マイナスの使い魔   作:下駄

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第十二敗『今日から僕達は』

 何度も。何度も。何度も。

 ワルキューレ達が禊を攻め続ける。新たに持たせた槍で刺し、剣で斬りかかる。鮮血がワルキューレと広場を汚し、生徒達から悲鳴が沸く。

 その声の勢いは最初の歓声に比べると可愛いものだった。なにせ、決闘の巻き添えを恐れたギャラリーの半数以上はもう広場から逃げ去っているのだから。

 

 残った者達は、禊の発する気持ち悪い雰囲気に感化され、凍りついたように足がすくんで逃げることも叶わなくなっている。

 禊の付き添ってきたメイドすら、涙は枯れて禊の気持ち悪さに気圧されていた。彼の仲間ですらこの様なのだ。それ(・ ・)と相対しているギーシュは、もう生きた心地がしていない。

 

『ああこれは肝臓がぐっちゃくちゃかなー。胃の内容物が内蔵に溢れ出しちゃったかも?』

 

 普通の人間ならとっくに死んでいる怪我でも遊び半分の軽い声で解説をする禊に、ギーシュは寒気がした。

 そして手が緩んだと思えば、与えたダメージが即座に無にされてしまう。無かったことにされてしまう。

 そういう不毛な繰り返しに、いつしかギーシュの攻めは止まっていた。

 

 ――攻めなければ禊がこっちへ来る。だけど、何をしたってもう同じだろ。何から何まで、無かったことにされて終わりなんだぞ! 何かすれば疲弊するのは僕だけじゃないか!

 

 ギーシュの練ってきた策の全ては、大嘘憑き(オールフィクション)の前に何の意味も持たなくなっていた。

 ワルキューレが禊を攻撃すればするだけ、彼の狼狽は膨らみを増していく。

 

 決闘が始まったころの勇ましさなんて、ギーシュはとうに失っていた。今はただ死にたくないという生存本能が、彼の意識を支配している。

 

「来るな……こっちに来るんじゃない!」

『僕達って今、何してるんだっけ?』

 

 ギーシュは父が語っていた、“命を惜しむな、名を惜しめ”という言葉が如何に言葉だけであるかを理解してしまった。

 普段の彼がキザったらしく振舞うのは父からの教えを守り、自分がドットのメイジであっても貴族らしく振舞おうとする表れだった。

 

 何より、ギーシュ自身のナルシストな生き方のせいで見えにくくなってこそいるが、父の教えを尊守しようとする彼には困難に立ち向かう勇気がある。そうでなければ、根は小心者のギーシュが正体不明の禊を相手にしてまで、モンモランシーとケティを救おうとするわけがないのだ。

 

「くそ、何もかも無かったことにするだって? そんなの卑怯じゃないか!」

『貴族は魔法を使うんだろう? なら負完全と呼ばれた僕は、過負荷(マイナス)を使っているだけさ』

 

 そんなギーシュの才能(プラス)は、球磨川禊という規格外の過負荷(マイナス)の悪意に晒され、昨日のルイズと同じく台無しにされてしまった。

 涙目になりながら、ギーシュはワルキューレに自分を守れと指令を出す。“戦え”から“守れ”に変わった命令が、彼の心に憑いた(・ ・ ・)折れ目を如実に示していた。

 

『折角ギャラリーを集めたんだろ? 無限ループじゃ飽きられちゃうぜ』

 

 それはほんの数秒の早業だった。ギーシュの戦略によってワルキューレが禊の背後を襲った時とは比べ物にならない速さで、全てのワルキューレが地面に縫い付けられるように螺子を刺し込まれた。

 

「何ぃ……! 僕のワルキューレが! う、ううう嘘……」

『嘘だろ? さっきは力ずくで囲み、槍で倒せたじゃないか! とでも言いたいのかい?』

 

 ギーシュが言わんとしていた台詞を、禊が先回りして語った。そんな一言でも、雪玉が坂を転がり巨大化するように、ギーシュの恐怖がその濃度を増す。

 

『なんてことはないよ。絶体絶命のピンチに陥って、僕に眠っていた真の才能が覚醒したのさ』

 

 そんな都合のいい展開があってたまるか! とギーシュは思う。それを口に出すには、ギーシュの歯の根はあまりに噛み合わず、歯と歯がぶつかる音を鳴らし過ぎていた。

 ある意味でそれこそ彼が辿る敗北だったのだが、そんなIFは彼を含め禊すら知り得ないことだ。

 

『それとも、乙女の叫びによって新たなる力を得た! の方が思春期によくある病気っぽくて格好いいかな?』

 ――こいつ、わざと手を抜いていたな!

 

 気分よく禊を叩き伏せ、自分に悪人を裁く格好いい貴族という理想像を存分に味合わせておいて、それが全部仕組まれたものだと思い知らせた。ギーシュは禊の手の上で踊らされていたのだ。

 これによって、折れ目だらけになっていたギーシュのプライドは、握りつぶされたようにしわくちゃになった。もう元には戻せない紙くずに。

 

 敗北感に打ちひしがれたギーシュの膝が折れ、地に付いた。

 

「ま……」

『参ったなんて言わないよね? なんせ君は僕を一方的に四十六発も傷めつけたんだから。四十六億回は不幸(マイナス)になってもらわないと』

 

 球磨川禊が近寄ってくる。過負荷(マイナス)が這い寄ってくる。遅くもなくて早くもない歩調で、一つ一つ死の宣告を刻むように。

 肌が凍り、総毛立つ。春なのに、まるで真冬に戻ったようだ。

 涙でぼやけて禊の黒い服が滲み広がり、平民が、ギーシュにはもう悪魔にしか見えなくなっている。

 

『それにこの決闘、降参は負けに含まれないと言ったのは誰だっけ?』

「それは……」

 

 敗北の条件を予め確認したのはこのためだったのか。自分が決闘から逃げるためではない、ギーシュを決闘から逃さないために仕組んだ禊の罠だった。

 もう禊はすぐそこまで来ている。ここまで念密にギーシュを背水へと誘導したのだ、下手な言い訳なんて通用しないだろう。

 

「それなら!」

 

 ギーシュはわざと、自ら杖を手放した。もう自分が助かるならばそれでいい。生き延びるためなら貴族の誇りなんて今は邪魔なのだ。

 そんな逃避(マイナス)の意思は、されど禊の練り上げられてきた過負荷(マイナス)に通ずるはずもない。

 

『おっと、大事な杖なんだから手放しちゃ駄目じゃない』

 

 杖を手放した右手の甲に螺子が突き刺さり、しかしギーシュの手にあるのは螺子ではなく一輪の薔薇だった。

 自分から杖を手放して、メイジであることを否定しようとも、禊はそれすら無かったことにされる。

 偽りのプライドを持たせ続ける。

 

「そんな……これじゃあ」

 

 負けられない。

 勝てないとわかっているのに負けることも許されない。そして禊は、もういつでもギーシュを螺子伏せられる距離にいる。

 

「ゆ……許してくれ、僕が悪かった!」

『そんなの知ってるよ。だから最初から言ってるじゃないか』

 

 薔薇の刺を気にせず、ギーシュは両手を目の前に組んで禊へ敗北を懇願する(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。そんなギーシュに禊は笑いかけた。嘘みたいに愛嬌溢れる、嘘の笑顔だ。

 

『僕は悪くない』

 

 ギーシュの右太ももを、螺子が抉る。

 戦いらしい戦いなんて、ギーシュには子供同士の喧嘩しか経験がない。禊を痛めつけるための策は練ってきたが、その逆なんて考えもしなかった。

 そんなギーシュが、異物で肉が突き破られる痛みに耐えられるわけがない。

 

「ぎゃあああああああああああああ!」

 

 悶えてのた打ち回るギーシュの絶叫が、決闘場を支配した。

 禊を倒す覚悟はあっても、禊に倒される覚悟なんてない。常に勝者(メイジ)として生きてきた無自覚の甘さだ。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!」

 

 だけど這う。それでも這う。鮮烈な痛みが、より深淵な恐怖を喚び起こす。急激にリアルを帯びた、死への恐怖だ。

 後ろを見るな。見ればそこには笑顔の悪魔がいる。

 死へと背を向け、助けを求めて手を伸ばす。前に群がっているのは人だ。悪魔ではない。自分と同じ人間だ。だったら助けてくれるはず。

 

「助けてくれ! 殺される!」

 

 しかし人間は皆ギーシュから目を逸らす。だって人間だから。悪魔が恐いから。

 人だかりが減って、そこには決闘を止めようとここへ来たのだろう、教師達がだんたんとギャラリーに混ざり始めてきた。でも彼らとて同じだ。人間には変わりがないから、悪魔は恐い。

 

 足音が聞こえた。すぐ近く、人間ではない者の足音だ。

 

 悪魔が来る。

 悪魔が来る。

 悪魔が来る。

 ギーシュを殺すためにやって来る。

 

 泣いて、助けを求めるギーシュは這いずり逃げた。砂利とズボンが擦れる音がする。手や顔が土塗れだ。自分がどれだけ惨めな姿になっているか、ギーシュには省みる暇などない。

 ギーシュの手が、人に届いた。それは彼の想い人、モンモランシーのスカートだ。自分が守りたくて、禊と決闘した女の子だった。

 

「助けておくれ……モンモランシー! 僕には君が必要なんだ。誓うよ! もう君しか見ない。絶対だ! 君さえいればいい。愛している!」

 

 スカートを引っ掴んでよじ登る。救済を求めて、愛しい人の名を叫ぶ。なんて単純な話だったのだろう。生きてることはそれだけで素晴らしい。

 好きな子と一緒に生きられれば、それ以上に幸せなことなんてなかった。たったそけだけ。

 ギーシュはそれにようやく気付いたのだ。

 

「わたしに触らないで!」

 

 モンモランシーがギーシュを突き飛ばす。尻餅を付いたギーシュが、唖然として彼女を見つめる。

 

「モンモランシー……」

 

 そして再び弱々しく彼女の名を呼んで手を伸ばすが、それも(はた)かれてしまう。ギーシュはモンモランシーに拒絶されていた。

 

「気持ち悪い! 勝手にわたしをここに連れてきて! 何なの? 誰なのよあなた!? これ以上、わけのわからないことに巻き込まないでよ!」

「待っておくれ、行かないでモンモランシー!」

 

 走り去るモンモランシーに手を伸ばしたとて掴むのは虚空ばかり。ケティの姿はもっと早くからなくなっていた。

 半分に欠けた想い出では、どれだけ求めても残り半分を埋めるには至らない。空を握った拳は無念で、大地を叩いた。

 

『あーあ。また振られちゃったね。せっかくやり直させてあげたのに』

「ひっ……ひぃいいあああああ!」

 

 禊の声にすくんだギーシュの背後から、容赦なき禊の追撃がやってきた。新たな螺子がギーシュの皮膚を引き裂き、声にもならない声が絞り出されて、近付けたはずの人間達はまた遠ざかる。

 教師でさえも広場から逃げ出す者が現れた。

 

 不意の一撃により見えないという新たな恐怖を傷と共に刻まれたギーシュは、悪魔の顔を見た。やはり最初と変わらない、だけどもう恐怖の象徴でしかない笑顔だ。

 手には変わらず二本の螺子。あれがまた突き立てられるのか。今だってもう死にそうな程痛いのに、まだ死ぬような痛みが増えるのか。

 見えていたとしても、あるものはやはり恐怖だけだった。

 

 ――次だ、次が来る。来てしまう。もう嫌だたくさんだ。もう……!

 

 ふっと、ギーシュを影が覆う。ギーシュに映るのは黒いマントと桃色がかった長いブロンドの髪だ。ギーシュと禊に割り込んだのは、禊をこの学院に召喚した彼の主人。

 

「ミソギ、あんたの主人ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが命じるわ。今すぐその武器を捨てなさい!」

『最近の決闘ってのは横槍も許されるのかい?』

「何が決闘よ! これ以上、続けるならわたしが相手になるわ……!」

 

 この悪魔になんて勇ましい啖呵を切るのだろうとギーシュは慄く。

 だけどルイズの身体は心を正直に体現するように震えていた。これじゃあ悪魔の生贄が一人増えただけだ。

 下手すると乱入者にかこつけて、自分への罰を増やすかもしれない。仲間が増えても、それがルイズ(ゼロ)では何の助け(プラス)にもならないのがありありと感じ取れた。

 

『もー大逆転の雰囲気台なしじゃないか。空気読んでよね、ルイズちゃん』

「それがどうしたの。こんなの誰も望んでないわよ!」

 

 声も足も震えて、それでもルイズは勇ましく悪魔の前に立ちふさがる。二人の戦いが始まるのも時間の問題だろう。

 そうすれば、ギーシュの拷問もまた再開される。今のうちに少しでも逃げてここから離れないと。

 一度折れたギーシュの思考はどこまでも負け犬のそれで、しかし続く禊の言葉はそんなギーシュの逃亡すら止めるものだった。

 

『そもそもさ、僕はこれ以上ギーシュちゃん辛く当たるつもりはないよ?』

「はぁ?」

「え……」

 

 ルイズが眉をひそめて、ギーシュがぽかんと口を開ける。この期に及んで何を言っているのだ。話の流れが全く理解できない。

 それでも、これがまた薄っぺらな嘘だとしとても、ギーシュに小さな希望が灯ったのは事実だった。

 

『僕の国では、全力で喧嘩した者同士はその後厚い友情で結ばれるのさ。僕とギーシュちゃんは喧嘩どころか決闘をしたんだ。これはもう友達どころじゃないでしょ』

 

 軽くルイズを押しのけて、禊が四つ這いのギーシュを見下ろして、握手を求めるように手を差し伸べる。ギーシュがが必死に求めてた救いの手。誰も応えてくれなかったそれを与えてくれたのは、あろうことか禊だった。

 

『さぁ僕の手を取って。今日から僕達は無二の親友だよ!』

 

 羽より軽くて真実味がまるでない、悪魔としか思えない禊の笑顔。それがギーシュには、天使の微笑みと同じに見えた。

 


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