銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

115 / 136
第107話:戦争は政治の一部にすぎない 802年10月12日~10月24日 イゼルローン要塞

 帝国軍は皇帝の私兵なので、勅書を使わなければ動員できない。緊急性の高い作戦においては、密勅を使って軍隊を動員し、交戦開始と同時に公表するという手法が用いられる。

 

 第九次イゼルローン攻防戦が始まると、帝国政府は反乱軍討伐の密勅を公開した。その内容が同盟に伝わったのは、開戦翌日のことであった。

 

「反乱軍は六個艦隊をティアマトに集結させた。演習と称しているが、ニヴルヘイムに侵入せんとする意図は隠しようもない。

 

 ティアマトの主帥ヤン・ウェンリー、副帥ヨハネス・オイラー、副帥ウィレム・ホーランド、副帥スカーレット・ジャスパー、副帥ワルター・フォン・シェーンコップの五名は、反乱軍の中でも特に凶悪な者である。放置すれば大きな災いとなろう。

 

 宇宙軍元帥ジークフリード・フォン・キルヒアイス男爵を征討軍総司令官、宇宙軍上級大将ヘルムート・フォン・レンネンカンプ帝国騎士を副司令官に任命する。ティアマトの反乱軍を討ち、辺境の安寧を保て」

 

 勅書を字面通りに受け取るならば、出兵の目的は辺境防衛ということになる。帝国は同盟軍のティアマト集結に危機感を抱き、大軍を動かした。

 

 キルヒアイス元帥は挨拶の中で、「民と国土を守る義務がある」「これ以上前進させるわけにはいかない」と述べた。勅書の内容とほぼ合致している。単なる挨拶だと思われていたが、実際は討伐理由の説明だった。

 

「余計なことをしやがって!」

 

 将兵は国防委員会に怒りをぶつけた。第一辺境総軍を国境に駐留させなければ、帝国軍は動かなかっただろう。ヤン元帥を召還しなければ、イゼルローンに上陸されることはなかったはずだ。

 

「最悪だ……」

 

 俺はどん底まで落ち込んだ。トリューニヒト議長の陰謀に協力した結果、無用な戦いを引き起こし、多くの兵を死なせてしまった。悔やんでも悔やみきれない。

 

 だが、落ち込む余裕は与えられなかった。一〇月一二日の朝六時、「敵艦隊が出撃した」との報告が飛び込んできたのである。

 

 帝国軍はガイエスブルク要塞の一光秒(三〇万キロメートル)前方に布陣し、数十個の梯隊を並べた。細長い梯隊は柔軟性と機動性に富み、戦力を一点に集中しやすいため、狭い場所での戦いに適している。側面攻撃に弱いという梯隊の欠点は、多数の梯隊を並べ、側面を危険宙域と密着させることでカバーした。要塞砲の直線的な射線をかわしやすいというメリットもある。回廊内での戦いに特化した陣形と言えよう。

 

「中央の第一驃騎兵艦隊は一万隻前後、右翼の白色槍騎兵艦隊は六〇〇〇隻前後、左翼の第二胸甲騎兵艦隊は六〇〇〇隻前後、右翼後方の第二五五独立分艦隊は二〇〇〇隻前後と推定されます」

 

 首席副官ユリエ・ハラボフ大佐は、いつものように淡々と報告した。

 

「一個主力艦隊と二個遊撃艦隊か」

 

 俺はスクリーンを見ながら呟いた。帝国宇宙軍には二種類の艦隊が併置されている。主力艦隊は艦艇一万隻を保有しており、艦隊と呼びうる規模をぎりぎり保っている。遊撃艦隊は六〇〇〇隻に過ぎず、艦隊というよりは小艦隊だ。

 

 第一驃騎兵艦隊司令官クロッペン上級大将はキルヒアイス派、白色槍騎兵艦隊司令官マンスフェルド大将はメルカッツ派、第二胸甲騎兵艦隊司令官ルッツ大将はラインハルト派である。第二五六独立分艦隊司令官トゥルナイゼン中将も、ラインハルト派に属していたはずだ。三派のバランスを取ったのだろう。キルヒアイス元帥らしい布陣といえる。

 

「キルヒアイス元帥の旗艦、バルバロッサが確認されました」

 

 メインスクリーンが切り替わり、真紅の戦艦が映し出された。赤毛の驍将ジークフリード・フォン・キルヒアイスの代名詞とも言うべき艦である。

 

「最悪だ……」

 

 俺は絶望的な気分になった。心臓が激しくダンスを踊った。腹が締め付けられるように痛む。滝のような冷や汗が背筋を流れ落ちた。手や膝が小刻みに震えた。

 

 ジークフリード・フォン・キルヒアイス元帥は、ラインハルト・フォン・ローエングラム大元帥に次ぐ実力者である。大元帥府にいた頃は別働隊を指揮し、同盟軍の別働隊を破ったり、地方反乱を平定したりした。同盟軍主力と戦った経験が少ないため、格下殺しと嘲る者もいるが、帝国軍で一〇本の指に入る名将との評価もある。

 

 この世界では微妙に評価の低いキルヒアイス元帥だが、前の世界では銀河最強の一角であった。提督としての活躍期間は一年程度にすぎない。だが、その短い期間でカストロプ公爵の反乱を平定し、同盟軍第七艦隊を壊滅させ、アムリッツァ会戦で同盟軍にとどめを刺し、リップシュタット戦役で帝国辺境を平定し、キフォイザー会戦でリッテンハイム公爵の大軍を壊滅に追い込み、ガイエスブルク要塞攻防戦で貴族連合軍を潰走させた。彼を賞賛しない者は一人もおらず、敵将ヤン・ウェンリーから「能力的にもラインハルトの分身」と評された。

 

 イゼルローンへの強襲上陸を成功させたことを考えると、前の世界の評価が正しいキルヒアイス評なのだろう。俺ごときが太刀打ちできる相手ではない。

 

 要塞軍集団司令官シェーンコップ大将が要塞防衛、第二陸戦隊司令官コクラン中将が治安維持をそれぞれ統括した。強襲上陸に備えたシフトである。シェーンコップ大将が装甲擲弾兵と戦い、コクラン中将が特殊部隊や潜入工作員と戦う。妹が率いるショコラティエールは、半数をコクラン中将の配下に派遣し、残り半数を司令部や重要施設の警備に回した。

 

 イゼルローン要塞主砲「トゥールハンマー」が、巨大な砲口を敵艦隊に向けた。雷神の鎚が振り下ろされれば、敵は艦艇数千隻を一瞬で失い、戦闘を継続できなくなるだろう。だが、その最大射程は六光秒(一八〇万キロメートル)で、一四光秒(四二〇万キロメートル)離れた敵には届かない。現時点ではこけおどしでしかなかった。

 

 昨日、イゼルローン要塞とガイエスブルク要塞は、主砲の撃ち合いを演じた。四光秒(一二〇万キロメートル)しか離れていなかったため、双方が相手を射程内に収めることができた。しかし、強襲上陸作戦が終わった時、同盟軍は敵が要塞砲の射程から外れたことに気づいた。上陸部隊に気を取られている間に、ガイエスブルク要塞は一一光秒(三三〇万キロメートル)も後退していた。

 

 シェーンコップ大将が予想した通り、撃ち合いの中でキルヒアイス元帥は共倒れの危険に気づいた。そして、予想しなかった方法で解決した。射程の外に退避し、要塞砲の撃ち合いそのものをやめてしまった。これほど柔軟な人物が敵軍を指揮しているのだ。

 

「いっそ、ルイス・ハンマーを使ってくれないか」

 

 俺はガイエスブルク要塞を見た。あの要塞に通常航行エンジンを装着し、こちらに向かって突撃してほしい。そうしたら、トゥールハンマーがエンジンを撃ち抜き、バランスを崩したガイエスブルク要塞はスピンし、味方を巻き込みながら崩壊するだろう。

 

 もちろん、敵が要塞をぶつけるルイス・ハンマー戦法を使うとは思わない。前の世界でこの作戦が高く評価されたのは、対抗手段が確立されていなかったからだ。この世界では、要塞を分解してワープさせ、別の要塞にぶつけるという戦術が多用された。最初のうちは大きな効果をあげたが、帝国軍が対抗手段を見つけたため、あっという間に陳腐化した。発案者のルイス元提督は、完全無欠の戦法だと思っていたらしいが、大きな間違いだった。

 

 現実逃避をやめた俺は、周囲をちらちらと見回した。励ましてくれる人はいないだろうか。優しい人がいい。でも、優しいだけの人に励まされても、不安が深まるだけだ。優しくてなおかつ頼りがいのある人に、大丈夫だと言ってほしい。

 

「ご用ですか?」

 

 こんな時、頼りになるのは、やはりチュン・ウー・チェン副参謀長だった。のんびりした声と表情が、心を落ち着かせてくれる。潰れたパンが心を豊かにしてくれる。

 

「君の話を聞きたくてね。勝算はあるか?」

「持久戦に持ち込めば、我が軍が有利です。我が軍も敵も要塞から補給を受けています。イゼルローン要塞の体積は一一万三〇九七・三平方キロメートル。一方、ガイエスブルク要塞の体積は四万七七一二・九平方キロメートルです。体積が広いほど備蓄できる物資の量も増えます。同盟軍は敵の二倍以上の備蓄物資を抱えているのです」

「後方から輸送される物資を計算に入れたらどうなる? 敵は遠征軍だ。輸送体制を整えていると見るべきじゃないか?」

「我が軍の優位は変わりません。敵は五万隻を超える大軍。消費量や輸送コストを考慮すると、要塞への依存度が高くなるでしょう」

「でもなあ……」

 

 俺は再びスクリーンに目を向けた。真紅のバルバロッサを見ると、不安が頭をもたげてくる。

 

「相手はあのキルヒアイスだぞ。俺ごときが太刀打ちできる相手じゃない」

「エリヤ・フィリップスとジークフリード・フォン・キルヒアイスが戦えば、エリヤ・フィリップスが負けます」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長はきっぱりと断言した。

 

「その通りだ」

「しかし、同盟軍と帝国軍が戦うのであれば、話は違ってきます」

「同じじゃないのか?」

 

 俺は首を傾げた。同盟軍の司令官は俺、帝国軍の司令官はキルヒアイス元帥だ。エリヤ・フィリップスとジークフリード・フォン・キルヒアイスの戦いではないか。

 

「昨年のことを思い出してください。エリヤ・フィリップスは、ウラディミール・ボロディンより優れていましたか?」

「いや、ボロディン提督の方が優れていた。俺よりずっとリーダーシップがあった。俺よりずっと頭が良かった。俺よりずっと勇敢だった。俺よりずっと風格があった。人として勝てる要素は、一つもなかった」

「私もそう思います。しかし、あなたが率いる市民軍は、ボロディン提督が率いる再建会議に勝ちました」

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長はにっこりと微笑み、潰れたフルーツ入りロールパンを俺に手渡した。

 

「よくわかった。キルヒアイス元帥ではなく、帝国軍と戦う。自分が戦うのではなく、同盟軍を戦わせる。そういう心積もりでやってみよう」

 

 俺は微笑み返し、ロールパンを口に入れた。ちょうどいい潰れ具合だ。戦場で食べるパンは潰れていないと物足りない。

 

 同盟軍はイゼルローン要塞から二光秒(六〇万キロメートル)の宙点に布陣した。第四艦隊一万一一〇〇隻が左翼、第一一艦隊一万〇三〇〇隻が右翼を担う。第五二独立分艦隊二一〇〇隻と第五七独立分艦隊二二〇〇隻は、第一一艦隊の後方に控える。艦艇二万五七〇〇隻、兵員二六九万八五〇〇人という大軍である。

 

 俺は要塞に留まり、第一辺境総軍副司令官パエッタ大将に艦隊指揮を委ねた。総司令官は方針を定め、諸活動を調整し、将兵数百万を統制し、支援体制を整えなければならない。戦闘に専念できる立場ではないのだ。

 

 帝国軍が動き出した。すべての梯隊が一斉に前進する。ガイエスハーケンの射程限界線が近づいても、速度を落とす気配はない。要塞砲に頼るつもりはないようだ。

 

 同盟軍は前進してくる敵に連続斉射を浴びせた。戦艦や巡航艦が装備する長距離ビーム砲の射程距離は、要塞砲の射程距離より長い。ビームの雨が敵を殴りつける。敵の砲撃に対しては、中和磁場を最大出力にして対処した。

 

 トゥールハンマーの射程限界線「D線(デッドライン)」が近づくと、帝国軍は前進を止め、上下左右に広がった。D線に貼りつくような陣形である。

 

「予想通りです」

 

 ワイドボーン参謀長は得意気に鼻を膨らませた。D線が主戦場になると予想したのは彼だった。読みは正確だが、それをいちいち自慢するところが鬱陶しい。

 

 帝国軍はD線の上で往復運動を始めた。複数の梯隊がD線を越え、別々の方向からイゼルローンに接近し、トゥールハンマーが狙いを付ける前に後退する。一つの梯隊が退いたら、別の梯隊がD線を越え、蝿のように飛び回る。撃てるものなら撃ってみろと言わんばかりだ。

 

「懐かしいな。D線上のワルツと同じ動きだ」

 

 俺は過去のイゼルローン攻防戦で用いられた戦法の名前を口にした。八年前、ロボス元帥率いる同盟軍は、敵を欺くためにD線上のワルツを用いた。しかし、本来は要塞駐留艦隊をD線の内側から引っ張り出し、袋叩きにするための戦法である。

 

「キルヒアイス元帥は、我が軍の戦法をかなり研究したようですね」

 

 ワイドボーン参謀長は感心したように言った。D線上のワルツや梯隊を連ねる陣形は、もともと同盟軍が編み出した戦法だった。

 

「そうだね。さすがは名将だ」

「しかし、我々も彼を研究しています」

 

 その言葉は静かな自信に満ちていた。彼は残念な人だが、無意味な大言壮語はしないし、慢心もしない。

 

 同盟軍は踊り狂う敵を相手にせず、後方から砲撃を続けた。火力の波が休むことなくD線に打ち寄せる。ビームの大半は中和磁場に弾かれたが、拡散したエネルギーがうねりを起こし、敵艦を揺さぶった。

 

 戦闘開始から一〇時間後、踊り疲れた帝国軍はガイエスブルク要塞に引き上げた。同盟軍もイゼルローン要塞に撤収し、戦いは中断された。

 

 D線上の攻防は一週間にわたって続いた。帝国軍がワルツを踊り、同盟軍が後方から砲撃を続ける。最大出力のビームと最大出力の中和磁場がぶつかり合う。対艦ミサイルの雨が迎撃ミサイルの傘めがけて降り注ぐ。要塞からエネルギーと物資が絶え間なく補給される。

 

 同盟軍は専守防衛に徹した。敵が隙を見せても戦わない。敵が後退しても追撃しない。敵の主力が帝国側出口近辺まで退き、少数の駐留艦隊だけを残しても動かない。無人艦の群が突入しても、砲撃だけで対処した。高速部隊が一撃離脱攻撃を仕掛けても、ビームとミサイルを浴びせるだけに留めた。

 

 キルヒアイス元帥は手詰まりに陥った。同盟軍がD線に接近すれば、艦隊決戦に持ち込める。並行追撃を仕掛けるという手もある。だが、後方に引きこもったままでは、手の出しようがない。

 

「こういう攻略法があったんだな」

 

 俺は素直に感心した。前の世界の戦記には、キルヒアイスの欠点は書かれていなかった。この世界でもキルヒアイスは一度も負けていない。だから、攻略法など存在しないものと思っていた。

 

 ワイドボーン参謀長の作戦は、敵との接触を徹底的に避けるというものだった。敵が側面や背面に回り込もうとすれば、危険宙域に阻まれる。敵が正面攻撃を仕掛ければ、トゥールハンマーの射程に入ってしまう。キルヒアイス元帥に残された選択は、奇襲、並行追撃、誘い出して撃滅の三つに絞られる。接触しなければ、奇襲部隊に突っ切られることはないし、並行追撃を食らうことはないし、撃滅されることもない。どんな名将であっても、物理法則には逆らえないのだ。

 

 チュン・ウー・チェン副参謀長の進言により、物資を惜しみなく注ぎ込んだ。こちらがビームを最大出力にしたら、相手は中和磁場を最大出力にせざるを得ない。こちらが中和磁場を最大出力にしたら、相手はビームを最大出力にせざるを得ない。火力を引き上げることで、敵の継戦能力に打撃を与える。

 

 客観的に見れば、きわめて退屈な戦いである。同盟軍がひたすら砲撃し、近寄ってくる帝国軍を追い払う。同じことを延々と続けているだけだ。被る損害も与える損害も少なかった。指揮官が独創性を発揮する余地はないし、武勇伝が生まれる余地もない。

 

「これでいいんだ」

 

 俺は確信を込めて呟いた。真っ向勝負を挑むつもりはない。現在のペースで物資を消費し続ければ、帝国軍を撤退に追い込める。

 

 現時点においては、キルヒアイス元帥よりも味方の方が厄介だった。将兵が消極的な姿勢に不満を抱いているのだ。

 

「損害を出したくないんだ」

 

 俺は将兵を必死でなだめた。積極論者の多くは戦意旺盛であり、実戦で役に立つ人間だ。彼らのやる気を尊重しつつ、消極策への同意を求める必要があった。皮肉を言われても辛抱強く語りかけた。おかげでマフィンを食べる量が倍に増えた。

 

 本国でも消極策への批判が高まっている。トリューニヒト政権の息がかかったマスコミは、俺の戦いぶりを擁護した。だが、それ以外のマスコミは、第九次イゼルローン攻防戦を「世紀の凡戦」と酷評した。ネットではトリューニヒト支持者ですら批判的だった。

 

 外部から見れば、イゼルローンの同盟軍は銀河最強の精鋭だろう。ヤン・ウェンリー一二星将の名声は、過去の七三〇年マフィア、前の世界の獅子泉の七元帥に匹敵する。フィリップス一六旗将のうち三人が戦列に加わり、勇名高いウィレム・ホーランド、ダスティ・アッテンボローらも一軍を率いて戦う。勇者の中の勇者が綺羅星のような名将を指揮する。そして、この精鋭が装備するのは、トリグラフ級大型戦艦、レダ級巡航艦、次世代宇宙戦闘機チプホといった最新兵器だ。

 

 実のところ、同盟軍は見た目ほど強くないのだが、一般市民にはそんなことはわからない。戦えば勝つのに戦わないのはおかしいと思っている。

 

「フィリップス提督は消極策に反対しているが、愛国者なので政府に逆らえないのだ」

 

 主戦派でありながら反トリューニヒトの立場をとる人々は、消極策を批判すると同時に俺を擁護した。俺が記者会見を開き、「消極策は自分の判断です」と述べても、彼らは「政府に言わされた言葉だ」と言い張った。勇者の中の勇者が消極策をとるなどありえない、と思い込んでいるのだろう。

 

「勇者の中の勇者が臆病者のような戦い方を強いられているのです。フィリップス提督の苦衷を察すると、胸が張り裂けそうになります。一市民として、対帝国の聖戦を支持する者として、そしてフィリップス提督の戦友として、政府に要求します。今すぐ消極策を破棄し、フィリップス提督に新しい命令を与えてください。『ガイエスブルク要塞を総攻撃せよ!』と」

 

 コーネリア・ウィンザー議員は、「不本意な作戦を押し付けられたフィリップス提督の苦衷」を勝手に忖度し、積極策への転換を訴えた。彼女の熱弁は支持者のみならず、反トリューニヒト派の主戦論者全体から喝采を浴びた。トリューニヒト派の一部も遠慮がちに賛同した。

 

 消極策を擁護する意見もあった。俺がやることなら何でも賛成する者は、消極策にも無条件で賛成した。俺に否定的だが、消極策には理解を示す者もいる。

 

「フィリップスはよくわかっている。専守防衛は正しい。大艦隊など必要ない。自らの行動によって、フィリップスは大艦隊が必要という持論の欺瞞を明らかにした」

 

 反戦派は消極策を肯定したが、俺を皮肉ることも忘れない。第九次イゼルローン攻防戦は、彼らに専守防衛論や軍縮論の正しさを主張する機会を与えた。

 

「機動要塞が戦場に現れたのは九〇〇年ぶりのことだ。慎重を期するのは当然。ベストではないがベターな判断といえる」

 

 平和将官会議のシドニー・シトレ退役元帥は、俺と激しく敵対する人物だが、消極策に高い評価を与えた。彼が皮肉抜きで俺を評価したことに、反フィリップス派とフィリップス派の双方が戸惑いを覚えた。

 

 これといった思想を持たない大多数の人々は、同盟軍の戦いぶりに不満を抱いた。彼らにとって戦争はエンターテイメントである。戦争の意義なんてものはどうでもいい。最新兵器が敵の旧式兵器を圧倒し、名将が無能な敵将を叩きのめし、勇者が惰弱な敵兵を蹴散らす場面を見たいのだ。

 

 消極策をめぐる議論に対し、トリューニヒト議長と国防委員会は沈黙を保った。説明を求められると、「フィリップス提督に一任している」と答えた。

 

 責任者は批判を一手に引き受ける義務を負っている。最高司令官たる最高評議会議長は批判者と相対し、司令官は敵と相対するというのが本来の役割分担だ。しかし、俺は敵と批判者を同時に相手取ることになった。ヤン元帥のように、「わかる奴だけわかればいい」と突き放すこともできない。おかげでマフィンを食べる量が三倍に増えた。

 

 トリューニヒト議長や国防委員会は責任を押し付けたにも関わらず、頻繁に介入してきた。表向きには「指導」や「勧告」という形式を取っており、従う義務はない。許されるものなら無視したかった。二つの総軍を指揮するだけでも精一杯なのだ。だが、俺は予算面や人事面で優遇してもらった。世話になった相手の言葉は無視できない。

 

「なんだこりゃ?」

 

 俺は『コルネリアス・ルッツが亡命した場合の対応』という文書を受け取った。「ルッツが亡命したら、刑事犯罪者と同等の扱いをするように」「提督や閣下などの敬称で呼びかけるな」「軍服の着用を認めてはならない」などと書かれている。

 

 平民でありながら高官を輩出する「フォンが付かない貴族」の中でも、ルッツ家は五本の指に入る名門であった。だが、コルネリアスの祖父であるテオドール・ルッツ博士は、大逆罪に問われて処刑された。父親のハインリヒは内務省消防総局局長の職を解かれ、無期限謹慎処分を受けた。叔父たちも失脚した。新たにルッツ家の主導権を握ったフリードリヒは、テオドールやその子孫と仲が悪い。こうしたことから、コルネリアスはいつ亡命してもおかしくないと思われていた。

 

 トリューニヒト政権は、コルネリアス・ルッツを「ルドルフ崇拝者」として亡命拒否リストに登録した。祖父のテオドールは狂信的なルドルフ崇拝者として知られる。そのため、孫もルドルフ崇拝者だとみなされた。

 

 コルネリアス・ルッツが亡命するとか、ルドルフ崇拝者だとか言われても、俺には理解できなかった。戦記と事実の違いは知っている。それでも、前の世界の彼が忠臣であり、主君を守るために死んだことは、疑いようもない事実だ。彼がルドルフ崇拝者ならば、ラインハルトに登用されることはなかっただろう。

 

 前の世界の記憶を根拠とする擁護は不可能なので、「ルッツは戦争犯罪者ではありません。軍人として処遇するべきです」と書いて返信した。ルドルフ崇拝者であったとしても、いきなり犯罪者扱いするのは道義に反する。

 

 最高評議会や国防委員会の要求のほとんどは、馬鹿馬鹿しいものだった。自己満足、人気取り、点数稼ぎ以上の意味があるとは思えない。それでも、俺はすべてに目を通し、問題ないと判断したら受諾し、問題のあるものについては再考を求めた。おかげでマフィンを食べる量が四倍に……。

 

「これ以上はいけません」

 

 ハラホフ大佐が俺の右手首を掴んだ。マフィンの量が限度を超えそうになると、彼女が止めてくれる。マフィンを食べる量は三・九倍に留まった。

 

 国防族議員、トリューニヒト派の軍高官、軍需企業家らも干渉してくる。彼らは大切な協力者なので、丁寧に対応せざるを得ない。

 

 外部からの干渉を許していることに対し、反発する者が現れた。第四艦隊司令官ジャスパー大将は、真っ向から俺を批判した。要塞艦隊司令官アッテンボロー大将、要塞空戦隊司令官代理ポプラン少将らは、痛烈な皮肉を浴びせてくる。彼らは消極策に対しても批判的だった。

 

 幹部会議はフィリップス派と反フィリップス派の戦場と化した。ジャスパー大将やアッテンボロー大将がフィリップス批判を展開し、ワイドボーン参謀長らが猛然と反論する。オイラー大将の追従が状況を悪化させた。チュン・ウー・チェン副参謀長やパトリチェフ大将がなだめたが、焼け石に水だった。

 

 一〇月二四日、いつものように不毛な会議を終えた俺に対し、ラオ作戦部長が一つの提案を行った。

 

「ヤン元帥にとりなしを依頼してはいかがでしょうか。信頼する上官の言葉なら、ジャスパー提督らも受け入れるでしょう」

「気が進まないなあ」

 

 俺は煮え切らない返事をした。ラオ作戦部長には知り得ないことだが、ヤン元帥追い落としの陰謀に加担した負い目がある。それを抜きにしても、ヤン元帥がトリューニヒト派に手を貸すとは思えない。

 

 部下たちに促されて通信を入れたが、ヤン元帥はスクリーンの前に現れなかった。代わりに現れた首席副官クレメンテ大佐によると、体調不良で寝込んでいるのだそうだ。

 

「わかりました。お大事になさってください」

 

 俺は気遣いの言葉を述べ、通信を切った。残念だという気持ちはない。むしろ、ヤン元帥と顔を合わせずに済んだことに安堵した。体調不良が本当かどうかはわからないが、嘘だとしても構わない。彼にはそうするだけの理由がある。

 

 休憩時間になったので、オイラー大将に指揮権を委ねた。パエッタ大将は艦隊を率いているし、イム大将はティアマトで後方を固めている。留守を任せられる副司令官は彼しかいないのだ。

 

「二時間ほど昼寝する。何かあったら起こしてくれ」

 

 俺は部下にそう言い残し、宿舎に入った。タンクベッドを一時間使えば、八時間分の睡眠効果が得られるが、精神的疲労は回復しない。指揮官の精神が疲弊したら、冷静な判断力を失い、全軍を危機に陥れてしまう。そのため、一定以上の階級を持つ指揮官は、可能な限りベッドで睡眠をとることになっていた。

 

「今日もアンドリューにメールするか」

 

 私用の携帯端末を開き、友人のアンドリュー・フォークに短いメールを打った。友人はたくさんいるが、総軍級部隊の中枢を経験した人は少ない。ロボス元帥の腹心だった彼は、俺の苦労をわかってくれる。

 

「ロボス元帥の苦労がようやく理解できた」

 

 この文章には万感の思いが込もっていた。総司令官になって初めてわかった。ロボス元帥は無能だったわけではなく、無能にならざるを得なかったのだ。

 

 古代の軍事思想家クラウゼヴィッツは、「戦争は異なる手段をもってする政治の継続である」と述べた。要するに戦争は政治の一手段にすぎないということだ。帝国と同盟の間に外交関係が存在しないので、戦争が国際政治の手段として用いられることはない。つまり、現代の戦争は、国内政治の一手段である。

 

 民主国家においては、政治が軍事に優先する。軍事的必要性と政治的必要性が対立した場合、軍人は政治的必要性を選択しなければならない。政府の要求を満たすために、軍事的に無意味な作戦をあえて行うこともあるのだ。

 

 皮肉な言い方をすると、ロボス元帥は民主的な軍人だった。軍事的合理性を追求するためではなく、政府の要求を満たすために戦った。堅実に戦って損害を減らすより、派手に戦って市民を喜ばせることを選んだ。国防族の政治家と協調し、予算面や人事面での優遇を引き出した。軍部内のパワーバランスを重視し、シトレ派の幕僚も重用した。あらゆる方面に気を遣った結果、内部では対立が生じ、外部からは横槍が入り、用兵の硬直化を招いた。

 

 アンドリューの話を聞いていると、ロボス元帥の苦労が他人事とは思えない。俺もまったく同じ苦労に直面しているからだ。

 

「才能とはまた別の要素があるのかもな」

 

 俺は目をつぶり、癖のある黒髪と童顔を持つ青年を思い浮かべた。彼は軍事的合理性を徹底的に追求し、損害を減らすことを何よりも優先し、政治家と一切付き合おうとせず、幕僚チームを波長の合う人間だけで固めた。

 

 ヤン・ウェンリー元帥の無神経さは、用兵家としては長所なのかもしれない。勝つことだけに集中できるからだ。

 

「ああ、それはあの人も同じか」

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、豪奢な金髪と美しい顔を持つ若者であった。彼は軍事的合理性を徹底的に追求し、損害を減らすことを何よりも優先し、宮廷人と一切付き合おうとせず、大元帥府を波長の合う人間だけで固めた。

 

 帝国軍のラインハルト・フォン・ローエングラム大元帥は、ヤン元帥と正反対の人物のように思える。だが、司令官としてのスタイルは驚くほど似ていた。

 

 結局のところ、性格も才能の一部なのだろう。俺の目から見れば、ロボス元帥はラインハルトにひけをとらない用兵家だ。しかし、ロボス元帥がラインハルトに勝つところが想像できない。力量が等しいならば、性格の差が決め手になる。

 

 ジークフリード・フォン・キルヒアイス元帥はどうだろうか? ラインハルト派に所属していた頃は、軍事的合理性を追求し、損害を減らすことを優先した。だが、現在は政治的なバランスに配慮し、戦果をあげることを優先している。元帥府幹部の過半数は、旧リヒテンラーデ派出身者であるが、旧ブラウンシュヴァイク派や旧リッテンハイム派の生き残りも採用された。

 

 彼の配下の主要司令官は、上級大将二名、大将五名、中将三名である。クロッペン上級大将、プレドウ大将、アイヘンドルフ大将、エルラッハ中将らは、キルヒアイス派に属する。レンネンカンプ上級大将、マンスフェルド大将、ヴァイゼ中将らは、メルカッツ派に属する。ルッツ大将、ミュラー大将、トゥルナイゼン中将らは、ラインハルト派に属する。戦う時は各派閥を均等に出撃させた。見事なまでのバランス人事といえよう。

 

 正直なところ、今のキルヒアイス元帥の行動は、旧体制の元帥と大して変わらなかった。常識人ゆえの限界なのだろうか。頂点に立ち、広い世界が見えるようになっても、空気を無視できる人間は多くない。この世界の彼は一流だが、ラインハルト並みの実力者だとは思えない。俺が戦ったら間違いなく負けるだろう。しかし、同盟軍のトップクラスなら互角に戦えそうな気がする。

 

「いや、敵を甘く見たらだめだ」

 

 俺は髪をくしゃくしゃとかき回し、甘い考えを振り切った。キルヒアイス元帥はイゼルローンへの強襲上陸を成功させた。その一点だけでも旧体制の平凡な元帥とは違う。

 

 二時間後、目覚めた俺は仮眠室から出た。隣の仮眠室から出てきたハラボフ大佐、護衛兵一〇名と一緒に歩き出す。

 

 司令室に入り、オイラー大将から報告を受けた。無事に任務を果たしてくれたようだ。上の顔色を伺うタイプなので、余計なことはしない。そこそこの処理能力や危機管理能力を備えている。前線を任せるには心もとないが、留守番役としてはそれなりに使えた。

 

 仕事を再開してから一時間後、国防委員会から通信が入った。重要な話なので俺と直接話し合いたいという。

 

 別室に移動し、通信端末のスイッチを入れた。スクリーンに恰幅の良い中年男性が現れる。ネグロポンティ国防委員長であった。

 

「言わんでも、用事はわかっているだろう。ガイエスブルクを攻撃してくれ」

「もう少し時間をください。帝国軍の動きに乱れが生じています。この調子で一〇日が過ぎたら、敵は自壊するでしょう。戦わずして勝利が転がり込んでくるのです」

「君は待てるかもしれんが、我々は待てんのだ。主戦派は攻撃を催促してくる。反戦派は軍縮しろと騒ぐ。無党派層は不満たらたらだ。君が何を言おうとも、市民は政府が消極策をとったと勘違いする。政権支持率は下がる一方だ」

「おっしゃることはわかります。しかし、我が軍は戦える水準に達していません。大損害を被ったら、政権支持率にも悪影響を及ぼします」

「とにかく、三日以内にガイエスブルク要塞を攻撃するんだ。我々はさんざん君に投資してきた。予算も人もたっぷり与えた。もらったものに見合う仕事をしてくれ」

「わかりました。では、期限を一週間に延ばしていただけませんか? ガイエスブルクを攻撃するなら、相応の準備が必要です」

 

 俺は引き伸ばしにかかった。先送りを続け、情勢の変化を待つのだ。

 

「待てないと言っただろうが」

「一週間が無理なら、五日に延ばしてください」

「本当は明日にでも攻撃してほしいのだがね」

 

 ネグロポンティ委員長は困ったように顔をしかめる。

 

「急がなければならない事情があるのですか?」

「明後日の週刊サジェスション・ボックスに、エルクスレーベン君のネタが出る」

「えっ!?」

 

 俺は驚きの声をあげた。エルクスレーベン大将が指揮する第一艦隊は、援軍としてイゼルローンに向かっている。司令官のスキャンダルが露見したら、援軍が遅れるかもしれない。

 

「差し止めてください! サジェスション・ボックスは、トリューニヒト派の息がかかった雑誌です。圧力が効くはずです」

「漏らしたのは我が派の人間だ。サジェスション・ボックスとのルートも押さえられている。どうしようもない」

「内紛ですか……」

「我が派は大きくなりすぎた。仲間同士の利害が衝突することは珍しくない。エルクスレーベン君を排除したい連中が、エルクスレーベン君を擁護する連中に勝った。それだけのことだよ」

 

 ネグロポンティ委員長はため息をついた。何を嘆いているのかは容易にわかった。彼は俗物だったが、派閥に対する愛着は人一倍強い。

 

「エルクスレーベン提督は恨まれています。身内から刺されても、不思議ではありません。でも、このタイミングは困るんです」

 

 俺は身を乗り出した。エルクスレーベン大将の失脚は避けられないだろう。あんな火種を抱えていたのに、ここまでもったことが凄いとすら思う。しかし、そのために援軍が遅れたら、こちらが困るのだ。

 

「止められるものなら止めたいが、じきに辞める人間だからな。言うことを聞く者がいない」

「…………」

「私は重みのない政治家だが、重石としては役に立っていたらしい。失脚した途端、内部抗争が激しくなった。均衡が崩れたんだな」

 

 ネグロポンティ委員長は力なく笑った。

 

「そういうわけでな、スキャンダルを吹き飛ばすような勝利がほしいのだ」

「難しいと思います」

「何が難しいんだね? 勝つことか? スキャンダルを吹き飛ばすことか?」

「両方です」

 

 俺は率直に意見を述べた。今の戦力では、市民を満足させる勝利は得られないだろう。そして、エルクスレーベン大将のスキャンダルは、勝利の一つや二つで吹き飛ぶようなものではない。

 

「ガイエスブルク要塞を攻略しろとは言わん。今の同盟軍にそんな力がないことは、議長も私も承知している」

「どの程度の戦果なら、ご満足いただけますか?」

「外壁にミサイルをぶち込め。一発でいい。そうすれば、大戦果として宣伝できる」

 

 ネグロポンティ委員長の小さな目が俺をまっすぐに見つめる。首を横に振ることは許さんぞと言っているかのようだ。

 

「やってみましょう」

 

 少し考えた後、俺は首を縦に振った。自分は限界まで粘ったし、相手は限界まで譲歩した。ここが潮時であった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。