銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第53話:神々の黄昏 797年10月下旬~11月上旬 モードランズ官舎~カフェ「パリ・コミューン」~無人タクシー

 平和なおかげで友人知人が良く遊びに来る。一〇月第二週の週末、妹のアルマがやって来た。彼女の官舎は北大陸のハイネセンポリス、俺の官舎は西大陸のモードランズ。当然ながら泊まりがけである。

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「いや、凄いなあと」

 

 俺はまじまじと妹を眺めた。

 

「そう? テレビ見てるだけなのに」

 

 妹の言う通り、一見すると足を投げ出してテレビを見てるような姿勢だ。しかし、よく見ると彼女の尻からつま先までは地面から浮いている。そして、その腕はゆっくり上下していた。テレビを見ながら腕を鍛えているのだ。

 

「そこまでできねえわ」

「慣れよ慣れ」

 

 のほほんとした顔で妹は菓子に右手を伸ばす。その間も姿勢が揺らぐことはなく、左手だけでこの姿勢を維持していた。

 

「冗談じゃねえ」

 

 笑うしかない。妹は呼吸をするように体を鍛える。その筋肉は男性のトップアスリートと比べても遜色なかった。

 

 筋肉は凄いが戦技も凄い。再会直後、射撃・徒手格闘・ナイフ・戦斧の全種目で腕比べをして負けた。一〇回に一回も勝てなかった。ヴァンフリート四=二基地にいた頃に、薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)の隊員と組手をした時以来の経験だ。

 

「なあ、アルマ」

「なに?」

「薔薇の騎士連隊の隊員が『一〇メートルなんて、ビームライフル相手だったらハイネセンポリスのメインストリートを歩くようなもんだ』って言ってたんだ。アルマもそう思うか?」

「そりゃそうでしょ」

 

 妹が「なに言ってんだ」と言うような顔で俺を見る。

 

「ビームライフル持った一〇メートル先の敵を戦斧だけで倒せるか?」

「一二メートル先までなら余裕」

「自信あるんだな」

「戦斧は四種目の中で一番苦手だけど」

「…………」

 

 次元が違いすぎる。

 

「じゃあ、薔薇の騎士連隊のシェーンコップやリンツと戦って勝てるか?」

「無理。三〇秒以内に負ける」

「ブルームハルトやデア=デッケンには勝てるだろう?」

「五回やって一回勝てるかどうか」

「上には上がいるんだな」

 

 俺は舌を巻いた。こんな妹でも薔薇の騎士連隊のトップクラスには敵わない。前の世界の強者は桁が違う。

 

「私らは軍人だけどあの人らは騎士だから。個人技じゃ敵わないよ」

「騎士って比喩だろ?」

「違うよ。帝国の地上軍と装甲擲弾兵が個人技重視なのは知ってる?」

「ベッカー少佐から聞いたことがあるな。貴族精神との関係だとか」

「で、薔薇の騎士連隊は宣伝用の部隊なの。帝国流の戦い方で勝たないと、向こうへのアピールにならない。だから、一騎打ちで勝てるように鍛えてるわけ。個人戦をやらない私らとは根本的に違うのよ」

「なるほどなあ」

 

 地上戦のプロが語る薔薇の騎士連隊の強さの秘訣。実に興味深い。

 

「ま、団体戦なら間違いなく私らが勝つけどね」

 

 妹が不敵に微笑む。このプライドの高さはエリート特有のものだ。自分が一番と思わない奴に、一番を目指すなんてできやしない。

 

 薔薇の騎士連隊は宇宙軍陸戦隊最強。アルマが在籍する第八強襲空挺連隊は地上軍最強。お互いに対抗意識がある。

 

 激戦地に投入される薔薇の騎士連隊にとって、軍上層部が切り札として大事にしている第八強襲空挺連隊は「鼻持ちならないエリート連中」だった。そして、第八強襲空挺連隊は自分こそが同盟体制を支えてきたとの自負から、はみ出し者揃いの薔薇の騎士連隊を「ならず者集団」と呼ぶ。

 

 物語の世界では、プライドは持っていれば邪魔で、捨てれば強くなるもののように言われる。だが実際は違う。プライドとは過去の努力に対する自信であり、未来に向けた努力の原動力であり、逆境で自分を支えてくれるものだ。プライドの高い奴は強い。「あいつらにだけは負けたくない」という意地が、薔薇の騎士連隊と第八強襲空挺連隊を精鋭たらしめる。

 

 薔薇の騎士連隊はイゼルローン要塞を陥落させた。第八強襲空挺連隊はより大きな武勲を立てようと励んでいることだろう。

 

「期待してるぞ」

「まかしといて」

 

 妹は平たい胸を右手で叩く。もちろん姿勢はまったく揺らいでいない。

 

「地上軍が陸戦隊より上だってじきにわかるから」

「本当に介入するのかな」

「間違いないでしょ。統合作戦本部がヤン提督の作戦案を認可したから」

「初めて聞いたぞ」

「おととい決まったからね。公になるまで一週間はかかるんじゃない?」

「そういうことか」

 

 俺は大きく頷いた。国防委員長が代わって以来、軍中枢の情報が入ってこなくなった。一方、妹はシトレ派である。今では俺が妹から情報を教えられる側だった。

 

「私たちの出番はそう遠くないよ」

 

 妹が爽やかに笑う。政府は帝国内戦に介入したがっているというのは、同盟市民なら誰でも知っている。

 

 イゼルローンにおける勝利はあまりに鮮やかすぎた。そのため、ボナール政権の勝利でなく、シトレ元帥とヤン中将の勝利と受け止められてしまい、政権浮揚効果は一時的なものに留まった。

 

 経済問題がボナール政権の足を引っ張った。レベロ財政委員長が財政支出削減と大型増税を断行し、不景気が一層ひどくなった。フェザーン自治領主府の同盟国債購入額の減額、フェザーン政策投資銀行の投資資金の一部引き上げが追い打ちをかけた。イゼルローン攻略の際に捕虜となった帝国兵七〇万人、帝国領から流れ込んできた難民五〇〇万人が財政に負担をかけた。経済成長率は下がり続け、失業率は上がり続けている。

 

 そんな時に惑星マスジットの道路整備事業をめぐる汚職が発覚し、グロムシキン地域社会開発委員長らNPCの議員四名が逮捕された。NPCの汚職は年中行事のようなものだが、未成年による性的接待を受けていたとなると、話は違ってくる。市民は政治家の不道徳ぶりに怒った。

 

 地方問題でもボナール政権はつまずいた。トリューニヒト前国防委員長は、テロ対策の一環として地方星系に民生支援を行ったが。国防委員長が交代すると廃止された。地方交付金や地方警備部隊の削減とあいまって、地方の反中央感情に火がついた。エル・ファシルでは復興予算削減に抗議するデモが騒乱へと発展し、カッファーでは美徳教過激派が惑星政庁を占拠し、ミトラではアングィラ独立派によって地下鉄が爆破された。

 

 国家安全保障顧問アルバネーゼ退役大将、元情報部長ジャーディス上院議員ら穏健派国防族は、反軍縮派を「一部勢力が地方を煽っている」と批判し、ボナール政権の安全保障能力に問題がないことを強調した。だが、有権者の信を得るには至っていない。

 

 三月末に五八パーセントだった政権支持率は、九月末には三三パーセントまで落ちた。九月に実施された二つの星系議会選挙のうち、一つは統一正義党、もう一つは反戦市民連合が勝った。今月末にドーリア星系議会選挙が実施されるが、連立与党の敗北が確実視される。

 

 与党が低迷する一方、極右の統一正義党はイゼルローン攻略で盛り上がる主戦論者を取り込み、反戦派の反戦市民連合はパトリオット・シンドロームの再来を恐れる反戦論者の支持を集めた。連立与党は左右から挟撃された形だ。来年の上院選挙での与党敗北は避けられないだろう。

 

 帝国内戦が終わる気配はない。フェザーンの企業家による調停が失敗に終わった後、自治領主ルビンスキーが自ら調停に乗り出したが、リヒテンラーデ=リッテンハイム連合とブラウンシュヴァイク派は和解を拒んだ。和解を主張したローエングラム元帥は、「反乱軍迎撃の総指揮を取れ」と言われて対同盟前線のニヴルヘイム総管区に飛ばされた。

 

 内政の不安、外敵の分裂、高まる主戦論。三つの事実が「外敵の分裂に乗じて出兵し、その戦果をもって内政を安定させる」という答えを導き出す。軍縮は「削減される前に兵を動かさないともったいない」という心理を生む。かくして、出兵が避けられない情勢となった。

 

 どこかで見たような展開だ。前の世界においても、イゼルローン攻略は支持率に結びつかなかった。当時のサンフォード政権は政権浮揚を図るため、無謀な帝国領侵攻を行って同盟を滅亡させたのだ。

 

 様々な出兵案が検討された。シトレ派は「内戦終結後の講和を条件に片方と軍事同盟を結び、四万隻を援軍に送るべき」と主張し、ロボス派は「七万隻を派兵して、ニヴルヘイムを帝国から奪取しよう」と提案し、過激派は「一〇個艦隊で帝国中枢『アーズガルズ』へ侵攻せよ」と叫ぶ。

 

 軍部主要派閥の中でトリューニヒト派だけが出兵に反対した。「今は軍備増強と国内治安回復に集中する時だ」と言うのがその理由である。統合作戦本部のC次席副官は「対テロを名分にやりたい放題したいだけ」、国防委員会のA参事官は「軍需企業から金をもらってるんだろう」と切り捨てる。軍縮論と主戦論の双方に逆行する意見が通る見込みは薄い。

 

 フェザーン自治領主府も出兵反対派だ。軍事バランスがこれ以上同盟に傾いたらまずいと思っているのだろう。出兵反対・国内治安優先の世論を煽ろうとしたが、かえって「フェザーンが出兵を止めるためにテロを煽ってるんじゃないか」との疑惑を招いた。フェザーンがトリューニヒト派と組んでクーデターを企んでるとの噂が流れ、NPC系と進歩党系のマスコミが反フェザーンキャンペーンを始めたこともあり、情報操作は完全に失敗した。

 

 前の世界では実現しなかった帝国内戦への介入が、こちらの世界では現実味を帯びつつある。ヤン・ウェンリーの平和が終わりに近づいていた。

 

 

 

 一一月上旬、俺は国防委員会の研修会に出るために出張した。国防委員会庁舎は三か月前までトリューニヒト派の牙城だったが、今は反トリューニヒト派の士官が闊歩している。

 

 いたたまれない気持ちを感じつつ庁舎を出た。服を着替えて地下鉄に乗り、エンリッチ区ウィナーフィールド街のカフェ「パリ・コミューン」へと向かう。目的は二年ぶりとなる親友アンドリュー・フォーク准将との面会。

 

「良くこんな店を見つけたな」

 

 アンドリューは店の中を見回した。一番目立つ場所に貼られているのは、反戦中学生から反戦大学生になったコニー・アブジュのポスターだ。その他の場所にも反戦団体のポスターがべたべたと貼ってあり、レジの前には反戦ビラが山のように積まれている。

 

 窓からは反戦市民連合の看板が見える。この地区の場合、一五メートルから三〇メートルに一つの割合でこういった看板があった。

 

「ここなら現役軍人は来ないだろう」

「まあ、確かにな」

「ウィナーフィールドはハイネセンポリスでも一番反戦派の力が強い街だ。軍服を着て歩くだけで白い目で見られる。目を光らせる奴も少ないってことさ」

 

 俺とアンドリューは普段は着ないような服を着用し、伊達眼鏡をかけるなど、ひと目でわからないように変装している。トリューニヒト派にはロボス派から寝返った人物が多いため、俺とアンドリューが親しくしていると派閥が嫌な顔をする。そのため、気を使う必要があるのだ。

 

「辛気臭い話はここまでにしとこうか」

「そうだな、まずは――」

 

 俺は妹との再会、帰郷中の出来事などについて話した。

 

「帰郷中は毎日同じ時間に起き、同じ時間に食事し、同じ時間にトレーニングして、同じ時間にベッドに入った。食事の栄養バランスは厳密に計算した。思いきり羽根を伸ばせたな」

「それは羽根を伸ばしたとは言わないぞ」

「こんな時じゃないと規則正しく暮らせないんだよ。栄養素をきっちり計算して食べるなんてことも普段はなかなかできないしね」

「なんでそこまで自己管理が大好きなんだ?」

「汗をかくのって楽しいじゃないか」

「それ以上の理由がありそうに見えるけどな」

 

 アンドリューは鋭い。俺のトレーニング好きに趣味以上の何かがあることを見抜いている。

 

「怖いんだ」

「怖い?」

「ああ。手足が自由に動かなくなったり、足腰が痛んだり、物が見えにくくなったり、歯が抜け落ちたり、胃が苦しくなったり、少し歩いただけで息切れしたりするのが怖い」

「まだ三〇前だろうに」

「体を悪くしてからじゃ遅い。今のうちから気を使わないと」

「年寄りみたいなことを言うんだな」

「ボロボロの年寄りを知ってるからね」

 

 その年寄りとは自分自身のことだ。前の人生では酒、麻薬、ストレス、迫害の後遺症のために、体がボロボロになった。体が思い通りに動かないというのは本当に辛いものだ。

 

「身につまされたってわけか」

「そういうことさ。アンドリューもそろそろ有給を取ろうぜ。トレーニングで汗を流して、規則正しい食事と睡眠をエンジョイ……」

「無理だね」

「まあ、言うだけ言っただけさ」

 

 俺は寂しそうに笑う。今のアンドリューは控えめに見ても病んでいた。顔からはげっそりと肉が落ち、目からは光が失われ、口角は歪んだように下がっている。声のトーンは急に上がったり下がったりして一定しない。前の世界のビデオで見た狂人参謀そのままだ。しかし、休む暇が無いのもわかるから、あまり強くは言えない。

 

 アンドリューが仕える宇宙艦隊司令長官ロボス元帥には後がない。元帥になって以降、第三次ティアマト会戦以外にはいいところがなかった。そして、統合作戦本部が認可した内戦介入作戦「槌と金床」においては、副司令長官ボロディン中将が総司令官に予定される。司令長官の座から陥落寸前だ。

 

「最近は作戦を作るのに忙しくてな。おちおち休んでもいられない」

「忙しいのに良く来てくれた。本当にありがとう」

「雑談をするためだけに来たわけじゃない。見せたいものがある」

 

 そう言うと、アンドリューはバッグの中からファイルを取り出す。その表題は『新規出店計画概要』だが、擬装用の名前だろう。

 

「読んでくれ」

「分かった」

 

 俺は『新規出店計画概要』に目を通した。

 

「これは……」

 

 本当の題名は『神々の黄昏(ラグナロック)作戦』。なんと、前の世界でラインハルトが同盟領に遠征した際の作戦と全く同じ名前だ。

 

 アンドリューが作ったラグナロック作戦は、帝国内戦への介入計画だった。総司令官はロボス元帥、宇宙艦艇は二二万四〇〇〇隻、総人員は三一九〇万人。コルネリアス一世の同盟領遠征軍、最盛期の銀河連邦が一度に動員した戦力を上回る。人類史上最大の大軍である。

 

 作戦目的は「大軍をもって帝国領内の奥深くに侵攻し、敵の心胆を寒からしめる」、方針は「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する」という曖昧なものだ。

 

 情勢については、「帝国は内戦と食糧不足に苦しんでおり、イゼルローン陥落による動揺も大きい。暴動は日常茶飯事だ。今や帝政は瓦解しつつある。我が軍が到達すれば、民衆は決起するだろう」と分析する。少し甘すぎやしないだろうか。

 

 手順としては、第一段作戦「フィンブルの冬」で国境宙域「ニブルヘイム」、第二段作戦「ギャラルホルンの叫び」で中間宙域「ミズガルズ」を制圧し、第三段作戦「ヴィーグリーズ会戦」で中枢宙域「アースガルズ」に入り、第四段作戦「スルトの炎剣」で首星オーディンを攻め落とす。所要期間は三か月。一応の目的はオーディン攻略だが、場合によってはそれ以前に目的達成となる場合もあるらしい。なんとも曖昧だ。

 

 内戦の当事者であるリヒテンラーデ=リッテンハイム連合、ブラウンシュヴァイク派とは同盟しない。亡命者が結成した「全銀河亡命者会議」、帝国国内の「反帝政武装戦線」「ペテルギウス革命軍」「共和主義地下運動」など帝国反体制派との協力を目指す。

 

 とても微妙な気持ちになった。前の世界で大失敗した帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」と酷似した内容だったからだ。

 

「感想を聞かせてくれ」

「正直に言っていいか?」

「構わない」

「雑すぎる」

 

 第一印象をそっくりそのまま伝えた。

 

「概要だからな。本文はもっと詳細だぞ」

「概要がこれじゃあ、本文もスカスカじゃないのか」

「そんなことはない」

「希望的観測に基づいてるように見えるな。ここまでうまくいくとは思えない」

「大丈夫だ」

「帝国国内はそこまで不安定なのか? 反体制派とやらはあてになるのか? 住民がなびかなかったらどうする?」

 

 俺は次々と疑問点をぶつける。

 

「問題ない。情報部と全銀河亡命者会議が太鼓判を押してる」

「帝国軍の総兵力は五〇万隻以上。二〇万隻じゃ足りないぞ」

「敵は貴族領を守るために戦力を分散してくるはずだ。そうしないと見限られるからな。容易に各個撃破できる」

「リヒテンラーデ=リッテンハイム連合とブラウンシュヴァイク派が講和したら?」

「もともとは内戦が起きてない想定で立てた作戦だ。そちらのプランを使う」

 

 アンドリューがバッグから別のファイルを取り出して開く。題名は『諸惑星の自由』。前の世界で自由惑星同盟を滅亡に至らしめた作戦だ。

 

「五〇万隻と二〇万隻で戦えるというのか?」

「資金や兵站を考慮すると、敵が一度に動かせる兵力は六万隻から七万隻。反体制派を決起させ、小規模の別働隊を放って後方を撹乱したら、四万隻から五万隻まで減らせる。大きな会戦に何回か勝てば、帝国軍は崩れるはずだ」

「ノイエ・シュタウフェン公爵のように焦土作戦を使ってくるかもしれない。少しでもその可能性を考えたか?」

 

 とどめに前の世界の知識を使う。ラインハルト・フォン・ローエングラムではなく、四世紀前に共和主義者の反乱を焦土戦術で鎮圧したノイエ・シュタウフェン公爵の例をあげる。

 

「帝国軍がそこまで馬鹿だったらありがたいんだけどな」

「馬鹿な作戦か?」

「ルドルフやジギスムント一世の時代とは違う。帝国政府に領主や住民を黙らせる力はない。焦土作戦をやったら反乱が起きるし、撤収前に同盟軍がやってくるかもしれない。同盟軍に内応する惑星も出てくるな。愚策中の愚策だぞ」

 

 アンドリューは焦土作戦が無理な理由を理路整然と語る。

 

「言われてみるとそうか」

 

 引っかかるところはある。しかし、焦土作戦が可能だとする根拠を俺は持たない。リヒテンラーデ=リッテンハイム連合、ブラウンシュヴァイク派はさまざまな勢力の寄り合い所帯であり、一枚岩とは程遠い。ニヴルヘイムに権益を持つ貴族への配慮も必要だ。常識的に考えると、焦土作戦は反発を招くだけの愚策である。

 

 ラインハルトの伝記『獅子戦争記』はラインハルトが物資を接収したと述べるだけで、焦土作戦の詳細は書いていない。当時は帝国が統一されていた。前の世界で得た知識は参考にできない。

 

「帝国は建国からずっと反乱リスクを抱えてきた。強大な軍事力、警察・憲兵・社会秩序維持局・国民隣保組織の『鉄の四角形』による監視体制、減税や恩赦のような人気取り政策で抑えこんでるだけだ。今や帝国の反乱リスクは最高潮に達した。誰かが火をつければ一気に燃え上がる」

「それはわかるけどな」

 

 アンドリューの言うこと自体は間違っていない。先帝フリードリヒ四世の時点で、帝国が崩壊に向かいつつあるのは明白だった。中央政府にはリーダーシップが欠如し、宮廷陰謀や地方反乱が年中行事となり、亡命高官の言葉を借りると「革命の八歩手前」であった。

 

「この作戦には情報部が全面協力している。不満分子に対する工作は十分だ。帝国国内の星図、星系ごとの政治情勢、部隊や基地の配置に関する情報も手に入れた」

「情報部なあ。シャンプール・ショックでしくじった連中だろう。信じていいのか?」

「しくじったのは防諜部門、情報部では傍流中の傍流だ。俺たちが組むのは対外情報部門。情報部の主流さ」

「対外情報部門ねえ」

 

 俺は二つの意味で微妙な気持ちになった。防諜部門は俺の恩師ドーソン中将の出身母体だ。そして、対外情報部門はアルバネーゼ退役大将らサイオキシンマフィア幹部の古巣で、現在もその影響が強く残っている。

 

「イゼルローン要塞攻略でも活躍したんだぞ」

「どんな活躍をしたんだ?」

「要塞内部やアムリッツァ基地の正確な情報を手に入れた。内通者を使って帝国軍の疑心暗鬼を煽った。通信設備やレーダーの一部を故障させた。正しい情報を同盟軍が出した偽の命令が本物の命令に見えるよう工夫した。ヤン中将の作戦は巧妙だったし、内戦の影響で敵情報機関が弱体化していたが、それを差し引いても何割かは情報部の手柄だろうな」

「情報部がヤン・マジックの道具を用意したと」

 

 前の世界で読んだ『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』によると、ヤン・ウェンリーは「正しい判断は、正しい情報と正しい分析の上に成立する」と語った。対外情報部門は正しい情報を提供したことになる。

 

「戦いには機というものがある。条件は整った。今こそ大攻勢に出る時だ」

 

 アンドリューの目が熱っぽい光を帯びる。

 

「そ、そうか」

 

 俺は軽くたじろいだ。確かに条件は整っているように見える。だが、それを語るアンドリューが危なっかしく思えた。

 

「モードランズに戻る前に、トリューニヒト先生に会うよな?」

「まあな。『最近は来客が少なくて寂しい』と言ってたし」

「トリューニヒト先生に働きかけて欲しい。この作戦をどうしても実現させたいんだ」

「働きかけてどうする? トリューニヒト先生はもう国防委員長じゃないぞ」

 

 認めたくはないが、トリューニヒト下院議長はボロボロだ。派閥は国民平和会議(NPC)主流派に切り崩されている。出兵反対論を唱えたために、主戦派からは「裏切り者」「フェザーンの回し者」と罵られ、今月一日には暗殺未遂事件まで起きた。

 

「女性と若者からの人気がある。トリューニヒト先生の支持があると無いでは大違いだ」

 

 前半部分はわかる。タレント的な意味でのトリューニヒト人気は根強い。しかし、後半部分が理解に苦しむ。アンドリューがなぜそんなものを必要としているのかがわからない。

 

「君のバックにいる先生には許可をとったのか?」

「取らなくてもいい。誰もいないから」

「誰もいない?」

「この作戦は宇宙艦隊司令部の若手有志で作った。動いてるのも俺たちだけだ」

 

 アンドリューは妙なことを言った。どんどん話が怪しくなっていく。

 

「情報部や全銀河亡命者会議から情報をもらってるって言わなかったか?」

「力を貸してもらった」

「宇宙艦隊総司令部の作戦じゃなくて、ロボス・サークルの若手が私的に作った作戦。そう受け取っていいんだな」

「構わない」

「どこまでこの話は広がってる?」

「今のところは有志ってレベルだな。エリヤの上官も仲間になってくれた」

「ホーランド少将かよ」

 

 頭が少し痛くなった。武勲を立てたいのは分かるが、こんな怪しい話に絡まないでほしい。

 

「味方は多ければ多いほどいい。トリューニヒト先生に話を持っていってくれ。できないというなら、せめてエリヤだけでも仲間にしたい」

「仲間を増やす必要があるのか? 統合作戦本部に提出すればいいだろう」

 

 俺は努めて穏やかな声を作る。

 

「提出はした。けれども、通る見込みはないな。ヤン中将の案が通ってしまったから」

「だから、政治工作に訴えると」

「そうだ」

「悪いけど協力できないな」

 

 冷ややかに聞こえないように精一杯配慮しつつ、拒否の意を伝える。

 

「俺の頼みでもか?」

「友達だったらなおさらだ。君には筋を曲げるようなことはしてほしくない」

 

 アンドリューと視線を合わせてから、俺は言った。

 

「先に筋を曲げたのはシトレ元帥だぞ。イゼルローン攻略作戦の時は、作戦部が『成功の見込みが薄い』と反対したのにヤン提督の案をごり押しした。自分の立場を強めるためにな。今回もヤン提督の案をごり押ししてきた」

「今回の案は良くできてる。ごり押しが無くても通ったと思うぞ」

 

 数日前に発表されたヤン案の内容を思い浮かべる。ブラウンシュヴァイク派と手を結び、内戦終結後の無期限講和及び相互軍縮条約の締結を条件に、四個艦隊を派遣する計画だ。総司令官は宇宙艦隊副司令長官ボロディン中将が務める。

 

 シトレ派所属の妹によると、ブラウンシュヴァイク派と組んだ理由は、第一に「少数派と組んだ方が帝国をより疲弊させることができる」、第二に「中立派諸将を内戦に巻き込む」、第三に「最大の軍事的脅威であるローエングラム元帥の力を削ぐ」、第四に「少数派を政権に就けることで、帝国の不安定化を促し、外征を考えられないようにする」というものだそうだ。

 

 注目すべき点は二番目の理由だろう。同盟軍がブラウンシュヴァイク派の援軍としてやって来た場合、「内戦に参加したくない」という動機以外の共通点がない中立派諸将は、難しい立場に追い込まれる。中立を固持して同盟軍との戦いを避ける者、中立をかなぐり捨てて同盟軍と戦う者、ブラウンシュヴァイク派有利と見て同盟軍に協力する者に分かれるだろう。同盟軍はブラウンシュヴァイク派と組むだけで中立派諸将を分裂させられる。

 

 講和と同時に相互軍縮条約を結ぶのもうまい手だと思う。軍縮対象となるのは恒星間航行能力を持つ軍用艦で、最終的な戦力比率を同盟一〇〇対帝国一二〇と定める。現在は同盟軍が約三五万隻前後、帝国軍が約五二万隻前後で、比率は同盟一〇〇対帝国一四九になる。帝国側に不利な内容に見えるが、帝国のGDPは同盟の一・二倍程度なので、経済力に見合った最大限の戦力保持を認めるものと言えよう。一方、地上戦力の保有制限はないため、帝国が治安維持用の戦力に困ることはない。お互いに外征戦力を制限することで、講和の永続化を図るのだ。

 

「戦後処理にまで配慮が行き届いている。さすがはヤン提督だ」

 

 俺は「あえてこと別の案を出すことはない」というニュアンスを込めて言う。

 

「愚策じゃないか」

「愚策?」

「見通しが甘すぎる。本当に講和を結べると思うのか?」

「成算があるんだろう。『作戦は計算で作るものだ』とアンドリューは言ってたよな? そして、ヤン中将は作戦のプロだ」

「作戦のプロが政治のプロとは限らないぞ? ヤン中将の案は内戦を長びかせるための案だ。途中でフェザーンが介入してきたらどうする?」

「それがあったか」

 

 俺は軽く舌打ちした。フェザーン自治領主府が講和を望んでないのは周知の事実だ。

 

「勢力均衡政策との兼ね合いもある。銀河の軍事バランスは同盟に大きく傾いた。何としても帝国側に戻したいと、フェザーンは思ってるはずだ」

「ヤン中将なら対応策はあると思うけど」

 

 何の根拠もなくそう言った。ヤン中将がどんな策を用意しているのかはわからないが、無策ではないと思う。

 

「問題はヤン中将じゃない。そのバックだぞ」

「そうか、フェザーンと直接駆け引きするのは政治家なんだな。ヤン中将は提案しかできない」

「ヤン中将のバックにいるのはレベロ先生とホワン先生、そして財政委員会官僚。この人らがフェザーンと渡り合えると思うか?」

「厳しいね」

 

 考えるまでもない。レベロ財政委員長やホワン人的資源委員長は、まっとう過ぎる政治家だ。今の財政委員会官僚に大物と言われる人物はいない。「フェザーンの黒狐」ことフェザーン自治領主ルビンスキーと権謀術数を競うのは無理だろう。

 

「さらに言うと、ヤン中将とレベロ先生らの繋がりは、シトレ元帥を通じた間接的なものでしかない。信頼関係が薄いのさ」

「反フェザーン勢力はどうなんだ? 一応、ヤン中将を支持してるはずだけど」

「彼らは俺たちの味方に着く」

「えっ!?」

 

 一瞬だけ心臓が止まった。反フェザーン勢力は目立たないが弱小勢力とは程遠い。アルバネーゼ退役大将らサイオキシンマフィアの他、旧財閥、大手業界団体、伝統宗教といった古い勢力の集まりだ。エリートとは言え若手参謀がそれを動かしたなんて信じられなかった。

 

「オーディンが陥落したらどうなる?」

「帝国は壊滅するね」

「そして、同盟と帝国の勢力比が完全に崩れる。フェザーンの勢力均衡策もな」

「ま、まさか、君たちの目的は……」

 

 声が震えた。体が震えた。とんでもないことだ。想像したとおりなら、反フェザーン勢力も喜んでアンドリューに味方するだろう。

 

「フェザーンの天秤を叩き壊す。それがラグナロック作戦の真の目的だ」

 

 想像が的中したとアンドリューが教えてくれた。

 

「とんでもないな。それなら確かに作戦目的を曖昧にするしかない」

「帝国領の何割を支配したら壊れるとか、主力艦隊の何割を壊滅させたら壊れるとか、そういった目安がないから、はっきり書きようがないんだ」

「だよなあ」

 

 大きく息を吐き、俺はコーヒーを飲む。前の世界の戦記によると、アンドリューが立案した帝国領侵攻作戦の内容は恐ろしく曖昧で目的すら決まってなかったが、その理由がやっと理解できた。フェザーンの勢力均衡策を打破するなんて、公言できるはずがない。

 

「同盟単独の勢力を一〇〇の中の四〇から五五まで持っていく。そうなったら、もはやフェザーンは手も足も出ない。銀河に『同盟の平和』が訪れる。ロボス元帥と俺たちの手でな」

 

 アンドリューは「ロボス元帥」に力を込めた。

 

「君自身はどうなんだ?」

「俺自身?」

「ああ。君はいつも『ロボス閣下』『俺たち』と言う。しかし、君自身はどうしたい? ヤン中将への対抗意識とか、トップを取りたいという野心とか、そういったものはないのか?」

 

 俺はずっと前から気になっていたことを聞いた。戦記によると、アンドリュー・フォークは個人的野心、ヤン中将への対抗意識から無謀な帝国領侵攻を計画したそうだ。妹からも「シトレ元帥がフォーク准将の野心を警戒している」と聞かされたことがある。アンドリューに限ってそんなことはないと思いたいが、万が一ということもある。

 

「エリヤまでシトレ元帥の与太話を信じてるのか?」

「そ、そんなことはないぞ。ちょっと気になったんだ」

「士官学校の先輩や同期にはヤン中将嫌いが多くてさ。最近はしきりに『ヤンを止められるのはフォークだけだ』とか『あいつにだけは負けるな』とか言われるんだ。そのたびに『おう、まかせとけ』って答えたのが変な風に伝わったんだろうな」

 

 アンドリューはやれやれと言いたげに苦笑した。

 

「ただの誤解か」

「どうってことないさ。俺はあの界隈を嫌いだし、あの界隈も俺を嫌ってる。誤解が一つや二つ重なったところで、何も変わりやしない」

「そうだな」

 

 俺には頷くしかできなかった。ヤン中将とアンドリューの確執の裏には、士官学校時代から続く有害図書愛好会グループと優等生グループの対立がある。この二人に「対立して欲しい」と願う人があまりに多すぎるのだ。

 

「ロボス閣下こそが真の名将だと知らしめたい。この先もロボス・サークルの仲間と一緒にやっていきたい。そのために勝利が必要というだけさ」

「良くわかった」

 

 やはり戦記は正しくなかったようだ。ヤン中将に近い人物の残した記録を参考にしているため、ロボス元帥側の肉声は聞こえてこない。それはトリューニヒト派の俺がヤン中将側の肉声を聞けないのと同じことだ。伝聞だけでは真相は掴めないのである。

 

「引き受けてくれるか?」

 

 アンドリューがぐっと身を乗り出す。俺は押されてしまった。

 

「わ、わかった! わかったけどな!」

 

 返事をすると、俺は水差しを掴んでグラスに冷水を注いだ。そして、ぐいと飲み干す。

 

「あくまで見せるだけだぞ。この作戦はお勧めだとか、そんなことは言えないぞ。判断するのはトリューニヒト先生。支持するもしないもあの人次第。それでいいか?」

「いいとも」

 

 アンドリューはにっこり笑った。かつては爽やかだった笑顔が今ははかなげに感じる。

 

「生臭い話はここまでにしようか!」

 

 俺たちは雑談を再開した。共通の知人、時事問題、テレビドラマ、漫画、小説、ベースボールなど話題は尽きない。

 

「今日はたくさん食った」

 

 アンドリューが満足そうな顔で笑う。

 

「うまかったろ? プライベートでも食べに行くといいぞ」

 

 俺は笑い返す。

 

「戦争が終わったらそうする」

「終わらなくたって飯は食えるさ」

「エリヤは特別だ。料理を列で注文する奴なんて他にいるかよ」

「列で注文?」

「ケーキを『一番上から五番目まで』みたいに注文してたじゃねえか」

「そんなの普通だ」

 

 心外だといった顔で俺は答える。

 

「エリヤ以上の大食いなんているものか」

「普通だっつうの。トリューニヒト議長やイレーシュ中佐は俺と同じくらい食うぞ。妹はもっと食う」

「嘘だ」

「本当さ。アンドリューも一緒にトリューニヒト議長に会わないか? そうしたら、世の中の常識がわかる」

 

 ほんの思いつきだったが、いいアイディアのように思えてきた。トリューニヒト議長と会えば、アンドリューも考えを改めるかもしれない。そんな気がしたからだ。

 

「トリューニヒト議長か」

「俺に任せるより、直接会って説得した方が捗るってもんだ」

「うーん」

 

 アンドリューは腕を組んで考えこむ。

 

「悪い、やめとくわ」

「せっかくのチャンスなのにか?」

「俺の方が説得されてしまうかもしれない」

「君の頭なら大丈夫さ」

 

 懸命に俺は説いた。

 

「いや、だめだろう。トリューニヒト先生が俺と会うとしたら、たぶん一対一で話そうとするはずだ」

「出会いを大切にするのがあの人の流儀だからな」

「オッタヴィアーニ先生から聞いた話を思い出した。『トリューニヒトとは一対一で会うな。間違いなく取り込まれるぞ』ってな」

 

 アンドリューが口にしたのは、トリューニヒト議長の政敵にしてロボス派の後援者である大物保守政治家の名前だった。

 

「それは残念だ」

 

 心の底から残念そうに俺は言った。そして、テイクアウトのケーキを口に放り込み、甘みで落胆を打ち消す。

 

「ありがとう。今日はとても楽しかった」

 

 店を出た後、俺は両手でアンドリューの右手を握りしめた。ガサガサして骨っぽい手触り。昔との違いに驚いたが、それでもここにいてくれただけで嬉しい。

 

「俺もだよ」

「会えて本当に良かった」

「それにしても、お互い偉くなりすぎたな。おおっぴらに会うこともできやしない」

「六年前も今も同じ。友達は友達さ」

「エリヤらしいな。そうありたいもんだ」

「俺と君ならきっとできる」

 

 俺はきっぱりと断言した。現実的に難しいのは分かっている。分かっていても不可能ではないと信じたい。信じたいから断言した。


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