銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第41話:赤毛の驍将 796年4月6日~7月初旬 タジュラ星系~ネファジット星系~アドワ六=三~惑星エル・ファシル

 四月六日、エル・ファシル方面軍司令官ディエゴ・パストーレ中将率いる司令官直轄部隊は、タジュラ星系第一〇惑星宙域において、大手海賊組織「ドラキュラ」の別働隊と対峙した。

 

 同盟軍の戦力は一三三一隻。内訳は巡航艦が一八一隻、駆逐艦が四七三隻、砲艦が一〇六隻、ミサイル戦闘艇が四三二隻、支援艦艇が一三九隻。ミサイル戦闘艇はミサイル艦とは違う艦種で、駆逐艦よりも小さくワープ能力もなく、地方警備部隊にのみ配属される。駆逐艦と同程度の艦体に長距離ビーム砲を搭載した砲艦は、散開陣形全盛時代の遺物だ。

 

 ドラキュラ側の戦力は四〇〇隻から四五〇隻。その過半数がミサイル戦闘艇、残りは駆逐艦と砲艦が半々といったところだ。巡航艦も数隻ほどいる。武装高速艇の姿は見られない。純粋な戦闘編成といえよう。

 

 数の上では同盟軍が圧倒的に優位だった。同盟軍の方が旧式艦が多いが、すべての艦に近代化改修が施されており、性能で負けることは無いだろう。不利を悟ったのか、ドラキュラは早くも逃げる用意をしている。

 

「奴らを逃がすな!」

 

 パストーレ司令官は全軍を二つに分けた。正面の第三〇四独立任務部隊七九四隻と第八一二独立任務戦隊二〇四隻は、両翼を伸ばして敵を押し包もうとする。第八一一独立任務戦隊一九二隻は背後へと回りこむ。

 

 生まれて初めての艦隊指揮。配下の戦力は巡航艦三二隻、駆逐艦八四隻、砲艦一三隻、ミサイル戦闘艇六五隻、合計一九四隻。参謀を務めた第一一艦隊や第一三任務艦隊とは比較にならない小部隊だが、それでも相当な人数だ。緊張で腹が痛む。

 

「心配しすぎではありませんか?」

 

 戦隊首席幕僚と作戦主任幕僚を兼ねるスラット中佐がそんなことを言った。

 

「初めての戦いだからね。いくら心配しても足りないくらいだ」

「相手は小勢、しかも完全に浮き足立っています。我が方の勝利は間違いありません」

「万が一ということもあるよ」

 

 俺は務めて穏やかな表情を作る。「あんたが頼りないからだ」とは言わない。

 

「何かあっても我が方は敵の二倍。どうにかなりますよ」

 

 スラット作戦主任は自分の仕事を忘れたかのような言葉を吐く。決して無能ではないし、手を抜くわけでもないのだが、緊張感を持続できない人だ。

 

「作戦主任のおっしゃる通りです。心配することなどどこにあるのでしょう?」

 

 情報主任幕僚のメイヤー少佐が作戦主任に同調した。本来なら一番心配すべき立場の人物が率先してこんなことを言う。意識が低いとしか言いようがない。

 

 後方主任幕僚のノーマン少佐は意識が高いが、やる気過剰、能力過少といった感じで空回りしがちだ。人事主任幕僚のオズデミル大尉、司令部付士官のマヘシュ中尉とコレット中尉は、真面目だが自主性に欠ける。

 

 なんとも微妙な幕僚ばかりだ。代将は准将と同じポストに就く資格があるが、書類上は「先任の大佐」に過ぎず、幕僚を選任する権利は無い。イゼルローン遠征軍総司令部や第一一艦隊司令部にいたようなエリート幕僚を一人でも雇えたら、苦労の半分、いや八割は無くなるのに。

 

「フィリップス司令はお若い。だから、いろいろと心配になるのでしょう。しかし、私の長い経験から言いますと、敵の二倍の戦力があれば眠っていても勝てるものです。しょせんは海賊ですからな」

 

 スラット作戦主任の言葉はさらに心配事を増やした。

 

「そうかもね。ありがとう」

 

 心にもない感謝の言葉を述べた。マフィンを立て続けに口に放り込み、甘味でやりきれなさを紛らわす。

 

 配下の部隊長も幕僚と負けず劣らず頼りない。オルソン副司令はベテランだが自主性に乏しい。第一任務群のアントネスク司令は勇敢だがいい加減。第二任務群のタンムサーレ司令は緻密だが細かすぎる。信頼できるのは第三任務群のビューフォート司令代行ぐらいのものだ。

 

 これまでの俺は部下を頼りにしてきた。しかし、ここでは部下が俺を頼るのだ。せっせと糖分を補給しながら指揮を取る。

 

 逃げようとする敵、逃がすまいとする味方主力部隊が主戦場でせめぎ合う。その横を第八一一独立任務戦隊が素早くすり抜け、敵の後方に出た。

 

「背後を取ったぞ! 全艦突撃!」

 

 俺はマイクを持って叫ぶ。戦隊旗艦グランド・カナルを先頭に全艦が一丸となり、浮足立った敵目掛けて突き進む。

 

 勝敗はあっけなく決した。海賊船の三分の一が破壊され、三分の一が捕獲され、三分の一が辛うじて逃げ延びた。同盟軍の損害は一五隻に過ぎない。文句のつけようのない圧勝であった。

 

「勝ったぞ!」

 

 歓声と拍手が嵐となって吹き荒れる。喜びの感情が弾け飛ぶ。幕僚たちが次々と俺のもとに駆け寄ってきた。

 

「……! ……!」

「…………!」

 

 部下の言葉が右から左へとすり抜けていく。俺の頭の中は、あまりにも簡単に勝ってしまったことへの驚きに埋め尽くされた。

 

 正気に返ってからもまったく喜べなかった。さすがにこれはビギナーズラックだろう。今度は苦戦するに違いない。勝利というのはもっと難しいものに決まってる。負け犬根性の染み付いた俺はそう思った。

 

 初勝利から四日後の四月一〇日。第八一一独立任務戦隊は、エル・ファシル軍所属の第三〇二独立任務部隊の指揮下に入り、大手海賊組織「黒色戦隊」と戦った。

 

 味方は一〇九四隻。敵は五〇〇隻から六〇〇隻。数の上では味方が有利だが、敵は小惑星帯に立てこもっている。

 

「恐れることはない! 全艦突撃!」

 

 俺はマイクを持って叫んだ。戦隊旗艦グランド・カナルを先頭に全艦が一丸となり、小惑星帯へと突き進む。第八一一独立任務戦隊の後に第三〇二独立任務部隊が続く。

 

 どうやら敵はいきなり突入してくると思ってなかったらしい。みっともないほどに混乱し、先を争うように逃げ出した。だが、ほとんどが破壊もしくは捕獲される羽目となった。

 

 みんなが喜びに沸く中、俺は一人呆然と立ち尽くす。こんなにあっさり勝ったのが信じられなかったからだ。

 

 一度や二度なら偶然かもしれない。だが、第八一一独立任務戦隊は三度目も勝ち、四度目も五度目も勝った。先鋒となって真っ先に突っ込んでも、予備戦力となって最後に突っ込んでも、別働隊となって側背から突っ込んでも勝った。

 

 戦場は宇宙のみではない。海賊の主力兵器である小型艇にはワープ能力が無く、航続距離が短いため、地上からの兵站支援が不可欠だ。無人惑星や小惑星などに隠れた兵站拠点を探り当て、陸戦隊や地上軍を送り込んで制圧した。

 

 司令官直轄部隊は一種の便利屋だ。パストーレ司令官の指揮で戦うこともあれば、必要に応じてエル・ファシル軍やパランティア軍に派遣されることもある。地上攻撃にも投入された。

 

 四月一四日、第八一一独立任務戦隊は、アドワ星系第六惑星第三衛星、すなわちアドワ六=三攻略作戦に加わった。この衛星にあるドラキュラの重要拠点には、一〇〇隻ほどの艦艇と三万人の構成員が潜んでいると見られる。

 

 第八一一独立任務戦隊一八六隻、第八一三独立任務戦隊一八九隻が第六惑星宙域に入ると、一〇〇隻前後の海賊船が慌てて迎撃に出てきた。

 

「敵の艦列は乱れているぞ! 突撃だ! ひたすら突撃だ! とにかく突撃だ! 何が何でも突撃だ!」

 

 俺はマイクを持って叫んだ。戦隊旗艦グランド・カナルを先頭に全艦が一丸となり、小惑星帯へと突き進む。

 

 ほんの数分もしないうちに敵は総崩れとなった。六=三の衛星軌道上には、一〇〇隻から一二〇隻ほどの軌道戦闘艇、六〇隻から七〇隻ほどの宙陸両用戦闘艇が展開していたが、これも難なく打ち破る。

 

 宇宙空間から敵がいなくなったところで上陸作戦が始まる。宇宙部隊五個戦隊がアドワ六=三の周囲を封鎖。陸戦隊のシャトルが衛星軌道上から降下し、宙陸両用部隊一個戦隊がその援護にあたる。陸戦隊が橋頭堡を築いたところで、地上軍を乗せたシャトルが降下した。

 

 四個陸戦旅団と五個空挺旅団が地上から、二個陸戦航空群と一個戦闘航空旅団が空から進軍し、敵の主力を引きつけた。

 

 敵の戦力が前面に集まったところで、一個戦闘航空旅団が手薄となった背後に着陸。ヘリから降りた別働隊がまっしぐらに拠点を目指す。その先頭に立つのは第六〇二五陸戦連隊、そして地上軍最強の第八強襲空挺連隊だ。

 

 横にいるのは地上軍最高の勇者アマラ・ムルティ大尉、そして第八強襲空挺連隊最強の「常勝中隊」だ。足を引っ張ってしまうんじゃないか? そんな不安をぐっと飲み込む。

 

「敵は怯んでいるぞ! 総員突撃!」

 

 俺はマイクを持って叫んだ。指揮官を先頭に陸戦隊員と空挺隊員が一丸となり、拠点を目指して突き進む。

 

 あっという間に拠点を攻略した。海賊のうち三〇〇〇人が戦死し、二万四〇〇〇人が捕虜となった。逃れた者もいずれ捕まるだろう。同盟軍の大勝利であった。

 

 俺がパストーレ司令官から与えられた使命はただ一つ。全軍の先頭に立って戦う勇気を見せることだ。突撃するだけなら用兵下手でも問題ない。宇宙では旗艦に乗って突撃し、地上では陸戦隊員とともに戦斧を持って突撃し、戦うたびに勝った。

 

 エル・ファシル方面軍の従軍ジャーナリストは、俺が突撃する様子を克明に報じ、美辞麗句たっぷりの文章を付け加えた。

 

「赤毛の驍将エリヤ・フィリップス!」

 

 どこかで聞いたような異名が新たに付け加わった。

 

「アンドラーシュ提督の再来!」

 

 同盟軍史上最高の猛将アンドラーシュ提督になぞらえられたこともある。ダゴン星域会戦において、アンドラーシュ提督が「第一命令、突進せよ! 第二命令、突進せよ! 第三命令、ただ突進せよ!」と命令した故事と似ているのだそうだ。

 

 俺の戦いぶりを「匹夫の勇」と言う人もいるらしい。匹夫とは小物という意味だ。赤毛の驍将やアンドラーシュ提督の再来なんかより、ずっとふさわしいように思える。しかし、こんな声は少数派だった。

 

 いつの間にか同盟軍屈指の勇者と呼ばれるようになった。褒められる喜びよりも期待のハードルが上がることへの不安が先立つ。どれほど武名をあげても、本質的な器の小ささは変わらない。

 

 

 

 作戦行動が始まって二か月。エル・ファシル方面軍は連勝を重ねた。エル・ファシル星系警備管区にある八つの無人星系のうち、三星系が完全に平定された。破壊・捕獲された海賊船は二一〇〇隻、制圧された地上拠点は五六か所、殺害された構成員は二万七〇〇〇人、逮捕された構成員は九万一〇〇〇人にのぼる。

 

 エル・ファシル五大海賊も大打撃を受けた。ドラキュラの副首領ガブリエラ・ダ・シルバが司法取引に応じて投降。黒色戦隊の本拠地であるディレダワ星系第四惑星第七衛星が陥落。ワシントン・ブラザーズは降伏派と抗戦派の間で分裂状態に陥った。ガミ・ガミイ自由艦隊とヴィリー・ヒルパート・グループも疲弊している。

 

 パストーレ司令官の戦略を「物量任せの力押し」と冷ややかに見る声もあった。しかし、物量を正しく運用するのも手腕のうちだ。大軍を必要な時に必要な場所へ動かす。遊兵を作らない。予備を適切に投入する。こういったことがどれほど難しいかは、軍人でなければ分からないだろう。

 

 宣伝もこの巨大な戦果に寄与した。トリューニヒト国防委員長はマスコミを使って、エル・ファシル方面軍を応援する世論を作るとともに、海賊対策予算の名目でエル・ファシルに多額の公共投資を行い、地域住民の心を掴んだ。

 

 地域住民は先を争うように海賊情報を提供し、自治体や警察なども率先して協力を申し出た。反トリューニヒト感情の強い星系政府も世論に押されてしぶしぶ協力している。

 

 また、同盟警察本部組織犯罪対策部は、エル・ファシル海賊に資金や物資を提供した者の摘発、マネーロンダリングに用いられていた口座の凍結などを進め、海賊の財政基盤を叩いた。

 

「視聴者の皆さん! 御覧ください! 悪逆非道な海賊に正義の鉄槌が下ったのです!」

 

 NNNニュースキャスターのウィリアム・オーデッツが、ミサイルを浴びて爆発した海賊船の映像を指さし、歓喜の叫びをあげる。

 

 マスコミは先を争うようにエル・ファシル方面軍の戦果を報じた。撃沈される海賊船、逮捕された海賊組織構成員、海賊の拠点に突入する兵士の映像などが、視聴者の溜飲を大いに下げた。

 

 この快進撃は数多くの英雄を産んだ。その最たるものがパストーレ司令官であろう。銀河連邦史上最高の名将クリストファー・ウッド提督になぞらえられる。

 

 パストーレ司令官に次ぐのが、冷徹無比の「レクイエム(葬送曲)・ジャスパー」こと第八一二独立任務戦隊司令スカーレット・ジャスパー宇宙軍代将、そして亡命軍人の義勇部隊「第二エル・ファシル自由師団」を率いるレオポルド・シューマッハ義勇軍准将である。ジャスパー代将は「マーチ(行進曲)・ジャスパー」ことフレデリック・ジャスパー元帥の孫娘。シューマッハ准将は、四年前のエル・ファシル攻防戦の際に投降し、同盟国籍を獲得した元帝国軍士官だ。

 

 その他の英雄としては、、多くの海賊船を撃沈した「パイレーツ・クラッシャー」ドミトリー・マレニッチ宇宙軍大佐、海賊に包囲された仲間を救ったタニヤ・ラスール地上軍少佐、豪勇無双の海賊グレアム・モンクを一騎打ちで倒したファム・タイン宇宙軍大尉、海賊に捕らえられたが自力で脱出したイボンヌ・シャピュイ地上軍軍曹らがいる。

 

 かつての英雄の中では、単独でタジュラ星系の海賊拠点を制圧した「フョードル兄貴」フョードル・パトリチェフ宇宙軍大佐、常勝中隊を率いる「死の女神」アマラ・ムルティ地上軍大尉、一発のパンチで数十人の海賊を降伏させた「黒い暴風」ルイ・マシュンゴ地上軍准尉の活躍が著しい。

 

「一番の英雄は赤毛の驍将ですけどねー」

 

 恥ずかしい名前で俺を呼ぶのはルチエ・ハッセル軍曹だ。

 

「勘弁してくれないか」

「照れたらだめですよー」

 

 八つも階級が上の俺に対しても彼女は遠慮しない。一等兵時代を知ってるからだろう。

 

「ところで頭痛は良くなったか?」

「いえ、まだです」

「あの薬を飲んだらどんな頭痛も一発で吹っ飛ぶのにな」

「体質ですよ、きっと」

「そうか、体質ならしょうがない」

 

 それから雑談を交わし、ハッセル軍曹にクッキーをあげた。彼女には物をあげたくなる雰囲気がある。これで変に俺を持ち上げなければ理想的なのにと思う。

 

 俺の思いはともかくとして、「赤毛の驍将エリヤ・フィリップス」の虚名が高まっているのは事実だ。戦うたび、いや突っ込むたびに勝った。最近は第八一一独立任務戦隊が出てきたと聞くだけで、逃げ腰になる海賊も少なくない。

 

 自分だけが勇名を独占するのは気が引ける。俺一人で突っ込んで勝つわけじゃない。一緒に先陣を切るのはビューフォート中佐率いる第三任務群の役割だ。旗艦を操るのは艦長のフェーガン少佐だ。彼らが強いから突撃も成功する。手堅く隊務を処理してくれる副司令オルソン大佐、アントネスク大佐率いる第一任務群の豪快さ、タンムサーレ大佐率いる第二任務群の整然ぶりにも注目して欲しい。

 

 しかし、インタビューで部下の名前を口にしても、「さすがはフィリップス司令」と俺だけが褒められる。部下の名は一向に広まらないのが残念だ。

 

 勝ったからといって何もかもが思い通りになるわけでもない。エル・ファシル方面軍全体に驕りが生じつつあることからもそれが伺えよう。住民に対して威張り散らす者、住民の注意を無視して立ち小便・ゴミのポイ捨てなどを繰り返す者などが多数報告された。報奨金を手にした者が酒や賭博にのめり込み、身を持ち崩すケースも後を絶たない。

 

 聞き捨てならない噂も流れた。降伏した海賊船を乗員もろとも吹き飛ばしたり、捕虜を勝手に殺したり、海賊の拠点から押収した金品を着服するなどの戦争犯罪が起きているというのだ。引き締めを考えるべき時期に来ている。

 

 部下については不安しか感じない。士官食堂で幕僚と一緒に食事をしていると、ノーマン後方主任が懐から新聞を取り出した。

 

「ご覧ください。フィリップス司令の准将昇進が確実だそうですよ」

「それ、タブロイド紙じゃないか。あてにならないよ」

「しかし、これほどの武勲です。ハイネセンに戻ったら准将は間違いなしと思いますが」

「まだ作戦は終わってないんだ。これから負ける可能性だってある。戦死するかもしれない。浮ついたことは言わないでほしいな」

 

 俺は微笑みを保ちつつ釘を刺す。だが、ノーマン後方主任は俺の言いたいことを理解できないらしく、俺を持ち上げる記事を次から次へと出してくる。

 

 媚びているわけではない。俺を褒めているようでいて、実際は「名将フィリップスに仕える自分は凄い」とアピールしたいのだ。無邪気なだけで悪人では無いのだが、どうにもやりにくい。

 

 ノーマン後方主任から「意識が低い」と嫌われるスラット作戦主任とメイヤー情報主任は、戦いが終わった後の昇進や賞与について話していた。今のうちから皮算用なんて気が早いにもほどがある。しかし、軍人らしい義務感を彼らに期待するよりは、即物的な欲望を励みにした方が良さそうな気もする。こちらには釘を刺さなくてもいいだろう。

 

 オズデミル人事主任とマヘシュ中尉は今の仕事でも手一杯で、先については考えられないようだった。それはそれで少し寂しい。

 

 妹を彷彿とさせる高身長と肥満体を持つコレット中尉は、無表情で口数が極端に少ないため、何を考えているのかわからない。まあ、前向きなことを考えてないのは想像がつく。

 

 改革を成し遂げ、勝利を重ねても、部下の意識を高めるには至らない。第二九六空挺連隊長クリスチアン地上軍中佐に稽古を付けてもらった時も愚痴がこぼれた。

 

「なかなかうまくいかないものです。おかげで……」

「マフィンを食べる量が倍になったというのであろう」

 

 クリスチアン中佐が面白くもなさそうに言う。

 

「どうしてわかったんですか?」

「貴官と知り合って八年目だぞ。分からん方がおかしい」

「失礼しました」

「それほど心配はいらんと思うがな。勝ちすぎて規律が緩むなんてのは、指揮官が浮ついた場合に限られる。今の気持ちのままなら大丈夫だ」

「恐れいります」

「射撃とナイフの腕も上がってきた。このまま油断なく鍛えるのだな。そうすれば、テロリストごときに遅れを取ることもなかろう」

「いつもお付き合いいただきありがとうございます」

 

 深く頭を下げる。テロリストに殺害予告を受けてからの俺は、クリスチアン中佐にナイフと射撃の稽古を付けてもらってる。護衛だけに任せきりにはできない。最後に頼れるのは自分自身だ。

 

「最近のテロリストは強いからな。空挺あがりや陸戦隊あがりがいくらでもいる。そもそも……」

 

 ここからクリスチアン中佐の独演会になった。内容はいつもの進歩党批判。彼らが軍縮をやったせいで空挺隊員や陸戦隊員が失業し、テロ組織へと流れ込んだのだそうだ。

 

 この話の真偽はわからないが、似たような話はある。大勢の失業軍人がエル・ファシル海賊に参加しているのだ。元艦長や元司令など佐官クラスも少なくない。大手組織では参謀経験者が作戦立案にあたっている。ガミ・ガミイ自由艦隊のレミ・シュライネンに至っては、第二艦隊副司令官まで務めた大物だ。専門家によると、エル・ファシル海賊の人材水準は正規艦隊より低く、地方警備部隊の上位と中位の間らしい。

 

 正規軍並みなのは人材だけではない。エル・ファシル海賊は、戦艦や巡航艦など海賊活動には必要ない兵器まで持っている。帝国の対外諜報機関「帝国防衛委員会」、軍事情報機関「軍務省情報総局」からの資金援助のおかげだ。

 

 当分は帝国は攻めてこないとみられる。第四次ティアマト会戦の結果、帝国が軍事的に優位になったため、フェザーン自治領は国債購入額を減らし、帝国が出兵予算を組めないように仕向けた。流す資金の量を調整することで、帝国と同盟のパワーバランスを均衡させる。これがフェザーンの勢力均衡策の肝なのだ。

 

 軍隊を動かせない以上は謀略に頼ろう。帝国政府はそう考えたようだ。エル・ファシル海賊討伐は、海賊との戦いであり、帝国との代理戦争でもあった。

 

 

 

 七月になっても、エル・ファシル方面軍の快進撃が続いた。一か月で三つの星系が完全に平定され、海賊の支配下にはトズール星系とゲベル・バルカル星系のみが残った。

 

 五大組織のうち、黒色戦隊とドラキュラが活動不能状態に陥り、ワシントン・ブラザーズは降伏派の投降が相次いだ。戦略家と名高いシュライネンが率いるガミ・ガミイ自由艦隊、ゲリラ戦術に長けたヴィリー・ヒルパート・グループは、未だに主力を保っているものの、拠点のほとんどを失った。

 

 他宙域に移ろうとした海賊もいたが、その多くが第一三任務艦隊、パランティア星域軍、アスターテ星域軍などに捕捉されて壊滅した。

 

 逮捕された海賊の供述から、これまで取り沙汰されてきたエル・ファシル海賊と帝国の繋がりが明らかになってきた。また、メルカルトやパラトプールなど反中央的な星系政府との繋がり、各地の分離主義者との繋がり、同盟軍からの武器流出ルートなどに関する供述も出た。想像以上に深い闇が広がっているようだ。

 

 俺と第八一一独立任務戦隊は相変わらず突撃専門だった。最近は前衛を担うことが多い。そうすれば敵があからさまに逃げ腰になるからだという。逃げられたくない場合は後衛に控える。

 

「どうしてこんなに恐れられるようになったんですかね?」

 

 イレーシュ中佐と通信した時にぼやいた。

 

「実際に強いかどうかより、強いと思われているかどうかの方が大事なこともあるからね」

「本当は弱かったら意味ないでしょう」

「凄い奴が味方にいるだけで盛り上がるじゃん。エリヤくんは名前だけは売れてるから」

「そんなもんですか」

 

 いまいちピンとこない。しかし、海賊討伐作戦が始まってからというもの、俺が先頭に立つことで味方が盛り上がり、敵が震え上がるようになったのは事実だ。虚名の勇者でもそれはそれで役立ってるのだろう。もっと前向きに虚名を利用してもいいかもしれない。

 

 その翌日、俺の決意は早くも揺らいだ。ネットで「エリヤ・フィリップス、アマラ・ムルティ、ワルター・フォン・シェーンコップ――同盟軍最高の勇者は誰か」なんてトピックを目にして、椅子から転げ落ちてしまった。

 

 詳細は省くが、このトピックでは、「戦士としてはフィリップスかシェーンコップのどちらか」「指揮官としてはフィリップスかムルティのどちらか」という結論が出ていた。

 

 とんでもないことだ。俺は戦斧もナイフも徒手格闘もすべて一級。特級どころか準特級ですらない。準特級だった射撃も練習不足のせいで一級に落ちた。薔薇の騎士連隊の一般隊員にすら勝てないだろう。指揮能力については考えるのも馬鹿らしい。

 

 薔薇の騎士連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ大佐といえば、二年前のイゼルローン攻防戦において裏切り者のリューネブルク元連隊長を一騎打ちで倒した宇宙軍陸戦隊の勇士であり、前の世界では最強の陸戦指揮官として全宇宙に名を轟かせた英雄だ。

 

 常勝中隊長アマラ・ムルティ大尉は前の世界では名前が残っていないが、今の世界では武勇と美貌で知られる地上軍のスターで、地上軍最強中隊「常勝中隊」の隊長である。

 

 二人とも俺とは比較にならないほどの戦士であり指揮官なのだ。どうして比較対象になるのか理解に苦しむ。

 

「俺はフィリップスと養成所の同期だけどさ。あいつが名指揮官なんてありえねえ。シミュレーションめちゃくちゃ弱かったんだぞ」

「あれはただの突撃馬鹿だろうが」

「ヴァンフリートでフィリップスの部隊があっさり全滅したのを忘れちゃいかん」

「赤毛の驍将なんてかっこいいもんじゃねえよ。赤猪で十分だ」

 

 こういう正論もちらほら見られたが、「いい加減なことを言うな」と一蹴された。いい加減なのはどっちなのかと言いたい。

 

「いとこの友達の友達から聞いたんだけど、ムルティは指揮がまったくできないらしいよ。ベテランの副隊長が代わりに指揮してるんだって。だからフィリップスくんの方がずっと上」

 

 こんな書き込みもあった。これが事実ならムルティ大尉に親近感を覚えるが、残念ながら間違いだ。俺はムルティ大尉とともに何度も突っ込んだから分かる。

 

 部下から聞いたところによると、打ち合わせでは喋るのは副隊長だけで、通信に出るのも副隊長だけらしいが、大物は口数が少ないだから当然だろう。一度だけ副隊長と交信したことがあるが、声の感じが恐ろしく若かった。二三歳のムルティ大尉より若いんじゃないかと思う。このようにネットの情報はいい加減なのだ。

 

 ちなみに身近な人にこのトピックを見てもらい、タイトルと同じ質問をしたところ、ダーシャとイレーシュ中佐からは「戦士としても指揮官としてもシェーンコップ」、クリスチアン中佐とアンドリューからは「戦士としてはシェーンコップとムルティのどちらか、指揮官としてはシェーンコップ」、ドーソン中将からは「くだらんことを聞くな」という答えが返ってきた。みんな良く分かっている。

 

 このようにエル・ファシル方面軍は大成功を収めた。今は海賊よりも規律の緩みが恐ろしい。住民とのトラブル、軍規違反の件数は増加する一方だ。隊員の犯罪行為も急増した。

 

 不正やスキャンダルなどもいくつか明るみになった。その中で最も大きなものが「パイレーツ・クラッシャー」ドミトリー・マレニッチ大佐に関わる事件だ。

 

 飛び抜けて多くの海賊船を撃沈したマレニッチ大佐だが、その多くが降伏もしくは捕獲した船であったことが判明した。無抵抗の相手を一方的に撃沈してスコアを稼いでいたのだ。しかも、「人質にした貨物船員を解放するから助命してほしい」と申し出た海賊船を、人質もろとも撃沈したこともある。民間人殺害の罪まで犯したのだ。

 

 世論は「非人道的」という批判と「よくやった」という賞賛に分かれた。凶悪犯罪者を問答無用で殺してしまっても構わないと考える人は、いつの時代にもそれなりにいる。今のような時代ならなおさらだ。

 

 パランティア軍司令官サンドル・アラルコン少将は、以前から民間人や捕虜を殺害した疑いを何度もかけられた人物だったが、今回も捕虜殺害への関与が疑われた。

 

 法治国家にあるまじきことではあるが、捕らえられた海賊が官憲に殺される事件は、日常茶飯事と言っていいほどに起きている。アラルコン少将が以前に関わったとされる三件の捕虜殺害事件のうち、二件は海賊絡みだ。

 

 海賊を殺す側の動機は、義憤に駆られて殺すケース、怨恨から殺すケース、情報漏洩など不正を隠すために殺すケース、裁判するのが面倒だから殺すケースなど多種多様だ。そのほとんどは「移送中に病死」「逃亡を図ったためにやむを得ず射殺」などと言われて闇に葬られ、発覚してもさまざまな事情で告訴が見送られる。実際に裁かれるのは二〇件に一件程度に過ぎない。

 

 物語の世界では人気者の海賊だが、現実世界ではテロリストや麻薬密売人と同レベルの凶悪犯罪者として忌み嫌われる。問答無用で殺してしまっても、非難するのはリベラル派と反戦派ぐらいのものだ。義務教育の教科書では、降伏した海賊を殺したルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの行為は、「残虐非道」と批判されているが、当時は拍手喝采を浴びた。今の同盟で同じことをやったとしたら、市民の半数は支持するんじゃないかと思う。

 

 降伏しても殺されるんじゃないかと思えば、誰だって死ぬまで戦おうとするだろう。マレニッチ大佐やアラルコン少将の事件以降、投降してくる海賊が減った。厳罰主義がかえって海賊根絶を妨げる結果を生んだ。

 

 マレニッチ大佐は群司令の職を解かれて拘束されたが、軍法会議が開かれる見通しは立っていない。アラルコン少将に至っては、司令官職を解任されただけで拘束すらされなかった。

 

 規律の緩みはエル・ファシル社会にも起きていた。トリューニヒト委員長とエル・ファシル方面軍がばらまいた大金が、その発端となった。

 

 トリューニヒト委員長は、自治体への交付金、基地工事費、軍需品調達費、民生支援費などの名目で、莫大な金をエル・ファシルにばら撒いた。海賊討伐にやってきた軍人数十万人の消費支出も地域経済を潤した。消費の増大が雇用を生み、雇用が消費を生み、エル・ファシルに好景気がやってきた。人々はこの好景気を「海賊特需」、あるいは「トリューニヒト特需」と呼んだ。

 

 しかしながら、強い薬には副作用が付き物である。トリューニヒト特需は、貧困や失業という病気には効き目があったが、別の病気を引き起こした。

 

 エル・ファシル反改革派とその背後にいるトリューニヒト派(NPC右派)は、露骨な利益誘導を行い、巨額の裏金を懐に入れた。テレビや電子新聞では毎日のように汚職疑惑が報じられる。エル・ファシルはほんの数か月で腐敗の温床と化した。

 

 上が腐れば下もそれにならう。貧困に起因する犯罪が減った代わりに、金の匂いにひかれた犯罪者が集まった。麻薬密売、違法賭博、売春、強盗、誘拐、詐欺など違法な金儲けが流行した。利権を巡る犯罪組織の抗争は激しくなる一方だ。

 

 クリーンだが貧しい惑星から、豊かだがダーティーな惑星に変貌したエル・ファシル。世論は四分五裂した。

 

「エル・ファシルは犯罪と汚職の巣窟になった」

「企業の利益が落ちた。労働力が公共事業に流れたからだ。トリューニヒト特需はエル・ファシルを貧しくした」

「国防委員会、いやトリューニヒト委員長個人による内政干渉だ」

 

 星系政府やハイネセン資本企業、フェザーン資本企業などの改革派は、トリューニヒト特需を激しく批判した。

 

「失業率は減った。星民所得は増えた。大成功ではないか」

「エル・ファシルに必要なのは、改革ではなく金だったことが証明された」

「故郷は生き返った」

「財政委員会が内政干渉したのだ。我々はエル・ファシルを取り戻したまでのこと」

 

 NPCエル・ファシル支部や地元企業などの反改革派は、トリューニヒト特需を擁護した。

 

「馬鹿馬鹿しい! エル・ファシルはエル・ファシル人のものだ! ハイネセンはこれ以上手を突っ込むな!」

 

 エル・ファシル民族主義者は、改革派とその背後にいる財政委員会、反改革派とその背後にいる国防委員会の双方に激しく反発する。

 

「エル・ファシルからを拝金主義を追放せよ!」

 

 軍国主義・反資本主義の統一正義党は、星系政府の経済自由化政策、トリューニヒト特需のいずれも腐敗を助長すると訴える。

 

 トリューニヒト派と近い極右民兵組織「憂国騎士団」は、トリューニヒト特需を批判する者、反改革派の犯罪を暴こうとする者を攻撃した。統一正義党傘下の極右民兵組織「正義の盾」は、「街頭浄化」と称して犯罪者に私刑を加え、「腐敗追放」と称して企業や政治家を攻撃した。エル・ファシル民族主義者は、ハイネセン資本・フェザーン資本・エル・ファシル方面軍に対する排撃運動を繰り広げる。

 

 今や街頭は政治暴力の舞台と化した。憂国騎士団、正義の盾、民族主義者が三つ巴で殴り合っている。改革派は警察力の削減、そして民間警備会社すなわち傭兵の活用を掲げてきたが、さらに多くの傭兵を雇って自衛を図った。

 

 どの勢力も主張が極端すぎていまいち信用できない。俺は地元住民のルチエ・ハッセル軍曹の意見を聞いてみた。

 

「景気は良くなったけど、住みにくくなったのがちょっと嫌です」

「住みにくい、か。わかる気もするな」

「難しいことはわからないけど、エル・ファシルのためになる政治がいいですねー」

「エル・ファシルのためになってないってことか」

 

 俺はふうと息を吐いた。快適に過ごすには、金、安全、健康、誇りといったものが必要だと、トリューニヒト委員長はそう言った。今のエル・ファシルは金があるが、安全とは言い難いし、誇れるような状態でもないだろう。トリューニヒト特需は豊かさとともに混乱を呼び込んだ。

 

「国防委員長にはビジョンが無いのよ。その場その場で受けることしか考えてない。政局には強くても政治はできない人だね」

 

 友達のダーシャ・ブレツェリ中佐が、トリューニヒト委員長を酷評した。

 

「それは言いすぎじゃないか? あの人はサービス精神が旺盛だ。ついやりすぎてしまうんだよ」

「いつも思うけど、エリヤは身近な人にはとことん甘いよね」

「それは認める」

「あの人のエル・ファシル政策で評価できるのって、兵站を充実させたこと、ヤン准将をお飾りにしたことぐらいね。その二つだけでも立派といえば立派だけど」

「兵站はともかく、ヤン提督の件は――」

 

 その後もスクリーン越しにああでもないこうでもないと言い合ったが、ダーシャを納得させられるようなことは言えなかった。

 

 成功すればするほどモラルが失われていく。トリューニヒト委員長はハイネセン主義に批判的だった。しかし、望みを叶えるだけでは何かが足りないように思えてくる。自制を求める役も必要ではなかろうか。レベロ財政委員長のように。

 

 いかにして緊張感に欠けがちな部下を引き締めるか。端末を開き、「じゃがいも」と題されたファイル、「クリスチアン中佐」と題されたファイル、「ルグランジュ少将」と題されたファイルなどを眺め、恩人達の指導法を参考にしながら思案した。


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