億万+一々 (おくまん たす いちいち)   作:うぇろっく

1 / 42
プロローグ
『−1』


私はフリーランスのライターを生業としている男だ。30半ばでサラリーマンから身を引き、転職に成功した。

 

このご時世、フリーライターはネットだけでもやれないことはないが、それでも私は自らの足を運んでネタを集めることを信条としている。所謂『百聞は一見にしかず』である。

 

しかし、現代ではネット上に写真や動画が満ち溢れ、百聞どころか十見でも百見でも個人の力で簡単にできてしまう。さらに、1人の人間の一見が千にも万にもなって世界中に広がっていると言えよう。

 

『One experience is worth a thousand photographs』という言葉をご存じだろうか。もし初耳だとしても、ある程度の教養がある方であれば訳を読み取ることはできる筈である。

 

この英文は、1つの経験は千の写真と同じ価値を持つ、と言っている。私は雑誌の仕事を行う際、必ずと言って良いほど写真を添付している。というか、写真の有無によって記事全体の質が大きく左右されてしまう。無論、使用する写真はネット上のものではなく、自身のカメラで撮ったものを、である。「これを行うために自ら足を運んでいる」というのは勿論理由の一つだが、最も大きな理由は「私自身が経験を積むため」だと言って良い。「何万部と出回る写真を撮った当人に1つの経験もないのはお笑い種である」という考えに至ったその日から、私はこのスタンスを変えていない。

 

 

 

 

 

 

私は大体、雑誌やネットの記事を書くことが仕事内容である。しかし、偶に書籍の仕事が舞い込んでくることがある。今回の仕事がそれだ。

 

依頼主は背の丸い老婦人だった。ニコニコ笑う顔からは愛嬌があふれ、優しそうな雰囲気がする、というのが第一印象であった。是非若い頃の写真を見てみたいものである。

 

そして、一目見て、純系の日本人ではないと分かった。しかし、外国人という訳でもないらしい。肌は白かったが、詳しいことは判断できなかった。

 

老婦人は「作家活動は随分昔からやっていた」と言っていたが、私は彼女の顔に見覚えはなかった。私は学生時代文系で、加えて現在の職業柄のこともあり、長く作家活動をしていると聞いて記憶の中を探ってみたのだが、その時の脳内検索にヒットする記憶はなかった。宗教関係は興味が無かったのでそのような書籍には滅多に手を伸ばさなかったことから、老婦人がそちらの方面の人物である可能性を考えた。そうすると老婦人から多少宗教クサい臭いもしたが、そんな彼女の依頼を断れなかったのには訳がある。

 

彼女は、人が積む『経験』について長年筆を走らせていると言う。この時点でさらに宗教関係の香りが濃くなってきていたが、『経験』という言葉に引っかかるものがあった。私も『経験』についてある程度のこだわりと信条を持っていることは前述の通りである。しかし、彼女のその言葉だけでは、私の首を縦に振らせるには不十分だった。

 

私と老婦人が経験についてお互い一家言あるとはいえ、両者にとってこれは仕事である。一度宗教関連の書籍に関わると別の方面である程度の痛手を被ることがあったり、別件の仕事に支障をきたすことがあるのを私は知っていた。その時もまだ老婦人からはその可能性が拭いきれておらず、「信用に足らない」というのがその時の正直な感想である。

 

ーーーこの仕事の契約を決定づけた理由は、その後であった。

 

老婦人が探していたある男が、現在日本に帰国しているというのだ。彼女が経験について筆を執るきっかけになった人物であるらしい。老婦人とその男は旧知の仲であり、今回新たに執筆するにあたって彼の話を聞いた他人の意見や感想が必要とのことだ。

 

元々執筆の手伝いをしてほしいという依頼だったが、これほど内容に直結する部分を担当することになるとは想像していなかった。

 

他人の感想や意見が欲しいのであれば私に頼む必要もないのではないかと一瞬考えたが、老婦人の立場になって考えてみれば「経費を1人分で済ませたい」「実際に話を聞いた人物が文字に起こした方が効率的である」などの考えが浮かんだので、前述のように一瞬浮かんだ考えはすぐに消え去った。

 

フリーライターにこのような仕事を頼むのには何か訳がありそうな予感がしたが、男の元へ向かう交通費などの諸経費の手当は悪くない条件だった。寧ろ、老婦人の方が損をするような額で。

 

損をしてまで頼まれた仕事の依頼を水に流すのは、私の中になにか良くないものを残すことになるであろうと予見した。さらに、頭を下げる老婦人の丸まった背とその姿がいたたまれなくなり、これが決め手となった。

 

最後に「会って絶対に損はしない」と半ば常套句になっている言葉を聞いて、私は首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

そして私は今、男が住んでいるという家が見えるくらいに近い場所まで来ている。屋敷林に囲まれた住宅で、それ以外は特に物珍しさは感じられない。ごく普通の、古き良き田舎の一軒家と言ったところだ。

 

辺りには田んぼが広がっており、天に向けて青々と伸びる苗達の葉が、風に揺られて波を立てているのが見える。少し遠い場所に他の家も見えるが基本的にこの家の周辺に別の民家はなく、せいぜい古びた神社らしき建物がある程度だ。

 

視点を目標の家に戻し、玄関に続く道の両脇に広がっている、手入れの後が窺える庭に目をやりながら足を進める。そして、当たり障りのない挨拶をする。

 

「こんにちは。千紗さんのご紹介で参りました、新町(しんまち)です」

 

((はーい))

 

ーーーここで少し違和感があった。私の想像している人物像とは、声の質や調子が大分違っていたのだ。

 

戸の向こう側からこちらへ進んでくる足音が聞こえ、玄関が開かれた。

 

その瞬間に「え」と声を漏らさなかった私自身を大いに褒めたい。私の目の前に立っている男性は、顔がしわくちゃな訳ではなく、背が曲がっている訳でもなく、白髪が生えている訳でもなかった。

 

あの老婦人の友人と聞いていたので、50~60代だと想定していた私はこの瞬間に完全に面食らってしまい、数秒間思考と行動が固まってしまった。そうしている内に、男が私に声をかける。

 

「えっと、新町さん・・・でしたよね」

 

「あ、はい。千紗さんからの仕事の依頼で、あなたの元に行くように、と」

 

「・・・・・・あぁ、はい。遠路はるばるお疲れ様です。どうぞ、中に入ってください」

 

「お邪魔します」

 

私の言葉と男の反応の間にあいた謎の時間に疑問を抱きつつも、これ以上まぬけな表情を見せられない、余計なことを考えまい、とすぐに靴を脱いで揃え、男の後に付いていった。

 

 

 

 

 

 

案内された居間には、丸テーブルとそれを囲むように4つの座布団が敷いてある。

 

「その辺の適当なところに座って。飲み物は?」

 

「お任せします」

 

男は給湯ポットに手を伸ばしながら、片手だけで器用に急須を取り出し、茶葉をその中に入れる。

 

「こんなところまでお疲れ様。千紗の仕事の手伝いをしているんだってね」

 

「はい。ありがたいことに、仕事をいただけました。千紗さんは生明さんにもよろしく、と言っていましたよ」

 

「『よろしく』ね・・・俺なんかが新町さんの手助けになればいいんだけど」

 

ーーーやはり違和感が拭いきれない。この男性・・・生明圭太郎(あざみ けいたろう)さんは、見た目や話し方から判断できる年齢がハッキリしない。最低限、私よりは年上だということは分かるが、髪色も真っ黒で肌の色の別段暗いわけでもないので、「若く見える」というのが第一印象だ。しかし、ほうれい線や手の甲などの肌を見て判断できる情報から、現時点では、40~50代と判断しておくことにする。

 

そんなことを考えている内に、厚手の湯飲み茶碗が差し出された。うっすらと湯気が立っているのが見える。

 

「ありがとうございます」

 

湯飲みの表面を通して、茶の温かさが指に伝わってくる。厚手のものなので、持っていられないほど熱いということはない。

 

一度湯飲みをテーブルに置き、本題に入ることにする。ーーーつもりだったのだが、やはり生明さんの年齢がハッキリしていないと、こちらの言葉選びも定まらない。

 

「生明さんは千紗さんと旧知の仲だと聞きましたが、いつ頃知り合ったんでしょうか?」

 

「そうだなぁ・・・俺と彼女がまだ二十歳にもなっていない頃だね」

 

「学生時代からの付き合いですか」

 

「うん。そうなるね」

 

そうであれば、先ほど生明さんが千紗さんのことをファーストネームで呼び捨てにしていたことにも合点がいく。大人になってから知り合った相手のことを下の名前で呼び捨てにするのは、余程仲が良くなければ厳しい筈である。ーーー厳しいというだけで、可能ではあるが。

 

「失礼ですが、生明さんは今おいくつで?」

 

「40後半。もうすぐ50だよ」

 

「ーーー千紗さんには失礼ですけど・・・彼女は50代か60代かと思います。歳の離れた女性と学生時代から今まで友人でいるのは、あまり聞かない特種な交友関係ですよね」

 

「ははは、やっぱりそうなのかなぁ。第三者から言われると、改めて実感するね」

 

私の予想は当たっていたが、喋っている生明さんを見るとさらに若く見える。先ほど私自身が立てた推測は当たっているというのに、今更になって「実はもっと若いのではないか」と考えてしまう程に。

 

「わざわざ足を運んでもらったけど、俺にできるのはこうやって飲み物を出すくらいーーーいや、俺の話に付き合ってくれるのならそうでもないかもしれない」

 

「謙遜はいけませんよ。是非生明さんのお話を聞かせてください」

 

「よぉし、分かった。長くなるけど大丈夫かな?」

 

「元からそのつもりです」

 

「 ・・・良い返事だね。こっちのやる気も上がるってもんだ」

 

私は鞄からノートパソコンとメモ帳を取り出した。

 

 

 

 

 

 

「ーーーさてと。話し始める前に、これだけは言わせて欲しい」

 

生明さんが私の方に向き直り、声のトーンが変わった。

 

「はい。なんでしょうか」

 

「新町さんに俺のことを話している間、あなたには『俯瞰者』でいて欲しくない」

 

「・・・と言いますと」

 

「俺は今から、自分の物語を話す。つまり、基本的に俺の視点で話が進むってこと」

 

生明さんが『物語』という言葉を選び、まるで彼が自身の人生を他人事のように考えているかのように感じながらも、話の本筋をしっかり押さえようと集中する。

 

「だけど、あなたにはあなた自身が体験しているように感じ取って欲しい。つまり、俺の視点にダイブするんだ。そうでないと、俺がこれから話すことに意味が無くなってしまう」

 

「小説の中に登場する『私』や『俺』などの一人称の人物の気持ちを考える、ということでしょうか」

 

「まぁ、大体そんなところじゃないかな。現代文の問題でよくあるアレだね」

 

「なるほど、分かりました。そのように努めます」

 

つまり、生明さんは自身の話を「他人事」ではなく、自身の立場や気持ちになって捉え、感じ、考えて欲しいそうだ。確かに、そのようにしなければ生明さんが話すことの本質を捉えることは難しいだろう。現代文の「〇〇さんの心情を~」の問題が難しくなるように。

 

「ーーーそれともう一つ」

 

「はい」

 

 

 

「俺はあなたに『異世界や並行世界の可能性』だとか『魂という考え方』を伝えたい訳じゃない」

 

「今例に挙げた異世界だとか魂の話は、氷山の一角。俺があなたに対して本当に伝えたいものや大切なものは、あなたが水に潜らないと分からない。ーーーあ、今のはさっき言った「ダイブ」とかかってるんだけど、上手かった? ・・・なんだよ、結構センスよかったと思ったんだけどなぁ」

 

 

 

 

 

「じゃあ、どこから話そうか。小さい頃のことは話してもつまらないから・・・うん。高校に入学した辺りからにしよう」

 

「小さい頃のことは、説明しないと話が進められなかったり、辻褄が合わなくなったりしたら話すことにするよ。ほら、最初につまらない話をしても興ざめでしょ? 何事も出だしが肝心、ってね」

 

「・・・む、なんだか『もう出だしでつまずいている』って顔をしてない?」

 

「そういえば、1人暮しはこの頃までだったかな・・・? いや、後でまたーーーあぁ、ごめんごめん。思い出す練習ってやつだよ」

 

 

 

 

 

 

「では、『生明 圭太郎』(あざみ けいたろう)の物語を・・・いや、『物語』って言うと他人事みたいだから、『人生』って言うことにしよう」

 

「その人生を面白おかしく、ありのままに話すよ」

 

「きっと喋っていく内に口の滑りも良くなって、どんどん面白く話せるようになるから」

 

「それでもしも、あなたのためになったり、あなたの暇潰しになったり、可笑しく思って「フッ」と笑ってくれるのならーーー」

 

 

この『一』にも、少しは意味があったのかもしれない。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。