◇◇◇
目元に差し込んでくる眩しい光で、俺は目を覚ました。目の前に広がっていたのは天井で、いつの間にか横になっていたようだ。しかしその天井の作りは、俺達の住んでいるログハウスのそれではなく、まるで教会にある個室のような作りだった。それを見ただけで、ここが俺達の家ではない事を認識する。更に首を動かしてみれば、ベッドもそうだ。俺の使っているベッドでも、シノンの使っているベッドでもない。
ゆっくりと身体を起こそうとしたが、身体が少し重くなったような感じがして、中々起き上がる事が出来なかった。が、すぐさま力が戻ってきて、いつも通り身体が動くようになり、俺は上半身を起こした。少しボーっとする頭で周囲を確認していたが、やはりここは俺達の家ではなく……第1層にあるイリスの教会に宿泊した際に使った部屋によく似ていた。というか、ほとんど同じだ。
いったい俺に何が起きたのか……考えながら頭を抱えたその時に、出入り口のドアが開く音が聞こえてきて、俺は少し驚いてその方に目を向けた。こっちを見ながら、唖然としてしまっている、俺の妻であるシノン、娘であるユイの姿が見えた。
「シノン、ユイ――」
二人の名を呼んだその時に、二人は俺に飛び付くように抱き付いてきて、そのまま俺をベッドに押し倒した。
「キリト……キリトぉ!!」
「パパ、パパぁぁ!!」
思わず慌ててしまったが、二人が顔を付けている部分が濡れてきたため、二人が泣いている事がわかった。二人の頭に手を伸ばし、髪の毛をそっと撫でながら、声をかける。
「シノン、ユイ……重たいよ……」
「馬鹿、馬鹿よあなた! あんな事して、あんな無茶をして……!!」
「もう死んじゃったって、死んじゃったんじゃないかって思ったんですからぁ!!」
そのまま二人は大きな声を出して泣き始めた。相当心配をかけていたのはもうわかっていた。だけど、一体何が起きたのか、どうしてここにいるのかまでは全くと言っていいほど思い出せなくて、気になって仕方がない。が、聞くのは二人が泣き止んでからにしようと思って、俺はただ二人の髪の毛を撫で続けた。
「キリトさん、キリトさん――――――ッ!!!」
「おぅぶっ!?」
二人を慰めている最中、突如シノンとユイではない重みが身体に襲い掛かって来て、俺は再度ベッドに押し倒された。今度は何事かと思って、新たな重みに視線を送れば、そこにあったのは、頭に赤い髪飾りを付けて、明るい茶色のツインテールにしている、ユイよりかは身長の大きい女の子だった。――俺と同じ<ビーストテイマー>の、シリカだ。
「し、シリカ!?」
どうしてここにシリカが――そう尋ねようとした次の瞬間、シリカの声が耳元に響いた。
「よかった、よかったキリトさん、生きてる!!」
「あ、あぁ生きてるよ。でも、流石に三人同時にのしかかられるのは、ノーサンキューだ……」
そう言っても、三人は俺から離れる気配を見せなかった。というか、シノンとユイはわかるけれど、どうしてシリカがここに来たんだろうか。シリカにはほとんど前線の情報などを教えていなかったはずなのに……。
そんな事を考えたその時に、後ろの方から、今度は男の声が聞こえてきた。
「キリト!!!」
シノンとユイ、シリカに抱き締められたまま顔を動かしてみれば、すぐそこに目を見開いているディアベルと、どこか安心しているような顔をしたエギルの姿があったが、俺は思わず安堵した。良かった、あれだけの事があっても、ディアベルとエギルは生き残ったのだ。
「あぁディアベルにエギル……お前達、無事だったのか」
「ほら言っただロ、ディアベルの旦那。キー坊は黒光りするアレ並みの生命力を持ってるから、高所から落ちても死にはしないっテ」
声に誘われる形で、ディアベルの後方に目を向けてみれば、俺が最も頼りにしている情報屋、アルゴの姿も確認できた。アルゴまで、俺のところに来たっていうのか。というか、例えがひどすぎる。
「アルゴか……俺は黒い服を着てるし、黒い戦闘服を中心に着てるけれど、黒光りするアレに例えるのはやめろって」
「にゃははは。おれっちの言葉に答えられるなら、もう大丈夫だな」
アルゴの独特の笑い声を聞くと、何だか元気が出てきて、三人に抱き付かれたまま上半身を起こして、三人を離した。しかし、まだ頭がぼーっとしていて、意識を取り戻す前に何が起きたのかが思い出せなかった。
「俺、一体何があったんだ。あの後、何があって……ここはどこだ?」
俺の問いかけに、ディアベルの立っている入口の方から答えが返ってきた。
「ここは第1層、教会の個室だよ」
意識をはっきりさせて、もう一度ディアベルの元に目を向けてみれば、ディアベルの背後にいつの間にか、白い服を身に纏った黒髪の女性の姿があった。そう、子供達を保護する優しさから、そこそこ頼りにしている女性、イリスだ。
「イリスさん」
「目が覚めてよかったね。みんな、もうキリト君が目を覚まさないんじゃないかって心配してたんだ。子供達も、サーシャ達も、この私も含めてね」
イリスは部屋の中に入って来て、周りにいる皆を見回した。そんなイリスに、俺は再度問う。
「道理で使った事があるような気がしたんです。でも、一体何が起きて……」
問いかけにはイリスではなく、ディアベルが答えた。
「お前のところのリランが暴れた時に、俺達は咄嗟に部屋から逃げたんだ。それで、音が止んだ時に戻ってみたら、HPを赤にまで減らしたお前とリラン
俺はシノンに目を向けた。いつもならば、親密なところを見られて悶絶している頃だが、今のシノンはそんな状態ではなかった。
「シノンが助けてくれたのか」
エギルが首を横に振った。
「倒れたお前とリランを助けたのは、生き残った攻略組全員さ。でもあの時はほんと、何が起きてたのかわからなかったぜ。圏外だって言うのにリランは小さくなってるし、お前は気を失ってて目を覚まさないしで。一体中で何があったんだよ」
イリスが腕組みをする。
「アスナやシノンから聞いたけど、君達は《笑う棺桶》とかいう狂人集団と戦ったそうじゃないか。その中で君のリランがキレて、リーダーと幹部を含めた《笑う棺桶》の全員を天国と地獄に送り込んだそうだね」
そのすぐ後に、イリスは苦笑いした。
「サーシャ達が慌てて私達の部屋に駆け込んできて、教会の出口に行ってみたところ、君を背負ったエギルさんとディアベル君、リランを抱えたアスナ、側近のユウキ、そして涙で顔がぐちゃぐちゃになったシノンが来た時には、いったい何事かと思ったよ」
俺は頭の中に残っている、《笑う棺桶》との戦いの記憶を思い出した。あの時、俺はキバオウと、ジョニーと、ザザと、PoHと戦って……全員、リランが殺したんだった。
「そうだ……リランがあいつらを本当に殺したんだ」
俺の言葉に、部屋の中の空気が張りつめた。多分、PoHを含めた《笑う棺桶》の幹部達が全滅した事に驚いているのだろう。俺も、あの時あいつらが、本当にあっけなく死んだと思っている。
「という事は……《笑う棺桶》は完全に死んだって事か」
エギルの問いかけに頷く。
「あぁ。その後、俺はリランを止めようとして……リランの首を刺して……落ち際に回復結晶を使って……」
その時に、俺は頭の中に浮かんだ相棒の姿にハッとした。そうだ、リランはどうしたのだろうか。
「そうだ、リランは、リランはどこだ!?」
イリスは俺に傍まで来て、俺の手に自分の手を乗せた。
「リランは今別な個室で、アスナとユウキ、リズが面倒を見ているよ。君よりも早く目を覚まして……具合も良好だ。君の話が嘘なんじゃないかっておもえるくらいに、落ち着いている」
「そうか……リランは無事だったのか。というか、俺はあの後どうなったんだ。何日くらい、目を覚まさなかったんだ」
その問いかけに、それまで黙っていたシノンが、口を開いてくれた。
「丸3日……3日も、あなたは目を覚まさなかったのよ」
「3日も意識を失ってたのか……」
その時初めて、シノンとユイが俺に抱き付いてきた理由がわかった。普通なら、眠って意識を失ったとしても、数時間程度のものだが、数日も眠ったままでは、回線切断や意識障害が出たと思われてもおかしくはない。二人は本当に、俺が回線切断や意識障害を起こしてしまったと思って、心配し続けていたのだ。――俺は思わず、二人の身体を抱き寄せた。
「ごめん、ごめんな二人とも。この通り、俺は大丈夫だから」
シノンは何も言わずに俺の身体に手を回し、ユイは頷いた。
「よかったです……パパが起きてくれて……嬉しいです……」
アルゴが腕組みをして、どこか寂しそうな顔をした。
「俺っちも心配したんだゾ。他の情報屋の奴らが、「《笑う棺桶》を竜が襲い、黒の剣士死す」なんて情報を広め始めたものだから、真偽を確かめようと思って、《笑う棺桶》のアジトがあった層まで駆け付けて、攻略組に抱えられてるキー坊のところに来たんダ。リズもそこのシリカも、情報屋の早とちりな情報を耳にして、駆け付けて来たんだヨ」
「そうなのか、シリカ」
シリカは俯きつつ、頷いた。
「はい。情報屋が騒いでいたから、話を聞いてみたら、黒の剣士、キリトさんが竜に襲われて死んだなんて言ってたから、いても経ってもいられなくなって、問題の層まで行ったんです。そしたらアルゴさんの言うとおり、ぼろぼろになった攻略組に抱えられたキリトさんとリランさんを見つけて……」
シリカの目元には涙が浮かんでいた。この娘もまた、俺が死んでしまったのではないかと思って、心配してくれていたのだ。――シノンとユイだけではなく、シリカにも悪い事をしてしまった。いや、多分全員に悪い事をしたな。
「心配かけて悪かったよ、シリカ。俺はもう大丈夫だから」
「はい。すごく、安心しました……」
イリスが溜め息混じりに、俺に言ってきた。
「アスナ、ユウキ、リズベットも心配していたから、早く顔を会わせに行ってやりな。動けるのならだけど」
力は入るし、動けないわけじゃないから、歩くことも出来るだろう。3日間寝たきりになっていた身体を動かして、ベッドから降りたその時に、廊下の方からまたまた声が聞こえてきた。
「キリト君、目が覚めたのね」
安堵しているような女性の声色。目を向けてみれば、そこにあったのはアスナ、ユウキ、リズ、そして……アスナの手に抱えられているリランの姿。《笑う棺桶》全員を殺して、文字通りこのアインクラッドから消滅させて見せた、リラン……形はあの時のような攻撃的なものではなく、あの形態になる前の姿に戻っている。
「リラン……リラン!」
俺は飛び上がるように立って、少しよろける身体のまま、リランに近付いた。すぐさま、リズがどこか安心したような顔になる。
「ほらリラン、キリトは大丈夫だって言ったでしょ。キリトはそんな簡単に死んだりなんかしないんだから」
リランはぎこちなく顔を動かして、その赤い瞳を、俺の黒色の瞳に合わせてきた。リランの《声》が聞こえてくる前に、俺はリランに声をかける。
「リラン、大丈夫か。どこも悪くないか」
《その言葉、そっくりそのままお前に返そう。大丈夫か》
いつもどおりの、リランの《声》が返ってきた。ノイズも、変な《声》も混ざっていない、純粋なリランの《声》。間違いなく、リランはもう大丈夫だ。
「俺はこの通り、何とか無事さ。そういうお前こそ、本当に大丈夫なのかよ」
リランは悲しそうな表情を顔に浮かべて、俯いた。
《なんとかな……だが、あの戦いからここに来るまでの事を、我は全く覚えておらぬ。……一体何があったのだ》
イリスが壁に寄りかかりながら、さっきと同じような事を、リランに説明した。
「話によれば、君が《笑う棺桶》に襲い掛かって、その全員、アインクラッド中から集めたレッドプレイヤー達150人以上を、瞬く間に天国と地獄に送り込んだそうだ」
リランは顔を上げて、イリスの方を見た。その目は驚いた時のように見開かれていたが、やがてその瞼はゆっくりと閉じ、リランはがっくりと肩を落とした。
《そうか……我は《笑う棺桶》を……その全員の命を奪ってしまったのか》
「あぁ。その中にはPoHもいたよ。PoHも……お前にあっけなくやられて死んでいったよ」
エギルが溜息交じりに言う。
「試しに《生命の碑》のところに行って確認してみたが、PoH、ザザ、ジョニーブラック、そしてキバオウ。その4人の名前に、横棒が引かれてたぜ。死因はモンスターの攻撃によりだった。奴らは、本当に死んじまったようだぜ。《生命の碑》は悪戯書きとか出来ないようになってるから、間違いない」
奴らの事だから、あの時身代わりとかそういうものを使って、脱出したんじゃないかと思ったけれど、あの時リランが特殊なフィールドを作り出して、部屋全体を結晶無効エリアに変えていたから、転移結晶は使えないし、《生命の碑》にはエギルの言う通り、悪戯書きしようとしても、すぐに消えるようになっているから、死んだふりをする事も出来ない。PoH……《
「そうか……あいつらは本当に死んでしまったんだな。――なんか、随分と呆気ないような気がするよ」
イリスが天井を眺めて、呟くように言った。
「人が死ぬ時なんてそんなものさ。どんな大悪党も、どんな英雄も、死ぬ時はさっぱり死んでしまうものさ。そう、呆気なく、儚くね。
でも、そのPoHは死んでよかったんじゃないか? カルト宗教とかテロ組織みたいに、人を洗脳して、殺しをやらせるのは、害悪以外の何者でもないよ」
俺は咄嗟に、PoHがリランに殺される寸前の、命乞いの言葉を頭の中にフラッシュバックさせた。あの時、PoHは暴れ狂うリランに、殺しの世界を楽しもうと言っていた。この事から察するに、PoHもまた、この世界を楽しんでいるプレイヤーの一人であったのだ。ただ、俺達のように世界を感じたりするのではなく、人を殺しまくるという、狂気じみたものだった。もしPoHが、あんな事にならなかったなら……俺達は世界を感じて、楽しめる者同士、わかり合えていたかもしれない。
「それでも、あいつはあいつなりに、世界を楽しんでたって思うんだ」
イリスが首を横に振る。
「そうかもしれないけれど、あいつは君達みたいではないじゃないか。世界を感じると言うよりも、世界の物を壊し、世界に生きる者達を、片っ端から殺す。あいつからすれば、殺せさえすれば、この世界じゃなくても、それこそ現実世界でもよかったんじゃないかな。PoHは最初から、そういう狂気じみた思想を、SAOに来る前から持っていた危険人物だったって事さ」
リズベットが表情を曇らせる。
「とりあえずこれで、《笑う棺桶》は完全に死んで、あんた達攻略組を脅かす存在が一つ減ったわけだけど……よかったのかしらね、これで」
アスナが俯く。
「最初、《笑う棺桶》の人達をみんな、牢獄に入れるっていう計画だったんだよ。それがあんな事になって……ねぇリラン、貴方はどうして、あんな行動に出てしまったの。あの行動に出る前に、何が貴方の中に起きたの」
リランは首を横に振った。
《あの時の事はほとんど覚えておらぬ。だが……何か、我の中で突き上げてくる、感情のようなものがあって……それが爆発した時に、我の意識はなくなった。お前達で言う、頭の中が真っ白になるという事だろうか。とにかく、それから意識が途絶えてしまって、目を覚ました時には、この教会の一室にいた》
「突き上げてくる感情だと? 例えばどんな」
《よく覚えておらぬ。だが、奴らの事が急に許せなくなって、許せなくなって、それでそのまま、頭の中が真っ白という事だ》
「許せなくなって、《笑う棺桶》を全員殺したっていうのか。確かにあいつらのやってた事は本当に許しちゃいけない事だったけれど、いくらなんでもやりすぎなんじゃないのか」
ディアベルの言葉に、リランは珍しく頷いた。
《我も今更になって、やりすぎてしまったと思う。だが、あの時の記憶はもう、思い出す事が出来ぬ……我は何故あのような事を……確かに《笑う棺桶》の暴挙を許せないとは思ってはいたが……なにも皆殺しにしたいと思っていたわけではないはずなのに……》
リラン自身、あの時何が起きたのか、自分の身に何が起きてしまったのか、よくわかっていないようだ。そりゃそうだ、あんな状態になったリランは初めて見たし、そもそもリラン自身謎が多すぎてわけのわからない存在だ。……その謎に、今日、また一つ加わってしまったけれど。
《あ、それで何だがキリト。あの戦いの後、どうやら我は新たな力を得たようなのだ》
「新たな力?」
《そうだ。どうやらこれは、お前の持つ人竜一体ゲージに関係しているものらしい。だから今すぐにでも外に出て……》
リランの言いかけたその時に、シノンの口が開いた。
「駄目よキリト。あなたはしばらく、外に出たり、攻略に赴いちゃ駄目……3日も、意識が無くなってたんだから……一緒に、いてよ……」
シノンにいきなり言われて戸惑いかけたが、すぐさまシノンの言葉に納得した。俺は3日も意識を失って、シノンとユイ、みんなに心配をかけまくっていた。そんな状態なのに、起きて早々戦闘を行うなんて言い出したら、心配してた側は起こるに決まってるし、更に心配する。これ以上余計な心配をかけるというのは、言語道断というものだろう。
「……そのとおりだなシノン。ここ数日は攻略に出るのをやめよう。今度こそ、敵のいない22層でゆっくりしような」
シノンは静かに頷いて、俺の手を繋いだ。
「みんな、心配かけたな。今日はありがとう」
俺の言葉に、みんなは頷いてくれた。捕まえるはずだった《笑う棺桶》を全員殺しまうような酷い結果になってしまったけれど、それでも、みんなが死ななくてよかったとは思った。