銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第14話:笑顔と温もりの食卓 宇宙暦793年9月上旬 じゃがいも料理店「バロン・カルトッフェル」

 初秋の休日の昼下がり、ハイネセンポリス副都心の帝国風じゃがいも料理店「バロン・カルトッフェル(じゃがいも男爵)」は、今日も賑わっていた。憲兵司令部で馴染みのある顔もちらほら見かける。

 

 俺はいつもと同じように軍服を身にまとっていた。ろくな私服を持っていないため、フォーマルな席では軍服で済ませているのだ。

 

 向かい合って座る憲兵司令官クレメンス・ドーソン宇宙軍少将は、白いワイシャツの上にグレーのジャケットを着用し、ネクタイは着けていなかった。服にはしわひとつ無く、まるでアイロンを掛けた直後のようだ。髪も口ひげも完璧に整えられている。ダンディな装いのはずなのにどこかずれてるように見えるのは、妙に肩肘を張っているせいだろう。彼にはリラックスという概念が存在しないのである。

 

 テーブルを挟んで沈黙の時が続く。ドーソン司令官とプライベートで会うのは初めてだ。仕事中もほとんど雑談はしないため、何を話していいか分からない。

 

「ずっと思っていたのだが……」

 

 ようやくドーソン司令官が口を開いた。俺を誘った理由についてようやく話してくれるのか。

 

「宇宙艦隊総司令部のフィリップス少佐は、貴官の従兄弟か何かか?」

 

 椅子からずり落ちそうになってしまった。オリンピア勤務になってからというもの、宇宙艦隊総司令部のフィリップス少佐との関係を聞かれることがやたらと多いのだ。

 

 俺より二歳年長のダグラス・フィリップス宇宙軍少佐は、姓だけでなく、髪の毛の色と出身地も全く同じだった。「パラディオン出身の赤毛のフィリップス」ということで、フィリップス少佐が俺の兄弟か親戚だと勘違いされてしまう。彼の姉も軍人で、そちらとの血縁関係を聞かれることもしばしばだった。

 

「いえ、何の血縁関係もないです。小官の父は一介の警察官、フィリップス少佐の父はパラディオン市長ですから」

「そうか。貴官の家族情報にはプロテクトが掛かっているから、なかなかわからなくてな」

「申し訳ありません」

 

 軽く頭を下げた。同盟軍では、国防委員会人事部に申請を出して、しかるべき事情があると認められたら、プライバシー性が高いが人事査定と関係の薄い個人情報にプロテクトを掛け、上官や人事担当者にも閲覧させないようにできる。表向きには、「広報活動で家族に迷惑を掛けたくないから」と言っているが、本当は今さら家族のことを人に突付かれたくないからそうしていた。

 

「ところで貴官の身長は何センチだ?」

 

 心を抉る質問だった。いくら話題に困ったからといって、身長を聞くことはないではないか。上官の無神経さに少し腹が立った。

 

「一七一センチです」

 

 これ以上ないぐらい簡潔に答える。少しでも早くこの話題を終わらせなければならない。余計な情報を与えて詮索されるぐらいなら、答えだけを与えるのが一番だ。

 

「思ったより高いな。一六九・四か五くらいと予想していたが。意外と当たらないものだ」

 

 心臓が一瞬止まった。俺の身長は一六九・四五センチ。ドーソン司令官は正確に俺の身長を見抜いた。さすがは情報部門出身だ。彼の思考の幅はとても狭いが、見える範囲では恐ろしく鋭い観察力を発揮する。

 

「良く言われます」

 

 曖昧に笑ってごまかした。情報を与えずにやり過ごすのだ。

 

「小官の身長は一七一・二センチでな」

 

 ドーソン司令官は自ら身長を明かしたが、これは勇み足だった。彼の身長は俺とほとんど同じはず。人一倍身長にこだわってきた俺が言うのだから、百に一つも間違いはない。ドーソン司令官はサバを読んでいる。

 

 一七一・二センチとサバを読んだのは、なかなか上手いと思う。人に身長を聞かれて「一七〇センチ」と答えるようでは、いかにもサバを読んでいるように見える。身長の数字が現実的に見えるように操作せねばならない。

 

 俺は大きく余裕を持たせて一七一センチに設定しているが、ドーソン司令官はリアリティを優先した。しかも俺より二ミリ高く、優位性を誇示できる。さすがと言うべきであろう。憲兵隊の腐敗を一掃したドーソン司令官の知謀は、このような場面でも発揮される。俺だから見抜けた。

 

 それにしても、身長があと五センチあれば、こんな苦労もせずに済むのに。成長期にもっと食べておけば良かった。少食な自分が恨めしくなる。

 

 小さな人間が小さな攻防を繰り広げている間に、注文した料理がやってきた。不毛な戦いを打ち切って、全身全霊で料理を平らげていく。

 

「貴官は少し食べ過ぎではないか?」

 

 ドーソン司令官は困ったような顔で俺を見た。自慢の口ひげも少ししおれているようだ。

 

 俺はまだ三皿目のジャーマンポテトに手を伸ばしたばかりである。チビだからこの程度で満腹になるとでも思われているのだろうか。まったくもって心外だ。

 

「大丈夫ですよ。次はりんごとじゃがいものグラタン、田舎風じゃがいもサラダ行きます。あと、じゃがいものスープのおかわりを」

 

 俺はにっこり笑うと、ウェイターを呼んで追加注文した。ドーソン司令官の前で「じゃがいも」という言葉を連呼できる絶好の機会を逃すわけにはいかない。

 

「そうではなくてだな……」

「デザートもおいしいんですよ。じゃがいものピッツァ、じゃがいものクーヘン、じゃがいものトルテ、じゃがいものアイスクリームなんかがお勧めです」

「貴官はこの店に来たことがあるのか?」

「はい。友人に連れてきてもらいました」

 

 最初にこの店に来たのは、ちょうど一年前のことだった。レポートで悩んでいた俺をイレーシュ・マーリア少佐がこの店に誘ってくれた。じゃがいも料理をたらふく食べることで、大いにストレスを発散できたのである。

 

「貴官の友人といえば、ロボス提督のところにいるフォーク少佐か?」

「いえ、それとは別の人です」

「貴官は友達が多いのだな。大いに結構」

 

 ドーソン司令官は満足そうに笑い、じゃがいものオムレツを頬張った。

 

「ところで家族とは仲良くしているのか?」

「いや、まあ、それなりに……」

 

 いきなり家族の話題を振られて、しどろもどろになった。パラディオンの家族とは、もう五年近く連絡を取っていない。

 

 妹のアルマからは、一年に一度ぐらいの割合でメールが来る。先月も「おいしいマフィンのお店できたの知ってる?」という題名のメールが来たが、読まずに受信拒否リストに叩き込んだ。それにしても、あのデブはどこから俺のアドレスを探りだしてくるのだろうか。本当に気分が悪い。

 

「仲良くしないといかんぞ。家族とは一生の付き合いだ」

 

 俺の表情から、ドーソン司令官は不穏なものを察したらしい。彼は基本的にお節介だ。家族とうまくいってないと知ったら、「仲直りしろ。何なら私が話し合いの場を設けよう」などと言い出しかねない。どうやってごまかそうか考えていると、人の気配がした。

 

「やあ、クレメンス」

 

 朗らかな声がドーソン司令官の興味を逸らしてくれた。声の主は人懐っこそうな笑顔を浮かべ、軽く右手を上げながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 

 すっきりと鼻筋の通った顔立ちに、垂れ目気味の目が親しみやすい印象を付け加え、甘いマスクといった感じだ。長身で肩幅が広く、スポーツマンであることが一目で分かる。上半身は白いポロシャツにグレーのニットカーディガン、下半身は細身のパンツに上品なカジュアルシューズ。質素な服装が端正な容姿を引き立てる。年齢は三〇代くらいだろうか。

 

 どこかで見たような顔だ。この顔は……。

 

「トリューニヒト政審会長、お待ちしておりました」

 

 ドーソン司令官は立ち上がって声の主に敬礼をした。俺もつられるように立ち上がって敬礼をする。

 

「クレメンス、いつもヨブと呼んでくれと言ってるじゃないか」

 

 声の主は気さくに笑ってドーソン司令官の肩をポンポンと叩き、俺にも顔を向けた。

 

「エリヤ・フィリップス君、はじめまして。私はヨブ・トリューニヒト。君の上官と親しくさせてもらっている者だ」

 

 与党第一党・国民平和会議(NPC)のヨブ・トリューニヒト政策審議会長は、蕩けるような笑顔を俺に向けた。「将来の最高評議会議長候補」の呼び声も高い主戦派のプリンスにして、前の世界では同盟を敗戦に導いたと言われる無能な最高評議会議長。そんな大物が唐突に現れた。

 

 

 

 初めて肉眼で見るトリューニヒト政審会長は、とてもおかしな人だった。大量の料理を注文しては、片っ端から平らげていく。

 

「五年前の件? ああ、パーティーに君が来てくれなかった件か。あれはもういいんだ。私が大人気なかった。そんなことより、ここのポテトフライは本当に絶品でね。フランクフルトソーセージをかじりながらつまむと、たまらなくうまいんだよ」

 

 トリューニヒト政審会長は満面の笑みを浮かべ、ポテトフライとソーセージを次々と口の中に放り込んでは咀嚼する。手や口の周りが油でベトベトになってるのに、まったく気にしていない。惚れ惚れするほどに豪快で、見ているだけで食欲が湧きそうな食べっぷりだ。

 

 洗練された紳士というイメージのあるテレビの中のトリューニヒトと、行儀の悪い目の前のトリューニヒト。あまりにも大きなギャップに戸惑う。

 

 俺が読んだ『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』や『革命戦争の回想』なんかではまったく触れられないヨブ・トリューニヒトの経歴は、華麗の一言に尽きる。

 

 宇宙暦七五五年、ジャムシード星系第二惑星ザラスシュトラで惑星農業協同組合理事アダム・トリューニヒトの三男として生まれたヨブ・トリューニヒトは、運動神経抜群の少年だった。ジュニアフライングボールの名選手として名を馳せ、小学六年、中学一年、中学二年の時に星系代表選手に選ばれた。

 

 そして、義務教育期間が終了に近づいた時、トリューニヒトのもとに、大学フライングボールの名門フェアフィールド大学など六つの大学からスポーツ推薦の話が舞い込んでくる。だが、周囲の予想に反してそれらを全部断り、三大難関校の一つである国立中央自治大学の法学部の一般入試を受けて、一発で合格したのである。

 

 トリューニヒトは、登竜門と言われるオリベイラ教授のゼミで政治学を修め、英才ひしめく法学部を首席で卒業した後、兵役に応じた。統合作戦本部に配属されて一般事務に従事し、抜群の勤務成績をあげて兵長まで昇進し、除隊と同時に予備役伍長となった。

 

 輝かしい学歴と軍歴を引っさげて同盟警察本部に入庁したトリューニヒトは、保安警察部門のポストを歴任する。

 

 七八五年、三〇歳の時に警視・公安部第二課課長補佐を最後に退官すると、保守政党のNPCから下院選挙に出馬し、警察官僚から政治家への転身を果たす。

 

 俳優のような甘いマスク、フライングボールで鍛え上げた長身、卓越したファッションセンス、兼ね備えたトリューニヒトは、歯切れのいい演説と派手なパフォーマンスによって、あっという間に人気政治家となった。元警察官僚、国立中央自治大学法学部首席卒業、少年フライングボールの名選手、大物財界人コンスタンチン・ジフコフの娘婿という華麗な肩書きも人気を後押しした。リベラル派や伝統保守派には軽薄さを嫌う人も多いが、それでもNPCでは一二を争う人気者だ。

 

 資金力や集票力も強い。義父ジフコフの人脈を足がかりに軍需産業と太いパイプを築いた。警察や軍部との関係も深い。また、十字教贖罪派、楽土教清浄派、美徳教といった宗教右派勢力からの支援も受けている。

 

 人脈は政界、財界、官界に遍く広がっている。党内第二派閥ドゥネーヴ派では、中堅・若手議員のリーダー格であり、マルコ・ネグロポンティ政策担当国防副委員長、ユベール・ボネ公共安全担当法秩序委員、ウォルター・アイランズNPC上院院内副幹事らが腹心となっている。党内第三派閥ヘーグリンド派のアンブローズ・カプランNPC組織局長も派閥こそ違うものの腹心の一人だ。。

 

 人気低迷に苦しむNPCは、トリューニヒトに兵站担当国防委員、党青年局長、情報交通委員長といった要職を与え、今年の春には党五役の一つである政策審議会長に起用した。

 

 上院と下院を合わせて七〇〇人近い国会議員を抱えるNPCでは、一度も最高評議会や党執行部に入れずに引退する者も多い。三八歳の若さで最高評議員と党執行部の両方を経験したトリューニヒトがいかに期待されているか、経歴を見るだけで明らかだった。

 

 一方、前の世界でのトリューニヒトに対する評価は最低だ。帝国侵攻作戦が失敗した後の混乱を収拾するまでが頂点だった。

 

 最高評議会議長に就任した後は失政続きで、救国軍事会議のクーデターを防げず、名将ヤン・ウェンリーを査問に掛けている間に帝国軍の攻撃を受け、門閥貴族の残党を支援したために帝国軍の侵攻を招き、フェザーン回廊が突破されると戦争指導を放棄した。そして、最後は勝利寸前だったヤン・ウェンリーに戦闘停止を命じて降伏。情けないほどに惰弱な為政者だった。

 

 トリューニヒトの惰弱さは、同盟人はもちろん帝国人にも軽蔑された。ラインハルト帝に仕官したが、信用を得ることができず、飼い殺しにされたあげくに、新領土総督ロイエンタール元帥の反乱に巻き込まれて死んだ。

 

 帝国議会が成立し、バーラト自治区が解体されると、ヤン・ウェンリーを民主主義の正統とする歴史記述を見直す運動が旧同盟領で始まり、ジョアン・レベロや救国軍事会議に対する再評価が行われたが、トリューニヒトの醜態を弁護しようとする者はいなかった。トリューニヒト派が生き残らなかったこと、バーラトの主要政治勢力である「八月党」「共和市民党」「バーラト立憲フォーラム」が、すべて反トリューニヒト派の末裔だったことも影響したのかもしれない。

 

『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』によると、ヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツなどは、トリューニヒトのことを「何があっても傷つかない保身の天才」「エゴイズムの権化」と恐れていたそうだ。しかし、彼らの人物眼は、ローエングラム朝以外の敵対者に対しては、嫌悪感が先行しすぎているように思える。

 

 この世界で五年間暮らして、彼らが批判してきた士官学校エリートや主戦派に接した結果、そういう結論に達した。結局のところ、他人の意見は参考に留め、自分で真実を見極めるしか無いのである。

 

 前の世界での惰弱な印象、今の世界での軽薄そうな印象から、トリューニヒト政審会長のことは好きになれなかった。進歩党のジョアン・レベロ前財政委員長のように真面目な政治家でないと、どうも信用出来ないのだ。しかし、アンドリュー・フォークやラザール・ロボスのように実際に会って印象が変わるなんて例はいくらでもある。

 

 さて、俺の目の前にいるヨブ・トリューニヒトの素顔は、俺の評価、世間の評価、ヤンの評価のうちのいずれに近いのだろうか。

 

「どうしたんだい? 私が食事しているのがそんなに不思議かな?」

 

 トリューニヒト政審会長は人懐っこそうに笑いかける。いきなり観察者から当事者になった俺は、答えに窮してしまった。

 

「いや、随分おいしそうに召し上がってらっしゃると……」

「そりゃ、ここの料理はうまいからね。何と言っても帝国仕込みだ。我が国の食文化は素晴らしいが、じゃがいも料理とソーセージでは帝国に一日の長がある」

「この店をご存知だったんですか?」

「ご存知も何も、この店を選んだのは私だよ? ハイネセン広しといえど、本物のじゃがいも料理とソーセージを食べさせてくれるのはここだけさ」

 

 妙に誇らしげなトリューニヒト政審会長の表情が子供っぽくて面白い。何と言うか、妙に愛嬌のある人だ。ドーソン司令官との会食の場にじゃがいも料理店を選んだセンスにも好感を持てる。

 

「この店を気に入ってらっしゃるんですね」

「そうだね。料理も雰囲気も最高だが、主人はもっと最高だ」

「主人ですか……?」

「この店の主人は帝国からの亡命者で、かつては薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊の隊員だった。勇敢な戦士だったが、ある戦いで重傷を負って引退し、退職金をもとにこの店を開いた。故郷の味を懐かしんで食べに来る亡命者も多いんだよ」

「そんな由来があったなんて、初めて知りました」

 

 俺は目を丸くしながら答え、カウンターの方をチラッと見る。でっぷり太った主人は根っからの料理人といった風情だ。人気のじゃがいも料理店と最強の亡命者部隊に縁があったなんて、想像もつかなかった。

 

「帝国の圧制から逃れて自由のために戦う戦士。それが薔薇の騎士連隊だ。二年前に不祥事があったのは事実だが、彼らが国家のために流した血の量を思えば取るに足らないことだ。連隊長のヴァーンシャッフェ君も良くやっている」

 

 トリューニヒト政審会長が強い調子で薔薇の騎士連隊を弁護する。それが少し意外だった。ヤンのような反戦派は寛容で、彼のような主戦派は差別的というイメージがあったからだ。

 

 一昨年に連隊長が帝国軍に降伏して以来、薔薇の騎士連隊は強烈な逆風を受けてきた。軍上層部からは徹底的に冷遇され、解体論も飛び出し、ネットでもさんざんに叩かれた。薔薇の騎士連隊にいる幹部候補生時代の友人カスパー・リンツ中尉の心中を思うと、やりきれない気持ちになる。だから、トリューニヒト政審会長の弁護は嬉しかった。

 

「幹部候補生養成所の友人が薔薇の騎士連隊にいます。本当に良い奴でした。みんながトリューニヒト先生のように思ってくれたら、彼も苦労せずに済むのですが」

「同盟生まれだから信頼する。帝国から亡命してきたから信頼しない。そんな区分などまったくもって馬鹿馬鹿しいと思うね。私達の先祖も元をたどれば銀河連邦の市民だった。アーレ・ハイネセンに率いられてこの国を作った四〇万人は、元は帝国の農奴だった。同じ人間が専制政治によって分断されてしまっただけなんだ。出身で差別することがどれほど馬鹿らしいかわかるだろう?」

「おっしゃる通りです」

 

 心の底から頷いた。これが高級なスーツを着て政治家らしくしている人物の言葉ならば、多少の胡散臭さを感じたかもしれない。油で口や手をべとべとにしながらうまそうに料理を食べる子供っぽい人の言葉だからこそ、本音のように感じられる。

 

「この店は同盟の民主主義の象徴だ。誰もが専制と戦う自由を持っていること、専制打倒の大義の前ではすべての人間が平等であるということを教えてくれる。私は帝国の専制を憎むが、国民は憎んでいない。彼らは我らと同じ専制の被害者だからだ。この店では、同盟生まれの人間も帝国から亡命してきた人間もみんな笑顔で同じ料理を食べる。この店でじゃがいもとソーセージを食べるたびに、すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作らなければならないと思う。議員と兵士と貴族と農奴が同じ食卓で同じ物を食べるんだ。素晴らしいとは思わないか?」

 

 トリューニヒト政審会長は静かだが力強い口調でゆっくりと語りかけてくる。言葉の一つ一つが心の奥底まで響く。

 

 すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界。議員と兵士と貴族と農奴が同じ食卓で同じ物を食べる世界。それこそが俺の求める世界だった。逃亡者のレッテルを貼られて、六〇年を孤独に生きた。そんな俺にとって、みんなと一緒に同じ食卓を囲める以上の幸福など思い浮かばない。

 

「まあ、いつもそんな難しいこと考えているわけじゃないけどね。いつもは何も考えないでガツガツ食べている」

 

 トリューニヒト政審会長の真剣な顔が、一転してくだけた雰囲気になり、軽くウィンクをしてみせる。

 

 なんて気さくな人なんだろう。これまで会った政治家は、保守派もリベラル派も主戦派も反戦派もみんな気取ったところがあった。しかし、彼は違う。同じ目線まで下りてきてくれる。

 

「なんか、イメージが変わりました」

「失望させてしまったかな?」

「いえ、なんか親しみやすい人だなあと。政治家ってもっと近寄りがたいと思っていました」

「ははは、帝国の門閥貴族じゃあるまいし。私も君も同じ人間だよ。現に同じ食卓を囲んで、同じ物を食べているじゃないか」

 

 トリューニヒト政審会長は朗らかに笑う。言ってることは凄く当たり前だけど、この笑顔で言われるとまったくその通りと思ってしまう。どんな言葉よりも笑顔の方がずっと真実なのだ。

 

「トリューニヒト先生」

 

 ずっと黙っていたドーソン司令官がおもむろに口を開いた。

 

「どうした、クレメンス」

「お口が汚れてます」

「ああ、気が付かなかった。ありがとう」

 

 口元が油でベトベトになってることを指摘されると、トリューニヒト政審会長は片目をつぶり、ペロッと軽く舌を出した後、慌ててナプキンで口を拭いた。大物政治家と思えない行儀の悪さがおかしくて、つい笑ってしまった。

 

「エリヤ君」

 

 急にトリューニヒト政審会長が真顔になった。視線は真っ直ぐに俺に向けられている、

 

 あまりの気さくな感じに気を抜いてしまった。相手は俺なんかよりずっと偉い人なのだ。謝ろうとした俺を制するようにトリューニヒト政審会長は口を開く。

 

「やっと笑顔を見せてくれた」

 

 心の底から嬉しそうに、トリューニヒト政審会長が笑う。本当に表情がよく変わる。まるでイレーシュ少佐のようだ。

 

「どうも申し訳ありません」

「なかなかいい笑顔をするじゃないか。テレビではいつも真顔だから新鮮だね」

「あ、ありがとうございます……」

「そんなに固くならなくていいのに。もっとリラックスしていいんだよ」

「は、はい……」

 

 まともに喋れない自分が悲しい。アンドリューみたいに、初対面の人といきなり打ち解けられる社交性が欲しくなる。トリューニヒトみたいに、誰にでも屈託のない笑顔を向けられる無邪気さが欲しくなる。

 

「本当に可愛いな、君は」

 

 苦笑気味にトリューニヒト政審会長は俺を見る。可愛いという言葉が心に突き刺さり、ますます悲しくなった。

 

「そうでしょう」

 

 ドーソン司令官も苦笑を浮かべながら言った。謹厳な上官が苦笑するなんて、信じられない光景だ。

 

「クレメンスが気に入る理由が良くわかった。なかなかいい子じゃないか」

「何と言っても真面目ですからな。そして素朴です。決して器用ではありませんし、頭も回るとは言えません。しかし、とても丁寧で細かい仕事をします。若い者がみんなフィリップス大尉のようだったら、憂いることは何もないのですが」

「エリヤ君は英雄だ。君が最も嫌う人種だと思っていた。良く真価を見抜いたものだ」

「彼が管理していたフィン・マックールの調理室は、隅々まで綺麗に磨きあげられていました。食材の無駄もありませんでした。これは真面目な奴だと思ったのです」

「ああ、なるほど。だから、徹底指導したわけか」

「これほど素直に指導を受け入れてくれる生徒は、そうそうおりませんからな」

「なるほど。エリヤ君の憲兵隊での活躍ぶりを見ると、それが正しかったようだ。やはりクレメンスはいい教育者だ。ひねくれ者の才子なんかとは相性が最悪だが、エリヤ君のような努力家を指導するには最適だ」

 

 ドーソン司令官とトリューニヒト政審会長がひたすら俺を褒める。どうやら、だいぶ前から見込まれていたらしい。アンドリュー達が正しかった。善意の指導を悪意と受け取ってしまった自分が恥ずかしくなる。

 

 顔が真っ赤になり、胸の動悸が激しくなった。糖分を補給しなければ死んでしまう。そう判断した俺はデザートをたくさん注文し、一心不乱に食べた。その間も二人の会話は続く。

 

「士官学校の生徒なんて、小賢しくて生意気な奴ばかりです。有害図書愛好会とやらに関わってた連中は、特に酷かった。ああいうのに限って要領良く昇進していく。うんざりします」

「アッテンボロー君、ヤン君、ラップ君だったか。みんな作戦部門のトップエリートだ」

「よく覚えていらっしゃいますな」

「そりゃ、事あるごとに君が名前を出すからね。まあ、彼らは”あの”シトレ君の弟子だ。ある程度、想像は付くがね」

 

 いつの間にか話題が別の人間に移っていた。しかも、戦記でお馴染みのヤン・ウェンリーやダスティ・アッテンボローが槍玉に上がっている。

 

 前の世界でもドーソン司令官はヤン達と対立したが、今の世界でも仲が悪いようだ。彼は生意気な人間を嫌う。アッテンボロー大尉が折れない限り、ドーソン司令官の怒りが和らぐことは無いだろう。しかし、前の世界での言動を見る限り、アッテンボロー大尉は認めていない相手に頭を下げるような人ではない。残念ながら両者は永久にこじれたままだと思う。

 

 まあ、無縁なエリート参謀のことを気にしても仕方がない。目前の仕事をこなすだけでも精一杯なのだ。今の俺の仕事はじゃがいものピッツァを食べることだ。二人の会話を聞きながら、ピッツァの皿を空にする作業に従事する。

 

「クレメンス、今日の君は少食だな」

「理由はご存知でしょう」

「いいあだ名じゃないか。『じゃがいも』と言えば、誰もが君を思い浮かべる」

「誰が言い出したかは知りませんが、まったくもってけしからんことです」

 

 ドーソン司令官の口ひげがぷるぷると震えだした。やはり、じゃがいも閣下と呼ばれると頭に来るらしい。俺が最初に言い出したという事実は、墓の下まで持っていこうと改めて思った。

 

「せっかく名前が売れたんだ。仕事に生かさないでどうするんだね? 君にはいずれ軍の中枢で働いてもらう。政財界の要人と顔を合わせる機会も多くなるだろう。違う業界の人間と仕事をする時は、知名度が武器になる。例えそれが悪名だったとしても、全く知られていないよりずっといい」

「そんなものですか?」

「政界を見たまえ。政治家の知名度なんて、九五パーセントが悪名だよ。それでも構わない。どんなに素晴らしい理想を語っても、知らない人間の言葉は誰も聞いてくれない。悪名が高まれば、有権者は『あの悪党は何を言ってるんだ?』と注目する。私の政策論だってそうだ。良いことを言うから聞いてもらえるのではなく、誰もが知ってる悪党のトリューニヒトが言うからこそ聞いてもらえる。聞いてもらえなければ、どんなに素晴らしい理想も政策も実現しない。それが現実だ」

 

 話を聞いてもらうためには、悪名でも知られた方がいい。そんなトリューニヒト政審会長の言葉は、単純だが道理に適っていた。名前も知らない人の話を聞くために時間を割いてくれる人は、滅多にいないだろう。支持者でもない俺が彼の安全保障政策を多少知ってるのも、彼がバラエティ出演などで稼いだ知名度のおかげなのだ。

 

「おっしゃることはわかります。ですが……」

「私が君だったら、初めて会った人に『私があのじゃがいもです』と言って、じゃがいもを手渡すぐらいはするね。憲兵隊のPRポスターにじゃがいものかぶり物をして登場するのもありだな。昨年亡くなられたサンフォード先生は、幹事長を務めておられた時に女性問題が発覚すると、すぐに街頭演説に立って、『有権者の皆様! 私がスケベのサンフォードであります!』とぶちあげて、聴衆を集めた。せっかくの知名度を活かさないと損だと思って、この店を選んだ」

 

 トリューニヒト政審会長はどこまでも真摯な顔で言った。彼は軽薄な政治家と言われる。真面目な人が言うところの“低俗番組”にも平気で出演する。受けを狙いすぎて、問題発言をしてしまうことも多い。そこまでして注目を集めたいのかと呆れることもあったが、それなりの信念を持ってやっていることがわかった。

 

「心しておきます」

 

 ドーソン司令官がそう言うと、トリューニヒト政審会長は満足そうに頷いた。そして、いきなり俺の名前を呼ぶ。

 

「エリヤ君」

「は、はい!」

「クレメンスは私の大事な友人だ。今後も片腕として助けてほしい」

「か、片腕ですか……」

「今の君の立場なら両腕と言った方が良かったかな? クレメンスは何でも自分でやらないと気が済まない男でね。君のような優秀な副官が必要なんだ」

 

 いつのまにか腕が一本増えた。寄せられた期待の大きさに体中が緊張する。

 

「期待に背かないよう、全力で頑張ります!」

「今まで通りでいいんだよ、今まで通りで。そんなに気負わなくても」

「はい! 気負わないよう、全力で頑張ります!」

 

 俺が返事をすると、トリューニヒト政審会長の目が優しげに笑う。そして、再びドーソン司令官の方を向く。

 

「やはり、彼はストレートに褒めない方がいいな。すぐ硬くなってしまう。さっきのようにそれとなく聞かせた方がいい」

「そうですな」

「まあ、褒めて褒めて褒め倒すのも面白そうだがね。どこまで顔が赤くなるか、興味が無いといえば嘘になる」

 

 トリューニヒト政審会長は絶句した俺の顔を見て、とても人の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「エリヤ君、今日は楽しかった。機会があったらまた一緒に食事をしよう。マカロニ・アンド・チーズがおいしい店を知っている」

「小官も楽しかったです! わざわざお越しいただきありがとうございました!」

 

 俺が返事をすると、トリューニヒト政審会長は立ち上がった。そして、微笑みながら右手を差し出す。俺が手を握ると、トリューニヒト政審会長も手を握り返す。大きくて温かい手だ。

 

 手を離した時、寂しい気持ちになった。彼といる時間が終わってしまうのが寂しかった。

 

「クレメンス、今度のパーティ会場だ」

 

 トリューニヒト政審会長はパンツのポケットから二つに折られた封筒を取り出し、ドーソン司令官に手渡す。

 

「そろそろ、お始めになるのですな」

「思いの外、準備に時間がかかってしまった。待たせてしまってすまないね」

「仕方ないでしょう。手続きは大事です」

「主役は君だ。よろしく頼む」

「お任せください」

 

 ドーソン司令官は背筋と口ひげをぴんと伸ばし、かしこまった返事をする。

 

「クレメンス、エリヤ君。期待している」

 

 そう言うと、トリューニヒト政審会長は伝票を全部持ってカウンターに向かった。俺とドーソン司令官が食べた分も払ってくれるらしい。どこまでもいい人だ。

 

 この目で直に見たヨブ・トリューニヒト政審会長は、暖かい太陽のような人だった。すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作るという理想もいい。しかし、政治にはあまり向いて無さそうだ。前の世界での無能ぶりもこれなら納得できる。

 

 今年の下院選挙は進歩党に入れた。この財政難の時代では、レベロ前財政委員長の掲げる財政再建路線が一番現実的に思えたからだ。前の世界で彼の内政政策が高く評価されていたことも投票の決め手となった。

 

 しかし、次の選挙はトリューニヒト政審会長のいるNPCに投票してもいいかもしれない。NPCと進歩党は、前回の総選挙からずっと左右大連立を組んでいて、どっちの党に入れても政策に変わりはないのだ。

 

 トリューニヒト政審会長の笑顔に一票を入れてみても良いのではないか。そんなことを思った。


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