キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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10:妹の利己

 

           □□□

 

 

 

 南帝国へ戻ってきたキリトは、いつもの大人数での移動はしていなかった。すぐ近くにいるのはリランとルコという二人だけで、この前と比べて極めて少人数である。

 

 要因は二つほどあった。一つ目は、カラントはコアを破壊したために存在しなくなり、新たな魔獣が生まれる危険性がなくなって、《EGO化身態》も呼び寄せられる事がなくなり、弱くて数の少ない魔獣程度しか残っていないので、大人数を駆り出すまでもないから。

 

 二つ目は、手分けして魔獣の残党を探して討伐した方が効率が良いと皆で考え、決めたから。なので、この前南帝国に捜索へ向かった時とは比べ物にならないくらいの少人数で、キリトは砂漠地帯を歩いているのだった。

 

 その探索パーティのうちの一人としてルコが加わっている理由は、その神聖術行使能力の高さによる。

 

 高度の攻撃神聖術から、他のゲームで言う特殊効果付与系、回復系のほぼ全ての神聖術までを使いこなせるルコならば、魔獣退治とカラント討伐で事を優位に運んでくれるのではないかと、実力を見たベルクーリが提案してきたのだ。

 

 まだ――多分――十一、二歳くらいの子供であるルコを戦場に向かわせていいのかと、アリスやファナティオが疑問の声を上げたが、ルコ本人が「キリト達と、一緒、戦いたい」と言い出し、彼女らにも高度な神聖術を見せつけた。

 

 その結果、物は試しという事で、ルコがキリトのパーティメンバーの一人として加わり、この地へやってきたのだった。

 

 そんな三人で向かう砂漠地帯。見上げれば(まぶ)しくてたまらない太陽(ソルス)が容赦なく照り付けてきて、地平線の彼方まで広がる砂の大地が光を反射し、こちらの全身を焼こうとしてくる。

 

 ここに来るまでに遊んだVRMMOでも、こんな砂漠地帯を探索した事は多々あったが、このアンダーワールドの砂漠地帯の熱さと光はそれらと比較にならない。本当に熱と光に体力を、命を奪われていっているような感覚だ。

 

 長居していたら熱中症を発症して倒れてしまうのは間違いない。早いところ、ここら辺にいる魔獣を討伐し尽くして、オアシス地帯へ向かった方が良さそうだ。

 

 そんな事を考えながら、キリトは背後を歩くパーティメンバーに振り向く。

 

 

「二人とも、大丈夫か。暑くないか」

 

 

 先に答えてきたのはリランだった。狼竜という身体の面積が大きな姿となっていて、熱と光を人間以上に浴びているはずなのに、彼女は汗一つかいていなかった。

 

 

《我は熱と炎を操る力を持っているから、この程度の暑さなど何ともない。お前こそ大丈夫なのか》

 

 

 流石はリランだ。セントラル・カセドラルの地下牢に閉じ込められた時、真っ赤に熱された鎖に噛み付いても一切火傷しなかっただけある。

 

 そう言えばリランは《SAO》の時を除いて、あらゆる気候の地帯で平然としている傾向にあった。灼熱地帯に差し掛かった時は炎と熱を操る能力を持っているから平気で、極寒地帯に差し掛かった時も能力と分厚い毛皮のおかげで余裕だと言っていたものだ。

 

 ……これも《SAO》の最初期の際に色々なデータを喰らって自己を改造した結果なのだろうか。今更ながら、リランの中身はどうなっているのか気になってきた。

 

 恐らくイリスの子供達の中で最も複雑かつ珍妙なモノになっている事だろう。そんな事を言ったら確実に頭からかぶり付かれそうだから言えないが。

 

 なので、キリトは代わりに現在の状況への率直な感想を述べた。

 

 

「正直に言うと、かなり暑い。白い炎の剣を出せるから熱とか平気へっちゃらになってるんじゃないかって思ってたんだけど、そんなに甘くはなかったみたいだ」

 

 

 そのくせ、風呂は熱くしてもあまり熱さや刺激を感じなく、普通よりずっと高い温度にしないと満足できないと来ている。

 

 しかし砂漠地帯の灼熱は辛く感じる。このアンバランスさはなんだ。口を開けたままにしておくとそう言った不満が出てきそうだった。

 

 それを止めたのがルコだった。

 

 

「キリト、大丈夫? 神聖術で、氷、作ろうか」

 

「いやいや、そこまでする必要はないよ。そういうお前こそ平気なのか」

 

「平気、へっちゃら」

 

「そ、そうか」

 

 

 こちらが汗を(ぬぐ)っても、ルコは全く汗をかいておらず、(むし)ろ微笑んでいるくらいだった。

 

 修剣学院に居た時からそうだったのだが、ルコは夏の暑さにも冬の寒さにもやたら強く、周囲の人間達がそうしている中一人だけ平然としていた。

 

 これについては完全に原因不明である。ルコは人間の耳と獣の耳を一対ずつ持ち、(ひたい)からは赤い宝石のような角を生やしているくせ、尻尾などはなく、言葉は二年経ってもたどたどしいまま変わらない。

 

 そして小柄ではあるものの、並外れた回復力と免疫力、暑さと寒さへの異様な耐性を持っている。この体質とルコという存在そのものの詳細はカーディナルとクィネラさえも把握できておらず、わからない事が本当に多い。

 

 ルコは本当に何なのだろうか。《お役目》といい、母親の存在といい、下手すれば人界での一番の謎である可能性さえ出てきている有様だった。

 

 全ての問題が解決した(あかつき)には、ルコの正体や《お役目》の真実を明らかにするのを最優先した方が良さそうなのかもしれない。

 

 そんな現時点では不明点だらけのルコについて、とある事を思い出し、キリトは問うた。

 

 

「そういえば、お前さっきリーファの事をやたら見てたけど、何か気になる事でもあったのか」

 

「うん。リーファ――」

 

 

 言いかけたその時、ルコは突然立ち止まった。表情が凍り付いたようになる。ほぼ同刻、獣の耳と角を覆い隠す骨組み入りの帽子がごそごそと動いた。中で耳が動いているらしい。

 

 

「ルコ、どうした」

 

 

 キリトの呼びかけに答えず、ルコはある方向へ向き直った。そこはここに来るまでに通った道のあった方角であり、別行動している仲間達の向かった方でもあった。

 

 

「ルコ?」

 

 

 もう一度呼びかけたその時、ルコは顔と上半身を軽くこちらに向けてきた。その際に見えたルコの表情が、何かを恐れているようなものに変わっていたから驚いた。

 

 その顔のまま、ルコは比較的大きな声を出してきた。

 

 

「キリト! リーファのところ、行かない、駄目! リーファ、止めない、駄目!」

 

「え?」

 

 

 恐らくも何も、リーファを止めないと駄目という意味だろう。しかしどうしてそうなのかはわからない。何故そのような事を突然言い出す?

 

 

「リーファを止めないと駄目って……どういう事だ」

 

 

 直後、ルコは痺れを切らしたようにキリトの腕を掴み、指し示している方角へ走り出そうとした。かなりの力で引っ張られ、思わず砂地に倒れ込みそうになったのを足で踏ん張って止める。

 

 

「おいおいおいおい!?」

 

「急いで! リーファ、止めない、駄目! リーファ、あっち、いる!」

 

「だから、なんで止めないと駄目なんだってば――」

 

 

 そこまで考えたところでキリトははっとする。前にもルコにこんな事を言われた事があった。

 

 確か――思い出したくないが、まだ修剣学院に居た頃、ライオスが《EGO化身態》になった時だ。

 

 

「!」

 

 

 あの時、ルコは重傷を負って瀕死になっていたというのに、「ライオス、止めない、駄目」と必死に訴えていた。

 

 その言葉の通りに、逃げたライオスを追ってみたところ、《EGO化身態》になったライオスを見つけたのだった。もしルコが訴えなければ、《EGO化身態》となったライオスは多くの被害を出していた事だろう。

 

 その時と同じ事を言っているという事は、まさか――。

 

 

「――スグ!!」

 

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

 

 ――さぁ、その時は来たんだよ。

 

 

 頭の中に響く《声》のまま、リーファは歩みを続けていた。場所は岩の多い砂漠地帯の一角である。

 

 重い身体を引きずるようにしている今は、とても歩きずらい場所だった。少し気を抜けば即座に転倒して、砂に顔を埋めてしまう事だろう。

 

 だが、そんな事はしてられない。あたしにはやるべき事が、取り戻すべきものがあるのだから――リーファはその思いだけを胸に、やるべき事を成すための場所を目指して歩いていた。

 

 空に浮かぶ太陽が容赦なく照り付けてきているが、何も気にならない。まるで邪魔になる全ての感覚が断ち切られているかのようだ。今ならばもしかしたら痛みさえも平気かもしれない。

 

 それくらいにまで、リーファは集中していた。いや、身を満たす苦痛がそうさせていた。ずっと前から苦しくて、苦しくて仕方がないのだ。熱病に罹ったとは違うものの、それに近しい、身体を動かす事さえ難しくなりそうな苦痛に満たされている。

 

 

 ――苦しいでしょ。苦しいよね。でも大丈夫だよ。もうすぐ苦しくなくなるから。

 

 

 《声》はリーファの事をよくわかってくれていた。だからこそ、次に何をするべきなのかを教えてくれる。その教えに素直に従って、リーファはただただ歩いた。

 

 もうすぐこの苦痛が消える。この苦痛を永遠に断ち切れる。その時の喜びを想像しながら、砂に足を埋めては引き抜きを繰り返し、リーファは進む。苦痛はずっと身体を満たしていた。

 

 しばらくすると、目的が見えてきた。白水色の髪の毛で、青を基調とした弓使いの軽装に身を包んでいる一人の女の姿が岩陰から確認できた。この女を探すために、重く苦しい身体を引きずってここまできたのだ。

 

 そのまま歩み続け、リーファは岩陰から自身の姿を曝け出させる。足音に気が付いたのだろう、白水色髪の女は急に振り返り、弓矢を構えてきた。

 

 ……やっぱりこの女はこういう奴だ。相手が誰であろうとこういう事をする。リーファにとって大切な人である兄以外には。

 

 

「なんだ、リーファだったのね。びっくりしたわ」

 

 

 女は安心したように弓矢を降ろした。リーファだと気付いて敵意を消失したらしい。

 

 だが、対するリーファの重くてたまらない身体は、既に敵意と憎悪で満たされていた。そんな事に気が付いている様子は一切ない。

 

 どこまでも勝手な女だからだ。最初から、そうだった。

 

 

「こっちに来たって事は、リーファの行った方には魔獣がいなかったみたいね。やっぱり生き残ってるのはごく少数ってところなのかしら」

 

 

 女――シノンは現状を判断しているような事を言っていた。

 

 自分が何をしているのか、やらかしているのかもわかっていないのだろう。当然だ。こいつはそれくらいするうえ、無自覚な奴なのだから。

 

 

「こっちも魔獣をまだ見つけられてないのだけれど、もしかして力を貸してくれるの?」

 

 

 あぁ、駄目だ。耳が腐り落ちてしまいそうだ。いつまでこいつの声を聞かなくちゃいけない?

 

 もう喋るな。

 

 

 存在するな。

 

 

「リーファ?」

 

 

 呼びかけられたその時、リーファはシノンのすぐ目の前まで来ていた。狙いを定める事に集中し過ぎて、どれくらいで着きそうかまでは計算できていなかった。だが、別にどうでもいい。

 

 ここまで来れたんなら、やるべき事は一つだけだ。

 

 

「リー」

 

 

 またしても開こうとしたシノンの口を、リーファは左手で塞いだ。

 

 同刻、その首に渾身の力を込めた右手を突き出して、地面にそのまま押し倒す。ぼすんっという軽い音が鳴り、シノンを中心にして砂が舞い上がる。

 

 

「かっ、はっ……!?」

 

 

 リーファはシノンに馬乗りの姿勢になり、左手を口元から首元に移した。そこで溜め込んでいた力を解放するようにして、その首を強く絞める。

 

 

「あ゛、あ゛あ゛あ゛ッ、はあ゛」

 

 

 一瞬にしてシノンの顔は苦悶の表情となるが、困惑の色が見え隠れしていた。

 

 どうしてこうなっているのか、どうしてこちらに首を絞められているのかわからないのだろう。どこまでもこいつは無自覚だ。

 

 最初からそうだった。

 

 兄が興味津々で買ってきたナーヴギアと《SAO》に閉じ込められ、いつ死ぬかわからない状態にされた時、これまでに経験した事がないくらいの深くて暗い絶望と嘆きと悲しみにリーファ/直葉(すぐは)は囚われた。

 

 毎日のように兄のいる病院を訪れ、兄のいる病室に向かい、兄の様子を見ては、直葉は勝手に流れ出てくる涙を止められなかった。周りの《SAO》プレイヤー達が、次から次へとナーヴギアに脳を焼かれて死んでいっていたからだ。

 

 一週間単位、一日単位、早ければ数時間単位で次々死んでいく。酷い時には、兄と同じ病室にいる《SAO》プレイヤーが、直葉が来ている最中に死ぬ事もあった。

 

 次はおにいちゃんの番が来る。いつ、おにいちゃんが死んだとしてもおかしくない。

 

 おにいちゃん、死なないで。

 

 どうかおにいちゃんの命だけは奪わないで。

 

 毎日、どこに届ければいいのかわからない祈りを胸に、直葉は病院に通い続け、兄の様子を見続けた。

 

 兄は一切の意識を取り戻す事なく、ただただ沈黙し、痩せ細っていく一方だった。それはもうどうにもならなくなり、枯れていく植物のようだった。

 

 そんなある時、ナーヴギアの後継機であるアミュスフィアを使用したゲームを遊んでいる最中、《SAO》に拉致されるという事件に直葉は巻き込まれた。

 

 いつものゲームの世界にいるかと思いきや、そこは兄が囚われた《SAO》の世界。ゲームオーバーになれば現実世界でも死んでしまう恐怖と狂気の世界に、直葉は囚われた。

 

 そしてそこで、直葉は兄に再会した。実に二年ぶりの再会に、直葉/リーファは歓喜に胸を満たした。

 

 本当ならばデスゲームの世界に囚われたという事に恐怖しなければならないところだったが、リーファにとっては、兄に再び会えたという喜びの方が遥かに強かった。

 

 だが、その喜びを消してしまう存在が、兄のすぐ傍にいた。名前をシノンという女が、兄が《SAO》に囚われている間に、兄と関係を結び、恋仲になり、夫婦になっていたのだ。

 

 シノンは誰よりも兄の近くにいるかのように、誰よりも兄を理解しているかのように言い、本当の家族のように振舞っていた。本物の家族であるリーファ/直葉を差し置いて。

 

 

「リー、フぁ゛、な゛に゛、し、て」

 

 

 シノンに会い、詳しい話を聞かされたその時は、リーファも納得したつもりだった。

 

 実際に兄も幸せそうにしていたし、何よりこれまで見た事がないくらいに満たされているような様子だった。シノンは大切なものが欠落してしまっていた兄を満たしてくれる存在なのだと、認めたつもりだった。

 

 しかし、よくよく考えてみれば、おかしな事だった。シノンは兄の家族の誰もが知らないうちに兄と関係を結び、兄と勝手に夫婦になった。兄の家族と一度たりとも顔を合わせる事もなく、そして誰の許可も取る事なく。

 

 シノンはどこまでも身勝手に振舞っていた。そんな女の、そんなやり方に納得など、誰ができようものか。

 

 

「全部あんたのせいよ。あんたなんかがおにいちゃんと一緒に居ていい権利なんてない」

 

 

 リーファは歯を食い縛るついでに告げた。シノンは両手でリーファの両腕を掴み返してきているが、全く力が入っていなかった。

 

 

「え……?」

 

 

 シノンの苦悶の顔に疑問の色が混ざる。何を言われているのかわからないのか。それもそうだろう。ここまで身勝手な事を、身の程知らずな事を無自覚に繰り返してきたのだから。

 

 

「あんたなんかがおにいちゃんのお嫁さんになるなんて認めない。あんたなんか義姉さんじゃない。おにいちゃんの近くにいようとするあんたを……許さないッ」

 

 

 渾身の力を入れてシノンの首を潰しにかかる。ぎちぎちという肉が潰れかかっているような嫌な音が耳障りだった。当然シノンの口から漏れる声も。

 

 ――大丈夫だよ。もう聞こえなくなるから。

 

 

「あ゛あ゛ぁ゛、や゛め゛て、しん゛じゃう゛、う゛ぁ゛」

 

「ええ、そうよ。さっさと死んじゃいなさい……死んじゃえぇッ!!」

 

 

 リーファは全ての力を腕に集中させた。シノンの首の肉と骨の感触が手を満たしていて、気持ち悪くて仕方がない。

 

 しかしそれも一時的なものだ。このまま潰しきれば、もう手を放して良いのだから。

 

 そしてその時こそが――。

 

 

「スグッ!!!」

 

 

 待ち望んでいた瞬間は、突如として崩された。強い衝撃が横から飛んできたかと思った時には、リーファは地上からほんの五十センチ程度の上空を舞っていた。当然忌まわしきシノンの首から両手が離れてしまっている。

 

 何が起きた――と思うと同時に地面に軽く激突し、鈍くも痛みが身体を襲った。

 

 しかしその激しさはリーファの想像よりもずっと軽いものだった。身体を覆い尽くす痛覚そのものがあまり働いていないのかもしれない。

 

 なのでリーファはすぐさま動き出す事ができ、かっと顔を上げた。こちらから少し離れたところに兄の姿があったが、そこで目を見開く事になった。

 

 兄がシノンを抱きかかえて、こちらを見ていた。焦燥と戸惑いを隠せない顔をしている。

 

 その隣にいるのは、小さな少女であるルコであり、彼女は両手を前に突き出した姿勢をしていた。どうやら今しがた吹き飛ばされたのは、ルコの神聖術が原因だったらしい。

 

 更にルコのすぐ傍にはリランの姿もあった。身構えているものの、威嚇しているようではなかった。兄同様に戸惑ったような表情を顔に浮かべている。

 

 

「スグ、何のつもりだ。お前、自分が何をしてたかわかってるのか!?」

 

 

 兄は戸惑いと焦りの表情で怒鳴ってきた。

 

 あたしが何をしているかだって? そんなのわかっている。わかっていなきゃ、やってないよ――リーファはよろめきながら立ち上がって、剣を引き抜いた。

 

 

「そっちこそ……自分が何をしてるかわかってるの」

 

「お前……!?」

 

「全部その人が……そいつが悪いんだよ……何もかも、そいつのせいなんだから!!」

 

 

 狙いを咳き込んでいるシノンに向け、リーファは地面を蹴り上げて走り出した。隙だらけになっているシノンへ真っ直ぐ駆け、兄の隙間を縫って剣を突き出す。

 

 がきんっ。鋭い金属音と共に火花が散り、衝撃が剣から腕へと流れ込んできて、指先が軽く痺れた。あと少しでシノンに届きそうなところで剣は止められていた。

 

 兄が咄嗟に剣を抜き払い、リーファの剣を受け止めていたのだ。

 

 

「スグ、やめろッ!」

 

「なんでよ……なんで邪魔するのよ! おにいちゃんは、あたしよりそいつの方が大事なの!?」

 

「さっきから何言ってるんだよ! お前、こんな事していいと思ってるのか!?」

 

「しなくちゃいけないんだよ……おにいちゃんのためにぃッ!!」

 

 

 リーファは剣を引き抜き、再度振り下ろした。またしても兄が受け止めてくる。激しい鍔迫(つばぜ)()いになったところで、ルコがシノンをその場から引き離したのが見えた。

 

 

「待ちなさい……逃げるなぁッ……!」

 

 

 リーファは遠ざかるシノンから狙いを逸らさなかった。そのままシノンの許へ行こうとするが、兄が壁になって動けない。

 

 その最愛なる兄は、あろう事か右手を自身の剣から離すと、リーファの剣の刀身をそのまま力強く掴んできた。(てのひら)が斬れて血が流れていくのが見える。

 

 

「スグ、やめるんだ……!!」

 

「このぉッ……!!」

 

 

 より一層力を込めて押し返そうとするが、兄の手は動かない。まるで大きな石像に掴まれているかのように、剣を動かす事ができなかった。

 

 

「げほっ、ごほッ……ねえリーファ、どうしたのよ」

 

 

 耳障りな声がした。シノンの声だ。今すぐにでも消したくなる声で、何かを言ってきている。

 

 嫌だ、あんたの声なんて聞きたくない。そう思っていても、声は容赦なく耳に届けられてきた。

 

 

「話してよ。私が話を聞くわ。どんなに長くたって聞く。聞いてもらうってすごく必要な事よ。大切な事だわ。私だってずっと、そうしてもらってきたわ……あんたにだって、そうしてもらってきた!」

 

 

 話してほしいだって? 話を聞くだって? とぼけないで。聞いたところであたしの事なんて理解する気も、今の状態を解消してくれる気もないくせに。

 

 

「だから、今度は私があんたの力になる。お願い、私にできる事を言って。言って! 言ってよ!!」

 

 

 リーファは歯を食い縛っていた。顎に力が入り過ぎて、歯が潰れてしまいそうだ。胸の中が苦しくて、熱くて仕方がない。

 

 どれもこれもシノンに言われた事のせいだった。

 

 話しても聞かないくせに、話してと言ってくる。全部聞いた後に嘲笑(あざわら)うつもりのくせに、できる事を言ってと言ってくる。

 

 どこまでこっちの気持ちを逆なですれば気が済むんだろう。

 

 どうしておにいちゃんは、こんな奴を守ろうとするの。

 

 どうして、なんで、なんで。

 

 なんで、なんで、なんで、なんで、なんで。

 

 

「スグッ!!」

 

 

 一際強い兄の声がしたその時、腹部に鈍い痛みと衝撃が走った。瞬時に目が動いて、そこを見れた。兄は剣の側面を思いきりリーファの腹部へ叩き付けていたのだった。

 

 腹が潰されかけるような感覚が起こり、息が無理矢理吐き出され――次の瞬間にはリーファは兄から遠く離れたところへ吹き飛ばされていた。

 

 すぐさま地面に激突して数回転がった後に、うつ伏せになったところで止まる。手から剣を握っている感覚は失せていた。今の衝撃で滑落してしまったようだが、その事を気にする事は既にできなくなっていた。

 

 身体が無数の(おもり)が付いているように重く、動かせない。胸を襲う苦痛はより大きくて激しいものとなっており、息をするのも精いっぱいだった。

 

 その原因となっているのは、シノンだった。

 

 血の繋がりもないのに、兄に付きまとって離れない女。何一つ兄の事など理解できていやしないのに、理解しているようなふりをして、家族になったような気になっている。

 

 そのせいでリーファ/直葉がどれだけ苦しんでいるか、知りもせずに。

 

 そんな女を、兄は守ろうとした。

 

 兄はシノンを守るために、剣を振るった。その剣に吹き飛ばされて、自分は今、地に這いつくばらされている。

 

 どうして。こんなにおにいちゃんを想ってるのに。

 

 おにいちゃんの家族は、あたしなのに。

 

 

 ――もう、あなたの声は聞こえないんだよ。

 

 

 ここまで導いてくれた《声》が再度、頭の中に響いた。その内容に直葉は瞠目する。

 

 あたしの声が聞こえないってどういう事。

 

 ――あなたの知ってるおにいちゃんは、もういないのと一緒なんだよ。

 

 おにいちゃんは、もういない……?

 

 ――だから、あなたがどんなに呼びかけたところで、もう届かないんだよ。だって、シノンがおにいちゃんを壊しちゃったんだから。

 

 おにいちゃんが、壊された……?

 

 ――だって、おにいちゃんはあなたに剣を振ったんだよ。あなたの知ってるおにいちゃんが、そんな事をしない人だって、あなたが一番よく知ってるでしょ。

 

 おにいちゃんが……こんな事……するわけ……ない……。

 

 ――そうでしょ? でも、おにいちゃんはあなたに剣を振るった。もうわかるでしょう。あなたのおにいちゃんは、もうあなたに振り向く事なんてないんだよ。

 

 おにいちゃんは、もう、あたしに振り向かない……助けに来た、のに……家族なのに……。

 

 ――おにいちゃんがあたしに振り向かないでいる。そんな世界なんて

 

 

 

 

 「いらない」

 

 

 

 

 その時、直葉は身体のあらゆる感覚が弾けたのを感じた。

 


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