銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第72話:嵐の中の国 799年12月5日~800年5月6日 モードランズ官舎~ハイネセンポリス~パラディオン~マスジッド

 一二月五日、妹のアルマと義父のジェリコ・ブレツェリ宇宙軍代将が俺の官舎にやってきた。義母のハンナ・ブレツェリ宇宙軍准尉の姿はない。

 

「お義母さんはどうなさったんです?」

「ハンナは今日も体調が悪くてな」

 

 義父がため息まじりに答えた。ブレツェリ夫婦がラグナロック戦役で失ったのは、ダーシャだけではない。堅実な長男マテイ、お調子者の次男フランチ、物静かな長女ターニャも帰らぬ人となった。一度に四人の子をなくしたという事実は、長い軍歴の中で多くの死を経験した彼らでも耐え難いものだった。

 

「そうでしたか」

「年寄りは切り替えるのが難しいんだ。私は六一歳、ハンナは五九歳。失った過去は大きいのに、それを埋めるための未来は少ない」

「わかります」

 

 俺には同意することしかできなかった。ダーシャが生きていたら、「まだ平均寿命まで三三年もあるじゃない」と言うかもしれない。だが、一度八〇歳になった俺に言わせれば、若者にとっての三三年は未来に向かっていく三三年であり、老人にとっての三三年は終わりに向かう三三年だ。まったく意味が違う。

 

「まだ平均寿命まで三三年も残ってるじゃないですか」

 

 そう言ったのは妹だった。

 

「アルマ君らしくもないな。まるでダーシャみたいだ」

「ええ、ダーシャちゃんならきっとそう言うだろうと思いまして」

 

 妹は弱々しく微笑んだ。亡き親友が言いそうな言葉を口にすることで、自分を励ましているように見える。

 

「君の言うとおりだ」

 

 ブレツェリ代将は笑顔を作って頷く。妹の言葉に同意したというよりは、亡き娘を思い出して頷いたという感じだ。

 

 俺は妹とブレツェリ代将をベッドルームに招き入れた。床にも机の上にもダンボール箱が山のように積まれていた。扉からベッドに至る細い道だけが、この部屋が物置ではなくベッドルームだと教えてくれる。

 

「これが全部ダーシャの遺品かね」

「そうです」

 

 俺が妹や義父を呼んだのは、遺品整理を手伝ってもらうためだった。本音を言えばすべて自分の手元に置いておきたいが、残したままでは前に進めない。軍からは官舎を一週間以内に退去するよう求められた。早急に整理する必要があった。

 

「エリヤ君、アルマ君、始めようか」

 

 義父が何かを決意したように言った。

 

「はい」

 

 俺たちはダーシャの短い人生を整理する作業を始めた。大量の遺品を俺が保管する品、妹が保管する品、ブレツェリ夫婦が保管する品、友人知人に贈る品、公的施設に寄贈する品、捨てる品に分類する。

 

 最初に本を整理した。本棚は持ち主の人柄を反映するという。ダーシャの遺品の中には、『手裏剣党宣言』とか『空想から手裏剣へ』とか『裏切られた手裏剣』などの変わった本もあった。

 

「なんだ、この本は?」

 

 義父が一冊の本を手にとった。表紙には『二〇歳を過ぎても背は伸びる』と書かれている。

 

「あの子はまだ背を伸ばす気だったのか。一六九もあれば十分だったろうに」

「ダーシャは欲張りですから」

 

 俺はひきつった笑いを浮かべつつ、本を箱の中に入れた。この本の本当の持ち主は俺だった。ダーシャに貸しっぱなしだったせいで、遺品に紛れ込んだらしい。

 

「こいつも変わった本だな」

 

 次に義父が見つけたのは、『二〇歳を過ぎても胸は大きくなる』という題名の本だった。

 

「ダーシャには必要ない本ですよね。大きすぎて邪魔だって言ってましたし」

「だよなあ」

 

 二人で不思議に思っていると、妹が何も言わずに本を取って箱の中に入れた。

 

 本を整理し終えると、服の整理に取り掛かった。ファッション好きのダーシャは古着屋を開けそうな量の服を持っていた。優等生っぽい地味な服もあれば、ふわふわした服、最先端の奇抜なデザインを取り入れた服、セクシーで露出の多い服もあり、ダーシャの多面性が伺える。

 

「懐かしいな」

 

 俺はぴっちりしたスキニーパンツを見つけた。義父が興味深そうにこちらを見る。

 

「思い出があるのかね?」

「デートの時にダーシャが良く着てたんですよ」

「そうだったのか」

「俺が今着てるシャツを選んでくれた時も、このパンツを履いていました」

 

 あれはパトリオット・シンドロームが吹き荒れていた頃だった。まともな私服が欲しくなった俺は、ダーシャに頼んで私服を選んでもらった。

 

「三年前の一〇月だよね」

 

 妹が横から口を挟んできた。

 

「そうだぞ。なんで知ってる?」

「九年ぶりにお兄ちゃんを直接見た日だから。気づいてもらえなかったけど」

「すまん」

 

 俺は即座に謝った。あの時、旧友リヒャルト・ハシェクから妹が近くにいると知らされた俺は、必死で赤毛のデブを探し続けた。しかし、妹は痩せて可愛くなっていたし、髪を亜麻色に染めていたので見過ごした。

 

「ダーシャちゃんは、『赤毛じゃないから気づかなかったんじゃない?』って言ってたけど」

 

 妹は厚顔にも髪の毛のせいにした。専科学校を出た後の彼女と知り合った人は、かつてデブだったことを知らない。ダーシャも妹が太らない体質だと信じきっていた。

 

「まあな」

「ハシェクさんもそう言ってたよ」

「ハシェクが? あの後に話したのか?」

「メアド交換したもん」

「あいつのメアド、知ってるんだな」

 

 心臓が激しい上下運動を始めた。前の世界ではハシェクは帝国領遠征で戦死したのだ。

 

「昨日もメールしたよ」

「あいつ、生きてたのか!」

「知らないの? ずっと去年の冬に本国へ送還されたよ。解放区総選挙の日に爆弾テロで大怪我してね」

「良かった」

 

 俺は胸を撫で下ろした。この世界では前の世界で死んだ人が結構生き残っている。それでも、昔なじみが死なずに済んだというのは格別だ。世の中、悪いことばかりではない。

 

「あの時はハシェクさんはついてないって思ったけど、運が良かったのかもね。地獄を見る前に帰れたんだから」

「そうだな」

 

 妹の言うとおりだと心の底から思う。ラグナロック戦役の間に、多くの兵士が戦傷や病気で本国に送還された。彼らは本当に幸運だった。

 

「あー、これ懐かしい」

 

 妹がふかふかしたニットの帽子を手にとった。

 

「ほう、この帽子は思い出の品かな?」

 

 義父が細い目をさらに細める。

 

「初めて会った時にダーシャちゃんがかぶってた帽子ですよ」

「カプチェランカか」

「ええ、そうです」

「私は一度も行ったことがないんだが、同期が寒い星だと言っていた。そいつは灼熱の砂漠で死んだがね」

 

 カプチェランカは対帝国戦争の激戦地だ。一〇日のうち九日はブリザードが吹き荒れている極寒の惑星だが、膨大な鉱物資源が埋まっているために局地戦が繰り返された。

 

「あの時、ダーシャちゃんからもらったパウンドケーキの味は忘れられません。ブランデーがたっぷり染みこんでて、体があったまりました」

 

 妹は心の底から幸せそうな笑顔になる。どうやらダーシャに食い物で釣られたらしい。食い意地の汚さだけは前も今も変わらなかった。

 

「アルマ、本当にお前は食い意地が……」

 

 俺が言い終える前に妹が反撃してきた。

 

「そういえば、ダーシャちゃんがお兄ちゃんと最初に出会った時は、ロールケーキをあげたって……」

「このスカート、懐かしいな!」

 

 遺品を手に取るたびに思い出が蘇る。俺たち三人は遺品を整理しながら、それにまつわる思い出を語り合った。ダーシャのことだけを考え、ダーシャのことだけを語り合う。とても幸せな時間だった。

 

 それから三日間、三人で遺品を整理した。こんな時間がいつまでも続いたらと思った。しかし、遺品は無尽蔵ではない。

 

「終わったな」

 

 俺は整理された遺品の山を見て寂しくなった。

 

「始まりだよ。私もお兄ちゃんもジェリコさんもここから歩き出すの」

 

 妹が静かだが毅然とした口調で宣言した。前の世界では悪意と怠惰の塊だったのに、この世界では太陽のように強くて明るい。人間と世界の可能性を彼女は象徴している。

 

「私もハンナも立ち止まってはいられないな。歩き出さねば」

 

 義父は目を細めて笑う。ラグナロック戦役が終わった後、初めて見る笑顔だった。遺品を整理することで区切りがついたのかもしれない。

 

「ダーシャは俺たち三人の中に生きています。そのことに改めて気づきました。これまではダーシャと一緒に歩いてきたし、これからも一緒に歩いて行くでしょう。ずっと一緒なんです」

 

 俺は義父と妹の手を握りしめた。思えば、この三人の縁を繋いだのはダーシャだった。俺も妹もダーシャを通して義父と縁を持った。一度切れかけた俺と妹の縁を復活させてくれたのもダーシャだった。彼女がこの世界からいなくなった後も縁は生きている。要するに彼女は不滅なのだ。

 

 義父は空いている方の手で妹の空いている手を握った。三人が手を握り合う形になった後、義父は口を開いた。

 

「私たち三人もずっと一緒だ」

 

 この時、俺たち三人の間で神聖な盟約が結ばれた。それはフェザーンでループレヒト・レーヴェ及びその主君と結んだ誓い、ヨッチャンでトリューニヒト議長やベイ大佐と結んだ誓いに匹敵するほど神聖なものだった。

 

 

 

 遺品整理が終わった翌日に官舎を引き払い、ハイネセンポリスの短期賃貸マンションに仮の住まいを構えた。

 

 同盟首都は混乱のさなかにあった。失業者や退役軍人は救済を求めてデモを行い、全体主義者や科学的社会主義者は反ハイネセン主義運動を繰り広げ、ラグナロック反戦運動で活躍した学生運動家はハイネセン主義による革命を目指し、今にも騒乱が起きそうな雰囲気だ。低所得地区では小規模な暴動が頻繁に起きた。公園や地下鉄には路上生活者があふれている。宗教が大流行し、地球教による地球回帰の精神運動、イエルバ教が説く救世主セーミヤンダラ信仰が急速に浸透した。

 

 マルコム・ワイドボーン予備役少将と一緒に食事をした時、身の振り方について聞かれた。

 

「これからどうするんだ?」

「しばらくはのんびりします。お金に余裕がありますし」

「そういえばブレツェリの遺族年金もあるんだな」

「平均的な労働者より収入多いですよ」

 

 今の俺は結構な金持ちだった。二八万ディナールの貯金があり、軍人年金一八〇〇ディナールと遺族年金一四〇〇ディナールが毎月入ってくる。退職金一五万ディナールには復帰を見越して手を付けていない。統合作戦本部次長ヤン・ウェンリー大将が羨ましがりそうな境遇だ。

 

「ブレツェリの遺産や遺族補償一時金は全額寄付したんだったか」

「自分で使うより、戦没者遺族の支援に使った方がいいと思いまして」

「フィリップス少将は立派だ」

「当然のことをしただけです。俺の指揮で多くの兵が死にました。遺族を困窮させないのが彼らの忠誠に報いる道でしょう」

「そう言えるのが立派だと言ってるんだがな」

「小心なんですよ。自分だけいい目を見たら、生きた者と死んだ者の両方に恨まれる。怖いじゃないですか」

「真面目も度が過ぎると良くないぞ」

「気をつけます」

「余裕があるうちに休んどけ。来年になったら軍人年金も遺族年金も減らされるしな」

「はい」

 

 俺は間髪入れずに頷いた。軍人年金と遺族年金は来年度から大幅に削減される。階級が高い者、勤続年数が短い者、扶養家族のいない者が優先して減らされるので、俺の収入は激減する。

 

 国防費を削減するならば、退役軍人や戦没者遺族に対する給付金の削減は避けられない。軍事に詳しくない人は国防費イコール装備調達費と考えがちだ。しかし、退役軍人や戦没者遺族に対する給付金は、国防費の中で最も大きな比重を占める。

 

 退役軍人の総数は一〇億人を超えており、その扶養家族や戦没者遺族も含めると二〇億人以上が国防費から年金や医療給付を受け取っている。反戦市民連合が「軍艦を買う金があったら、退役軍人の年金を増やせ」と主張するのは、退役軍人による反戦運動から出発した歴史的経緯や、有力支持団体である反戦復員兵協会と反戦遺族会の意向が大きい。給付金を減らさないと国防費の削減も達成できないが、全人口の二割と反戦派最大派閥を敵に回す恐れがある。

 

 これまでの政権は退役軍人票の離反を恐れて、小幅の削減に留まった。それでも、「軍人年金を一パーセント減らせば一億票を失う」と言われるほどの打撃を受けた。

 

 レベロ議長は「必要な時に必要なことをするだけだ」と言い、大幅削減に踏み切った。これまでの政権とは違って彼は支持率など気にしない。不人気な政策でも必要ならやるし、人気のある政策でも不必要なら絶対にやらないというのが、レベロ流である。

 

「レベロも良識派もやり過ぎだ。あんな無茶は長続きしねえよ」

 

 ワイドボーン予備役少将はいつになく真剣だった。レベロ政権や良識派に対する嫌悪もさることながら、急進的すぎる改革に危惧を抱いている。

 

 同盟史上において、軍部良識派ほど軍を壊すことに熱心な集団は稀だ。財政委員会ですら腰を抜かすような国防費削減計画を打ち出し、主戦派の政治家や財界人と距離を取り、軍人的な思考の排除に力を尽くし、同盟軍の失敗を掘り起こした。彼らに言わせれば、現在の同盟軍は不合理と非効率の塊であり、叩き壊して合理的かつ効率的な組織に作り変える必要があるのだった。

 

 良識派にとって最大の敵は、「鉛の六角形」と呼ばれる軍部・軍需産業・政治家・研究機関・教育機関・報道機関の癒着構造だ。組織というよりはシステムで、構成員はそれぞれの計算や信念で好き勝手に動いている。特定の指導者を潰せば倒れるわけでもない。無秩序だがそれゆえに強靭だった。

 

 良識派は主戦派の政治家・財界人・学者・文化人と親しい軍人を予備役に回し、鉛の六角形とのパイプを潰した。俺やトリューニヒト派幹部に対する粛清もその一環である。

 

 それと並行して、退役軍人を介したパイプも潰した。軍需企業・研究機関・教育機関は退役軍人の再就職を受け入れることによって、軍部とのパイプを築いてきた。そこで再就職規制を強化する規定を作り、軍と取引のある企業・団体への再就職を厳しく制限したのである。また、国防委員会は退役軍人を高給で雇った企業・団体と取引しない方針を固めた。

 

 その結果、軍との取引を望む企業や団体は退役軍人を雇わなくなった。企業や団体から軍人出身の管理職や専門家が解雇された。民間警備会社は軍人出身者抜きでは成り立たないので、役員や管理職から軍人出身者を外し、規定の適用外となる戦闘職・技術職の契約社員だけを残した。

 

 厳しすぎる再就職規制に加え、反軍感情や不景気が退役軍人の再就職を妨げた。年金と退職金だけで暮らせるのは、勤続年数が四〇年を超える者と階級が高い単身者に限られる。多くの退役軍人が生活苦にあえいだ。

 

「必要なのはわかりますが、やりすぎではありませんか」

 

 あるテレビ記者が国防委員会高等参事官・戦略副部長アッテンボロー少将に疑念をぶつけた。

 

「やりすぎるくらいがちょうどいいんです。相手は鉛の六角形ですから」

 

 アッテンボロー少将の若々しい顔に鋭気がみなぎる。自分より強い敵と戦うことを生きがいとする男にとって、鉛の六角形は躊躇なく全力を出せる敵だ。

 

「結果として退役軍人の再就職を妨げる結果になっています。そのことについては、いかがお考えですか?」

「軍に頼らずに自分で仕事を探せば済む話です。兵士はみんなそうしてきました。将校や下士官だけが優遇されるいわれはない。自分で仕事を見つけられないのならば、責めるべきは制度ではなくて自分の無能でしょう」

「自己責任というのがアッテンボロー提督の見解なのですね」

「軍人特権で再就職できなければ困る。国防費のおこぼれで飯を食えなければ困る。再就職規制に反対する連中はそう言ってるんでしょう? 軍人が特権階級だとでも思ってるんですかね。勘違いも甚だしいとしか言いようがありません」

 

 アッテンボロー少将に言わせると、退役軍人の再就職斡旋は不当な既得権益であって、徹底的に排除すべきものである。既得権益に対する嫌悪は良識派が等しく共有する感情だ。

 

 既得権益にしがみつく側にも言い分はあった。同盟軍は功績を立てた若手をどんどん昇進させるので、何の取り柄もない軍人は四〇代から五〇代で退職を迫られる。公務員や会社員の定年は七〇歳が当たり前なのに、軍人だけが早く引退させられるのだ。しかも、子供の学費や親の介護費が必要な時期と重なる。現役時代と同等の待遇がほしいし、軍事と関わっていたい気持ちもある。

 

 しかし、良識派はこのような事情には配慮しようとしない。「軍隊にしがみつくな。自分でどうにかしろ」と突き放すだけだった。

 

「行き場を失った退役軍人が治安の悪化を招くかもしれない。再就職規制を緩和した方がいい」

 

 一部にはこのような声もあったが、アッテンボロー少将は拒否した。

 

「優遇しなければ騒ぎを起こすというのなら、取り締まればいいでしょう。妥協する必要があるんですか」

 

 一分の隙もない正論が緩和論を打ち砕き、退役軍人の再就職規制を見直そうとする声は出なくなった。

 

 良識派の進める改革はどれもこんな感じだった。合理的で効率的で理屈も通っているが、善悪と効率性で割り切りすぎる。相手を理解する意思も自分への理解を求める素振りも見せない。

 

「アッテンボローたちはジョリオ・フランクールと同じだ。不正と戦って悪人を倒すのが政治だと思っている。戦争をするようなやり方で政治してもうまくいかないぞ」

 

 ワイドボーン予備役少将は誰もが知る有名人を例にあげた。ジョリオ・フランクールは黒旗軍を率いて地球統一政府を打倒した名将で、軍事においては柔軟さだが政治においては偏狭だった。彼が地球経済を支配する巨大企業グループ「ビッグ・シスターズ」の解体に固執しなければ、シリウスの覇権は瓦解しなかっただろう。

 

「シリウスみたいにはなりませんよ」

「今の同盟は地球なんじゃねえか」

「考えたくないですね」

 

 正直に言うと、今の同盟は地球統一政府末期より悪い状況なんじゃないかと思える。抑えこまれていた矛盾が敗戦をきっかけに噴き出した。

 

 経済は悪化の一途をたどり、物価と株価は下落を続ける。多くの企業が倒産し、生き残った企業も賃下げや人員整理を余儀なくされた。失業率は二五パーセントに達し、失業を免れた者も賃金が大幅に下がっている。経済的な苦境が犯罪や自殺を急増させた。

 

 レベロ議長は直接的な救済を避け、企業と労働者の自助努力を促した。企業向けの大減税を行って雇用と投資の増加を期待したが、浮いた金は財務体質の改善に回された。規制撤廃を進めて市場競争の活発化に期待したが、過当競争を助長して企業の体力を削いだ。職業紹介や職業訓練を拡大して失業者の再就職に期待したが、仕事の絶対量が増えなかったので失業者は減らなかった。

 

 それでも、レベロ議長は自助努力を促し続けた。「政府の仕事は選択肢を増やすことだ。選択に介入すべきではない」と言って、企業や失業者の直接救済を拒んだ。「未来にツケを残さないのは今を生きる者の義務だ」と言って、積極財政への転換を拒んだ。彼は過去の改革が挫折した理由を「支持率低下を恐れてばらまき財政に逃げたため」と考え、ハイネセン主義を徹底する覚悟を決めていた。

 

 この頃、帝国人移民一億二九〇〇万人の処遇が議論を呼んだ。同盟加盟国が移民を分担して受け入れることになったのだが、人口の少ない辺境星系が多くの移民を受け入れることになり、辺境住民の反発を買った。

 

「移民受け入れは人道的に正しい。移民が経済成長に寄与した歴史もある」

 

 リベラル派が移民受け入れを主導し、同盟の道義的優越を誇示したい伝統的保守層、安価な労働力を求める経済界が賛成した。

 

「我々から故郷を奪うつもりか!」

 

 辺境住民は移民受け入れに激しい拒否反応を示し、リベラルのやることには無条件で反対する極右層、移民を競合相手とみなす低賃金労働者、移民に巨額の税金が使われることに怒った失業者が同調した。

 

 レベロ政権において辺境は見捨てられた。不景気と地方補助金の廃止によって自治体の財政が立ちいかなくなり、公務員への給与支払いは停止された。公的支出の激減は脆弱な辺境経済を壊滅に追いやった。政府に支援を申請しても自助努力を求められ、公債を発行しようとすると財政均衡の維持を求められるので、救済策の資金も調達できない。そんな時に移民を押し付けられて、住民の怒りが爆発したのである。

 

「これ以上、中央に好き勝手させないぞ!」

 

 反中央・反移民の風が辺境で荒れ狂った。大勢の住民が宇宙港を取り囲み、移民船の上陸を妨害する行動に出た。移民が入居する予定の建物は、住民に占拠されたり壊されたりした。自治体がこうした行動に加担するケースも多く、役場による住民登録の拒否、警察による宇宙港封鎖や移民住宅占拠、水道局による水供給の拒否が多発している。

 

 中央宙域住民は辺境の反移民運動に怒り、政府に移民擁護を求める空気が形成された。レベロ議長は話し合いでの解決を図ったが、世論は「差別者に甘すぎる」と反発し、軍部の提案によって軍隊が移民を保護することになった。宇宙艦艇が移民船を守り、陸戦隊が上陸を支援し、地上部隊が移民住宅の周囲を警備する。中央宙域住民は大いに喜び、同盟軍を自由と人権の戦士だと褒め称えた。

 

 帝国国内の混乱から逃れた難民一五〇〇万人がアムリッツァ星系に集まり、同盟に亡命しようとした。イゼルローン方面軍司令官ルグランジュ大将は、難民の流入は混乱を招くと判断し、回廊出口を厳重に封鎖した。難民は当座の食料も求めたが、ルグランジュ大将はそれにも応じない。しかし、軍部がレベロ議長に亡命受け入れを進言し、イゼルローン回廊は解放された。中央宙域住民は軍部の判断を絶賛し、辺境宙域住民は反感を募らせ、溝が一層深くなった。

 

 フェザーンでは、同盟と帝国が休戦協定を講和条約に発展させるべく交渉している。捕虜の解放は双方の国内が混乱しているために、予定の四分の一しか完了していない。同盟側が提案した移民の完全自由化、相互軍縮協定については、合意の糸口が見えてきた。

 

 一見すると明るい話に思えるが、移民の自由化も相互軍縮協定も同盟国内では反発が強い。さらなる混乱の種になることが予想された。

 

「いったいどうなるんでしょうね」

 

 俺がそう言うと、ワイドボーン予備役少将は「知らねえよ」と答えた。ここまで混沌としていると、考えるのも嫌になってくるのだ。

 

 

 

 一二月中旬、故郷パラディオンに帰った。妹はハイネセンから離れられないので、今回は俺一人である。

 

 二年ぶりのパラディオンはおそろしく寂れていた。中心街は空きビルが多く見られ、歩道には失業者が所在なげにたむろする。パラディオンの象徴ともいうべき巨大複合ビル「ネオ・アイギス」は解体工事中だった。どの店も閑散としており、賑わっているのは職業紹介センターだけだ。宗教団体や市民団体が配る食料に大勢の人が群がっている。車道や歩道にはひび割れが目立つ。

 

「パラディオンはまだマシな方だぞ。星都パルテノーンは退役軍人のデモでえらいことになってるからな」

 

 迎えに来てくれたのは父のロニーだった。市警察が全人員の半数を解雇した際に仕事を失い、今はスーパーマーケットで駐車場警備のバイトをしている。今日は休みなのだそうだ。

 

 警察官舎に住めなくなった両親は、姉夫婦の家に移った。狭いマンションに姉のニコール、姉の夫ファビアン・ルクレール、姉の長女パオラ、姉の次女マルゴ、父のロニー、母のサビナの六人が住んでいる。姉は三人目を妊娠中で、産休を取っている間に解雇された。定職についている姉の夫や母も安泰とはいえない。

 

「好きなもんを食え!」

 

 めっきり白髪が増えた父が大笑いする。テーブルの上にはご馳走が山盛りだ。俺を歓迎するために奮発してくれたのだろう。

 

「悪いね。家計が苦しいのに」

「構うものか! 苦しいのは今だけだ!」

 

 父は緊縮財政と軍縮を支持しており、中央宙域の中流層としてはごく標準的な感覚の持ち主だ。俺が積極財政・軍拡のトリューニヒト派なのは忘れている。政治家の政策的差異に疎いのが標準的な同盟市民だ。

 

「あと少しの我慢だよ。改革が終わったら景気も良くなる」

 

 姉の夫は穏やかに笑う。この人の感覚も標準的な中央宙域の中流層であり、標準的な同盟市民であった。

 

「ファビアン君、見ろよ。また辺境がごちゃごちゃ言っているぞ」

 

 父が姉の夫に新聞を見せる。

 

「あいつら、本当にわがままですね。貧乏なのは自由競争の結果でしょう。どうして中央に責任押し付けようとするんだか」

「わかってないな、君は。他人に責任転嫁するような連中だから競争に負けるんじゃないか」

「ああ、なるほど。無能なのはしょうがないですけど、我々の税金にたかるのはやめてほしいですね」

「まったくだ。辺境が無駄金を使うせいで景気が悪くなった。レベロさんが議長でよかったよ。ボナールさんやムカルジさんと違って妥協しないからな」

 

 俺は何も言わずに二人の会話を聞いていた。言いたいことがないわけでもないが、議論する気もなかった。中央宙域は自主自立の気風が強く、自由経済の利益を享受していることもあり、「自由競争は正しい」「政府支出は少ない方がいい」と考える人が多い。俺だって昔はそうだった。中央宙域の中流層は一〇人中七人が素朴な自由主義者なのだ。

 

 同級生が歓迎会を開いてくれるというので顔を出した。一二年前と違って不快感はない。逃亡者として過ごした六〇年より、軍人として過ごした一二年の比重が大きくなったせいだろう。

 

 変わったのは俺だけではなかった。前の世界で俺を非国民呼ばわりして殴ったムスクーリは、反戦団体に参加している。前の世界で俺に絶縁を言い渡したルオは、「英雄フィリップス提督」のファンだ。前の世界で俺を冷たい目で見たドラープは、LDSOの一員として解放区に入り、撤退戦の最中に行方不明になった。前の世界では俺が帰国する前に戦死したハシェクは、生き延びて将校になった。その他の同級生は三人に一人が失業中で、ラグナロック戦役で死んだ者もおり、時勢を感じずにはいられない。

 

 有名店のピーチパイを食べるために並んだ時、大人しそうな青年に声をかけられた。名前をフランツ・ヴァーリモントといって、俺の先輩であるルイーザ・ヴァーリモントという人の弟らしいのだが、姉も弟も記憶にない。

 

「一一年前、フィリップス提督がシルバーフィールド中学を訪れた際に激励していただきました」

「ああ、そんなこともあった」

 

 やっと思い出した。英雄になりたての頃、母校のシルバーフィールド中学を訪ねて生徒と語り合ったのだ。

 

「惑星を開拓するのが夢でした。不毛の大地を緑で埋め尽くせたら素敵じゃないですか」

 

 ヴァーリモントは見事に夢を叶えた。中学を卒業すると、予備士官課程を受講して奨学金を獲得し、農業工学を学んで銀河開発協力機構の農業指導員となった。ラグナロック戦役では予備役技術少尉として解放区の農業指導にあたり、三〇〇万ヘクタールの砂漠を農地に変えたそうだ。

 

「三色旗新聞で見たことあるぞ。緑の奇跡って記事だ」

「ご存知でしたか!」

「偉いなあ。俺よりずっと立派だ」

「ありがとうございます。あの時、一緒に激励していただいた二人も夢を叶えたんですよ」

 

 彼と一緒に激励を受けた二人のうち、「空戦隊員になりたい」と言ったレオニード・ザムチェフスキーは勇名高いポプラン空戦隊の隊員になり、「教師になりたい」と言ったジョスリン・オーダムは母校の教師になった。

 

「みんな頑張ってるね」

「ところで妹さんはどうしてらっしゃいます?」

「妹を知ってるのか?」

「同じクラスでしたので。専科学校に入ったとは聞きましたが、卒業できたんですかね」

 

 ヴァーリモントは本心から心配している。昔の妹は本当にだらしなかった。あれを見て軍人が務まると思う人はいないだろう。

 

「卒業したよ。今も軍にいる」

「あいつ、朝起きれるようになったんですか!?」

「まあね」

「凄いですね!」

「妹も頑張ったんだ」

 

 俺は反応に困った。妹が朝起きれるようになった程度で感動するような相手だ。特殊部隊で中佐をやってるなんて言ったら、心臓麻痺を起こすかもしれない。

 

 ともかく、新しい世代が着実に育っているのは嬉しいことだ。同盟の未来は捨てたものではないと思えてくる。

 

 パラディオンで二週間を過ごした後は、中央宙域や第一〇辺境星区を巡った。知り合いを訪ね、戦友や部下の墓参りをし、各地のグルメを味わうのが目的だ。

 

 残念ながら、気楽な旅行とはいかなかった。暴動が発生して外出できなくなったり、テロや宇宙海賊のせいで船が進めなくなったりして、何度も足止めを食った。治安の悪化は俺の旅路にまで影響を及ぼしたのである。

 

 中央と辺境の亀裂は決定的となった。反移民運動は同盟軍に対抗するために武装し、銃撃戦や爆弾攻撃を繰り広げる。経済格差に抗議する運動は、ハイネセン資本やフェザーン資本への襲撃に発展した。独立運動は反移民運動や反格差運動を取り込んで拡大し、暴動やテロが頻発している。同盟派と反同盟派の内戦が起きた惑星もある。

 

 辺境星系の間で手を取り合って中央に対抗しようと言う気運が強まり、各地で宙域統合体が誕生した。それらの多くは、かつて自由惑星同盟の軍門に下った国家共同体の勢力範囲と重なる。

 

 三月下旬、アラウカニア条約機構の五三星系は、同盟政府に地方補助金の復活・移民分配の中止・経済財政協定の廃止を突きつけた。受け入れられない場合は同盟脱退も辞さないという。スカラ共同体、アルティプラーノ協力連合なども同様の要求を行う方針だ。

 

 アラウカニア条約機構の要求に対し、レベロ議長は「民主主義と自由経済の根幹に関わる」と拒否したが、同時に同盟脱退も認めない意向も示した。

 

「民主主義と自由主義を守るために同盟は不可欠だ。どのような形であっても、同盟の枠組みを崩すことは認められない」

 

 レベロ議長が断固たる決意を示したにも関わらず、強硬論は盛り上がらなかった。

 

 第一の理由として軍部が独立阻止に消極的だった。大きな発言力を持つ有害図書愛好会グループは、国家の枠組みを相対的なものと捉えている、星系主権は移民の自由と権利よりは軽いが同盟よりは重く、独立阻止は民主主義に反すると考えた。他の軍首脳も同盟維持より民主主義を優先する姿勢だった。

 

 第二の理由として、中央宙域の富裕層・中流層が辺境を放棄したがっていた。自分たちの税金を辺境のために使われるのは我慢ならないし、辺境を切り捨てれば楽になるとの思いもある。また、中央宙域の情勢が悪化していて、辺境問題に関心を向ける余裕がなかった。

 

 トリューニヒト派の仲介でフェザーンから無利子融資を受けた四九星系だけが、例外的に安定を保っている。借りた金を使って金融システムの崩壊を防ぎ、公共事業で失業者を吸収し、航路警備部隊を作って退役軍人を吸収し、内政を安定させた。移民に対しては、隔離政策を取ることで住民の不満を抑えた。政策面ではレベロ政権と正反対だが、中央と対抗する姿勢は見せていない。

 

 自由惑星同盟は急速に求心力を失っていた。帝国はもっと酷い状況だ。ラグナロック戦役前にトリューニヒト議長が言った通り、和平は内乱の始まりだったのだ。

 

 五月六日、俺は最終目的地の惑星マスジッドに辿り着いた。辺境航路の要衝なのに宇宙港は閑散としている。星都タナメラは辺境で五番目に大きな都市なのに、テナントが入っているビルを探す方が難しい。公共交通機関は運行停止状態、民間交通機関も倒産や労働争議で機能していない。寂れているというより死んでいる。

 

 俺は郊外の市民墓地まで歩いて行き、目当ての墓を探した。管理事務所が閉まっているので広大な墓地の中を隅々まで歩いた。

 

「クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー? どこかで聞いた名前だな」

 

 墓石に彫られた文字列を見ると、ケーフェンヒラー氏は宇宙暦七一七年に帝国領の惑星グリュンダウで生まれ、俺が英雄になった七八八年にマスジッドで死んだらしい。生前の身分は男爵・帝国宇宙軍大佐だったそうだ。れっきとした貴族がなぜ同盟の辺境で死んだのか。

 

「興味深いけど関係ないな」

 

 ケーフェンヒラー氏の墓石から視線を離し、辺りをきょろきょろと見回した。

 

「これだ」

 

 俺は小さな墓石の前に立ち、直立不動の姿勢をとった。墓石の表面には「マルキス・トラビ 宇宙暦七三八年三月九日-七九四年四月六日」「ヴァネッサ・トラビ 宇宙暦七三八年七月一日-七五九年八月二〇日」という文字が彫られている。ヴァンフリート四=二基地で戦死したマルキス・トラビ大佐とその妻の墓だ。

 

「あの時、君は俺が礼を言うのを遮った。だから、改めて言わせて欲しい。本当にありがとう」

 

 墓石に向けて最敬礼し、初めて指揮した戦いで俺を助けるために死んだ部下に礼を述べた。

 

「君は最後に『隊長代理は果敢ですが慎重さに欠けておりますな。今後はお気をつけください』と言ってくれた。結局、そのとおりになった」

 

 生前は仕事以外で話すことのなかった部下に向かって語りかける。

 

「あれから六年が過ぎた。一〇〇を超える戦いを指揮した、勝ったことも負けたこともあった。味方を救ったこともあったし、味方を死なせたこともあった。敵と味方の屍を山のように積み重ねた末に、ここにたどり着いた。俺は立派な指揮官になれたのか?」

 

 これは一種の儀式であった。死者に語りかけることで自分の中にある感情を引き出し、一人ではたどり着けない答えをもらう。

 

 他にもいろんなことを聞いた。妻を失ってからの三五年間をどんな気持ちで過ごしたのか? どうやって最愛の人がいない世界を受け入れたのか? トラビ大佐は俺が歩き始めたばかりの旅路を歩き通した人なのだ。

 

 墓地を出た時、空は薄暗くて空気はひんやりとしていた。入り口からトラビ大佐の墓までの距離はそれほど遠くないはずなのに、予想以上に時間がかかった。

 

 俺は両手を上に伸ばして背伸びをする。全身の筋肉が引っ張られて気持ちいい。船中でトレーニングばかりしていたおかげで、ラグナロック戦役中に落ちた筋力は元に戻った。体力十分、気力も十分だ。

 

「頑張るか」

 

 携帯端末を開いてにっこり笑った。画面の中ではダーシャが同じように笑っている。彼女が守ろうとし、トラビ大佐が守ろうとし、戦場で散った戦友や部下が守ろうとした国は、分裂の危機に瀕している。

 

「生きている人間が戦わないとな。予備役だってできることはある」

 

 決意を新たにした時、携帯端末から物騒なアラーム音が流れた。緊急速報の音だ。画面のテロップは驚くべき事実を伝えた。

 

「本日一八時二四分、ジョアン・レベロ最高評議会議長が銃で撃たれ、意識不明の重体」

 

 現職の最高評議会議長が銃撃を受けた。大事件に慣れきった同盟市民でも、衝撃を受けずにはいられない。第二次ヴァルハラ会戦が終わって一年、同盟はさらなる試練を迎えようとしていた。


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