「後世の人は時代をこう区分するだろう。『プレ一一・一〇』と『ポスト一一・一〇』に」
ルドルフ研究の第一人者として知られるダリル・シンクレア教授がそう語った。誇張表現ではない。一六四年続いた戦争の終わりは、一つの時代の終わりであった。
俺にはポスト一一・一〇を祝う余裕は与えられなかった。フィリップス派の構成員は全銀河に散らばっている。ハイネセンポリス時間では深夜でも、他の地域では朝や昼や夕方である。起床した者、昼休みに入った者、仕事を終えた者が問い合わせを入れてくる。
個人で捌ききれる量ではないので、宿舎にしているウィリアム・ブラウン陸戦隊基地の予備司令室を借り、二〇人ほどの人員を集め、臨時オフィスを設けた。
「なんでこんなに忙しいんだ!」
「そりゃそうでしょ」
妹であるアルマ・フィリップス中将は呆れ顔で言った。
「誰にも相談せずに講和するって決めたんでしょ? みんな戸惑うに決まってるじゃん」
「アルマは戸惑わなかったじゃないか」
「妹だから」
妹は平たい胸を張る。
「本当、助かるよ」
俺は妹に向かって手を合わせた。彼女は仕事が終わると同時に飛行機に乗り、五〇〇〇キロ離れた街から駆けつけてくれた。どれほど感謝してもし足りない。
問い合わせに対応する一方、今後の計画を練った。本格的なプランではない。この人数で作れるプランなどたかが知れている。それでも叩き台は必要だ。
「同盟を講和支持でまとめ、フェザーンや地球と連携し、帝国に講和するよう圧力をかける。これがお兄ちゃんの計画だね」
「ああ。成功すれば平和になる。失敗しても、フェザーンと地球が味方になり、帝国を国際的孤立に追い込める。どっちにしても損はない」
「標的はフェザーンと地球ってことだね」
「よくわかったな。さすがは俺の妹だ」
俺は笑顔で嘘をついた。
「問題は帝国が講和成立まで存続するか、という点です。反対派はこの点をついてくるでしょう。崩壊寸前の国との講和に意味があるのか、と」
首席副官シェリル・コレット少将は狂信者だがイエスマンではない。俺がイエスマンを嫌うことを知っているからだ。
「帝国に副王軍を解散させると言えば、無意味な講和にはならない」
「言えないでしょ。副王軍は帝国の唯一の実働戦力だよ」
妹はプロとしてごく常識な意見を口にした。
「フェザーンに圧力をかけさせる。戦力を捨てるか。スポンサーを捨てるか。帝国に究極の二択を迫る」
「そうなったら、副王軍を捨てるしかないね。フェザーンの援助でもってる国だから。貴族財産を換金できるのもフェザーンだけだし」
「帝国に副王軍を解散させる力はない。それでもいい。命令に従わなければ、副王軍は反逆者になる。帝国企業やフェザーン企業と取引できなくなるわけだ」
「お兄ちゃんは講和を副王軍潰しに利用するんだね」
妹の可愛らしい顔に納得の色が宿る。
「さすがはフィリップス提督です!」
コレット少将が豊かな胸を張った。
「ウザっ……!」
どす黒い声が聞こえたが、無視して話を続けた。
「考えるだけなら誰でもできる。実現するためのプランを立ててほしい。よろしく頼む」
俺がそう言うと、コレット少将は大いに喜び、妹はぶつぶつ言いながらうなずいた。感情はどうあれ、同意してくれたようだ。全力で嘘をついた甲斐があった。
言うまでもないことだが、真の標的はラインハルトである。講和が成立すれば、ラインハルトと戦わずに済む。成立しなかったとしても、ラインハルトを孤立に追い込める。副王軍を潰すのは、ラインハルトから戦力を削ぐためだ。
午前四時、援軍を解散させた。時差が大きい地域から呼び寄せた人たちなので、この時間帯に起きていても問題はなかった。しかし、これ以上起きていると、向こうの時間でも深夜になる。好意のみで深夜労働をさせるのは気が引ける。
「株はどうなっているかな」
経済チャンネルを開いた瞬間、俺は凍り付いた。こんな株価チャートは見たことがない。真下にストンと落ちている。暴落という言葉すら生ぬるい。墜落と言うべきだ。
午前〇時頃、株式投げ売り大会が唐突に始まった。きっかけは軍需株が低落から急落に転じたことだった。軍需株が暴落した。軍需企業と取引している企業の株が暴落した。軍需企業と取引している企業と取引している企業の株が暴落した。軍需企業と関係ない企業の株が暴落した。
ブレーンの経済学者数名に聞いたところ、「一時的なもの。すぐに反発する」との返答が返ってきた。それなら大丈夫だろうと思っていたが、完全に外れたようだ。
銀河株式市場は半ば麻痺している。フェザーンは全取引所にサーキットブレーカー制度を設けているため、終日取引停止となった。帝国にはサーキットブレーカー制度がないものの、救国軍事会議がすべての取引を停止させた。同盟はサーキットブレーカー制度のある取引所とない取引所が混在しており、現在進行形で下落が続いている。
「政府はどうして取引停止命令を出さないんですかね?」
次席副官クリストフ・ディッケル大尉は常識的な疑問を口にした。サーキットブレーカーには、株価の下落を加速させるという欠点がある。しかし、そんなものを気にする情勢ではないはずだ。
「わからないなあ」
俺は真顔でとぼけた。本当はわかっているが、あえて口にしない。
「出せないんですよ」
首席副官シェリル・コレット少将は正解を口にした。
「少しはオブラートに包めよ」
「包み隠さず申し上げることが忠誠。そう心得ております」
「君の言う通りだけどね」
俺は苦笑いを浮かべた。講和要請以降、政府は二つに割れた。トリューニヒト議長は誰にでもいい顔をする人なので、こういう局面では動きが取れない。
「勘弁してほしいですね」
ディッケル大尉は眉をひそめた。トリューニヒト議長直々の表彰に感激したのは、もはや過去の話であった。
「しょうがない。ああいう人なんだから」
毒にも薬にもならない言葉を吐いたところで、緊張感のあるチャイム音が流れた。緊急ニュース速報である。
「帝国救国軍事会議のラインハルト・フォン・ローエングラム議長が緊急声明を発表。同盟・フェザーン・地球に対し、金融危機打開のための国際協調を呼びかける」
信じがたいニュースだった。銀河一の戦争好きが国際協調を呼びかけたのだ。生まれながらの征服者が他国と手を取り合おうというのだ。
上辺だけの声明であることは疑いない。しかし、何のためにこんな声明を出したのだろうか。ラインハルトの狙いが読めない。
「信じられないですね」
コレット少将は大きな目をさらに大きくした。
「君もそう思うか」
「ええ。本当に動きが早いですよね」
「そっちかよ」
俺は拍子抜けした。
「他にも何かあるのでしょうか?」
「ローエングラム公が国際協調を口にした。ありえないだろ?」
「あり得ると思いますが。彼は非戦派です」
コレット少将はごく常識的な見解を口にした。この世界の知識だけで判断するならば、ラインハルトは非戦派と言わざるを得ない。同盟への敵意が乏しい。同盟人への差別意識がない。対外強硬論を口にしない。同盟に対する賠償請求権を真っ先に放棄した。主戦派とは毛色が違う。
「ブラウンシュヴァイク公の講和案に反対した男だぞ」
「あれは国内政治の問題です。門閥貴族主導の講和が成立したら、彼は失脚します」
「非戦派なら反対しないと思うけどなあ……」
我ながら無理筋だと思う。ブラウンシュヴァイク公が門閥貴族主導の出兵案を出したとしても、ラインハルトは反対しただろう。
それにしても、ラインハルトの勤勉ぶりには驚かされる。ハイネセンポリスとオーディンの時差はほとんどない。あっちも深夜だ。これほどの大事を独断で決められるとは思えないので、ずっと話し合いをしているのだろう。いつ休んでいるのか。勤勉な天才なんて反則だ。
「フィリップス提督、起床から二三時間が経過しました。睡眠をお取りになってはいかがでしょうか」
コレット少将はものすごく心配そうな顔で言った。
「ああ、そう……」
ここまで言ったところで、自分がうなずきかけたことに気づいた。危ないところだった。
「いや、今日は徹夜する。仕事がいっぱいあるからね」
「無理をなさらないでください。ただでさえ、体調がよろしくないのですから」
「じゃあ、あと一時間だ。一時間したら寝る」
「一時間前も、二時間前も、三時間前も、四時間前もそうおっしゃっておられました」
コレット少将は俺の体を自分の体より大事にしているので、こういう局面では譲らない。
「一時間待ってくれ。頼むから」
「上官が休まないと。部下も休めないのです」
「君は起床から何時間経った?」
「一二時間です。フィリップス提督がおられない間に、タンクベッドに入りましたので」
「ディッケル大尉、君はどうだ?」
「一四時間前にタンクベッドに入りました」
「休んだ方がいいな」
俺は即座に判断した。働きすぎて倒れるのは本末転倒だ。しっかり休まなければ、しっかり働くことはできない。
「君たちはタンクベッドに入るんだ。俺は一人で仕事してるから」
「かしこまりました」
コレット少将は返事をすると、俺の仕事用端末からコンセントを抜いて持ち去った。追いかけたが間に合わない。驚くべき早業であった。
「ディッケル大尉、端末を貸してくれ」
「僕も持っていかれました」
「コレット少将の端末は……。ないな」
「どうなさいます?」
「寝るしかないだろ」
俺はしぶしぶ部屋を出た。頭がゆらりと揺れる。この程度の揺れならまだ大丈夫だ。足がふらふらする。この程度のふらつきならまだ大丈夫だ。不完全燃焼の思いだけが残る。
タンクベッドに入ってから一時間が過ぎた。体が重い。筋肉が悲鳴をあげた。関節がきしんだ。頭がひどく痛んだ。心臓が飛び跳ねた。息が苦しい。一時間のタンクベッド睡眠は、八時間の自然睡眠に匹敵するはずだ。それなのに休んだ気がしなかった。
「もう一時間寝ようか」
延長ボタンを押しそうになったが、ぎりぎりで思い留まった。仕事が俺を待っている。のんびりしてはいられない。
部屋に戻った瞬間、俺は目を疑った。コレット少将が全裸で出てきた。嘘だろうと思って見直したが、やはり全裸だった。
「なんで服を着ていないんだ……?」
「着替える暇がありません」
「一瞬じゃないか」
「フィリップス提督は不眠不休で仕事に取り組んでおられます。副官が着替える暇などないのです」
「…………」
俺は相手が言わんとすることを察した。
「わかった。俺が悪かった。これからはちゃんと寝る。だから服を着てくれ」
「では、お休みになっている間に着替えましょう」
「俺が信用できないのか?」
「信じております。信じるがゆえに、今のお言葉が嘘だとわかります」
「頼むから服を着てくれ」
俺が土下座をすると、コレット少将もすかさず土下座をする。
「私はあなたに休んでいただきたいのです」
「休むから! 君の言ったとおりにするから! 服を着てくれ!」
土下座したまま言い合いをしていると、緊張感のあるチャイム音が流れた。緊急ニュース速報である。
「帝国救国軍事会議はサジタリウス副王府を廃止。サジタリウス高等弁務官事務所が新たに発足」
「嘘だろ!」
俺は反射的に飛び上がった。こんなことがあり得るのだろうか。事実上の講和宣言ではないか。
ダゴン会戦以降、帝国はサジタリウス腕に名目上の統治機関を設置した。名前は何度も変わった。どのような名前であろうとも、帝国はサジタリウス腕が自国領であるとの建前を崩さなかった。この建前が講和の障害となった。
マンフレート亡命帝の命取りとなったのは、いわゆる「サジタリウス総督府問題」であった。講和が成立した場合、サジタリウス総督府は廃止され、地図上の領土が半減する。亡命帝を暗殺した青年貴族は、「帝が帝国領の半ばを放棄しようとしている」という主戦派の宣伝に惑わされ、凶行に及んだのである。
サジタリウス副王府は、これまでの統治機関とは異なり、実質的な力を持っている。反同盟テロリストや宇宙海賊を取り込み、帝国自治領とした。配下の軍勢は自称一〇〇〇万、実数数百万とみられる。外宇宙に築いた勢力圏は、同盟領を半包囲するように広がる。中核勢力のエル・ファシル自治領は、エル・ファシル革命政府軍そのもので、最も強硬な反同盟組織である。これを廃止するとなれば、サジタリウス総督府どころではない問題になるはずだ。
ラインハルトが新たに置いた高等弁務官事務所は、自治領において帝国政府を代表する機関である。「事実上の総督府」と称されることもあるが、統治権は持たず、行政・軍事の監督権のみを有する。自治領以外の領有権を放棄したに等しい。
「勘弁してくれ」
俺はテレビを苦々しげに見詰めた。いきなり副王府を廃止するとは思わなかった。自治領と軍隊は残るが、領有権を放棄したので、同盟領を攻める口実はなくなる。テロリストや海賊が反発することは疑いない。大義名分と一〇〇〇万副王軍をあっさり捨てた。予想外の事態である。計画を一から練り直さなければならない。
画面にラインハルトが現れた。緊急記者会見をやるそうだ。強面の提督を引き連れて会見場に入ってくる。
「不死身のパウル、疾風ウォルフ、氷剣オスカー、鉄壁ビッテン、猛犬ロルフ、火の玉ミュラー、闘鬼ケスラー、揺るぎなきカール……。本当に記者会見なんですか? 殴り込み要員ばかりですよ」
いつの間にか戻っていたディッケル大尉が言った。
「印象操作だよ。上品なのを並べたら、いかにも譲歩しましたって感じがするだろ?」
「オーベルシュタインだけでも迫力十分ですからね。両目が義眼、両耳が義耳、両腕が義手、両足が義足。見た目からしてやばいです」
「帝国の義体は見た目がものものしいからな。いかにも機械って感じで」
「このメンバーがこんな時間まで起きてるってのも凄いですよね」
「呆れるよな。こいつら、いつ寝てるんだ? 働き過ぎだろ」
「えっ……!?」
ディッケル大尉が信じられないと言った顔で、こちらを見る。
「昨日から重大発表の連続じゃないか。たぶん一睡もしていない。むちゃくちゃだ。こんなペースで働いたら早死するぞ」
最後の言葉は俺の願望であった。ラインハルトと戦う覚悟はある。覚悟はあるが、戦わないに越したことはない。
「…………」
コレット少将は立ち上がって俺の両肩に手を置いた。
「どうした?」
「…………」
「言いたいことがあるのか?」
「…………」
一八三・〇三センチのコレット少将が、一六九・四五センチの俺を見下ろす。髪を後ろに束ねているので、豊満な裸体が丸見えである。美しい顔は仮面のように無表情だ。大きな目を半分だけ開き、じっとりした目つきでこちらを見る。ものすごく怖い。
日中は支持固めに走り回ることになる。幸いなことに会談やメディア出演の予定がぎっしり詰まっている。状況が変わったからと言って、キャンセルされることはない。むしろ、こんな時だからこそ、俺の声を聞きたいと思うはずだ。
「朝の六時三〇分からNNNモーニングニュースに出演、七時から……」
ディッケル大尉が俺のスケジュールを読み上げる。
「一一時からドーソン提督との会食……」
「不安だなあ」
俺はドーソン上級大将からもらったメールの内容を思い出した。ただ一言、「説明しろ」とのみ書かれていた。長くもなくくどくもなくつまらなくもないメールが怖い。
「大丈夫でしょう」
真正面に座るコレット少将が言った。未だに全裸なので、心臓によろしくない。
「他人事だと思って気楽に言うなよ」
「あの人、ちょろいじゃないですか。自分の意見がないし」
「少しはオブラートに包めよ」
「何事も包み隠さないことが忠誠。そう心得ております」
正論であったが、全裸で言われると微妙である。
「七時からおはよう動画、八時からさわやかモーニング……」
ディッケル大尉がコレット少将のスケジュールを読み上げる。日中はほとんど別行動になる。
「コレット提督、外に出る時は服を着てくれよ」
「もちろんです。帰ったら脱ぎますが」
「脱がなくていいから」
「フィリップス提督がお休みになるまでは着替えません」
コレット少将は聖戦に挑む騎士のような表情で言った。彼女にとってはこれが聖戦なのだ。エリヤ・フィリップスに徹夜させないための戦いなのだ。
ミーティングを終えた後、俺は客室に戻った。汚れた軍服を脱ぎ、シャワーを浴び、背が伸びるストレッチを行い、きれいな軍服に着替え、髪型を整える。
「これも片付けないと」
大量のファイルがデスクの上に積み上げられている。カバーはピンク色で、丸っこいタイトル文字と丸っこいイラストが可愛らしい。冷徹無比のユリエ・ハラボフ大佐がなぜこんなカバーを作ったのか。題名を見ればわかる。
『責任者退艦禁止規定』
『降伏罪』
『国防娯楽健全化法(軍人のゲーム・漫画・アニメを制限)』
『同盟軍人忠誠審査法』
『記録断罪法』
『国防用地収用法』
『国防五悪追放法(軍人の酒・タバコ・賭博・ポルノ・婚前交渉を完全禁止)』
『現地司令官に対する治安出動決定権の付与』
『参事官に対する命令副署権及び指揮権の付与』
『参事官を配置する部隊の拡大』
『青少年国防奉仕法』
『三分間憎悪の義務化』
こんな法律や規則が成立したら、同盟軍は軍隊としての体を成さなくなる。トリューニヒト政権は右翼や道徳主義者を満足させるためだけに、百害あって一利もないルールを作ろうというのだ。
『国防入札正常化法』
『同盟軍人倫理規程』
『同盟軍人権利擁護法』
『国防ハラスメント防止法』
『国防賠償法』
『国防環境整備法』
これらの法律や規則が廃止されたら、同盟軍のモラルは地の底に落ちる。トリューニヒト政権は右翼や利権屋や世俗主義者を満足させるためだけに、必要不可欠な法律をルールを廃止しようというのだ。
『次世代単座式戦闘艇チプホ』
『イオン・ファゼカス級超弩級宇宙母艦』
『八〇四年型標準戦艦(仮)』
『バレーエフ級ミサイル巡航艦』
『無敵戦車ヘプナー』
『ノーチラス級陸海空汎用戦闘艦』
『軌道要塞ガリバー』
『巨大強化外骨格キング・マーキュリー』
こんな装備が導入されたら、同盟軍はハリボテと化してしまう。トリューニヒト政権は右翼や軍需企業を満足させるためだけに、役に立たない装備を導入しようというのだ。
さらに言うと、ヘプナー将軍はヒトラーに反逆した人物、バレーエフ大統領はルドルフの最大の政敵であり前任の連邦元首だった人物、キング・マーキュリーはジークリンデ皇后とルートヴィヒ皇太子を殺した人物である。兵器の名前自体が帝国への嫌がらせになっていた。
『二個正規艦隊増設』
『二個地上軍増設』
『一星系一戦隊、一星域一分艦隊構想』
『揚陸艦隊創設』
こんな部隊が作られたら、同盟軍は空箱になってしまう。トリューニヒト政権は右翼や軍需企業を満足させるためだけに、必要ない部隊を作ろうというのだ。
『軍用性処理人形 鋼鉄の巨人』
『軍用性処理人形 金髪の孺子』
『軍用性処理人形 歩く博物館』
『軍用性処理人形 裸足の公爵夫人』
『軍用性処理人形 ミンチメーカー』
『人型便器 ルドルフ・ザ・グレート』
『人型便器 エンペラー・コルネリアス』
『人型便器 エンプレス・ジークリンデ』
説明もしたくない。
中身が不快極まりないので、せめてカバーを可愛くしよう。それがハラボフ大佐の考えだった。正しい判断だと思う。
「こればかりは、フェザーンと地球教に感謝しないとな」
俺は誰にも聞こえないような小声で呟いた。ハイネセン行きの本来の目的は、これらの案件を白紙撤回させることにあった。しかし、講和要請が国防政策に根本的な見直しを迫った。
講和が成立した後、主導権を握るのは講和を強く推進した勢力である。馬鹿な政策をやめさせるには、俺たちが主導権を掌握し、戦後の国防政策をリードすることだ。
国防監察本部長クレメンス・ドーソン宇宙軍上級大将はじゃがいもである。彼の栄光はじゃがいもとともに始まった。彼の出世街道はじゃがいもによって舗装された。市民は彼を「じゃがいも提督」と呼んで尊敬する。軍人は彼を「じゃがいも野郎」と呼んで畏怖する。そんな彼と飯を食うならば、じゃがいも料理店以外の選択肢はない。
「その髪はなんだ。綿菓子になったつもりか」
席につくなり、ドーソン上級大将は説教を始めた。
「カムフラージュです。イメージとかけ離れた格好をすることで、敵の目を欺いているのです」
俺はふわふわした金髪を右手でつまんだ。「赤毛の驍将」というには金色すぎる。「勇者の中の勇者」というにはふわふわすぎる。
「金髪に染めるだけで十分だろうが。ふわっとさせる必要があるのか」
「念には念を入れようと思いまして」
「空気感を出しすぎだ。貴官の髪はもともとウェーブしている。さらにウェーブさせれば、綿菓子になるのが道理だ。そもそも、金髪というものは……」
くどくどねちねちした説教が続く。小物の説教は気持ちよくなるための説教であって、わからせるための説教ではない。
「ご注文をお願いします」
店員がやってきたので、説教は中断された。
「じゃがいもランチAセット」
ドーソン上級大将は注文すると、俺にメニューを渡した。
「好きなものを注文しろ」
「お言葉に甘えさせていただきます」
俺はにっこり笑った。
「じゃがいものスープ」
「じゃがいものハンバーグ」
「じゃがいもの団子」
「じゃがいものグラタン」
「じゃがいものパンケーキ」
「じゃがいもと鶏肉のフリカッセ」
「じゃがいもとソーセージの油炒め」
「じゃがいもとニシンの酢漬けのサラダ」
「じゃがいもとベーコンのクリームパスタ」
「じゃがいものアイスクリーム」
「じゃがいもの……」
「待て」
ドーソン上級大将が遮るように右手を伸ばした。
「払うのは私だぞ」
「ごちそうになります」
「しょうがない奴だ」
お許しをいただいたので、注文を続けた。
「じゃがいものオムレツ」
「じゃがいもとアスパラガスのサラダ」
「じゃがいものチーズ焼き」
「じゃがいもと野菜とベーコンの卵とじ」
「じゃがいものアルミホイル焼き」
「じゃがいもの……」
名を呼ばれるたびに、ドーソン上級大将は「誰が払うと思っておるのだ」と呟いた。だが、うきうきした口ひげときらきらした目が本音を語っていた。
店員が去ると、説教が再開された。今度の標的は服装だ。ふかふかしたキャスケット、白いカットソー、淡いピンクのカーディガン、空色のパンツという格好がふわふわしすぎだという。
「少しは年を考えろ。それが三六歳の着る服か」
「だからこそ、カムフラージュになるのです。三六歳の上級大将がふわふわした格好をする。誰が予想するでしょうか」
「ハラボフに騙されとるんじゃないか? 自分好みの服を着せとるだけだ」
ドーソン上級大将の口ひげが少ししおれる。本当に心配しているらしい。
「彼女に限ってそんなことは無いと思いますが」
俺は笑いながらハラボフ大佐を擁護した。彼女ほど冷徹な人はいない。冷徹な計算の結果、ふわふわした服が最適と判断したのだ。そうに違いない。
「あいつはああ見えて残念な奴だぞ」
ドーソン上級大将は少し嬉しそうに言った。下を見て安心する性質なので、残念キャラには優しい。以前は嫌っていたハラボフ大佐だが、何かのきっかけで残念キャラだと判断したらしく、今ではお気に入りである。
「彼女が上官にふわふわした服を着せて喜ぶ人だとしたら、残念すぎて泣けますよ」
「ハラボフならありえる。奴の士官学校時代のあだ名は『ポンコツ姫』だからな」
「うちではしっかり者ですよ。真面目すぎて連勤数がすごいことになったので、休暇を取らせています」
「休むのを忘れただけではないのか」
「彼女に限ってそれはないでしょう」
「好きすぎて忘れたというのもありうる。あいつは貴官を大好きすぎるからな」
ドーソン上級大将は盛大な勘違いをした。ハラボフ大佐が俺を好きというデマを真に受けているらしい。
「再婚する気はないか。貴官とハラボフなら残念同士でうまくいくと思うが」
今度はお節介が始まった。彼には説教モード、お節介モード、愚痴モード、自慢モードがあり、ランダムに切り替わる。
「左隣はダーシャのために空けておくつもりです」
「気持ちはわかるがな。ぞの年齢と立場なら、ずっと独身というわけにはいかんぞ」
「縁談はたくさん来ているのですが。有力者の縁戚になると、紐付きになります。それが嫌なんです」
「そこでハラボフだ。あいつと結婚しても紐付きにならんぞ」
今日のドーソン上級大将はやけにハラボフ大佐を推してくる。芋でももらったのだろうか。誰からもらったのかはわからないが。
料理が来て、皿が空になり、追加注文しても、話はモードを切り替えながらだらだらと続いた。俺は食欲を満たし、ドーソン上級大将は説教欲・節介欲・愚痴欲・自慢欲を満たす。ウィンウィンの関係である。
「ああ、ところで講和の話だが」
ドーソン上級大将はようやく本題を思い出した。
「自分の考えを申し上げます。まず……」
俺は講和論を語った。
「しかし、それでは反戦になるぞ」
「リベラルを利することにならんか」
ドーソン上級大将が問題にしたのは、反戦になるかどうか、リベラルになるかどうかという点だった。それ以外の点は問題にしなかった。
「反戦にはなりません。なぜなら……」
「むしろリベラルには不利になります。どういうことかと申しますと……」
この手の方便をひねり出すのはたやすい。
「何よりも俺がやるんです。エリヤ・フィリップスがやる時点で、反戦でもリベラルでもなくなります」
「もっともだ」
ドーソン上級大将の口ひげがピンと跳ねた。彼には思想がない。反戦アレルギーとリベラルアレルギーのみで動いている。「反戦でもリベラルでもない」という方便さえ用意すれば、講和を支持できる。
後方勤務本部長スタンリー・ロックウェル上級大将は食通である。美食と美酒を何よりも愛する。うまいものを味わうことが生きがいだ。医師に「血圧が高めなので節制した方がいい」と言われても、彼は美食をやめなかった。うまくてヘルシーなものを探した。そして、ヴィーガン・レストラン「グリーン・キッチン・ボブ」にたどり着いた。
「ヴィーガンとベジタリアンの違いは~」
ロックウェル上級大将のうんちくを聞きながら、俺は大豆蛋白のカツレツを味わった。
「君は糖分を取りすぎなのだ。野菜をもっと食べなさい」
うんちくが小言に変わり、俺はベジタブルランチを食した。支払いはすべて相手持ちだ。ロックウェル上級大将は優越感を満たす。俺は食欲を満たす。この関係はずっと変わらない。
「本題に入ろうか」
三〇分ほど過ぎた頃、ロックウェル上級大将は居住まいを正した。
「納得できる説明を聞かせてもらえるのだろうな」
「納得いただけるよう、努力いたします」
俺は自分の意見を述べた。
「副王軍……、いや弁務官軍はそれで弱体化するのかね。疑問だなあ」
「そこまで帝国に譲歩させるなら、相当の手土産が必要だぞ。何を差し出す?」
ロックウェル上級大将が問題にしたのは、現実的に可能どうかという点だった。
「長期的には弱体化します。ルートが切れますから」
「ラグナロックで持ち帰った文化財の一部返還。ここらへんが現実的ではないかと」
我ながら苦しい説明である。
「雑すぎやせんかね」
「即興で作った案ですから。ロックウェル提督のお目に叶う案となると、時間が必要です」
「まあ、今の段階で詰めることではないわな」
「重要なのは方針を決めることです。講和をするか否か。講和に何を求めるか」
「国家を守るための講和というのなら、喜んで協力しよう。重要なのは民主主義を守ることではない。民主国家を守ることだ。反帝国のイデオロギーを貫いて亡国を招くのであれば、本末転倒と言わざるを得ない」
ロックウェル上級大将は気難しい表情を崩さずに答えた。彼には確固とした思想がある。譲れぬものがあれば迷わない。
前の世界のスタンリー・ロックウェルは二つの大罪を犯した。ジョアン・レベロを見捨て、ヤン・ウェンリーの抹殺を図った。国家の危機が迫った時、彼は冷酷非情の決断を下したのだ。ジョアン・レベロを殺し、ラインハルトに降った。国家の滅びが不可避となった時、彼は狂ったのだ。この事実は彼が国家にすべてを捧げたことを示している。
ボッタ社副社長フィリップ・ルグランジュ宇宙軍予備役上級大将は、安っぽいビアホールが大好きだ。上品な店は性に合わない。高級な店は妻が許さない。静かな店は居心地が悪い。酒はビールに限る。喧騒の中、ギトギトで固い肉をかじりながら一杯やる。それにまさる喜びはないという。
「講和のことですが……」
俺は言葉を選びながら語った。本来は遠慮など必要ない。家族同然の仲だ。いや、家族以上かも知れない。フィリップス家の構成員のうち、彼と同等かそれ以上に親しいのは妹だけである。それほどの仲でも言いにくいことはある。
この世界では不安要因のないルグランジュ予備役上級大将であるが、前の世界では極右クーデター集団の一員だった。ただ参加しただけではない。全滅するまで戦う気合を見せて、ヤン・ウェンリー提督をドン引きさせた。そんな人に対して講和論を説くのは、勇気のいることだった。
「支持しよう」
「えっ?」
あまりにもあっさりした答えだったので、俺は面食らった。
「どうした? そんなにおかしいか?」
「いえ……。ルグランジュ提督は主戦派だと思っておりましたので……」
俺は奥歯に物が挟まったような言い方をした。「前の世界で極右クーデターに加担した人だから」などとは言えない。
「確かに主戦派だがね。戦うために戦ったわけではない。帝国に負けを認めさせたかった。同盟に手出ししないと約束させたかった。五〇〇年の圧政が誤りだと認めさせたかった。だから戦った。貴官もそうだろう?」
「はい」
「それができないことがわかった」
ルグランジュ予備役上級大将の顔に陰が差す。
「勝って勝って勝ちまくった。数十万隻を破壊した。数千万人を殺した。帝都を攻略した。それでも終わらなかった。じゃあ、どうすれば終わるんだ? 帝国軍を皆殺しにするか? 帝国領を全部占領するか? 我々にそれができるのか? できないだろうが」
「できません」
「ハイネセンを出発した時、私には一五〇万人の部下がいた。ハイネセンに戻った時、私には七〇万人の部下しかいなかった。八〇万人が帰れなかった」
「…………」
「あの戦いには、彼らの犠牲に見合う価値があったのだろうか。私は彼らにどう顔向けすればいいのか」
ルグランジュ予備役上級大将は力なくうつむいた。
「…………」
俺には何も言えなかった。ルグランジュ予備役上級大将の痛みは、ラグナロックで戦った者すべてに共通するものだった。体の痛みはいずれ消える。しかし、心の痛みは消えない。
「それが賛成する理由だ。納得したか?」
「ええ。これ以上無いほどに」
「一つだけ注文がある」
「なんでしょう?」
「講和となれば相互軍縮は避けられんだろうが、最小限にしてくれ。軍人以外の仕事ができない奴はたくさんいる」
ルグランジュ予備役上級大将は情の人であった。いかつい風貌の奥にナイーブな心を秘めていた。そのナイーブな心こそが士心を得た理由であり、用兵家としての甘さであろう。前の世界でクーデターに加担した理由も、ナイーブさゆえかもしれない。
彼らのほか、予備役上級大将二名、現役大将三名、予備役大将二名と面談して、支持を取り付けた。統合作戦本部次長シンクレア・セレブレッゼ宇宙軍上級大将は、メールを送った時点で支持を表明してくれたので、純粋に食事を楽しむことができた。
一三日の深夜二三時、俺は仕事を終えて宿舎に戻った。コレット少将、ディッケル大尉らと軽いミーティングを行う。
「足元はほぼ固まったな」
「アラルコン提督は未だに返事がありません」
ディッケル大尉は資料をパラパラとめくった。
「一緒に飯を食うのは明後日だ。それまではわからない」
「支持してくれると良いのですが」
「駄目なら駄目で仕方がない。思想を捨てろとはいえないよ」
俺は自分に言い聞かせるように言った。サンドル・アラルコン予備役上級大将については、ここまで付いてきてくれただけでありがたいと思う。これ以上は望まない。
「他派の動きが気がかりです」
「自称ヤン派は派手に動いているね。AACFにすり寄ったり、大衆党にAACFとの連立を提案したりしている」
「無節操ですね。受け入れられると思っているんでしょうか」
「生存率〇パーセントの選択肢と生存率一〇パーセントの選択肢、どっちを選ぶ?」
「一〇パーセントを選びます」
「自称ヤン派も同じ心境だよ。俺がトップになったら、彼らは絶対に生き残れない。だから少ない可能性に賭ける。ヤン提督が話の通じる人間である可能性、ヤン提督を傀儡にできる可能性にね」
俺は自称ヤン派が大嫌いだが、それなりの合理性を持った相手だと思っている。
「真のヤン派はいかがでしょう?」
コレット少将が質問する。
「ヤン元帥が文化人と対談しまくっている。AACF支持者も無党派もいるけど、みんな反戦リベラルだ」
「下院選に向けた選挙運動という噂があります。事実なのでしょうか?」
「わからない」
俺は現時点で最も誠実な答えを口にした。憲兵隊と公共安全局がヤン元帥の意向を必死に探っているが、何も出てこないという。宿泊先のキャゼルヌ家は、傭兵が厳重に警備しており、脱法的手段による情報収集が不可能なのだそうだ。
この問題については、前の世界の知識はあてにできない。AACFにはヤン元帥の恩師や友人がいる。政治嫌いとは言え、親しい人に頼まれたら断れない気もするのだ。
トリューニヒト政権は未だ沈黙を保っている。講和要請以降、何も発信せず、何も決定していない。
官邸筋から聞いた話によると、閣議自体は開かれているそうだ。しかし、アントン・ヒルマー・フォン・シャフト科学技術委員長とマルティン・ブーフホルツ評議員がごねまくり、トリューニヒト議長が決を採らないので、何も決められない。
シャフト委員長やブーフホルツ評議員がごねるのは、故なきことではなかった。帝国系移民は右翼と密着し、圧制の被害を訴え、主戦論を唱えることで地歩を築いてきた。統一正義党は帝国系の議員や党員が多く、「ゲルマン党」の異名を取るほどだ。大衆党は統一正義党には及ばないものの、帝国系の比率は他党より高い。戦争が終われば、帝国系は右翼から重用されなくなり、ただのマイノリティに落ちぶれる。
一四日午前一三時、銀河帝国救国軍事会議議長ラインハルト・フォン・ローエングラム、フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキー、地球教銀河教会総大主教シャルル二四世の三名は、超光速通信会談を行い、金融危機打開に向けて協力することで一致した。合意文書には、帝国・フェザーン・地球の三国による共同委員会の設置、帝国に対する金融支援などが盛り込まれた。
「サジタリウスの民の参加を熱望している」
ラインハルトは記者会見の場でこのように述べた。「サジタリウスの民」とは同盟のことである。帝国は同盟に対するテロ組織指定を九七年ぶりに解除し、「反乱軍」と呼ぶことを止めた。
ルビンスキー自治領主とシャルル二四世は、ラインハルトに同調し、同盟に共同委員会への参加を強く求めた。
「やられた……」
俺の計画は完全に破綻した。フェザーンや地球と組み、帝国に圧力をかけさせるつもりだった。ラインハルトは同盟との講和に消極的なはずだった。多少時間がかかったとしても、同盟・フェザーン・地球VS帝国の構図を作ることは可能だと踏んでいた。しかし、ラインハルトの動きは小物の予測を超えていた。フェザーンや地球でさえ、ラインハルトの後追いしかできない有様だ。
「いかがなさいますか?」
ディッケル大尉が青ざめた顔で問いかける。
「問題ない。順序が逆になっただけだ。ゴールは同じだよ」
自信たっぷりに断言する俺だが、内心では焦っていた。主導権を完全に取られた。ラインハルトの意図がまったく読めない。しかし、ここで迷いを見せるわけにはいかなかった。