目の前の男はさも当然の様に、吐き捨てる様に俺に言ってきた。
「つー訳でお宅の娘さん貰うんで」
「・・・は?」
よく分からん空間の先に明るい光が見え、あれが終着点なのだろうと推測する。
〈では良いですか、先程も言ったように基本貴方だけで小春さんのお父さんを説得してもらいますが、万が一の事を考えて私も貴方の側にいます。勿論、小春さんのお父さんには見えないように〉
(度重なる説明ありがとうございます。・・・で、この先を抜ければもうその人の夢の中ですか?)
〈はい、その通りです。では・・・行きましょうか〉
神様がそう言い終わった頃には、視界が真っ白に染まっていた・・・
ふと、寝室の中で物音がしたような気がして目が覚めた。
今まで眠っていたというのに、やけに意識がはっきりして気味が悪い。
ゆっくりと上半身を起こして部屋を見渡そうとすると、目の下で人影を捉えた。突然の事で少し声が詰まったが、意識がはっきりしていたおかげもあってかその後はしっかりと声が出せた。
「何者だ!」
「ん? あぁ、俺? 俺はただの平民だよ」
「ぶ、無礼者め、すぐに捕らえて・・・」
「無駄無駄。ここ、アンタの夢の中だから」
「何? 夢の中・・・?」
「そうそう。訳あって、俺がアンタの夢枕に立たせて貰ってる、ってー訳よ」
一体何なんだこいつは、いきなり現れたかと思えば「ここは夢の中だ」なんて戯言を飄々とほざきおって・・・
「あれ? まだ信用してない感じ? じゃあさ、何でいつも部屋の戸の前で座らせている筈の人達が入って来ないんだろうね?」
「何だと・・・?」
言われてみれば確かにそうだ。俺はそれなりに大きな声を出したのに、夜の見張り番が一向に入ってくる気配が無い。
「んだから言ってんじゃん。ここはアンタの夢の中で、俺がそこに入って来たって」
「正体を表せ。他人の夢枕に意図的に立つなど、呪い師(まじないし)でも出来ないであろう。お前は妖か物の怪か?」
「はぁー、これだから昔の日本人は・・・自分の感覚では計れない物事に直面した時に決まってやれ妖怪だやれ神だ仏だなんて騒いで・・・みっともないったらありゃしない」
「貴様・・・この俺を誰だと心得る!」
「知ってるよ? 橘氏の今の当主さんでしょ?」
「分かっていてそのような言動を取るとは、貴様は阿呆の塊か」
「あーはいはい。今はとりあえず、俺の話を聞いてくれませんかね」
本当に何者だこやつは・・・? この俺の存在をまるで恐れていない。一個人としての俺の事を恐れていないというよりは、貴族などの上流の身分の人間に全く恐怖していない、といった所か。しかしこやつは先程、自分の事を「ただの平民」と言った。もしそれが本当なら、何故そのような身分の人間がこのような態度を取れる・・・?
「もしもーし、俺の言った事聞いてた?」
「はっ、俺にはお前の様な輩と話す事など何も無いわ」
「ふーん、じゃあ、それがアンタの娘の小春に関係する事だって言っても、同じセリフが言える?」
「何・・・?」
「おっ、聞く気になってくれたみたいだ。実は最近、お宅の娘さんが家に遊びに来てたんだ」
「お前は何を馬鹿な事を言っている? 小春なら今、歌集の写しを終えて自身の局で眠っている筈だ」
「まぁ、話すと面倒くさいから、そういう事があったって思ってくれれば結構。で、小春は家に約3日間泊まったんだけど、帰る日になったら小春は「帰りたくない」って言うんだ」
「・・・あれが、か?」
「あぁ言ったとも。信じるか信じないかはアンタ次第だけど確かに小春は、泣きながらそう言っていた」
「ふん、そのような戯言、誰が信じる?」
「って思うじゃん? だから今からアンタに見せてやるよ」
(ここで神様、例のヤツお願いします)
〈了解です〉
こやつが少し黙ると、何故だか急に酷い眠気に襲われた。もう目を開いている事が出来なくなり、ついにはその場に倒れて眠ってしまった。
これは・・・何だ? 見たことも無いような家の中にさっきの奴と見たことが無い小娘と・・・小春が一緒にいるではないか。風呂に入ったり、食事をしたり、囲碁の様な物を使って遊んだり・・・
あやつの言っていた通り、本当に小春が・・・?
という感じで今小春のお父さんには、小春が俺の家に来てからの生活を走馬灯の様に見てもらっている。・・・神様の力を借りて。
言われても絶対に信じられないだろうから、実際にあった事を見て貰えば話は早い。
さて、そろそろ全部見終わって目を覚ます頃かな・・・?
(それじゃあ神様、ありがとうございました)
俺がそう言うと神様は無言でコクッと頷き、消えるように見えなくなった。
「お目覚めかな? アンタが今見たのは全て事実だ。あれを見てどう思った?」
・・・まだ頭が着いて来ていない。本当に、本当に小春がこやつと・・・?
「・・・随分と出来の良い幻覚を見せられるんだな」
「強がりもそこまでだ。アンタ、自分の額に汗をかいているのに気付いていないのか?」
そう言われて恐る恐る自分の額を腕で拭ってみると、手の甲にじっとりとした汗が付いていた。
何故だ? 何故俺は目の前のこの小童を「恐ろしい」と感じているんだ・・・?
「それじゃあ質問の仕方を変えよう。アンタが小春の笑顔を最後に見たのはいつだ?」
「あいつの笑顔・・・だと・・・?」
「あぁ、そうだ。早く答えてみろよ?・・・最も、覚えていればの話だけどな」
小春の・・・笑顔・・・
一週間前・・・一か月前・・・一年前・・・
文字の読み書きが出来るようになった頃・・・
初めて十二単を着せた頃・・・
初めて自分の名前を呼んだ頃・・・
初めて・・・小春を自分の腕に抱いた時・・・
何故だ。どこまで記憶を遡っても全く思い出せない。いや、よく思い出せ、きっと、きっとどこか、いつかの日に小春は俺に対して・・・
「はい、時間切れー。答え知りたい?」
「何だと? お前は知っているというのか・・・?」
「勿論。さぁさぁ、知りたいの? 知りたくないの?」
「・・・教えろ」
「よし、じゃあ教えようじゃないか。正解は・・・」
この瞬間。飄々としたこいつの雰囲気がまるっきり変わった。まるで、穏やかな夏の空が夕立に染まるように・・・
「無い」
「・・・何が無いというのだ」
「小春が、アンタに対して笑顔を見せた事だよ」
「・・・は?」
「同じ事は二度も言わない。まぁ、さっきのアンタへの質問への答えは『答えられない』が正解ってわけだな」
「ま、またしても戯言を! 娘が父親に対して一度も笑った事が無いなど、そのような馬鹿げた事があってたまるか!!」
「それがあるんだよ。俺も最初に知った時は驚いたさ。けどな、よくよく理由を考えてみれば当然の事だったよ」
「理由? ならば言ってみろ! 俺が納得出来るだけの理由を!!」
ーーーアンタが小春のことを人形だと思っているなら、分からないだろうさ。
「そんなの簡単じゃん。『持ち主に対して笑いかける人形』がこの平安のどこにある?」
・・・絶句。何も言えなかった。何も言い返せなかった。的を射過ぎていて、文句のつけようがなかった。
「アンタ、小春に対して『お前は俺の人形だ』って言ったらしいな? 世間一般に考えて、そんな事を言う父親に対してその娘が微笑みかける事が出来る思うか? 出来るわけねぇだろ。もしアンタがそう思っていたとしたのなら、アンタこそ本当の大馬鹿者だ」
自身の事を『大馬鹿者』と罵られたのに、何も言い返せない。
「大体、いつも小春を局の中に押し込めて碌に顔も見ないくせして、よくも『娘が父親に対して一度も笑った事が無いなど、そのような馬鹿げた事があってたまるか!!』なんて言えるな。ちゃんちゃら可笑しくてへそで茶を沸かすわ」
「・・・」
「よし、そんじゃあこっから本題ね」
「・・・何だ、まだあるのか。結局、お前は俺をどうしたい。橘家の当主から引きずり降ろしたいか。脅して金を取るのか。俺を殺すのか・・・?」
「いやいや、そんな事はしないよ。誘拐犯じゃないんだから。ただ一つ、お願いっていうか・・・報告? があるだけ」
「・・・言ってみろ」
「さっきの話・・・小春がこのまま俺の家に居たいって言ってたって、俺がアンタに言ったじゃん? 小春がそう言う理由は分かってもらえた?」
「・・・」
「つー訳でお宅の娘さん貰うんで」
「・・・は?」
「こ、断る! 小春は天皇の正妻になる女だ! たかが庶民の家になど嫁がせて堪るか!!」
「誤解しなさんなって。別に小春を俺のお嫁さんにしたいってわけじゃないよ。ただ、その身をこっちの家で引き取るってだけの話」
「それが駄目だと言っている! もう縁談の日取りまで済ませている!!」
「それがどうした。・・・ハァ。あのさぁ、ついさっき俺に論破されたっていうのにまだそんな事言ってるの?」
「た、頼む! 橘の未来がかかっているんだ!」
「二言目には橘、橘って・・・そんなに自分の御家が大切?」
「当たり前だ!」
「そうか、なら話は早いな。アンタが自分の御家を大切にするくらい、俺も小春が大切なんだ。アンタは御家と自分の娘、どっちが大切なんだ?」
「それは・・・」
「ほら、迷ってる時点でもう駄目だね。・・・もうアンタと話す事は何も無い」
「ま、待ってくれ! たちばn「黙れ」ッ!」
「せめて、名前くらいは残しておこう。『生明 圭太郎』。アンタに代わって、小春を幸せにする男の名だ」
こやつはそう言い残して、煙のように消えていった。
ドタバタと、たくさんの人間が走り回る音で目を覚ます。日差しが部屋の中を明るく照らしており、もう日が昇ったのだと分かった。
どこからか、「小春様はどこだ!?」「あっちへ行ったのか!?」「いえ、朝、様子を見に行った時にはもう既に・・・!」といった声も聞こえてくる。
ーーーそうか、行ったか。
「小春・・・・・・すまなかった」
〈あれでは、挨拶というよりも脅迫に近かったですね〉
(別に脅迫なんかしてませんよ? あれは俺の中で決定事項だったんです。・・・それと、あらかじめ練っておいたあの作戦、上手くやってくれてありがとうございました)
〈小春さんの生活の様子を見せた事ですか? あれ位、どうってことありませんよ。・・・それにしても〉
(はい?)
〈『小春を幸せにする男の名だ』なんてあんなクサいセリフ、よく言えましたね〉
(・・・あの~神様? 神様の力で、その発言を無かったことに出来ませんか? 今さらになってすっごい恥ずかしくなってきたんですけど)
〈出来ない事も無いですが、面倒くさいしそのままにしておいた方が面白そうなので却下します〉
(こ、この駄神め・・・)プルプル
ここは・・・俺の部屋のベッド? そうか、無事に戻って来れたか・・・って、何か頭痛いんですけど。
「・・・あっ! 圭太郎が目を覚ましたぞ、エリー!」
「! ほ、本当ですか!?」
あぁ、何だかやけに久しぶりに感じるな。
ベッドに横になった体勢のまま目を横に移すと、神様の存在も確認出来た。
「大丈夫か圭太郎!? ずっと起きないから心配していたんだぞ!」
「・・・あぁ、ありがとう小春。小春のお父さんとちゃんと話をつけてきたよ」
「一人で起き上がれますか!?」
「エリーもありがとう。もう大丈夫だ。強いて言えば・・・『後頭部が痛い』事かな」
「「!?」」ギクッ
「んー・・・普通、デコピンされたらおでこが痛いはずなんどけどなぁー・・・」
「そ、それはきっとあれですよ! 他人の夢の中に入り込むんですから、頭が疲れているんですよ!」アセアセ
「そ、そうそう! きっとエリーの言う通りだ!」アセアセ
「「そうであろう(ですよね)神様!!」」
〈え? あ、はい・・・〉
〈おかしいですね・・・?圭太郎さんの身体になるべく影響が出ないようにしたつもりだったんですけど・・・〉
〈まぁ、という訳で小春さんをこの時代に留めておく理由もありますし、今回の仕事については、これにて一件落着と言って差し支えないでしょう〉
「やりましたね圭太郎さん!」
「あぁ、エリーも良く頑張ったね」
「・・・改めて礼を言おう。ありがとう、圭太郎。そなたのお陰で、私はエリーという、大切な親友にして姉妹と離れ離れにならずに済んだ。勿論、そなたともな」
「はは、光栄だなぁ。勿体無いお言葉で」
「もう! そのような言葉使いはもうよいと言ったではないか!」
みんな肩の荷が降りたのか、俺の部屋の中にしばらくの間笑い声が響いていた。
そろそろ時間も遅いので先にエリーと小春をお風呂に入らせて、俺は梅ジュースで水分補給をしていたところだった。
小春より先にお風呂から上がったエリーが俺の方に近づいてきた。
「圭太郎さん。改めて、今回のお仕事お疲れ様でした」
「お疲れ様。今回はエリーに頼りっきりになっちゃってごめんね?」
「いえいえそんな! 滅相も無い!」
「謙遜しないでよ。間違い無く、エリーがあんなに頑張ってくれなければ小春は元の時代に帰っていたよ」
「・・・! ありがとうございます!」
すると何故かエリーはモジモジし始めた。
「・・・あの〜もし良ければ、ご褒美が欲しいんですけど・・・」
「ん? あぁ、そうだよね。折角頑張ったんだから、俺が与えられる物で良いなら」
「それじゃあ、『頭ナデナデ』してくれませんか?」
・・・? この子は今何て?
「ごめんエリー、良く聞こえなかったからもう一回言って?」
「私に『頭ナデナデ』して下さい」
Oh...聞き間違えじゃなかった・・・
あのね、『頭を撫でる』って簡単そうに見えるけど、実は結構勇気がいるんだよ? いや、単に俺がそう思ってるだけかもしれないけどさ・・・
「じ、じゃあいくよ?」ゴクッ
「はい・・・」ドキドキ
あぁ、俺の手がエリーの頭に・・・
「そなた等、何をしておる?」
「「!?」」
「全く、妾のいない間にそのような事を・・・エリーが言ったのだな?」
「う〜、あとちょっとだったのに・・・」ボソッ
「そうだ、圭太郎。少し話がある」
「俺? あぁ、良いよ・・・あー、エリーは先に布団に入っていてくれ。小春の布団も用意しておいてね」
「あっ、行っちゃった・・・」
小春に呼び出されたのはもはや恒例になりつつあるベランダ。一体何を話したいというのだろうか。
「実はな、妾だけそなたと父の会話の内容を神様から聞かせてもらった」
「え、ちょっ! 本当に!?」
「あぁ。全く、万能な神よな」
クッソあの駄神、後で絶対消去させてやる・・・
「内容は既に聴き終わったが・・・そなたは本当に無茶苦茶な事をするな」
「俺は無茶苦茶だからね」
「よくもまぁただの一般人が、名家の当主にあのような態度を取れる・・・」
「ははは・・・ごめん、途中でちょっと調子に乗ってた」
「いや、謝らなくて良い。むしろあの言い方はすっきりしたぞ。妾の言いたい事を全て代弁してくれたからな。『持ち主に対して笑いかける人形がこの平安のどこにある?』は傑作だった。それを言われた時の父の顔が面白いことこの上ない」
「あぁ、それね。あれも、その場の思いつきだったとはいえ会心の一撃だったよ」
「特に終盤の『小春を幸せにする男の名だ』など、最初に聞いた時は驚いたぞ」
「ははは、済まなかった」
「ああいう言葉は、もっと大事な時にとっておく物だ」
「その時が来るとは思えないけど」
「はっ、全く・・・そこは「そうだね」で良いというのに、捻くれた奴め」
「・・・圭太郎。妾は前に、妾はエリーを友人であり、姉妹のように思っていると言ったな」
「そうだね」
「そして圭太郎。最初こそ、そなたをただの小童としか見ていなかったが、今となってはもうそなたは妾の中では特別な存在だ。恋人・・・というのではなく、もっとこう、ただ一緒に生活しているだけの他人同士ではなく、そなたの力になりたい、協力したいと思った」
「ーーーありがとう」
「まぁ、妾は借りを返したいだけだがな。全て返せるのはいつになるから分からんが」
「・・・それで、小春がこれからも俺の家で暮らしていくのは嬉しいんだけど、俺とエリーは・・・」
「あぁ、その事なら既にエリーから聞いておる。妾やエリーの様な境遇の異世界の者を助けているのだろう? 妾の恩返しも兼ねて、ぜひそれを手伝わせて欲しい。きっとエリーも同じ様な事を前に言ったのだろう?」
「手伝ってくれるのか? でも、無理して一緒にやろうとしなくても良いんだよ?」
「何を言うか! そなたにあぁまでして貰って何のお礼も返せないようでは、妾の『ぷらいど』が許さないだけだ!」
「分かった。なら、これからよろしく頼むよ。小春」
「うむ。大船に乗った気持ちでいろ! 妾にかかればちょちょいのちょいだ!」
「それは言い過ぎだと思うけど・・・」
「・・・それでな、少し頼みたい事があるのだが・・・」
「ん? 何かな?」
「『これからも頑張って』の意味も兼ねて、妾の頭を撫でて欲しいんだ」
「・・・何か、さっき言ってたのと全く反対の事言ってない?」
「う、うるさい! あの時はあの時で、今は今だ! ほら、早くしろ!」
小春はそう言って自身の頭をズイッと俺の方へ寄せてくる。
「・・・別に俺はやってあげても良いんだけど、何せ、観客席からの視線が痛くてね・・・」
「・・・」(<●> <●>)ジー
「ハッ!? いや、これは違うのだエリー!」
「え? 何がどう違うのかな・・・? さっき、私が圭太郎さんに頭ナデナデしてもらうのを邪魔したのに、小春はやって貰うんだぁ・・・?」ニコッ
「かくなる上は・・・圭太郎! そなたの腕を貸せ!」
「あ! ずるいよ小春!」
「ははは! 早い者勝ちだ!」
「あのー・・・二人を同時に撫でれば良いのではないでしょうか・・・?」
「「それでは(じゃあ)意味が無い(んです)!!」」
「アッハイ」
早くお風呂に入りたいのに、どうしてこうなった・・・
まだ少し痛む頭を左右に揺らされながら、少年はそう心の中でつぶやいた・・・
《ーーー良い調子だね》
《ならそろそろ、アタシも出ないといけないかなぁ》