キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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09:赤黒の炎

 

 

          □□□

 

 

 ――なぁんだ。結局こうなるんじゃないか。

 

 

 頭の中に響いてきた《声》に、メディナ・オルティナノスは特に答えようとしなかった。《声》は何故か自分の声色と妙によく似ていた。黒き剣士との戦いに負ける前まで、ずっと背中を押してくれた《声》は、それと同時にメディナに大いなる力を与えてくれていた。

 

 《欠陥品》と(さげす)む者達は辿(たど)り着けず、連中に《欠陥品》と蔑まれる自分だけが手にする事のできた、意思を保ったまま《EGO(イージーオー)化身態(けしん)》の力を振るえるというもの。この力を持って、メディナは剣士キリトと戦った。

 

 勝てると思った。この力さえあれば、あの生意気なくせに見事な剣捌(けんさば)きのキリトを追い越せると、圧倒できると思った。

 

 

 ――だけど、勝てなかったよな?

 

 

 キリトは自分が思っていたよりずっと強かった。《EGO化身態》の力を持っても、全く怯む気配を見せなかった。それどころか、こちらを気遣うかのように攻撃してこなかった。それがむかついて仕方なくて、メディナはキリトを本気で殺すつもりで斬りかかった。

 

 途中でキリトが色々言ってきたものだからむかつきが最高潮に達してしまって、《EGO化身態》の力が強くなったが、それでもキリトを倒せず――彼の繰り出した、たった一発の攻撃を受けて、メディナは倒された。

 

 彼の《EGO》に斬られた時、それまで感じていなかった分が一気に押し寄せてきたかのような激痛と、身体を焼く熱が走り、メディナはたまらず動けなくなった。彼がある時手にした白き炎の剣。その威力は如何ほどのものなのだろうかと思っていたが、あそこまで凄まじいとは予想もつかなかった。

 

 それに対して、自分の武器はどうだ。柄が長いので広範囲を攻撃でき、その切れ味の鋭さを持って何でも両断できる。明らかに強いのこちらのはずなのに、キリトのそれの方が強かった。

 

 

 ――どうしてだろうな。私はこんなにも強くなったというのに。色んなものを捨てる代わりに強さを得たというのに、あいつには及ばないなんてな。

 

 

 わからない。どうして私は勝てない。キリトに勝てるだけの力があるはずなのに、どうして勝てない。教えてくれ。私は何をすればいいんだ。

 

 《声》は――答えなくなった。キリトと戦っている最中にも色々言ってきてくれていたというのに、急に何も言わなくなってしまった。なんで黙るんだ。どうして何も教えてくれないんだ。さっきまで色々教えてくれていただろう。

 

 

「救世主様」

 

 

 《声》ではない声がした。頭の中に直接響くのではなく、耳に届けられてきたものだった。声色から察するに、女性の《冒険者達》のもののようだ。いや、これはその中でも――。

 

 

「……なんだ」

 

「こっちをちゃんと見てください、救世主様」

 

 

 動く事自体したくない気分だったが、仕方なくメディナは右腕を目から離し、声のする方を見た。唯一の同性の友達であるクラリッサが居た。手元には皿が持たされていて、小さな黄色い山型の菓子が乗せられていた。これは彼女の得意料理であるプリンだ。

 

 

「わたしのプリン、食べてください」

 

「……何故だ」

 

「救世主様、元気がないでしょう。だから、わたしのプリンを食べて、元気を取り戻してほしくて」

 

 

 クラリッサの表情を見て、メディナははっとした。彼女は今、とても心配そうな顔をしていた。メディナの様子を目にして、これ以上ないくらい本気で心配しているようだった。

 

 彼女だけではなく、周りの《冒険者達》もそうだ。皆メディナを見下ろして、心底不安そうな、心配しているような表情を顔に浮かべている。

 

 

「お前達、なんでそんな顔をしているんだ」

 

「救世主様が心配で仕方がないからですよ!」

 

 

 《冒険者達》の内の一人の男が答えた。彼の顔は兜に覆われているせいでわからなかったが、声はかなり震えていた。兜を外せば、他の《冒険者達》と同じような表情をしているのが見えるのだろう。

 

 

「……そんなに私の事が心配なのか? 私はキリトに負けたんだぞ。守ると決めた《カラント・コア》を守る事さえできず、結局何も得られていない。どうしようもない、救世主失格かもしれないんだぞ」

 

「そんな事ありません」

 

 

 メディナの問いに首を横に振って答えたのはクラリッサだった。彼女は震える瞳で、メディナを見つめていた。

 

 

「救世主様は、わたし達の救世主様です。何もわからなくて、どこにも行くべき場所がなくて彷徨(さまよ)うしかなかったわたし達を拾ってくださって、戦う使命を、あなたの傍という場所を与えてくれました」

 

 

 クラリッサの言葉を引き継ぐためのように、《冒険者達》の一人が兜を脱いだ。彼は一番最初にメディナを救世主と言って慕い、共に戦ってくれるようになった、赤茶髪の槍使いの青年だった。

 

 

「負けたからなんですか。《カラント・コア》を守れなかったからなんですか。それくらいの事で、俺達はあなたに失望なんてしませんよ。だって、あなたは俺達を導いてくれる救世主様なんですから。あなたがどうなろうとも、ずっとお供しますよ」

 

 

 名前も聞いていない青年は微笑んだ。それに続いて他の皆も微笑む。全ての《冒険者達》がメディナを見下ろして頷き、そして微笑んでくれていた。誰も負けたメディナを責めたり、失望したりしていなかった。

 

 

「お前……達……」

 

 

 自分のやってきた事が一気に頭の中に蘇ってきた。ハァシリアンにアドミニストレータ様に会わせてもらって、その《声》を聞いた時。アドミニストレータ様から「再び配下に加える」というお言葉をいただいた時、ようやくオルティナノス家の汚名を雪げると思った。

 

 父上の無念を晴らす事ができるのだと、これまで《欠陥品》と罵ってきた奴らを見返せると思った。そのためになら何でもするつもりだった。だから、《冒険者達》にも酷い事をやらせた。非道、外道と罵られるようなやり方であろうとやらせ、馬車馬のように扱き使った。

 

 何故なら《冒険者達》は人形みたいなものだから。救世主とされる自分の命令ならば何でもやってくれるようになっているから。

 

 その証拠に《冒険者達》は、普通の人間ならばやりたくないと思って当然の事もやってくれた。何の罪もない人々を生贄や囮にする作戦も進んでやってくれた。どんな事をやらせたとしても、何の文句も言わずに取り組んでくれた。

 

 だって、そういうふうにできているから。感情らしい感情も持たず、自分の言う事だけを素直に聞いて、実行してくれるようになっているのが《冒険者達》なのだから――ずっとそう思っていた。誰も、自分を救世主と言いはするものの、友のようには思ってくれないと思っていた。

 

 だが違った。この者達は、《冒険者達》は皆、自分の事を友のように思ってくれている。それは、今プリンを差し出してくれているクラリッサだけかと思っていたのに――。

 

 

「お前達にとって、私は大切なのか……?」

 

 

 そう問いかけたところ、《冒険者達》は首を(かし)げた。()()何を言っているんだとでも言いたさそうだ。

 

 

「当たり前ですよ。あなたは俺達の救世主様なんですから」

 

 

 赤茶髪の青年が答え、周りの《冒険者達》も続くように頷いた。誰もが暖かい視線をメディナに注いでくれていた。以前そうしてくれていたキリト達を敵に回してしまい、最後の希望でもあったグラジオも失った。これで、誰も暖かい目で自分を見てくれないと思っていた。

 

 もう私にはオルティナノス家の汚名を雪ぐという悲願以外何も残っていないと思っていた。

 

 それも外れだった。私には、この者達がいる。心の中が一気に熱くなる。その熱は顔にまで来たが、意外にも涙となって出てくる事はなかった。

 

 

「……本当にすまなかった」

 

「救世主様、なんで謝るんです?」

 

 

 赤茶髪の青年の隣にいる冒険者が尋ねてくる。彼は最初から兜を着けていなかったため、頭部を見る事ができた。少し深い色合いの青色の髪をしているその者は、赤茶髪の青年とクラリッサ同様に、一番最初にメディナの仲間になってくれた片手剣使いの青年だった。

 

 

「お前達を人形や道具のように使って……酷い事を沢山やらせてしまって、本当に悪かった……本当に嫌な思いをさせるような命令をしてしまって、本当にすまなかった……私は、どうかしていたのかもしれないな……」

 

「気にしないでくださいよ、救世主様。俺達も好きでやってたんですから。救世主様の命令に従いたくて従ったんです」

 

 

 青髪の青年が笑むが、メディナは首を横に振った。

 

 

「それも私がそう命令したからだよ。私はそんなお前達にいい気になってしまっていたんだ」

 

 

 そう言ってメディナはクラリッサに向き直った。《冒険者達》の中で唯一名前があり、そしてメディナの唯一の同性の友達である彼女の手に持たされている皿を受け取る。

 

 

「……これを食べて、正気に戻るとしよう」

 

 

 メディナはクラリッサの微笑みを確認してから、皿に添えられているスプーンを手に持ち、プリンをつついた。小さな小さな山型をしているその菓子は、やはり面白いくらいに弾力がある。それをスプーンで突いて崩し、口に運んだ。

 

 口の中いっぱいに卵の豊かな香りと、しっかりとした甘味が広がってくる。このプリンという菓子の味はいつもそうなのだが、今回のは一段と美味しく、そして何故か懐かしく感じられた。その作り主であるクラリッサが問うてくる。

 

 

「救世主様、お味の方はいかがでしょうか」

 

 

 メディナは答えるより先にプリンを一気に食べ進め、皿の上を綺麗に平らにした。今日のプリンはとても美味しい。いつもよりもずっと。なのでメディナは――。

 

 

「もう一つもらえないか」

 

 

 と頼んだ。クラリッサは満面の笑みを浮かべて「はい!」と頷き、周りの《冒険者達》がつられるようにして笑った。

 

 

「救世主様、ようやく笑ってくれましたね」

 

 

 赤茶髪の青年の言葉に、メディナは「あぁ」と笑み返した。

 

 そこでふと思い出す。《冒険者達》の中で、唯一名前がわかっているのは、今まさに新しいプリンを用意してくれようとしているクラリッサだけだ。他の者達にも、彼女同様に名前があるのだろうか。

 

 あるのだとすれば、全員知っておきたい――そんな欲求に駆られ、メディナは仲間達を見回した。

 

 

「そういえば、お前達にも名前があるのか?」

 

「え?」

 

 

 赤茶髪の青年と同じように、周りの仲間達は一斉にきょとんとした顔になった。

 

 

「いや、お前達にも名前があるのであれば、知っておきたいと思ってな。わかる者から教えてくれないか」

 

「クラリッサです!」

 

 

 一番最初にそう答えたのはクラリッサだった。恐らく今メディナの言った事も命令のように聞こえたのだろう。思わず吹き出しそうになりながら、メディナは答える。

 

 

「いやいや、お前の名前は知っているよ。その他の皆だ。クラリッサみたいに、名前のある者はいないのか」

 

 

 そこで挙手するように声を出したのは、赤茶髪の青年だった。

 

 

「はい! 実は俺にも名前があるんです」

 

「おぉ、そうだったのか。それで、なんていうんだ」

 

「はい、俺の名前は――」

 

 

 

 ぞぶり。

 

 

 

 彼が名前を口にしようとした時、一つの嫌な音が耳に届いてきた。鋭い何かで肉が引き千切られるような、(ある)いは大きな何かが肉に突き刺さって、そのまま貫通したような音だった。それを皮切りにして、周囲が一気に静寂に染まる。

 

 同時に、ぴしっとメディナの顔に何かがかかってきた。生暖かく、鉄のような臭いがするそれは、血だった。それが飛んできたのは、今まさに名乗ろうとしていた赤茶髪の青年のいる方だった。

 

 

「え」

 

 

 自分でも驚いてしまうくらいにか細い声しか出せなかった。名前を教えようとしてくれていた彼の腹に、大きな丸い穴が空いていた。鎧も肉も骨も消し飛び、向こう側が見える。そうなってしまった彼はというと、何が起きたのかわからないような顔をしていた。

 

 

「え……なん……だ……こ……れ」

 

 

 そう言って赤茶髪の青年は、メディナと目を合わせた。彼の目からは、既に光が消えていた。

 

 

「きゅう、せい……しゅ、さま……」

 

 

 消え行く声で赤茶髪の青年は地面に倒れ、そのまま一切の動きをしなくなった。このごく短時間で、その命が失われたのは明白だった。

 

 

「えっ……え?」

 

 

 メディナは開いた口を塞ぐ事ができなかった。顔にかかった血も拭えない。

 

 今、何が起きた。彼は今名前を教えてくれるはずだった。私は彼の名前を知るはずだった。なのに、どうして彼は死んだ。何が起きてしまったから、彼は死んだのだ?

 

 

「ぐあああああッッ」

 

「ひぎッ、ああああああああッッ」

 

 

 直後、悲鳴が聞こえた。はっとして目を向けたところで、頭の中が麻痺しそうになった。《冒険者達》が、仲間達が襲われていた。襲っているのは杖を持った一人の男だ。

 

 彼の者は鋭い杖捌きと神聖術で、メディナの仲間達を殺害していた。ある者は杖で首を斬り飛ばされ、ある者は胸を一突きされて、ある者は下半身と上半身を切り離され、臓物や血しぶきで地面や周囲を汚しながら、次から次へと殺されていっていた。

 

 そのうち、緊急事態を把握した仲間達がそれぞれの武器を抜き、抵抗するべく杖の男に斬りかかった。だが、その者達の抵抗が叶う事はなかった。

 

 一人は神聖術の光弾に胸を貫かれて、また一人は同じ光弾に頭を吹き飛ばされ、また一人は神聖術で出現した先端の鋭い触手のようなものに全身を貫かれ、死んでいった。

 

 あまりの凄惨な光景に吐き気が突き上げてきそうだった。今、自分の目の前に見えているのは現実ではないという気さえしてくる。私はいつの間にか眠ってしまって、最悪の夢を見ているのではないか。もし夢ならば、お願いだから早く覚めてくれ――そう願っていた。

 

 何故ならば、杖の男というのは、メディナをここまで導いたハァシリアンだったからだ。彼の者の唐突な攻撃によってメディナの仲間達は既に過半数が失われていた。ようやくできた友人達のうち、残っているのはメディナのすぐ近くにいる五人程度になっていた。

 

 

「ハァシリアン……お前、何して……」

 

 

 赤い血に塗れながら、先導者は答えた。信じられない事に、彼の者の顔には若干の笑みが浮かんでいた。

 

 

「我が救世主、メディナ・オルティナノスよ。君は自分の事を特別だと思っていますかな?」

 

 

 全く意味がわからなかった。何も答える事ができないメディナに、ハァシリアンは歩み寄ってくる。

 

 

「あぁそうですとも。君は特別だ。君の中に流れる血は、優秀な血筋同士が掛け合わされて生まれた、歴史上類を見ないくらいに最高な優秀者の血だ。《欠陥品》などという貴族共の蔑称はこれ以上ないくらいに的外れで似合わないものなんですよ。君は蘇った真実の最高司祭様に仕えるべき最高の存在だ。だからこそ、君の覚悟の程を知りたくなりましてね」

 

「覚悟……の程……?」

 

 

 痺れかかった頭を必死に動かしてメディナは問いかけた。その間にもハァシリアンはじりじりと距離を詰めてくる。友人達を殺した際に飛び散った血を浴びているためか、その姿がとても恐ろしく感じられて仕方がない。

 

 

「これから君に、君が大切にしているらしい《冒険者達》を全部失うという試練を与えます。そうなっても(なお)、君が本当にオルティナノス家の悲願を成就させ、真実の最高司祭様を復活へ導けるか、見させてもらいましょう」

 

 

 その言葉のうち、前半が全てを占めていた。ハァシリアンは《冒険者達》を――ここにいる友人達を全員殺すつもりなのだ。試練だかなんだか知らないが、(みなごろし)にするつもりだ。せっかくできた友人達は今、奪い尽くされようとしている。

 

 

 ――そう、父上の時みたいにな。また奪われようとしているぞ。

 

 

「許さない……そんな事は絶対に許さないぞ!!」

 

 

 メディナは身体を起こし、大薙刀となった陽炎の剣の柄を持った。そのままの足取りでハァシリアンと友人達の間に入って身構える。

 

 キリトの《EGO》で斬られた箇所がまだ痛む。それでも友人達のおかげで軽くなってはいるから大丈夫だった。友人達が自分を気にかけて、治療術を使ってくれたおかげで、立っていられるのだ。

 

 そうしてくれた友人達を、奪われるわけにはいかない。そう決意を固めるメディナを、ハァシリアンは変わらない表情で見ていた。

 

 

「あぁ、君はじっとしていてください」

 

 

 そう言われた瞬間、脚と手の感覚が消えた。力が入らなくなり、持っていた大薙刀が地面に再び滑落する。何が起きた――そう思って見下ろしてみたところ、槍の穂先のようなものが背後からメディナの手と足を貫いていた。

 

 

「な……」

 

 

 それがハァシリアンの唱えた神聖術によるものだと気付くのと同時に激痛が走った。キリトの《EGO》に斬られた時にも匹敵する激痛が手足を引き千切ろうとし、メディナの身体の感覚を奪い尽くす。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ」

 

 

 腹の底から悲鳴を出しながら、メディナは地面にうつ伏せに倒れた。そのまま身動きが取れなくなる。手足を貫く神聖術の槍の穂先は杭のようにメディナを地面に括り付けていた。もし無理矢理に引き抜こうとすれば、そこから手足が千切れてしまいそうだった。

 

 

「メディナ様――ごふッッ」

 

 

 友人の断末魔が聞こえた。胸と腹を槍で貫かれたその友人は兜の隙間から血を噴出させ、倒れて動かなくなった。残り四人。

 

 

「くそっ、救世主様をお守りするんだ!!」

 

 

 残された四人のうち、三人がメディナとハァシリアンの間に割って入る。その言葉の通り、自分を守ろうとしているのは確かだった。そしてその抵抗が無駄だという事も確かだ。

 

 

「そうそう。君達のその救世主に、これから試練を課すんだよ。君達を全て失ってしまうという試練をね」

 

「駄目だ、逃げろぉぉぉッ!」

 

 

 メディナの訴えが届く事はなかった。一番最初に仲間になってくれた青髪の片手剣使いの青年を含めた三人は、ハァシリアンに向かっていった。渾身の一撃をお見舞いしようとしたその時に、ハァシリアンは神聖術を唱えた。

 

 それは人を殺す神聖術だった。地面から暗黒の触手のようなものが複数飛び出し、メディナの友人の三人に襲い掛かる。メディナの嫌いな生物である蛇にも似た巨大なそれは、まず一人の身体の全身を締め上げた。

 

 

「あ゛っ、ああ゛っ、きゅう゛せい、しゅさま゛――」

 

 

 ばきばき、ぐちゃっ。

 

 彼が言い終えるより前に、大触手は彼を締め潰した。全身の骨が粉々に砕かれ、肉が潰される嫌な音がはっきりと聞こえた。

 

 それで悪夢は終わらない。友人の一人を締め潰した大触手の隣に生える、別の大触手は先端を無数の細い触手に変化させ、残っている友人のうちの一人の身体を串刺しにして絶命させた。

 

 

「救世主様、救世主様ッッ」

 

 

 青髪の青年が助けを求めていた。彼は地面から生える神聖術の触手に捕らえられ、身動きの一切を封じられていた。同じように地面に拘束されているメディナは動こうとするが、手足を貫く杭が抜けないうえ、身動きを取ろうとするだけでそこに激痛が走り、何の感覚もわからなくなる。

 

 そんなふうに激痛で悲鳴を上げるか、呻くしかないメディナを嘲笑うかのように触手は次の行動を起こした。捕らえていた青髪の青年を地面に勢いよく叩き付けると、二本の大触手が何度も彼に振りかかった。どすん、どすんという轟音が何度も何度も鳴り響き、それが止んだ時には、そこには僅かな肉片と血だまりだけが残されていた。

 

 せっかくできた友達は、今やたった一人だけになっていた。地面に膝をつき、潰されていく仲間達を見ているしかなかったクラリッサだ。彼女以外のメディナの友人達を潰して見せたハァシリアンは、予想通りクラリッサの元へと歩いてくる。

 

 

「さぁて、残りは貴女一人ですか」

 

 

 メディナはクラリッサの方を見た。ハァシリアンがどうするかはわからないが、いずれにしてもクラリッサを殺すのだけは確実だ。そしてクラリッサは《冒険者達》の一人。自分の命令であれば何でも従う。だから――。

 

 

「逃げろ、逃げてくれクラリッサ」

 

 

 クラリッサはメディナに向き直る。目が見開かれ、唖然と混乱、焦燥と恐怖が複雑に混ざったような顔になっていた。それはメディナの表情を映し出している鏡のようでもあった。

 

 

「私の事は放っておいていい。頼む、逃げてくれ。これは命令だ」

 

 

 クラリッサはメディナとハァシリアンを交互に見た。何か判断に迷っているように見える。どうした。どうして迷う必要がある。救世主が命令しているんだぞ、聞け――メディナが再度命令をしようとしたその時、クラリッサは立ち上がった。

 

 そしてあろう事か――短剣を引き抜いてハァシリアンとメディナの間に立ち塞がった。それはメディナの下した命令とは逆の行動だった。

 

 

「何をやってるんだクラリッサ。言う事を聞け。救世主の命令を聞けッ!!」

 

 

 メディナの訴えはそれ自体が悲鳴のようだった。だが、クラリッサは首を横に振った。

 

 

「……聞きません! わたしは貴女をお守りします!」

 

「違う! そんな命令してない! 逃げろって言ってるんだよ! なんで聞かないんだ!!」

 

「わたしは貴女の友達だからですッ!!」

 

 

 その叫びを聞いて、メディナは目を見開いた。

 

 

 

          □□□

 

 

「あの、救世主様。わたしに何か力になれる事はありますか?」

 

 

 南帝国での異変を解決して戻ってきたその夜、メディナは全くと言っていいほど寝付けなかった。

 

 身体は疲れているというのに、眠気が来ない。眠りたいのに眠れない。こんなふうになったのはいつ以来だっただろうか。

 

 こうなった原因はわかっている。日中に南帝国で手に入れた力だ。

 

 南帝国でジャイアント族に襲われていた、《ベクタの迷子》と呼ばれる者達にメディナが触れたところ、彼らは突然メディナを《救世主様》と呼んで付き従うようになった。

 

 そればかりか、彼らはその時まで戦う事ができなかったというのに、メディナの接触を受けた途端に勇気を出し、戦闘力を獲得するにまで至り、魔獣を倒せるほどにまでなっていた。その一連の流れを戸惑いながら考えたところ、とりあえず自分が《ベクタの迷子》に触れれば、彼らに忠誠心を芽生えさせ、戦う力を獲得させる事ができるという事が推察できた。

 

 それだけならば自分一人の憶測に過ぎなかったが、最高司祭クィネラ様も同じ話をされていた。「メディナ様には《ベクタの迷子》を()()()()と呼ばれる方々に変えて、戦力にする事ができる力がございます」と言ってくださったので、間違いないのだろう。

 

 実際、央都に保護されている《ベクタの迷子》全員に触れてみたところ、全員がメディナを救世主と呼ぶようになり、やはり戦闘力を獲得した。自分は《ベクタの迷子》を戦力に変えられる力があるのだ。

 

 そうわかった事が、日中はとても嬉しかった。これでオルティナノス家の汚名を雪げるのだと、オルティナノス家の悲願を成就させられると思ったからだ。

 

 だが、夜になった今になって冷静に考えてみたところ、この力が何なのかが気になって仕方がなくなってきた。これまでこんな事は起こらなかったし、自分にこんな力があるなんて事は父上からも聞いていなかった。

 

 オルティナノス家の汚名を雪ぐという使命に利用できるのは確かだろうけれども、この力は結局何なのだろう――それが今更気になって仕方がなくなり、眠りに就けない原因となっていた。

 

 寝床でごろごろしていても頭の中で力の事がちらついて眠くないので、仕方なく天幕を出る。隣にあるのはグラジオの天幕だ。明かりが消えているので、眠っているのだろう。グラジオも共に南帝国へ出かけ、ジャイアント族、魔獣、《EGO化身態》と戦ったのだ。ぐっすり眠れているに違いない。

 

 おいグラジオ、起きろ。眠れないから眠くなるまで話し相手になってくれ――なんて頼むわけにもいかない。他の皆も就寝している時間だから、行ったところで無駄足だし、迷惑にしかならないだろう。いよいよどうするべきだろう。

 

 

「救世主様」

 

 

 そう思っていたせいか、背後から聞こえてきた声に驚いてしまった。振り向いてみたところ、メディナから少し離れたところに一人の少女の姿があった。南帝国で出会った《冒険者達》の一人だ。

 

 

「お前、どうしたんだ」

 

「偶然目が覚めてしまって、寝付けなくなったんです。だから外を散歩していたら、貴方のお姿を見つけましたので、声をかけたんです。迷惑……でしたか?」

 

「いや、そんな事はない。そんな事はないんだが……」

 

 

 少女は歩み寄りつつ、首を傾げた。

 

 

「何かあるんですか?」

 

「お前達は私を救世主と呼んで慕うようになっただろ。それがかなり唐突だったものだから、混乱しているんだ。急にこんな事になって、なんだか不気味に感じている」

 

 

 少女の顔に心配の色が浮かび上がる。

 

 

「……救世主様、わたしに何かできる事はありますか」

 

「また唐突だな。特には思い付かないよ」

 

「何でも良いんですよ、救世主様。貴女が望む事を言ってください」

 

 

 そう言われたその時、ふと南帝国の回廊でアリスがエルドリエに言っていた事を思い出した。「エルドリエには友達がいませんもんね」。それは自分も同じだった。

 

 央都に来る前も、来た後も、貴族達から《欠陥品》呼ばわりされて蔑まれ、同じ目に遭う事を恐れた貴族以外の同年代の者達から避けられてきたメディナには、友達と呼べるものはいなかった。

 

 《傍付き練士》にはグラジオが居てくれているが、彼は男だ。同性の友達は本当にいない。そしてこの者は、「望みならば何でも言ってくれ」と言っている。

 

 

「なら、私と友達になってくれないか。思えば同性の友達ができた事などなかったからな」

 

「友達、ですか? わかりました! 救世主様、わたしと貴女は今から友達です!」

 

 

 少女は笑顔でそう答えた。あまりに率直な反応に驚いてしまう。

 

 

「本気で言っているのか?」

 

「はい、本気ですよ。友達になりましょう、メディナ様!」

 

 

 少女はメディナの手を両手で握った。人肌の温もりが感じられるが、それはこれまでメディナが経験した事がないくらいに柔らかく、心地よいものだった。手と一緒に胸の中まで暖かく感じられてきて、メディナは思わず微笑んだ。

 

 

「……あぁ。お前と私は、今から友達だ。だから、お前の名前を教えてくれないか?」

 

 

 少女は少しきょとんとしたような顔になる。

 

 

「名前、ですか?」

 

「あぁ。友達になる以上は、名前を理解しておかなきゃなと思ってな。だが、一応だぞ。お前は何も憶えてない《ベクタの迷子》だったみたいだから、名前も憶えてないなら憶えてないでいいんだ――」

 

 

 メディナが言い切るより前に、少女が大きな声を出した。

 

 

「クラリッサです!」

 

 

 クラリッサ。それがメディナに生まれて初めてできた同性の友達の名前だった。

 

 

 

          □□□

 

 

 

「わたしの友達に手を出すなら……許しません」

 

 

 最後の友人クラリッサはそう言ってハァシリアンを威嚇した。彼女は短剣を構えたまま、メディナの前から動こうとしない。逃げろという命令を出しているにも関わらず、メディナを守ろうとしていた。

 

 

「やめろ、やめるんだクラリッサ。お願いだ、逃げてくれ」

 

 

 メディナは必死に命令を繰り返すが、やはりクラリッサは逃げようとしなかった。これだけ命令しているというのに聞いてくれないのは、クラリッサが他の《冒険者達》と違って、《友達》だからなのだろうか。自分がクラリッサに最初の友達になってくれと頼んだせいなのだろうか。

 

 

「あぁ、いいですねぇ。素晴らしい忠誠心だ。《冒険者達》の一人じゃなかったんなら、真実の最高司祭様の軍勢に引き入れようと思いますが……《冒険者達》じゃあ、ねぇ」

 

 

 ハァシリアンは嘲笑しているのかそうではないかわからない態度を崩さなかった。そのままじりじりとクラリッサに近寄る。その手には神聖力によって発生した紫の光が浮かんでいた。

 

 

「でも、貴女良かったですよ。我が救世主の覚悟を試す最高の試練になってくれましたから」

 

 

 笑みを含んだハァシリアンの声が耳に届いた時、クラリッサの身体は宙に持ち上げられていた。皆を殺した触手が地面から飛び出し、クラリッサの身体のあちこちに巻き付いていたのだ。

 

 触手はクラリッサをあるところへ運んだ。そこはうつ伏せに倒れるメディナから見て、宙吊りのクラリッサの全身が見える位置だった。クラリッサの身体の自由を奪う触手の姿が、処刑台のように感じられた。そう、クラリッサを処刑するための処刑台。

 

 

 ――ほら、友達が危ないぞ。助けろよ。

 

「やめてくれ、やめてくれええッ」

 

 

 クラリッサのところへ向かおうと身体を動かそうとするが、いう事を聞かない。杭は引き抜こうとしても抜けないし、杭で留められているところを千切ろうにも千切れない。這いつくばるしかないメディナを、クラリッサは苦悶に満ちた表情で見ていた。

 

 

「きゅう……せいしゅ……さま……メディ……ナ……さま…………」

 

 

 今にも消えそうな声しか出せなくなっているクラリッサのすぐ傍には、複数本の槍の姿があった。使い手がいないというのに、まるで何か使われているように浮かび、穂先をクラリッサに向けていた。

 

 やめてくれ。

 

 殺さないでくれ。

 

 私の友達を殺さないで。

 

 やめて。

 

 やめて。

 

 やめて。

 

 

 

「やめてええええええええええええええええええええええええええッッッ」

 

 

 

 喉が裂けるほどの声でメディナが叫ぶのと、浮遊する槍の群れがクラリッサを串刺しにしたのは同時だった。肉が裂けて骨が断たれる音、吹き出した血が地面を汚す音が、鮮明に耳に届けられてきた。

 

 十本以上の槍がクラリッサのほぼ全身を刺したところで、全ての音が聞こえなくなった。峡谷を通る風の音も、動物達の鳴き声も、何も聞こえない。世界中の音が消えてしまったかのようだった。

 

 

「……さてと、これで君は全ての《冒険者達》を失いました。もう何にもありません。ひどい逆境に置かれているわけですが、まだ最高司祭アドミニストレータ様のために頑張れますよね」

 

 

 静寂を破ったのはハァシリアンの声だった。メディナの友人を全て奪い尽くしたそいつは、出会った時と同じ声色、同じ態度で尋ねてきている。

 

 その姿を見る事は叶わなかった。メディナは動けなくなっていた。杭のせいではない。頭も目も、惨殺死体となったクラリッサから離せなくなっていた。

 

 

「……あの、我が救世主。聞いてます? 頑張れますよね? オルティナノス家の汚名を雪ぐために、アドミニストレータ様の復活に向けて、頑張れますよね? その命、使えますよね? まさか《冒険者達》が全部潰されたら何もできないとか、そんな事言いませんよね?」

 

 

 ハァシリアンは質問してきているようだった。答える気になどならない。間もなくして、大きな溜め息が聞こえてきた。

 

 

「あぁ、駄目ですかぁ……いよいよ上手く行ったと思ったのに。結局君も――」

 

 

 ハァシリアンは突き放すように告げる。

 

 

「《欠陥品》ですかぁ」

 

 

 《欠陥品》。

 

 その言葉が耳を通ってメディナの頭の中に入り込んできた。そして一気に増殖を開始する。

 

 《欠陥品》。《欠陥品》。

 

 あらゆる声が、そう叫ぶ。それは過去に聞いた貴族共の声だった。

 

 《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。

 

 その言葉だけが、メディナの頭の中で無限に増え、メディナの頭蓋骨を食い破ろうとする。頭が痛くて、身体が燃えるように熱くてたまらない。なのに、腕も足も動かせない。

 

 《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。

 

 《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。

 

 《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。《欠陥品》。

 

 吐き散らす声の中に混ざって――自分の《声》がした。

 

 

 ――あぁ、そうだよ。結局この世界は、私を《欠陥品》にしたがるんだよ。自由になりたくないか。

 

 

 

 ――なぁ、《欠陥品》。

 

 

 

 

「あああああああああああああぁぁあああああああああああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ」

 

 

 

 

 どこから出ているかも、自分の声なのかさえわからない。そんな声をメディナは峡谷内に轟かせた。

 

 自分を中心に爆発が起こり、杭が弾け飛び、身体が動くようになった。叫ぶのをやめないまま立ち上がった時、周囲を満たす赤黒い粒子が激流となってメディナへと流れ込んできていた。

 

 やがて、メディナの身体は燃え上がる。メディナを包む服を、鎧を焼き尽くし、まっさらな姿へと変えたそれは、赤黒い色をした炎だった。

 

 醜い姿となった貴族達を消し去るために燃え上がるそれとは、異なる色をしていた。

 


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