銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第60話:オーディンの春 798年4月中旬~5月上旬 ハールバルズ市~ファルストロング事務所~オーディン

 四月中旬、ヴァルハラ星系に現地人からなる「ヴァルハラ星系臨時政府」が設立された。臨時政府は同盟加盟星系の政府に匹敵する権限を持ち、選挙が行われるまでの統治機関となる。ヴァルハラの各惑星、各州、各都市でも臨時政府が発足した。二週間での民政移管には、現地人こそが主権者であり、同盟は協力者だと印象づける狙いがある。

 

 第三六機動部隊が駐留するハールバルズ市では、革命軍と民主派人士からなる臨時市政府が誕生した。

 

「フィリップス司令官! 新しいプランを作りました!」

「読ませていただいてよろしいですか?」

「どうぞどうぞ!」

 

 アイヒンガー臨時市長はノートを見せてくれた。なんと、市内一一五か所の地名変更プランだった。「エーリッヒ二世通り」を「グエン・キム・ホア通り」に変えるといったふうに、帝政にちなんだ地名を民主主義にちなんだ名前に変えるものだ。

 

「素晴らしいプランですね」

「民主的な街は民主的な名前を持たねばなりません!」

「おっしゃるとおりです。ところで交通警察の件ですが」

 

 俺は改名の話を受け流すと、臨時市長のデスクに書類を積み上げた。こうでもしないと話が進まない。

 

「数が多すぎやしませんか? 交通警察なんて賄賂を取るのが仕事でしょうに」

「この三倍でも少ないぐらいです。交通規則を破る者が後を絶ちません。市内では信号が機能しなくなっているため、警官が街頭に立って交通整理をする必要もあります」

「そんなものですか」

 

 アイヒンガー臨時市長はつまらなさそうに答えた。行政にまったく興味が無いのだ。

 

「コーマック代表がおっしゃったように、健全な経済なくして健全な政治は成り立ちません。そして、健在な経済を支えるのは円滑な交通です。なぜかと申しますと――」

 

 図表やグラフを使い、交通警察の必要性を説明する。交通警官を父に持ち、憲兵隊に勤めた経験のある俺は、交通には人一倍うるさい。

 

「司令官は何でもご存知なんですなあ。さすがは同盟のトップエリートだ。貴族なんぞとはものが違います」

「勉強したことしか知りません」

 

 俺は謙遜するふりをして相手の不勉強を皮肉る。

 

「私ももっと勉強しますよ!」

 

 アイヒンガー臨時市長が本棚を指さす。そこにはLDSOから贈られた民主主義の本がぎっしり詰まっている。今のところは改名プランのネタ元にしかなっていないようだが。

 

「期待しています。あなたが最初の民主的指導者なのですから」

「ハールバルズを徹底的に民主化してみせます!」

 

 明らかに民主化の意味が分かってない。アイヒンガー臨時市長は悪い人ではない。しかし、何かが致命的にずれている。

 

 臨時市政府を構成する人々のうち、革命戦士とはゴロツキであり、民主的人士とは帰国した亡命者、反体制活動家、進歩派知識人など親同盟的な分子である。旧体制で行政の要職を経験した人物は一人もいない。イデオロギー基準の人事だった。

 

 実務能力を基準に選んだ場合、貴族や富裕平民など旧支配階級を登用することになる。せっかく革命を起こしたのに、旧支配階級が上層部に居座ったままでは、平民は納得しないだろう。信頼を得るには、実務能力よりイデオロギーを重視せざるを得ない。

 

 LDSOの事情は理解できる。理解できるけれども、言葉遊びにしか興味が無い人と一緒に働くのは辛かった。

 

 市長室を出ると、安っぽいスーツ姿の男たちが立ち話をしたり、タバコを吸ったり、コーヒーを飲んだりしているのが見えた。彼らはみんなハールバルズ市の職員だ。この臨時市庁舎には端末やデスクが揃っていないため、出勤してきても仕事ができない。それでも、皆勤手当欲しさに出勤してくる。

 

 ハールバルズの公共機関は略奪しつくされた。端末や電子機器はもちろん、机や椅子や書類棚まで持ちだされ、通風管やケーブルまでが引っこ抜かれてしまった。残ったのは壁と床だけだ。放火されて建物そのものが無くなったケースもある。パトカー、救急車、消防車、清掃車なども奪われた。接収したビルに臨時庁舎を設けたものの、設備がなければ仕事にならない。あらゆる公共サービスが停滞した。

 

 LDSOのハールバルズ事務所は、市政の民主化を支援するための機関であって、二〇〇万都市の公共サービスを肩代わりする能力はない。

 

 第三六機動部隊は人員にも資材にも恵まれていた。しかし、オーディン駐留軍が「占領地の治安要員は人口一〇〇〇人あたり五人」というスペース・レギュレーション戦略の基準に合わせて改編されたため、管轄地域が六倍に広がった。それに加えて、降伏兵二〇万人を同盟軍に編入する仕事まで舞い込んできた。

 

 新たに担当することとなった地域もハールバルズと大して変わらない。臨時市政府は無能で、公共機関はことごとく略奪された。陸戦隊三個師団が臨時配属されたものの、本来の業務である治安維持に加え、行政支援や編入作業までこなすには人手が足りない。

 

 さらに言うと、第三六機動部隊の隊員はもともと軍艦乗りである。宇宙空間で軍艦を乗り回す訓練は受けていても、都市の治安を維持する訓練なんて受けていない。行政に関しては、軍艦乗りも陸戦隊員もみんな素人だ。

 

 帝国語を使える人材が少ないのが地味に痛かった。同盟軍人の中で帝国語をネイティブスピーカー並みに使えるのは、士官学校卒業者、帝国からの亡命者、フェザーン系移民、特殊部隊経験者に限られる。幹部候補生出身士官は、前の人生で帝国語を学んだ俺のような変わり種を除けば、日常会話程度しかできない。

 

 現地人の中には、黄色い肌の隊員や黒い肌の隊員を嫌う者、女性隊員が対応すると「舐めてるのか」と怒る者がいる。臨時政府の「民主的人士」の中にも、「奴隷(黄色い肌や黒い肌を持つ者)や女とは話したくない」と公言する者が少なくない。こうした偏見が同盟軍と現地人の軋轢を産んだ。

 

 こうした状況はオーディン全土で見られた。食糧や燃料が不足しており、停電や断水が頻繁に発生し、行政組織は崩壊状態で、ギャングや窃盗団が徒党を組んで暴れ回っている。これらの問題の多くは物量の問題だ。本国からの支援が到着すれば解決すると思われた。

 

 しかし、革命戦士の暴力だけは解決策が見いだせない。他の問題は物量の問題に過ぎないが、この問題は政治的な問題だったからだ。

 

 オーディンが解放された後、革命戦士は復讐の刃を振るった。貴族や富裕平民に暴行を加え、豪邸から金目の物を奪い取り、官庁や特権企業を破壊した。かつての支配者の惨めな姿は、同盟市民と解放区平民を大いに喜ばせた。

 

 眉がひそめる者がいなかったわけではない。その筆頭が「同盟政府の良心」と称されるジョアン・レベロ財政委員長である。

 

「オーディンで深刻な事態が起きている。憲章精神が復讐の名のもとに踏みにじられている。

 

 同盟憲章第一条、人間の尊厳は不可侵である。

 同盟憲章第二条、すべての人間は生命及び身体を害されない権利を有する。

 同盟憲章第三条、すべての人間は法の前に平等である。すべての人間は性別、血統、出身地、身分、信仰、信条による差別や優遇を受けてはならない。

 

 この大原則があるがゆえに、あらゆる自由と権利が保障される。人間はすべて不可侵の人権を有すると同時に、他者の人権を尊重する義務を負う。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのような大罪人であっても、人権は尊重されるべきだ。罪を裁くのは法廷であって暴力ではない。圧政の罪は法によって裁かれるものではないか。

 

 平民が貴族を殴るのを見て、気が晴れない者はいないだろう。だが、そんなものは一時の気晴らしだ。不朽の大原則を破った事実は、未来永劫消えない傷を残す。

 

 暴力を止めよ。殴られた者を保護せよ。我々は復讐者ではなく解放者なのだ。同盟憲章の精神に立ち返るのだ」

 

 レベロ委員長は革命戦士を厳しく批判した。放任政策を主導するコーマックやラシュワンとは、公的には良識派の同志であり、私的には友人であったが、それでも手加減はしない。良識派の名に恥じない態度と言えよう。しかし、あまりにも世論と乖離していた。

 

 数えきれないほどの革命戦士擁護者の中で、コーネリア・ウィンザー法秩序委員長が最も支持された。

 

「人間は生まれながらにして自由を持っています。束縛されない自由です。圧政から解放されたばかりの同胞を止める権利は、誰にもありません。貴族たちは殴られて物を取られるだけで罪を償えるのです。結構なことではありませんか。私たちの先祖には、殺されるか奴隷になるかの選択しかなかったのに!」

 

 市民は「よくぞ言ってくれた!」と喜んだ。評価を高めたウィンザー委員長は、第四次ボナール政権では国防委員長に抜擢された。

 

 革命戦士の暴力は平民にも向けられるようになった。通行人に因縁をつけて殴り、車を停めては「罰金だ」と言って金をゆすり、「家宅捜索だ」と言って民家や商店に押し入っては金目の物を持ち去る。これでは犯罪者も同然だ。

 

 やがて革命戦士に便乗する犯罪者が現れた。強盗や恐喝をはたらいたとしても、革命戦士を名乗るだけで無罪になるのだ。利用しない手はない。

 

 オーディン駐留軍はジレンマに陥った。革命戦士の人気は凄まじい。LDSOやマスコミ各社の世論調査によると、オーディン住民ですら九五パーセントが支持しているという。「数字が操作されているのではないか」と疑う駐留軍幹部もいたが、独自で世論調査を行っても、結果は変わらない。平民の心を掴むには放置した方がいいのだろう。しかし、無法状態が続けばオーディン経済は崩壊する。

 

 他の惑星ではこのような状況は起きていない。反体制派組織が統治者に取って代わったり、支配階級が同盟に寝返ったりしたため、秩序の空白が生じなかった。

 

「よそを羨んでもしょうがないな。頑張って考えよう」

 

 俺は亡命者カラム・ラシュワンの著書『沈黙は罪である』を開いた。帝国政策に関わる者にとって必読の一冊である。

 

「帝国支配の本質は何か? それは柔らかい支配だ。心を縛る支配だ」

「ルドルフは言った。生存競争が世界の本質だ。貴族は貴族同士で競争せよ。平民は平民同士で競争せよ。奴隷は奴隷同士で競争せよ。勝敗を決めるのは支配者だ。競争に負けたら死ね」

「人々は生きるために争った。他者は同胞ではない。敵だ。生き残りを賭けて戦う敵だ。支配者が喜ぶことをした。同胞を蹴落とした。勝者を羨望した。敗者を差別した。かくして人々は分断された。分断された人々を支配するのはたやすい」

「社会には横の糸と縦の糸がある。横の糸とは対等な関係だ。縦の糸とは上下関係だ。帝国にあるのは縦の糸だけだ。支配階級と被支配階級、強者と弱者の間にある支配関係だ。横の糸は最初からない。圧倒的多数は分断された。それゆえに圧倒的少数に支配される」

「軍隊を壊滅させる。それは無意味だ。なぜ無意味か? 軍隊は実質ではないからだ。実質はどこにあるか? それは価値観だ。価値観ゆえに人々は忠誠を誓う。忠誠の力が軍隊を再建させる。何度でも再建させる。軍隊を壊滅させる。それは無意味だ」

「帝国を滅ぼす方法は何か? 人々の心を解放することだ。ルドルフの価値観を否定せよ。支配者を否定せよ。人々を自由にせよ。人々を平等にせよ。人々を結束させよ」

 

 何度読んでもラシュワンの文章には心を揺さぶられる。これまでの亡命知識人は、被支配階級を意思なき奴隷か純粋無垢な被害者とみなした。被支配階級の内面に目を向けるアプローチは画期的だ。

 

 しかし、何度読んでもヒントは得られない。そもそも革命戦士を野放しにしてるのはラシュワンなのだ。

 

「参謀長、いい策はないか?」

 

 俺はチュン・ウー・チェン参謀長に問いかけた。

 

「お手上げです。戦略戦術でどうにかなる問題ではありませんので」

「どうにかならないものかな」

「やはり、ここはプロに頼るのが良いかと」

「LDSOかい? あんなのあてになるもんか」

 

 俺は苦々しさを込めて言った。LDSOは革命戦士については完全放任だ。

 

「スタッフではなくて顧問です」

「顧問団か? あれは山師の集まりじゃないか。ゴールデンバウムの皇族を立てて、立憲君主国を作るとか言ってるんだろ?」

「顧問団の一人が二〇〇キロ離れた場所に事務所を構えています」

「地方に出てるのか? 顧問なのに」

「孤立してるそうです」

「へえ、面白いな。名前は?」

「ファルストロング氏です」

「あのファルストロングか……」

 

 胡散臭い顧問団の中でも、ファルストロング氏の胡散臭さは飛び抜けている。先祖は四〇億人を抹殺した初代社会秩序維持局長ファルストロング伯爵だ。自らも国務省や内務省の幹部として民衆弾圧に関わった。あまり近づきたくない人物である。

 

「毒をもって毒を制するという考えもあります」

「革命戦士を皆殺しにしろとか言い出したらどうする?」

「話を聞くだけなら問題ないでしょう。判断するのは司令官ですから」

「言われてみるとそうだ」

 

 こうして俺は、LDSO顧問マティアス・フォン・ファルストロング氏と面会することになったのである。

 

 

 

 ファルストロング氏の事務所は、最前線に似つかわしくない作りだった。床には高価そうな絨毯が敷き詰められ、調度品はバロック調で統一されている。煉瓦造りの壁で時を刻むのは巨大な振り子時計。そんな豪奢な部屋に招き入れられた俺は、緋色の上質なソファーに腰掛けた。

 

「お初にお目にかかります。第三六機動部隊のエリヤ・フィリップスです」

「卿の名前は良く耳にする」

 

 事務所の主の言葉が重々しく響く。

 

「光栄です」

 

 俺はすっかり恐縮していた。

 

「お初にお目にかかる。わしはマティアス・フォン・ファルストロング。昔は伯爵だった。今は解放区民主化支援機構の顧問ということになっておる」

 

 ファルストロング氏は匂い立つような気品のある老人だった。銀色の髪と口髭は綺麗に整えられている。体は鋭いサーベルのようだ。

 

「伯爵閣下、よろしくお願いします」

 

 俺はファルストロング氏を伯爵と呼んだ。そう呼ぶのが当たり前だと思えた。

 

「ただのファルストロングさんで構わぬぞ。わしはもう伯爵ではないのだからな」

「いえ、伯爵と呼ばせてください」

「ならば好きにするが良い」

 

 ファルストロング伯爵が鷹揚に許可する。貴族以外の職業が想像できないこの老人は、公式には貴族でない。一一年前にファルストロング伯爵位を剥奪された。

 

 宇宙暦七八〇年代前半、寵妃ベーネミュンデ侯爵夫人を皇后に擁立しようとする勢力と、それに反対する勢力が抗争を繰り広げた。七八六年にグリューネワルト伯爵夫人が後宮入りすると、ベーネミュンデ侯爵夫人は寵愛を失い、抗争は終結した。

 

 ベーネミュンデ派の重鎮だったファルストロング伯爵は、皇帝暗殺未遂、国家転覆、公金横領、機密漏洩、反国家思想、姦通、動物虐待など思いつく限りの罪を着せられたが、逮捕される前に同盟へと亡命した。

 

 腐敗した門閥貴族の典型のような経歴。しかも、前の歴史において英雄ラインハルトを付け狙ったベーネミュンデ侯爵夫人の仲間だ。史上最悪の白色テロリストの子孫である。好意的になれる材料が一つもない。しかし、真っ黒な経歴がどうでも良くなるような風格が、目の前の老人にはあった。

 

「良い部屋じゃろう? 誰も使いたがらんでな。わしが使わせてもらっておる」

「分かる気がします」

 

 俺は部屋を見回した。こんな豪奢な部屋で落ち着ける同盟人はいないだろう。生まれながらの貴族であるファルストロング伯爵にこそふさわしい。

 

「卿はワインを嗜むかね?」

 

 ファルストロング伯爵はグラスに注がれたワインを差し出してくる。

 

「いえ、酒は一切飲みません」

「そいつは残念だ。ヴェスターラントワインの四六〇年物はめったに手に入らんのだが」

「ヴェスターラントはブラウンシュヴァイク公爵の領地では……」

 

 ヴェスターラントといえば、ベーネミュンデ擁立に反対したブラウンシュヴァイク公爵が領有する惑星の一つだ。

 

「酒に毒を混ぜるような趣味はないぞ。わしはオットーではないからな」

 

 どぎつすぎる冗談だった、オットーはブラウンシュヴァイク公爵のファーストネーム。そして、ブラウンシュヴァイク公爵は、政敵が「病死」する幸運に恵まれることで有名だ。

 

「閣下の酒が飲めないというわけではないのです。前に酒で失敗したことがありまして」

「そうか、それは残念だ。ファルストロングは嫌われ者の宿命を背負っておる。亡命してからというもの、飲み友達に恵まれん。すっかり一人酒に慣れてしもうた」

 

 ファルストロング伯爵は愉快そうに笑う。嫌われ者なのを楽しんでいるようにすら見える。この老人と言い、シェーンコップ准将と言い、名前にフォンが付いてる人は一筋縄ではいかない。

 

「さて、卿は嫌われ者の年寄りに何を聞きに来たのかね」

「革命戦士の統制に苦労しております。伯爵閣下のご意見をお聞かせ願えませんでしょうか」

「造作も無いことだ」

 

 それだけ言うと、ファルストロング伯爵は薄く笑ってワインに口を付ける。

 

「お教えください」

「皆殺しにすれば良い。人目のある場所が良いな。平民どもは拍手喝采するであろうよ」

「そ、それはちょっと……」

「平民は草のようなものでな。一番強い者になびくのだ。革命戦士とやらが支持されるのは、平民だからではない。強いからだ」

 

 ファルストロング伯爵は平民への蔑視を隠そうとしない。これが特権階級というものなのだろうか? 聞いてるだけで気分が悪くなってくる。

 

「ありがとうございました。それでは、今日はこれで……」

 

 俺が腰を浮かしかけた時、ファルストロング伯爵がまた笑った。今度は子どもっぽい笑いだ。

 

「冗談じゃよ。卿らの価値観ぐらい理解しておるわ」

「じょ、冗談でしたか。それは良かったです」

「価値観が違えば、選択肢も自ずから違ってくるというものだ。わしが帝国軍人ならば皆殺しにするがな。同盟軍人ならば別のやり方をする」

「お教えいただけますか?」

 

 老人の言葉が気になって仕方がない。いつの間にか俺は引き込まれてしまっていた。

 

「本物の戦士にしてやれ」

「ほ、本物ですか?」

「卿らとて分かっておろう。あれは単なるゴロツキの集まりだと」

「い、いえ、彼らは……」

 

 建前を口にしかけたがやめた。ファルストロング伯爵相手にごまかしは通用しない。

 

「彼らはオーディン侵攻に便乗したゴロツキです。革命と認定したのは誤りでした」

「ゴロツキが戦士を名乗るからいかんのだ。成敗できぬのならば、本物の戦士にしてやるしかあるまい」

「公式にも戦士ということになっておりますが」

「ゴロツキが看板を掛けるだけで戦士になるのかね? 卿から見てあれは戦士か?」

「違います」

 

 俺はきっぱりと言った。あんな規律のない連中を戦士だとは認めたくない。

 

「なぜ違うと言い切れる」

「戦士には規律と秩序があります。彼らにはありません」

「ようやく気づいたか」

 

 ファルストロング伯爵の青い瞳が「鈍い奴め」と言いたげに光る。

 

「なるほど、彼らを軍隊に入れて規律を叩き込むんですね」

「平民は口では軍人を馬鹿にしておるがな。本音では軍服を着て威張りたいのだ。軍服を着せてやると言えば、大喜びするであろう」

 

 やはりファルストロング伯爵は平民を見下している。しかし、平民を小物と言い換えると、的を射てるんじゃないかと思えた。小物を九〇年やってきた経験から言うと、小物ほど権威が好きな人種はいない。

 

「ご教示ありがとうございました。さっそくやってみます」

 

 俺は深々と頭を下げた。

 

「できるのかね?」

「小官は策を練るのは不得手です。しかし、策を通すことにかけては多少の自信があります」

「どうにでも取り繕えるということか。英雄の言うこととは思えん。まるで政治家だ」

「英雄とはヤン提督やホーランド提督のような人のことです。小官は英雄ではありません」

「自覚はあるのだな」

 

 ファルストロング伯爵の言葉は皮肉っぽいのに、表情は楽しげだ。

 

「身の程はわきまえております」

「卿には輝きというものがまるでない。頭は鈍い。覇気もない。ただの小物だ。卿は英雄らしく振る舞うのがうまいだけだ」

「その通りだと思います」

 

 おそろしく辛辣なことを言われてるのに不快ではない。爽快感すら覚える。

 

「上昇志向や虚栄心があるようにも思われん。何かの拍子でにわか英雄になり、仕方なく英雄を演じ続けた。そんなところか」

「そんなところです」

「馬鹿な奴だ」

「よく言われます」

「だが、馬鹿は嫌いではない」

 

 ファルストロング伯爵がにやりと笑う。

 

「次に会う時は茶を用意しよう。帝国で一番うまい茶だ」

「楽しみにしております」

 

 俺は何の迷いもなく承諾した。

 

「卿も知っての通り、わしは悪行の限りを尽くした男じゃ。死んでもヴァルハラには行けんじゃろうな」

「…………」

 

 どう答えていいかわからない。

 

「この世でなくば、卿に茶を飲ませてやれんということじゃよ。生きて帰ってこい」

「かしこまりました」

 

 俺はすっと立ち上がり、直立不動の姿勢から最敬礼をした。そして、事務所というには豪奢すぎる部屋を後にした。

 

 ファルストロング伯爵から与えられたのは指針だけだ。具体化する作業は俺と第三六機動部隊幕僚がやった。聞こえの良い大義名分をでっち上げ、様々な見積もりを行い、現実的に可能な計画を作り上げる。また、革命戦士の間を回って歩き、同盟軍のかっこいいビデオを見せたり、徴募業務経験者に説明をさせたりして、同盟軍人になりたいと思わせた。

 

 企画書を作った後、上官のホーランド少将、ヴァルハラ駐留軍司令官ルグランジュ中将、オーディン駐留軍司令官カンディール中将らの支持を取り付けた。俺の案はヴァルハラに駐留する同盟軍の総意となった。

 

 また、親友のアンドリュー・フォーク少将の伝手を使って、総司令部作戦部に企画書を持ち込んだ。作戦参謀は兵力が欲しくてたまらない。俺の提案に乗ってくるだろうと踏んだ。

 

 予想通り、LDSOとラシュワンが強硬に反対した。後方主任参謀キャゼルヌ少将は補給上の理由から、第一三艦隊司令官ヤン中将はむやみに兵力を増やすことへの懸念から、反対に回った。

 

 数日間の議論の後、最高評議会が革命戦士を同盟軍の志願兵として扱うとの判断を下した。市民受けする大義名分、総司令部作戦部や駐留軍への根回し、革命戦士が出した嘆願書が功を奏したのである。

 

 革命戦士は数十か所の旧帝国軍基地に分散された。すべて無人惑星や小惑星にある基地だ。こうすれば、民間人に迷惑をかけることもない。また、入隊の際に持参した銃一丁につき、一〇〇ディナールを与えたため、同盟軍が革命戦士に与えた銃の何割かをは回収できた。こうしてオーディンに平和が訪れたのである。

 

 

 

 四月末、増援部隊と補給物資がオーディンに到着した。駐留軍に不足していたのは何よりも物量である。様々な問題がようやく解決へと向かい始めた。

 

 同じ頃、遠征軍総司令官ラザール・ロボス元帥が「同盟総軍司令長官」に昇格した。このポストはロボス元帥のためだけに新設された。同盟軍実戦部隊の総司令官であり、宇宙艦隊司令長官と地上軍総監の上位にいる。統合作戦本部長とは同格らしい。アンドリューの願い通り、ロボス元帥は名実ともに史上最高の名将となった。

 

 その他の人事はなかなか決まらなかった。多すぎる功労者を処遇するためのポストをどうするか? 特別予算を計上して各階級の定員を増やす案、上級大将の階級を設ける案、すべての正規艦隊と地上軍を二分割して司令官ポストを倍増させる案、自由戦士勲章より上位の「自由英雄勲章」を新設する案などは、すべて立ち消えとなった。

 

 結局、「○○待遇」を乱発することで手を打った。本来なら○○になるべき人物に対する名誉待遇で、○○より低い階級ではあるが同格として扱われる。元帥号を二度辞退した後に、「元帥待遇の宇宙軍大将」となったアルバネーゼ退役大将が最も有名だ。

 

 宇宙軍からは、遠征軍総参謀長グリーンヒル宇宙軍大将が「元帥待遇の宇宙軍大将」、第一三艦隊司令官ヤン宇宙軍中将ら五名が「大将待遇の宇宙軍中将」、第一一艦隊D分艦隊司令官ホーランド宇宙軍少将ら一六名が「中将待遇の宇宙軍少将」、第一三陸戦隊司令官代理シェーンコップ宇宙軍准将ら四九名が「少将待遇の宇宙軍准将」に昇格した。

 

 また、第一統合軍集団司令官ウランフ宇宙軍中将は、大将待遇を得るとともに、宇宙艦隊司令長官代理に就任した。大将に昇進した後に司令長官に昇格するとみられる。第三統合軍集団司令官ホーウッド宇宙軍中将は、大将待遇・宇宙艦隊副司令長官となった。

 

 地上軍からは、第二統合軍集団司令官ロヴェール地上軍中将ら三名が「大将待遇の地上軍中将」、第九陸上軍司令官イム地上軍少将ら一〇名が「中将待遇の地上軍少将」、第一特殊作戦群司令官サンパイオ地上軍准将ら三二名が「少将待遇の地上軍准将」に昇格した。

 

 俺は「少将待遇の宇宙軍准将」に昇格し、ハイネセン特別記念大功勲章など四つの勲章をもらった。本来ならば俸給も少将並みになるのだが、今回は予算の都合から特別昇給に留まる。

 

 第三六機動部隊隊員にも「○○待遇」を受ける者が多数現れた。そもそも、代将は「准将待遇の大佐」である。副司令官ポターニン宇宙軍代将ら代将三名が「先任代将たる宇宙軍大佐」、参謀長チュン・ウー・チェン宇宙軍大佐ら大佐九名が「代将たる宇宙軍大佐」に昇格した。中佐以下で昇格した者は数えきれない。無能な指揮官を補佐した功績が認められたのだろう。

 

 中佐以下では昇進する者も出た。旗艦艦長ドールトン宇宙軍中佐が宇宙軍大佐、作戦部長ラオ宇宙軍少佐が宇宙軍中佐、情報部長ベッカー宇宙軍少佐が宇宙軍中佐、副官コレット宇宙軍大尉が宇宙軍少佐に昇進した。

 

 俺の友人知人では、D分艦隊副参謀長のダーシャ・ブレツェリ宇宙軍大佐が宇宙軍代将、スカーレット中隊長アルマ・フィリップス地上軍大尉が地上軍少佐、第一一艦隊司令官ルグランジュ宇宙軍中将が大将待遇の宇宙軍中将、薔薇の騎士連隊長リンツ宇宙軍大佐が宇宙軍代将となった。

 

 忌々しいことに麻薬関係者も昇進した。アルバネーゼ退役大将は、ラグナロック作戦を推進した功によって宇宙軍元帥を授与されたが辞退した。ヴァンフリートで逃げ延びたドワイヤン少将やロペス少将らは、「収容所から脱走して、反体制活動を組織した」功績により、昇進を果たした。犯罪者が反帝国の英雄として戻ってきたわけだ。

 

 昇格者が大勢出たものの、欠員補充以外の役職異動はなかった。現在も帝国軍との戦いは続いている。編成を変えられる状況ではない。

 

 LDSOは経済の民主化に取り掛かった。国営企業と特権企業の民営化を進め、所得税と法人税を引き下げ、補助金を打ち切り、惑星ごとに設けられた関税を廃止し、あらゆる規制を取り払い、貴族財産に課税し、国有財産を売り飛ばす。解放区に自由経済を導入することで、ハイネセン資本やフェザーン資本の投資を促し、経済発展に繋げようとした。

 

 解放区全域でインフラの修復が始まった。帝国のインフラには公用と一般用の二系統がある。官公庁や支配階級が使う公用インフラは、手入れが行き届いている。問題は平民が使う一般用インフラだった。老朽化が酷い上に、戦争の混乱で手入れが行き届かなくなった。各地で停電や断水が多発した。通信はなかなか繋がらない。高速道路や鉄道の何割かは使用停止になった。修復事業への期待が高まっている。

 

 同盟産の食糧が解放区で本格的に流通し始めた。これまでは飢餓を防ぐための人道支援に留まってきたが、今後は店頭で安い食糧を買えるようになる。食糧事情は改善の方向へと向かった。

 

 同盟の旧財閥系企業やフェザーンの反主流派企業は、戦争国債を引き受けた見返りとして、解放区ビジネス利権を獲得した。同盟本国と解放区の貿易、LDSOが発注した復興事業、同盟軍への兵站支援事業などは、すべて彼らが取り仕切る。LDSOが競売にかけた国有財産、民営化した国有企業や特権企業のほとんどが、彼らの手中に収まった。

 

 解放区で同盟企業の支店が次々と開設された。表通りには同盟市民なら誰でも知ってる大企業の看板が並ぶ。同盟スタイルのスーツを着たビジネスマンが歩道を闊歩する。

 

 現地人の政治活動が活発化している。帰国した亡命活動家、帝国国内で活動してきた反体制活動家、「開明派」と呼ばれる体制内改革派、保守派知識人などが政党を作った。LDSOに登録された政党は五二党にのぼる。未登録政党は一〇〇党とも二〇〇党とも言われる。これらの政党は機関紙を発行し、演説会を開くなどして、いずれ実施される選挙での議席獲得を目指す。

 

 解放区にある政治犯収容所はすべて廃止された。LDSOは政治犯数百万人を故郷に帰す事業に取り組んでいる。残された施設は再利用される予定だったが、ラシュワンが「自由な国家に流刑地は不要」と反対したため、すべて破壊された。

 

 同盟憲章は居住移転の自由を認める。それを知った解放区住民の間では、より環境の良い惑星に移住したいと希望する者、同盟本国への移住を望む者が現れた。また、本国市民の間には、「自治領住民をより良い環境へと移すべきだ」との声が出た。経済界は解放区からの移民が増えれば、経済活性化に繋がると期待する。

 

 民主的な軍隊や警察を作る試みが始まった。降伏兵に同盟式の訓練を施し、接収した軍艦や車両をモスグリーンに塗り替えて、同盟軍への編入を進める。警察官の中で、収賄や恐喝や遺法捜査の前歴がない者を解放区警察に雇い入れた。

 

 早くも民主主義と自由経済が芽吹き始めた。同盟市民は一連の変革を「オーディンの春」、立役者のコーマック代表を「オリオン腕の解放者」と呼んだ。

 

 一方、リヒテンラーデ=リッテンハイム陣営とブラウンシュヴァイク派は、帝都陥落の衝撃から立ち直っていない。一か月の間に恩赦や減税を何回も行い、断絶した名門を復活させ、食糧や酒を無料で配るなどの人気取り政策は、弱体ぶりを示すだけの結果に終わった。ブラウンシュヴァイク公爵は、新無憂宮を略奪した者とその家族に大逆罪を適用すると宣言したが、現状では負け犬の遠吠えでしかない。

 

 旧カストロプ公爵領の首星ラパートに本拠を移したリヒテンラーデ公爵とラインハルト、レンテンベルク要塞に陣取るリッテンハイム公爵とメルカッツ上級大将、レーンドルフを根拠地とするブラウンシュヴァイク公爵らは、反体制派との戦いで手一杯だ。今後の戦いは帝国軍を倒すというより、各地の反体制派を支援するものになると思われた。

 

 五月五日、第一一艦隊は新しい任務を与えられた。ヴァナヘイムの反体制派を支援するのだ。ヴァルハラの警備は予備役部隊に引き継がれる。

 

 第三六機動部隊もヴァルハラを離れることになった。そこで壮行パーティー、俺の結婚祝いパーティーを兼ねたパーティーが開かれた。

 

 テーブルの上には、マカロニ・アンド・チーズ、ピザ、ジャンバラヤ、ローストチキンといったパラディオン的な食べ物が山盛りだ。甘い物やアルコールもたっぷりある。

 

「おいしいな」

 

 俺は満面に笑みを浮かべながら、マカロニ・アンド・チーズを頬張る。

 

「うん!」

 

 ダーシャは幸せそうにマカロニ・アンド・チーズを食べる。

 

「とろとろだなあ」

「ほんと、とろっとろだね!」

 

 俺たちは心の底から通じ合う。そこに妹がやってきた。どういうわけか呆れ顔だ。

 

「あのさあ……」

「なんだ?」

「なに?」

 

 俺とダーシャが同時に返事をする。

 

「なんで食べさせてるの?」

 

 妹は俺とダーシャのスプーンを指差す。俺はダーシャの口元にスプーンを持っていき、ダーシャは俺の口元にスプーンを持っていく。

 

「ダーシャは猫舌だからな。俺が冷ましてやらないと」

「エリヤは不器用だからね。私が食べさせてあげなきゃ」

「えっ?」

 

 妹はぱっちりした目を白黒させる。

 

「いずれアルマにもわかる」

「アルマちゃんもわかる時が来るよ」

 

 俺とダーシャは妹を諭す。

 

「わかりたくない……」

 

 なぜか今日の妹は物分かりが悪い。食べ過ぎで頭が回らないのだろう。一人でホールケーキを三個も平らげたのだから。

 

 他の人たちも楽しそうだ。チュン・ウー・チェン参謀長は、目を輝かせてサンドイッチにかじりつく。イレーシュ副参謀長はガチョウの丸焼きを独り占めにする。ルグランジュ中将は腕相撲で陸戦隊員を三人抜きした。ビューフォート代将はダンディな飲みっぷりだ。ドールトン艦長は、婚約指輪と言っておもちゃの指輪を見せびらかす。ラオ作戦部長はビールを少し飲んだだけで酔い潰れた。

 

 若者は酒をがぶがぶ飲んで酔っ払い、大声ではしゃぐ。年配者は静かに会話を楽しむ。現地人は肌が白い者にばかり話しかける。

 

「春だな」

 

 俺は空を見上げた。雲一つない真っ青な空だ。

 

「春だね」

 

 左隣のダーシャも一緒に空を見上げる。

 

「来年はハイネセンで過ごしたいな」

「そうだね」

 

 ダーシャの右手が俺の左手を優しく握る。俺の右手は妹からもらった幸運のペンダントを握る。みんなが騒ぐ声、生暖かい空気、真っ青な空、暖かい日差し、そのすべてが心地良い。銀河に春がやってきた。


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