「ハラスメント警告を出したいなら、倫理コードをオンにしたまま、ママのお胸を触ってください。それなら一発でハラスメント警告を出す事が出来ますよ」
「ぶっ!?」
「ぷぁっ!?」
《えくっ!?》
まるで吃驚したカエルのようにユイの口から飛び出した言葉に、俺達は一斉に驚いてひっくり返りそうになった。まさかの、娘からのセクハラしろ発言――そんなものを予測できる父親がどこにいるというのだろうか。そしてユイ自身は全く悪気があって言っているわけじゃないみたいだから、恐ろしい。
「ちょ、ちょっとユイ何を!?」
顔を赤くしてシノンが言うと、ユイが眉を八の字にする。
「だって、これが一番簡単な方法じゃないですか。ハラスメント警告は、男性プレイヤーなら女性プレイヤーを、女性プレイヤーなら男性プレイヤーの身体を触ったりする事で出る物ですから。そしてそれは、相手の局部に近いほど早く出て来ます」
「た、確かにそうだけど……」
俺はそっとシノンの方へ顔を向けるが、さも当然のようにシノンの顔は紅潮していた。そりゃそうだ、いきなり娘にセクハラされろ発言されたのだから。
シノンの身体には触れる事が多いし、シノンだって受け入れてくれているから、そういう部分を触っても、俺を黒鉄宮にぶち込む事なんてないとは思うけれど……それでもかなりの罪悪感というか、やってしまってはいけない感がある。
「えっと……本当にやらなきゃ駄目なの?」
シノンの言葉にユイは容赦なく頷く。
「ハラスメント警告が動かなくなったなんて言ったら、大変です。ここはひとつ、わたし達の間で確認しておくべきですよ」
「た、確かに……」
シノンは恐る恐る俺の方へ顔を向けるが、俺はいまいちシノンの事を直視出来なかった。まさかハラスメント警告をちゃんと出す事が出来るかどうか調べるために、妻の身体を触る事になるなんて思ってもみなかったため、常に見ている妻を見る事がどこか難しく感じられた。
しかしユイの言う通り、ハラスメント警告が出て来なくなったなんて言ったら、アインクラッド中が大混乱に包み込まれてしまう。
「え、えと、シノン、いいか、な」
シノンは何も答えなかったが、そのうち何も言わずに頷いた。まさかの答えに、俺は思わず驚く。
「えっ、いいの!?」
「……別に、あなた、だし。クラインとかだったら蹴り上げてるけど……あなた、だから」
シノンの事だから、ちゃんと断るだろうと思っていたのに、シノンはそれさえも受け入れてくれた。今ならば、ちゃんと確認が出来るだろう……俺は唾をごくりと呑み込んで立ち上がり、椅子に座ったままじっとしている妻に近付き、その身体に目を向けた。
普段から見慣れているはずなのに、今の妻の身体を見ると、自分の身体の中が異様に熱くなってきた。
「え、えっと、じゃあ失礼するよ、シノン……」
シノンがこくりと頷いたのを確認してから、俺は両手を愛する人の胸元に伸ばし、そのまま服の上から触れた。
両手を好ましい感触が包み込み、不思議な心地よさが身体の中に広がると同時に、俺の妻は顔を赤くして小さな声を漏らして身体を一瞬だけぴくりといわせた。――直後、俺と妻の目の前に紫色の警告ウインドウが出現した。
「出た!」
「出ました!」
《出たではないか!》
全員でそのウインドウに向けて言う。
これは間違いなくハラスメント警告。男女の性的暴行などを防ぐための警告文とウインドウがちゃんと出ているという事は、SAOのこういったシステムはちゃんと稼働している事を意味する。
「これが出たって事は、この辺りのシステムは無事って事か」
「はい。SAOのシステムは、ちゃんと動いてます」
しかしこれが出たという事で、ある疑問点が浮かび上がる。
《ムネーモシュネー》の連中はしっかりとハラスメント警告が出てくるこのゲームの中で、ハラスメント警告を出現させずにココアを無理矢理連れていこうとしていた。そんな事がこのSAOの中で出来るはずがないのだ。
「って事は、あいつらは一体何をしたんだ。なんでハラスメント警告を出さずに俺達の仲間に……」
一体何をしてこれを無視していたのか。どうやってシステムに逆らって、あんな事をしていたのか。
それを考えようとしたその時に、耳元に小さな声が届いてきた。
「キリト、その、いつまで触ってるの……」
俺はハッと我に返り、目の前に視線を戻した。そこにあるのは、愛する妻の身体であり、その胸元を触るどころか掴んでしまっていて、好ましい感覚をずっと感じ続けている俺自身の手、そして明らかに羞恥を感じて赤くなっている妻の顔だった。そこでようやく、俺は自身の行為が何であるのかに気付く。
「あっ! ご、ごめん!」
俺は慌てて手を離した。今までずっと胸を掴まれていたであろうシノンは片手で胸を隠すようにして、目を半開きにしながら俺の事を睨みつけてきたが、同時にもう片方の手でハラスメント警告のノーボタンを押してくれていた。
「全くもう……いつまでも触ってていいなんて言ってないわよ」
「ご、ごめん……反省してます……」
シノンはむすっと息を吐いたが、やがて表情を戻して俺に言った。
「でも、ちゃんと出てたわね、ハラスメント警告は」
シノンの隣でユイが頷く。
「はい。今ママの手元で出ていたのは間違いなくハラスメント警告です。その辺りの機能が止まっているという事は、無かったみたいですね」
《しかし、《ムネーモシュネー》の連中はハラスメント警告を出さずに
《ムネーモシュネー》の奴らは確かにココアを無理矢理引っ張っていたのに、ハラスメント警告に晒される事なくそれを続けていた。そんな事が出来るはずがないのは今ので明らかになったのだが……。
「《ムネーモシュネー》……一体なんだっていうんだ。あいつらは一体何をして……」
シノンは俺の方へ顔を向ける。まだ胸を掴まれていた事を根に持っているのかと思ったが、その表情は少し険しいものに変わっていた。
「ねぇキリト、明日イリス先生に相談してみる? イリス先生なら、そいつらが何なのかわかるんじゃないかな」
「俺もそれは考えてたよ。イリスさんはこのゲームの開発者だから、俺達の知らない事も沢山知ってる。明日攻略会議の前に、イリスさんのところへ行こう」
そう言うと、俺は自分のテーブルに戻って、椅子に座った。
この世界を掌握するなんていう馬鹿らしいと台詞を吐いているけれど、奴らは普通のプレイヤー達では出来ない事をやってしまえている。
そんなのが何かしらの行動を起こせば、きっとボス以上の危険因子になって、アインクラッドはマーテルの時以上の混乱に包み込まれてしまうだろう。
そうなる前に、開発者に尋ねて正体を掴み、対策を練るしかない――そう思いながらコップを持って中の飲み物を口に運んだその時、ユイが声をかけてきた。
「ところで、パパ」
「なんだ」
「ママのお胸、いかがでしたか。わたしも触りたいのですけれど――」
娘からの天然爆撃をもう一度受けて、俺とシノンは椅子ごとその場にひっくり返った。
◇◇◇
翌日午前5時30分 第1層 教会
「《ムネーモシュネー》……か」
俺とシノンとリランは少し早めに起きて、同じく早めに起きているイリスの元へ来ていた。
子供達が起きて活動を始める前ならば、イリスは暇になっており、その時を狙えばこうやってイリスに問題などを報告したり、それへの対策を練る事が出来る。
まぁイリスが早く起きてくれたのは前日にコンタクトを取り、OKをもらっていたためなのだが。
「はい。昨日の夕方に、俺達の仲間の1人が、そんな奴らに襲われたんです」
客用のソファに座って、イリスに昨日起きた事を色々と話すと、イリスは紅茶らしき飲み物を口にしながら答えてくれた。
尚、イリスは前もって俺達が来る事を知っておいてくれたので、前に見た薄着ではなく、いつもの服装だった。
「《ムネーモシュネー》……ギリシャ神話に出てくる記憶の女神の名前だ。そんなものを冠するなんて、あまり気持ちのいい連中じゃないみたいだね」
「気持ちのいい連中なんかじゃないです。あいつらは俺達の仲間を誘拐しようとしていたんです」
「ふむ、よくある話だね。でも、そんな事をすればハラスメント警告が出て黒鉄宮の牢獄の中にダイブする事になるけれど?」
そこでリランがイリスに向けて言う。
《奴らは女性プレイヤーを襲っていた男達だった。にもかかわらず、奴らはハラスメント警告を受けずに襲い続けていたのだ》
「ふむ、よくある……なんだって?」
イリスは驚いたような顔をして、俺とリランを見た。やはり開発者のイリスにとっても驚くべき事柄だったらしい。
「どういう事だい。男が女を、女が男を《圏内》で暴行したり、無理矢理動かそうとすれば、一発でハラスメント警告が出るはずだ。それがないなんてあり得ないだろう」
「はい、でもキリトの話によると、それがなかったみたいなんです」
イリスはシノンの方へ顔を向ける。
「シノンはそいつらを見ていないのかい」
「はい。キリトが攻略から帰って来る時に出くわしたらしくて」
イリスは《ムネーモシュネー》の唯一の遭遇者である俺に、再度顔を向ける。
「そいつらは間違いなく男だったんだろう。そして襲われていたのは女だったんだろう」
「はい。間違いありません。でも、あいつらはハラスメント警告を受けなかったんです」
イリスは険しい表情を浮かべて下を向いた。
「どういう事だ……普通のプレイヤーがシステムを無視して動く事なんて出来やしない。もしそんな事が出来たのであれば、システムの方に問題がある。もしかしてハラスメント警告などを司るシステムが、マーテルとかにやられたのか……?」
「いいえ、ハラスメント警告機能は普通に動いているみたいなんです」
イリスが目を少し丸くする。
「なんだって、一体何をしたんだ」
そう聞かれて、俺とシノンは思わず背筋を伸ばした。隣に視線を送ればシノンのは顔はちょっと赤くなっている。
――多分だけど、俺も同じように赤くなっているのだろう。イリスはそんな俺達を不思議そうな目で見ていたが、やがて何かに気付いたような顔をして、ふふんと笑った。
「なるほど、そういう事か。つまり君達が夫婦である事を利用して何かしらしたという事か」
シノンは何も言わずに俯いた。イリスは小さく笑いながら、更に言った。
「確かに夫婦関係であってもハラスメント警告は発動するようになっているからな。君達の間でシステムの不調を調べる事そのものは出来るね。そしてその様子だと、上手くいったみたいじゃないか」
「はい。やってみたところ、ハラスメント警告はちゃんと出て来ました。だからシステムが不調を来しているという事はないみたいなんです」
「ほぅ……シノンはキリト君のセクハラを受け入れたという事か。そのまま黒鉄宮に飛ばしてしまってもよかったんじゃないかな?」
シノンは吃驚したような顔をして、イリスに首を横に振った。
「そんな、今キリトが黒鉄宮に入れられたら、攻略が……」
イリスは「はははっ」と笑った後に言った。
「なぁに、冗談さね。というよりも、ユイと君とリランが寂しい思いをしてしまうから駄目だね。
まぁとりあえず、ハラスメント警告がちゃんと動いているのは確かみたいだね」
イリスの顔が徐々に険しいものへと変わる。
「だけど、その《ムネーモシュネー》とか言う連中はハラスメント警告を出さなかった……これは普通に考えればおかしい事だってわかるよね」
俺がシノンの胸を掴んだら、しっかりとハラスメント警告が出て来たから、システムは正常に稼働している。今アインクラッドのプレイヤー達は、異性にセクハラしたりする事は出来ないようになっているのだが、あの連中だけは例外だった。
「はい。あんな事出来るはずがないのに……イリスさん、何かわかりませんか」
イリスは顔を下げて、自らの長い髪の毛を指に巻き付けた。多分、あれがイリスの考える時の姿勢なんだろう。
「……普通ならそんな事は出来ない。でも、奴らはそれが出来ている。原因はシステムの不調ではない……」
その直後、イリスは閃いたような表情を顔に浮かばせた。
「まさか……いや、そんな事が……いや、ありえるか……?」
「何が思いついたんですか」
シノンの問いかけにイリスは顔を上げた。
「奴らの正体というべきかな。あまり考えたくないんだけど、奴らは……レクトの連中かもしれない」
レクトという単語を、俺は知っている。
レクトとは直葉ことリーファ曰く、このゲームの維持をしている企業であり、そこの子会社であるレクト・プログレスというのがリーファ、ユウキがプレイしているとされる《アルヴヘイム・オンライン》を発売、運営しているとの事だ。
「レクト? レクトって、このゲームの維持をしている企業の事ですか」
「あぁ。私の勤めていたアーガスに代わって、今現在このゲームの維持を行っているレクトね。
レクトの連中はこのゲームの維持をするために、スーパーアカウントを使っているはずなんだ。そしてそれには、アイテム等を自由に呼び出したり、レベルを好き勝手に上げたりする事が出来る」
「それってチートじゃないか」
「チートじゃなくてデバッグ機能と言った方が正しいよ。管理者が様々な機能を調査するために使用する機能。まだVRMMOが主流じゃなかった頃、とあるゲームが発売される前のテスト時、ゲームそのものの難易度が高すぎて開発者も全く進めなくて、デバッグモードを使って動作テストだけ行ったなんて話があるからね、どのゲームにもこういう機能は付いてる。奴らはそれを使ってここに来てるんだ」
あいつら《ムネーモシュネー》は、管理者権限のアカウントを持ってこの世界へとやって来ていたかもしれないというその言葉に、俺達は驚く事になった。
それが何かしらの善良な事ならまだしも、あいつらは明らかに管理者権限を悪用して、俺達の仲間、この世界のプレイヤーに暴行をしていた。
「まさか、あいつらが管理者権限を持ってて、それを利用してあんな事を……」
「そういう事だね。くそ、迂闊だったな……《壊り逃げ男》どころか、管理者権限を持ち合わせた暴漢達が現れてしまうなんて……」
シノンの顔が不安そうなものへ変わる。
「それって……それってどういう事なんですか」
「どうにもこうにも、あいつらはこの世界で好き勝手出来るって事さ。流石に死亡までは防げないけれど、スーパーアカウントに搭載されている機能を使えば、プレイヤーなんて敵じゃない。そして、この世界のモンスター達さえも」
その言葉に、俺は背筋に悪寒が走ったような錯覚を感じた。いや、実際感じていたのかもしれない。
あの《ムネーモシュネー》という連中は管理者アカウントを使っている悪人達である可能性が非常に高く、そしてそいつらには俺達の力をぶつけても勝ち目がない可能性が大きい。
それもそのはずだ、奴らが使っているのは管理者アカウントであり、俺達一般プレイヤーよりも何倍も上位にあるアカウント……即ち、茅場と同じ存在だ。
茅場はまだ良心的だったけれど、あいつら《ムネーモシュネー》は、管理者アカウントを使って悪行を行っていた。
そしてあいつらは、俺達プレイヤーではどうしようもない存在……。
『貴様、実力者だらけのギルドの団長だからって威張るなよ。いずれは我ら《ムネーモシュネー》がこの世界を掌握するのだ! 勿論貴様ら血盟騎士団もだ!』
頭の中で《ムネーモシュネー》の連中が口にしていた言葉、奴らの姿がフラッシュバックされる。最初、あいつらはただの誇大妄想狂か、暴言吐きだと思っていた。
だけど、あいつらは俺達では絶対に出来ない犯罪防止コード無視をやってのけ、そしてスーパーアカウントを使ってこの世界へやってきている事が判明した。あいつらの言っていた、この世界を掌握するというのも、あいつらのスーパーアカウントを使えば出来ない事ではないのだ。
《我は、我はどうだ。我の炎ならば、あいつらを焼き殺す事も出来ようぞ》
俺達からしても、この世界の面から見ても明らかにイレギュラーなリラン。その《声》に反応したイリスがそこへ顔を向ける。
「確かに君の持つ能力は強力だし、多分だけどあいつらにとっても規格外な存在だろう。だけど君だって、この世界の住人でしかない。この世界を管理する力を持つ連中には勝てない可能性が非常に大きい。寧ろ、君を危険視したあいつらが、君へ何かしらの行動を起こさないという危険性だって皆無じゃないんだ」
《ぐぅぅ……我の力でも勝てぬ相手だというのか。我は、我らはマーテルにすら勝ったというのに……》
イリスが髪の毛をぐっと掴んで、難しそうな顔をする。
「実際、《ムネーモシュネー》の連中はマーテルよりも厄介な存在である可能性が大きい。私ですら奴らをどう対処すべきか思い付けないよ。……方法が無いわけじゃないけれど」
「方法が無いわけじゃない? 何があるんですか」
イリスは顔を上げて、俺達と目を合せた。
「それはずっと前から言われている事……《ムネーモシュネー》が何かしらの行動を起こす前に、このゲームを終わらせる事だ。ゲームクリアをして全員がこの世界から脱出すれば、《ムネーモシュネー》は手を出せなくなる。だから――」
その時に、イリスは何かに気付いたような顔になって、言葉を途中で区切った。いや、言うのをやめたといった方が正しいのかもしれない。
「え、イリスさん、どうしたんですか」
イリスは歯をぐっと食い縛って、そのまま下を向いた。
「いや待てよ……最初にプレイヤーをどこかへ連れ去ろうとしていたという事は、もし奴らの狙いが、この世界のプレイヤーにあるのだとすれば……この世界のクリアは……計画の邪魔という事に……」
「な、何を言ってるんですか、イリス先生」
専門患者シノンの言葉を受けて、医師であるイリスは再度顔を上げる。
「拙いぞ。私の推測が正しいのであれば、奴らの狙いはこの世界に生きるプレイヤー達だ」
《なぜそのような事がわかる。お前は《ムネーモシュネー》を知っているのか》
「いや、《ムネーモシュネー》は君達から聞いて初めて知った。だけど最初にプレイヤーを狙っていたという事は、プレイヤーそのものが目的なのではないかって、正直思うんだよ。
だから《ムネーモシュネー》の狙いはこの世界のクリアではなく、クリアを目指す君達であるという可能性がすごく大きいと思うんだ。もしくは、この世界のクリアを邪魔する事……かつての《笑う棺桶》のようにね」
「クリアを、邪魔する事……?」
俺達はこの世界に閉じ込められてから、ずっとこの世界を脱出する唯一の方法であるクリアを目指してここまで進み続けてきた。そしてクリアに本格的に近付いてきたこの頃だというのに、それを邪魔しようとしているのが《ムネーモシュネー》らしい。
「待ってください。俺達が狙いってどういう事ですか。なんで、クリアが狙いじゃないんですか」
「それは私にもいまいち掴めてない。だけど君の話を聞く限りじゃ、とてもクリアを狙いとしている者達じゃないっていうのがわかるんだ。きっとそいつらは君達を狙い、君達の攻略の邪魔をしてくるだろう」
俺の隣で、シノンがぐっと拳を握ったまま俯く。
「そんな……せっかく攻略に集中できる環境が出来て、クリアまで行けるって思ってたのに……」
《世界を壊そうとするものが……また現れたというのか……!》
俺の肩でぐるぐると喉を鳴らすリランを、イリスが落ち着かせるように言う。
「おいおいおいおい、そういうわけじゃない。まだそう決まったわけじゃない。あくまで過程の域だし、机上の空論でしかないかもしれない。私の方でなるべく情報を集めてみるし、情報屋にも呼びかけておくから、君達は攻略に専念してくれ。
今言った事はあくまで私が考えている事であり、事実ではないから安心してくれ。しかし、《ムネーモシュネー》の連中が何か起こさないという保証もないから、十分に気を付けておくれ。
それじゃあ、今日のところはここで御仕舞だ。報告ありがとうね」
イリスは最後、俺達を安心させようとしたようだったが、俺の心は全くと言っていいほど晴れなかった。
もし、《ムネーモシュネー》があの時ココアを連れ去ろうとしていたのならば。そしてそれに俺達全員が含まれているとすれば、再びこのアインクラッドを危険因子が包み込もうとしているという事になる。
《笑う棺桶》も、マーテルも乗り越えて、ここまでやって来たというのに、また俺達は危険にさらされなければならないなんて。
せっかくここまで、せっかくクリアを間近に控えたというのに、なんという事だろう。しかも相手が管理者権限で、俺達に敵わない存在かもしれないと来た。
俺の剣が本当に通じない相手が、あの《ムネーモシュネー》。もし《ムネーモシュネー》がココアを狙ったようにシノンを狙ったら、俺はシノンを守れるのか。
《ムネーモシュネー》に立ち向かったとしても、勝てなかったら……その時、俺は、シノンは……。
「あ、そうだキリト君」
考え事の世界に入り込んでいた俺を、イリスの声がこの世界へ引き戻し、その張本人に顔を向ける。
「なんですか」
「君の事だからハラスメント警告を出す時、シノンの胸辺りを触ってみたと思うんだけど、どうだね、私の胸も触ってみるかい。柔らかで触り心地抜群だと思うんだけど――」
その言葉を受けて、俺はシノンとリランを巻き込む形でソファごとその場にひっくり返った。
すごく真剣な話をしてくるんじゃないかと思っていたのに、まさかのユイのような天然爆撃。やっぱりユイはイリスから生まれた子であると、改めて認識できてしまった。
「おいおいおいおい、何もひっくり返る事はないだろう。女性からこんな事を言われれば、男性なら喜んで顔を突っ込むところだろう?」
俺はソファごとひっくり返ったまま、恍けたような顔をしているであろうシノンの専門医に向けて言った。
「あんな真面目な話をした後で胸がどうとか言い出すとか、いい根性してるよイリス先生」
「……私もそう思う」
そのまま、俺とシノンとリランはしばらく立ち上がる事が出来なかった。
天然爆撃型二足歩行戦車ユイ&イリス。