銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第34話:変わらないもの 795年5月中旬~21日 第一一艦隊司令部~第一一艦隊士官官舎

 第一一艦隊司令官クレメンス・ドーソン宇宙軍中将は、司令官室でふんぞり返っていた。その胸には、授与されたばかりのハイネセン記念特別勲功大章が燦然と輝く。

 

 勲章を日頃から着用している者はまずいない。普段から着用するには重すぎるからだ。それに壊れたり紛失したりしては困る。そこで普段は略綬と呼ばれるリボンを着用し、公式の場に出る時のみ勲章を着用する。それなのにドーソン司令官は略綬でなく勲章を着用している。理由は言うまでもない。見せびらかしたいのだ。

 

「フィリップス君」

「はい」

「戦場で武勲を立てることこそ軍人の本分だと、私は思うのだ」

「もっともです」

「やはり、軍人たる者、武功勲章の一つも持たねば一人前とはいえんな」

「おっしゃる通りです」

 

 内心でうんざりしつつも、笑顔を作って答える。これまでのドーソン司令官は、荒っぽい実戦派軍人を「武勲を鼻にかけるならず者」と嫌い、「軍人の本分は規律を守ること。武勲は二の次」と言ってきた。それが武勲を立てて勲章をもらった途端にこれだ。まったくもって現金としか言いようがない。

 

「しかし、また燃料税が上がるらしいな。レベロが財政委員長になってからは増税ばかりだ。財政再建のためとはいえ、迷惑な話だな」

 

 ドーソン司令官が三日前の新聞をわざとらしく広げた。勲章授与式の記事が俺の目に入るようになっている。褒めて欲しくてたまらないのに、恥ずかしくて自分からは言い出せないから、こうしているのだろう。こんな人だとわかっていても、頭が痛くなってくる。

 

「困りますね、本当に」

 

 俺が笑顔で流すと、ドーソン司令官はつまらなさそうに新聞を置いた。そして、同盟軍の礼服のパンフレットを手にする。

 

「貴官は礼服を新調したかね?」

「いえ、四年前に士官に任官した時から、ずっと同じ礼服を使っております」

「そうか、私は最近礼服を新調した。来年は末の子供が結婚するから、なるべく出費は避けたいのだがな。着る機会が多いと古いままというわけにもいかん。まったく困ったものだ」

 

 口では「困ったものだ」と言いながら、目は笑い、口ひげはうきうきとしている。士官の礼服はそうそう仕立て直すようなものでもない。ドーソン司令官は「勲章を授与されたから、礼服を新調した」と、遠回しにアピールしているのだ。

 

 これ以上知らん振りをしても、遠回しなアピールが延々と続くだけであろう。俺の方から折れるしかない。

 

「最近、勲章を授与されましたからね」

「うむ、そうなのだ!」

 

 ドーソン司令官の目が喜びで輝く。それからゼークト大将を討ち取った時の自慢話が始まった。ラインハルトに殺されかけたことは無かったことになってるらしい。

 

 これでも俺はドーソン司令官の弟子だ。勲章を授与された当日にお祝いを言った。祝賀会の幹事をやって、三次会の最後まで出席した。それで十分じゃないかと自分では思うのだが、彼は思っていないらしい。

 

 俺以外の人も勲章アピールに困り果てている。昨日は憲兵隊時代の同僚であるクォン・ミリ地上軍中佐から電話が入り、「毎日のようにドーソン提督からメールが来る。どうにかしてくれ」と泣き言を言われた。

 

 嬉しそうに勲章自慢する上官を微笑ましいと思わないこともない。だが、それ以上に鬱陶しかった。さすがに限度を越えている。

 

 俺やクォン中佐など根っからのドーソン派でもうんざりしてるのだ。反ドーソン派、特にビュコック中将やアッテンボロー中佐のような毒舌家の耳に入ったら、どれほど嘲笑されることか。想像したくもない。

 

 ほうほうの体で司令官室を退出した俺は、後方部のオフィスへと戻った。そして、後方副部長ウノ中佐ら四人の参謀と連れ立って士官食堂へと向かう。

 

 この食堂はすべての軍食堂の中で最もじゃがいもメニューが豊富と言われる。俺はじゃがいもランチDセットを注文した。後方副部長ウノ中佐はじゃがいもランチAセット、他の後方参謀三名のうち一名はじゃがいもランチCセット、他の二名はスタンダードランチを注文した。

 

 第三次ティアマト星域会戦が終わった後、第一一艦隊司令部におけるドーソン司令官の評価は、「仕事はできるが困った人」と「仕事はできるが嫌な奴」に二分された。艦隊旗艦ヴァントーズ艦長のカラスコ大佐を怒鳴りつけた件、ダンビエール参謀長らのアドバイスを無視した件などで、狭量さを発揮したことが尾を引いている。

 

 いろんな意味で微妙なドーソン司令官だったが、遠くから見れば、帝国の猛将ゼークト大将を討ち取った英雄だった。

 

「髭の知将ドーソン!」

「ティアマトの英雄!」

「ファン・チューリン元帥の再来!」

 

 歯の浮くような賛辞が飛び交った。マスコミにかかると、ドーソン司令官の狭量さは「信念が強い」、独善性は「並外れた責任感」、小心さは「知将らしい用心深さ」と言い換えられた。

 

「戦争の素人は戦略を語り、玄人は兵站を語ると言います。かつて、第一艦隊の後方参謀だったドーソン提督は軍艦のゴミ箱を調査し、数十キロものじゃがいもを見付けました。兵站を知り尽くすドーソン提督ならではの着眼点と言うべきでしょう」

 

 NNNニュースキャスターのウィリアム・オーデッツは、前の世界で嘲笑の対象だったエピソードを美談に仕立てあげた。

 

 どういうわけか俺の評価も上がった。司令官を励ましたのが、「幕僚が動揺する中、一人だけドーソン提督を信じ続けた」という話にすり替わり、司令官を献身的に支えたと讃えられた。

 

 俺は心底から困惑した。特別なことは何もしなかった。ドーソン司令官やチュン・ウー・チェン作戦部長に言われたとおりに走り回っただけだ。凄いのは彼らであって俺ではない。

 

「自分は何もしておりません。すべて司令官の采配の賜物です」

 

 インタビューを受けるたびにそう答えた。ドーソン司令官の名前の他に、チュン・ウー・チェン作戦部長、ウノ後方副部長などの名前をあげることもあったが、基本的には大して変わらない。さぞ退屈させただろうと申し訳なく思う。ところがインタビューの申し込みが次から次へと入ってくる。

 

 やがてドーソン司令官と一緒にテレビに呼ばれるようになった。彼は俺のことを「第一一艦隊で最も良い参謀です」と紹介した。これは「忠実で口答えしない」程度の意味なのだが、他の人がそんな真意を理解できるはずもない。俺は有能な参謀ということになってしまった。

 

「やあ、名参謀」

 

 ある日、ヨブ・トリューニヒト国防委員長が通信を入れてきた。

 

「勘弁してください。本当に知謀があると思われて困ってるんです」

「知謀があるかどうかはともかく、名参謀ではあると思うがね。負け戦で将官になった作戦屋よりはよほどいい参謀だろう。勝利に貢献したのだから」

 

 トリューニヒト委員長は笑顔で皮肉を言う。俺の背中に冷たい風が吹きこんだ。誰をあてこすってるのかは言われなくても分かる。

 

 国防研究所が発行する『月刊国防研究』の最新号は、軍縮特集とも言うべき内容だった。その中で特に注目されたのが、戦史研究部長ヤン・ウェンリー准将が執筆した『経済力と軍事費の均衡――地球統一政府の財政支出をめぐって』という論文である。

 

 恐ろしく長い論文なので詳細は省くが、地球統一政府を例にあげて、「軍備の増強は経済発展と反比例の関係にある。過大な軍備は国家の滅亡を招く」と述べる。月刊国防研究が同盟軍人及び民間の軍事研究者に与える影響は大きい。ヤン准将を起用したシトレ元帥の期待通り、軍拡論への歯止めになるだろう。

 

「同じエル・ファシルの英雄でも、君とあれでは天地の違いだな。あれは戦略が分かってない」

「そんなことはありません。ヤン准将は天才です」

 

 俺はすかさずフォローした。トリューニヒト委員長は器量のある人だ。ドーソン司令官やワイドボーン准将とは違う。きっと分かってくれるだろうと思った。

 

「あれが天才かね。天才肌が天才とは限らんよ」

 

 スクリーンの向こう側から冷気が放たれた。トリューニヒト委員長の微笑みが恐ろしく酷薄に見える。まるで別人のようだ。

 

 これはまずい。理性ではなく本能でそう察知した。

 

「失礼しました」

「軍拡の意義が分からん奴に戦略を語る資格なんてないと思うね」

「おっしゃる通りです」

「作戦なんて所詮は小細工だ。大事なのは戦略だよ」

「戦略の間違いは作戦で取り返せませんからね」

 

 俺は必死でトリューニヒト委員長に合わせた。一瞬前に垣間見えた悪意。その矛先がヤン准将から自分に転じるのは避けたい。

 

「君は良く分かっている。階級は功績ではなく能力に与えるものだ。近いうちに大佐に昇進するかもしれん。心の準備をしておきたまえ」

「かしこまりました」

 

 こうして心臓に悪い通信が終わった。ドーソン司令官が出した俺の昇進推薦が通ったという知らせも、後味の悪さを打ち消してはくれなかった。

 

 七年前のエル・ファシル脱出作戦で「軍人精神の持ち主」、三年前のエル・ファシル義勇旅団で「陸戦の勇者」、去年のヴァンフリートで「不屈の男」という虚名を手に入れた。それに「名将ドーソンが最も信頼する参謀」が加わり、二七歳での大佐昇進が内定した。こうして並べてみると、エリヤ・フィリップスという奴が知勇兼備の名将に見えてくる。何とも恐ろしいことだ。

 

 言うまでもないことではあるが、第三次ティアマト会戦の結果は、俺とドーソン司令官以外の運命も動かした。

 

 ドーソン司令官をゴリ押しし、ティアマト会戦を勝利に導いたヨブ・トリューニヒト国防委員長の評価が高まった。ムカルジ政権が上院選挙敗北の責任をとって総辞職した後も、「出兵期間中は国防委員長を交代させない」という慣例に従って留任し、出兵を指導したのが幸いした形だ。

 

 人気もうなぎのぼりだ。国防委員長に就任して以来、憲兵を使って高級軍人の不正を次々と暴き、市民の喝采を浴びた。三年ぶりの国防予算の増額、軍縮から軍拡への政策転換などは、主戦派を大いに喜ばせた。基盤の弱いボナール新政権にとって、トリューニヒト人気は喉から手が出るほど欲しい。こうして国防委員長留任が決まったのである。

 

 宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥は、元帥号を得てから初めて勝利した。弱兵とは言え大軍相手の戦いは苦しかったし、ラインハルトの逆撃もあってかなりの損害を受けた。それでも、一・六倍もの大軍を撃退した功績は大きい。内外に古豪健在を示した一戦だった。

 

 第三次ティアマト会戦に参戦した三個艦隊のうち、ウランフ中将の第九艦隊だけがラインハルトの被害を受けなかった。ルートヴィヒ皇太子の腹心ケンプ中将を捕らえた功績もある。ドーソン司令官と勝るとも劣らない活躍ぶりだ。

 

 もともとウランフ中将は人気者だ。勇猛な戦いぶり、立派な容姿、慈善活動に熱心など、市民に受ける要素をたっぷり持っている。今回の活躍によって人気は最高潮に達した。

 

「ウランフ提督こそ次期宇宙艦隊司令長官にふさわしいと思いますわ」

 

 コーネリア・ウィンザー第一国務副委員長のこの発言は、主戦派にも反戦派にも好意的に受け止められた。とはいえ、二年前に中将に昇進したばかりのウランフ中将が司令長官になるには早すぎる。一個艦隊しか指揮したことのない人物に司令長官を任せるのも心もとない。だが、「次の次の司令長官候補」としては最有力となった。

 

 最も戦果が少なく最も損害が大きかったのが第二艦隊だ。司令官パエッタ中将と副司令官ホーランド少将の不和が響いた。

 

 どちらにより大きな非があるかと言われれば、ホーランド少将だろうか。第二艦隊に対立の種を持ち込んだのは彼だ。戦いが始まってからは拙攻を繰り返し、功を焦って突出した挙句に逆撃された。同盟軍が敗北したら、最大の戦犯と言われたに違いない。

 

 出兵直前までホーランド少将を「アッシュビー提督の再来」と持ち上げてきたマスコミは、鮮やかに手の平を返し、「英雄気取りの愚将」と呼んで叩いた。

 

 ホーランド少将を第一一艦隊司令官に推し、第二艦隊副司令官のポストを与えたロボス元帥とシトレ元帥は、非難の的となった。対抗候補のドーソン中将が大功を立てたのも、彼らの失策を一層際立たせた。

 

 二大巨頭の面子を潰したホーランド少将は、近いうちに第二艦隊副司令官を解任され、閑職に回される見通しだ。

 

 敗者の側には悲惨な運命が待ち受けていた。帝国国営通信社は、大敗しても「敗北」とは言わずに、「戦略的撤退」「転進」と言い換える。だが、今回ははっきりと「敗北」と言った。

 

 この異例の表現の背景について、帝国問題専門家のカスパロフ教授は、「国営通信社長コールラウシュ伯爵は、国務尚書リヒテンラーデ侯爵の姪の夫にあたる人物。リヒテンラーデ侯爵ら官僚が皇太子を見捨てたというメッセージだろう」と推測する。

 

 オーディンに帰還すると同時に、ルートヴィヒ皇太子は病気を理由に宰相を解任され、療養生活に入った。宇宙軍及び地上軍の筆頭元帥の称号は現在も保持しているらしい。だが、敗戦責任者として逮捕されたハウサー大将が、五月三日の報道で「旧元帥府参謀長」の肩書きで紹介されたことから、ルートヴィヒ元帥府は閉鎖されたとの見方が有力だ。

 

 皇太子の廃嫡は秒読み段階に入った。真偽の程は不明だが、枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵、大審院長リッテンハイム侯爵、国務尚書リヒテンラーデ侯爵、財務尚書カストロプ公爵、軍務尚書・地上軍元帥エーレンベルク伯爵ら重臣が新無憂宮に入り、新しい皇位継承者について協議を始めたという報道もある。また、ルートヴィヒ皇太子がクロプシュトック侯爵ら旧クレメンツ皇太子派貴族と接触しているとの噂も流れた。

 

 第三次ティアマト会戦は同盟よりも帝国を大きく動かした。この先はどうなるのか? さっぱり想像がつかない。

 

 

 

 五月二〇日、俺はオリンピア市の宇宙艦隊総司令部まで出張した。第一一艦隊司令部のあるニューシカゴ市からオリンピア市の距離はおよそ八〇〇〇キロ。大気圏内航空機なら片道で四時間。日帰りで往復できるが、頻繁には行き来できない距離だ。

 

 所用を済ませた後、私服に着替えた俺はオリンピア中央駅から地下鉄に乗った。そして、終点のコルデリオ駅で降りる。

 

「おー、来たか」

 

 私服姿の宇宙艦隊作戦第一課長アンドリュー・フォーク大佐が改札前に立っていた。最後に会った時よりもさらに痩せたようだ。悪い病気にかかったように見える。顔色は青白く、肌には艶がなく、かつての明るい雰囲気は失われた。前の世界で読んだ『帝国領侵攻作戦――責任なき戦場』に掲載されたフォーク准将の写真そのままだ。

 

「アンドリュー、また痩せたか?」

「最近は測ってないからわからないな」

「去年は確か六四キロだったよな?」

「そうだったか。覚えてない」

「減ってないとしてもまずいぞ。俺より一キロ重いだけだ」

 

 彼の身長は俺と比べて一六・八三センチも高い。さすがにこれは痩せすぎだ。

 

「それで六三キロ? 骨が鉄でできてるのか?」

「ほとんど筋肉だ。体脂肪率は九パーセントだから」

「本当に参謀かよ。空挺隊員や陸戦隊員の数字だぞ、そりゃ」

 

 アンドリューが笑う。俺は肩をすくめた。

 

「とにかく健康に気を付けてくれよ」

「健康診断はちゃんと受けてるさ。問題無いと言われてる」

「オリヴァー・ローズがあてになるかよ」

 

 あえて苦々しい表情を作る。宇宙艦隊衛生部長のオリヴァー・ローズ軍医少将と言えば、頼まれれば瀕死の病人にも「完全に健康」と診断するヤブ医者ではないか。

 

「専門家が大丈夫って言ってるんだから、大丈夫だろ」

 

 死にかけたような顔で脳天気な答えを返すアンドリュー。騙されているわけではない。ローズ軍医少将は万人が認めるヤブ医者だが、仕事中毒者からは重宝されてきた。わかっていて乗っているのだ。

 

 俺とアンドリューは、駅から五〇〇メートルほど離れたところにあるレストラン「マルチナショナル・フォース コルデリオ駅前店」へと入った。七年前に広報チームの打ち上げを開いた店と同じチェーンだ。

 

 夕食時の店内は混雑していた。隅っこの席に着いた後、俺はローストポーク・パン・サラダ・スープのセット、ジャンバラヤ大盛り、アップルパイを注文した。アンドリューはクラムチャウダーとクロワッサンを注文する。

 

「もっと食えよ」

「エリヤが食べ過ぎなんじゃないか?」

「そんなことはない。食べないよりはずっといいと思うぞ。それに目の周りのくまも酷い。あまり寝てないだろう?」

「みんな寝ないで仕事してるからなあ。俺一人だけ寝てたら申し訳ない」

「まあ、気持ちはわかるけどな」

 

 俺が同じ立場でも寝ないだろう。第六次イゼルローン遠征が失敗に終わって以来、ロボス・サークルは早朝から深夜まで作戦研究に明け暮れてきた。そんな中で休息を取るなんて無理だ。

 

 いや、言うだけは言っておこう。いつか気が変わることだってあるかもしれない。心に留めておいてもらうだけでも無駄にはならないんじゃないか。そう考えて口を開いた。

 

「でも、倒れたらもっと申し訳ないことになるぞ」

「それはわかってるさ。でも、ティアマト星域会戦が終わってからほんの一か月半だ」

「分析が終わってないのか?」

「まあな。どんどん新情報が入ってくる。これからが本番だよ」

「へえ。じゃあ、ミューゼルの分析も済んでないんだな」

「帝国のエル・ファシルの英雄か。それなら面白いことがわかったぞ」

 

 それからアンドリューはラインハルト・フォン・ミューゼルの情報を教えてくれた。彼の行動パターンを分析した結果、昨年の第六次イゼルローン遠征で猛威を振るった幽霊艦隊と一致していたのだそうだ。また、一二月一日の攻勢でホーランド提督を撃破した部隊、八日の攻勢で第七艦隊に突撃した部隊、一一日の攻勢を失敗させた部隊とも酷似していた。

 

「エリヤの冗談がたまたま真実に突き当たってしまったな」

 

 アンドリューが軽く微笑む。

 

「俺の勘も捨てたものじゃないだろう?」

 

 顔では笑っていたが、内心は複雑だ。俺は答えをもともと知っていた。アンドリューたちはそれを時間を掛けて割り出したに過ぎない。しかし、説得力があるのは時間を掛けたアンドリューたちの方だ。論証できない答えなど何の意味もない。

 

「そうだな。しかし、勘に頼ってたら駄目だぞ? 論理を身に付けないと」

「ああ、わかってる」

 

 俺は素直に認めた。プロの間では「作戦立案は論理の世界、作戦指揮はセンスの世界」と言われる。優秀な参謀は一人の例外もなく論理能力が高い。あの天才ヤン・ウェンリーも去年のイゼルローン遠征で抜群の論理能力を見せつけた。俺は頭が単純で、そういう思考には向いていない。

 

「エリヤにも早く一線級になって欲しいんだ。敵には新しい人材が出てきてるからな」

 

 アンドリューによると、昨年のイゼルローン遠征、今年のティアマト会戦で善戦した帝国軍提督の中に、未知の人材が多数含まれていたそうだ。そのうちで名前が分かったのは、オスカー・フォン・ロイエンタール少将、ウォルフガング・ミッターマイヤー少将、コルネリアス・ルッツ少将の三名のみ。

 

「みんな初めて聞く名前だよ。皇太子派と違う系列らしい。プロフィールについては、ロイエンタール少将がマールバッハ伯爵の甥という情報しか分からなかった。少将以下の情報は帝国国内でも出回らないからな。研究すべき敵将はまだまだ多い。これから忙しくなりそうだよ」

 

 アンドリューは少し困ったような表情をした。俺もそれにならったが、意味は多少異なる。ロイエンタール、ミッターマイヤー、ルッツは前の世界でさんざん聞いた名前だ。ラインハルトとともに宇宙を征服した彼らが揃って台頭してきた。それが不気味に感じる。

 

 この世界でも前の世界と同じように、ラインハルトがロイエンタールらを従えて同盟を征服するのではないか。そんな予感に囚われる。

 

「研究するには、人手がいるよな?」

「ああ、いくらいても足りない」

「新しい人を作戦部に入れる気は無いか?」

「あるぞ。能力がある人じゃないと駄目だけどな」

「チュン・ウー・チェン大佐なんてどうだ?」

 

 俺は第一一艦隊作戦部長チュン・ウー・チェン大佐を推した。前の世界の名参謀で、ヤン・ウェンリーと違って評判も悪くない。アンドリューの助けになってくれることだろう。

 

「あの人、エリヤのとこの作戦部長じゃないか」

「次の人事で幕僚を入れ替える。前司令官時代からの幕僚はみんな転出する」

「チュン・ウー・チェン大佐か……。大佐級のポストは当分空かないんだよなあ」

「准将級は?」

「副部長が一つ空く」

「チュン・ウー・チェン大佐を代将にして、副部長を任せるのもありと思うけど」

「そこまではちょっと……。あの人、代将に昇格するほどの実績はないだろ?」

「能力はある。抜擢したらすぐに実績も付いてくるさ」

「うーん……」

 

 アンドリューは困ったような顔をした。データ重視主義の彼にとって、実績の少ないチュン・ウー・チェン大佐の抜擢は考えられないようだった。

 

「じゃあ、実績のある人はどうだ?」

「メリダ副参謀長か?」

「いや、国防研究所のヤン准将。実績は折り紙つきだ」

 

 俺はなけなしの勇気を振り絞って、国防研究所戦史研究部長ヤン准将の名を口にした。

 

「それは無理だ。あの人は残業や休日出勤を絶対にしないからな。勤務時間中だってしょっちゅう姿を消す。優秀なのは認めるよ。けど、勤務態度が悪すぎる。うちには馴染まない」

 

 アンドリューの答えには一分の隙もなかった。参謀業務はチームワーク。結果を出せば何をしてもいいと言う気風のチームなら、ヤン准将は歓迎されるだろう。しかし、ロボス・サークルはそうではない。優秀な人材を集めるだけで成功するのは、物語の世界だけなのだ。

 

「君の言うとおりだ……」

「メリダ副参謀長なら歓迎するけどな。あの人も出されるんだろ?」

「ああ。早めに声を掛けとけよ。他の司令部も獲得に動いてるらしいから」

「ありがとう。コーネフ作戦部長に話しておく」

「俺から聞いたというのは伏せといてくれよな。いい顔をしないだろうから」

「ああ、わかってる」

「窮屈なもんだな。こんなことがわかるってのも」

 

 俺たちは顔を見合わせて苦笑する。第一一艦隊司令官問題がきっかけで、ドーソン司令官はロボス・サークルから敵視された。その余波は俺にも及んでいる。こうして会話するにもいろいろと気を遣う。

 

「お、来たぞ」

 

 ちょうど話が一区切りしたところで料理がやってきた。俺は料理を食べ、飲み物を飲み、アンドリューに食べ物を勧めた。そして、時間ギリギリまで仕事と無関係な会話を楽しんだ。

 

 

 

 アンドリューと別れた翌日の晩、惑星テルヌーゼンで勤務するエーベルト・クリスチアン中佐と久しぶりにテレビ電話で話した。

 

「フォーク大佐と気兼ねなく話せたか。それは良かった」

「誰かに話したかったんです。こんな用事で通信を入れて申し訳ありません」

「貴官らしくて良いではないか。少し安心した」

「何か、俺のことで心配事があったんですか?」

「うむ、最近の貴官は政治に近寄り過ぎていると思っていたのでな」

「政治ですか?」

 

 心当たりはありすぎるほどにある。しかし、自分の口で言い出すのは怖い。

 

「ドーソン提督を通じてトリューニヒトに近付いたと聞いたのでな。軍人精神を忘れたのかと心配だった」

「それは事実です。しかし、軍人精神を忘れたわけではありません」

「ならば、政治家などに近づく必要もあるまい」

 

 クリスチアン中佐がじろりと俺を睨む。後ろめたいことは無いはずなのに、どうして気後れしてしまうのだろう?

 

「仲間になってほしいと言われました」

「本気で言っているのか?」

 

 ますますクリスチアン中佐の目つきが鋭くなる。心臓が痛い。背中に冷や汗が流れる。

 

「え、ええ、本気です」

「政治家はいくらでも嘘をつく連中だぞ? ニュースを見るだけで分かるだろう? あいつらが約束を守ったことがあるか? どいつもこいつも口先では『国を良くする』と言う。だが、実際はどうだ? 少しは良くなったか?」

「改革はまだ途中です。終わってみないと分かりません」

 

 上院選挙の後に発足したボナール政権は、改革の続行を約束した。レベロ財政委員長は地方補助金の削減、ホワン人的資源委員長は与える福祉から自立させる福祉への転換、コスゲイ天然資源委員長は水資源供給事業の完全民営化に取り組んでいる。成功すれば同盟は生まれ変わるはずだ。

 

「ボナールにできるとでも思っているのか?」

「期待はしています……」

 

 俺は自分の言葉を信じていなかった。抗争に疲れ果てたビッグ・ファイブが談合した結果、議長となった八二歳の老人に期待できることはない。

 

「税金は上がり続けている。社会保障は大幅に削減された。失業率は跳ね上がった。同盟軍の兵力は一五パーセントも削減された。軍人の収入も減った。改革が終わったら全部解決するのか?」

「レベロ財政委員長やホワン人的資源委員長はそう言っていますが……」

 

 前の世界で最も良心的と言われた二人の政治家を引き合いに出した。だが、リベラル嫌いのクリスチアン中佐には逆効果だったようだ。

 

「愛国心の無い輩など信用できるか!」

「も、申し訳ありません」

「トリューニヒトも似たようなものだ。軍隊を優遇すると口では言う。だが、実際に優遇されるのは、奴を支持する部隊のみ。予算で軍人を釣っておるのだ」

 

 軍隊を愛するクリスチアン中佐にとって、最近のトリューニヒト委員長の行いは目に余るのだろう。支持基盤である憲兵隊、地方警備部隊、技術部門に偏った予算配分。五月一日に発表された昇進リストの過半数がトリューニヒト系軍人。不公平と言われても仕方ない面はある。

 

「トリューニヒト委員長には考えがあるのです。軍部を良くするためにはこれも必要……」

「信用できんな」

 

 バッサリと切り捨てられた。

 

「……俺は信じています」

 

 強烈な威圧感に耐えながら答える。

 

「あくまで信じると言い張るか」

「は、はい……」

「ならば小官も貴官を信じるとしよう。姑息な計算があるようにも見えん。若いうちは失敗も経験のうちだしな」

「ありがとうございます」

「小官が心配しすぎているだけかもしれん。貴官は真面目だが、どこか頼りないところがある。ついうるさく言いたくなってしまう」

 

 クリスチアン中佐の声に苦笑が混じった。この人はいつも親身だ。

 

「心配をお掛けして申し訳ありません」

「最近は小官のところにも『フィリップス中佐を紹介してほしい』などという者が来る。今日の昼には、猿みたいな面の奴が来おった。怒鳴りつけてやったがな」

「ご迷惑をお掛けしました」

「今の貴官はドーソン提督の懐刀。トリューニヒトの覚えもめでたいと評判だ。貴官を通してトリューニヒト派に取り入りたいのだろう。浅ましいことだ」

 

 心底からクリスチアン中佐は不快そうに言った。愛国心と勇気を基準にする彼から見れば、処世術で世渡りする者は評価に値しないのだ。

 

「俺を通して取り入ろうとする人がいるなんて、想像もつきませんでした」

「政治に近づくとはこういうことなのだ。分かったか?」

「肝に銘じておきます」

「七年前の貴官は、エル・ファシルの英雄という虚像が大きくなることを恐れていた。今も覚えているか?」

「懐かしいですね。あの時の俺に一人の人間と接してくれたのは、あなたとルシエンデスさんとガウリさんだけでした」

 

 俺は少し目を細めた。雲の上の人だったクリスチアン中佐も今は同じ階級だ。ルシエンデス准尉は離婚し、ガウリ曹長は結婚したが旧姓を使って仕事を続けている。

 

「トリューニヒトも英雄の虚像に群がった者の一人だったな」

「そういうこともありましたね」

 

 当時、国防委員だったトリューニヒト委員長は、俺をパーティーに呼ぼうとしたが、クリスチアン中佐に断られた。そのことを根に持って統合作戦本部の広報課に抗議をしたと聞き、「心が狭い政治家な」と思ったものだ。再会した時にそのことを話したら、謝ってくれたが。

 

「まあ、政治家と付き合うだけなら構わん。参謀は渉外的な仕事も多いからな。だが、決して心を許すなよ。奴らは虚像で生きる連中だ。人を見る時も虚像だけを見る。友には決して成り得ん」

 

 クリスチアン中佐の言葉はおそろしく不吉だ。彼は亡命者の二世で、愛国者となることで同盟社会での立ち位置を確保した。それゆえに思うところがあるのかもしれない。

 

「わかりました」

「政治というのはゴミ溜めのようなものでな。避けて歩くに越したことはない。貴官のようなまっすぐな男は、政治などに関わるべきではないのだ」

 

 とても温かくて誠実な恩師の言葉。嬉しさで心が震える。しかし、俺はそういう道を歩くと決めた。今こそ話さなければならない。

 

「聞いていただきたい話があります。この国ではない別の国で生きた人の話です」

 

 俺はループレヒト・レーヴェとその主君の話を始めた。もちろん、サイオキシンマフィアなどの事実関係は伏せ、固有名詞も隠し、守秘義務は守る。

 

 平凡だが実直な老人は、正義の人が現れる日を信じて記録を残し続けた。弁護士のような風貌の青年軍人は、その戦いを受け継いだ。俺は彼らから記録の一部、そして正義の魂を託された。それは神聖なる誓いだった。トリューニヒト委員長とも俺とこの誓いを共有している。

 

「確かに汚れを避けて生きられたら、それに越したことはありません。しかし、汚れと戦いながら生きた人がいることを知りました。俺は小物ですが、小物なりに頑張ってみたくなりました」

 

 俺が語ったのは異国の英雄への憧れだった。

 

「そうすると決めたのだな?」

「はい」

「ならば押し通せ。宇宙が果てるまでまっすぐに歩け。貴官がそうと決めたことであれば、小官は支持する!」

 

 クリスチアン中佐の叱咤。体中の細胞が心地よく震えた。

 

「ありがとうございます!」

 

 俺は立ち上がって敬礼をした。クリスチアン中佐も敬礼を返す。彼だけは決して変わらない。その変わらなさがとても心強かった。


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