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整合騎士となったユージオはアリスの手によって
その事に誰よりも喜んだのがアリスであったが、果たしてユージオは、アリスも自分達も、
「ごめんよ、皆。僕を追ってこないでくれ」
そう言い残し、彼は最上階へ続く、冬追さえも乗せれるくらいに大きな昇降盤で上がっていってしまった。しばらくすると、氷漬け状態は解除され、身動きが取れるようになった。キリトはそこで上層への出入口を探したが、階段らしきものは見つからない。
詳細をアリスに聞いてみたところ、九十九層から最上階までは昇降盤でしか移動できず、上に行くには昇降盤が降りてくるのを待つしかないのだという。上にいるのはユージオとチュデルキンとアドミニストレータの三名のみ。この三人が上で行動を起こしてくれない限り、自分達は上に行く事はできない。
あと少しだというのに、あと少しでアドミニストレータ――クィネラの真実に辿り着けるかもしれないというのに。悔しさに歯を食い縛ったその時に、昇降盤が降りてきた。
まさかユージオが戻って来たかと思いきや、そこにいたのは極彩色の衣装に身を包む
冬追だ。ユージオと共にこの階を降りてきて、リランと交戦していた飛竜に似ても似つかない氷の獅子竜が、真っ先にチュデルキンに襲い掛かった。アドミニストレータの操り人形と思われていた冬追が反逆するとは思いもよらず、キリトは驚かされた。
それはチュデルキンも同じだったようで、彼の者は「ひぎゃあああ」と
「とどめを刺すのは今のうちだ」。そう言っているのがわかり、キリトはリランにブレス照射を命令。リランは体内で高度に圧縮されて光線状になった火炎をチュデルキン目掛けて照射した。加熱された氷は溶けると同時に蒸発し、水蒸気爆発を起こしてチュデルキンを呑み込んだ。
爆発が晴れた頃、チュデルキンはボロ雑巾のようになって倒れていた。試しに《ステイシアの窓》を使ってみたところ、天命がごく僅かになっているのが確認できた。
それを見たアリスは「当然の報いです」と一言放ち、元の長さに戻った金木犀の剣で昇降盤の外に弾き飛ばした。チュデルキンは「ほひほひ……」と言いながら転がり、動かなくなった。
元老という名の機械人間を量産し、それらに役割を押し付け続けていたがために、戦闘力や耐久力は衰えていたのだろう。こんなものが元老を
昇降盤が重々しい音を立てて制止すると、広大な空間が視界いっぱいに広がってきた。元の大きさに戻ったリラン、リラン並みの巨躯を持つ冬追がいても全然余裕がある、円形の部屋だ。
見上げればアンダーワールドに伝わる神話を描いたであろう天井画があり、そこに混ざるようにして小さな結晶らしきものがきらきらと
そんな部屋に入り込んですぐのキリト達を出迎えてきたのは、背を向けているユージオだった。彼は整合騎士の鎧を脱ぎ、青色のコートとズボンのセットを着用している。その後姿は、キリトの知る彼のそれと同じだった。
「ユージオ!」
キリトの声に答えるようにしてユージオは振り向いてきた。驚いたような顔をしている。
「キリト! それにアリスとシノンとリランまで……なんで……」
「お前の要求は呑み込めるものじゃなかったんでね。来させてもらったところだ。俺はいつもこうだったろう?」
問いかけにユージオは笑った。呆れているようにも見えるが、心から喜んでいるのが本質の笑い方だ。
「そうだね。君はいつもそうやって……無茶してくるんだったよね」
「そうだ。俺を知っているって事は、お前は元のユージオって事で良さそうだな」
「あぁ、そうだよ。僕は君の知るユージオで間違いないよ」
その言葉にキリトは安堵を抱いた。やはりユージオはアリスの力で元に戻れていたのだ。アドミニストレータの秘術に負けたりしなかった。その事にもう一度喜ぼうとしたが、途中で聞こえてきた溜息でキリトは我に返った。
頭部には植物か羽毛を模したであろう半円形の装飾を付けているが、それ以外に何も着ていない。一糸纏わぬその身体は、名のある職人達が手を合わせて丹念に磨き上げた美術品のように美しく整っていて、並みの男性ならば一目で
だが、その裸身からは異様なまでの邪悪な雰囲気が流れ出ており、奇しくもそれがその
「あいつが、アドミニストレータか」
アリスが答える。
「えぇ、そうです。最高司祭アドミニストレータ
アリスは明確な敵意を持ってアドミニストレータを
(……!)
キリトはアドミニストレータの姿を改めて確認し、目を見開いた。彼女の美しき裸体に目を引かれてしまうのが普通だろうが、キリトが見たのはそこではなく、その瞳と髪だった。
紫がかった銀色の長髪と、本紫色の瞳。その特徴は、自分の相棒であり家族であるリランの一番目の妹――《MHHP》の三号で、イリスの娘の一人であるクィネラのそれとほぼ一致していた。身体つきも顔つきも、あの小さかったクィネラがニ十歳手前まで成長した姿だと言われると納得できるものとなっている。
間違いなく、あれはクィネラだ。キリトからの視線に気付いたのか、クィネラは口を開いた。よく見れば唇も美しい薄桃色だ。
「あらあら……この部屋にこんなに沢山の来客があったのは、初めてよ」
まるで女神のそれのように美しいと感じられる声色だった。しかしそれもよく聞けば、自分達の知るクィネラが成長した際になるであろうものだとわかるようなものだった。
「ベルクーリとファナティオはそろそろリセットする頃合いだったけれど、アリスちゃんはまだ六年くらいしか使ってなかったわよね。論理回路にエラーが起きている様子もなさそうだし……やっぱり、そこのイレギュラーユニットの影響なのかしらね。これは面白いわ……」
まるでこちらの事など気にかけていないかのようにクィネラは言葉を並べている。その中に混ざっている英語――この世界における神聖語――の数々が、彼女がこの世界の純粋な住民ではない事を
やがてクィネラはアリスに向き直る。
「ねぇアリスちゃん。あなた、私に何か言いたい事があるのよね? 怒らないから、今言ってごらんなさいな」
アリスは何も言わず、金木犀の剣の先端をクィネラに向けた。クィネラへの強い敵意が現れている。
「最高司祭様。栄えある我ら整合騎士団は本日を
「ふぅーん……やっぱり論理回路のエラーではなさそうね。それに《
クィネラの視線はアリスからキリト達へ向けられた。
「アリスちゃんをそうさせたのは、きっとあなた達でしょうね。そんな事ができるんだから、あなた達は《こちら側》の者ではない。《あちら側》から来たのでしょう、旅人さん?」
キリトは深く
「そうだよ。久しぶりだな、クィネラ。見違えるくらいに大きくなったもんだよ」
クィネラは首を
「忘れたのか。俺達だよ。キリト、シノン。そしてお前のおねえさんであるリランだ。短期間ではあったけれども、《ALO》で一緒に暮らしてたじゃないか。《MHHP》は記憶力がずば抜けているから、俺達を忘れているはずがない。そうだろう?」
これだけ言えば、きっと思い出してくれるはずだ。だがしかし、クィネラは目を細めた。
「うーんと? あなた達の中ではそういう事になっているのかしらね。でもお生憎様、私の記憶の中にあなた達の事なんて存在してないの。私に生き別れた姉がいるなんて言う設定を作って、私を混乱させようとしているのかしら?
思わず「なっ」と言って目を見開いてしまう。クィネラはこちらの事を憶えていないというのだろうか。こちらは今でも、クィネラに「キリトにいさま」と呼ばれていた時の事を思い出せるというのに。
直後、リランがキリトと交代する。
《クィネラ、我の顔を忘れたとは言わさぬぞ。お前の姉であるマーテルだ。お前は我らと同じ《
「《
クィネラは涼しい顔のままだ。実の姉が目の前にいるというのに、まるで他人事のようにしか言わない。完全にこちらに関する記憶がないようにしか思えない。間もなくしてシノンが声をかけてくる。
「キリト、これじゃあまるで……」
「あぁ……リエーブルの時みたいだ」
《GGO》に実装されたリランの妹であり、イリスの娘の一人であったリエーブルも、出会った当初は自分の家族の事を何一つ理解する事ができないでいた。《GGO》スタッフの一人であったパイソンによって良からぬ改造を受けてしまったがために。
そのリエーブルと、今のクィネラの様子は確かに似ていた。だが、リエーブルは記憶がない状態で改造されたからあぁなったのであって、クィネラには自分達との記憶が消去されないまま残っているはずである。
イリスが産んだAI達である《
一応、初期化する事は可能であるらしいのだが、それができるのはイリスだけであり、そしてイリスは自分の子供達を初期化するような事は絶対にしない主義である。対象が最初に産んだ子供の三人目であるならば尚更だ。
では、クィネラには何が起きてしまったのだろうか。こちらの事など気にも留めず、クィネラは溜息を吐き、言葉をかけてきた。
「それで? そんなものまで持っている坊や達は、何をしに私の世界へと転がり込んできたっていうのかしら。何の管理権限の一つも持たずに」
「さぁな。気付いたら俺達三人はこの世界に来ていたんだ。二年ぐらい暮らしてから、このカセドラルに来る事になって、そしてお前がこの世界の管理者をやっているっていう事を知った」
「なるほどね。あのちびっ子が色々と吹き込んだわけか」
ちびっ子というのはカーディナルの事だろう。クィネラにとっては忌むべき天敵である。そのクィネラが作ったであろう世界の今後についてキリトは話す。
「クィネラ。今あるこの世界は、近い将来滅ぶぞ。俺達じゃなくて、お前のせいで」
クィネラは鼻で笑った。
「私のせいで? 私の可愛い人形達を散々痛めつけた坊や達のせいじゃなくて、私のせいで滅ぶの」
「あぁそうだ。何故ならお前は自分に絶対の忠誠を誓う整合騎士団を作ったうえ、それさえ信じ切れず、
クィネラの瞳に揺らぎが生じた。何故だかその左腕がぴくぴくと動いている。
「だから、何?」
「人界の人々全部を機械人間に改造して配備すれば、確かにダークテリトリーの軍勢を殲滅する事もできるだろうさ。だけど、そうなれば残るのはお前以外誰もいなくなった空っぽの世界だ。そんな世界のあり様を見た《あちら側》の連中はこう思うだろう。今回は失敗だった。また最初からやり直そうってな。それで機械人間にされた人々も、何もかもが全部消える。これが今のお前の統治する世界の結末だ。お前の選択によって起こる未来の形だよ」
クィネラの表情が少しだけ険しくなった。図星を突かれて嫌な気持ちになっているらしい。キリトは続ける。
「俺達の知っているクィネラなら、そんな事になるような選択はしなかった。お前と一緒にいたのは短い間だったが、それでもお前の事はわかった。お前はイリスさんの子供達の例に漏れず優しく、小さくても
そんなお前が、どうしてこんな世界を作った? こんなふうに人々を苦しめるような、アリスや他の整合騎士達みたいな犠牲者を出す仕組みを作ったっていうんだよ」
今のクィネラのやっている事は、自分の知るクィネラと何もかもが異なり過ぎている。クィネラに何があったせいで、こんな悲劇の世界が出来上がってしまったというのか。キリトにとっての一番の疑問はそれになっていた。
その疑問の矛先にいるクィネラは、答えた。
「……愉快じゃないわね。私の事を知っているようにべらべらと喋ってくるうえ、この世界がどういうふうになっているかを言い当ててくる人が目の前にいるっていうのは。まぁ、それもちびっ子が仕向けた事でしょうけど。
でも、そうはならないわ。例え世界がリセットされようとも、消されようとも、
例え世界が滅ぼうが支配者として君臨し続けられる――その部分が強く引っ掛かった。尋ねようとしたが、クィネラは言葉を続ける事で遮った。
「私の存在証明は、ただ支配する事にのみある。その欲求だけが私を突き動かし、私を生かすの。この足は踏みしだくためにあるのであって、決して膝を屈するためではない!」
クィネラの宣言にアリスが反論する。強い怒りが彼女を動かしていた。
「ならば、あなたは機械人間に全てを
クィネラは深呼吸をした。落ち着きを取り戻し、言い放つ。
「……私はね、このアンダーワールドをリセットさせる気は勿論、《最終負荷実験》を起こさせるつもりだってないのよ。《最終負荷実験》が起きる前にダークテリトリーを滅ぼせば、《最終負荷実験》は起こらなくなる。そうなれば、このアンダーワールドは保たれるわ。そのための術式はもうとっくに完成しているのよ」
「……それは?」
ユージオの問いかけにクィネラはふふっと笑った。
「本当の事を言うとね、騎士団も機械兵達も繋ぎでしかないのよ。真に私が求める武力には記憶や感情はおろか、何かを考える力も、肉体さえも必要ないの。ただひたすらに目の前の敵を
さぁ、目覚めなさい。私の忠実なる
クィネラはがっと右腕を振り上げ、宣言するように叫んだ。
「リリース・リコレクション!!」
それは武装完全支配術の神髄であった。武器の持つ記憶の全てを解放し、如何なる神聖術をも超える力を引き出す秘術だった。そんなものを何も着ていない彼女が唱えてどうするというのだ――という疑問は、キリトには浮かばなかった。
この広大な部屋を取り囲む何本もの柱に備え付けてあった大きさも形も様々な剣が黄金の光に包み込まれ、見えない
模造剣を含んだ三十本の刃達はクィネラの上空へ誘われるように飛んでいき、クィネラの真上付近で一旦静止。かと思えばぐるぐると円を描いて飛び交い始めた。少なくとも良からぬ事が起きようとしているという事だけはわかり、キリトは胸元に手を添えた。直後、驚いた顔のシノンが声を発する。
「な、何が起きようとしてるのよ!?」
「わからない。だが、絶対に気を抜くな!」
そう答えてキリトは舞い飛ぶ剣の数々の軌道を見ていた。クィネラが使おうとしているのは、他のファンタジー系ゲーム世界における召喚術だ。あの剣達を
武装完全支配術を使って召喚をするというのは、この世界の理の中ではちぐはぐだが、何でもできるという今のクィネラならばできないものではない。だが、何を呼び出そうとしているというのか。
思考を巡らすキリトの眼前で、変化が起き始めた。別な世界への入口をこじ開けるかと思われた三十本の剣達は、あろう事か合体を始めた。ある剣は脚を作り、またある剣は背骨と肋骨を作る。そうして両腕が、両手が、そして頭部が作り上げられたところで、剣達の動きは止まった。
その光景にキリトは絶句しかかっていた。クィネラの術によって作り出されたものは、全身が巨大な剣で構成された、四本足の巨人だった。いや、巨人と言っても人間とは似ても似つかない形をしている。いずれにしても異形であるとしか言いようがない。
そんな剣の巨人に向けてクィネラが手を差し伸べると、その右手に持たされていた紫色の結晶が浮かび、剣の巨人の中央付近へと吸い込まれていった。そこは人間における心臓に該当する部位であり、そこに紫色の光を宿した剣の巨人は、同じ光を両目に宿し、床に着地した。
どしぃんという轟音と耳障りな金属音が鳴り、耳を塞ぎたくなったが、何とか耐えきって、キリトは降り立ってきた剣の巨人を目に入れ続けた。
そこで改めてわかったが、剣の巨人の全長は五メートルから八メートル前後に到達しており、リランと冬追は見下ろされていた。質量自体は後者達の方が上のように見えるが、剣の巨人も見劣りしていない。
「なんていう……同時に複数の、しかも三十もの武器に対してこれほど大がかりな完全支配術を使うなど、術の理に反しています……」
アリスが震えた声で言った。整合騎士も元老も、これほどの術を使う事はできないのだろうし、それができた者も確認された事がなかったのだろう。それだけクィネラの力はずば抜けている。流石はこの世界の独裁者と言ったところか。
その支配者である《MHHP》三号機は余裕に満ちた笑い声を放ってきた。
「ふふっ、ふはははははは! これこそが私の求めた力。永遠に戦い続ける純粋な攻撃力! 名前は、そうね……《ソードゴーレム》とでもしておきましょうか」
「剣の自動人形か……この世界らしくない名前を付けやがって」
キリトは独り言ちて胸に手を当て続けた。身体の奥から燃えるような熱さが込み上げてくる。準備はできているようだ。そしてクィネラが右手をぶんと振り、手先をこちらに向けてきた。
「さぁ、行きなさいソードゴーレム。お前の敵を……反逆の騎士アリスとユージオを殲滅するのよ!」
クィネラの指示を受けたソードゴーレムは奇妙な音を発した。咆吼しているのだ。間もなく、どしん、どしんと音を立ててこちらに向かって歩き出す。人に似ても似つかぬ形に合体させられた剣の塊からは明確な敵意が感じられた。交戦は避けられそうにない。
だが、このまま行けば、いずれクィネラと戦う羽目になってしまうだろう。あそこにいるクィネラは間違いなく、自分達の知るクィネラのはずだ。彼女と戦う事など、あってはならない。
だからこそキリトは、もう一度呼びかける。
「クィネラ、俺達がわからないのか!? 思い出してくれ!」
果たしてクィネラは、鼻で笑ってきた。
「そんな事言ってる場合かしら? ソードゴーレムに斬られてしまうわよ」
クィネラが冷たく言い放つと、ソードゴーレムは右手に該当する剣を振り上げてきた。一秒も経たないうちに振り下ろしが放たれ、巨大な剣が迫り来る。キリトは咄嗟に後方へダイブする事で回避したが、それまで居た空間が切り裂かれ、床が
やはり、戦うしかないらしい。キリトは歯を食い縛り、黒き剣を抜き払った。その直後、聞き慣れない獣の声がして驚かされる。振り向いてみれば、そこにいたのはユージオの隣に並ぶ冬追だった。
そういえば、こいつは何なのだろうか。整合騎士となったユージオと共に現れ、彼の洗脳が解かれた後も彼の近くに居続けている。試しにキリトはユージオに問うてみた。
「ユージオ、そいつもやる気なのか」
ユージオは頷いた。
「あぁ、冬追は僕達の味方みたいだよ!」
冬追はユージオに答えるように咆吼した。それを皮切りにして、冬追はソードゴーレムへとブレスを放つ。もう戦う以外の選択肢は存在しない。
戦って、ソードゴーレムを打ち倒し、そしてクィネラを止める。
「心強いな。いくぞ、皆!」
――原作との相違点――
①アドミニストレータが脱いでいる。ゲーム版ではCEROの関係で脱がない。
②チュデルキン戦がない。
③冬追という存在がいる。