澄んだ青の広がる空の下、桃色がかったブロンズの長髪を爆風で揺らす少女――ルイズが佇んでいる。
ここ、ハルケギニア大陸にあるトリステイン王国の魔法学院では、毎春行われている恒例行事ともいえる授業が催されていた。使い魔召喚の儀式である。
数々の生徒が召喚を成功させ、多種多様な動物やモンスターを己の使い魔としていく中、ただ一人ルイズだけが未だ召喚の儀式を完遂できていなかった。
「やっぱりゼロのルイズは成功率ゼロだな!」
「召喚は爆発を起こす魔法じゃないぞー!」
一度も魔法が成功したことがないがため、彼女に付けられた二つ名は『ゼロ』。トリステイン魔法学院きっての劣等生、それがルイズだった。
学院内どころか十六余年の人生において彼女は、唱えた全ての魔法のことごとくを失敗してきた。
だがこの召喚の儀式だけはできませんでしたでは済まされない。このままだと、最悪退学にもなりかねないためだ。
それだけに、ルイズはいつにもまして真剣だった。
されどその結果は伴わず、起きるのはいつもと同じ失敗の証ばかり。
幾度も自らが起こした爆風によってボロボロになりながらも、ルイズは諦めない。諦めきれない。
わたしだって誇り高き貴族でメイジなのよ! そう己の内で唱え続けて、彼女はもう一度杖を振り上げ召喚のために叫ぶ。
「宇宙の果てのどこかにいるわたしの下僕よ! 神聖で、美しく、そして誰にも“負けない”使い魔よ! 私は心より、求め、訴えるわ! 我が導きに答えなさい!」
――爆発。
やっぱりゼロのルイズだと口々にヤジが飛び交うが、粉塵が晴れるにつれ、罵声は驚きに変わっていった。そこに何者かの影が見えたためだ。
「やった……!」
召喚の成功を確信し、思わず彼女は歓喜の声を上げた。
ゼロのルイズが初めて魔法を成功させたのだ、その喜びは格別のものだろう。
だが、
「え、そんな……嘘……」
つい数秒前まで歓喜に満ちていた幼くも美しい顔立ちは、あっという間に落胆の色に染まった。
原因はルイズが呼び出した使い魔にある。
幻獣や貴重なモンスターであったなら、ルイズの歓喜はさらに加速しただろう。
いや、たとえ召喚されたのがそこらにいる小鳥や動物であったとしても、今のルイズなら悔しさより喜びがずっと勝ったはずだ。きっと初めて出せた成果として使い魔を精一杯可愛がったに違いない。
「こ、こんなのが……わたしの使い魔……?」
ルイズの召喚よって現れたのは、黒く珍妙な服を皺と泥だらけにしている人間の男だった。歳はいくつか上だろうが、大きくは変わらないだろう。
少年は気を失っているらしく仰向けに倒れたまま動かない。
「おいおい、あれはどう見たって平民だぜ」
「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」
「むしろ、こっそり何処かで捕まえてたのを隠してたのかも」
ルイズが召喚したのは平民だったと皆が気付くやいなや、また人垣から嘲笑が再開された。
それに対しショックと失意で頭に血が上った彼女は、勢いに任せて反論する。
「何よ! こんなの、ちょっと間違っただけだわ!」
「お前が魔法で間違わなかったことなんてないだろ!」
「やっぱりルイズはゼロがお似合いだな!」
ルイズが言い返しても、周りからの笑い声は大きくなるばかりだ。
これでは駄目だと、彼女はこの授業を監督している教師に直接声をかける。
「ミスタ・コルベール!」
「なんだねミス・ヴァリエール?」
「もう一回、わたしに召喚をさせてください!」
生徒達の人垣を割って出てきたのは、生え際が後退しているメガネをかけた中年の男性、コルベールだ。彼は黒いローブに大きな杖を持ち、いかにも教師という風情を醸し出している。
ルイズは彼に再度召喚の儀式を要求するが、返された答えはノーだった。
「いいや、それは許可できない」
「どうしてですか!?」
「二年生に進級する際、君達生徒は全員この儀式で『使い魔』を召喚する」
何とか食い下がろうとするルイズだが、コルベールはあくまで冷静に一つずつ順を追うよう事情を説明していく。
「そのため召喚された『使い魔』の種類によって、今後君たちが進んでいく授業や進路もそれぞれ違ったものになる。よって『使い魔』は一度召喚すると軽々しく変更することはできない」
「でも! 平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」
周りからはまたもどっと笑いが起きるも、そんなのを気にしている余裕はない。
使い魔召喚の儀式において召喚されるものは多岐に渡るが、ルイズが知る限り人間を召喚したなどという記録は一つもない。恐らくは、彼女よりずっとメイジとしての経験の多いコルベールだって、こんな使い魔は初めて見るだろう。
それでも教師として彼の言は揺るがず、首を横に振るだけだ。
「それでも、だ。この儀式のルールはあらゆるルールに優先する。春の使い魔召喚は神聖なる儀式ですぞ」
「そんな……」
「前例がないなら、君がその最初の一人になればいい。違うかな?」
「それは……だって……」
いくらルイズが感情で反論しても、コルベールはあくまで正論での拒絶を返してくる。
そもそも教師と生徒という関係がある以上、彼の言葉には逆らえない。
「ミス・ヴァリエール、儀式の続きを」
これ以上食い下がっても無駄だと感じたルイズは、大きく肩を落として未だに眠ったままの使い魔に向き合った。
トリステインではあまり見ない黒髪でどことなく可愛らしい顔立ちではあるが、それらを併せても今ひとつ特徴に欠けている。
――どうしてよりにもよってこんなのが召喚されてしまったの? ゼロと呼ばれるわたしには平民で十分だと、始祖ブリミルまでもがそう言っておられるの?
などと考えれば考えるだけ、ルイズの悲嘆は濃くなるばかりだ。
後はもう諦観に任せて、儀式の仕上げを行うしかなかった。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
呪文を唱えて彼女は少年に口付けをした。
少女のキスシーンで、周りからはより一層声が上がる。それに比例してルイズの怒りは溜まる一方だが、相手が眠ったまま済ませられたのは、彼女にとって不幸中の幸いだっただろう。
『うぐ……!』
少しの間を置き、使い魔のルーンが刻まれる痛みで、少年が覚醒した。
少年は上半身を起こして、呻き反射的に左手を抑えている。
突然痛みで目覚めたら、知らない場所に飛ばされているのだ。使い魔召喚の儀式によって、自分が主人になったという事情説明は必要だろうと、ルイズは少年に声をかける。
『ここは……。安心院さんのいる教室じゃない?』
「あんしん? ここはトリステイン魔法学院よ」
『トリステイン? それに君は……誰かな?』
少年は上半身だけを起こしてキョロキョロと辺りを見回しつつ、ルイズへ名前を尋ねた。どうやら目覚めたばかりだということもあり、現状の把握ができていないようだ。
「私はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あんたは私の使い魔としてたった今召喚されたの」
『使い魔だって? それはまた随分とRPGみたいな台詞だね。括弧付けてるさすがの僕もビックリだよ』
RPGとは何のことだろうか。そもそもこの平民は貴族に対してこんな口の聞き方がなってない。
どうにも噛み合わない会話にルイズはイラっとするも、その怒りが言葉として出るより先にコルベールが割り込んだ。
「ふむ、これは珍しい使い魔のルーンだな」
コルベールは手早く紙に少年のルーンを書き写して、生徒達に撤収を告げる。
「さてと、皆さん。これにて召喚の儀式は終了です。教室に戻りますぞ」
そして皆が『フライ』の魔法で宙へ浮かび上がり、移動を開始する。その間にも「ルイズは歩いてこいよ」などと、生徒達によって彼女はからかわれていた。
『あれは、
ルイズは教師と生徒が飛び去っていく中で、新たな不名誉となった自分の使い魔を見ると、彼はまた聞き覚えのない単語を呟いていた。
使い魔を見るたび、自分の悲運を始祖ブリミルに嘆きたくなるが、どうしようもなくこれが現実だ。それは受け入れなければならない。
「それであんた、名前は?」
ルイズは事実を受容する一歩として、使い魔の名前を問うた。
少年は人懐っこく可愛らしいのに、どうしてか軽薄に感じる笑みをルイズへと向けて名乗る。
『僕の名前は球磨川禊だよ。よろしくね、ルイズちゃん』