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「それはカヨーデ・ノーランガルスですね。ノーランガルス北帝国第四代皇帝です」
《
対策本部の実質的なボスであるベルクーリはメディナの連れる《冒険者達》が増えている事に目を丸くしていたが、キリトは構わずに北帝国で起きた事象を報告。その後にクィネラとカーディナルを連れて、カーディナルの拠点である大図書館へ向かい、詳しい事情を話したのだった。
その中で気になっていた、旧皇帝が暮らしていたとされる城で、《EGO化身態》となったデュソルバートと戦っていた女性について尋ねてみたところ、クィネラがすんなりと答えてきたのだった。
「カヨーデ・ノーランガルス? あの人はそういう名前だったのか」
「はい。キリトにいさま達からのお話を聞く限りでは、カヨーデに間違いないと思われます。ですが、彼女はずっと昔に生きていた人であり、ちゃんと寿命を迎えて生涯を終えたという記録もあります」
カヨーデは大昔に死んでおり、生きているのはあり得ない。名前と身分がわかったと思ったらすぐに不審な点が出てきた。そこに気が付いたであろうシノンが
「ノーランガルス北帝国第四代皇帝……確かにもう死んでるわね。だけど、私達は確かにあの城でカヨーデが動いている姿を見たわよ」
「《EGO化身態》となった我と戦っていたそうだ。最終的に我に敗北し、爆炎の中に消えたという話だ」
鎮圧後すぐに意識を取り戻し、一連の出来事を呑み込み、最終的に進想力による消滅を免れたデュソルバートが付け加える。
彼の話の通り、カヨーデは《EGO化身態》と化したデュソルバートに負け、
「まさか、カヨーデは生き返ったっていうの。それか、もしかして、幽霊だったとか……!?」
「ひえぇ……!」
アスナはそう言うなり、ユピテルと一緒に顔を青くして震え出す。二人とも幽霊だとかそういうものが大の苦手であり、こういった話に直面するとひどく怖がる。今もそれのなりかけみたいになっている。
そんなアスナの言う通り、カヨーデは既に死んでいるはずなのに、城に姿を見せていたという事から、幽霊だったのかもしれないと思いそうだが――そうではなかっただろう。
「落ち着け二人とも。カヨーデが幽霊だったなら、デュソルバートと戦う事なんてできやしないだろう。実体があるならそれは幽霊じゃない」
キリトに言われると、アスナは「あぁ、そうよね」と安心したような顔になる。ユピテルも深く溜息を吐いて落ち着いていた。その中で、カーディナルがふと口を動かした。
「過去に死んでいるはずの者が生き返ってきた……南帝国でジャイアント族が確認された時と似たような状況じゃな。という事は――」
カーディナルは皆まで言わなかった。何を言おうとしているか、キリトは既に把握していた。
「あぁ、カラント・コアがあったよ」
カーディナルが「やはりか」と、クィネラが「そうですか……」と答える。
カーディナルに言った通り、《EGO化身態》となったデュソルバートを鎮圧した後、フィゼルとリネルが言っていた城の地下に向かったところ、カラントが見つかった。
そう、南帝国の回廊で発見されたものと同じ巨大なカラント、《カラント・コア》だ。該当地域一帯のカラントの大元とされるそれが、炎を逃れた城の地下で禍々しい黒紫の光を放ちながら咲き誇っていた。
一階で何度も爆発や放火が繰り返されたというのに、凶花は不気味なくらい無傷を
そんなイメージが頭を
これによって北帝国からカラントは全て消滅し、呼び寄せられていた《EGO化身態》と魔獣の残党を駆逐すれば、元の環境を取り戻せるようになった。それは南帝国で起こした事と同じだった。
「北帝国でもカラント・コアがあった。そして死んでいるはずのカヨーデが生き返って活動していた……やはりカラント・コアはその場所に眠る記憶を再現し、そこで死した者を再度具現化させる力を持っていると考えてよさそうじゃな」
「え?」
聞いた事のない話の登場にキリト達が首を
南帝国にてカラント・コアのあった場所の記録を調べたところ、そこは大昔にジャイアント族の侵攻を受けた場所であるという事がわかったそうだ。
その時、ジャイアント族達は整合騎士達によって全て倒され、被害は未然に防がれたのだが――かつてそういう事があった場所に生えたカラント・コアから、よりにもよってジャイアント族が生まれ出てきた。
今回キリト達によって倒されたジャイアント族は、その大昔に人界に攻め入って散ったジャイアント族達の情報を再構築し、具現化させたものではないかと、二人は考えていたらしい。
「カラント・コアがジャイアント族を再現しただって? って事はまさか」
「はい。北帝国でキリトにいさま達が確認されたカヨーデも、カラント・コアによって具現化したものだったのではないかと思います」
カラント・コアは大昔のその場の記憶を取り込み、当時に生きていた者達を現代に生き返らせる性質がある。ジャイアント族とカヨーデの事を考えると、そう断言できるだろう。二度も同じような例が確認できればそれは必然と考えて良いのだ。
だが、カラント・コア及び通常のカラントが何故そんな性質を持つに至っているのか、何のための力なのかは全く予想が付かない。頭の中でぐるぐるとそんな事を考えるキリトの横で、ユージオがカーディナルへ声掛けた。
「カラント・コアにそんな力が……そう言えば、カヨーデはデュソルバートさんにやられる直前、アロードっていう名前を口にしていましたけど、このアロードっていうのは?」
「恐らくカヨーデの息子であるアロード・ノーランガルスの事じゃろう。カヨーデにはそれなりの数の子供がいたようじゃが、その中でもアロードの事を溺愛していたという記録が残っておる。しかしこのアロードは、ある時カヨーデの目の前から姿を消して、行方不明になっていたともある」
行方不明。その単語が強く引っ掛かった。
皇帝の家、即ち貴族の事。そして行方不明。この二つの単語が並んだ時に起きている現象を、キリトはカーディナルから聞いているし、何なら今回の北帝国への遠征の最中でも起きた。
「行方不明……アロードも《EGO化身態》になったって事か?」
「そうかもしれんし、そうではないかもしれん。じゃが、アロードが姿を消した事でカヨーデは狂乱し、北帝国を長きに渡って混乱させてきたという記録がある。それだけ、カヨーデにとってアロードは大切な子供じゃったという事じゃな」
カーディナルに続いてクィネラが話す。
「そのかつてカヨーデが住んでいた城に、近隣の村や町の子供達が連れ去られていたという事は、もしかしたらカラント・コアによって生き返ったカヨーデが、アロードを求めて子供達を
それが北帝国で起きていた子供の行方不明事件の真相であろう。子供達を連れ去っていたのはカヨーデであり、カヨーデはカラント・コアによって生き返った死者だった。結局の原因はまたしてもカラント・コアだ。
「そうだったのですね。ですが、カラント・コアの討伐とカヨーデの死亡は確認できました。もう子供達が失踪する事もないでしょう。ひとまずはこれで一安心ですね」
アリスの報告にカーディナルとクィネラは頷いた。彼女の言う通り、元凶は去った。ルーリッドの村も、近くの町も村も安全が確保されたと言えるだろう。まだ魔獣が残ってはいるが、対処は比較的容易だ。
直後、キリトははっととある事を思い出し、カーディナルに再度話しかけた。
「そうだ。またこんなものが手に入ったぞ」
キリトは懐に入れていたものをカーディナルへ差し出した。カラント・コアを斬った後に足元へ転がってきたそれは、何らかの植物の種子にも見えるものだった。これもまた南帝国でカラント・コアを斬った際に入手したものと同じものであった。
「これは、種子か。南帝国から帰ったお主が渡してきたものと同じ……か?」
「あぁ。多分それと同じものだと思う。そう言えば、前に手に入れた種子の解析はどうなったんだ」
カーディナルとクィネラは顔を合わせた。双方共に困ったような表情を浮かべている。その顔を向けてきて答えたのは、クィネラの方だった。
「それが……あの種子の中身は空洞だったのです」
「空洞?」
中々に信じがたい報告であるが、クィネラからの言葉である以上はそれが真実である。しかし、あんな巨大なカラントから生成されていたかもしれないというのに、中身が空っぽだったというのはどういう事なのだろう。
「わたくし達も何かの間違いではないかと思ってよく調べたのですが、何度やっても、種子の中身は空洞で、何も入っていないという結果しか出なかったのです」
「じゃあ、あの種子はカラント・コアを生やすためのものではないって事なの」
シノンの問いかけにクィネラは「わかりません」と首を横に振る。直後に、彼女はキリトの持っている新たな種子を受け取った。
「ですが、二つ目が手に入ったのであれば、一つ目と比較もできます。引き続き解析を行いましょう。これには絶対に何かあるはずですから」
クィネラはそう言って種子を覗き込むような仕草をした。それだけで彼女がどれだけやる気になっているのかが把握できたが、同時にキリトは、彼女がこなす仕事を頭の中で数えてみた。
整合騎士達を中心とした対策本部の取りまとめと適切な指示と兵器開発及びその配備。
魔獣との戦闘で破壊された設備や街の修復。
新たな施設や建物の建築。
そしてカラント・コアの種子の解析。
リストアップするだけでもこれだけあり、頭痛がしてきそうだった。恐らくも何もクィネラは対策本部の中で最も多忙だろう。
普通の人間ならばできそうにない仕事の山に果敢に挑んでいき、実際にこなすものだから、「無理していないか」と以前リランが尋ねた事もあった。
しかし、その時は「わたくしは取り憑いていた《あの人》の暴挙をずっと許してきてしまっておりました。その償いをしなければいけないのです」と答え、例え無理でも今の調子のまま仕事を続けるとも言ったそうだ。
やはり彼女には頭が上がらない――キリトは改めてそう思っていた。直後に、そんなクィネラに声を掛けたのは、デュソルバートだった。
「
クィネラはデュソルバートに向き直る。少し意外だったのが、クィネラは多少驚いたような顔をしていた事だった。間もなくして、その表情は申し訳なさそうなものへ変わっていく。
「デュソルバート様……」
「どうされたのだ」
「申し訳ございませんでした。エルドリエ様と同じように、貴方も苦しまれたのでしょう。わたくしがいつまでも《
クィネラの目には深い負い目が感じられた。
以前聞かされたが、整合騎士達に埋め込まれた《敬神モジュール》の除去はできるものの、そうしたら今度は別なモジュールを埋め込まなければならないのだという。
それをクィネラは拒否しており、整合騎士達は今も尚アドミニストレータの《敬神モジュール》が埋め込まれたままになっている。
整合騎士達が《EGO化身態》になったのであれば、それは《敬神モジュール》を放置している自身のせい――クィネラはそう考えているようだった。
そんな彼女をしばらく見つめ、デュソルバートは答えるように言った。
「やはり、貴方は清らかなお方だ。《あの悪霊》とは何もかもが違っている。だというのに、貴方と《あの悪霊》を取り違えてしまうとはな……」
そこからデュソルバートは詳しい話をしてくれた。城の地下で頭巾を被った男に遭遇し、何かしらの神聖術を受けてカラント・コアに捕まった後、彼には最高司祭の声が聞こえていたのだという。
その内容はエルドリエの時と同じであり、「貴方にはもう何もない。貴方の役目はアドミニストレータのために戦い、邪魔者を排除する事よ」という命令だった。
アドミニストレータは悪霊。それがわかっているはずなのに、呑み込まされ、そして《EGO化身態》になっていた――というのが本人の談だった。
「猊下が気に病まれる事はない。全ては我が《あの悪霊》の
デュソルバートは潔い顔をしていた。言葉通り、極刑をも受け入れるつもりでいるのだろう。そんな彼を目にしたクィネラは少々の間口を閉ざし、それから開けた。
「……ならばデュソルバート様、貴方にお願いがございます」
「はっ」
「北帝国からカラントは消えましたが、まだ魔獣の残党がいるはずです。それらの殲滅をお願い申し上げます」
デュソルバートは目を丸くした。クィネラからの指示があまりに意外だったかのようだ。
「……その程度の事で良いと申されるのか」
「はい。そもそも貴方は何も悪い事はしておりません。寧ろ、危機に晒された弟子のお二人を守り、《EGO化身態》となった事を受け入れ、そしてご自身の《神器》を強くされるという活躍をなさいました。なので、貴方の事は罰しません。これまで通り、整合騎士としての任務をこなしてください。勿論、リネル様とフィゼル様と一緒にですよ」
クィネラは微笑みながらそう告げた。デュソルバートはしばらく口を半開きにしていたが、やがて我に返ったように頷いた。
「……御意。強化を遂げた《熾焔弓》の力を以って、必ずや、貴方の力になろう」
あぁよかった――キリトは思わず胸中で呟いた。デュソルバートは整合騎士の中で最も誠実かつ生真面目な性格をしている人である。そんな彼が今回の事を知ったうえでクィネラに対面したら、切腹でもするのではないかと思っていたが、そんな大事には至らなかった。
彼はきっと、今度こそ最高司祭の命を果たし、北帝国に平穏を取り戻すだろう。その時はそんなに遠くない。キリトはそう思っていた。
直後、キリトはとある事を思い出し、カーディナルとクィネラに尋ねた。
「ところでクィネラにカーディナル。元老院って、もうないよな?」
二人はきょとんとした。クィネラが先に答える。
「はい。現在の公理教会に元老院はありません。元老として使われていた人々も助け出さなければなりませんが、カセドラルがあの状態なので、わたくしでも手が出せない状況です」
「お主、何故そのような事を聞く?」
キリトは北帝国で遭遇した男の事を話した。話が終わると、カーディナルもクィネラも深い疑問を抱いたような表情になった。
「元老院統括代理ハァシリアン? そんな役職も、名前も聞いた事がないな」
「わたくしも存じ上げておりません。その方はどうなされたのですか」
「メディナに接触してきたんだ。今の公理教会と最高司祭は偽者で極悪人だって言って、本当の最高司祭の復活を目指しているとか言って」
それを聞くなり二人はかなり驚いた。まさしく当のハァシリアンから話を聞かされた時の自分達の反応だった。
「《あの人》を復活させようとしている……という事は、《あの人》によって残された人であると考えて間違いありませんね。……そんな人が残っていただなんて」
「《あの女》め、つくづく周到な奴じゃ。とりあえずそいつについても調べておくとしよう。記録にあるユニット名を見て行けばわかる事もあるはずじゃからな」
キリトは「頼んだ」と言って頷いた。ハァシリアンは確実にアドミニストレータの息のかかった人間であり、人界に再び危機をもたらさんとしている危険人物だ。早いうちにその正体を掴んでおくべきだろう。
「……あら?」
その時、不意にクィネラの声がして、今度はキリトがきょとんとした。
「どうした、クィネラ」
クィネラはキリトの背後を見てきょろきょろとしていた。何かを探しているようだ。試しに振り返ってみると、そこにあるのは北帝国で行動を共にした仲間達の姿。それ以外に何か不審なものはない。
「リズねえさまのお姿が見えないのですが、どうかなされましたか」
言われて、キリトはこの場にいる仲間達が誰なのかを確認した。クィネラの言った通り、リズベットの姿だけがなかった。先程までは確かに一緒に居たはずなのに。
「本当だ、リズがいない」
「まさかリズねえさま、北帝国での戦いで負傷されたのでは!?」
リズベットも《EGO化身態》となったデュソルバートとの戦いに参加していたが、負傷したところは見ていないし、共に央都に帰ってきたのも確認できていた。いなくなったのはこの大図書館に来るまでの間で間違いない。
焦るクィネラにキリトが応答しようとした時、先にシリカが答えた。
「リズさんなら、長旅で疲れたから休みたいって言って、皆さんと一緒に行く途中で先に帰っちゃいましたよ。話は後で聞くから大丈夫って……」
確かに今回は結構な長旅にはなったし、色々な出来事があったうえ、強力な《EGO化身態》となったデュソルバートとの戦いもあった。疲れが溜まっていても仕方がないだろう。現にキリトも、身体にかなりの疲労が蓄積しているのを感じている。
「そういう事だったか。まぁ、かなり疲れる旅だったもんな」
「特におにいちゃんは疲れたでしょ。炎が効かないデュソルバートさんを、リランの力なしと慣れない一刀流で相手にしたんだから」
リーファに
「いやいや、俺は最初は一刀流で戦ってたから慣れっこだよ。だけど、やっぱりリランの力が使えなかったり、《EGO》が効かない場合の戦い方は考えた方がよさそうだな」
「……本当に苦労を掛けてすまなかったな……」
デュソルバートがぼそりと言うなり、キリトは思わず焦る。デュソルバートは今、かなり落ち込んでいた。こういう人が落ち込み出すと、中々元に戻ってくれなくて困った事になるというのは経験済みだ。
「いやいやいやいや、デュソルバートを責めてるんじゃないよ。頼むからそんなに落ち込まないでくれ」
デュソルバートは「うーむ……」と小さく呟いた。この人は正義感は勿論の事、責任感もまた強いようだ。
なので、自身のせいで大勢が迷惑を被ったりするような事があると、落ち込んでしまいやすいのだろう。……意外と面倒なタイプか?
いや、こういう人は組織には一人くらい必要なものだ。デュソルバートのような生真面目で堅物な人がいるからこそ、整合騎士団は上手い具合に動けている。替えの効かない大切な存在に違いない。面倒くさそうに見えるからって無下にしてはいけないのだ。
そんな事を考えつつデュソルバートにかける言葉を出そうと思案していると、ようやく口を開けた人物がいた。帰ってくるまでは狼竜形態、街に入ってからは少女形態となっていたリランだった。
「さてと。時刻は既に夕暮れだ。そろそろ明日に備えて休んだ方が良い」
リランは周りの皆を見ていたが、すぐさまキリトに視線を合わせてきた。「これ以上デュソルバートを慰めるのに労力を使うのは止せ」と目で言っているのがわかった気がした。どうやら助け船を出してくれているらしい。
キリトはその船に乗る事にした。
「それもそうだな。よし、ベルクーリさんに報告するのは明日にして、今日はこれで解散しよう。皆、しっかり休んでくれ」
キリトの指示は全員に伝わったようだった。よく見てみれば、全員揃って疲れたような顔をしていた。
昨日と今日に渡る旅は、やはり疲労が溜まっても仕方のないものであったと、改めて認識する事になった。
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「なんでよ……! なんでできないのよ……!」
央都セントリアに戻ってきてから、リズベットは単独行動を取った。
何も言わずに勝手にいなくなってしまうと、皆に余計な詮索をされてしまうかもしれないというのは既にわかっていたため、シリカに前もって「天幕に戻って休む」と言っておいた。恐らく誰も自分の事を探したりしてはいないだろう。
おかげで、こうしてサードレという男が経営する鍛冶屋の設備を借りて、誰にも邪魔される事なく剣を作る過程に取り組む事ができていた。
真っ赤になるまで加熱された平たいインゴットを
この世界における鍛造のやり方は、この世界に来て三日くらい後に学んだ。《SAO》、《ALO》、《SA:O》、《GGO》の時と違って現実のそれに非常に近く、複雑な過程を経るものであったが、それでもリズベットは過程の一つ一つをしっかりと理解し、実際に取り組んだ。
すると、一本のしっかりした剣を作り出す事に成功した。その時は「まぐれではないか」と思い、試しに時間をもらってもう一本作ってみたが、同じようにできた。
それが自信になった。完全にコツを掴んだ。これであたしはこの世界でも鍛冶屋として、これまでどおりキリトの力になっていける。そう思っていた。
先程この鍛冶屋の設備を借りてから、いくつもの赤く光り熱を発する金属をハンマーで叩いてきた。何度心地よい金属音をこの場に鳴り響かせたかわからない。
なのに、未だに一本も剣を作り出す事ができていなかった。
あの時学んだ鍛造技術を確かに再現しているというのに、先程から剣を作るどころか、インゴットを剣の基礎的な形に持っていく事さえできていない。
「嬢ちゃん、その辺で止めとけ」
もう一度ハンマーを振り下ろそうとしたリズベットを止める、男の声があった。この鍛冶店の店主であり、央都セントリアで一番の鍛冶師でもあるサードレだった。
リズベットはサードレの方に顔を向けたが、睨み付けているという自覚がなかった。あちらは睨んできているわけではないのに。
「なんで!」
「お前さん、さっきからずっと延べ棒を叩いて無駄にし続けてるだけじゃねえか。明らかに調子悪いだろ、今」
サードレの言っている事は間違っていなかった。窓の外を見てみれば、すっかり夜になっている。始めた時は確か、夕暮れの少し前くらいだった。軽く見積もっても三時間くらいは経過しているだろう。
いつもならば、この時間で剣を一本作れているはずなのに、何も作れていない。インゴットをわざわざ叩き直さないと再利用できない形にし続けているだけ。だからサードレも呼び止めてきたのだろう。
けれど、止まってなどいられない。リズベットは首をぶんぶんと横に振る。
「調子悪くなんてない! あたしは剣を作らなきゃいけないの! 止めないで――」
最後まで言わないで、リズベットはハンマーを構えた。狙いを赤熱したインゴットに定め、振り下ろそうとしたその時。
「い゛ッ」
右腕に鋭い痛みが走った。急に指先が痺れたようになって力が入らなくなり、右手からハンマーが抜けて床に落ちた。ごぉんという鈍い音が鳴り、サードレがびっくりしたように寄ってくる。
「ほぉら言わんこっちゃねえ。やり過ぎて右腕が痛んでるじゃねえか」
サードレはそう言って、床のハンマーを拾い上げた。リズベットも拾おうとしていたが、先を越されてしまった。それでも尚、ハンマーの方から目を離す事ができない。痺れた手で、ハンマーを掴み直そうと伸ばす。
「悪い事は言わねえから今日は帰りな。お前さん、疲れてんだよ」
言われた途端、今度は身体から力が抜けてしまい、リズベットはその場に腰を落としてしまった。ハンマーに伸ばしていた手も下がり、床に落ちる。
頭と心の中で、いくつもの言葉が鳴り止まなくなっていた。
なんで。
なんで、やらせてくれないのよ。
あたしは剣を作らなきゃいけないのよ。
なんで、作れないのよ。
なんで、キリトのために、剣一本すら作れないのよ。
剣を作れないなら、作れなきゃ、あたしは――。
――役立たず、だものね。