マイナスの使い魔   作:下駄

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第十三敗『また勝てなかった』

 禊がよく自らを指し示す言葉として使った過負荷(マイナス)とは何なのか、それはこの止まらない鳥肌と、心を濁す不快感がそのまま答えなのだろう。

 禊が吸血鬼かもしれないと、少しでも思った自分が馬鹿だった。ましてやエルフだったらどうしようなんて思い違いも甚だしい。あいつはそれ以下だ。

 

 球磨川禊とそれ以外では、もはや存在の意味が違う。

 エルフは恐るべき種族(・ ・)だが、禊は最低な人間(・ ・)だ。

 

 人間のままで人間から忌み嫌われる悪意の化身、その生き方こそが過負荷(マイナス)であり、過負荷(みそぎ)が使用している大嘘憑き(オールフィクション)はそれを増長させる彼の一部だった。

 

 だから禊は自分を過負荷(マイナス)と分類し、扱う力も同じく過負荷(マイナス)と称したのだろう。きっとこの二つは別てないのだ。

 ルイズは禊と過負荷(マイナス)をそのように結論付けたが、長い理論と思考の果てにそうなったわけではない。球磨川禊に関わり、感覚的に本能が導いた回答だった。

 

 そこまできてルイズが悟り導いた結論は、“こんなの自分の手には負えない”だ。

 認めたくはないが、禊を召喚した自分にも過負荷(マイナス)の素養はあるのかもしれない。けれど禊が散布するこれは、ルイズ一人でどうこうできるものではなかった。

 

 ルイズは決して禊を見くびっていたのではない。あまりに過負荷(みそぎ)がハルケギニアでは規格外で例外で埒外だったのだ。

 それに気付かず観察なんて選んでしまったがために、決闘とは無関係だった生徒まで視力と声を無かったことにされるという、余計な被害が広がってしまった。

 もうこれ以上の喪失は許されない。ギーシュだってこの惨状が浮気した報いだとしても、ここまで苛烈な責め苦を受ける必要はないはずだ。

 

 この決闘を止めよう、それが禊の主人である自分の務めだ。

 戦いにならないという事実は、戦わない理由にはならない。敵に背中を見せないのが貴族なのだ。

 

 メイジとしては失敗ばかりのルイズだが、失敗と敗北から逃げたことはない。

 そうしてルイズは背の後ろにギーシュを匿い、一度は禊の策略によって失いかけた貴族の誇りだけを武器にして、禊と対峙した。

 

 ――だというのに、何なのよ流れは!

 

 せっかくの決起も、禊は見事にスルーしてしまった。

 皿の端へ押し退けられた添えもののパセリみたいにルイズは避けられてしまい、禊はこれ以上の非戦を宣言し、ギーシュに和解を持ちかけたのだ。

 

 これじゃまるで自分が相手にもされてない気分だし、事実されてないのだろう。

 手を伸ばし握手を求める禊と、その手を見つめ返すギーシュ。二人の世界はそこで完結していて、ルイズの入り込む余地はなかった。

 

 そうして脇にどけられたからこそ、ルイズは気付いた。あのギーシュは部屋の中で独り自暴自棄になっていた自分と同じだということに。

 自分の弱さを認めれば心は救われる。それはとても楽な選択で、気持ち悪いはずだった禊の誘う声が甘美にも思えてきて、抗い辛い魅力を宿していく。

 昨日は運よくキュルケが助けてくれたからどうにかなったものの、あのままだったらルイズは今頃過負荷(マイナス)への道を進み始めていただろう。

 ならここでルイズがすべきは、二人だけの閉じた世界をこじ開けて、ギーシュに自分の声を届けることだ。

 

「ギーシュ! その手を握っちゃ駄目!」

 

 言葉は時に人を追い詰め誤らせるが、正しき道を示して導く力も持っている。ルイズはそれを知った。

 ライバルだったキュルケが、それを教えてくれた。

 

「あなたはグラモン家の貴族でしょ! モンモランシーと一年生の子を助けるって言ってたじゃない」

 

 ギーシュが歩むべき道は貴族の誇りある道だ。険しいけれど、二人の罪無き女の子を救おうとしていたギーシュは、確かにその道を歩いていた。ならば、まだやり直せるはずだ。

 ギーシュは一人じゃない。共に支えあえる仲間がいる。それに気付けば過負荷(マイナス)にだって立ち向かえる。

 

「ギー……シュ……」

 

 されど、ルイズの声なんてまるで聞こえてないように、ギーシュは禊の手をしっかりと掴んだ。

 ギーシュが選んだのは厳しく強い貴族の誇りではなく、過負荷(マイナス)の冷たく優しい闇だった。

 

          ●

 

 見知らぬ闇で地を這う自分に、光が降り注ぐように舞い降りた螺子(てきい)のない禊の右手。ギーシュにこれを抗えるはずがない。

 

 ――死にたくない!

 

 ギーシュにあるのはこれだけだから。

 ずっと底の見えない闇に堕ちていくような絶望の中で、そこに一本、蜘蛛の糸が垂らされたようなものだった。そこにどんな意図があろうとも、その優しさを信じるしかない。

 

 ――助かる。僕は生き残った!

 

 開放を求めるギーシュの心は、無条件で禊を信じた。疑問や猜疑を心の隅に押しのけて、モンモランシーとケティの悲しむ顔が脳裏を霞めても、禊の手という“絶対”に抗う強さにはならない。

 誰かの声が聞こえたような気がしたけど、まるでノイズみたいに耳障りなだけで、ギーシュの芯には響かなかった。

 

 易きに流れたといえばそれまでだろう。

 しかし抗い難きが自身の死であるなら、それを許容してでも自分を貫ける者はどれだけいるのか。

 

 名を惜しむな、命を惜しめ。

 掴む。ギーシュは生き残るために、禊という蜘蛛の糸を掴んだ。

 

「ああ……僕達は、今日から親友だ……」

 

 自分はきっと、眉尻を下げて気の抜けた面構えをしているだろう。それで構わない。何の問題があるというのだ。

 だって禊は親友だから。

 だって『僕は悪くない』から。

 

 媚を売るように、へらへらとギーシュが笑う。それは、貴族(プラス)を捨てて、過負荷(マイナス)となった者の顔だった。

 

『なーんて。甘ぇよ』

 

 禊の空いている左手に握られていた螺子が、泣き笑うギーシュの額に迫る。禊という糸は、掴んだ瞬間ギーシュを切り離した。

 

          ●

 

 ギーシュの心が過負荷(マイナス)に流され堕ちた。

 ルイズはその顔から思わず目を逸らしたが真の悲劇はそこからだった。

 皆がこれで決闘は終わったと思った、これはそういう展開だ。そこで禊は自分を信じて手を取ったギーシュに、容赦なく螺子を突き立てた。

 

「あああああああ……」

 

 ルイズから漏れ出す音は、言葉の意味を為さない。ルイズ自身も意図して喋ろうとしたわけじゃなくて、思わず悲鳴を上げようとしたが、気持ちが現実に付いていけなかったのだ。

 禊がギーシュを殺した。

 使い魔が人間を殺した。

 

 受け止めきれない重責がルイズの心身を圧迫し、その場から一歩動くことさえ肉体が拒否する。

 遠くで誰か倒れた。シエスタだった。

 

 禊に懐いていた珍しいメイドだったから、まさかの貴族殺しに心がパンクしたのだろう。自分も同じく気絶できればよかったのに。

 

『うお!』

 

 ルイズが立ち尽くしていても、時間は進む。横合いから、不可視の一撃が禊を叩き飛ばした。

 はっとしてルイズは何が起きたかを思考し、周りを見回す。この魔法は『エアハンマー』で、使用したのはタバサだった。

 

 圧縮された空気弾により弾かれた禊が地面を転がり、タバサとキュルケがギーシュへ駆け寄る。できの悪い映画でも見ているようだ。

 これは全部ルイズが見ている架空のお話で、自分は観客。そうであって欲しいと願うルイズの足は、縫い付けられたようにここから動かない。

 

『何も見えなかったぞ? 今のが風系統の魔法かな』

 

 この世界の魔法を分析しながら、禊が立ち上がる。『エアハンマー』が直撃した右の肘が逆方向に曲がり、だらんと下げた前屈気味のまま歩行し始めるが、どうせ本当はわざとやっているのだろう。

 そこへ、炎の追撃が禊の全身を(くる)んだ。火だるまになった禊は体裁を捨て広場を転げまわる。

 

『ぐあああ熱っ! 熱い! 体が焼けてる!』

 

 その容赦のない炎を操るのは火系統の名手として学院で有名なキュルケではない。むしろキュルケは炎を使ったメイジに驚いている側だった。

 禊を燃焼させたのは、私やタバサ達の反対側から現れた人物だ。

 

「これ以上生徒には手を出させはしない。ここからはわたしが相手だ」

 

 いつもの冴えない風体からは想像できない冷徹な視線を向けたコルベールが、身悶えする禊を見下ろす。

 いつもは「ですぞ」僅かに間延びした言葉遣いも、引き締まったものに変わっている。

 

 高ランクなメイジが一挙に禊の敵へと回り、禊は燃え盛る炎に焼かれている身だ。それでも、ルイズの絶望感は微塵も薄まらない。

 コルベールもそうなのだろう、禊への警戒を緩めず、ここにいる者達に手短な指示を飛ばす。

 

「ここはわたしに任せて負傷した生徒を保健室へ。他の生徒もすぐ避難しなさい」

 

 それにいち早く応じたタバサがすっと立ち上がり、ギーシュにレビテーションをかけて浮かせる。

 でもあの螺子を頭に突き立てられたギーシュは、もうとっくに手遅れじゃないか。

 

「ギーシュは生きてる」

「え……?」

 

 そこでようやくルイズは無意識下で見ないようにしていたギーシュを確認した。

 

 ギーシュは死んでいるどころか傷一つ負っておらず、衣服やマントまで新品同然に戻っている。

 ただ、股を中心にズボンが湿っていて、彼の倒れていた場所には小さな水溜まりができていた。きっと螺子を突き刺される恐怖で失禁してしまったのだろう。

 どうしようもなく惨めな姿だが、それを笑う者などここにはいなかった。

 ルイズだって、ギーシュはよく戦ったと思う。

 

『やだなあ、教師ぐるみの虐めだなんて。週刊少年ジャンプじゃ規制間違いなしの描写だよ』

 

 黒い煙を立ち上らせる禊が俯せに寝そべったまま話している。全身大火傷は免れないはずなのに、両手で顔をぬぐうと健康的な肌が現れた。

 生徒ではなく教師が敵になっても、禊の態度は相変わらずだ。

 

『そのジャンプがここにはないんだけどね。あれを読めないと思うとテンション下がっちゃうよ』

 

 土でも風でも火でも、禊の過負荷(マイナス)は台無しにしてみせた。

 何度倒れても立ち上がる禊は、気高さはなく気持ち悪い。諦めない精神を見苦しいと思ったのは、これが初めてだった。

 

『おっと、僕に抵抗の意思はないよ。ギーシュちゃんとの決闘は、彼の望みに応えただけなんだから』

「ならば、君とミス・ヴァリエールには、このまま大人しくわたしに同行してもらいます。よろしいですね」

「はい……」

『僕も問題ありませんよ。対戦相手のギーシュちゃんが気絶しちゃったから、決闘はこれまでだろうね』

 

 ギーシュの誇りを懸けた決闘は誇りのない結末を迎え、残ったのは後味の悪さだけだ。禊の殺人だけは消えたが、禊がやったことが無かったことになったわけじゃない。

 嘘を取り憑かせて起こした事件は、どこにも消え去りはしないのだ。

 

 ルイズは自分が主人として背負った罪状を思うとここで泣き喚きたくなったが、それは逃げているだけと自分を叱咤する。

 しかしルイズがギーシュの死を確信して、また逃げたという足枷が彼女に新たな縛めを与えていた。

 そんな心情を、きっと禊は知っている(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)だろう。きっとそれだって禊は計画に含めていたはずだ。

 

 だけどそんなことはおくびにも出さず、決闘を行いに来た時と同じ足取りでコルベールの後ろに続いた。

 そして歩きながら告げる。ギーシュが死んだと思った時と、同じだけの衝撃をルイズに与える言葉を。

 

『また勝てなかった』

 

 禊はこれだけの事件を引き起こし、数えきれいない生徒達に消えないトラウマを植えつけて尚、決闘には勝っていなかった。

 


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