「ま、間違いなく俺の妹だわ、お前……」
ただいま俺は、第22層の家のテーブルに突っ伏していた。近くにはシノンとユイ、リランもおり、そしてその中に新たに、リーファというアバターネームを使っている俺の妹である、スグこと桐ヶ谷
最初、俺はリーファが直葉である事が信じられず、ひとまず森から移動して第22層の家へと戻った。その時に、買い物を終えたシノンとユイとばったり合流し、5人で22層の家に戻り、そこで話を伺う事になったのだ。
シノンにリーファが妹である事を伝えると、勿論というべきなのか、シノンは怪しがる目でリーファを睨みつけた。
更に「本当にキリトの妹であるならば、現実世界でのキリトの事を良く知っているはずだ、それを教えろ」と要求。
過去の痴態や失敗などを話される事を恐れた俺は、その場でリーファが直葉であると宣言したのだが、シノンはそれを容易く跳ね除けて、結局リーファからすべてを聞き出してしまった。
その結果、シノンもユイも、リランも俺も、リーファが直葉である事を認識せざるを得なくなってしまった。
同時に、シノン、ユイ、リランの三人に、俺が過去に犯してしまった失敗などを全て知られてしまい、大爆笑される事になって、俺はテーブルに突っ伏したまま動けなくなってしまった。
多分、これが恋人だとか夫婦だとかを他人に話された時のシノンの気持ちなんだろう。
「それでリーファは、何でこの世界にやってきたのかしら」
シノンの問いかけに、リーファが紅茶を飲みつつ答える。
「あぁはい。実はあたし、このゲームじゃないVRMMOをプレイしてたんです。いつものようにアミュスフィアを付けて、ゲームを起動したら、辿り着いた先はいつもやってるゲームの中じゃなくて、この世界だったんです」
リーファ――直葉は確かゲームがそんなに好きな奴じゃなかったはずだ。この2年間で心境に変化でも出たのだろうか。
「あれ、お前ゲームやる奴だったっけ? 俺がこの世界に来る前はそんなふうじゃなかったはずだけど」
「だから言ったでしょ、心境にも身体にも変化があったって。ちなみにその時プレイしてたゲームの名前は……」
そういえば、この前ユウキと話した時に、このゲームによく似たVRMMORPG、アルヴヘイム・オンラインが大人気になっているという話を聞いた。もしかして、リーファの言うゲームもそれだろうか。
「ALOか?」
「そうそう、アルヴヘイム・オンラインっていうゲーム。……っていうかおにいちゃん、この世界に閉じ込められて、外の情報は完全にシャットアウトのはずなのに、なんで知ってるの」
「お前と同じ境遇の人が仲間の中に一人いるんだよ。その人から、ALOの存在を聞いたわけなんだが……」
やはりリーファも同じだ。ネットの海の中に伸びていたSAOの魔の手に掴まって、そのままALOからSAOへと連れて来させられてしまったに違いない。まさかスグまで拉致されてしまうなんて。
だが、それだと妙な部分がある。リーファの外観は、このSAOのそれとはかけ離れすぎているのだ。
普通、この世界に来たのであれば、シノンのように顔や身体付きは現実のそれと同じで、髪の毛の色なども現実のそれと同じ、それ以外の特徴が現れる事はないはずなのだが、リーファの場合は背中に羽が生えていたり、髪の毛が最初から金色、耳がエルフのように尖っているなど、SAOプレイヤーとはかけ離れている。
「だけど妙だな。お前の外観、SAOの基準からは離れているように感じるぞ」
「あぁ、これは全部ALOのアバターの外観だよ。でも変だよね、この世界はALOじゃなくてSAOなのに、アバターがそのまま引き継げちゃってるなんて」
そこでユイが口を開く。
「恐らくですが、そのALOも、このゲームと同様の基幹システム群を使用したゲームであると思われます。多分その影響で、リーファさんの外観はALOのそれのままなのであると推測されます」
「なるほどな。それにしてもリーファまで巻き込まれてしまうなんて、えらい事になって来てるな」
「どういう事?」
俺はリーファに、ユウキとシノン、そしてイリスの事でわかった事を、全て話した。
「ネットの海の中にSAOが手を伸ばしてて、フルダイブした人を浚っちゃうの!?」
「そうだ。ALOやその他のVRMMOも、結局はこのSAOが存在するネットの海の中に浮かぶ島の一つでしかないんだ。そしてSAOは何らかの不具合、もしくは元からの仕様で、他の島に手を伸ばして、そこの住人をそのまま自分の部屋まで連れ去る事が出来る……もう既に3人の被害者が、このSAOに閉じ込められる事になった」
シノンが腕組みをする。
「実のところ、私もその1人なのよ。私も同じようにVRMMOをプレイしようとしたら、この世界に引きずり込まれてしまったっていうパターン」
「シノンさんもそうだったんですか!?」
「そうそう。ちなみに、後2人同じ目に遭ってしまった人を私達は知ってる。ここにあんたが加わるから、3人目ね」
「そんな事になってるなんて……」
その時俺はふと思いついた。リーファはアミュスフィアというナーヴギアの後継機を使用してこの世界にやって来たわけだが、ユウキ曰く、アミュスフィアはナーヴギアのように脳を焼切るほどの電磁パルス機能は持たず、プレイヤーを殺害する事は出来ないそうだ。
もしこの世界で、リーファが死亡するような事があったなら、どうなるのだろう。
「なぁリーファ、お前、アミュスフィアを使ってこの世界に来たんだよな」
「そうだけど」
「このSAOはニュースで報道されてるとおり、死んだら現実世界でナーヴギアに脳を焼切られてしまうゲームなんだ。でもアミュスフィアは脳を焼切れるほどの電磁パルスを放つ機能はないんだろ?」
「そんな危ない機能はないよ。という事は、あたしは死んでも大丈夫とでもいうわけ?」
「いやいやいや、お前が仮にやられたらどうなるかって思って……別にお前に死んでもらいたいわけじゃないし、死んでほしくないよ」
その時、横でホロウキーボードを操作していたシノンが、何かに気付いたような顔をした。
「リーファ、そんな事はないみたいよ」
周りの一同――俺も含めた――は、一斉にシノンの方へ顔を向けた。
「どうしたんだ、シノン」
「あなた達が話してる間に、イリス先生にアミュスフィアとSAOの関係について聞いてみたのよ。そしたらすぐに返事が返ってきたの」
確かにイリスは元アーガスのスタッフなうえに、俺と同じゲーム&ITオタクだから、ナーヴギアとアミュスフィアの関係も、SAOの事についても熟知しているだろう。
それにこの前のメールでわかった事だが、あの人はタイピング速度も半端なく、とんでもない速さでメッセージを返してくる。
「イリスさんは何て?」
シノンは顔を、メッセージウインドウへ向ける。
「『確かにアミュスフィアなら、電磁パルスで脳を焼切るような力は持たない。しかしこの世界で死亡した場合、アバターが削除されるうえに、ゲームから脱出するという事にはならないから、例えアミュスフィアだとしても、死亡すればアバターが削除されてしまい、ログアウトさせてもらえないままになる。現実世界の身体には意識が永遠に戻ってこない状態になり、脳死状態になってしまうだろう』ですって」
「の、脳死!?」
確かにこのゲームでは、死亡したら現実世界でも死亡する事になるし、茅場曰くゲームをクリアする以外にログアウトする事は出来ないという話だ。――死亡しても脳が焼かれなかった場合など、想定されていないだろう。
「となるとアミュスフィアを付けていようが、ナーヴギアを付けていようが、ゲーム内での死は現実世界での死と同じって事か」
「そ、そ、そんなぁ……何だか急に怖くなってきちゃった」
俺はそっとリーファの肩に触れた。身体が小刻みに震えているのがわかった。
「こうなってしまった以上は、ゲームをクリアするしか現実に帰る方法はない。お前が来てしまうなんて完全に想定外だったけれど……リーファ、戦えるか」
「戦えるよ。ALOでも散々戦闘を重ねて来たからね。でも上手くいくかどうかまではわからないな……」
シノンが残っているリーファの右肩に触れる。
「大丈夫よ。私達であんたを守りながら戦い続けるし、あんたのおにいさんはとんでもない力を持ってる人として有名だから、とりあえずは大丈夫よ」
リーファは疑問を抱いているような表情を浮かべて、リランの方に顔を向けた。
「そういえばおにいちゃん、今ユイちゃんが抱いてるあの小っちゃいドラゴンは、おにいちゃんのなの? ALOでの、ケットシーが持つ《
「あぁ。俺がこの世界で手に入れた究極の《使い魔》で、俺の相棒且つ、みんなの頼もしい仲間。名前はさっき言った通り、リランだ」
リランはくっと顔を上げて、リーファを見つめて、《声》を送ってきた。
《我の名をもう忘れたのか。我が名はリラン。ちゃんと覚えるのだぞ》
リーファはどこか驚いたような顔になる。
「すっごいなぁ。ALOでも、こんな人間みたいに喋るモンスターとか《使い魔》はいないよ。SAOってやっぱり、ALOよりも色んな所が高性能なゲームだったんだね。デスゲームだけど……」
そう言ってリーファは立ち上がり、リランに近付いて、その頭を軽く撫で始めた。やはり小さくなっている時のリランは子犬のような外観に近くなるため、女の子は喜んで触るようだ。
その点、本来の姿に戻っている時のリランは、普通のプレイヤーが見たら仲間だと思えずに逃げ出すようなくらいに貫録と威圧に溢れているけれど。
そんなふうに考えながら、リランとリーファを眺めていたその時に、シノンが囁くように俺の耳元に言葉を伝えてきた。
「ねぇキリト、リーファって、あなたの妹さんなのよね」
「そうだけど、それがどうかした?」
「私って、このゲームの中でのみだけど、あなたの妻よね。って事は、リーファは一応私の義妹って事になるのかしら?」
そういえばそうだ。リーファは直葉、即ち俺の妹なわけだが、妻であるシノンからすれば義妹となる。
それだけじゃない、俺とシノンの間に出来たわけではないが、娘であるユイもいるため、リーファは事実上、シノンの義妹であり、ユイの叔母さんという事になる。
……こんな話を聞いたリーファが、飛んでひっくり返る様をすぐに予測する事が出来た。
「そうだな……リーファは君の義妹という事になるし、ユイからすれば扱いは叔母さんだ。ただ、こんな事本人が聞いたらひっくり返りそうだから、話すのはやめておこうか」
「えぇ。
結局リーファにはあまり大事な事は成さない方が良さそうだと思った直後、リーファはリランから俺達へ顔を向けてきた。
「ところでおにいちゃん、そのシノンさんとはどんな関係なのかな」
思わずぎょっとして、二人でリーファに目を向けた。今隠そうと考えていた事を、いきなり知られそうになってしまうなんて。
まぁ確かにリーファ……スグは妙に俺の事を知ろうとして来る時もあったし、現実世界にいた時はシノンみたいな彼女みたいな彼女が出来る事だってなかったから、俺とシノンが一緒に居るのはスグにとってはこれ以上ないくらいに意外な事なのだろう。
「あぁいや、シノンとの関係はだな……」
何とか誤魔化そうと口を開いたところ、ほぼ同じタイミングで、ユイの口が開いた。
「お二人はこのゲームの中でのみですが、夫婦関係でして、わたしのパパとママです」
「ユイ――――――!!?」
隠そうとしていた事を暴露したユイ。その顔は純粋極まりない娘の顔をしているものだから、とんでもない。
「えぇぇぇぇ!? おにいちゃんの、奥さん!? それで、ユイちゃんはおにいちゃんとシノンさんの娘さん!?」
「はい、そうですよ」
「って事は何、おにいちゃんはあたしが目を離してる隙に結婚して、そのうえ子供まで設けてたわけ!? っていうかあたし、いつの間にか叔母さん!?」
「はい、そうですよ」
慌てるリーファに答えるユイだが、明らかにリーファを混乱させているだけだ。ユイって純粋だから、喋っちゃうんだろうなぁ。
「違うんだリーファ。これから説明を始めるから聞いてくれ!」
リーファは若干血走った眼で俺の方を向いたが、シノンとユイとの関係について正確な説明を施してやると、目を元に戻して、焦りを何とか消してくれた。
「なんだそういう事か……ユイちゃんはあくまでおにいちゃん達のところにやって来て、ほぼ養子って形で保護されてるんだね。そしてシノンさんも、システム上は夫婦になってるけれど、現実世界で結婚したわけじゃないって事なんだ」
「そういう事だ。わかってくれた?」
リーファは頷き、若干下を向いた。
「そっか。おにいちゃんにも大事な人がとうとうできたんだね。てっきり、おにいちゃんは一生非リア充のままだと思ったのに」
「酷い言い草だなおい」
シノンが片手を頬に当てる。
「私だって、一生非リア充のまま生きていこうと思ってたのに、まさかこんな事になるなんて全然予想してなかったわ」
リーファは両手を膝に置いて、そのままシノンに頭を下げた。
「えぇとシノンさん……IT&ゲームオタクで、一日中PCの前に貼り付いていて、ゲームになると戦闘マニアになってしまう不束な兄ですが、どうかよろしくお願いいたします」
「おいおい! そりゃないだろ!」
思わずリーファに反論した直後に、シノンは頷き、どこか納得したような顔をした。
「なるほど、まぁそんな事だろうとは思ってたけれど、キリトってそういう人だったのね、現実世界にいた時は。でもリーファ、私達だけの秘密にしてくれるなら、この人について言いたい事があるのだけれど……」
「えっ、なんですか。秘密にするので、教えてください!」
シノンは俺の事を軽く見て微笑んだ後に、リーファに向き直った。
「あんたのおにいさんは、私にとっての、白馬に乗った素敵な王子様よ。ううん、みんなにとっての、白馬の王子様だわ」
俺は目を見開いて、シノンの事を見つめてしまった。
シノンの例えにはリーファもユイも、リランも驚いたらしく、何が起きたのかわからないような顔で、シノンの事を見つめていたが、やがてリーファがその口を開いた。
「そ、そうですよね! あたしにとってもおにいちゃんは白馬の王子様でした! これでもおにいちゃんは本気出した時は凄いんですよ! ですから、おにいちゃんを彼氏に出来たシノンさんは、すごく運が良かったと思いますよ!」
なんだかいきなり声を張り上げたリーファ。その感じに、俺は違和感を抱かざるを得なかった。何か、辛い思いを感じているけれど、周りに悟られないようにしているかのような……現実世界で、辛い思いをしている時のスグによく見られた行動だ。
きっと何か隠している――そう頭の中で考えた時に、《声》が響いた。
《言っておくが、我は馬ではないぞ。キリトを例えるならば、白竜に乗った王子様だ》
皆一斉にリランの方に顔を向けたが、すぐさまシノンが笑い出した。それにつられてリーファも、ユイも笑い出し、ついには俺の腹の底から笑いが込み上げてきて、笑い出してしまい、家の中は笑い声で包み込まれた。
やがて笑いが治まると、リーファが俺の方に向いた。
「さてと、あたしはこれからどうしようか。ちょっと確認してみたら、ステータスのところにレベルが90ってあったんだけど、これってどこまで大丈夫なの?」
リーファの言葉に驚いて、俺とシノンは目を丸くした。レベルが90という事は、攻略組の皆の平均レベルより5レベルも高く、95レベルの俺とはほとんど僅差、90レベルのシノンと同じだ。十二分に、攻略組に参加してもオーケーだ。
「何でそんなにレベル高いんだよ!?」
「ふぇ!? た、多分
「90レベルもあれば、この先数層は何があっても平気へっちゃらだ。いきなり即戦力なってしまうなんて、とんでもないな、リーファ」
「え、えへへー! あたしこれでも、ALOでもシルフ領主の側近って言われるくらいに強いんだから! だからおにいちゃんとも一緒に戦えるって自負してるよ! どんなモンスターもかかってこいー!」
直後、リーファは何かを思い出したような顔になった。
「あぁでも、おにいちゃんみんなの有名人っぽいから、おにいちゃんって呼ぶ人がいたら吃驚する人もいるよね。おにいちゃんのアバターネームって、2年前から変わってないなら、キリトだよね」
「そうだけど?」
「じゃあ、プライベートの時以外は、キリトくんって呼ばせてもらうね」
確かに、俺とリーファが兄弟同士なんて聞いたら、さぞかし驚かれるだろうし、ひょっとしたらちょっと茶化してくる奴も現れるかもしれない。攻略を円滑かつ混乱なく進めるには、リーファには、俺の事をキリトと呼ばせた方がいいだろうな。
「わかった。そういう事にしておこう。だけど、どんなに強く経って戦闘になれば死の危険性が伴う。明日からはある程度戦い方の練習だとか、対モンスター用の作戦の立て方を教えるからな」
「わかったよ。それじゃあ明日からよろしくね、キリトくん」
リーファはそう言って、頷いてくれた。しかし、リーファの実力というのはどれくらいなのだろうか。レベルはもう90レベルになっていて、攻略組として加えても何ら問題のないくらいだけど、戦い方を見てみなきゃどうとも言えない。
明日は忙しくなりそうだ――そんな事を考えながら、俺はリランとユイを頻りに触るリーファの事をじっと眺めていた。
◇◇◇
その日の夜
リーファは俺とシノン、ユイとリランの4人を邪魔するわけにはいかないと言って、22層の街にある宿に泊まると言って、出て行ってしまった。
シノンはせっかく来たんだから、この家に住んだらいいと言ったが、リーファは別に大丈夫だからと言って、全く聞いてくれず、結局俺達の家を出て行ったわけなのだが、俺はずっとリーファの態度が気になって仕方が無かった。
リーファは、俺とシノンが一緒に暮らしていると知るや否、いきなりテンションを上げて話し始めた。あれは現実世界にいた時、辛い思いを無理矢理隠そうする直葉によく見られた行動だ。
リーファはきっと、何か辛い思いをしているに違いない――兄としては放っておけないなと思いながら過ごし、やがて家族が寝静まった頃に、俺の元にメッセージが届いた。
宛先はイリスとかアスナかなと思って開いてみれば、そこに会ったのはリーファの名前。用件は、「22層の宿の一室に来て、話をしてもらいたい」という、簡単なものだったけれど、俺はそれがどこか嬉しく感じた。
リーファ……即ち直葉と話すのは実に2年ぶりになるから、今、リーファの宿泊している宿屋に行けば、リーファと2年ぶりにたっぷり話をする事が出来るだろう。それこそ、現実世界の様子や、直葉自身の事も聞けるはずだ。
俺は物音を立てないように立ち上がり、家を出て、22層の街に向かった。村のように小さくて、緑に囲まれている街中を抜けて、中でも一際大きな建物である宿屋の前に来て、中に入り込んだ。
農村の宿を再現したような風貌の宿屋。その中の、第2号室に宿泊しているというリーファのメールを頼りに宿内を歩き、やがて第2号室の前に着いた。
「リーファ、いるか」
こん、こんとノックをすると、がちゃりとドアが開き、中から緑色のTシャツと短いズボンを履いたリーファが笑顔で出迎えてきた。
「いらっしゃいおにいちゃん。来てくれてありがと。中に入ってよ」
俺は頷いて、リーファ――直葉に誘われるまま、部屋の中に入り込んだが、すぐさま直葉と一緒にシングルベッドに腰を掛けた。直葉は俺の隣に並んだすぐ後に、にっこりと笑んで見せた。
「こうしておにいちゃんと並ぶの、本当に久しぶりだなー」
「確かに、2年ぶりだな。こうしてスグと話すのも。
早速、聞きたい事が山ほどあるんだが、聞いていいかな」
「いいよいいよ。おにいちゃん、現実世界の事は何もわからなかったもんね。何でも聞いてよ」
「じゃあまず、かあさん達の事を教えてくれ」
「おかあさん達も元気だよ。仕事が忙しいみたいだけれど、ちゃんと週5回くらいおにいちゃんのところに来てる」
「そうか、かあさんも元気か。ならいいんだ」
「それだけじゃないよ。なんとあたし、剣道で全国大会まで行ったんだよ」
直葉の誇らしげなその言葉に、俺は驚いてしまった。確かに直葉は、俺がまだ現実世界にいた頃、俺がやめてしまった剣道をずっと続けていて、市内大会、剣大会を勝ち進むほどの実力を付けて行った。そして俺がこの世界に閉じ込められて2年経った今、直葉は全国大会へ進んだ。
「全国かぁ……スグもそこまでいったんだな」
「うん。高校だってそれで推薦貰ったんだから。この2年間で……」
「そうか。そういえばもう2年になるんだな、このデスゲームが始まってから。現実世界の、対応はどうなってる」
直葉によれば、実に様々な警察関係者、ゲーム会社、技術者達がナーヴギアの解体や分解を試しているが、どうやっても無理で、お手上げの状態に等しくなっているそうだ。
そしてこの事件を起こした茅場晶彦は完全な行方不明になっており、元アーガスのスタッフ達等にも聞き込みが成されたが、誰一人茅場の行方を知る者はいなかったらしい。
「茅場晶彦は行方知れずか。そしてナーヴギアの解体方法もわからず……まぁそうだろうな」
これはイリスから聞いてわかった事なのだが、ナーヴギアはゲーム端末として発売されたけれど、本来は会社は企業、研究機関などに使われる機材として使うべき代物であり、ゲーム端末として使うべきではないものだったらしい。研究機関や警察などが解体出来ないのもそれが原因なのだろう。
「もう日本中大混乱だよ……今日、また混乱のネタが増えちゃったけれどね」
「確かにな。ALOプレイヤーが、SAOに引きずり込まれて、そのまま出て来れなくなってしまったなんて、今頃ALOのレクト社も大混乱だろうな」
「うん。おかあさんもきっと、ショックを受けてると思う。というか、あたし自身どうしてこうなっちゃったかわからないし、まさかこんな事になっちゃうなんて、全然予測してなかったから……」
「SAOがネットの海に魔の手を伸ばしていたからなんだよ。スグはそれに巻き込まれて、この世界に連れて来られてしまったんだ。俺もスグがこの世界に来させられてしまうなんて思ってもみなかったよ。正直、顔が蒼くなった」
直葉は何も言わずに、ただの俺の言葉を聞いていたが、やがてその口を開いた。
「……でも正直あたし、この世界に来られた事、嬉しく思うんだ」
驚いて、俺は直葉に向き直した。
「何言ってんだよ。この世界はALOみたいなゲームとは違って、死ねば現実世界で死ぬ、デスゲームなんだぞ。そんな軽い気持ちでいていいような世界じゃないんだぞ!」
思わず大きな声を出してしまうと、直葉はきっと俺を睨みつけてきた。
「軽い気持ち? そんなふうに思ってるように、おにいちゃんは見えるの!?」
怒鳴り返してきた直葉に、俺は思わず口を閉じる。直葉は目尻に涙を溜め込みながら、怒った顔をした。
「あたし、おにいちゃんがこの世界に閉じ込められたのが悲しくて、ずっと泣いてた。おにいちゃんが病院に運ばれてから、近くのSAOプレイヤーの人達が次々亡くなっていって、次はおにいちゃんの番が来る、来るってずっと怖かった。次に病院に行ったら、おにいちゃんが死んでたらどうしよう、おにいちゃんが死んだらどうしようって、ずっと怖くて悲しかった。
学校行ってる時も、剣道やってる時も、ALOやってる時も不安で仕方無かった。傍にいて、触れる事も出来るのに、そこにおにいちゃんはいなくて、いつ死んでもおかしくないような状態になってる。あたし達は家族なのに、一緒に居るのが当たり前なのに……何も出来なかった。ただただ、おにいちゃんの傍で怯えてる事しか出来なかった。そんな生活、耐えられると思う?」
俺は何も言わずに直葉を見つめていた。もう既に、直葉の瞳からは涙が零れていた。
「だから、あたしはどうにかしてこの世界に来れる方法が無いか探した。でもナーヴギアはもうどこにもないし、アミュスフィアでSAOは出来ないしで、もう何も出来ないんだ、おにいちゃんの近くに行く事は出来ないんだって思ってた。
そんなある時に……ALOをプレイしたら、この世界に飛ばされてきてた。見た事のない景色が広がってて、プレイヤーの人に聞いて、この世界がSAOの世界だって聞かされた時は、驚いたけど嬉しかった。おにいちゃんの世界に来れたって、おにいちゃんに会いに行けるって」
「スグ……」
「だから、あたしはこの世界に来れた事が嬉しかったし、同時にこれでよかったって思った。おにいちゃんともう一度話して、力になるために。そんな遊ぶために来たなんて軽い気持ちでいるつもりはないよ。おにいちゃんは、ずっとこの世界で戦ってきて、色んな人の支えになってきた。だから今度は、あたしが、おにいちゃんの力になる。だからおにいちゃん……」
直葉は俺の両手を掴んだ。
「あたしと、一緒に居て……もう、離れないでよ……?」
直葉の想いを聞いた俺の腕は、直葉の手から離れて身体へ廻り、そのまま直葉を抱き締めた。直葉の持っている懐かしい温もりが、身体を包み込んでくる。
心の中は直葉にもう一度会えた事に対する喜びと、心配を散々かけてしまったすまなさが混ざり合ったような、複雑な気持ちがあったが、それは決していやなものではなかった。
「ごめんなスグ。散々、心配をかけた」
直葉は俺の胸の中で頷く。
「これからは、一緒に居てくれる? あたしを置いて、どこかに行っちゃわない?」
「当然だよ。俺達は血の繋がった兄妹、家族だ。一緒に居るのは当たり前だろう。スグは偶然この世界に来てしまったけれど、それでも俺の事を探してくれた。ほとんど俺と一緒に居るために、この世界に来てしまったようなものじゃないか?」
「ひょっとしたら……おにいちゃんのところに行きたいって思ってたから、本当にこの世界に、入り込んじゃったのかもしれないね。
ねぇおにいちゃん」
「なんだ」
「もうちょっとだけ、こうしてもらってていい?」
胸の中で直葉が動いたが、その時にまた、懐かしさを感じた。スグも結構甘えん坊で、俺にこうやって甘えてくる事も多かった。それから2年経ったのに、この辺りは全くと言っていいほど変わっていない。
「全く、スグも甘えん坊だな。やっぱり2年前のままだよ」
直葉はむぅと言った。
「きょ、今日だけだもん。向こうのあたしは、もう立派な大人なんだからね!」
「はは、そういう事にしておくよ」
「でも、おにいちゃんも変わってないよ。こんなに暖かいの、おにいちゃんだけだもん」
そう言って、直葉は俺の胸に顔を擦りつけた。
まるでシノンやユウキと同じようにこの世界に引きずり込まれてきてしまった直葉。かけがえのない、大事な家族。
きっとこれからの戦いはもっと熾烈なものとなって行くに違いないが、どんな事があっても直葉を守ってやらなければ。そして、直葉と一緒にこの世界を脱して、かあさんの待つ現実に帰るんだ。そのためにも、もっと強くならなければ。もっと、リランの力や俺自身の力を引き出せるようにならなければ。
そう思いながら、俺は直葉の頭を静かに撫でた。
リーファ、加わる。