マイナスの使い魔   作:下駄

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第七敗『君が軽率に』

 トリステイン魔法学院において、ギーシュ・ド・グラモンは有名な女ったらしだった。本人もそれは自覚しているが、考えた末に出した答えは、

 

「ギーシュ! お前、最近よく早朝と夜にいなくなるけど、新しい恋人ができたのかよ?」

「今の恋人は誰なんだ? 俺達だけには教えろよ。友達だろ、なあ、ギーシュ!」

「付き合う? 付き合うだって? この僕にそんな人がいるわけないだろう。 薔薇は、多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 これである。金髪を巻き毛にして整えた相貌は美男子といって差し支えないのだけども、いささか自分に自信を持ち過ぎており、ナルシストも併発しているのだ。

 

 友人が自分に注目する様が気持ちいい。ギューシュが食堂にてそんな目立ちたがり屋の自尊心を満たしていた時、不意に彼のポケットから一つの小瓶が転がり落ちた。

 

 ――不味い!

 

 涼しい顔のまま、ギーシュの内に稲妻が走った。

 それはギーシュがモンモランシーから貰った香水が入った小瓶だ。これが誰かに見つかってしまったら、ギーシュとモンモランシーが付き合っていることがバレてしまう。

 それ単体では問題ないが、今この食堂にはギーシュが浮気しているケティという下級生もいるのだ。

 もしここでそれが表に出てしまったとなれば、二人共と破局してしまう。それだけは避けねばならない。

 

 幸い、話していた友人達は小瓶に気付いていないようだ。ならば、隙を見てさっと回収してしまえばそれでいい。

 そうギーシュが安堵していると、近くに給仕の二人組が近くを通りかかった。

 

 黒い服の平民がケーキの乗った皿を持ち、もう一人のメイドがそれをテーブルへと配っていく。あの二人組は朝ケティに洗濯物をぶちまけた平民だったと憶えているが、そんな瑣末な出来事に思うことはない。ギーシュにとってはそれだけの者達だ。

 

 ギーシュは二人を無視して話を続けていたが、黒い服の平民がすっと小瓶に近寄り、ゆっくりとその足を小瓶へ落とした。

 ただの小さいガラスの小瓶が、男一人の体重を支えられるわけもない。鈍く低い音が、平民の足の下で鳴った。

 思わずギーシュが黒い服の男に声を上げる。

 

「おい、平民! 君は何をやっているんだ! それは僕がモンモランシーからもらった大切な香水の瓶だぞ!」

「ミソギさん……! 貴方、なんてことを……」

 

 朝とは比較にならない程の怒りを露わにするギーシュに、もう一人のメイドが震え上がった。しかし禊の態度は踏む前から僅かも変化がない。

 

『ああ、ごめーん。気付いていたけど、踏み心地の良さそうな瓶だったから、ついつい踏んじゃったよ!』

 

 謝りつつも、禊はぐりぐりと割れた瓶を踏み躙る。

 反省心が皆無を通り越して、わかりやすく直接的に挑発してきていた。こんな無礼な平民はこれまで見たことがない。

 

「それは、たまたま僕が気付いていなかっただけだ。そもそも君、貴族の物を足蹴にするとは、どういうつもりなのだね」

 

 ギーシュが球磨川に食ってかかるが、そこに一人の少女が割り込んだ。それはギーシュと朝の時間を共にしていたケティだった。

 

「やっぱり。ギーシュ様はミス・モンモランシーと!」

「ま、待ちたまえケティ。誤解だよ、僕の心の中に住んでるのは君だけ……」

「その香水が何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 ケティがギーシュの頬をはたき、涙に目を溜めながら別れを告げて走り去っていった。赤く腫れた頬をさするギーシュの受難は、しかしこれだけでは終わらない。

 

 次にやってきたのは、金髪の髪を縦にロールさせた少女モンモランシーだ。

 彼女こそがギーシュに香水をプレゼントした張本人で、ギーシュからしても本命の相手である。

 

「聞いておくれモンモランシー! 今僕達にはとても重大な誤解が発生している。彼女とは一緒に、ラ・ローラシェルの森に遠乗りをしただけなんだ」

『遠乗りって、朝から校内でデートをすることなのか。ありがとう! 一つ勉強させてもらったよ!』

 

 禊のタイミングを見計らった口撃に、ギーシュの顔が青くなる。わざわざ早朝にしたのは、モンモランシーにバレない時間を考慮してのことだった。

 

「あらあら、本当に一年生の子と、仲がよろしいみたいねえ!」

 

 モンモランシーはテーブルに置かれたワインを引っ掴み、ギーシュの頭にドボドボと全部降りかける。そして一言、

 

「嘘吐き!」

 

 怒鳴り、モンモランシーもギーシュから離れていった。修羅場は終わり、そして食堂全体に気不味い沈黙が訪れる。

 モンモランシーの香水瓶を踏み潰された上に、浮気男のレッテルまで貼られた。どうしてこうなったと、ギーシュは心で滂沱の汗を流す。一先ず場の空気を誤魔化し、かつこれらの恨みをぶつける相手はたった一人しかいない。

 

「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ。そしてこうなったのは君の責任だよ、平民!」

 

 ギーシュは一歩踏み出して球磨川に近付き、許し難い相手に話の焦点を絞った。

 

「君があろうことか香水の瓶を踏み潰したために、二人の乙女が傷付くことになった」

『やれやれ、二股を他人に責任転嫁するなんて、近頃の貴族はどういう教育を受けているんだい?』

「黙れ! 何より許せないのは、あれがモンモランシーからもらった大切なプレゼントだと言うことだ!」

 

 瓶を潰されたこの一件については、ギーシュは純粋に被害者だ。というかモンモランシーの香水を駄目にされたのは本当に凹んだし、今もかなり怒っている。

 

『そうだね。そっちは僕の不注意だったよ』

 

 さっきはわざと言っていただろうが。どれだけテキトーな奴なのだ。朝メイドが粗相をした時にメイドへ苦言を呈したのは、ケティがいる前で格好付けたかったためだが、禊に対しては本気で罰を与えるつもりだった。

 

『けれど残念、君は一つ大きな勘違いをしているよ。僕は小瓶を踏み潰してなんてない』

「いやいや、言い訳にしても内容を考えたまえ。君はずっと踏みつけたポーズのまま会話し続けてるじゃないか」

 

 大方罰を受けるのが恐いのだろうが、現場押さえられておいてそれじゃあ、苦し紛れにもならない。

 

『僕はギリギリで踏みとどまったのさ。それを君が踏みつけたと勘違いをして、僕に怒鳴ったんだ』

「こっちは瓶が潰れる音まで聞いたのだよ。これ以上見苦しい嘘吐きを続けるのなら、さっさとその足をどけたまえ。それではっきりするだろう」

嘘吐き(・・・)か……よりにもよって僕を相手にそれを言うなんてね』

「いいかもう一度言うぞ。僕は、モンモランシーの瓶から、平民の汚い足をどけろと言っている!」

 

 引くに引けなくなって意味不明な見栄を張り、余計逃げ場を失う。この平民は悪循環にはまっている。

 

 ――見苦しい!

 

 ギーシュはこのくだらない問答を終えて、もっとはっきりとこの平民を糾弾してやりたかった。

 

『ならば皆さん、とくとご高覧あれ!』

 

 禊がそう言ってわざとらしくギャラリーの注目を集めて、勢いよく足を上げた。

 ギャラリーは皆ギーシュの怒りは本物と捉えており、瓶の話も疑っていなかったのだろう。

 そのため、どけられた足の下にあった物を見て周囲からざわめきが生まれ、ギーシュも思わず絶句した。

 

 ――何でだ!? そんな、あり得ない!

 

 そこにあったのは、その原型をはっきりと留めている香水の瓶だった。

 信じられず、ギーシュは瓶を拾い上げる。瓶には割れた痕跡どころか、傷の一つも付いてはなかった。

 

「おいギーシュ、どう見ても瓶は壊れてなんかないぞ」

「中身だって全然漏れてないじゃないか」

 

 取り巻きの言葉で、ギーシュははっと気付く。

 そう言えば瓶が割れたのに禊の足の下からは、香水が漏れてきたり、匂いが漂ったりもしてなかったのだ。

 

「な……そんなはずは」

 

 ギーシュは瓶を回しながらベタベタ触り、とにかく調べまくる。

 

 ――どうしてだ? 瓶が砕けた音を聞いたのは間違いないのに。踏みにじった傷跡が一つもないのだって、おかしいぞ?

 

『これで僕は転がってきた瓶を踏みそうになったけど、きっとこれは貴族様の私物に違いない。と、何とか堪えた健気な平民だと信じてもらえたかい?』

「ふ、ふざけるな! 僕は見たし、聞いたんだ! お前が喜々として香水を踏み壊して、その上グリグリとその足を動かした所を!」

「ギーシュ、いくら浮気がバレたのを平民のせいにしたいからって、それはないよ」

「どう見たって、浮気をしたお前が悪い! 平民に罪をなすりつけるな!」

 

 ギーシュが自分の正当性を主張していると、彼の友人達が禊の味方をし始めた。友人達は禊が瓶を踏んだ場面は見ていないし、踏みにじっている姿はギーシュに隠れて見えていなかったのだろう。

 この平民なら狙ってそれくらいやりそうな気さえしてきた。

 

 誰かが禊に魔法の使用を確認する『ディテクトマジック』までかけたが、結果禊は白だった。これが単純に踏んだ踏んでないの水掛け論なら、多少自分側が怪しくとも貴族が正しいと押し通せる。

 だが方法はさっぱりだが割れてない香水という物的な証拠がある。

 ほとんどの者が事件現場を見ていないから、誰も彼も、ギーシュが平民に濡れ衣を着せているようにしか思えないのだった。

 

「そんな……」

 

 数少ない例外が禊と一緒にいるメイドだが、彼女は朝叱った身だし、まず禊の味方をするだろう。このままだと背負わなくていい罪までギーシュが背負う羽目になる。

 

『君が軽率に二股なんかしたために、二人の乙女が傷つくことになった』

 

 先程のギーシュが言った台詞を、禊が意趣返しに使用した。それに乗ってギーシュの友人達もそうだそうだと勝手に盛り上がっている。

 

『が、しかし』

 

 被害者にも関わらず謂れのない罪まで着せられたギーシュに助け舟を出したのは、そこに追い込んだ張本人の禊だ。

 

『僕が危うく瓶を踏みかけたことが、二股発覚の発端であるのは認めよう。だからさ、お詫びとして僕がさっきの二人と君の仲を(なお)してあげるよ』

「君がだって? たかが一平民が、どうやってモンモランシーとケティとの仲を取り持つと言うのだい?」

『僕はこれでも、恋愛にかけてはエキスパートなんだよ。少年漫画はラブコメにも精通しているからね!』

「ショウネンマンガ?」

 

 聞き慣れない単語だけど禊は自信満々な様子だ。仮にこの平民が本当に恋愛のエキスパートだったとしても、それはやはり平民間の話である。

 

『もし僕が君達の関係を(なお)せなかったら、好きな罰を僕に与えてくれてかまわないよ』

「なんだって?」

 

 禊がさらなる譲歩を自分から差し出した。絶対的に有利だったのは禊だというのに、たった数回のやり取りでまるで立場が逆転したようだ。

 ギーシュには禊の意図がさっぱりわからない。不気味さばかりが先に立つ。

 

「いや、しかしだね……」

『嫌ならいいよ。そうなれば君は、二股の罪をその辺の善良な平民に全てなすりつけようとした、誇りなき女ったらしの貴族に成り下がるだけさ』

「うぐ……」

 

 まだ渋るギーシュに、禊は立場を利用した脅しをかける。これもかなりの有効打だった。

 ここを何とか凌がなければ、女子二人からの信頼失墜だけでなく、暫くは学院の女子のほとんどがギーシュを白い目で見るだろう。ギーシュにとって、それはもう生き地獄と同義だ。

 

『そう言うことだから、ここは僕に任せてちょーだい、ギーシュちゃん!』

 

 急転直下な展開に、禊がさりげなく自分をちゃん付けで呼んでいることにツッコミもいれられなかった。

 それだけギーシュは動揺していて、とにかくこの場を収束させたいのだ。

 

「わ、わかった。君の申し出を受けよう。ただし、失敗は許されないからね」

『うん。僕のご主人様にかけて誓うよ』

 

 ここでようやく、そう言えばこの見慣れぬ平民は昨日ルイズが召喚した者であると、ギーシュは思い出した。

 “ご主人様にかけて”なんて勝手に明言したが、これでこの一件の責任は彼の主人であるルイズにまで飛び火する。

 黙っていれば自分だけで止まったかもしれない問題に、あえて主人を持ち出すなんて……。この自信はどこから湧いてくるというのだろう。

 

『早速とりかかりたい所だけど、僕はまだシエスタちゃんのお手伝いがあるから。それじゃ、また明日とか』

「なっ!?」

 

 ぽん、と禊が右手をギーシュの肩を軽く叩いた。

 禊の手が服に触れると、感じたことのない悪寒がギーシュの肌を這いまわった。 思わず逃げるように身を引くが、彼は気にした風もない。

 

 その妙な馴れ馴れしさと理由のわからない気持ち悪さにギーシュは一縷の不安を得るが、禊はそのままメイドと配膳の続きへ行ってしまった。

 

「おい、ギーシュ!」

 

 釈然としないまま禊の後姿を見送るギーシュに、彼の友人が驚いたように指をさして声を上げる。

 

「え? 僕の、服が!」

 

 そしてギーシュは気が付いた。モンモランシーにかけられたワインの染みが綺麗サッパリ消えているのだ。しかもそれだけじゃなく、髪の毛も乾いていて、頬の痛みもいつの間にか引いていた。

 

「彼は一体、何者なんだ……?」

 

 あのゼロが召喚した平民。ルイズを知る者達からすれば、彼は無能の象徴とも言えるだろう。しかしギーシュにはそんな平民がこの邂逅によって忘れたくとも忘れられない、奇抜な存在となっていた。

 

 


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