銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第71話:祭りの後、後の祭り 799年9月4日~12月 惑星ハイネセン~モードランズ官舎

 九月四日、同盟軍と帝国軍の間で無期限の休戦協定が結ばれた。ほぼレベロ案に沿った内容で、同盟はすべての占領地と接収財産を返還し、帝国は賠償請求と移住者の送還要求を取り下げた。相手国の戦争犯罪に対する裁判権の相互放棄、全捕虜の相互解放、同盟・帝国・フェザーンの三者による連絡会議の設置なども取り決められた。

 

 当初、ジョアン・レベロ議長は政府間の平和条約締結を望んだ。しかし、保守層の強い反対にあい、帝国が同盟の国家承認に踏みきれなかったこともあり、軍隊同士の休戦協定という形で決着した。それでも、両国が休戦で合意した意義は大きい。恒久平和に向けて大きな一歩を踏み出したと言える。

 

 作戦名を取って「ラグナロック戦役」と呼ばれる大戦は終結した。アムリッツァに展開していた大部隊はハイネセンへと向かい、同盟は戦時体制から平時体制に戻った。本国では捕虜送還の準備が進んでいる。

 

 同盟がラグナロック戦役に投じた経費は四五兆九〇〇〇億ディナール。昨年度一般会計予算の三五・一パーセント、国防基本予算の六九・二パーセント、国内総生産の九・六パーセントに匹敵する。この巨額支出は一般会計とは別に、戦時特別会計・解放区特別会計として計上された。また、戦時国債の利払い、戦没者遺族に支給される一時金や遺族年金、傷病兵に支給される治療費や障害年金、移民の教育費・社会保障費なども発生した。

 

 軍事的損失の大きさは金銭的損失に勝るとも劣らない。宇宙軍は宇宙艦艇一五万七〇〇〇隻を失い、一七〇七万人が戦死・行方不明となり、一二七九万人が負傷した。地上軍は二〇一九万人が戦死・行方不明となり、四一四三万人が負傷し、多数の地上車両・航空機・水上艦艇・宙陸両用艦艇を失った。

 

 対帝国戦の中核となる外征部隊は酷く消耗している。第五艦隊・第七艦隊・第八艦隊・第一〇艦隊・第一一艦隊は、兵力の半数近くを失った。第三艦隊と第六地上軍は、リッテンハイム軍主力の侵攻を防いだ。第四地上軍はヴァナヘイムの民間人退避作戦で大損害を被った。第三地上軍と第八地上軍は撤退戦の際に取り残され、降伏を余儀なくされた。

 

 いい加減な公式発表、同盟軍による戦争犯罪、解放区統治の失敗などは、政府と軍に対する信頼を大きく傷つけた。市民は民主主義を無邪気に信じることができなくなった。

 

 同盟がラグナロック戦役で得たものは、帝国人移民一億二九〇〇万人と帝国人兵士八〇〇万人、数兆ディナールまで目減りした接収財産だけだった。

 

「何のために我々は苦労したのか」

 

 市民は未だかつてない挫折感に打ちのめされた。これまでの戦争はイゼルローン回廊をめぐる局地戦に過ぎなかったが、ラグナロック戦役は国力を振り絞った総力戦だった。同盟が二七二年にわたって築いてきたものが敗北したに等しい。

 

 心が折れた時、人々は二つのものを求める。正義を体現する英雄と憎悪を一身に引き受ける敵役だ。左派は和平を推進した人々や反戦運動家を英雄視し、遠征を推進した人々や残虐行為をはたらいた軍人を敵視した。右派は遠征を推進した人々や武勲をあげた軍人を英雄視し、和平を推進した人々や反戦運動家を敵視した。

 

 英雄への顕彰を求める声と敵役への断罪を求める声が高まったが、レベロ議長はどちらにも応えようとしなかった。

 

「私は英雄や敵役を作ろうとは思わない。そのような存在は一時の気晴らしにはなるが、真の問題を解決する役には立たないからだ」

 

 彼の言う真の問題とは、財政危機、経済の悪化、中央と地方の対立、分離主義テロなどの内政問題である。

 

「今は再建に取り組む時だ。過去の行き違いは水に流そう」

 

 レベロ議長は市民に和解を訴えた。ラグナロック戦役中に生じた国論の分裂を修復し、内政問題に全力を注げる態勢を作るのが狙いだ。

 

 和解の第一弾として、ラグナロック戦役中の脱走兵や徴兵忌避者に恩赦が与えられた。ただし、犯罪を犯して処罰を免れるために脱走した兵士は、恩赦の対象から外された。

 

 和解の第二弾として、逮捕された反戦デモ・戦争支持デモの参加者に恩赦を与え、反戦運動と戦争支持運動の両方を免罪した。ただし、恩赦の対象は不法占拠や公務執行妨害などで、傷害や放火は対象外とされた。

 

 和解の第三弾は、戦争指導にあたった政治家や軍人、解放区政策担当者に対する恩赦だった。ただし、汚職や非人道的行為は恩赦の対象にはならない。

 

 このようなやり方には反対の声もあった。退役軍人団体は「脱走兵や徴兵忌避者に寛大すぎる」と怒った。戦没者遺族は戦争指導者への恩赦に強く反発した。帰還兵の一部は、戦争指導者や解放区政策担当者の断罪を求めるデモを行った。トリューニヒト派や反戦市民連合は戦争責任の徹底追及を望み、統一正義党はサボタージュや反戦運動を反逆罪と断じ、徹底的に反対した。

 

 それでも、和解政策は予想以上に受け入れられた。支持者の半数は混乱に嫌気が差していた人々で、残り半数はレベロ議長の誠実さに期待した人々だった。

 

 同盟全土が断罪に狂奔したパトリオット・シンドロームの再来は避けられたものの、処罰感情を完全に消し去るには至らない。戦犯探しは延々と続いた。

 

 マスコミは若手高級士官グループ「冬バラ会」が戦犯だと断言した。大々的な批判キャンペーンが繰り広げられ、冬バラ会が出兵案を統合作戦本部の頭越しに最高評議会に持ち込んだこと、冬バラ会が政府やロボス元帥に楽観論を吹き込んだことが明らかにされた。

 

 冬バラ会の中で特に憎まれたのはアンドリュー・フォーク少将であった。現実離れした楽観論を唱えたことで市民の反感を買い、前線部隊に無理難題を押し付けたことで軍人の反感を買い、同盟一の嫌われ者となった。

 

「天才ヤン・ウェンリーに嫉妬していた」

「栄達欲と英雄願望を満たすためだけに、ラグナロック作戦を計画した」

「実績も能力もないのに、士官学校主席卒業の学歴とロボス元帥の寵愛だけで高位を得た」

「病身のロボス元帥を操り人形にした」

「前代未聞の誇大妄想狂。自分を天才だと思い込み、最高評議会とロボス元帥に嘘の情報を吹き込み、願望に基づいて作戦を立てた」

「陰気で驕慢で尊大で、人に好かれる要素を一かけらも持ち合わせていない」

「恩師ロボス元帥も、先輩のコーネフ大将やビロライネン中将も、冬バラ会の仲間も出世の踏み台としか考えていなかった」

 

 どこかで聞いたような悪口が新聞紙上やテレビ画面にあふれ、あっという間に「無能参謀アンドリュー・フォーク」のイメージが作り上げられた。

 

 こうした報道の中には、「フォーク少将は一度も残業をしたことがない。他人に仕事を押し付けて自分だけは定時で帰った」など、あからさまに事実に反するものも少なくない。マスコミに匿名の「関係者」「同級生」とやらが大勢登場したが、俺のところには誰も取材に来なかった。

 

 あげくの果てに「最後に面会したフィリップス少将によると~」などと、俺の発言を捏造する報道が流れたので、さすがに我慢の限界を超えた。

 

「いい加減なことを言わないでください」

 

 テレビ局に訂正を求め、アンドリューとの通信記録を公開する用意があるとも伝えた。だが、担当者はのらりくらりと言い逃れる。

 

 抗議に行った翌日、第一統合軍集団司令官ベネット大将に「ウランフ元帥の指示を破るな」と叱られた。ウランフ元帥は抗命に踏み切った事実を隠し、総司令部のメンツを立てることで、撤退許可を取り付けてくれたグリーンヒル大将に酬いた。俺が通信記録を公開した場合、すべてが台無しになってしまう。

 

「わかりました」

 

 ここまで言われては、俺も引き下がるしかない。その一二時間後、アンドリューとの通信記録は機密指定を受けた。

 

 ある新聞はアンドリューが転換性ヒステリーを患っていたとの記事を載せた。医療関係者なる人物の証言はヤマムラ軍医少佐の説明そのままで、アンドリューが幼児的な人物であると印象付けるように書かれていた。

 

「驚くべきことに遠征軍の作戦指導を担っていたのは、チョコレートを欲しがって泣きわめく幼児同然のメンタリティの持ち主であった。小児性ヒステリーの暴走が数千万人を死に追いやったのである」

 

 この一文を目にした時、新聞を破り捨てたくなる衝動を我慢するのに苦労した。マスコミがいい加減なのはわかっていても、平静でいるのは無理だ。

 

 キャレル軍医少佐の診察を受けた時、胸中にわだかまっていた思いを吐き出した。

 

「キャレル先生、精神医学ってこんないい加減なものだったんですか」

「ヤマムラ軍医少佐は精神科医じゃないですよ。神経内科医です」

「そうでしたか。ヒステリーは神経症とも言うから、神経内科医の領分なんですかね」

「神経症は精神疾患なので精神科の領分です。神経内科の領分は、神経系の異常によって起きる身体疾患です。両者は似た症状が出ることもあるので、神経症を身体疾患と勘違いして神経内科に行ったり、神経系の病気を精神疾患と勘違いして精神科に行くことも珍しくありません。素人には判別しにくいのです」

「しかし、彼はアンドリューを見た瞬間に診断を下しましたよ」

「プロは見た瞬間に診断を下さないものです。精神疾患は外に現れる症状だけでは判別しにくいですから。ずっと前に診断がついていたとしても、プロには守秘義務があるので、聞かれた途端に得々と説明しだすなんて真似はしません」

「言われてみるとそうですね。俺の直感が正しかったのか」

 

 ヤマムラ軍医少佐をメンタルのプロだと信じた自分が恥ずかしくなった。指揮官としてメンタルの問題に取り組み、何人もの精神科医と一緒に仕事したのにでたらめを見抜けなかった。

 

「あと、転換性ヒステリーなんて言葉は、精神医学の世界では一五世紀前に廃れました。今は転換性障害と言います。まあ、ドラマなんかでは使われますが。インパクトがありますから」

「死語だったんですか」

 

 俺は目を丸くした。前の世界で読んだ『レジェンド・オブ・ギャラクティック・ヒーローズ』にも、「フォークはヒステリー」だと書いてあった。公式のように言われてる言葉が死語だったなんて、思いもよらなかった。

 

「説明も全部でたらめです。転換性障害に性格的な傾向はありません。ヒステリーという言葉が連想させる自己顕示性や自己中心性とは無関係です。ストレスが臨界点を超えたら、誰だってかかりうる疾患ですよ。体質とかそんなのも関係ありません」

「幼児がどうこうってのはでたらめだと考えていいんですね」

「でたらめです。フォーク少将に悪い印象をくっつけるための小細工でしょう。私は直接フォーク少将を診察していないので、転換性障害なのかどうかも判断しかねます。しかしながら、閣下のお話を聞く限りでは、睡眠も食事も不足しているようですし、何年も残業続きとのことでした。立場上、ストレスも大きかったことでしょう。どんな病気を発症したっておかしくないですよ」

「ありがとうございます。胸のつかえが取れました」

「ヤマムラさんは悪質です。素人が区別しにくいのをいいことに、素人受けしそうなことをプロが言ってるかのようにミスリードしています」

 

 キャレル軍医少佐は苦々しさを隠し切れないといった様子だ。

 

「軍やマスコミが鵜呑みにするのはおかしいですね」

「後ろに大物が付いてるんじゃないですか? 一介の軍医が将官を『わがままな幼児』『自我が異常に肥大してる』と悪しざまに言って、無事でいられるなんておかしいでしょう? ヤマムラさんは誰かが作った台本を読み上げただけとも思えます」

「そう言えば、グリーンヒル大将の態度が変でした。有無を言わせぬ感じでヤマムラ軍医少佐の説明を全肯定する感じで」

「ヤマムラさんが説明役、グリーンヒル大将がお墨付きを与える役とか」

「グリーンヒル大将が出てきたら、誰だって信用するでしょうけど……。あの人がそんな悪辣な手を使うとは思えません。済まなさそうな顔をしていたし」

 

 俺はあの時のグリーンヒル大将の顔を思い出した。心の底から悲しんでいるように見えた。だから、あれ以上突っ込めなかったのだ。

 

「グリーンヒル大将は台本を読まされただけかもしれないし、黒幕に騙されているかもしれないし……。わかりませんね」

 

 ここでキャレル軍医少佐は話を打ち切った。憶測だけで語るには危険過ぎると思ったのだろう。適切なタイミングだった。

 

 

 

 講和問題と敗戦責任問題が片付いたことで、財政・経済問題に市民の関心が集まった。ラグナロック作戦は同盟に財政赤字とインフレを残した。徹底的な緊縮策によって当面の財政破綻は回避され、インフレは抑制傾向に転じたものの、予断を許さない状況が続いている。

 

「同盟経済は瀕死の病人だ。根本的な治療をしなければ、いずれは死に至る」

 

 レベロ政権は同盟経済を治療するために二つの処方箋を選んだ。一つは緊縮財政、もう一つは軍縮である。

 

 最初に評議会メンバーと各政策委員会の副委員長・委員に俸給を返上するよう求めた。レベロ議長自身は「国民に負担を求めておきながら、高給を受け取るのは筋が通らない」との理由で、就任時から議長俸給を受け取っていないし、財政委員長も無給で務めた。自分が率先して痛みを引き受けるのがレベロ流なのだ。

 

 政治家にも身を切る覚悟が求められた。議員報酬の四〇パーセント削減、秘書雇用手当と政務調査費の五〇パーセント削減、次期選挙前の下院議員定数の二割削減などが決まった。

 

 ここまでやった上で、レベロ政権は支出削減をさらに徹底させた。政府職員の解雇や給与削減、公共事業の凍結、政府機関の統廃合、公営事業の民営化、地方補助金の廃止、政府資産の売却などにより、政府支出を大きく減らした。

 

 国防費に次ぐ規模の社会保障費に対しては、金銭やサービスの給付を減らし、自立を促進するための方策を講じることで根本的な解決を図った。失業保険を減らして再就職支援を充実させ、障害年金を減らして障害者向け職業訓練を充実させ、医療補助を減らして予防医療を充実させるといった具合だ。まさしく「魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える」ものといえよう。

 

 フェザーン自治領は同盟と帝国に無利子融資を持ちかけた。貿易と金融を生命線とする彼らにとって、両国の復興は不可欠だったのだ。帝国宰相リヒテンラーデ公爵は受け入れたが、レベロ議長は「無利子でも借金は借金だ」と言って断った。同時に提案された汎銀河貿易投資協定には、喜んで参加した。

 

 ハイネセン経済学は自由競争・自由貿易・小さな政府・強い個人を柱とする。目指すところは五四〇年代から六一〇年代の高度経済成長時代だ。政府は小さくて税金は安かった。市民は豊かで経済的に自立していた。税金に依存して生きる人間は今よりずっと少なかった。勤勉かつ禁欲的な労働者は貯蓄に励み、貯蓄が投資に回り、投資が経済発展とさらなる貯蓄を促し、増加した投資がさらに経済を発展させるという好循環が続いた。

 

 レベロ政権の最終目的は、ハイネセン経済学が理想とする状態を作ることにあった。恒久平和を実現し、戦争中に肥大化した政府と軍隊を縮小し、経済構造を政府主導から民間主導に改め、帝国と自由貿易協定を結び、経済成長を実現するのだ。

 

 最大の障害は国家予算の半分を占める国防費だった。兵器産業だけでなく、食品産業・繊維産業・エネルギー産業・ハイテク産業などあらゆる産業が軍需に依存している。軍事費を少し減らすだけで、数千万人が失業し、同盟国内の消費が落ち込む。軍需で食べている人間の数、軍縮を行った際の景気悪化、軍部の反発を考慮すると、軍縮は恐ろしくリスクの高い政策だ。

 

 幸いなことに軍の上層部は軍縮の必要性を理解していた。軍拡派は力を失っており、緩やかに軍縮を進めるか、急速に軍縮を進めるかだけが問題だった。ラグナロック作戦の結果、緩やかな軍縮を唱えたロボス派は大打撃を受け、急速な軍縮を唱えるシトレ派の優位が確立された。

 

 同盟総軍司令長官ラザール・ロボス宇宙軍元帥は、「病気療養に専念する」と言って引退した。敗戦責任については一言も触れていない。最後まで責任を認めなかったのである。退き際の見苦しさは、帝都攻略を成し遂げた英雄の名声に傷を付けた。彼のためだけに作られた同盟総軍総司令部は解体された。

 

 統合作戦本部長シドニー・シトレ宇宙軍元帥も現役を退いた。ラグナロック作戦に批判的だったにも関わらず、軍令のトップとして責任を取らねばならなかったのだ。

 

「敗北を止められませんでした。すべて私の責任です」

 

 辞任会見の席でシトレ元帥は潔く責任を認めた。前政権やロボス元帥への批判は一言も口にしない。沈黙を決め込んだロボス元帥、責任転嫁に終始するウィンザー前国防委員長と比較すると、彼の潔さは際立っている。

 

 シトレ元帥はレベロ議長から安全保障担当議長補佐官への就任要請を受けたが、「老人がでしゃばれば、若い者がやりにくくなる」と言って固辞した。そして、ボロディン大将やヤン大将らを信頼して欲しいと述べた。トップの完全引退により、シトレ派は集団指導体制に移行し、「良識派」と呼ばれるようになった。

 

 若手高級士官グループ「冬バラ会」は厳しい処分を受けた。敗戦責任が免罪されたとはいえ、遠征推進派の中で最も目立った彼らへの風当たりは強かった。最も憎まれたアンドリュー・フォーク宇宙軍少将は精神疾患で入院したために、軍法会議への訴追を免れ、予備役に編入されるだけで済んだ。その次に憎まれたリディア・セリオ宇宙軍准将も、精神疾患によって訴追を免れた。ウィレム・ホーランド宇宙軍中将ら他のメンバーは全員予備役に編入となり、冬バラ会は一掃された。

 

 総参謀長ドワイト・グリーンヒル宇宙軍大将は宇宙軍予備役総隊司令官、副参謀長兼作戦主任参謀ステファン・コーネフ宇宙軍大将は宇宙軍支援総隊司令官に転じた。予備役総隊と支援総隊は宇宙艦隊と同じ総隊級部隊で、その司令官は大将級だが、練度管理だけを担当するので軍事行動には関わらない。名目上は昇格だが実質的には左遷といえる。冬バラ会の暴走を許した責任を問われた形だ。

 

 情報主任参謀カーポ・ビロライネン宇宙軍中将は第一一方面軍司令官、後方主任参謀アレックス・キャゼルヌ宇宙軍中将は第二〇方面軍司令官に転出した。彼らも冬バラ会を抑えられなかった責任を取った。

 

 地上軍総監・第二統合軍集団司令官アデル・ロヴェール地上軍大将は引退した。目立った失点はなく、遠征軍総司令官代行として撤収を指揮した実績もあり、次期統合作戦本部長に最も近いと思われた。だが、遠征推進派の一員として楽観論を唱えたことが問題となり、予備役に追いやられたのである。

 

 第三統合軍集団司令官イアン・ホーウッド宇宙軍大将は現役を退いた。ラグナロック戦役の前半で大活躍を見せたが、後半戦では精彩を欠いた。ヨトゥンヘイムでラインハルトに三連敗し、第三地上軍と第八地上軍を降伏に至らしめた責任を問われて、失脚に追い込まれた。

 

 第五統合軍集団司令官シャルル・ルフェーブル宇宙軍大将は、宇宙軍教育総隊司令官となった。教育総隊も宇宙艦隊と同格の総隊級部隊であり、格は高いが権限は少ない。遠征軍主力がヴァルハラで戦っていた頃、彼はミズガルズ方面でリッテンハイム派主力艦隊を食い止めた。ロボス元帥と近い人物だが、政治色の薄い実戦派で、戦功が大きかったために排除されなかった。

 

 後方勤務本部長ヴァシリーシン宇宙軍大将、科学技術本部長フェルディーン宇宙軍大将、ニブルヘイム統合軍集団司令官ジョルダーナ地上軍大将、インディペンデンス統合軍集団司令官シャフラン宇宙軍大将ら古参の大将は軒並み引退し、シトレ・ロボス世代の重鎮は同盟軍から消えた。

 

 シトレ・ロボスの二元帥時代が終わり空いたポストのほとんどは、一貫して遠征に反対しながらも多大な武勲をあげた良識派が埋めた。

 

 新たに統合作戦本部長となったのは、宇宙艦隊司令長官代行ウラディミール・ボロディン宇宙軍大将であった。平時にあっては自制的態度、戦場にあっては指揮官先頭を旨とし、リベラル軍人の理想像を体現している。ニダヴェリール撤退戦では軍勢をまっとうし、第二次ヴァルハラ会戦では名将メルカッツと互角に渡り合った。人格・手腕・実績のすべてにおいて軍のトップにふさわしい人物だった。

 

 宇宙艦隊司令長官には、フリーダム統合軍集団司令官アレクサンドル・ビュコック宇宙軍大将が抜擢された。第二次ヴァルハラ会戦では少数ながらも奮戦し、同盟軍最右翼の崩壊を防いだ。軍人の非行を厳しく取り締まった功績も大きい。志願兵出身で反骨心が強いことから、兵士からは叩き上げの星として尊敬されている。再招集された予備役大将で七三歳と高齢ながらも、人望を買われた。

 

 第一艦隊司令官ネイサン・クブルスリー宇宙軍中将は宇宙艦隊総参謀長となり、宇宙軍大将に昇進した。実戦叩き上げのビュコック大将は軍政や戦略に疎い。幕僚経験豊かなクブルスリー大将が実質的な指令塔になるだろう。

 

 最大の武勲をあげた第四統合軍集団司令官ヤン・ウェンリー宇宙軍大将は、統合作戦本部の作戦担当次長となった。トリューニヒト派を中心に元帥昇進と統合作戦本部長起用を求める声が大きかったが、グリーンヒル大将やビュコック大将が「自由にやらせた方がいい」と言ったために、次長に起用された。今後はボロディン本部長とともに同盟軍全体の戦略を統括する。

 

 地上軍総監には、第一統合軍集団司令官マーゴ・ベネット地上軍大将が起用された。故ウランフ元帥とともにヴァナヘイム撤退戦を指揮し、非戦闘員四〇〇〇万人を退避させたことで知られる女性将軍だ。

 

 七八〇年代後半の士官学校で暗躍した地下組織「有害図書愛好会」会員の進出は、大きな話題を呼んだ。ジャン=ロベール・ラップ宇宙軍少将は中将に昇進し、統合作戦本部作戦部長となった。ダスティ・アッテンボロー宇宙軍准将は少将に昇進して、国防委員会の戦略副部長と高等参事官を兼ねた。この二人にヤン大将を加えて「有害図書愛好会の三羽烏」と呼ぶ。また、ティエリー・モラン宇宙軍准将、レスリー・ブラッドジョー宇宙軍代将、セレナ・ラフエンテ宇宙軍代将ら愛好会の猛者八名が中央の要職に就いた。

 

「同盟軍が良識派に占拠されたみたいだ」

 

 それが異動表を読み終えた時の感想だった。

 

「有害図書愛好会グループでしょ」

 

 妹のアルマが「一緒にするな」というニュアンスを込める。彼女は良識派だが、有害図書愛好会グループに好意的ではない。

 

 良識派ほどの大派閥になると、内部にいくつものグループがある。派閥の中に派閥があるようなものだ。妹が属するグループはストイックさを重視しており、反骨精神むき出しの有害図書愛好会グループとは疎遠だった。

 

 今回の要職人事には、退任したシトレ元帥の意向が反映されたと言われる。新たに軍のトップに立ったボロディン大将、ビュコック大将、クブルスリー大将、ベネット大将は、変わり者を見ると「若者はこうでないと」と目を細めるような人たちだ。有害図書愛好会グループとの相性は抜群に良い。

 

 かつて、シトレ元帥は「上に噛みつく気概がない奴には、敵と戦う闘争心もない」「批判精神がない奴には、仕事を改善する能力はない」「人と同じことしかできない奴には、敵を出し抜くことなどできない」と言った。士官学校校長時代の教え子である有害図書愛好会グループは、彼が考える理想の軍人だった。

 

 

 

 軍部の新首脳陣は着任すると、大規模な改革計画を打ち出した。軍縮を契機に同盟軍を一から作り変えようというのだ。

 

 二年前、シトレ派が策定した大規模軍縮計画は、ラグナロック戦役が始まったためにほとんど実施されなかった。当時と比較すると、良識派の影響力ははるかに大きく、大規模戦役が起きる可能性ははるかに低い。念願の軍縮を実施するまたとない好機だった。

 

 軍縮はただ兵力を減らせばいいというものではなく、兵力減少に対応した戦略とセットにすることで効き目を発揮する。二年前に基本戦略となった「スペース・レギュレーション戦略」は、軍縮を視野に入れた少数精鋭戦略で、ラグナロック作戦でも多大な効果を上げたので踏襲されることになった。

 

 現在の同盟軍が保有する兵力は、宇宙軍が現役兵三七〇〇万人・予備役兵四五〇〇万人・現役艦艇三一万二〇〇〇隻・予備役艦艇一二万五〇〇〇隻、地上軍が現役兵一九〇〇万人・予備役兵六九〇〇万人だ。

 

 ラグナロック前と比べると、現役兵はほとんど減っていないが、予備役兵は二〇〇〇万人減り、現役艦艇は二万隻減り、予備役艦艇は六万隻減った。現役兵が減っていないのは、新兵と降伏兵による増加分が損失をやや上回ったためだ。現役艦艇は損失から新造艦と鹵獲艦による増加分を差し引き、微減となった。行方不明者の何割かが捕虜解放で戻ってくるので、現役兵は開戦前より増えるはずだ。

 

 現役兵の絶対数が減ってないと言っても、損失分の多くは正規艦隊や機動地上軍の精鋭だ。経験豊かな兵士が新兵と外国人に入れ替わったに等しい。開戦前より兵士の質は低下した。

 

 最初にラグナロックで損害を受けた部隊の統廃合を進めた。宇宙艦隊は第三艦隊が第七艦隊を吸収し、第五艦隊が第一〇艦隊を吸収し、第一一艦隊が第八艦隊を吸収し、一一個艦隊体制から八個艦隊体制に変わった。地上総軍は八個地上軍体制から六個地上軍体制に変わった。独立部隊の統廃合も進められた。

 

 部隊廃止を伴わない兵力削減も実施された。戦役中に現役期間が切れた徴集兵、任期が切れた志願兵が八〇〇万人もいた。徴集兵はそのまま復員させ、志願兵は契約更新を行わず、新兵募集枠を減らし、兵卒四〇〇万人を減らした。

 

 部隊の統廃合と兵力削減により、余剰気味になった士官と下士官を予備役に編入した。軍服を脱いだ士官は二〇万人、下士官は八〇万人にのぼる。

 

 ラグナロック戦役の戦訓に学び、会戦向きの大型編制部隊から持久戦向きの小型編制部隊に転換する計画が立てられた。宇宙艦隊は正規艦隊制を任務艦隊制に切り替え、八個艦隊を三六個分艦隊に分割し、艦隊司令部を八個から三個に減らすことで、人員削減と機動力強化を実現する。地上総軍は六個地上軍を二七個機動軍に分割し、機動地上軍司令部を六個から三個に減らす。細分化された宇宙艦隊と地上総軍は、平時は国内警備の主力となり、戦時は艦隊司令部や地上軍司令部のもとに集まって戦う。

 

 宇宙艦隊と地上総軍が国内警備に回されるため、地方駐屯部隊は大幅に削減される。方面軍を軍集団級部隊から軍級部隊、星域軍を軍級部隊から軍団級部隊、星系警備隊を軍団級部隊から師団級部隊に降格し、兵力の七割削減を目指す計画だ。ただし、イゼルローン方面国境とフェザーン方面国境の方面軍は、軍集団編制を維持する。

 

 実施前にラグナロック戦役が始まったせいで中止された兵站部隊の削減も、再度計画された。中央兵站総軍を総軍級部隊から軍級部隊に降格し、艦隊・地上軍・方面軍の兵站部隊も大幅に削減され、兵站業務の民間企業移管を進める。専守防衛なら国内の基地網を使えばいいとの考えだ。一部には、「兵站部隊を減らすことで、外征を抑えるつもりではないか」との噂もあった。

 

 予備役部隊の管理権を星系政府に譲り、「星系軍」に改編する構想もあるらしい。星系軍は正規軍の支援戦力であると同時に、星系内の治安維持や災害救援を引き受ける。これまでは星系政府の要請で国防委員会が現地の予備役を動員した。星系軍に改編すれば星系政府が直接動員できるようになり、迅速な対処が可能になるという。もっとも、これは思いつきの段階だそうだ。

 

 ヤン大将やラップ中将ら有害図書愛好会グループの幕僚が、軍縮計画策定の中心になった。ラグナロック戦役の戦訓、銀河情勢を踏まえた内容は、「新時代にふさわしい」との評価を得た。

 

「新時代に俺の席はないんだなあ……」

 

 俺はぼんやりと予備役編入の通知を眺めていた。大義なき戦いの果てに部下を失い、ダーシャを失い、軍籍まで失った。目も当てられないとはこのことだ。

 

「ごめんな、君の分も戦いたかったけど無理だった」

 

 ダーシャの写真に向かって謝った。返事は返ってこない。彼女はただ笑って俺を見つめる。八か月前だったら励ましか叱咤が返ってきたのに。

 

 生き残ったからには、彼女がやりたくてもできなかったことをしたかった。そして、彼女がやりたかったことの中で、俺にできることは祖国を守ることだけだった。それも叶わなくなった。

 

 同じ日に第二艦隊司令官クレメンス・ドーソン宇宙軍中将、第四方面軍司令官スタンリー・ロックウェル宇宙軍中将、エコニア収容所長ナイジェル・ベイ宇宙軍大佐らトリューニヒト派幹部四七名が、予備役に編入された。マルコム・ワイドボーン宇宙軍准将はミズガルズ方面で大きな戦功を立て、中央への復帰が有力視されたが、少将昇進と同時に予備役編入となった。

 

 メールボックスはトリューニヒト派からの怒りのメールで満杯だ。ドーソン中将からのメールは凄まじい長文で、内容を読まなくても長さだけでドン引きできる。

 

 国防委員会のサイトで公開されている異動表を見ると、トリューニヒト派以外の高級士官も予備役に編入された。名前を見ると、強硬な軍縮反対派、軍内政治に熱心な者、精神論や根性論を好んで口にする者、国家や軍隊への愛情が過剰気味な者ばかりだ。熱心な軍縮支持者、政治嫌いで有名な者、徹底した合理主義者、体制への反発心が強い者は、有害図書愛好会グループと仲が悪くても引き立てられた。

 

 軍首脳陣は軍縮と平行して意識改革も進めた。ラグナロック戦役の反省から「軍の政治的中立」を目指し、政治家や政党と距離を置いた。時間と費用の無駄だとの理由で、記念行事や式典の数を半分に減らしたり、規則を大幅に緩めたりした。批判精神を養い思考の柔軟化を促すため、兵士に同盟軍の敗戦や戦争犯罪について学ばせた。休まず働くのは非効率で精神主義的だとして、残業と休日出勤を大幅に制限した。

 

 戦争犯罪を調査するための機関「戦犯追及委員会」が設けられた。「市民に対する罪には時効はない」との理念から、非戦闘員を危険に陥れた者は戦争犯罪者名簿に登録され、ホームページで永久公開される。前の世界で俺が食らった「戦犯追及法」とよく似たものらしい。寛容と言われる良識派も、市民を苦しめた者には決して容赦しないのだ。

 

 教育改革も計画された。首脳陣は硬直化した士官教育が冬バラ会を生んだと考えた。そこでシトレイズムに基づく教育を目指したのである。評価基準を総合力重視から一芸重視に改め、欠点のない秀才より欠点のある奇才が評価される仕組みを作る。協調性は闘争心や批判精神や独創性を阻害するので重視しない。体育や精神教育の時間を減らし、合理的思考の基礎となるハイネセン経済学の授業を増やす。歴史感覚を養うために、士官学校の戦史研究科を復活させる。

 

「やっぱり俺の席はない」

 

 ため息をついたところに新着メールが来た。差出人はソリモンエス星系警察の総務局だ。

 

「辺境の警察が何の用だろう?」

 

 不審に思いながらメールを開くと、「航路保安隊を作るので司令官になって欲しい」との内容だった。軍縮で余った軍艦を買って自力で航路警備をやるつもりらしい。司令官になった場合、月給七〇〇〇ディナールと警視監の階級を用意するそうだ。

 

「ソリモンエスにそんな金があるのかなあ」

 

 いぶかしく思いつつ電子新聞を検索した。すると、隅っこにソリモンエス星系政府がフェザーンから莫大な金を無利子で借りたとのニュースが見つかった。

 

「昨日もこんなニュース見たぞ」

 

 昨日の電子新聞を開くと、スプレツァ星系がフェザーンから無利子融資を受け入れていた。財政委員会のクレームに対し、星系政府は「内政干渉だ」と反発しているという。地方政府が借金するのは自由だし、フェザーンから借りても問題ないのだが、それでもどこかひっかかる。

 

 新着メールが届いた。差出人はスプレツァ星系の内務省航路安全局。内容はソリモンエスと似たり寄ったりで、新設する航路警備部隊司令官への就任要請だった。

 

 フェザーンから大金を借りた星系が、払い下げの軍艦と退役軍人を雇って航路警備部隊を作ろうとする。まるで軍隊を作るために金を借りているかのようだ。

 

 同じような話が他にないかと思って検索してみると、一三件も見つかった。いずれも隅っこにちょこんと載ってるだけだ。国を揺るがしかねない事件なのに、同盟マスコミはいつものように辺境には興味を示さない。レベロ改革と軍縮と大都市で起きたテロのニュースばかりが、大きな扱いを受ける。

 

 急に端末から音が鳴った。トリューニヒト下院議長からの通信だ。高鳴る胸を抑えながら回線を繋ぐ。

 

「やあ、エリヤ君。元気かね」

 

 トリューニヒト議長はいつもと同じように微笑む。

 

「全然元気じゃないですよ」

「それはいかんな。君は元気がとりえなのに」

「妻がいなくなって、親友がマスコミに叩かれて、自分は軍を首になって、同盟は分裂の危機に瀕してるんです。元気でいられるわけないですよ」

「分裂の危機? ガリッサ広域連合の九星系が同盟税支払いを停止した件かね?」

「いえ、違います」

「では、イビクイで始まった同盟派と独立派の内戦か」

「それでもないです」

「もっと深刻な事件があるのかね」

「はい、それは――」

 

 俺が話し終えると、トリューニヒト議長は優しげに目を細めた。

 

「心配には及ばない。彼らは愛国者だ。同盟のためにならないことはしないよ」

「しかし、星系政府が外国から借金して宇宙部隊を持つなんて、穏やかではないでしょう」

「あれは軍縮で削減された軍艦や兵士の受け皿だ。強い同盟軍を維持するにはああするしかない」

「議長閣下も関わっていらっしゃるのですか?」

「もちろんさ。私も愛国者だからね」

 

 トリューニヒト議長はあっさりと関与を認めた。

 

「議長のなさることなら間違いはないと思いますが、しかし……」

「なんだね」

「一時的な受け皿で済まなければどうします? なし崩し的に星系政府の私兵になって、同盟軍と戦争することになったりしたら、目も当てられないですよ」

「問題ない。再来年の三月までには片がつく」

「上院・下院同時選挙ですね。何か仕掛けるおつもりですか?」

 

 脳内に二つの言葉が点滅した。一つは「クーデター」、もう一つは「反乱」だ

 

「何もしない。ただ待つだけだ。放っておけば、レベロと旧シトレ派は勝手に転ぶ」

 

 トリューニヒト議長の瞳には強い確信がこもっていた。

 

「私が選挙に勝って政権をとるまで一年三か月。しばらく辺境で骨休めしたらどうだね? ハイネセンに戻る時は、君は現役の中将だ」

「ありがとうございます」

 

 俺は額を触り出てもいない汗を拭いた。あまりにとてつもない話で、なんと答えればいいのかわからなかった。


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