銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第68話:頂上接戦 799年5月1日~5月5日 ヴァルハラ星系

 左側から回り込もうとするミュッケンベルガー軍右翼部隊右翼に対し、第一統合軍集団左翼が立ちふさがった。敵の最右端と味方の最左端が激しくぶつかり合う。

 

 

 

 

 

 第五艦隊と第一一艦隊が長距離砲を一斉に放つ。広い範囲に火力をばらまくのではなく、敵艦をピンポイントで狙い、一隻に対して数隻分の砲火を浴びせた。

 

 想像を絶する火力が敵艦に降り注ぎ、数百隻を中和磁場もろとも消滅させた。帝国軍艦は同盟軍艦より強力な中和磁場を持っている。それでも、長距離砲の集中砲火を受け止めることはできなかった。

 

 長距離砲で一点集中砲火ができる部隊は少ない。長距離砲を一〇光秒(三〇〇万キロメートル)以上離れた敵に放つと、当たるまでに一〇秒以上はかかる。軍艦は止まっているように見えても、亜光速で移動しつつ戦っており、一〇秒もあれば回避行動を取るのは容易だ。こうしたことから、長距離砲で軍艦を狙い撃つのは難しかった。射撃訓練を徹底的に重ねた部隊だけが、この戦法を使える。

 

 敵はビームとミサイルを乱射しながら突き進む。最前列が一点集中砲火で吹き飛ばされても、次の列が怯むことなく前進を続ける。お馴染みの戦法とはいえ、貴族の蛮勇をこれほど有効に活用できる戦法はない。

 

「やるじゃないか」

 

 俺は余裕たっぷりに笑い、チュン・ウー・チェン参謀長からもらったクロワッサンをかじった。もっとも、心臓はすさまじい速度で鼓動を刻み、腹は締め付けられたように痛む。

 

「敵は練度が低いために直線的な戦術しか使えません。だから、単純な手数勝負に持ち込み、同盟軍の戦術も封じる。こうやって欠点をカバーしています」

「どこまでも嫌らしい相手だ」

「正攻法は単純ですがそれゆえに堅固です」

 

 スクリーンを見ると、オステルマン艦隊の部隊章を付けた敵艦が映る。この艦隊はオーディン陥落後にブラウンシュヴァイク派が新しく編成した主力艦隊で、歴史は浅いが精強だった。この戦いでは右翼部隊最前衛を担っている。

 

 オステルマン艦隊を率いるハンス・オステルマン大将は、ブラウンシュヴァイク派に三人しかいない平民出身大将の一人である。平民士官には珍しい貧民の生まれだった。体制への忠誠心と優秀な指揮能力によって、異例の栄達を遂げた。目上に対しては奴隷のように卑屈、目下に対しては奴隷主のように冷酷、体制に対しては忠実というより盲信している。用兵能力はファーレンハイト中将ら八提督に劣るが、勇猛さと統率力は帝国軍トップクラスだ。

 

「ルグランジュ提督もオステルマン提督も正攻法に長ける。正面からの殴り合いになりそうだ」

「そうなるとあちらに分がありますね」

「勢いがあるからな。対抗する方法はないか?」

「あの勢いに対しては、小細工は通用しません。当面は守勢に徹しましょう」

「他に方法がないのはわかる。わかるけど……」

 

 俺は言葉を濁した。今は敵の攻撃を受け止めるので手一杯だし、側背攻撃や中央突破を狙うにも予備兵力が足りない。上位部隊のホーランド機動集団、その上位の第一一艦隊、さらに上位の第一統合軍集団も似たような状況であった。敵が疲れるまで守勢に徹するのが最善だろう。だが、同盟軍が先に疲れることも考えられる。戦意の低い側に疲労は多く蓄積されるものだ。

 

「部下が疲れないようにするのも指揮官の役目です」

「君の言うとおりだ。今はできることをやろう」

 

 未来を心配する暇があったら、未来のために布石を打つのが指揮官だ。不安になるとそんなことも忘れてしまう。

 

 俺は長期戦シフトを組んだ。各艦艇の一部機能をコンピューター操作に切り替えることで余裕を作り、より多くの兵士がタンクベッド睡眠を取れるようにする。間食の回数を一日一回から二回に増やす。このようにして体力と気力の維持に務めた。

 

「後方部長、間食は足りるか?」

「問題ありません。甘味類の備蓄はよその五倍以上ですから」

「兵士に好きなだけ食わせてやるように」

「嬉しそうですね」

「そんなことはないぞ」

 

 軍艦の間食というと、ハンバーガー、ピザ、リゾット、ヌードル、パスタなどが相場であるが、俺の部隊では甘味を出す。軍艦の中で制限なしに楽しめる嗜好品は、甘味と茶とコーヒーだけだ。つまり、兵士に甘味をたっぷり与えることは、糖分補給だけでなくストレス軽減にも繋がる。俺の好みとはまったく関係ない。

 

 自部隊の体制を整える一方で、上官のホーランド中将にも長期戦に備えるよう進言した。もっとも、ダーシャが同じような進言をしていたらしく、ホーランド機動集団は準備を始めていた。

 

 第一統合軍集団は後退して遠距離戦の間合いを保ちつつ、突進してくる敵に一点集中砲火を浴びせる。遠距離から中和磁場を壊せるのがこの戦法の強みだ。中距離戦の間合いに入り、敵が中距離砲を使えるようになった時点で優位性を失う。そこそこの練度でも中距離砲を使えば、一転集中砲火ができる。だからこそ、必死で間合いを保とうとした。

 

 敵は強引に間合いを詰めてきた。無秩序に乱射されたビームが各所で中和磁場に穴を開ける。対空砲火とジャミングの網をくぐり抜けた対艦ミサイルが、艦艇を吹き飛ばす。かなりの兵力を失ったのに勢いは強くなった。

 

「高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処せよ!」

 

 俺は攻撃が集中している部分を厚くし、攻撃を受けていない部分の兵力を他に回し、艦列に空いた穴を埋めて防衛線を繕う。

 

 スクリーンの中では、ビームと中和磁場の衝突によって生じた光、対艦ミサイルが撃墜される際に生じた光、艦艇の爆発によって生じた光が輝きを競う。俺の旗艦ヴァイマールの中和磁場にビームがぶつかり、虹色の光を発する。

 

「もしかして、こちらが敵の主攻なんじゃないか」

 

 そんな考えが脳裏に浮かんだ。味方は一個分艦隊を引き抜かれたので一三個分艦隊、敵は一六個分艦隊のはずなのに、火力の総量はそれ以上の差がある。大きな予備兵力が背後に控えているとしか思えない。

 

 総司令部が主戦場とみなした最右翼では、第二統合軍集団がキルヒアイス軍を食い止めた。三万隻の増援が功を奏したのである。

 

 他方面の同盟軍も健闘している。第三統合軍集団はリンダーホーフ軍を押し戻し、中央部の第七統合軍集団はメルカッツ軍の前進を阻み、第四統合軍集団はミュッケンベルガー軍左翼部隊の奇襲を撃退した。

 

 戦闘開始から一二時間が過ぎても、第一統合軍集団の状況は一向に好転しない。敵の正規軍は勇敢で戦い慣れているが連携が取れておらず、私兵軍や予備役部隊はがむしゃらに突っ込んでくるだけだが、とにかく手数が多かった。無秩序で非効率な攻撃でも、こんなに繰り出されたら対処しきれないのだ。

 

「二個群をR=三三〇方面へ向かわせろ」

「J=八五七方面には現有戦力で頑張ってもらう」

「K=四三八方面の一個群を本隊に戻す」

「C=一八一方面の部隊は、C=二七六方面を支援するように」

 

 俺はひっきりなしに指示を出した。周囲ではラオ作戦部長ら作戦参謀が各方面の戦力分布、火力密度などを計算し、最適な部隊配置を割り出す。前線では指示通りに部隊が動く。

 

 努力の甲斐あって、前方展開部隊の正面は小康状態に入った。もっとも、再び荒れ始めるまでに一時間はかからないだろう。

 

「少し休む」

 

 俺は椅子に座り、マフィンを食べた。疲労は判断力の低下を引き起こす。戦闘中の指揮官は慢性的な過労状態なので、折を見て小休止を取るのが大事だ。第三次ティアマト会戦のドーソン中将のようになってはたまらない。

 

「敵もそろそろ疲れる頃かな」

 

 これは予測ではなく期待だった。どれほど叩いても、敵がダメージを受けた気配はない。効果の見えない攻撃を続けるのは虚しい作業だ。徒労感が第一統合軍集団を覆い尽くし、動きが目に見えて悪くなっている。

 

「第四統合軍集団が動き出しました!」

 

 オペレーターが叫び、全員の視線がスクリーンに集中する。ミュッケンベルガー軍左翼部隊の一部が、ヤン大将率いる第四統合軍集団の縦深陣に引きずり込まれたようだ。

 

「どういうことだ、これは?」

 

 俺は右隣を向いた。わからないことはチュン・ウー・チェン参謀長に聞くのが一番だ。

 

「時間を掛けて少しずつ火線をずらし、敵を誘導したみたいですね」

「なるほど、さすがはヤン提督だ」

 

 第四統合軍集団は絡め取った敵に砲火を叩きつけ、仲間を救いにやってきた後続部隊には側面攻撃を加え、三個分艦隊を敗走させた。魔術のような手際である。

 

「このまま攻めろ!」

「あの敵を押し込んでくれ。そうしたらこちらも楽になる」

 

 あちこちで期待の声が生じる。そして、総司令部も増援を送るという形で期待を示した。予備戦力一個分艦隊と第七統合軍集団から引き抜かれた一個分艦隊は、全速力で第四統合軍集団との合流を目指す。

 

「総員、攻撃準備を整えろ! 第四統合軍集団の攻撃が始まると同時に、我々も攻撃に移る!」

 

 ルグランジュ大将が第一統合軍集団に攻撃準備を命じた。第四統合軍集団が左翼部隊を押しこめば、突出気味の右翼部隊は孤立する。反攻の機会は今をおいて他にはない。

 

 増援を得た第四統合軍集団は猛然と前進し、ミュッケンベルガー軍左翼部隊を六光秒(一八〇万キロメートル)ほど後退させた。そして、がら空きになったミュッケンベルガー軍右翼部隊の左側面に、三個分艦隊を差し向ける。

 

 第一統合軍集団は正面からミュッケンベルガー軍右翼部隊を攻撃した。先鋒はもちろんホーランド機動集団だ。敵に向かって火力とともに鬱憤を叩きつける。敵の左側面を第四統合軍集団別働隊が叩いた。

 

 だが、正規軍は予備役部隊や私兵軍と違って簡単には崩れない。オステルマン艦隊は崩れそうになりながらもギリギリで秩序を保つ。他の艦隊も全面壊走には至らなかった。

 

 やがてミュッケンベルガー軍左翼部隊の抵抗が強くなり、第四統合軍集団の攻撃は停滞した。ラインハルトが予備兵力を注ぎ込んだものと思われた。

 

 二日目は帝国軍の攻勢で始まり、同盟軍の反撃で終わった。現在は帝国軍がやや有利といったところだ。

 

 

 

 五月二日の朝七時、帝国軍の大攻勢が始まった。昨日と同じように最左翼と最右翼から迂回し、同盟軍の側背を突こうとする。

 

 

 

 

 

 第一統合軍集団の最前衛から一二光秒(三六〇万キロメートル)離れた場所に、ミュッケンベルガー軍右翼部隊が展開する。艦列の厚みは昨日と変わらない。

 

「撃て!」

 

 俺が指示を出した瞬間、向かい側から膨大なビームが降り注いできた。間違って敵に砲撃を命じたんじゃないかと錯覚してしまう。

 

 一〇分ほど砲撃を交わしあった後、敵が動き出した。正面からレンネンカンプ中将とトローデン中将、上方からビルスハウゼン少将、下方からハイナーデ少将、左側からクレーベック中将、右側からファーレンハイト中将が突っ込んだ。この六名はブラウンシュヴァイク派で最も優秀な用兵家で、正規軍の精鋭を率いている。その背後から二個主力艦隊が火力支援を行う。

 

 

 

 

 

「長距離砲を全開にしろ! 奴らを寄せ付けるな!」

 

 第一統合軍集団は長距離砲の大火力で壁を作った。一点集中砲火は密集した敵を叩くのには有効だが、狭い範囲に火力を集中するので、敵を足止めする効果は薄い。長距離砲の本領は足止めや火力支援で発揮される。

 

 敵は中和磁場の出力を全開にすると、巧妙な回避機動で直撃を避けつつ、火力の壁をくぐり抜ける。高い練度と優秀な指揮の成せる業だ。

 

「凄いですね。まるでサーカスみたいです」

 

 人事参謀カプラン大尉の馬鹿っぽい感想に、イレーシュ副参謀長が突っ込みを入れる。

 

「二年前まではこれが主力艦隊のスタンダードだったけど」

「そ、そうだったんですか!?」

「君さ、第六次イゼルローン遠征軍にいたよね。ちゃんと戦い見てた?」

「は、はい」

「どの部隊もこれぐらいの動きはできたよ」

 

 イレーシュ副参謀長の言うことは正しい。二年前はスタンダードだったものが、今では滅多に見られないほど貴重になった。

 

 在りし日の帝国軍主力艦隊ですら眼中になかったのが、俺たちの上官ウィレム・ホーランド中将だ。芸術的艦隊運動を駆使すれば、敵の砲撃はほとんど命中せず、自分の砲撃は百発百中というワンサイドゲームもできた。

 

 しかし、ホーランド軍団の精強も過去のものだ。芸術的艦隊運動を使える精鋭は遠征開始時の六割に満たない。練度の低い地方部隊隊員、予備役軍人、元帝国軍人が増えたことで、複雑な戦術が使いづらくなった。

 

 現在、ホーランド機動集団は、レンネンカンプ鉄槌集団の先頭部隊相手に互角以上の戦いをしている。この状態で名将相手にここまで戦えること自体が、ホーランド中将の非凡さであろう。それでも、二五〇〇隻が一丸となって突撃した頃を思うと、寂しさを覚えずにはいられない。

 

 指揮官がホーランド中将ほど有能でなく、練度がホーランド機動集団より低い部隊は劣勢に陥った。正面は安定しているものの、他の方面には乱れが生じつつある。

 

 右側面を守るシェイ分艦隊がファーレンハイト突撃集団に突破された。第五艦隊司令官メネセス中将は二個分艦隊をもって行く手を阻もうとしたが、布陣が整うよりも早く敵が到達した。

 

「第五艦隊旗艦アドラメレクが撃沈されました! メネセス中将は脱出できなかった模様!」

 

 この時、世界が凍りついたように感じた。メネセス中将は遠征当初からウランフ元帥の代わりに第五艦隊を指揮した人物で、第一統合軍集団宇宙部隊の中核だった。

 

「第一一〇機動部隊司令官ヒューム准将が戦死しました! 副司令官ムラーデク代将が指揮を引き継いだそうです!」

「第八六機動部隊より入電! 『戦線崩壊しつつあり、至急来援を乞う』とのこと!」

 

 オペレーターは第五艦隊が崩れていく様子を伝えた。指揮権を引き継いだ副司令官チャンドラー少将は、指揮系統の立て直しに全力を注いでおり、迎撃には手が回らない。

 

 第五艦隊の混乱が第一一艦隊に波及しつつあった。練度の低い部隊が乱れ、練度の高い部隊がそれに巻き込まれるように乱れを見せる。それに乗じてレンネンカンプ鉄槌集団とトローデン分艦隊が攻勢を強めた。

 

 味方艦の爆発光が旗艦ヴァイマールを照らしだす。ビームが旗艦の中和磁場に衝突し、対艦ミサイルが旗艦から放たれた迎撃ミサイルに撃ち落とされる。もはや旗艦が直接戦闘に参加するところまできたのだ。

 

 背中に冷や汗が流れ落ちる。脳裏に浮かんだのは四年前のことだった。第三次ティアマト星域会戦において、ドーソン中将の旗艦は撃沈寸前まで追い込まれた。危機的状況にあって平常心を保つのはなんと難しいことか。あの時のドーソン中将が逃避しかけた理由がよく分かる。

 

「司令官閣下」

 

 いつの間にか俺の前に旗艦艦長ドールトン大佐が立っていた。

 

「どうした?」

「旗艦を後退させましょう。この位置は危険です」

 

 ドールトン艦長は未だかつて無いほど真剣な表情で迫ってくる。

 

「ヴァイマールより前に味方艦はいるか?」

 

 この時、俺の唇は自動的に言葉を紡ぎだした。

 

「何十隻もいますが」

「だったら、後退はできないな」

「撃沈されては元も子もないですよ」

「誰よりも先頭に立ち、誰よりも危険を引き受けるのが指揮官の役目じゃないか」

「ですが、限度が……」

「それが俺の戦い方だ」

 

 厳密に言えば、それは戦い方ではなく生き方だった。命を賭けることで評価を得た。危険を共にすることで信頼を得た。戦術も戦略もわからない俺が忠誠を得るには、先頭で戦うより他にない。

 

「そして、俺の仕事は部下を知ることだ。ドールトン大佐、君の操艦を信じる」

 

 数秒の間、二人の視線が交差する。やがてドールトン艦長の厚ぼったい唇がふっきれたように綻んだ。

 

「閣下はそういう方でしたね。かしこまりました。期待に背かないよう、力を尽くしましょう」

 

 そう言うと、ドールトン艦長は席に戻ってきびきびと指示を出した。美貌や背の高さとあいまって、生まれながらの指揮官のように見える。

 

 俺はマイクを握った。何を言うかは大して重要ではない。指揮官が揺らいでいないことを示し、確たる展望があると信じさせることが重要だ。

 

「戦友諸君、右手方向を見てもらいたい。小さな光点が見えるはずだ。

 その光点は何か? 友軍だ。ヤン提督の第四統合軍集団だ。

 ヤン提督は一一年前のエル・ファシルから一度たりとも味方を見捨てなかった。

 そう遠くないうちに援軍がやってくるぞ」

 

 実を言うと、第四統合軍集団が援軍を出すかどうかは微妙だった。ミュッケンベルガー軍左翼部隊の執拗な波状攻撃が、彼らの動きを封じている。

 

 幸いなことになすべきことはホーランド中将が教えてくれる。重度のヒロイック・シンドロームを患っているし、言ってることはむちゃくちゃだけれども、戦闘に限っては間違いがない。指揮通りに戦えばだいたい勝てる。

 

 この場における俺の仕事は、第一に上官の期待通りに動くこと、第二に部下の戦意を維持することだ。もっとも、ホーランド中将は部下に高いレベルを求めるし、この状況で戦意を維持するのは簡単ではない。部隊の一部に徹するのもそれはそれで大変だ。

 

 正面から敵が押し寄せてきた。レンネンカンプ鉄槌集団は一糸乱れぬ連携攻撃を繰り出す。トローデン分艦隊は連携に難があるものの、こちらの弱い部分を正確に突いてくる。

 

「見よ! 強い敵! 危機的状況! 我らのために用意された舞台だ!」

 

 ホーランド中将の采配は異常なまでの冴えを見せた。わずかな連携の乱れに付け込んで艦列を分断し、一瞬の隙を突いて逆撃を仕掛ける。

 

「全艦突撃!」

 

 俺はレンネンカンプ鉄槌集団先頭部隊を突き破り、第二陣へと襲いかかった。すかさず敵は迎撃態勢を取り、上下左右の四方向から攻撃が飛んできた。

 

「前は手薄だ! そのまま進め!」

 

 今は猪突猛進に徹する時だ。敵が来るより早く前進すれば、囲まれることもない。チュン・ウー・チェン参謀長は、レンネンカンプ中将が前方を開けて誘っていると言う。俺もそう思うが、ホーランド中将が手を打っていると信じて突き進む。

 

 上下左右で火球が弾け、敵艦の代わりに味方艦が宇宙空間を埋め尽くした。ハルエル少将とエスピノーザ准将が後ろから突入してきたのだ。

 

 レンネンカンプ中将は素早く上下左右の兵を引き、予備を使って前方に分厚い防御陣を敷く。切り替えるまでの時間、防御陣を展開するまでの時間がおそろしく短い。

 

 だが、ハルエル少将とエスピノーザ准将の攻撃速度は、敵の陣形変更速度をほんの少しだけ上回った。未完成の防御陣には、俺、ハルエル少将、エスピノーザ准将の並列前進を止めることはできない。それでも敗走しないのがレンネンカンプ中将の非凡さであろう。

 

 俺たちは針路を変更し、突出した形のトローデン分艦隊に側面から殴りかかる。精鋭だけあってこの一撃で崩れることはない。それでも、後退させることはできた。

 

 ホーランド機動集団が奮戦している間、他の味方も頑張っていた。第一統合軍集団司令官ルグランジュ大将の粘り強い指揮が戦線崩壊を防いだ。第一一艦隊は激戦の末にファーレンハイト機動集団を追い払い、第五艦隊は秩序を取り戻しつつある。

 

 

 

 

 

 敵は次々と新手を投入してくる。主力艦隊は二個から三個に増えた。ガイゼルバッハ中将とシュペングラー少将が加わり、ブラウンシュヴァイク派最優秀の八提督が勢揃いした。予備役部隊や私兵軍も出てきた。ミュッケンベルガー元帥の旗艦「ヴィルへルミナ」が姿を見せており、意気込みのほどが知れる。

 

 一二時間にわたる激戦に終止符を打ったのは、味方からの援軍であった。第四統合軍集団の二個分艦隊、第七統合軍集団の一個分艦隊、総司令部直属の二個分艦隊が、縦に伸びきった敵に痛烈な横撃を浴びせる。第一統合軍集団も反攻に転じた。

 

 二方向から殴りつけられたミュッケンベルガー軍右翼部隊は、攻撃中止を余儀なくされた。第一統合軍集団にも追撃する余力はない。最左翼の激戦は勝敗が定まらないまま終わった。

 

 戦記に出てくるブラウンシュヴァイク派は無能の極みだったのに、目の前にいるブラウンシュヴァイク派は結構強い。いや、ミュッケンベルガー元帥府が強いという言うべきだろうか。分裂前に宇宙艦隊司令長官をしていただけあって、実戦派提督をたくさん抱えていた。

 

 ミュッケンベルガー元帥府の名将には、平民や下級貴族も少なくない。オステルマン大将のようにブラウンシュヴァイク元帥府の平民軍人もいる。低い身分から栄達した帝国人は、権威に盲従するタイプと反骨精神が強いタイプに分かれる。権威主義者は貴族から見れば都合の良い番犬だ。こうしたことから、オフレッサー元帥やオステルマン大将は門閥貴族に重用された。反骨精神が強い人は以前は皇太子派、今はラインハルト陣営に行くのだろう。

 

 最右翼は同盟軍と帝国軍の痛み分けとなり、この日の大きな戦闘は終わった。どちらが有利かは判断しがたい。戦局は膠着している。

 

 

 

 五月三日、同盟軍はミュッケンベルガー軍右翼部隊に重点を移した。第一統合軍集団に各統合軍集団から引き抜いた戦力や予備戦力が加わり、二二個分艦隊まで増強されたのである。

 

 最左翼の戦力比はほぼ互角となり、第一統合軍集団は初めて攻勢に転じた。ミュッケンベルガー軍右翼部隊の前衛を打ち破り、名将ガイゼルバッハ中将ら提督五名を戦死させ、二個分艦隊を壊滅に追い込んだ。

 

「今日の敵はやけに脆いな。どういうことだ?」

 

 俺は首を傾げた。敵の数は減っていないし、正規軍が後ろに下がったわけでもないのに脆くなった。大戦果に喜ぶより不審を覚える。

 

「物資不足ではないでしょうか」

 

 疑問に答えてくれたのは、パン屋から説明役に転職したチュン・ウー・チェン参謀長である。

 

「まだ四日目だぞ? こっちは不足する気配もないのに」

「敵は練度が低いですから」

「ああ、そういうことか」

 

 蓋を開けてみると単純な話であった。練度の低い部隊は無駄な動きでエネルギーを浪費し、無駄弾をばらまいて弾薬を浪費する。

 

「ヴァルハラの同盟軍宇宙部隊が一日で消費する物資は、宇宙軍が七九七年度に消費した物資の半分に匹敵します。敵はさらに多くの物資を消費しているはずです」

「撤退戦の一七日間で消費した分を含めると、物資不足にならない方がおかしいね」

 

 戦争の天才ラインハルトにこの程度の計算ができないはずはない。それでも、補給切れを覚悟の上で攻めざるをえない事情がある。

 

 帝国は戦争を継続できる状態ではなかった。解放区民主化支援機構(LDSO)に破壊された秩序の回復、食糧不足の解決、破綻した財政の建て直し、増大する反貴族気運への対処、混乱に乗じて自立した辺境外縁勢力の鎮圧など、課題が山積みだ。

 

 フェザーンは誰よりも戦争終結を望んでいる。国際貿易の停滞によって製造業や貿易業の倒産が相次いだ。戦費を賄うために政府資産を取り崩し、巨額の国債を発行し、フェザーン投資局の投資資金を引き上げたので、自治領主府は資金のほとんどを失った。巨額の財政支出と食糧・資源の高騰がインフレを引き起こし、フェザーン株式市場は一週間連続で最安値を更新中だ。失業や食料価格高騰への不満が民主化運動に日をつけた。政治的にも経済的にも破綻寸前だったのだ。

 

 ラインハルトを大元帥に推したのは、財務官僚、経済界、フェザーンの三者だと見られる。ミュッケンベルガー元帥やメルカッツ上級大将は、負けない提督であって勝てる提督ではない。戦争を終結させるには勝てる提督が必要である。

 

「今日の優勢は火力の優勢ですよ。火力と補給量は比例しますから」

「なるほどな」

「明日からは如実に火力の差が出てきます。私兵や予備役の実質的な戦力は半減するかと」

「あの連中は火力をばらまかないと戦えないからね」

 

 俺は頷いて端末を開いた。随行する補給艦には二日分の物資、地上基地には七日分の物資があった。会戦が終わるまでは火力の優勢が続くということだ。

 

 ただし、守りを固めて長期戦に持ち込むなんてことはできない。同盟軍にも短期決戦を選ばざるをえない立場なのだ。

 

 同盟社会は混乱の極致にあった。議会が新規国債の発行を否決したため、一部の政府機関が職務を停止した。ディナール、株、債券の下落は止まるところを知らない。頻発するデモや暴動に対処するため、地上軍と陸戦隊の予備役が総動員された。全土が革命前夜の様相を呈している。

 

 議会は三日後に評議会不信任案を可決する見通しだ。即時講和派がレベロ前財政委員長を次期議長に推す意向を示したことで、与党議員の多くが不信任案支持に転じた。勝利による講和派は極右政党「統一正義党」に連立を持ちかけたものの、国防委員長のポストを要求され、穏健派からの反発もあって実現しなかった。トリューニヒト派は即時講和派だが、不信任案を提出した反戦市民連合やレベロ派とは一線を画しており、今後の動向が注目される。

 

 新政権が成立した場合、即座に講和を受け入れるのは間違いない。総司令部に残された時間は三日しかなかった。

 

「いったいどうなるのかな」

 

 俺は立ち上がってサブスクリーンに視線を向けた。四分割された画面に他方面の戦況が映しだされる。

 

 第七統合軍集団とメルカッツ軍は、今日もハイレベルだが地味な戦いを繰り広げる。この方面で唯一華麗なのはラップ分艦隊である。用兵能力はそこそこだが抜群のリーダーシップがあるラップ少将と、若手きっての技巧派アッテンボロー准将のコンビは、いつものように武勲をあげた。

 

 第三統合軍集団はリンダーホーフ軍に痛打を与えた。決め手となったのは、第一〇艦隊副司令官モートン中将の巧妙な側面攻撃である。司令官ホーウッド大将はラインハルトに三連敗を喫したものの、ヴァルハラでは名将の名に恥じない戦いぶりを見せた。

 

 第二統合軍集団とビュコック戦闘集団の連合軍は、増強された部隊の大半を引き抜かれたものの、キルヒアイス軍相手に優位を保った。老練なビュコック大将が敵の若手提督たちを手玉に取り、勇猛なフルダイ中将やグエン少将が大いに暴れ、キルヒアイス本隊を直撃する寸前までいった。だが、黒一色に塗装された分艦隊がグエン分艦隊の正面に立ちふさがり、同盟軍はあと一歩で完勝を逃がした。

 

 第四統合軍集団はミュッケンベルガー軍左翼部隊の波状攻撃を跳ね返した。ヤン大将の防御戦術は芸術の域に達している。ムライ中将が主力部隊の第一三艦隊を掌握し、ジャスパー中将やデッシュ中将といった勇将が陣頭で奮戦した。二年前のイゼルローン無血攻略から無敵を誇る黄金の布陣である。

 

 

 

 

 

 二〇時頃に大きな戦闘は終わり、次の大きな戦闘に備える時間が来た。前列が敵と小戦闘を交えている間、後列の部隊は補給や再編を行う。作業が済んだら前列と後列を入れ替える。四日間にわたって繰り返されてきた光景だ。

 

 五日目の五月四日には、両軍は小部隊を迂回させて相手の背後を突こうとした。だが、どの部隊も途中で阻止されてしまった。

 

 俺はデスクで遅めの夕食をとりながら電子新聞を読んだ。「史上最大の凡戦」という見出しが目に入る。

 

「本国にはこれが凡戦に見えるのか……」

 

 胸の中に苦い気持ちが広がった。大軍はただ動かすだけでも難しい。第二次ヴァルハラ会戦はそれそれの方面が一つの会戦に匹敵しており、総司令官は同時に五つの会戦を指揮しているようなものだ。高度で複雑な作戦を期待されても困る。

 

 ロボス元帥は第一次ヴァルハラ会戦の勝者であり、人類史上で最も大軍指揮の実績が豊かだ。戦場全体を見渡す視野を持ち、厚くすべき部分と薄くてもいい部分を見分け、状況に応じて部隊を配置することにかけては、右に出る者がいない。後方にも目を配り、兵站や通信を確保することができた。配下との連絡を緊密にし、命令を徹底させることもできた。

 

 ラインハルトの大軍指揮は明らかにうまくなった。第一次ヴァルハラ会戦と違って、味方を盾にする部隊、勝手に前進したり後退したりする部隊はいない。日によって戦力を集中する方面が違うのは、各方面の間で戦力を融通しあっているからだろう。全軍に威令が行き届いている。

 

 前の歴史を知る者には信じられないだろうが、ロボス元帥とラインハルトの力量はほぼ互角であった。お互いの読みと反応が的確なため、どんな手を打っても決定打を与えることができない。

 

 両軍ともに相手の意図を探ろうと必死になった。お互いに監視基地を潰しあったため、後方で予備がどのように動いているかが見えない。偵察部隊と警戒部隊は静かだが熾烈な闘争を繰り広げている。膨大な偽情報が両軍の間を飛び交う。

 

 日付が変わって間もなく、偵察に出ていたビューフォート代将が「敵が大量の機雷を散布している」との情報をもたらした。

 

 同じ頃、同盟軍最右翼でも敵が機雷を散布した。やがて両翼の端に巨大な機雷原が出現し、五方面すべてで敵の艦列が薄くなった。

 

「どういうつもりだ?」

 

 同盟軍は頭をひねった。機雷原を作ったのは戦線を縮小するため、艦列を薄くしたのは予備戦力を増やすためだろう。しかし、増えた予備をどこに投入するかが読めない。ミュッケンベルガー軍右翼部隊を増強して左翼突破を図るのか? キルヒアイス軍を増強して右翼突破を図るのか? メルカッツ軍とリンダーホーフ軍を増強して中央突破を図るのか? あるいは両翼からの同時突破を図るのか?

 

 五月五日の朝七時、総司令部は敵の狙いが中央突破にあると判断した。

 

「敵の作戦を逆用する。中央の三個統合軍集団が敵主力を引きつけている間に、両翼の機雷原を突破して背後を突く」

 

 総司令部作戦参謀リディア・セリオ准将が全軍に作戦を伝達した。声に抑揚はまったくなく、用意された原稿をただ読み上げているといった感じだ。

 

「まだやるのかよ」

「冗談じゃねえ」

 

 兵士たちはすっかり白けきっていた。なぜこのタイミングで仕掛けるのかは明らかだ。不信任案を回避するための作戦なんかには付き合えない。

 

 ホーランド機動集団の全艦に交響曲「新世界より」第四楽章の勇壮なメロディが流れ、ホーランド中将の三次元映像が現れた。

 

「戦友諸君、もうすぐ最後の戦いが始まる。偉大な遠征の最終章だ。

 

 およそ人間がなしうることの中で、闘争ほど美しいものはなく、闘争より楽しいものはない。そして、あらゆる闘争の中で戦争ほど高貴なものはない。戦っている時、人は最も勇敢で、最も献身的で、最も忠実最も協力的で、最も合理的になる。命のやり取りの中でこそ、人間は真に人間たりえる。

 

 私は諸君に『戦え』と命じるが、同時に『死ぬな』と命じる。諸君の任務は敵を死なせることであって、自分が死ぬことではないからだ。可能な限り生きて戦え。可能な限り敵を殺せ。可能な限り戦友を助けろ。諸君の命は戦友の命でもあると心得ろ。

 

 銀河広しといえども、諸君より強い兵士はおらず、ウィレム・ホーランドより優れた指揮官はいない。ハイネセンを出発してから一年六か月、我々はそのことを常に証明してきた。我々は一度も負けなかったし、これからも負けないと確信する。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムは強い。だが、彼に一〇〇の奇策があろうとも、私には一〇〇の対応策がある。そして、彼は諸君のような精鋭を持っていない。

 

 我々の勝利は約束された。ただまっすぐに進むだけでいい。その先には勝利と栄光と名誉が転がっているのだ」

 

 ホーランド中将の声は雷のように力強く、みなぎる闘志は炎のようだった。しかし、いつもと違って拍手も歓声も聞こえない。

 

 同盟軍は戦線を下げて中央突破に備えると見せつつ、対機雷戦部隊を両翼に配備して機雷原突破の準備を進めた。この部隊が装備する新兵器「指向性ゼッフル粒子発生装置」は、ルイス准将が帝国からの接収品を対機雷戦用に改造したもので、機雷原を簡単に破壊できる。

 

 

 

 

 

 七九九年五月五日といえば、前の世界ではバーミリオン会戦が決着した日だった。この世界ではどんな結末を迎えるのだろうか? 俺はマフィンを三個食べて不安を紛らわせた。


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