銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第87話:どうやら俺は偉くなりすぎた 801年12月上旬 国防委員会庁舎の一室

 一二月上旬、統一補欠選挙の告示が迫りつつあった。しかし、市民の盛り上がりはいま一つだ。リベラル勢力と保守勢力はクーデターで大打撃を被った。右翼勢力はトリューニヒト派に勢いがなく、全体主義者と科学的社会主義者だけが気を吐いている。補欠選挙なので政権交代には結びつかない。国論を二分するような争点は見られなかった。新党にしても、既成政党の後継組織に過ぎないので新鮮味に欠ける。

 

 トリューニヒト議長は再建会議との対決姿勢を打ち出した。クーデターはとっくに終わっているため、「反民主主義勢力を根絶やしにする」と言って、再建会議関係者やリベラル勢力へのバッシングを煽る。共通の敵を作り、自分を正義の味方に仕立て上げ、支持を集めようとしたのだ。ところが、今回は失敗に終わった。

 

 市民は再建会議支持者を叩く一方で、何もしなかった者も叩いた。いつの間にか、「すべての市民が反クーデターに立ち上がった」という「市民軍神話」が生まれた。市民軍に参加した者は功績を誇り、参加しなかった者は市民軍との接点を強調し、反クーデター闘争の思い出を語り合う。クーデター支持者や傍観者は「裏切り者」とみなされた。このような風潮の中では、逃げ回っていたトリューニヒト議長は裏切り者であり、叩かれるべき対象である。

 

 市民軍神話は嘘っぱちだ。そもそも、市民軍は惑星ハイネセンのローカル組織に過ぎない。ハイネセン星民一〇億人のうち、正式な市民軍隊員は三〇〇〇万人、非公式の協力者は一〇〇〇万人、支持者は二億人程度である。再建会議が報道規制をかけていたため、星外の人々はハイネセンの混乱を「右翼の暴動」と思い込んだ。星外の反再建会議勢力は市民軍の存在すら知らなかった。

 

 クーデターが顕在化させた断絶を修復するには、神話が必要だった。すべての市民が市民軍の一員となり、クーデターと戦った記憶を共有し、分裂した事実を都合よく忘れる。それが国家を再統合する唯一の方法だったのだ。

 

 トリューニヒト議長は、「国家をまとめるには大義が必要だ」と言ってきた。だが、大義が自分を叩く道具になるとは、さすがの彼も予想できなかったようだ。

 

 大衆党はトリューニヒト色を薄める一方で、有権者の歓心を買う戦略に出た。目標とする上院の単独過半数獲得、首都知事選の勝利、首都議会の過半数確保は微妙な情勢だ。

 

 リベラル勢力は真っ二つに割れた。旧進歩党・旧反戦市民連合・旧環境党・楽土教民主連合の四党が合同して、新党「和解推進運動」を結成した。和解推進運動に反発したグループは、「反戦・反独裁市民戦線(AACF)」を立ち上げた。

 

「今は和解する時だ。憎悪を乗り越えよう。異なる思想を持つ者が共存できる社会を作ろう」

 

 ジョアン・レベロ下院議員を代表とする和解推進運動は、和解が必要だと訴えた。反クーデター闘争の経験から、右翼と和解する必要性を痛感したのだ。

 

「トリューニヒト政権は、無為・無能・無責任の展示場。クーデターを起こされた責任を取れ」

「市民軍は右翼とごろつきの集まりに過ぎない」

「エリヤ・フィリップスは市民を盾にした戦争犯罪者だ」

「和解推進運動は右翼に媚びる負け犬」

 

 コニー・アブジュ下院議員を代表とするAACFは、戦闘的な姿勢で注目を浴びた。何も考えずに悪口を言っているわけではない。リベラリストから見れば、右翼は自由の敵であるし、特定の勢力が神聖化されることは危険極まりない。そんな中で起きたレベロ議員らの路線転換は、独裁にレールを敷いたように思われた。だから、市民軍や右翼との全面対決をあえて選択した。

 

「市民軍の戦いはまだ終わっていません。取り戻した民主主義を守らねばならないのです」

 

 コーネリア・ウィンザー下院議員が率いる中道新党「民主主義防衛連盟(DDF)」は、市民軍との関係を武器にした。候補者には市民軍で戦功を立てた人物をずらりと並べる。各地の党支部には、ウィンザー代表が奮戦する写真、候補者と市民軍の英雄が一緒に写っている写真を飾った。旧国民平和会議(NPC)左派の流れを汲んでいるため、政策面では堅実である。

 

 統一正義党と汎銀河左派ブロックは、クーデター鎮圧の功績を党勢拡大に繋げようと必死だ。大衆党が上院で過半数を獲得すれば、与党としての存在価値が失われてしまう。一つでも多くの議席を獲得したかった。

 

「どこの党もぱっとしないな」

 

 俺はリモコンのスイッチを押し、チャンネルを変えた。これほどつまらない選挙は珍しい。勢いのある党が一つもないのだ。

 

「そりゃ当然でしょう」

 

 前首都防衛軍情報部長ハンス・ベッカー准将が苦笑いを浮かべる。

 

「スターが出ない試合は盛り上がりません」

「期待されても困る」

 

 俺は砂糖とクリームでどろどろになったコーヒーを飲む。最近は「フィリップス待望論」なんてものが聞こえてくる。糖分をとらないと体がもたない。

 

「テレビや新聞は、あなたがどの党から出るかという話題で持ちきりですよ」

「立候補の話は山ほどあるんだけどね」

 

 二つのリベラル政党を除くすべての主要政党から、立候補の話が舞い込んできた。大衆党からはハイネセン都知事選への出馬を依頼された。統一正義党は上院タッシリ選挙区補選、汎銀河左派ブロックは下院バーラト三三区補選、独立と自由の銀河党(IFGP)は下院エルゴン一区補選、辺境市民連盟は上院ルンビーニ選挙区補選に出てほしいという。その他、地方の首長選に俺を擁立しようという動きもある。

 

 DDFのウィンザー代表はとんでもない条件を出してきた。立候補するなら、「好きな選挙区から出馬する権利」「党代表の地位」「選挙資金と別に裏金五〇万ディナール」をくれるそうだ。トリューニヒト議長から自意識を差し引き、無鉄砲さを加えれば、この人になるのだろう。

 

「全部断るんですか?」

「当然だ」

「びびっているんでしょう。あなたは小物ですから」

 

 ベッカー准将は俺という人間をよく理解している。

 

「そうなんだよ」

 

 俺はマフィンを二つに割り、大きな方を口に入れる。小物は権威に弱い。政治家になってほしいと言われると、自尊心をくすぐられる。しかし、所詮は小物なので、政治家になるなんて恐れ多いと思ってしまう。

 

「こんな話に巻き込まれるのは嫌でしょうしねえ」

 

 ベッカー准将は今朝の朝刊を開き、政治面を指さした。大衆党のホバン総務会長が党副代表に昇格したという記事だった。

 

「俺には関係ない」

 

 本当は大いに関係のある話である。数日前、ホバン総務会長が「下院ハイネセン四区から出馬してほしい」と持ち掛けてきた。俺がトリューニヒト議長に問い合わせると、そんな話は聞いていないという。その数日後、ホバン総務会長が七人目の党副代表に任命された。大衆党の副代表は実権がない名誉職である。

 

 大衆党の過半数は、トリューニヒト人気に乗っかっただけの人々だった。一二派閥のうち、トリューニヒト議長の子飼いは四派閥しかない。残りの八派閥は忠誠心のない外様派閥だ。

 

 ホバン総務会長は元進歩党右派の幹部で、労働組合出身議員を率いて大衆党に寝返った。彼自身は再建会議に逮捕されたが、配下の労組は市民軍の勝利に貢献し、党内での影響力を強めた。人気が落ちたトリューニヒト議長を追い落とし、党の実権を握るために、俺の人気を利用しようとしたらしい。労組の組織力と資金力、反クーデター闘争の功績をもってすれば、地盤のない俺を言いなりにできると思ったのだろう。迷惑極まりない話である。

 

「人気がありすぎるのも考えものですな」

「俺が政治家になりたがってると勘違いしている人が多くてね。支援や献金の申し出がたくさん来てるんだ。組織や資金がないと政治家になれないなんて嘘だ。人気があるというだけで、人も金も勝手に集まってくる」

「私の祖国では考えられない話です」

 

 ベッカー准将はグリーンティーをうまそうにすする。八年前に亡命してきた元帝国軍将校も、同盟風の飲み方を身に着けた。

 

「帝国は大変なことになってるみたいだ」

 

 俺はテレビに視線を移す。ニュースが帝国情勢を報じていた。レンテンベルク要塞に避難しているエルウィン=ヨーゼフ帝が、帝都に帰還するという。

 

「ずいぶん遅いお帰りだね。帝都を奪還してから三週間も過ぎているのに」

「調整に手間取ったんでしょう。皇帝が三〇キロ移動するだけで国家行事になるんです。まして、レンテンベルクは一二〇〇光年離れています」

「帝国全土で三〇〇万人が戦死、五〇〇万人が処刑されたんだろ。後始末が大変だよなあ」

「反乱の規模を考えると、信じられないほどに少ない犠牲ですがね。帝国にサジタリウス平和賞があったら、ローエングラム大元帥とオーベルシュタイン大将が満場一致で選ばれますよ」

「帝国人はそう考えるんだよな」

 

 俺は肩をすくめた。同盟人は戦死者三万人、処刑者五万人でも狂気の沙汰だと思うだろう。しかし、帝国人は少ないと考えるのだ。帝国文化をそれなりに理解しているつもりでも、極端な人命軽視だけは受け入れ難い。

 

 クーデター終結後、ルドルフ原理主義者討伐に関する詳しいニュースが入ってきた。ラインハルト・フォン・ローエングラム大元帥一派の手並みは、同盟市民を驚愕させるには十分であった。

 

 革命軍討伐の勅命が下ると、ラインハルトは五〇〇〇隻を率いてオーディンへと直行した。そして、第三次ヴァルハラ会戦において、選民評議会艦隊一万二〇〇〇隻を壊滅に追い込んだ。衛星軌道を制圧した後、帝都奪還部隊一〇〇〇万人が降下した。

 

 帝都奪還部隊司令官オーベルシュタイン大将が用いた手段は、その苛烈さから「オーベルシュタインの首狩り」と称された。選民評議会軍に対し、「降伏すれば恩赦を与える。上官を捕らえて降伏すれば恩賞を与える。恩赦対象外の者を捕らえて降伏すれば恩賞を与える」との勅命を伝えた後に、攻撃を仕掛けた。降伏者はその場で釈放した。上官や恩赦対象外者を捕らえた者に対しては、テレビカメラの前で恩賞を与えた。戦って捕虜となった者は公開処刑した。降伏者に危害を加えた軍人は公開処刑した。これを繰り返した結果、選民評議会は三〇時間で消え去ったのである。

 

 キルヒアイス上級大将は辺境へと向かった。ダルムシュタット星域において、ルドルフ原理主義者の連合軍二万五〇〇〇隻を半数に満たない兵力で撃破した。

 

 震え上がったルドルフ原理主義者に対し、ラインハルトは最終勧告を叩きつけた。

 

「卿らは病人や老人をいたぶって、強者を気取っただけに過ぎぬ。誰が真の強者であるかを理解したならば、速やかに降伏せよ。強者の度量をもって卿らを受け入れよう。己が強者であると信じるのならば挑んでくるがいい。私が相手をしてやろう」

 

 痛烈極まりない皮肉であり、強烈な覇気の発露であった。絶対強者ラインハルトから見れば、強敵を恐れない姿勢こそが強者の証である。ゲルマン系男性というだけで強者を名乗ったり、劣悪遺伝子排除法を振り回して弱者を虐待したりする行為は、軟弱さの証明でしかない。

 

 ルドルフ原理主義者は迷うことなく降伏を選んだ。彼らのほとんどは平民である。生まれた時から強者として育てられた貴族とは違い、力の差を素直に受け入れることができた。

 

「ローエングラム一党は大したものです。戦争のやり方を知っています」

「凄いのは認めるよ。力の信奉者を屈服させるには、圧倒的な力で蹂躙するのがベストだ」

 

 俺は複雑な気分になった。ラインハルトとキルヒアイス上級大将が少数で多数に挑んだのも、オーベルシュタイン大将がテレビカメラの前で処刑を続けたのも、力を見せつけるためだ。流血の量を抑えたのは認める。前の世界で起きたヴェスターラント虐殺事件と違い、非戦闘員を無差別に殺したわけでもない。帝国人の基準なら人道的だろう。それでも嫌悪を覚える。

 

 結局のところ、価値観の問題なのだ。俺は人命の価値が高い社会の一員である。前の世界では、民主主義のバーラト自治区で過ごした。自治区が廃止された後は、選挙で選ばれた旧同盟人知事が統治者になったので、バーラトには人命を重んじる風習が残った。こうしたことから、人命尊重という民主主義者の常識が染みついていた。

 

「犠牲が少なく済んだとしても、ゼロではありません。政界の力関係も変わるでしょう。当分は帝国との戦争はないでしょうな」

「門閥派と先帝側近グループの対立が激しくなるね。ローエングラム大元帥は勝ちすぎた。バランスは先帝側近グループに大きく傾いてしまった。ブラウンシュヴァイク首相やリッテンハイム副首相としては、何としても巻き返したいところだろう」

 

 二つの大派閥が帝国を二分していた。一つは帝国首相ブラウンシュヴァイク公爵や第一副首相リッテンハイム公爵ら保守派門閥貴族を中心とする派閥で、門閥派と呼ばれる。もう一つはラインハルトや元老会議議長リヒテンラーデ公爵など、先帝フリードリヒ四世に抜擢された官僚や軍人を中心とする派閥で、先帝側近グループの名で知られる。

 

 両派の最大の対立点は財政問題である。先帝側近グループは貴族の免税特権を廃止しなければ、財政を立て直すことはできないと考えた。一方、門閥派は「貴族に課税すれば国内に金が回らなくなり、財政赤字が拡大する」と言って反対した。

 

「貴族財産に手を付けるのは禁じ手中の禁じ手です。同盟に例えると、地方政府の収入に課税するようなものですから」

「しかし、貴族財産は増えているじゃないか。ラグナロック前は三〇〇兆ディナールだったのに、今じゃ三三〇兆ディナールだ。物資不足は戦災を免れた地域の貴族を潤わせた。戦後復興事業のおかげで、フェザーンの金が貴族のポケットに収まった。国家財政が破綻したのに、貴族だけが豊かになったんだ。ルドルフ原理主義者が怒るのも無理はない」

 

 前の世界の戦記では「貴族財産」という言葉は、「無限の財源」と同義であった。門閥貴族を滅ぼして貴族財産を手に入れたラインハルトは、福祉政策を充実させ、フェザーンに新しい帝都を築き、毎年のように大軍を動かした。派手に使いすぎたおかげで、ラインハルト死後の為政者が財政難に悩まされたということは、戦記とは別の話になる。

 

「帝国経済における貴族の比重は飛躍的に高まりました。だから、厄介なんです」

「内戦をやって貴族を滅ぼすってのはどうだ?」

 

 俺は前の世界の記憶を参考にした。ラインハルト率いる改革派は、ブラウンシュヴァイク公爵率いる門閥貴族を打ち破り、莫大な貴族財産を獲得したのである。

 

「リンダーホーフ元帥の宇宙艦隊は門閥派です。九つの総軍のうち、メルカッツ総軍、オフレッサー総軍、シュターデン総軍、グライスヴァルト総軍、エッデルラーク総軍が門閥派を支持しています。私兵も加えると、先帝側近グループの不利は明白です」

「ローエングラム大元帥なら勝てるかもしれないよ。不可能を可能にする男だからね。二年前、ヴァルハラで嫌というほど見せつけられたじゃないか」

「門閥派にはメルカッツ総軍がいます。対同盟戦を想定した精鋭で、戦力的には大元帥府の部隊と互角です。メルカッツ司令官の手腕については、言うまでもありません」

「他の部隊だけを相手にすればいい」

「ゲリラ戦に持ち込まれたら苦しいですよ。ラグナロックのおかげで、帝国軍は防衛戦のノウハウを蓄積しました。四年前なら艦隊戦だけでケリが付いたでしょうが、今は違います。宙陸一体の防衛戦が当たり前になっています」

「結局、ラグナロックに行き着くんだよなあ」

 

 人類史上最大の大戦は、用兵思想をがらりと変えた。艦隊決戦で勝ったら決着する時代は終わった。ヤン・ウェンリーやラインハルト・フォン・ローエングラムといった前世界の天才は、この世界の変革にも柔軟に対応してのけた。それでも、できることとできないことはある。負けず嫌いの貴族とゲリラ戦という組み合わせは、攻める側にとっては悪夢に等しい。

 

「内戦は起きないでしょう。フェザーンが金を貸しません。帝国がこれ以上弱体化したら、勢力均衡政策が崩壊します」

「貴族は資産のほとんどを投資に回しているからね。先帝側近グループの資金源になっている皇室財産も同じだ。有価証券と不動産は山のように持っているけど、現金がない。借金しないと現金を調達できないんだ。大金持ちってのはみんなそうだけど」

「しばらくは宮廷闘争が続くでしょうな。その次は財政再建が待っています。先帝側近が勝てば貴族への課税、門閥貴族が勝てば平民とフェザーン企業への課税強化。どちらにしても国内の反発は必至です」

「フェザーン自治領主府は中立を守るだろうね。貴族に課税されたら、貴族マネーの運用で儲けている金融業界がダメージを受ける。関税が強化されたら、交易業者がダメージを受ける。どっちに肩入れしても、フェザーン経済界はごたごたする」

「少なくとも五年間は平和ですよ」

「その分、こちらは部隊錬成に専念できるわけだ」

 

 俺がそう結論付けた時、部屋に男女六人が入ってきた。チュン・ウー・チェン少将、サフィル・アブダラ少将、イレーシュ・マーリア准将、サンジャイ・ラオ准将、セウダ・オズデミル准将、エドモンド・メッサースミス大佐ら腹心の幕僚である。

 

「食糧を調達してきました」

 

 部下たちが袋をひっくり返すと、机の上にパンの山ができた。

 

「グリーンヒル大将からの差し入れです」

 

 メッサースミス大佐がバスケットの蓋を開けた。潰れていないサンドイッチがきれいに並べてある。

 

 宇宙軍の重鎮ドワイト・グリーンヒル大将は、料理の達人としても有名だ。サンドイッチ、クレープ、ハンバーガーなど挟むものにかけては、プロも顔負けだと言われる。彼に好意的な人は「挟撃作戦が得意だから、挟むものが得意なのだ」と称賛し、非好意的な人は「他の料理が作れないんだろう」と皮肉る。

 

「うまそうだなあ」

「私とは年季が違います」

 

 メッサースミス大佐は胸を張った。グリーンヒル大将の薫陶を受けた軍人は、みんな挟撃作戦とサンドイッチ作りが上手になる。前の世界の戦記は、グリーンヒル大将の娘フレデリカを「サンドイッチなど挟むだけの料理しか作れない」と評したが、それも父親のせいなのだろう。

 

「準備が整ったことだし、ミーティングを始めよう」

 

 今日はチーム編成を決めるために集まった。英雄扱いされていない幕僚たちは、市民軍の後始末をする部局で働いている。そこにテレビ出演を終えた俺が合流したのだ。

 

「参謀長は引き続きチュン・ウー・チェン少将に任せる。アブダラ将軍は地上担当の副参謀長だ。宇宙担当の副参謀長は、ここにいるメンバーの中から選びたい。部長クラスは――」

 

 俺は自分の構想を説明した。参謀長、副参謀長、部長級を古参で固め、副部長以下に新規採用者を加える。幕僚は頭脳であり、手足であり、耳目でもある。使い慣れた人物が一番いい。

 

「大物を引っ張ってくる気はないんですか? 今の司令官閣下なら、統合作戦本部のエリートだって取れますよ」

 

 ラオ准将が確認するように質問する。

 

「やめておこう。士官学校優等卒業者を三人も抱えているんだ。元統合作戦本部部員、元宇宙艦隊総司令部部員なんかもいる。これ以上欲張ったら恨まれる」

 

 チーム・フィリップスは規模の割にエリートが多い。失脚した提督の幕僚を引き取ったり、左遷された人物を拾ったりしたおかげで、充実したチームを作ることができた。しかし、人材を抱え込み過ぎているという批判もある。

 

「参謀が足りないもんねえ」

 

 イレーシュ准将は参謀有資格者名簿をぱらぱらとめくる。ラグナロックとレグニツァの敗北、戦後の粛清や軍縮により、大量の参謀有資格者が失われた。クーデター関係者の粛清が進めば、相当数の参謀有資格者が消えるだろう。

 

 一方、参謀需要は大いに高まった。選挙後に同盟軍再編が実施される予定だ。高級司令部の数が急増するという。参謀教育を行う士官学校の卒業者は、一年で五〇〇〇人前後に過ぎない。平凡な参謀ですら不足している。

 

「国防委員会は参謀を集めるのに必死ですよ。結婚して専業主婦になった人とか、民間に転職した人にも現役復帰を求めていると聞きます」

 

 ラオ准将の声に憂いが混じった。

 

「そういえば、不祥事で予備役になった人を復帰させるという噂を聞いたね」

 

 イレーシュ准将が形の良い眉をひそめる。

 

「優秀な予備士官課程出身者を集めて、即席の参謀教育を施すという話もあります」

 

 アブダラ少将が難しそうな顔で腕を組む。

 

「無茶苦茶だな」

 

 俺は憂鬱な気分になった。参謀は一種の特殊技能だ。中途退職者を呼び戻すのはいい。しかし、不祥事を起こした人や予備士官出身者まで使うのはやりすぎだろう。

 

「問題は副司令官です」

 

 チュン・ウー・チェン少将が話題を変える。

 

「指名権をもらったんだ。思う存分活用しないとね」

 

 本来、司令官は幕僚チームの人事権しか持っていないが、部隊編成権をもらえる場合もある。俺はクーデター鎮圧の褒美として編成権をもらった。正規艦隊司令官の指名権まで持っていたアッシュビー提督には及ばないが、副司令官と司令官直轄部隊長は自由に選べる。

 

 副司令官は参謀長と並ぶ要職だ。参謀長が幕僚チームのまとめ役であるのに対し、副司令官は部隊長のまとめ役を担う。平時は司令官の分身として隊務を補助し、戦場に出ると別動隊や予備戦力の指揮をとる。司令官が留守にしている時や倒れた時は、副司令官が代理を務めるのである。

 

 優れた副司令官なくして強い部隊は生まれない。前の世界のヤン提督はフィッシャー中将、今の世界のヤン提督はムライ中将という優れた副司令官とコンビを組んだ。旧第一一艦隊のストークス元中将、旧第一二艦隊のコナリー元中将、旧第一〇艦隊のモートン中将、旧ラップ分艦隊のアッテンボロー少将らは、実力派の副司令官として名高い。

 

 無能な俺には優れた副司令官のサポートが必要である。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊の故トラビ大佐、エル・ファシル防衛部隊のアブダラ少将、第三六機動部隊や前方展開部隊の故ポターニン少将らがいなければ、生き残ることはできなかっただろう。第八一一独立任務戦隊のオルソン准将、首都防衛軍のカウマンス少将は頼りにならなかった。力のある副司令官を選びたいと思う。

 

「意中の人物はおられますか?」

「エドウィン・フィッシャー」

 

 俺は大本命の名前を口にした。俺ごときが部下にするのは恐れ多い。だが、英雄チュン・ウー・チェンを参謀長にしているのだから、今さら遠慮することもないだろう。

 

 エドウィン・フィッシャー中将は前の世界の名将である。ヤン・ウェンリーの副司令官を務め、天才の作戦を滞りなく実施する役割を担った。この世界でも速攻で知られた故ヘプバーン提督を副司令官として支えた。部隊を素早く動かす能力は超一流だ。天才の副司令官を部下にできると想像するだけで、心が躍りそうになる。

 

「だめでしょう」

 

 チュン・ウー・チェン少将は簡潔明瞭に否定した。

 

「君たちは賛成するよな?」

 

 俺は幕僚たちの顔を見回す。

 

「他の人を選んだ方がいいんじゃないですか」

「賛成できません」

「やめときなよ」

 

 誰も期待に応えてくれなかった。

 

「どうしてだ?」

「司令官と副司令官の両方が戦術下手というのはまずいです」

 

 チュン・ウー・チェン少将は常識論で反対する。

 

「そこは練度と士気で補うさ。フィッシャー提督は練度管理の名人だからね」

 

 部隊管理の中で特に重要なのが練度管理である。時間をかけて訓練しても、経験の共有、知識の蓄積、訓練と休養のバランス、日程の組み方、モチベーションの維持などを考えないと、漫然と手を動かしただけに終わってしまう。また、人員入れ替え、艦艇のドック入り、部隊の再編成は練度を低下させる。フィッシャー中将は練度を高水準で維持する手腕の持ち主だ。

 

「フィッシャー提督は優秀な戦術家の下で本領を発揮します。高練度を維持する能力と、素早く行軍させる能力はあります。しかし、消極的すぎるので、司令官の適切な指示が必要です」

「練度と士気で押し切るんだ」

 

 俺は一歩も譲らない。優秀な戦術家を選ぶのがベストなのはわかる。ストークス元中将にもそう言われた。しかし、戦術能力と相性の良さを兼ね備えた人がいないのだ。ベストが望めないなら、長所をとことん伸ばすのがベターではないか。

 

「ローエングラム大元帥やメルカッツ元帥に通用すると思いますか?」

 

 チュン・ウー・チェン少将は穏やかだが容赦がない。

 

「厳しいかな……」

「あなたは同盟軍の主力を率いるのです。ローエングラム大元帥、メルカッツ元帥、キルヒアイス上級大将あたりを仮想敵だと考えてください。戦術能力、練度、士気を最高水準で備えなければ、彼らには対抗できません」

「わかった」

 

 俺はがっくりと肩を落とした。帝国のトップクラスと戦うと想像するだけで、気が重くなってくる。出世しすぎるのはいいことではない。

 

 ミーティングが終わると、俺はテレビ局が寄越した車に乗った。これから夜のニュース番組にゲスト出演するのだ。

 

「この人の部下だった時は楽だったなあ」

 

 ノート型端末を開いてため息をつく。画面に映っているのは、かつての上官ウィレム・ホーランド予備役中将からもらった長文のメールだった。クーデター終結から三週間が過ぎ、フィーバーが多少収まってきたため、目を通す余裕ができた。

 

「クーデター前に読まなくて正解だった」

 

 俺にしては珍しく正しい判断だったと思う。大仕事の前に読むには、重すぎる内容であった。

 

「これからは上官に頼れないのか」

 

 端末を閉じて車の背もたれに体重を預ける。次のポストは未定だが、どこかの総軍の司令官に収まる可能性が高い。自分より上位の司令官がいない状況で戦うことになる。それはとてつもなく心細いことだった。


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