでの会話中、ずっと下を向いて圭太郎の顔を見ていなかったワタシは、自然と横を向いて彼の顔を見た。
「エラがダレンの姉でなければならない理由ってなんだ?」
圭太郎がワタシを見つめるその目は、その表情は・・・ワタシの心臓に直接氷を押し当てるように冷酷だった・・・
「ワタシが・・・ダレンの姉でなきゃいけない・・・理由・・・」
「繰り返すようで悪いけど、今朝のエラの行動を見る限りでは全く姉らしくなかった」
どうして・・・どうしてなの? こういう言葉を小春や圭太郎に言われるから、悔しくて、悲しくて、怒ってしまうんじゃない。「エラはダレンの姉ではない」と言われるたびに、ワタシの心のどこかが削り取られていく。
「そう、それこそ・・・ダレンの方が兄みたいだった」
次第に怒りの感情が高まって、自分の唇がプルプルと震えだして、食い縛っていた口が開きかけているのに気付く。だけど圭太郎はそれを許さなかった。
「エラのその震えている口元を見て今確信したよ」
思わず両手で口元を抑えて隠す。
「小春の言う通りだった。エラは、『ワタシはダレンの姉、ワタシはダレンよりもしっかりしている、ダレンはワタシがいないと駄目、ワタシはダレンよりも上』これらで自分のアイデンティティとプライドを保っているんだ」
息が荒い。呼吸をしようとすると上手く空気が吸えなくて咽喉元で引っかかる。さっき静まらせた鼓動もまたバクバクしてる。
自分でも気付かない内に、ワタシは圭太郎をベッドに押し倒して胸倉を掴んでいた。
「フーッ・・・フーッ・・・」
「こらこら、女の子がそんな暴力的な真似をするもんじゃないよ」
「さっきから何度もワタシを馬鹿にして・・・! 一体アンタは何がしたいのよ!!」
「君を助けようとしている」
「嘘よ! そんなの信じられない! 逆にワタシを怒らせてるだけよ!」
「そこなんだよ、何でそんなにも激昂するのか? それはやっぱり『姉』に固執しているからだ」
「ッ! さっきから何度も同じ事を!」
ついにワタシは圭太郎の首に手を掛ける。圭太郎は苦しそうな顔をするが、振り解こうとはしない。
「分からないって・・・いうなら・・・俺が、教えて・・・やるさ・・・」
息が詰まってる筈なのに、ワタシの目を真っ直ぐ捉えて言葉を紡ごうとしている。その強烈な視線はワタシを怯ませ、手にかかっていた力を弱めた。
「『自分しか、ダレンを守れる人がいない。だから、自分がダレンの姉である必要がある』・・・違うか?」
怖くなって、手を離した。自分でも見失っていた心が見透かされているようで、怖くなった。
「昨日ダレンから聞いたよ。『お姉ちゃんに何度も助けられた、自分は何も出来なかった』って。そう言っていた」
「そ、それは・・・」
「素直に、凄いことだと思う。物心がついた頃には両親の顔も分からないのに・・・ダレンを、自分自身を、よく今まで守ってこられたと、感心どころか尊敬の念さえ抱くよ」
「な、何よ、急に手のひらを返して・・・!」
「確かに、小さい頃から抱いていたその強い気持ちは素晴らしいものだ。けど、それはいつしか『自分の存在目的そのもの』になっていて、それが自分の全てだと思うようになった」
ワタシは・・・ダレンを・・・守る為に・・・
「だがその気持ちが強すぎて、ダレンを守る前提条件として『姉』という立場を確立する為、守らなければならない筈のダレンを無意識に自分より下に見て、蔑むことで相対的に自分を『姉』という立場に押し上げていた。・・・というよりは、ダレンを下へ下へと蹴り落としていた」
自分の発言を頭の中でリピートさせる。
(ごめんなさい、ダレンは気が弱くて・・・)
(・・・ま、餌を与えればすぐ懐く犬『達』だと思ってるのならそれでも良いけど・・・)
(『流石に』ダレンでも自分の身の回りの事くらいはちゃんと出来るわ)
(ダレンはワタシがいないと『駄目』だから)
「それがダレンの成長を・・・ダレンの『お姉ちゃんを守りたい』っていう願いを叶える機会を妨げていた。要するに過保護だったんだ」
今度は、昨日の夜にダレンから言われた言葉を思い出す。
(僕、決めたよ。もうお姉ちゃんに悲しい思いはさせない。今度は僕がお姉ちゃんを・・・『エラ』を守るんだ)
「・・・気づかなかった。ワタシ、ダレンの気持ちも知らないで・・・聞かないで・・・酷いことを言ってたんだ・・・」
遂に、最後の一線で守られていた彼女の涙のダムが欠壊した。エラは俺の上で、拭うこともせずにただただ涙を流し続ける。
「大切なことだからもう一度言う。エラの、ダレンを守りたいっていう気持ちは素晴らしいものだ。けどエラが悪かったのは、その為にダレンを無意識に蔑んで彼の心の声に耳を傾けようとしなかったことだ」
「・・・うん」
「分かってくれたか? 何で自分がダレンの姉であろうとしたのか。今までダレンにやってきた、良いことと悪いことが」
「うん・・・うん・・・!」
涙でグシャグシャになった顔で2回頷く。最初より強く、心から分かったというように。
もう、何も言わなくて良いだろう。言葉はいらない。こんなに説教くさく・・・ていうか説教して、泣きながら頷くんだから、きっと分かってくれた筈だ。
けど・・・
「さ、これからやらなきゃいけないことがあるって分かってるだろうけど、ひとまず俺のお喋りタイムは終了だ。なんだけど・・・」
「・・・?」
やはり、これだけは言っておかなければなるまい。
「取り敢えず・・・降りてくんね・・・?」
「あ、うん・・・」
首絞められたのは結構危なかったかも・・・