銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第119話:小物はなりふり構わない 803年4月下旬 惑星シャンプール

 八〇四年上院選挙は、トリューニヒト政権の中間評価を問う選挙だ。与党大衆党が単独過半数を維持できるかどうかが注目される。

 

「政治的無関心が広がっている」

 

 そう言われて久しい同盟だが、銀河連邦末期とは雲泥の差だ。少なくとも、「首相選挙当日のトップニュースが、有名フットボール選手の引退表明」なんてことは絶対にない。テレビと新聞とネットは、選挙の話題で持ち切りだ。パブやカフェでは、人々が政治論議に花を咲かせる。

 

 同盟軍もこの騒ぎと無縁ではいられない。同僚や部下と食事をしたがる者が急増し、基地周辺の飲食店を混雑させる。旧交を温めたいという衝動が高まるらしく、元上官、元同僚、名前しか知らない他部署の人間、何年も会っていない同期などからの通信が増える。友達がいなくても、この時期だけは話し相手に困らないだろう。

 

「今の政治についてどう思う?」

「誰に入れるか決めたか?」

 

 相手からこんな質問が出てきたら安心するべきだ。少なくとも、こちらの意思を確認する程度の良識は持ち合わせている。

 

「A党に投票しろ」

「B党に入れたら、ただではおかんぞ」

 

 いきなりこんなことを言われることもある。相手が他部署の人間や退役軍人ならまだましだ。上官や同僚に言われたら、運が悪かったと思うしかない。

 

 官舎の郵便受けに突っ込まれる選挙ビラもおなじみの光景だ。軍人官舎に部外者が立ち入ることはできない。誰が投函しているのかは言うまでもないことだ。

 

「失礼します」

 

 隣にいる首席副官ユリエ・ハラボフ大佐が、俺の郵便受けからビラを抜き取った。投函物に気を配るのも、ボディーガードの仕事なのだそうだ。

 

「ありがとう」

 

 俺は内心で困惑しつつも、にこやかにビラを受け取った。なぜ、彼女はビラを渡す時に、俺の右手を掴んで引っ張るのだろうか? こちらが手を差し出すのを待てないのだろうか? 疑問は募るばかりだが、冷ややかな目で見られたくないので黙っていた。

 

 三枚のビラを見比べる。大衆党、反戦・反独裁市民戦線(AACF)、和解推進運動のビラだ。ハラボフ大佐がやたらと顔を寄せてくるので、落ち着かない気分になる。

 

「読みやすいビラだな」

 

 俺は大衆党のビラに目を通した。実に読みやすい。一目見るだけで文章が頭に入っていく。実に読みやすい。デザインも文章も工夫されている。明らかにプロの仕事だ。

 

「でも、見た目だけですよね」

 

 ハラボフ大佐が俺の心の声を代弁した。

 

「見た目は大事だよ」

 

 俺は一般論でごまかした。世話になっている党を悪く言うのは気が引ける。けれども、ありもしない中身を「ある」と言い張るほど厚顔にもなれない。

 

 一枚目は候補者をアピールするビラであった。マリア・ガーランド候補は若くて美しい。「怪我で引退した女子サッカー元エルゴン星系代表の新たな挑戦」というドラマもある。だが、中身はまるでなかった。

 

「青少年政策とスポーツ振興に力を入れます」

 

 ガーランド候補はそう主張するが、「力を入れる」と言うだけだ。その他の政策は、大衆党のマニフェストの完全なコピペだった。

 

 二枚目は党そのものをアピールするビラだ。税金を減らし、賃金を上げ、大規模な公共投資を行い、年金を増やし、健康保険の自己負担額を減らし、所得格差をなくし、地域格差をなくし、移民問題を解決し、テロリストと海賊を潰すそうだ。負担やリスクに関する記述は一切ない。甘党の俺ですら糖分過多に感じるほどに甘かった。

 

「中身だけでも駄目ですけど」

 

 ハラボフ大佐はAACFのビラに冷ややかな目を向けた。

 

「そうだな」

 

 俺は二枚組のビラを食い入るように眺める。興味をひかれたわけではない。こうでもしないと読めないのである。

 

 一枚目は候補者をアピールするビラであった。ルシール・マンロー候補の経歴は尊敬に値する。こういう人なら信用してもいいんじゃないかと思える。だが、主張がわかりにくすぎた。わかりにくさを誇るふしすら感じられる。

 

「デザインは悪くない。金をかけている」

「銀色の哺乳瓶がスポンサーについてますからね」

「テン・ビリオン・アイズ、キリマンジャロ、フリーウェイも、AACFのスポンサーだ。IT業界のビッグ・フォーが全面支援している」

 

 頭の中でAACFのスポンサーを指折り数えた。ビッグ・フォーのほか、金融街や星間貿易業界の大手が軒並み名を連ねる。旧進歩党のスポンサーであり、レベロ改革や民主政治再建会議を金銭的に支えた連中だ。集金力だけなら大衆党と互角、あるいはそれ以上かもしれない。

 

「金と手間をかけて読みにくくしたとの印象を受けます」

「インテリにはこういうのが受けるのかな?」

 

 高卒の俺はビラから目線を放さずに問うた。少しでも顔を動かすと、副官の顔にぶつかりかねないからだ。

 

「人文系には受けるかもしれません」

 

 ハイネセン工科大中退・士官学校優等卒業のハラボフ大佐は、突き放すように答えた。「理系の私にはわかりませんけど」と言ったように聞こえるのは、気のせいだろうか。

 

 二枚目は党そのものをアピールするビラだ。文章の部分はやはりわかりにくい。インタビューの部分がわかりやすいのは、インタビュイーのおかげであろう。

 

「アレックス・キャゼルヌ影の国防委員長に聞く」

 

 見出しにはそう書かれていた。「影の国防委員長」とは、AACF政策部会「影の最高評議会」における国防政策部会のトップだ。大衆党政策審議会の国防部会長と同じ役割を果たす。

 

 影の最高評議会は省庁再編前の最高評議会と同じ構成をとっている。政権を獲得したら、影の最高評議会メンバーがそのまま最高評議会入りするそうだ。適材適所を実現するため、国会議員は憲章で定められた最小限に留まり、民間人を多数登用している。

 

 ハイネセン記念大学経済研究所のアレックス・キャゼルヌ教授は、民間人委員として影の最高評議会に加わった。かつては同盟軍最高の兵站専門家と言われた。ラグナロック戦役では、同盟軍数千万の補給を取り仕切るという難業に取り組んだ。終戦後は地方部隊削減に成果を上げた。リベラル陣営においては、国防政策の第一人者と目される。

 

「影の国防委員長、アレックス・キャゼルヌですか……」

 

 そう呟くハラボフ大佐の声を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。普段の彼女は冷ややかだがどこか安心できる部分がある。今はそうではない。

 

「善政の基本とは市民を飢えさせないことです」

 

 インタビューの冒頭にある言葉は、前の世界ではアレックス・キャゼルヌの名言とされるが、最初に言ったのはギュンター・マハト師である。誰でも知っている名言から切り出すあたり、他のインテリとは一味違う。

 

「国防も市民を飢えさせないことを第一に考えねばなりません。国防費と社会保障費の双子の赤字が、同盟経済を圧迫しています。市民は重過ぎる負担に苦しんでいます。失業率と貧困率は過去最高を記録しました。市民あっての国家です。軍隊と軍需企業を養うために、市民を飢えさせるのは本末転倒です。国防費を削減し、市民を軍事負担から解放する。それこそが最も必要な国防政策です」

 

 キャゼルヌ教授の現状認識は独創的なものではない。ハイネセン経済学を修めた者なら、誰でも同じことを言うだろう。人々が彼に求めるものは独創性ではなく、処理能力と調整能力だ。

 

「現在の同盟軍はいわば肥満児です。同盟軍は過剰な戦力を脂肪のように貯め込み、膨れ上がった体を維持するために税金を食い潰しています。肥満を治療するためにはダイエットが必要です。過剰な戦力を削減し、軍をスリム化します。無駄遣いをなくし、必要な分野に予算を集中します。これによって、国防費削減と実質的戦力強化を同時に実現します」

 

 方針を一通り述べた後、具体的な政策の説明に入る。常備兵力の七割削減、軍人給与削減、退役軍人年金削減、戦没者遺族年金削減、退役軍人医療への自己負担導入、徴兵制の廃止、任務部隊方式の導入、地域別総軍の廃止、即応艦隊と即応地上軍の廃止、予備役部隊の半数を星系政府管理下の「星系軍」に改組、特殊部隊の充実、後方業務の民間委託化推進などにより、国防費の六割を圧縮できるという。

 

 数千万単位で発生する失業軍人については、「民間企業が吸収する」と楽観的な見方を示した。軍事負担が減り、軍が抱え込んでいた人材が民間に流れることで、民間経済は活性化する。好景気が人手不足と賃金上昇を促し、失業軍人の八割が現役時代以上の収入を得る。軍人年金や遺族年金の削減分についても、賃金上昇によって補填できる。

 

 再就職への支援も怠らない。退役軍人向けの職業訓練制度を設け、選択肢が増えるよう後押しする。就職あっせんは自助努力を阻害するので行わない。軍・産・政・学・報の癒着構造を打破するため、軍と取引のある企業・団体への再就職を完全に禁止する。

 

「反省していないのか」

 

 俺は苦々しい気分になった。レベロ政権時代とほとんど同じ政策ではないか。確かに国防費を圧縮することはできた。しかし、失業軍人が民間企業に吸収されることはなかったし、賃金は上昇しなかった。退役軍人と戦没者遺族は貧困に叩き込まれた。同じ過ちを繰り返すつもりか。

 

「反省した結果がこれなのでは」

 

 ハラボフ大佐の声には優しさというものがない。

 

「そりゃそうだ」

 

 俺は心の底から納得した。小物でもわかることが、キャゼルヌ教授にわからないはずはない。わかった上で「この方法しかない」と割り切っているのだろう。

 

 七九〇年代はコストを減らせば減らすほど、「有能」とされる時代だった。そんな時代に「同盟軍最高の兵站専門家」と言われたキャゼルヌ教授は、同盟軍最高のコストカッターである。コストとして切り捨てた者にいちいち同情していたら、コストカッターなど務まらない。俺が殺した敵兵にいちいち同情しないのと同じことだ。

 

 軍縮と民力休養によって経済が活性化するという主張は、この社会においては「現実主義」とみなされる。前の世界で書かれた『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』も、軍縮・民力休養論の見地に立っていた。

 

 彼らの言いたいことはわからないでもないが、共感できない。非現実的だろうが、感情論だろうが、俺は軍人の側に立つ。

 

「…………」

 

 ハラボフ大佐が無言で袖を引っ張るので、俺はAACFのビラを閉じた。

 

「すまん」

「最後は和解推進運動ですね」

「ああ」

 

 和解推進運動のビラを開いた瞬間、俺とハラボフ大佐は顔を見合わせた。

 

「読みにくいなんてものじゃないですね」

「ああ」

 

 ビラに目を通したが、無意識のうちに視線が外れた。目が読むことを拒否したようだ。デザインも文章もひどすぎる。何を言いたいのかすらわからない。中身を問う以前の問題だ。

 

「紙も印刷も安っぽいですね」

「家庭用のプリンターで作ったんだろうな」

「これもレベロ流なのでしょうか?」

「違うね。単に金がないだけだ」

 

 和解推進運動の困窮ぶりは酷いものだ。支持者もスポンサーもAACFに流れてしまった。「家賃が払えない」という理由で、党本部をジョアン・レベロ党代表の自宅に移転した。全選挙区の一割に候補を立てるだけでも精いっぱいだった。

 

 和解を呼び掛けるより、分断を煽る方がずっと利益になる。ジョアン・レベロの凋落とAACFの隆盛がそのことを教えてくれる。

 

 ビラをポケットに入れて、階段を上がった。エレベーターは極力使わないようにしている。襲われても逃げられないからだ。エル・ファシルでテロリストと戦った時も、首都防衛司令部が再建会議のハッキングを食らった時も、エレベーターは役に立たなかった。それに階段を使った方がトレーニングになる。こんなことまで気にするのが、小物の小物たるゆえんであろう。

 

 ハラボフ大佐は右隣を歩いている。少し油断したら、俺の右肩と彼女の左肩がぶつかりそうな距離だ。俺を嫌っているのに、なぜ並んで歩きたがるのだろうか? 小物には理解できない。

 

 若い女性が上から下りてきた。三階に住むボンサナート少佐だ。左手で紙の束を抱えている。敬礼しないのはこちらに気付いていないからだろうか。

 

「おう、ボンサナート君じゃないか」

 

 俺の方から声をかけた。

 

「お疲れ様です!」

 

 ボンサナート少佐は「しまった」と言いたげな顔になり、慌てて敬礼した。左手に抱えた紙は統一正義党の選挙ビラだ。

 

「ご苦労さん」

 

 俺は苦笑して敬礼を返し、そのまま階段を登った。

 

「よろしいのですか?」

 

 ハラボフ大佐が俺の右耳に口を寄せ、小声でささやく。誰も守っていないが、現役軍人の政治活動は違法ということになっている。

 

「目くじらを立てるほどのことでもない」

 

 そう言って、俺は歩き続けた。勤務時間中に投函する者や職場に投函する者と比べれば、よほど良心的だ。

 

 屈強な青年が下りてきた。四階に住むリッジウェイ中尉だ。右手で紙の束を抱えている。こちらに気付き、慌てて敬礼する。

 

「ご苦労さん」

 

 俺は苦笑ながら敬礼を返す。リッジウェイ中尉が抱えていた紙が、汎銀河左派ブロックのビラであることに気付いたが、知らんふりをした。

 

 ビラを持たない人とすれ違うと、敬礼とともに生温かい視線を向けられた。ハラボフ大佐に「頑張ってるね」「応援してるよ」と声をかける人もいる。知らないところでハラボフ人気が高まっているらしい。

 

「最近、頑張っているみたいだな」

 

 俺はハラボフ大佐に声をかけた。

 

「いえ……」

「俺も応援してるぞ」

「…………!」

 

 ハラボフ大佐は急にそっぽを向いた。耳が真っ赤に染まっているのは怒りのせいだろうか。雑談に応じてくれるようになっても、敵意が薄れたわけではないようだ。

 

 

 

 帝国は同盟の選挙を表向き黙殺してきた。「凡人が凡人を選ぶ制度など馬鹿馬鹿しい」というのが建前、「何か言ったところで、面子が傷つくだけ」というのが本音である。

 

 一三八年前の上院選挙当日、コルネリアス一世は、当選者全員に祝福のメッセージを送った。皇帝が直々に声をかけてやれば、不逞な反乱軍も感激するだろうと考えたのだ。打算もあっただろうが、根底にあったのは君主としての善意だった。

 

 当選者たちはメッセージを「皇帝が媚びてきた」と解釈し、コルネリアス一世の軟弱さを嘲笑った。返信用に開かれた通信チャンネルは、嘲笑と罵声で満たされた。SNSで返信用チャンネルへの突撃を呼びかける者も現れた。悪乗りしたネットユーザー数千万人が乗り込み、皇帝に嫌がらせの言葉を浴びせ、下品なコラ画像を送り付けた。開設から一三分でチャンネルが閉鎖されると、ネットユーザーは「皇帝逃亡!」と叫んだ。

 

 このような侮辱を受けてもなお、臣従と和親を求め続けたコルネリアス帝は称賛に値する。しかし、それを真似る者は現れなかった。当然と言えよう。

 

 三月二二日、救国軍事会議議長ラインハルト・フォン・ローエングラムは、サジタリウス腕に向けて、「選挙は違法なので即刻中止するように」というメッセージを送った。帝国は銀河全域の領有権を主張している。サジタリウス腕に選挙中止を求めることも、帝国法においては可能だ。

 

 帝国の為政者が選挙に関心を示すのは一三八年ぶりのことだが、同盟市民の反応は冷ややかであった。罵倒すらなかった。

 

「相手にするのも馬鹿らしい」

 

 これがラインハルトに対する一般的な評価だ。真意を探るのも馬鹿らしいし、腹を立てるのも馬鹿らしいし、嘲笑を浴びせるのも馬鹿らしい。

 

「いつもの不規則宣言」

 

 専門家はばっさりと切り捨てた。選挙中止勧告には実効性がまったくない。支持者向けのポーズだとしても、喜ぶのは程度の低いナショナリストだけだ。政治的意味のある発言とは思えない。

 

「開戦の口実を作ろうとしているのかもしれません。コルネリアス一世の前例があります。注意が必要です」

 

 マスコミから見解を問われた俺は前例を引き合いに出し、注意するよう訴えた。六六四年から六六八年にかけて、コルネリアス一世はサジタリウス腕向けの詔勅を数百件も発した。そして、「度重なる勅令無視に対する懲罰」と言って、大親征を敢行したのである。

 

「攻めてくるはずがないだろう」

 

 素人も専門家も否定的な反応を示した。帝国崩壊は間近に迫っている。ローエングラムが出兵論に与したことは一度もない。救国軍事会議の主流を占める開明派は、伝統的に内政重視の傾向がある。国力的にも政治的にも、帝国の現政権が出兵に踏み切る可能性は低い。

 

「攻めてきたとしても、イゼルローンで阻止できる」

 

 帝国が攻めてくる可能性に思い至った者も、楽観的な姿勢を崩さなかった。イゼルローン総軍は銀河最強、いや史上最強の軍隊だ。弱小の帝国軍が、ヤン・ウェンリーと一二星将を突破できるはずがない。

 

「フェザーンから攻めてくる可能性があります」

 

 そう答えたのは俺ではなく、新興宗教団体「光に満ちた千年王国」であった。時間逆行者を自称するカシア・ロスネルの信奉者たちは、帝国軍がフェザーンから攻めてくると信じていた。

 

「馬鹿げている」

 

 人々はこの発言を嘲笑った。カシア・ロスネルの著書『銀河未来記』といえば、「当たらない予言」の代名詞だ。

 

「七九六年二月  同盟軍、黄金の獅子に大敗」

「七九六年五月  黒の魔術師、イゼルローン要塞を無血攻略」

「七九六年九月  同盟軍が帝国に侵攻するも、焦土作戦の前に苦戦」

「七九六年一〇月 同盟軍、黄金の獅子に大敗。宇宙艦隊の主力を喪失」

「七九七年四月  ハイネセンにおいて緑の人のクーデター発生。同盟は内戦に突入」

「七九七年八月  クーデター軍、黒の魔術師に降伏。同盟内戦終結」

「七九八年五月  黒の魔術師、帝国軍の機動要塞Gを破壊」

「七九八年八月  わがまま皇帝、同盟に亡命」

「七九九年一二月 帝国軍、フェザーン制圧」

「七九九年二月  同盟軍、黄金の獅子に大敗」

「七九九年四月  黒の魔術師と黄金の獅子が交戦」

「七九九年五月  小さな狼、ハイネセンに侵攻。自由惑星同盟降伏」

「七九九年六月  黄金の獅子が即位。ゴールデンバウム朝滅亡」

「七九九年一一月 黄金の獅子、同盟領に再侵攻」

「八〇〇年一月  同盟軍、黄金の獅子に大敗。宇宙艦隊壊滅」

「八〇〇年二月  自由惑星同盟滅亡」

「八〇〇年四月  黒の魔術師と黄金の獅子が交戦」

「八〇〇年六月  黒の魔術師、宗教テロリストによって暗殺」

「八〇〇年七月  黄金の獅子、フェザーンに遷都」

「八〇〇年八月  亜麻色の少年、イゼルローンで決起」

「八〇〇年一一月 黒青色の人、旧同盟領において反旗を翻す」

「八〇〇年一二月 小さな狼、黒青色の人の乱を鎮圧」

「八〇一年五月  亜麻色の少年、黄金の獅子と和解」

「八〇一年七月  黄金の獅子、病没」

 

 これらの予言は見事に外れた。同盟もゴールデンバウム朝も存続している。部分的に当たったものもあるが、「一部かすった」という程度だ。

 

 そして、肝心な出来事を予言できなかった。エル・ファシル奪還戦も、エル・ファシル七月危機も、シャンプール・ショックも、オーディン陥落も、オリーブの枝作戦も、第二次ヴァルハラ会戦も、ボーナムの奇跡も記されていないのだ。そんな予言を信じる者などいない。

 

 ロスネル本人にしても、目立った業績があるわけではない。宗教団体「輝ける千年王国」を設立し、投資家としての才能と異常な若々しさによって、多くの信者を集めた。しかし、七八八年夏に投資に失敗し、資産の大半を失った。起死回生を賭けた外宇宙移住計画も失敗に終わった。出所後に新教団を樹立したものの、七九五年に急死した。新興宗教の教祖としては平凡な部類だろう。

 

 千年王国を支持したのは、数名の自称時間逆行者のみであった。彼らはロスネル信者ではない。時間逆行者としての知識を生かし、独自の予言活動を行っていた。

 

「自称時間逆行者を利用して、フェザーン侵攻を警戒する世論を作る」

 

 そんな計画が頭の中に浮かんだ。千年王国や予言者を丸め込み、自分が言えないことを代わりに「予言」させる。権力を利用して彼らの予言が当たるように仕向け、信ぴょう性が高まったところで、帝国軍のフェザーン侵攻を予言させるのだ。メディアが予言を取り上げた頃に、「ありえないとは思うが、市民を安心させるために」と言い、フェザーン方面に大軍を送り込む。

 

 幸いなことに、向こう側は俺を仲間だと勘違いしているらしい。千年王国幹部や自称時間逆行者が、オカルト雑誌に「フィリップス提督は時間逆行者だ」という記事をしばしば寄稿した。思い込みを肯定してやれば、この種の人間は思い通りに動いてくれる。

 

 非常識極まりない計画なので、まっとうな人間なら全力で止めるだろう。この件に関しては、チュン・ウー・チェン中将もイレーシュ少将もあてにできない。

 

 俺が相談相手に選んだのは、シェリル・コレット少将だった。どんなに馬鹿げた話でも、俺の言うことなら何でも聞いてくれる。従順だが単に迎合するだけでなく、俺の望みを一〇〇パーセント叶えようとする。「反対意見を言ってほしい」と言えば反対してくれるし、「批判してほしい」と言えば批判してくれるし、「殺してほしい」と言えば殺してくれるだろう。

 

 さらに言うと、自称時間逆行者の存在を俺の耳に入れたのは、コレット少将だ。俺の名前が登場する記事すべてに目を通さずにいられない彼女は、オカルト雑誌まで網羅していた。

 

「どのようなご用件でしょうか」

 

 コレット少将が通信画面に現れた瞬間、俺は後悔した。巨大なヤシの実を思わせる乳房、鍛え抜かれた腹筋、へその横にある古傷が目に入った。真っ白な肌は瑞々しい輝きを放ち、アッシュブロンドの髪はたっぷりと水を含んでいる。入浴中に通信を入れてしまったのだ。

 

「こういう計画を立てたんだ。遠慮なく意見を言ってほしい」

 

 俺は動揺を押し隠し、自分の計画について話した。着替えさせたら、彼女は「フィリップス提督に時間を使わせてしまった」と嘆き、ブラックホールの底まで落ち込むからだ。「時間を大事にしないといけないよ。取り戻せないから」と教えたことが、思わぬところで仇になった。

 

「成功の見込みは薄いと思います」

 

 全裸のコレット少将は、普段とまったく変わらない態度で答えた。後ろに全裸の女性が一人いるようだが、そちらにもまったく気を配っていない。

 

「理由は?」

「この社会には、オカルティストの言説があふれ返っています。毎日のように大事故や大事件が予言されています。逆行者が何か言ったところで、埋もれるだけかと」

「予言が当たったとしてもか?」

「はい。当たっても注目されません。予言が当たること自体は珍しくないからです」

「そんなもんか」

「プロの予言者は大量に予言を出します。一〇〇に一つはまぐれ当たりしますし、当たらなかった予言は忘れられます。メディアはそれをわかっているので、予言者などいちいち相手にしません」

 

 コレット少将は理路整然と意見を述べる。全裸であることを意に介する様子はない。

 

「当たる予言者が数人増えたところで、何の意味もないんだな」

 

 俺は軽く目を閉じた。第一に考えをまとめるため、第二に現実から逃げるためだった。恋人でもない女性の裸体を平然と見続けるなど、小物には不可能である。後ろでわたわたしている女性の存在が、いたたまれない気持ちを増幅させた。

 

「お疲れなのですか?」

「疲れているように見えるか」

「私の知っているフィリップス提督は、オカルトなどに頼るような人ではないですから」

 

 コレット少将が知っているのは、俺ではなくて「英雄エリヤ・フィリップス」だ。英雄でない俺は頼ることを恥とは思わない。

 

「そうだね。確かに疲れている。オカルトでも頼りたくなる」

 

 俺は軽く微笑んだ。何割かは目の前の女性のせいだろうが、それを差し引いても疲れているのは事実だった。

 

「オカルトより私の方が役に立ちます。お疲れの時は私を頼ってください」

「ありがとう。遠慮なく頼らせてもらうよ」

「私に頼っていただけるのですね……。フィリップス提督が私に頼る……。フィリップス提督が私に頼る……。フィリップス提督が私に頼る……。フィリップス提督が私に頼る……。フィリップス提督が私に頼る……。フィリップス提督が私に頼る……。フィリップス提督が私に頼る……」

 

 コレット少将は恍惚とした表情を浮かべた。顔が真っ赤に染まり、アーモンド型の目に涙で潤み、瞳孔を限界まで見開き、口をだらしなく開け、両手を頬に当てる。この表情とグラマラスな裸体という組み合わせは、トゥールハンマーどころでない破壊力がある。

 

 背後の女性のわたわたぶりが一層ひどくなった。湯煙に隠れて顔も体も良く見えない。辛うじて赤毛なのが分かる程度だ。それでも、動揺ぶりが伝わってくる。

 

 コレット少将に軍人以外の友人がいるとは思えないので、この女性も軍人なのだろう。しかし、これで軍務を果たせるのだろうか? 同じ赤毛として心配になってくる。ハラボフ大佐のような怖い赤毛も困るが、彼女のような弱々しい赤毛も困る。

 

「君がいれば安心だ」

 

 俺は満足そうに頷くふりをして通信を終えた。火に油を注いだ気がしないでもないが、今さらどうしようもない。自分にできることは、この状態のコレット少将と二人きりになった赤毛のお姉さんの幸福を祈ることだけだ。

 

 同盟市民に帝国軍のフェザーン侵攻を警戒させることが不可能なのはわかった。もっと遠回しな方法を考える必要がある。発想を転換するのだ。政府や市民に警戒させなくてもいい。みんなが納得しそうな理屈をひねり出し、フェザーン方面に大軍を派遣させる。

 

「この計画を検討する必要があるか」

 

 俺は一枚のファイルを開いた。親友アンドリュー・フォークの意見をもとに作ったものだ。

 

『フェザーン派兵計画』

 

 帝国軍がフェザーンに侵攻すると思う者は少ないが、フェザーンに兵を送りたいと思う者は意外と多い。経済侵略、勢力均衡対策、帝国人諜報員の侵入などを防ぐには、フェザーン制圧が最も有効な手段なのだ。

 

 経済的には愚策中の愚策であるが、人間は理性より感情を優先する生き物だ。反フェザーン感情が高まり、エリートたちが制御できない水準に達したら、フェザーン派兵は可能になる。

 

 大義名分なんていくらでも用意できる。在留邦人の保護でもいいし、民主化運動の支援でもいいし、敵対行為やら謀略やらへの報復でもいい。

 

「我ながら狂っているな」

 

 俺は苦笑いした。オカルトを利用しようとしたり、友好国を攻めようとしたりするなど、まともな軍人が考えることではない。

 

「しょうがない。相手は超人だ。正気では勝負にならない」

 

 そう言って、自分を納得させた。常識的な方法で勝てるものならそうしたい。しかし、相手は天才の中の天才だ。

 

 司法改革と税制改革を一段落させたラインハルトは、軍制改革に着手した。俺が最も恐れていた改革である。

 

 救国軍事会議成立以前の帝国軍は腐っていた。名門出身者か権力者の取り巻きでなければ、出世できない。将校は国家のためではなく、名誉と栄光のために戦う。兵士は劣悪な待遇に苦しんだ。兵力が多すぎるため、国防予算の大半が人件費に消えてしまい、訓練費や装備調達費を確保できない。恣意的な人事、人命軽視、私的制裁、協調性の欠如、攻撃偏重、縄張り主義、精神主義といった旧弊も健在だった。

 

 クーデターとその後の粛清により、腐敗した高官は一掃された。しかし、現場レベルでは、旧弊に染まり切った将校や下士官が多数派を占める。平民出身者にしても、旧体制に適応した結果として昇進した者が多いため、上に諂い下に厳しい気風がある。帝国軍においては、叩き上げの老将は「暴君」の代名詞だ。古い軍人を追放しない限り、旧弊を改めることはできない。

 

『レジェンド・オブ・ザ・ギャラクティック・ヒーローズ』に登場するラインハルトの部下は、極端に若い者ばかりだ。大勢いたはずのベテラン将校は見当たらない。今になって思うと、家柄だけの名門出身者だけでなく、旧体制に適応しすぎた寒門出身者もパージしたのだろう。

 

 だから、救国軍事会議常任委員会が「世代交代のため、古参の将校や下士官を大量解雇する」と発表しても、不思議ではなかった。来るべき時が来た、と思っただけだ。

 

 残念なことに、危機感を共有できる相手はほとんどいなかった。能力と見識を備えた軍人は、口を揃えて「歴史的愚挙」と評する。逆張りが大好きな連中ですら、今回ばかりは大勢に従った。

 

「この手段を視野に入れるべきかもしれないな」

 

 頭の中に浮かんだのは「クーデター」という文字だった。政権を取ってしまえば、すぐにでもラインハルトと同じリングに立てる。

 

 敵はラインハルトだけではない。テロや政治介入すら辞さない同盟警察、イゼルローン総軍を掌握するヤン・ウェンリー、サイオキシン市場を牛耳るカメラート、同盟への憎悪に凝り固まったエル・ファシル革命政府、信念と合理主義のもとに軍縮を目指すAACF、反同盟勢力一掃のための内戦を企てる嘆きの会、味方面して背中から蹴りを入れてくるコーネリア・ウィンザー、同盟機構の有名無実化を諦めようとしないルベルト・ガルボア、半世紀にわたって極右運動の理論的指導者を務めるジョージ・ビルジン、軍縮派に資金を供給し続ける大企業……。主導権を握るには、最低でもこの半分を片付ける必要がある。

 

「クーデターならこいつらを一掃できる!」

 

 正攻法では何年かかるかわからない相手でも、非常手段を使えばあっという間だ。クーデターに際して最大の障害となるヤン・ウェンリー元帥は、事前に予備役に編入し、国防委員会関連団体の理事長にでも押し込めておけばいい。アッテンボロー大将、シェーンコップ大将、一二星将らは事務職に回し、兵力を引き剥がす。兵を持たぬ将など恐れるに足りない。

 

「何考えてるんだ。本末転倒だろうが」

 

 俺は首を大きく横に振り、「あかげのおうじさま」というサイトに癒しを求めた。疲れているから馬鹿なことを考えるのだ。ふわふわしたサイトを見て、心をぽかぽかさせようではないか。

 

「メンテナンス中か。まいったな」

 

 悪いときには悪いことが重なるものだ。周囲を見回し、考えずに読めるものを探す。ハラボフ大佐から資料として渡された少女漫画が目についた。

 

「やめておこう。読んでてイライラするから」

 

 あり得ないほど鈍感な男キャラが登場する漫画を押しのける。妹が資料として送ってきた少女漫画が視界に入った。

 

「精神衛生に良くない」

 

 ものすごく身長が高い妹キャラが登場する漫画を片付けた。コレット少将が資料として勧めてくれた少女漫画を手に取る。

 

「これだ!」

 

 俺は身長の低いヒロインが登場する漫画をむさぼり読んだ。一八〇センチや一九〇センチの強豪がひしめく大学女子バスケにおいて、一五三センチの少女が孤軍奮闘する。実に素晴らしい。コレット少将はエンターテイメントというものを理解している。

 

 クーデターを起こそうなどというよこしまな気持ちは、心の疲れとともに吹き飛んだ。それでも残ったものはある。

 

「ヤン派を切り崩す」

 

 俺はそう決意した。いずれにせよ、ヤン派は障害になる。ヤン・ウェンリー元帥個人は政治的に無害だ。ヤン派の存在意義は承知している。それでも潰さなければならない。

 

 統合作戦本部長に就任するには、元帥を全員引退させる必要がある。客観的に見て、今の自分は元帥号授与基準を満たしていない。基準を満たすだけの功績をあげるより、元帥を引退させる方がよほど簡単だ。

 

 ヤン元帥をお飾りの本部長に据え、統合作戦本部次長として主導権を握るという選択肢はなかった。傀儡にできるのは、ビュコック元帥のように取り巻きを持たない人間だけだ。ヤン元帥が本部長になれば、ハイネセンにいる良識派エリートが集まってくる。また、性格的にも人脈的にもAACFとの親和性が高い。彼個人は政治的に無害でも、彼を中心として形成されるであろう軍縮派集団は危険だ。絶対に退役させなければない人物なのだ。

 

 ラインハルトとの決戦は近いうちに訪れる。最大の政敵を放置する余裕などない。ヤン元帥個人に対しては、信仰に近い感情を抱いている。彼の取り巻きにしても、少し鬱陶しいけれども、あれはあれで立派だと思う。俗物揃いのトリューニヒト派より、よほど好感が持てる。それでも、同盟滅亡を回避するためならば、排除しないわけにはいかない。

 

「ああ、なるほど。彼らもそう考えたのか」

 

 ここまで考えた時、五年前の軍縮派に共感できた。「心の痛みがあればあんなことはできない」と思ったのは間違いだった。心の痛みを覚えていたとしても、必要ならば排除できる。財政破綻が近いうちに訪れる。破局を回避するためならば、手段を選んでいられないと思うだろう。

 

 そして、三年前のボロディン提督に共感できた。自分と彼の違いは、「どれだけ切羽詰まっていたか」の違いでしかない。掲げる旗が違っていても、避けたいものが違っていても、本質にあるものは同じだ。

 

 再建会議が崩壊した日、俺はボロディン提督と言葉を交わした。その時のことが鮮明に思い出される。

 

「いつか君は分岐点に立つだろう。その時になったら、私の言葉を思い出してほしい」

 

 ボロディン提督はおそらく見抜いていたのだ。俺がいつか自分と同じ場所に立ち、同じ決断を迫られることを。演技者という本質を見抜いた時、その先にある未来も見えたのだろう。

 

 分岐点は二年前の講和騒ぎとともに去ったと思っていた。しかし、今になって思うと、あれは同盟の分岐点であって、自分の分岐点ではなかった。

 

 エリヤ・フィリップスは七八八年八月一五日以降、最大の分岐点に立った。どちらに進むにしてもいばらの道だ。

 

「答えは決まっている」

 

 俺は四通のメールを書きあげた。一通はマッカラン人的資源担当国防副委員長、一通は国防監察本部長ドーソン上級大将、一通は統合作戦本部次長セレブレッゼ上級大将、一通はイゼルローン憲兵隊司令官コリンズ少将に宛てたものだ。

 

 ヤン元帥から取り巻きを一人一人引き離す。最初の標的は、要塞軍集団司令官ワルター・フォン・シェーンコップ大将。彼の地位と兵力を誰もが納得する形で奪い取り、無力化する。

 

 自分が悪役への道を突っ走っている気がしないでもないが、今に始まったことではない。この世界の主人公は、ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーである。たまたま時を遡っただけの小物は、逆立ちしたって主人公になれやしない。それでいいのだ。たまには悪役が勝ってもいいではないか。




目上に「お疲れ様」を使うのはマナー違反ではありません。目上には「お疲れ様」、目下には「ご苦労様」を使うのが正しい敬語です。

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