決闘の後も、ルイズは禊を自分の部屋に住まわせている。
少なくとも禊は吸血鬼や危険な類の亜人ではなかった。それよりも
禊と寝起きを共にすることに抵抗はあったが、そこは貴族のプライドで抑えこんだ。
それでも重度のストレスが溜まるかと思っていたら、退屈なのか人懐っこく色々喋りかけてくるだけで、それさえ適当に流してしまえば危害を加えることはなかった。
いるだけでも負担になる相手なのだけれど、ルイズからしてみればいささか拍子抜けだ。
他にもこの部屋で一悶着あって騒ぎになったら、キュルケが直ぐ様飛び込んでくる手はずになっている。そんなの気休めでしかないとわかっていても、ルイズにはそれが安心感に繋がっていた。
そんなある日のある時、唐突に禊はルイズにお願いごとをした。
『ご主人様、僕に剣を買ってよ』
「何でわたしがあんたに剣を買わないといけないわけ?」
いきなり図々しいわね。あの決闘騒ぎからまだそんなに経ってすらないのに、どういう理屈で禊の力が増すかもしれないような行動を、それも自分で起こさないといけないのだ。
『最初に約束したよね。僕はルイズちゃんを守らないといけない』
「あんたは酷いくらい弱くて、だけど不快なくらいに強いわよ」
それこそ嫌になる程に。まだしも普通の平民が召喚されていた方が救いがあった。
やっぱり馬鹿にはされるだろうけど、それは“今まで通り”なのだから。
「そもそも、あんたはもうネジって武器を持ってるじゃない」
『螺子は本来武器じゃないんだよ。僕のいた世界では武器を携帯所持していると、打ち首にされるからね』
「どうせ嘘でしょ」
『本当に嘘だよ』
――話していて面白くはないけど、小気味いいのが微妙に腹立つわね。
決闘が終わり、ルイズの生活は不可逆に歪んだ。
禊の主人であるルイズを他の生徒や教師達が露骨に避けだしたためである。
ルイズに関わると禊関連でどんな理不尽を被るかわかったものではない。それに“メイジの実力を量るには使い魔を見ろ”という言葉が適用されて、ルイズもまた禊と同じレベルの危険人物と認定されていた。
今や例外はキュルケと、そもそも初めからほとんど交流のなかったタバサだけである。
人と会話をしなくなってから、ルイズは余計に話し上手である禊のトークスキルを実感していた。
『けど、理由なく武器を所持してると、憲兵みたいな人に連れてかれて注意を受けるのは本当の本当でね。だから
「それってつまり、あんたが法を無視してるだけじゃないの?」
あれだけ殺傷力あるのに、螺子が武器扱いされないのはおかしい。そして禊は
集団のルールに則るような者と思えという方が、
『螺子は本来物を留める道具でね、ハルケギニアで言えば鋲に近い道具なんだ。それを説明したら、食堂の料理長から“我らの鋲”と言われるようになったよ』
「それって讃えてるのかしら……」
剣や槍ならともかく、鋲ってどうなのだろう。
そう言えば、禊は平民に人気があるんだったかと思い出す。一緒に決闘を見たはずのメイドは、今でも禊の味方らしいし。
気絶してもなお禊に付いていくメイドの気持ちが、ルイズにはわからなかった。
「鋲だって言うなら、その大きさで何を留めるのよ」
『そんなの人間に決まってるじゃない。馬鹿だなあルイズちゃんは、螺子伏せるのが僕のスタイルさ』
「つまり武器ね」
『そうだよ?』
「………………」
もう今日は禊を無視して寝てしまおうかな。半ば本気でそう思った。
それでも話を続けてしまうのは、ルイズの真面目さか。それとも人との会話が恋しいからだろうか。
「じゃあやっぱり武器いらないわね」
『そうでもないぜ?』
「次変な回答したら、そのまま寝るわよ」
『そりゃあ螺子は一番手に馴染む、僕が
今度はきちんとした説明のなされた理由付けだった。
しかし、これだけでは禊を強化するという行為に許可は出せない。
「そんなの、あんたの
――武器のリーチや、貴族は魔法があるから強いなんて常識くらい、台無しにできるんだから。
心の言葉を表に出すと、貴族の敗北を認めたような気分になるので黙っておいた。
『だけど、いくら僕でも、
こいつは自分が襲われても笑顔で見ているだけな気がする。ただの直感だけど、確信もしていた。
「あんたの
『人を生き返らせる
「そう……」
もし、死者を蘇らせることができるなら、始祖ブリミルを再びハルケギニアに降臨させられるのだろうか。そう思ったけど、思うこと自体が不敬な気もしたので、これについて考えないでおく。
『それと、“これ”も試しておきたくってさ』
禊が、左手の甲をこちらに向けてアピールする。これに関しては、すぐにその意図を察した。
「使い魔のルーンね」
『これが、螺子以外にも反応するか試しておこうと思うんだ。
「通じないって、あんた、ルーンを無かったことにしようとしたの!?」
これは、禊がルイズとの主従関係を切ろうとしたことに対する驚きではない。禊は自分で、螺子を持った時にルーンが輝き、いつもより早く動けてゴーレムを圧倒できたと説明した。
そんな聞いたこともない特殊能力の恩恵があるのに、あっさりそれを切り捨てようとしたのか。
「そのルーンは、召喚を無かったことにできないあんたには、大事な力でしょ」
『いいじゃない。ただちょっとメイジを圧倒できる速度で動けて、青銅のゴーレムを容易く破壊できる程度の能力だよ?』
いつ何が起きるかわからない異世界にやってきた禊にとって、ルーンの恩恵は得こそあれあえて消す要素はないはずだ。
「……わかったわ。明日街へ剣を買いに行きましょ」
諦めたとアピールするような盛大な溜め息と共に、ルイズは剣の購入を認めた。
『流石はご主人様。素直なマスターを持って、僕はそこそこ幸せ者かもしれない』
「また嘘ね。あんたは誰より不幸が自慢でしょ」
『
「だったらせいぜいゼロのご主人様も
全然納得できたわけじゃないが、こうまで禊が力説するのなら剣を欲するのには何か意味があるはずだ。
だとしたら、もしここで無理に断ると勝手に街へ行きかねない。そうしたらどんな問題が起きるかわかったものではなく、監視のためにルイズも付き添うしかなかった。
それに明日は授業のない虚無の曜日だ。きっと禊は、そこまで計算した上で頼んできたのだろう。
どうしてもイニシアチブ奪われる自分に、彼女は嫌悪したのだった。
●
魔法学院からトリステインの城下町は、馬で移動しおよそ三時間だ。
球磨川はこれが初めての乗馬で、ルイズの後ろに乗ることになったのだが、これは彼女にとっては拷問だった。
触れるだけで相手の心をへし折れる球磨川がルイズの腰に腕を回すと、とんでもない怖気が走るのだ。
全身に鳥肌が立ち、あまりの気持ち悪さにルイズが馬から転げ落ちて、まず出発どころじゃない。
思案した末、ルイズは厚手のローブを借りてきて、それを被り禊との緩衝材にした。
それでも禊の手が触れる気持ち悪さを完全には消せない。涙目になりながら馬を走らせ続けたのだった。
二人はトリステインの宮殿へと続く大通り、ブルドンネ街を歩く。
禊がそこらかしこを指差してあれは何の店かと聞いてくるのを、ルイズは律儀に答えている。相手が禊とはいえ、ルイズはその根底に真面目さが根付いているのだ。
狭い路地に入ってから、禊の質問はさらに数を増してきた。
ただでさえ、この辺はゴミ屑が多く不衛生でルイズは気が滅入っている。それでもはしゃぐ禊の好奇心に、さしものルイズでも嫌気が差してきたが、ようやくそこでお目当ての店を見つけた。
剣の形をした看板を掲げた武器屋だ。二人が店に入ると、店主だと思われる壮年の男がパイプを咥えており、こちらを訝しげに見つめる。
どうやらルイズを店の査察にしきた役人だと勘違いしたらしく、自分は客だと説明すると店主の態度が豹変した。
「こりゃおったまげた。貴族が剣を!」
魔法が使えるメイジは普通武器など必要としない。ルイズを役人だと間違えたのは、それが理由なのだろう。
「剣を使うのはわたしじゃないわ」
『ねぇねぇ、ひのきの棒とお鍋のフタはどこにあるのかな?』
店主の愛想笑いも気にかけず、薄暗いに部屋に並べられた剣や槍に見入る禊が、平常通りに意味不明なことを聞いた。
「武器屋に、棒と鍋ぶたが置いてあるわけないでしょ!」
「ええと、この方が剣をお使いになるんで?」
「そうよ。適当に選んでちょうだい」
ルイズは剣については素人だ。それなら店の者に見繕わせた方がいいだろう。店主は店の奥に引っ込むと、小奇麗な細身の剣を持って戻っきた。
店主の説明によると、最近は貴族の間で下僕に武器をもたせるのが流行りらしく、このレイピアが売れ筋らしい。どうやら『土くれ』のフーケとか言うメイジの盗賊が、あちこちで暴れ回っており、その警戒のためなのだそうだ。
店主が持ってきた武器が気になるらしく、禊もこちらを向いて話を聞いていたが、それが終わるとまた他の武器を物色し始めた。どうやらレイピアはお気に召さなかったらしい。
そう言えば禊の螺子はもっと無骨で短いながら大きかったか。
「もっと大きい剣がいいわ」
ルイズがそう注文を付けると、店主は使い手の相性がとボヤきながらも次の剣を持ってくる。
今度はさっきよりかなり大きな剣だった。宝石が散りばめられた刃はピカピカに輝いている、いかにもよく切れそうな両刃式の大剣だ。
「こいつは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー興で、魔法がかかってあるため鉄だって一刀両断! この店一番の業物でさあ!」
店主が自信満々に語る様子を見るに、余程自信のある剣なのだろう。いくら禊でも、これを構えたら少しは見栄えするに違いない。
「おいくら?」
「なんせうちでこれ以上の業物はありませんからね。エキュー金貨で二千。新金貨なら三千はいただかないと」
「そんなの、立派な家と森付きの庭が買えるじゃないの!」
ルイズは普段あまり無駄遣いするタイプではないし、今は金銭的にも余裕がある。それに侯爵家の娘である以上、それなりの持ち合わせはあって当然だ。
しかし、それを加味したってこの値段は高過ぎた。
『ルイズちゃん、真の名刀は城にも匹敵するんだぜ?』
「流石は貴族にお仕えの剣士。わかってらっしゃる!」
「何であんたが剣を語ってんのよ!」
そもそも禊は剣士じゃないはずだ。自分と同じで剣の良し悪しがわかるとは思えない。それを代弁するような声が、どこからともなく聞こえてきた。
「てきとーなこと言うんじゃねぇ坊主。おめえの体でそんな剣振れるわけがねーだろ。さっき自分で言ってたように棒っきれでも振るってな!」
「誰なの?」
店主と同じくらい年のいってそうな低い声だが、店の中にはずっと三人しかいない。一体どこの誰なのだ? とルイズは周囲を見回す。
「わかったならさっさと家に帰りな! おめえもだよ、貴族の娘っ子!」
「何よ、姿も見せずに失礼ね!」
『この世界には喋る剣もいるんだね』
禊が声のする方を探すと、それは一本の剣から発せられていた。しかも、まともな手入れのされていなさそうな錆びの浮いた剣だ。
「やい、デル公が! お客様に失礼なこと言うんじゃねぇ!」
「おでれーた。まともに剣も見分けられねえような小僧っ子がお客様だと? ふざけんじゃねーよ!」
『この世界には、まだまだ僕の知らないことが沢山ありそうだ』
喋る度にカチカチと鍔を鳴らせる口の悪い剣を禊が顎に指二本を当て興味深げに見つめている。
真面目に剣を物色してるだけなはずの姿に、ルイズは僅かな不安を積もらせ始めていた。