銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第67話:戦うべき理由はこの戦場にはない 799年4月28日~5月1日 ヴァルハラ星系

 四月一〇日から二七日までの間に、遠征軍宇宙部隊は三四万隻から二七万隻まで減少した。七万隻という損害は、現存艦艇の二割に匹敵し、帝国領に入ってから先月末までの一四か月で失われた艦艇よりやや多い。

 

 死者・行方不明者は宇宙軍が七〇〇万人、地上軍九〇〇万人であった。これも先月末までに出た損害の合計より多い数字である。

 

 これほど大きな損害を出したのに、政府と軍は戦いをやめようとしない。より正確に言うならばやめられなかった。数十兆ディナールの大金を浪費し、数千万人の人命を死なせたにも関わらず、帝都陥落以降に解放した星系をすべて失った。帝都攻略の功績を帳消しにしてもなお余りあるほどの損失だ。ここで戦いをやめた場合、政府と軍の指導者は責任を取らされるだろう。戦って勝つ以外に道はなかった。

 

 帝国側も戦いを求めていた。ニヴルヘイムは諦めるにしても、せめてアースガルズとミズガルズは取り返したい。帝国総人口の四五パーセントを取られたままでの講和など、到底考えられないことだ。

 

 もはや両陣営には長期戦を戦う余力は残されていなかった。同盟財政はデフォルトの瀬戸際にあり、帝国財政はとっくに破綻している。帝国を支援してきたフェザーンにしても、保有資産が半減しており、経済基盤は国際貿易の低迷とインフレで大打撃を被った。どの陣営もこれ以上の出費には耐えられない。

 

 かくして同盟軍と帝国軍の双方が短期決戦を望んだ。ヴァルハラ(同盟側呼称エリジウム)に集まった同盟軍は、宇宙部隊が一七万六〇〇〇隻、同盟軍地上部隊が一九五〇万人にのぼる。一方、帝国軍は宇宙部隊が一八万隻から二〇万隻、地上部隊が二〇〇〇万人から二四〇〇万人と推定される。

 

 船舶が航行しやすい条件をすべて満たしたヴァルハラだが、これほどの大軍をスムーズに展開させるのは難しい。両軍は二八日から二日かけて部隊を配置した。

 

 同時に部隊再編や補給作業も進められた。同盟軍も帝国軍も一七日間の激戦で疲れきっており、そのままでは戦えない状態だったのだ。

 

 隊員は交替で休憩をとった。タンクベッドで眠り、シャワーを浴び、満腹になるまで食事をとって体力を回復する。

 

 俺は副司令官と第三六機動部隊司令官を兼ねるポターニン准将に隊務を委ねると、基地食堂で食事をとった。同じテーブルにいるのは、大将・第一統合軍集団副司令官に昇進したばかりのルグランジュ大将、第一一艦隊副司令官ストークス中将、第一一艦隊参謀長エーリン少将、第一一艦隊副参謀長クィルター准将ら第一一艦隊首脳陣だ。

 

「相変わらず貴官はよく食うな」

 

 向かい側に座るルグランジュ大将は呆れ顔だ。

 

「他の人が小食なだけです。閣下だって俺の半分しか食べてないでしょう」

 

 俺が食ったのは、フライドチキン八ピース、パスタ三皿、ピラフ二皿、スープ四皿、一ポンドステーキ二枚、サラダ六皿、ピーチパイ四切れ、チョコケーキ三切れ、アイスクリーム五皿に過ぎない。いつもよりは多めだが、これまでの空腹の埋め合わせと思えば普通だろう。

 

「半分だって十分大食いだ」

「そんなことはありません。うちの副参謀長やトリューニヒト議長は俺と同じぐらい食べるし、妹はもっと食べます」

「トリューニヒト先生は飯をうまそうに食うことで好感度を稼いだ人だ。妹さんは空挺だろう? あの連中は一日八〇〇〇キロカロリーの食事を支給されている。常人と比べちゃいかん」

「普通でしょう。妹はちょっと大食いですが」

 

 きっぱり言った瞬間、何かが落ちて床に当たる音がした。すぐにルグランジュ大将が机の下にしゃがみ込み、鎖が切れたペンダントを拾い上げる。

 

「落ちたぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 俺は両手で押しいただくようにペンダントを受け取った。頭の天辺からつま先までが恐れ多さに震える。

 

「恐縮しすぎだ。落ちたものを拾っただけではないか」

「い、いえ、か、閣下の御手を……」

「本当に貴官は変わらんなあ。素直というか、馬鹿正直というか」

「他に取り柄がありませんので」

「一つでも取り柄があれば十分だ」

 

 ルグランジュ大将が角ばった口を大きく開けて笑うと、艦隊副参謀長クィルター准将がすかさず口を挟む。

 

「うちの末っ子が反抗期真っ盛りでしてね。フィリップス少将を見習わせたいですよ」

「息子さん、今年で一八歳になりますよね」

「ええ、通信するたびに口喧嘩ですわ」

 

 ここから第一一艦隊の面々が子供の愚痴大会を始めた。

 

「ハイネセンに戻ったら、娘の彼氏と会うことになっててな。何を話せばいいんだ?」

 

 ルグランジュ大将は困り果てていた。さんざん繰り言を言った挙句、「ハイネセンに戻りたくない。イゼルローンの司令官になれないものか」などと言い出す始末だ。同盟宇宙軍屈指の猛将が言うこととは思えない。

 

「我がストークス家はひい爺さんの代から軍人だ。役者になるなど認められるものか」

 

 ストークス中将は不機嫌そのものだった。子供を軍人にしたい親と別の職業につきたい子供の対立は、軍人家系ならではの問題である。

 

「成り行きに任せれば良いんです。なんでも思い通りにしたがるのが男の悪いところですよ」

 

 頭を抱える男たちに対し、艦隊参謀長エーリン少将が上から目線で論評する。無駄に偉そうなこの女性参謀は、戦記には登場しないが、ルグランジュ大将が提督になってからずっと参謀長を務めてきた懐刀だ。

 

 ルグランジュ大将とストークス中将は前の世界では七九七年に戦死した。エーリン少将とクィルター准将も一緒に死んだ可能性が高い。歴史が変わったおかげで死んだはずの人物が生き残り、子供の話題に花を咲かせる。何とも不思議な光景だった。

 

 俺はルグランジュ大将が拾ってくれたペンダントを軽く握った。妹のアルマが幸運のお守りだと言って渡してくれたものだ。前の世界で無職のデブだったのに、今の世界では特殊部隊のエリートとなり、ブラウンシュヴァイク領に潜入している。昨日は夢に出てきて別れを告げ、今日はペンダントの鎖が切れた。何かあったんじゃないかと不安になってくる。

 

「生きてたらどうにでもなりますよ」

 

 俺は目の前の人々と自分自身の両方に向けて言った。そう、生きていればどうにでもなる。だから妹は大丈夫だ。

 

「貴官は後ろ向きなようで前向きだ」

「俺はいつも前向きです。突撃しかできませんから」

「ならば、後ろは私が固めるとしよう」

 

 ルグランジュ大将が分厚い胸をどんと叩く。

 

「側面は俺に任せろ」

 

 ストークス中将がにやりと笑う。正面攻撃が得意なホーランド機動集団と、側面攻撃が得意なストークス打撃集団は、第一一艦隊の両輪となる部隊だ。

 

「ありがとうございます」

「本国に帰ったらホーランドは間違いなく艦隊司令官になる。そうしたら、貴官が第一一艦隊の先鋒だ」

「俺に務まりますかね」

「務まるさ。貴官は用兵下手だが、なんだかんだ言って結果は残してきた」

 

 決戦を控えてるというのに、話題は帰国した後のことばかりだった。この前向きさこそが第一一艦隊の強みであろう。

 

 食事を終えた後、俺はタンクベッドに入って眠った。塩水に一時間浮かびながら眠ることで、八時間分の睡眠効果を得られるという代物だ。もっとも、タンクベッド睡眠は疲労が取れるだけで、心身に蓄積された消耗やストレスは残る。可能ならば普通のベッドで眠るのが望ましい。

 

 目を覚ましたらシャワーを浴び、洗濯された服を身につけて身だしなみを整えた。さっぱりしたところで司令室に戻り、ホーランド中将に通信を入れた。

 

「エリヤ・フィリップス少将、休憩終わりました」

「ご苦労だった」

 

 休憩を終えてご苦労と言われるのは妙な話であるが、ホーランド中将は休むのも仕事のうちと知っている。

 

 俺に隊務を引き継いだ後、ホーランド中将は休憩に入った。本来の副司令官はオウミ准将なのだが、少将待遇なしの准将に留まってることからもわかるように、ほとんど武勲をあげていない。そのため、俺とハルエル少将が実質的な副司令官を務めている。

 

「コーヒーをお持ちしました」

 

 当番兵セバスチャン・マーキス上等兵がデスクの上にコーヒーカップを乗せた。

 

「ありがとう」

 

 俺はさっそくコーヒーを口にした。いつもと変わらずまずい味だ。砂糖とクリームでドロドロにするだけなのに、この少年がいれるとなぜかまずくなる。

 

 マーキス上等兵は二年前から俺の専属当番兵を務めてきた。とんでもなく不器用で当番兵の仕事に向いていないのだが、素朴で勤勉な性格と背の低さを評価して使い続けた。もっとも、身長は二年前より一二センチも伸び、一七七センチに達している。俺は一四歳で伸びが止まったのに、マーキス上等兵は一六歳から急成長を遂げた。まったくもって理不尽……、いや羨ましい話だ。

 

「味はいかがですか」

「うまいね」

 

 笑顔で嘘をついた。本当のことを言うと、きらきら輝く目がこの世の終わりのように暗くなり、とても悪いことをしたような気分になるからだ。

 

 まずいコーヒーを飲み、マフィンを食べた後、端末を開いて同盟軍機関誌『三色旗新聞』の電子版を読んだ。

 

 前第一統合軍集団司令官ウランフ大将の元帥昇進を伝える記事が、第一面に載っている。政府は撤退戦を美談に昇華することで、支持を集めようとした。命と引き換えに四〇〇〇万人を救った第一統合軍集団は、あらゆる意味で格好のネタとなり、ありとあらゆる名誉を受けた。ウランフ大将の元帥昇進、新司令官ベネット将軍と新副司令官ルグランジュ提督の大将昇進もその一環だった。

 

 第二面には、帝国三派がラインハルト・フォン・ローエングラム元帥を連合軍総司令官に指名したとの記事が載っている。また、エルウィン=ヨーゼフ帝とエリザベート帝の双方が、ラインハルトに「帝国大元帥」の位を与えた。二代皇帝ジギスムント一世の実父ノイエ・シュタウフェン公爵が任命されて以来、四四八年ぶりの大元帥だそうだ。

 

 関連記事を検索すると、ブラウンシュヴァイク派側の社会秩序維持局長官が、ローエングラム元帥は同性愛者疑惑を否定する記事が出てきた。「ラインハルトを司令官として認める」というメッセージだろう。選民意識に凝り固まった連中でも、金が絡むと物分かりが良くなるらしい。

 

 ゴシップ誌はラインハルトの同性愛疑惑を報じるのをやめた。電子版バックナンバーの目次から、「ローエングラム元帥の愛人は男だった!」「国内艦隊副司令長官キルヒアイス――前代未聞の下半身人事」「元グリューネワルト伯爵夫人とヴェストパーレ男爵夫人の妖しい関係」「故セバスティアン氏をアルコール依存に陥れたミューゼル姉弟の性指向」「ローエングラム元帥府に集う男しか愛せない男たち」「ミッターマイヤー提督の華麗なる偽装結婚生活」といった下品な記事が消えた。

 

 俺は端末を閉じ、副官シェリル・コレット少佐から報告書を受け取る。補給作業の完了を伝えるものだ。

 

「思ったより早かったな。さすがはソングラシン代将だ」

「帰国したら退役なさるとか。もったいないですね」

 

 寂しげにコレット少佐が微笑む。第三六機動部隊の作戦支援群司令ソングラシン代将は、有能な支援部隊指揮官だが、遠征が終わったら退役してパンケーキの店を開く予定だ。

 

「彼女はこれまでよく頑張ってくれた。笑って見送ろうじゃないか」

「はい」

 

 なぜかコレット少佐の目がきらきらと光る。隣で硬直しているマーキス上等兵と同じようなきらきらだ。

 

 俺は百戦錬磨のやり手っぽく見える副官とあどけなさが残る当番兵を見比べる。こんなに素直な若者が、こんなつまらない戦いで死んでいいはずがない。

 

「俺たちも生きて帰ろう。死んだらソングラシン代将のパンケーキを食えなくなる」

「はい!」

 

 二人の声が大きすぎたせいか、デスクの周りに人が寄ってきた。最初に口を開いたのは最先任下士官カヤラル准尉だ。

 

「生きて帰りたいですよね」

「大丈夫だ。准尉は三八年を無事に勤めてきた。今回もきっと無事だ」

 

 俺は何の根拠もなく断言する。フィン・マックール以来の腹心であり、定年を延長して戦地に残ってくれた彼女が死ぬはずもない。

 

「そういえば、カヤラルさんは今年で定年でしたねえ。ここまで長いお付き合いになるなんて」

 

 目を細めるバダヴィ曹長もフィン・マックール以来の腹心だ。

 

「ええ、まったく。フィリップス提督に繋いでいただいた縁よね」

「老後もお付き合いできるといいのですけど」

「あなたも来年で定年でしょ? 退職金でハイネセンに家を買いなさいな。子供もみんなハイネセンで働いてるんだから」

「あまり近くに住んだら、鬱陶しがられません?」

「親なんて鬱陶しいぐらいがちょうどいいのよ」

 

 司令部最年長の二人は老後について語り合う。俺が新米少尉だった時、彼女らが両腕となって働いてくれた。あれから八年が過ぎ、俺は少将となり、彼女らは定年を目前に控えている。思えば遠くまできたものだ。

 

「お二人みたいなお母さんだったら、二四時間一緒にいたいですよ」

 

 副官付のカイエ軍曹がにこにこと笑う。フィン・マックール補給科で最年少だった彼女も二五歳になり、身長が六センチ伸び、コレット少佐の補佐役として頑張っている。初めて勤務した職場と初めて戦闘指揮官を務めた職場の出身者が、一緒になって俺を支えてくれる。

 

「過去と未来は同じなんですな」

 

 そう呟いたのは情報部長ベッカー中佐だった。

 

「そうとも。過去からの道は未来に続いている」

「私は過去を捨てた男です。未来などとっくに諦めました。それでも、姪が一人前になるまでは死にたくないですが」

「帝国時代に何があったかは知らないし、知る気もない。俺が知ってるのは亡命後の君だけだ。同盟での六年間はいい過去だと思う。だから、きっといい未来を見れる」

 

 俺がベッカー情報部長の肩を叩くと、イレーシュ副参謀長の淡麗な顔にほろ苦い笑みが浮かぶ。

 

「立派な指揮官になっちゃったなあ。もう私はいなくていいかなあ」

「そんなことはないですよ。まだまだ助けてもらわないと」

「いや、私の問題だよ。軍人続けるのがしんどくなった」

「ワイリー中佐の件ですか」

「まあね。さすがにこたえたよ」

「そうでしたか」

 

 それ以上は何も言えなかった。イレーシュ副参謀長は情の深い人だ。士官学校以来の親友だった人物の死がどれほどショックだったかは、想像に難くない。

 

「勝っても負けても軍縮は避けられないでしょ。自分が軍人に向いてないのもわかってる。この機に第二の人生始めてみようかなってね」

 

 この遠征をきっかけに退役する決意を固めた者は少なくなかった。理由は様々であるが、多くの軍人にとって一つの区切りとなったのである。有名どころでは、第四統合軍集団司令官ヤン大将が引退の意向を表明した。

 

「私も帰ったら第二の人生始めますよ」

 

 旗艦ヴァイマールの艦長ドールトン大佐が右手をかざす。一ディナールで買えそうな安っぽい指輪が薬指に光っている。

 

「そ、そうか」

「閣下も結婚式に来てください!」

「ディーン軍曹と結婚するんだよな?」

 

 俺は違う相手であって欲しいと念じながら問うた。ドールトン艦長と付き合ってるディーン軍曹は、チンピラが間違って軍服を着てしまったような男だ。

 

「あいつとは別れました。トーマス君と結婚します」

「どんな人なんだ?」

「爽やかな男前です」

 

 この質問にこの答えを返すのがドールトン艦長である。

 

「どこで知り合ったんだ?」

「ヘルクスハイマーです。彼は人道支援のボランティアをしてました。本国ではミュージシャンをしてるんですよ」

 

 ミュージシャンと聞いて、誰もが微妙な表情になった。

 

「お金とか貸してないか?」

「一万ディナール貸しました。楽器を買うお金が必要とかで」

「返ってくるあてはあるよな?」

「もちろんです。彼はお金持ちですから」

「金持ちだったら安心だ」

 

 俺はここで話を打ち切った。金持ちが楽器を買うために金を借りるはずがないとか、そんな突っ込みは今の彼女には通用しない。五年前に逮捕されかけたのに、懲りることなく駄目男に騙され続けてきたのだから。

 

 天はドールトン艦長にあらゆる物を与えた。優れた頭脳、抜群の運動神経、一流の指揮能力、万人の目を引く美貌、高い身長を与えた。しかし、男を見る目だけは与えなかった。

 

 報告書を一通り読み終えると、部隊長会議を開いた。六分割された画面に配下の部隊長六名の顔が映る。五日前は七名だった。シャンタウからヴァルハラへ撤退する間に、アコスタ代将が戦死した。

 

「我が戦隊では総司令部への不信感が広がっています。戦える状態とは言いがたいですな」

 

 口火を切ったのはビューフォート代将だ。

 

「何とか引き締めてくれないか」

「困ったことに私も同感でしてね。正直、戦う気が起きないんですよ。国のためなら命の一つや二つは投げ出しましょう。しかし、国防委員長や総司令官のためには髪の毛一本だって惜しい」

「君の気持ちはわかるが、戦わないことには生き残れない。上層部のためじゃなくて自分のために戦うと思ってほしい」

 

 俺はすがるように頼んだ。

 

「わかりました。こんな戦いで命を賭けるのは馬鹿馬鹿しいですが、死ぬのはもっと馬鹿馬鹿しいですから」

 

 ビューフォート代将の言うことは俺の言いたいことでもあり、おそらくは他の者が言いたいことでもあった。

 

「他に戦うべき理由なんて一つもありませんからな」

 

 マリノ代将がぶっきらぼうに言い放つ。

 

「小官はどのような理由があろうとも、命令があれば戦うまでです」

 

 元帝国軍人のバルトハウザー代将が力強く断言すると、マリノ代将が口を挟んだ。

 

「あんたはそうだろうな」

「貴官は違うのか?」

「俺は違うし、他の連中も違う。ガキの頃から『この戦争は正義の戦争だ』と教えられてきたんでね。正義のない戦争は気が乗らん」

「民主主義とは難儀なものだ」

「そうでもないぜ。上官がクソ野郎でも、正義のために頑張ろうって気になれる。同盟はクソな国だが俺の国だからな」

 

 乱暴ではあるが、マリノ代将は本質を突いていた。すべての国民が国家の主権者であり、国家を自分のものだと思えるのが民主主義の強みだ。他人のものを守るために戦うよりは、自分のものを守るために戦う方が闘争心が高まる。自分の意見が反映されないシステムに尽くすよりは、反映されるシステムに尽くす方が楽しい。だからこそ、同盟は数に勝る帝国と渡り合えた。

 

 残念ながら、この戦いにおいては民主主義の強みは発揮されないだろう。国家を守るための戦いだと信じる兵士はいない。生き残る以外に戦うべき理由はなかった。

 

 

 

 四月三〇日、同盟軍は惑星オーディン(同盟側呼称コンコルディア)を中心にU字型の陣形を敷いた。

 

 キャボット中将率いる第二統合軍集団宇宙部隊が最右翼を担う。ブローネ会戦で打撃を受けた第八艦隊を基幹としており、艦艇二万五〇〇〇隻を有する。もう一つの基幹部隊第九艦隊は、ミズガルズ方面に派遣された。

 

 第二統合軍集団の左側に、ホーウッド大将の第三統合軍集団宇宙部隊が展開した。第七艦隊と第一〇艦隊を基幹としており、艦艇三万一〇〇〇隻を有する。撤退戦で戦力の四割と勇将ヘプバーン中将を失ったとはいえ、精鋭はまだまだ多い。

 

 ∪字陣の中央部にあたる場所を占めるのは、ボロディン大将が指揮する第七統合軍集団宇宙部隊だ。第一二艦隊を基幹としており、艦艇三万隻を有する。撤退戦での損害率は一割半ばと低く、最も損害が少なかった部隊の一つである。

 

 ヤン大将率いる第四統合軍集団宇宙部隊は、第七統合軍集団の左隣にいる。第一三艦隊を基幹としており、艦艇二万七〇〇〇隻を有する。一割半ばという少ない損害で撤退した。

 

 最左翼はルグランジュ大将の第一統合軍集団宇宙部隊が固める。第五艦隊と第一一艦隊を基幹としており、艦艇三万六〇〇〇隻を有する。撤退戦では四割という大損害を出した。俺はこの部隊の先頭にいる。

 

 五個軍集団の中間点に、ロボス元帥が直率する本隊とビュコック大将率いるビュコック独立戦闘集団が陣取った。本隊は独立部隊が集まったもので、艦艇二万二〇〇〇隻を有する。ビュコック独立戦闘集団は、フリーダム統合軍集団宇宙部隊から艦隊戦で使えるものだけを選び、艦艇五〇〇〇隻を有する。これらの部隊は予備戦力だ。

 

 第六統合軍集団とフリーダム統合軍集団の宇宙部隊は、分散して兵站路の確保に務める。これらの部隊は艦隊戦向きでないため、警備戦力として運用されることになった。

 

 ヴァルハラに集結した地上部隊は、地上部隊総司令官に任命されたロヴェール大将の指揮下に入り、地上拠点の確保に務める。膨大な人口を抱え、アースガルズ予備軍とブラウンシュヴァイク派テロリストが横行するオーディンでは、激戦が予想された。

 

 また、ミズガルズ方面では、ルフェーブル大将率いる第五統合軍集団とアル=サレム中将率いる第九艦隊の連合軍が、リッテンハイム軍主力部隊と交戦している。

 

 帝国軍は同盟軍を囲むように展開した。ミュッケンベルガー元帥率いるブラウンシュヴァイク派軍は七万隻から八万隻で、右翼部隊が第一統合軍集団、左翼部隊が第四統合軍集団と向かい合う。メルカッツ上級大将率いるリッテンハイム軍別働隊は三万隻から四万隻で、同盟軍中央の第七統合軍集団と対峙する。ラインハルト率いるリヒテンラーデ軍は六万隻から七万隻で、リンダーホーフ元帥率いる右翼部隊が第三統合軍集団、キルヒアイス大将率いる左翼部隊が第二統合軍集団と向かい合う。総司令官ラインハルトと予備戦力が後方に控える。

 

 

「敵との距離、二〇光秒!」

 

 オペレーターの声はいつもより上ずっていた。一五〇年に及ぶ対帝国戦争の歴史、いや人類の歴史においても最大級の会戦が始まろうとしている。冷静になる方が難しい。

 

「間もなく敵が射程距離に入ります!」

 

 全員の視線がこちらに向く。

 

「撃て!」

 

 俺が手を振り下ろすと同時に、前方展開部隊の砲撃が始まった。数千本の光線が敵に向かって襲いかかり、向こう側からも返礼のように数千本の光線が飛んでくる。

 

 敵味方の火力がぶつかり合う中、敵の一二個分艦隊が突進してきた。出せるだけの速度を出し、ビームやミサイルを撃てるだけ撃ってくる。勢い任せで連携はまったくとれていない。

 

 第一統合軍集団は分厚い火力の壁を作り上げた。万を超える艦艇が一糸乱れぬ行動を取り、計算されたタイミングと角度で砲撃することで、どの方向にも十字砲火を浴びせることができる。訓練と実戦で鍛え上げられた部隊にしか成し得ない技だ。

 

 

 

 

 

 それでも敵の無秩序な突撃は止まらない。功名心で戦う連中は攻勢では強いが、守勢に回ると脆くなる。練度の低い部隊は正面攻撃以外の戦法を使えない。直進する以外に道はなかった。

 

「司令官閣下、我が部隊の艦隊運動に乱れが見られます」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長が端末画面を示す。一部の艦が怯んでいるようだ。でたらめな突撃も戦意のない兵士にとっては、大きなプレッシャーになる。

 

「兵を励まそう」

 

 俺はマイクを握った。

 

「距離をとって遠距離戦に徹しろ! 敵も人間だ! こんな無茶な突撃は長続きしない!」

 

 前方展開部隊は敵から一〇光秒(三〇〇万キロメートル)以上の距離を保ちつつ、長距離ビーム砲と対艦ミサイルを浴びせる。他の味方部隊も遠距離戦に徹した。勢いに乗る相手との押し合いは避けるのがセオリーだ。

 

 敵の勢いが次第に弱くなっていった。九個分艦隊の前進速度が著しく低下し、三個分艦隊が突出している。

 

「袋叩きにしてやれ!」

 

 ルグランジュ大将は突出部に砲火を集中させた。火力の奔流が突出部を打ちのめし、敵の艦列が大きく乱れる。

 

「今だ! 全速で食らいつけ!」

 

 同盟軍は猛スピードで進んだ。ホーランド機動集団が先頭に立ち、バレーロ分艦隊など六個分艦隊が正面攻撃を仕掛け、ヤオ分艦隊など二個分艦隊が右側面から襲いかかり、ストークス中将率いる二個分艦隊が左側面から敵右翼を叩く。

 

「全速で進め! 全力で進め! とにかく進め」

 

 俺は部下を煽り立てた。命を賭けて戦う理由がこの戦いにはない。戦意を維持するためには戦果が必要だ。

 

 スクリーンの中では同盟軍による破壊ショーが繰り広げられた。戦艦と巡航艦が猛射を浴びせ、駆逐艦と艦載機が肉薄攻撃を仕掛け、敵艦をスクラップへと変えていく。オペレーターたちはひっきりなしに味方の戦果を伝える。

 

「うちの部隊では誰の戦果がトップかな」

「現時点ではマリノ代将です」

 

 俺の左隣に立つコレット少佐が質問に答えた。

 

「やっぱりな」

 

 聞くまでもなかった。独立戦隊と第三六機動部隊所属戦隊を合わせると、俺の配下には八つの戦隊がある。その中でマリノ独立戦隊の戦果は飛び抜けて多い。

 

 ちなみにホーランド機動集団の中では、俺の戦果が一番多かった。一人で全兵力の三割を抱えてるのだから、必然的に多くなる。もっとも、ハルエル部隊やエスピノーザ部隊に一位を取られることもあるのだが。

 

「勝ったな」

 

 そう呟いてマフィンを口にした瞬間、旗艦ヴァイマールが激しく揺れた。俺はバランスを崩して左側に倒れ込み、柔らかいものにぶつかる。

 

「前方に敵艦五〇〇〇隻が出現!」

 

 揺れの正体をオペレーターが伝えてくれた。

 

「何だって!?」

 

 俺は慌てて立ち上がり、スクリーンに視線を向けた。コンドルの部隊章を付けた軍艦が一斉に押し寄せてくる。

 

「ファーレンハイト突撃集団か!」

 

 正式名を「コンドル突撃集団」、通称を「ファーレンハイト突撃集団」というこの独立艦隊は、ミュッケンベルガー元帥府の最精鋭だ。司令官ファーレンハイト中将は、今の世界でも前の世界でも名将として知られており、攻撃の素早さと巧妙さにかけては並ぶ者がない。

 

 ホーランド機動集団は素早く迎撃態勢に移行した。接近戦の最中にこれほど素早く隊形を組み換えられる部隊は、十指に満たないだろう。だが、一瞬だけ遅かった。

 

「バボール部隊旗艦スカマンドロスが撃沈されました!」

「オウミ部隊は戦力の三割を喪失!」

「ヴィトカ部隊より救援要請が入っています!」

 

 痛烈な一撃がホーランド機動集団をよろめかせた。物理的な損害もさることながら、最強軍団の一角を担ってきたバボール准将の戦死は、大きな精神的ショックをもたらした。

 

「もうすぐ救援が来る! もう少しだ! もう少しだけ踏ん張ってくれ!」

 

 俺は旗艦を前に出して不退転の決意を示し、マイクを握って部下を励まし、予備戦力を動かして艦列の穴を埋めた。必死で部隊の崩壊を食い止めた。

 

 ホーランド機動集団を突破した後、ファーレンハイト突撃集団は同盟軍正面部隊を突っ切り、大きく旋回して左側面の分艦隊を削りとる。迅速かつ正確な攻撃の前に、戦意の低い同盟軍はあっさりと崩れた。

 

 

 

 

 

 ルグランジュ大将が混乱を収拾しようと努力している間に、ファーレンハイト突撃集団は味方を助けて戦場から消えた。恐ろしいほどに鮮やかな手際であった。

 

「ファーレンハイト提督はプロですね」

 

 チュン・ウー・チェン参謀長が感嘆の目をスクリーンに向けた。

 

「まったくだ」

 

 俺は心の底から頷いた。この戦いで同盟軍が被った損害はそれほど多くない。敵将ファーレンハイト中将は、同盟軍を混乱させるだけで良しとして、味方の救援を優先した。任務より目先の武勲を優先する傾向が強い帝国軍にあって、彼のプロ意識は異彩を放っている。

 

「勝ち負けという意味でも適切な判断でした。攻撃を続けていたら、間違いなくファーレンハイト提督は敗北したでしょうから」

「五〇〇〇隻しかいないからね。救援が前線に着いた時点でおしまいだ」

「功名心に取りつかれていたら付け入る隙もあるのですが。厄介な相手です」

「隙のない敵は怖いよ」

 

 ファーレンハイト中将のような提督は、功を焦って突出することもないし、味方と張り合って連携を崩すこともない。だから、任務を着実に遂行できる。

 

 前の世界の戦記では、ラインハルト陣営は名将集団、貴族陣営は愚将集団という扱いだった。しかし、実際に帝国軍と戦った経験から言うと、ラインハルト陣営以外にも名将は数多い。ブラウンシュヴァイク陣営に限っても、ファーレンハイト提督に匹敵する用兵家が七人はいる。そのうち六人は戦記に登場しない人物だ。

 

 ファーレンハイト提督と名前が残らなかった六人の違いは、能力ではなくてプロ意識だ。六人は任務より武勲を優先するところがあり、味方の足を引っ張ったり、深入りして敗れたりすることがしばしばあった。強い敵だが怖い敵ではない。

 

 戦記の中のラインハルトは、失敗しただけの者には罰を与えないが、任務を蔑ろにした者は厳しく罰する。ゾンバルト提督はいい加減な仕事をしたために自殺を命じられた。トゥルナイゼン提督は獅子泉の七元帥に次ぐ名将で、二二歳で中将となったが、功を焦って失敗した後は閑職に追いやられた。今になって思うと、ラインハルトが評価する「有能」とは、強さではなくてプロ意識だったのではないか。

 

 戦争はチーム競技だ。ルートヴィヒ皇太子が敗北したことからもわかるように、用兵がうまい人間を集めただけの軍隊は強くない。役割を果たそうとする人間を集めた軍隊こそ強い。

 

 ならば、今の同盟軍はどうだろうか? 連携は失われていないが、何が何でも持ち場を守ろうと言う意識に欠けている。

 

 昨年の六月以来、俺たちはずっとブラウンシュヴァイク派と戦ってきた。ファーレンハイト突撃集団と戦ったことも一度や二度ではないが、ここまで苦戦したのは初めてだ。戦意低下の影響を感じずにはいられない。

 

 この頃、ラインハルト軍左翼部隊が同盟軍最右翼の第二統合軍集団に攻撃を仕掛けた。この部隊の主力はラインハルト配下の国内艦隊、指揮官はラインハルトが最も信頼する国内艦隊副司令長官キルヒアイス大将である。兵の練度は低く、将校は未熟であったが、それを補って余りある団結力があった。

 

 同時にラインハルト右翼部隊も攻撃を始めた。少数ながらも精強な辺境艦隊が主力となり、無鉄砲だが勇敢な貴族部隊が周囲を固める。分艦隊指揮にかけては右に出る者がないモートン中将、ヘプバーン高速集団の指揮を引き継いだフィッシャー少将らが奮戦したものの、第二統合軍集団を支援する余裕はない。

 

 第二統合軍集団二万五〇〇〇隻に対し、キルヒアイス大将の兵力は三万五〇〇〇隻から三万七〇〇〇隻で、単独で対抗するのは困難だ。

 

 総司令部はキルヒアイス軍が敵の主攻だと判断した。キルヒアイス大将はラインハルトが最も信頼する提督で、国内艦隊はラインハルトが自ら育てた部隊だ。攻撃の規模を見るに、相当な数の予備兵力が投入されたことは疑いない。予備戦力一万隻とビュコック戦闘集団五〇〇〇隻を最右翼に送った。

 

 第二統合軍集団は援軍の助けを得て持ち直した。ビュコック戦闘集団は旧式艦と予備役兵の寄せ集めに過ぎないが、司令官ビュコック大将の老練な指揮により、実力以上の力を発揮している。第八艦隊も老兵に負けじと奮戦し、グエン分艦隊は果敢な突撃で敵の鋭鋒を挫く。

 

 U字陣の先端では、第七統合軍集団とメルカッツ軍が交戦中だ。ボロディン大将もメルカッツ上級大将も堅実派の名将なので、良く言えば玄人好み、悪く言えば地味な戦いが続いている。ラップ少将とアッテンボロー准将のコンビは、ここでも柔軟極まりない防御を見せた。

 

 第七統合軍集団と第一党統合軍集団の中間にあたる宙域で、第四統合軍集団とミュッケンベルガー軍左翼が戦った。ヤン大将は敵を誘い出しては叩き、救援がやって来たら退くことを繰り返し、巧みに戦力を削いだ。猛進してくる敵を巧みにあしらう様は熟練した闘牛士を思わせる。レンネンカンプ鉄槌集団の堅牢な防御が、劣勢の帝国軍を支えた。

 

 戦場周辺では宙陸両用部隊による地上拠点の争奪戦が展開された。哨戒部隊が小惑星や人工天体に設けられた通信基地や監視基地を探す。基地が見つかると、衛星軌道上からの砲撃で簡易施設を破壊し、地上部隊を使って対ビーム防御や対ミサイル防御の施された主要施設を破壊する。

 

 オフレッサー元帥率いる装甲擲弾兵は、戦意の低い同盟軍地上部隊を追い散らし、監視網をずたずたに破壊した。同盟軍は特殊部隊による潜入攻撃で巻き返しを図る。

 

 

 

 

 

 二日目の五月一日、キルヒアイス軍が攻勢を強め、第二統合軍集団は二六光秒(七八〇万キロメートル)後方へ退いた。

 

「このままだと右翼が包囲されるぞ」

 

 俺が机に手をついてスクリーンを睨んでいると、警報が鳴り響いた。

 

「敵が前進を始めました! およそ一六個分艦隊、兵力は三万五〇〇〇隻から三万八〇〇〇隻!」

 

 ミュッケンベルガー軍右翼部隊のほぼ全軍に匹敵する戦力が、右前方へと向かった。こちらの左翼を迂回する態勢だ。第一統合軍集団はすかさず左方に翼を伸ばして敵の機動を妨害する。

 

 それと時を同じくして、他の敵も一斉に攻撃を開始した。第三統合軍集団と第七統合軍集団は後退し、第四統合軍集団のみが敵の前進を食い止めた。

 

 同盟軍総司令部はキルヒアイス軍との戦いが勝敗の分かれ目だと判断し、第二統合軍集団に追加の援軍を送った。本隊直属の予備兵力五〇〇〇隻、他の四個軍集団から引き抜いた一万隻が最右翼へと向かう。

 

 

 

 

 

 練度は同盟軍が勝り、勢いは帝国軍が勝り、戦力的な優劣は少ない。統帥の差が勝敗を決するであろう。史上最大の戦いは二日目にしていきなり山場を迎えた。


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