銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第73話:心情政治 800年5月~9月20日 ハイネセンポリス~国防委員会庁舎~最高評議会議長官邸

 五月六日、ジョアン・レベロ最高評議会議長は対話集会の最中に銃撃を受けた。一時は危篤状態に陥ったものの、迅速な処置によって一命は取り留めた。銃を撃ったのはマリーズ・エルノーという二五歳の女性だった。

 

 辺境情勢に関連するテロとの見方が有力だった。アラウカニア条約機構との緊張が極限に達し、「レベロ議長が大幅な譲歩を示唆」「レベロ議長は傭兵を使って武力鎮圧に乗り出す方針」という矛盾した情報が流れたりして、何かが起きそうな雰囲気だったのだ。容疑者としては、アラウカニアの強硬派、独立派テロ組織、反移民団体、補助金復活に反対する財政委員会、武力鎮圧と移民保護を提唱するハイネセン財界、移民保護には賛成だが武力鎮圧は認めない軍部良識派、補助金復活と分裂回避を求めるトリューニヒト派があげられた。

 

 他にもレベロ議長を狙う理由のある者はいた。「鉛の六角形」に属する軍需企業や各種団体、労働組合、農業組合はレベロ改革で途方も無い損害を被った。憂国騎士団や正義の盾などの極右民兵組織、銀河赤旗戦線などの極左過激組織は、レベロ体制打倒を掲げた。穏健改革派は急進的すぎる改革に歯止めをかけようとした。反改革派は改革そのものに反対だった。情報機関や警察は、分裂を辞さないレベロ政権の姿勢に危惧を覚えていた。誰が狙っても不思議ではなかったのだ。

 

「エルノーの単独犯。サイオキシン中毒に起因する衝動的犯行」

 

 警察の発表は犯人探しに熱中する市民に冷水を浴びせた。エルノーは意味不明の供述を繰り返していたし、サイオキシン使用で三度の逮捕歴があるのも事実だ。レベロ議長は警備費を三分の一にしたので警備体制は手薄だった。それでも、こんな大それた事件が麻薬中毒者の単独犯行だとは、誰も思わなかった。

 

 市民の怒りはエルノーに集中したが、病床のレベロ議長が「私刑はテロと同じだ。そんなことは望まない」と訴えたため、すぐに静まった。テロですらレベロ議長の高潔な精神を傷つけることはできない。

 

 エドアルド・バーニ最高評議会副議長が議長臨時代行となると、政権内部の対立が表面化してきた。富裕層課税をめぐって反戦市民連合が国民平和会議(NPC)と対立し、辺境政策をめぐって進歩党が独立と自由の銀河党(IFGP)と対立し、環境規制をめぐって環境党がNPCと対立するといった具合だ。

 

 六月一〇日、レベロ議長は病床から総辞職を発表した。バーニ議長臨時代行では復帰するまでの中継ぎが務まらないので、新政権を作った方が良いと判断したのである。辞職直前の政権支持率は五四パーセントだった。

 

 前政権の最高評議会書記ホワン・ルイ下院議員が新議長に選ばれた。レベロ前議長とともに急進改革派の筆頭格であり、「政策のレベロ、政局のホワン」と称される人物だ。政務と党務の双方に豊かな経験を持ち、民営化政策や社会保障改革に大きく貢献し、議会対策でも実績をあげた。レベロ政権では調整役として改革を支えた。理想主義者だが原理主義者ではなく、クリーンだが狭量ではなく、柔軟でバランスの取れたリーダーである。

 

 ホワン政権が船出した頃、俺はハイネセンポリスに戻った。旅に出る前よりも首都の状況は悪くなっている。失業者、退役軍人、帝国人移民が頻繁に暴動を起こした。市職員が人員整理反対・賃下げ反対を訴えてストライキを起こし、公共サービスは機能不全に陥った。数日に一回は暗殺未遂や爆弾事件が発生し、政府機関が集まるキプリング街ですら安全とは言えない。

 

 退役軍人が失業に苦しんでいるにも関わらず、俺のもとには再就職の話が押し寄せてきた。一番多いのは、航路警備部隊司令官、安全保障局長、テロ対策顧問といった地方の危機管理担当職である。エル・ファシル危機やラグナロックでの実績を買われたのだろう。テレビ番組の軍事解説者、右派系議員の政策顧問などの話も来ている。国会議員や地方議員への出馬依頼もあった。いずれも軍人時代と同等かそれ以上の待遇が見込める。

 

「もっと適任の人がいます」

 

 俺は用意された仕事をすべて他の人に譲った。トリューニヒト派の地方政府が様々な名目で退役軍人を雇っているが、吸収できたのは軍縮で失職した者の二割程度に過ぎない。余裕があるうちは困っている人に仕事を回そうと思った。

 

「フィリップス提督は若いのに立派だ」

 

 こういうふうに褒めてくれる人がいるが、立派なことをしたつもりはない。戦友を助けるのは当然のことだ。戦友を助けない者は戦友に見捨てられるだろう。俺には一人でやっていける能力がないので、見捨てられないように頑張るのである。

 

「格好つけてるだけだ」

「選挙に出るつもりなんだろう」

 

 冷ややかに見る声もかなり大きかった。不本意ではあるが、弁解はしなかった。他人の心象を良くするためにやってることだ。人気取りと思われても仕方ないとは思う。

 

 俺は退役軍人連盟本部のボランティアスタッフになり、退役軍人・戦没者遺族の支援活動に従事した。朝五時三〇分に起きてランニングとウェイトトレーニングをこなし、本部に出勤して相談を受けたり支援を行ったりして、退勤後は退役軍人が経営する格闘技道場で汗を流す。講師としてあちこちから呼ばれるし、第一一艦隊遺族会の活動もあるので休む暇もない。

 

 退役軍人連盟本部に俺を名指しで相談してきた人がいた。かつてホーランド機動集団の副司令官を務めたマリサ・オウミ准将の母親だという。

 

「軍は娘が戦死ではなくて自殺だと言ったんです。少将昇進と名誉戦没者勲章は取り消し、お墓をウェイクフィールド国立墓地から移動するように言われました。軍は娘の命を奪いました。名誉まで奪うなんてひどすぎませんか」

 

 オウミ准将の母親は涙を流しながら訴える。国防委員会は戦死認定の基準を変更し、「艦が完全に破壊された時、脱出可能なのに脱出しなかった指揮官・艦長は戦死扱いしない」との方針を示した。退艦を拒否して死んだオウミ准将は、少将への名誉昇進と名誉戦没者勲章を取り消され、ウェイクフィールド国立墓地に埋葬される名誉も失ったのだ。

 

「お気持ちはわかります」

 

 俺はやるせない気持ちになった。生前のオウミ准将とは仲が良くなかったが、戦友の一人であることには変わりない。第二次ヴァルハラ会戦は絶望的な戦いだった。オウミ准将が死を選んだ心情も痛いほどに理解できる。その結末が戦死認定の取り消しなんて納得できない。

 

 もっとも、国防委員会の側にも言い分はある。退艦を拒否して死ぬのは、指揮官としての責任を放り出すに等しい。その指揮官を育てるのにかかったコストが無駄になる。死に急ぐことを美化すれば、指揮官が命を粗末にするようになり、生きて戦うより美しく死ぬことを優先する風潮が生まれる。沈んだ艦を捨てた艦長が卑怯者扱いされて、自殺に追い込まれたケースもあった。退艦拒否を認めるなど百害あって一利なしというのも、筋が通った主張といえる。

 

 結局、俺はオウミ准将の母親の依頼で国防委員会庁舎へと出向いた。六〇過ぎの民間人女性は相手にされないが、予備役少将ならまともに対応してもらえる。官僚組織とはそういうものだ。

 

 パエス大佐という二〇代後半の女性士官が応対してくれた。この年齢で大佐ならトップエリートと言っていいし、胸の略綬を見れば将官になっていてもおかしくない戦歴だ。それなのに交渉はうまくない。

 

「ええと、それは……」

「この点については、お認めいただけるんですね?」

「ああ、いや、その……」

「どうなんですか? 私とあなたの主張に違いはないと思いますが」

 

 俺はどんどん切り込み、パエス大佐は後退を続ける。トリューニヒト派の軍官僚相手だったら、こうも簡単にはいかないだろう。

 

「申し訳ありません! 助けてください!」

 

 追い詰められたパエス大佐は携帯端末を掴んで援軍を呼んだ。

 

 やってきたのは国防委員会参事官・戦略副部長ダスティ・アッテンボロー少将だった。彼は国防参事官会議と戦略部という二つの国防政策中枢に関与し、有害図書愛好会グループの行動隊長であり、良識派のスポークスマンを務める超大物だ。藪をつついて大蛇を引っ張りだしてしまったのである。

 

 攻守は一気に逆転した。俺が何を言っても、アッテンボロー少将はあっという間に答えを返す。鋭くて正確な言葉が俺の矛盾を突き崩す。こちらが一つの言葉を考える間に、向こうは一〇個の言葉を考えているように見えた。思考と決断の速度がまったく違う。ミッターマイヤー提督と戦った時のことを思い出した。

 

「オウミ准将の心情を理解してほしい。それがあなたのおっしゃりたいことですか?」

 

 アッテンボロー少将は俺の主張から余計な部分を削ぎとって圧縮し、完璧なまでに要約してのけた。

 

「そうです」

「理解はしました。あなたがさんざん説明してくださったのでね」

「では、考え直していただけますか?」

「理解はしましたが、共感はできません」

 

 簡潔極まりない拒絶であった。

 

「付け加えますと、私が共感しても規則は変わりませんよ」

「何とかなりませんか」

 

 俺はすがるように言う。理屈で敵う相手ではない。泣き落としに最後の望みを繋ぐ。

 

「できませんな」

「規則は変えられなくても、運用は変えられます。脱出可能なのに脱出しないのが不合理なのはわかります。しかし、過去に遡って名誉昇進を取り消すのは酷すぎます。変更以降の死亡者にのみ適用するわけにはいきませんか?」

「酷いというのは感情の問題でしょう。感情を満足させるために、無駄死を美化する行為を認めろということですか? 人間の命を何だと思っているんです?」

 

 アッテンボロー少将の声に苦い響きがこもる。

 

「軍事関連は法の不遡及原則の適用外です。しかし、この件については、過去まで遡って裁く必要があるとは思えません」

「同盟軍が無駄死を名誉の死だともてはやした過去は、決して消えませんよ。死ななくていい人間が死んだ事実もね」

「おっしゃることはわかります。しかし……」

 

 俺は懸命に反論を試みた。相手に理があることは認めざるをえない。退艦拒否を美化する風習は無言の圧力となり、「乗艦を失った指揮官や艦長は死ぬべき」という空気を作った。指揮官が死に急ぐことは、残された人間にとっても迷惑だ。第二次ヴァルハラ会戦では、オウミ准将が死を選んだせいで指揮系統が混乱した。アッテンボロー少将は正しい。正しいのだが受け入れ難い。

 

「私の先輩が言ってたんですがね。過去を反省しない者は必ず敗北するそうですよ」

 

 アッテンボロー少将がいう先輩とは、統合作戦本部次長ヤン大将であろう。有害図書愛好会グループの頭脳で、軍の過ちを暴くプロジェクトを主導する人物だ。

 

「反省は必要です。しかし、名誉まで奪うことはありません」

「責任を放り出して得られる名誉、味方に損失を与えて得られる名誉、空気に流されて得られる名誉なんてこの世にあるんですかね? 不名誉を名誉だとごまかしてるだけでしょうが」

 

 やはり理屈ではアッテンボロー少将が圧倒的に強い。手加減なしに本質をついてくる。結局、完全に論破されてしまった。

 

「フィリップス提督、お互いの主張は出尽くしたと思うのですが。まだありますかね?」

「ありません」

「これ以上話しても、妥協点は見つからないでしょうな。終わりにしましょう」

 

 そう言うと、アッテンボロー少将は席を立った。

 

「そうですね。ありがとうございました」

 

 俺も席を立ち、ドアに向かって歩き出す。

 

「ああ、言い忘れていたことが一つだけありました。パエスは戦場で本領を発揮する奴でしてね。無能とは思わんでください」

「…………」

 

 驚きで何も言えなかった。パエス大佐が無能でないのは略綬を見れば分かる。それよりもアッテンボロー少将がフォローしたことに驚いたのだ。

 

 部屋を出た後、俺は携帯端末でオウミ准将の母親に連絡を入れた。交渉がうまくいかなかったことを謝り、裁判という選択肢があることを伝えた。

 

「国防委員会と戦います。娘が名誉の戦死を遂げたと証明されるまで戦います」

 

 オウミ准将の母親は裁判を望んだ。

 

「わかりました。俺個人としても、退役軍人連盟としても協力させていただきます。第一一艦隊遺族会にも話してみます」

 

 こうして俺は、オウミ准将の戦死認定を求める裁判に協力することとなった。退役軍人連盟と第一一艦隊遺族会に加え、右派議員や右翼団体も支援に乗り出し、右派と良識派の代理戦争の様相を呈したのである。

 

 

 

 ホワン政権はバランスの取れた政策を打ち出した。人事面では与党内のバランスを重視し、オリベイラ博士やアルバネーゼ退役大将らを諮問委員として呼び戻し、穏健改革派や反改革派との関係修復を図った。経済面では企業に低利で融資して倒産を防ぎ、失業者や退役軍人に無利子で生活費を貸した。辺境に対しては歩み寄りの姿勢を見せ、同盟政府が地方政府に低利の融資を行ったり、中央宙域に多くの移民を引き取らせた。

 

 理想と現実の双方に十分な配慮がなされた政策は、効力を発揮しなかった。支持率は二か月で六〇パーセントから四四パーセントまで落ち、地方選では敗北を重ねた。反戦市民連合、汎銀河左派ブロック、IFGP、環境党が政策上の対立から与党を離脱した。

 

 あらゆる問題が袋小路に落ち込み、同盟の混乱は一層ひどくなった。国内総生産は前年末より五パーセント低下し、平均所得は六パーセント低下し、失業者は一八億人を超えた。辺境では独立運動や反移民運動が激しさを増している。アラウカニア条約機構、スカラ共同体、アルティプラーノ協力連合との交渉は遅々として進まない。

 

 傷だらけのホワン政権にラビアナ事件がとどめをさした。若い帝国人移民がラビアナ市の地下鉄で身体障害のある女性に暴力を振るい、全治二週間の重傷を負わせたのだ。取り調べに対し、容疑者は「役立たずの障害者が優先席に座るのが許せなかった」と供述した。市民は帝国人移民からルドルフ的価値観が消えていないことに驚き、移民排斥の空気が強まった。そして、ラグナロック戦役中から移民導入に積極的だったホワン議長に対し、責任を問う声が出たのである。

 

 与党内部から「ホワン議長では来年の選挙は戦えない」との声があがり、九月一六日にホワン政権は総辞職を表明した。辞職直前の政権支持率は三三パーセントだった。

 

 議長の後任選びは難航を極めた。急進改革派には、レベロ前議長やホワン議長に匹敵する大物はいない。穏健改革派はラグナロック戦役を推進したグループであり、オッタヴィアーニ元最高評議会議長ら「ビッグ・ファイブ」、ウィンザー元国防委員長、ネドベド前NPC幹事長、ラングトン元最高評議会書記などの議長候補は力を失った。小物を議長に立てて大物が院政を敷くのは、ボナール政権を連想させるのでイメージが良くない。

 

 結局、反改革派のトリューニヒト下院議長が消去法で選ばれた。現時点で唯一傷を負っていない与党の議長候補であり、有権者を納得させられるだけの知名度を持っている。

 

「改革が後退するのではないか」

 

 このように懸念する声もあったが、別の声が打ち消した。

 

「辺境と交渉するには反改革派の方が望ましい」

「議会は改革派が抑えている。閣僚を改革派で固めれば、反改革志向は問題にならん」

「トリューニヒトだって馬鹿ではない。改革の流れを止められないのはわかっているはずだ」

「あいつの軍拡論や積極財政なんてただの看板さ。議長になれるなら、喜んで看板を掛け替えるだろうよ」

 

 改革派議員たちは、トリューニヒト議長を利用するつもりだった。議会さえ抑えておけばどうにでもなると考えたのである。

 

 最高評議会議長の平時における権限は強くない。銀河連邦で言えば国家元首と首相を兼ねるポジションだが、「閣僚の任免には議会の同意が必要」「重要事項は閣僚との多数決で決める」「議会の解散権を持たない」など、第二のルドルフを出さないための仕掛けが施されている。議会の同意がなければ何もできない。議会によって戦時特別法に基づく非常指揮権が付与された時のみ、最高評議会議長は議会の統制から自由になるのだ。

 

 九月一八日、俺は議長公邸の一室でトリューニヒト新議長と面会した。名目は「退役軍人の境遇について意見を述べる」だが、彼ほどそれを知り尽くしている政治家はいないので、実際は単なる個人的な面会だ。

 

「偉くなると時間を取るのも難しくてね。名目を付けないと友人と会うことすらできない」

 

 トリューニヒト議長の微笑に寂しさが混じる。

 

「そこまでして時間を作ってくださったこと、心より感謝しております」

「この機会を逃したらいつ会えるかわからないからね。君だってなかなかの多忙ぶりだ」

「予備役になってもこんなに忙しいとは思いませんでした」

「給料を出せないのが申し訳ないぐらいだよ」

「そのお気持ちだけで給料を頂いたような気分です」

 

 俺は恐縮しながらコーヒーに口をつけた。

 

「退役軍人連盟から給料をもらってもいいだろうに。事務局員になれば給料は出る」

「俺が事務局員になったら、他人の椅子が一つなくなります。余裕があるうちはボランティアでやりますよ」

「再就職の話を断り続けているのも同じ理由かね」

「家族のいる人やローンを抱えている人に、椅子を回した方がいいと思いまして。俺は身軽な立場ですし」

「なるほど、そうやって派閥を作っているわけか」

 

 意地悪そうにトリューニヒト議長が笑うと、俺は慌てて首を振った。

 

「あ、いえ、そんなつもりはありません。助けあいは大事ですから。いざとなったら、俺も誰かに頭を下げて椅子をもらいますし」

 

 これは完全な本音である。椅子を譲られた人は俺に感謝するはずだ。困った時はそういう人に頭を下げれば、部下として雇ってくれるのではないか。

 

「人に与えたものはいずれ何倍にもなって返ってくる。君から椅子を譲られた者は、君の頼みを断れなくなるだろう。表舞台に戻る時、君はより大きな存在になっているだろう」

「あまり褒めないでください。自分が大した政治家だと勘違いしそうになります」

「どうだね? 来年の選挙に出馬してみないか? 君だったら当選まちがいなしだ」

「遠慮しておきます」

「良識派の連中だって、君が選挙に出ると言ってるじゃないか。期待を裏切らないのが、エリヤ・フィリップスという男だ」

「勘弁してください。おととい、国防委員会でアッテンボロー少将に『選挙運動ご苦労さまです』と嫌味を言われたんですよ」

 

 俺は小さな体をさらに縮こまらせた。

 

「選挙に出たがってるのはアッテンボロー君の方だろうに。軍隊に長居できる男ではない」

「どうでしょう」

「ヤン君もそうだ。政界入りのタイミングをはかっている」

 

 トリューニヒト議長は真顔で決めつけた。どういうわけか、ヤン大将とアッテンボロー少将が政治家志望だと本気で信じている。この二人の「いつ退役しても構わない」と言いたげな態度が、彼の目には「軍人を高みを目指すための通過点と思っている」ように見えるそうだ。

 

「ところでこれからどうなさるおつもりですか?」

 

 俺は強引に話題を変えた。いくら言ってもヤン大将とアッテンボロー少将に対する疑いを解いてくれないので、話を逸らすのが一番なのである。

 

「何のことだね」

「政治です。成算はあるんですか?」

「もちろんさ」

 

 トリューニヒト議長はとても頼もしげな顔をする。

 

「議会では改革派が多数です。閣僚だって議長以外は改革派で固められています。手も足も出ませんよ」

「舌は出せる」

「冗談はやめてください。どうして議長を引き受けたんです? 来年の総選挙まで待てば良かったのに」

「国を愛していないと思われたら困る」

 

 世間体を気にするトリューニヒト議長らしい理由であった。

 

「愛国者でないヨブ・トリューニヒトに、誰が票を入れるというのだね? 指導者が愛国者でなくてもいいと思うのなら、レベロやホワンに票を入れれば済むことだ」

「おっしゃる通りです」

 

 さすがに「愛国者かどうかなんて関係ない」とは言えない。俺はトリューニヒト議長が反体制的でも投票するが、有権者の大多数は違う。彼らは愛国的な政策を期待して投票するのだ。

 

「エリヤ君、政治家には何が必要だと思う?」

「情熱と責任感と判断力でしょうか」

 

 俺は信じてもいないことを言った。本当の答えは知っているが、口にするのはためらわれた。

 

「違うね。敵だよ。強くて憎たらしい敵さえいれば、政治はできる」

 

 トリューニヒト議長はあっさりと答えを言った。

 

「議長のおっしゃる政治論は筋は通っています。ですが、心情としては受け入れ難いです」

「構わんよ。『筋が通っているから、受け入れなければならない』なんて決まりはない」

「助かります」

 

 俺は口元を緩めた。トリューニヒト議長は理屈より心情を優先してくれる。だから、一緒にいると心地良い。

 

「ここで私が『感情に流されるな。現実を見ろ』と答えていたら、君は不快になっただろうね」

「おっしゃる通りです」

「誰だって不快なことを言う相手は嫌いだし、快いことを言う相手は好きになる。普遍の真理だ」

「世の中には、甘い言葉が嫌い人や辛口の忠告を聞きたがる人もいますよ」

「そいつは甘味が嫌いで辛味が好きってだけだろう。快いかどうかで判断しているのに変わりはない」

「言われてみるとそうです」

「品の良い連中は、『トリューニヒトは甘いことしか言わないから信頼できない。レベロは厳しいことしか言わないから信頼できる』と言うがね。自分の辛口好みを『公平』『良識』と言い繕ってるに過ぎんよ」

 

 トリューニヒト議長は、自分とレベロ元議長の違いが相対的なものに過ぎないと言う。戦記にはない視点だ。

 

「結局、誰でも快いかどうかが基準になるんですか」

「人の耳に一番快く聞こえるのは、敵を否定する言葉だ。人々は自分の敵を否定してくれる政治家のもとに集まる。主戦論者のもとには帝国や反戦論者を否定してほしい者が集まり、反戦論者のもとには軍隊や主戦論者を否定してほしい者が集まる。改革者のもとには現体制を否定してほしい者が集まり、体制擁護者のもとには変革を否定してほしい者が集まる。急進的な者のもとには穏健主義を否定してほしい者が集まり、穏健な者のもとには急進主義を否定してほしい者が集まる。党派も政治家も敵がいなければ成り立たない」

「以前、あなたが『共通の外敵こそが内紛を抑える最良の手段』とおっしゃってましたね」

「敵は大きいほどいい。大きなものは大きいがゆえに憎まれる。巨人はただ歩くだけで地を這う者を踏み潰す。大きな星はただ輝くだけで小さな星の輝きを打ち消す。そこには何の悪意もないが、憎まれるには十分な理由だ。大きなものを敵とすれば、多くの人々が支持してくれる」

「帝国ほど良い敵はいないということですか」

 

 三年前にトリューニヒト議長と交わした会話を思い出した。彼は「同盟がまとまっているのは帝国という共通の敵のおかげだ」と言ったのだ。残念なことにそれは正しかった。「軍事費が減っても地方への再分配は進まない」「平和になれば地方切り捨てが始まる」という懸念も、現実のものとなった。

 

「そういうことになる。ダゴン星域会戦が始まる直前、同盟国内は事実上の内戦状態だった。リン・パオやユースフ・トパロウルが三〇代で中将になれたのは、同胞殺しの功績によるものだ。彼らが率いた精鋭は同胞との戦いで実戦経験を積んだ。いわゆる『ダゴン以前の平和』など、同胞の屍を積み重ねなければ維持できないものだった。帝国という強大な外敵が内戦を止めさせた」

「今になって思うと、主戦派と反戦派の対立など子どもの遊びでした。国内の亀裂はどうしようもないところまで来ています」

 

 俺は砂糖とクリームでドロドロになったコーヒーを飲み、甘みで心中の苦味を打ち消した。国家分裂を心配せずに済んだ前の世界が羨ましいとすら思える。

 

「外敵がいないのならば、同胞の中から敵を見つける以外の道はない。レベロは既成勢力と対決した。帝国とフェザーンを除けば全銀河で最も強力な敵だ。大きな敵を用意したおかげで同盟は即時分裂を免れた」

「勝手に転ぶとおっしゃってませんでしたか?」

「ハイネセン主義なんてうまくいくはずがないからな。既成勢力との対決姿勢を打ち出したのは正しい。大きな敵を作ることで強力な多数派を形成できた」

「俺の目には強硬すぎて危なっかしく思えました」

「強硬であればあるほど敵は反発し、内部は堅固になる。中央宙域と軍部はレベロ支持で一致していた。与党九党の結束は揺らがなかった」

 

 トリューニヒト議長の言うように、レベロ元議長の支持基盤は堅固だった。しかし、別の問題もある。

 

「辺境はどうするんです? ホワン先生が妥協しなかったら、アラウカニアは独立したと思いますが」

「逆だよ。ホワンが妥協したせいで、アラウカニアは独立に望みを残した。表沙汰にはなっていないが、何もなければアラウカニアは解散し、強硬派だけで新しい宙域統合体を作る予定だった」

「そこまでアラウカニアは追い込まれていたんですか?」

「同盟憎しの感情だけで集まっていた連中だ。最初から足並みは揃っていないし、軍資金も持っていない。経済制裁だけで追い込める相手だった。だから、レベロは強気一辺倒だったのだ。政府が傭兵の大部隊を派遣するという噂も、大幅な妥協をするという噂も、揺さぶりをかけるために流した偽情報だよ」

「世界は複雑過ぎます」

 

 俺は苦笑いを浮かべた。妥協を知らない理想主義者と怒れる地方の対立構図に見えて、水面下では高度な駆け引きが繰り広げられていた。

 

「レベロは真の理想主義者だ。理想を守るためには現実主義者にもなれるという意味でね。理想を言い訳に手を汚そうとしない連中とは覚悟が違う」

 

 レベロ元議長について語る時、トリューニヒト議長の雄弁ぶりに磨きがかかる。批判する時も評価する時も思い入れたっぷりといった感じだ。

 

 前の世界の戦記は、ジョアン・レベロが理想を守るために汚い手を使ったと批判した。しかし、そのような姿勢をトリューニヒト議長は高く評価する。両者の差は個人を至上とする戦記と、国家を至上とするトリューニヒト議長の差なのだろう。

 

「それに引き換え、ホワンは中途半端だった。穏健改革派や反改革派との対決を避けたが、急進改革路線は捨てなかった。失業者を救済しようとしたが、財政再建と軍縮は堅持した。辺境と和解しようとしたが、改革路線や移民政策は捨てなかった。帝国との講和路線も維持した。改革を進めたいなら、穏健改革派や反改革派と対決するべきだった。行き過ぎを抑えたいなら、急進改革派と対決すべきだった。講和を進めたいなら、主戦派と対決すべきだった。辺境と和解したいなら、中央宙域と対決すべきだった。敵のいない主張など誰も説得できない」

「中庸でいい政策だと思ったんですが」

「積極的に支持する気になったかね?」

「微妙です。退役軍人の場合、生活費の貸し付けですからね。本当に彼らが必要としてるのは仕事なのに」

 

 俺はため息をついた。退役軍人連盟でも生活費貸付制度を歓迎する声は出ていない。利用する人も少なかった。返すあてのない借金をするのが嫌だったのだ。

 

「生活費の支給や公共事業は、与党から『バラマキだ』だと批判される。軍縮の中止も与党が反対するからできない。貸し付けなら与党がギリギリ納得できる線だ。与党と退役軍人の両方を納得させようとして、どっちつかずの政策になってしまった」

「与党もかなり不満持ってましたよね。出費には変わりないですから」

「貸付金の原資調達でも揉めた。新規国債の発行には与党が反対する。増税して金を集めることになったが、誰に課税するかが問題だった。NPCが企業や富裕層に対する増税に反対し、進歩党が関税引き上げに反対し、反戦市民連合と汎銀河左派ブロックが間接税の増税に反対した。さんざん揉めた挙句に間接税を増税することになり、反戦市民連合と汎銀河左派ブロックの政権離脱を招いた」

「増税のせいで、失業者や退役軍人の生活はますます苦しくなっています。所得に関係なく持っていかれる税ですからね」

「ホワンは柔軟すぎた。敵を作るのを恐れて全員に不満を抱かせた。融和政策を成功させるには、喧嘩を徹底的に避けるのではなく、融和に反対する奴を殴って黙らせることだ。政治の世界では中庸など絵に描いた餅に過ぎん。見た目は美味そうでも食べることはできない」

 

 トリューニヒト議長はホワン政権が中庸ゆえに失敗したと指摘する。

 

「そういえば、レベロ先生は休戦に反対する勢力を徹底的に叩きましたね」

「争いを終わらせるというのはそういうことだ。政治を知らない者は、妥協を誰も傷つけないやり方だと思い込んでるがね。実際は敵も味方も全員傷つけないと実現しないものだよ」

「あなたもレベロ先生のようなやり方をお選びになるのですか?」

 

 俺はトリューニヒト議長の目をまっすぐに見た。

 

「私はもっとうまくやる。レベロは財政再建と市場主義を捨てられなかった。私は捨てる。政府が金を使わないことにはこの難局は乗りきれん」

「議会はどうするおつもりです?」

「クーデターしかあるまい」

「クーデター!?」

「冗談だよ。私は“自由惑星同盟”の元首になりたいんだ。国を割るような真似はしない」

「驚かさないでください」

 

 俺は右手を胸に当てて心臓を抑える。

 

「我が国には巨悪がいる。大罪を犯したのに裁かれていない。許しがたい悪だ」

 

 トリューニヒト議長はいきなり芝居がかった口調になった。

 

「巨悪とは誰のことか? それはラグナロック戦役の戦犯どもだ。奴らは私利私欲のために無用の出兵を起こし、人命と費用を浪費した。国家を守るべき兵士は異郷の地に虚しく散った。市民の福祉のために使われるべき金は異郷の地へと吸い込まれた。国家が被った損害は計り知れない」

 

 静まり返った部屋にトリューニヒト議長の美声が響き渡る。床が舞台、壁と窓と扉が大道具、調度類が小道具であり、俺は芝居を眺める観客であった。

 

「このような悪が存在することを市民が許すだろうか? 悪は裁かれるべきだ。それは市民が望んでいることだ。私は元首として市民の望みに応える義務がある。エリヤ君もそう思わないか?」

「おっしゃる通りです」

 

 反射的に肯定してしまった。見えない台本に載っていない行動をする勇気など持てなかった。背中は汗でびっしょり濡れている。

 

 トリューニヒト議長はぬるくなった紅茶に口を付け、俺は空のカップにコーヒーを注いで砂糖とクリームをたっぷり入れて飲む。カップが空になると、トリューニヒト議長は赤いポットから俺のカップにコーヒーを注ぎ、白いポットから自分のカップに紅茶を注ぐ。カップが空になると、トリューニヒト議長がすかさずポットを手にとって液体を補充する。

 

 静かな部屋の中でトリューニヒト委員長は紅茶を飲み続け、俺はコーヒーを飲み続けた。不思議な沈黙であった。

 

 俺とトリューニヒト議長の端末から、ニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。トリューニヒト議長はリモコンを手にとってテレビのスイッチを入れる。

 

 画面には炎上するビルが映っていた。若い女性レポーターが目を大きく見開き、絶叫するように第一報を伝える。

 

「こちらハイネセンポリスのオークス区! ビルが炎上しています! スピアリング社の本社ビルです!」

 

 スピアリング社は休戦協定成立後に設立された星間運輸会社だ。イゼルローン回廊を経由する対帝国交易ルートの利権を握り、巨額の利益をあげている。

 

「スピアリング社の経営者はクリストフ・バーゼル氏! あのクリストフ・バーゼル氏です!」

 

 レポーターは興奮しながらクリストフ・バーゼルの名前を連呼する。バーゼルは市民人気の高い有名亡命者で、ラグナロック戦役の際にはエリジウム(ヴァルハラの同盟名)星系首相を務めた。来年の下院選挙に出馬するとの噂もある。

 

 俺は呆然としながら炎上するビルを眺めていた。バーゼルはサイオキシンマフィアの大幹部であり、ラグナロック戦役の開戦工作に関わったとも言われる。仇敵の持ちビルが炎上する光景には現実味がなかった。

 

 レポーターは駆け寄ってきた男性からメモを渡されると、まだ大きくなる余地があったのかと驚くほどに目を見開いた。

 

「犯行声明です! たった今、憂国騎士団が犯行声明を出しました! 今から画像を流します!」

 

 画面が切り替わり、白い不気味なマスクに戦闘服を着用した男五人が画面に現れた。一人が真ん中に立ってマイクを握り、他の四人は視聴者を威圧するかのように警棒を構える。

 

「我々憂国騎士団は九月二〇日一六時三一分、スピアリング社襲撃作戦を完遂した! これは国賊クリストフ・バーゼルへの鉄槌である!

 

 バーゼルはオリオン腕の支配者になろうという身の程知らずの野心を燃やし、腐敗政治家や軍閥と結託して市民をたぶらかし、数千万の精鋭を死に至らしめた!

 

 自ら命を差し出して罪を詫びるべきであるのに、バーゼルは会社を作って大儲けし、あげくの果てに政界進出するという! バーゼルには羞恥心というものがないのか! まったくもって許しがたい!

 

 我々は天に替わってバーゼルに鉄槌を下し、ラグナロック戦役の御英霊をお慰めする次第である!」

 

 白マスクの男はマイクを握り締めて声明を読み上げた。声もジェスチャーも言っている内容もすべて芝居がかっている。

 

「恥知らずの国賊ども! これで終わりではないぞ! 次は貴様の番だ! 天は貴様らの罪を決して許さぬ! 法が裁かぬのならば、我らが裁く! 逃げられると思うなよ! 国賊にふさわしい報いをくれてやる!」

 

 白マスクの男はカメラに向かって人差し指を突きつける。憂国騎士団の苛烈な断罪宣告に俺は度肝を抜かれてしまった。

 

「悪いことはできないものだな。そうは思わんかね?」

 

 トリューニヒト議長が微笑みながら問いかける。その瞳には凍てつくような光が宿り、不吉な雰囲気を醸し出す。

 

 この時、俺は悟った。トリューニヒト議長が何を敵とするつもりなのかを。政界・財界・官界・軍部に潜むラグナロック作戦の戦犯に対する攻撃が始まった。


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