キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 地味に新キャラ登場。


08:貴族の悪鬼 ―《敵》との戦い―

 

          □□□

 

 

 突き破られた部屋から外へ出ると、強い雨が身体を濡らしてきた。ライオスの異変によって気が付かないでいたが、央都セントリア一帯の天気は雨であったらしい。雨は闇を濃くし、街の明かりの妨げになっていた。そのせいで、出てすぐに異変を起こしたライオスを見つける事はできなかった。

 

 だが、そこまで遠くまで逃げている可能性は低いだろう。もし街にまで行っているのであれば警報の鐘が鳴っているはずだが、それは聞こえてこないので、そこまで行っているわけでもなさそうだ。ひとまずはこの学院内だけに留まってくれている。そんな事を考えながら、キリトは雨の中を走った。

 

 

「三人とも、答えろ。ライオスに何があったって言うんだ。アレが学院内の練士や修剣士達を襲おうとしているっていうのは一体?」

 

 

 メディナが走りながら問いかけてきた。彼女はライオスがあんな事になる光景を、彼の者が直前まで何をしていたのか知らないのだ。その問いは必然であった。

 

 だが、それに答えるより先に、キリトは気が付いた事があった。メディナに随伴するようにして、人影が一つ付いてきている。暗闇のせいで気が付かなかったが、それはどうやらウンベールの部屋を飛び出した時から付いてきていたらしかった。

 

 

「ええっ。それってどういう事なんすか。仮にも次席を取ってるはずのライオス上級修剣士殿が、他の練士と修剣士を襲ってるって、何がどうなったんすか!?」

 

 

 人影から声がした。少年から青年へなりかけている最中の若々しい男の声色で、何だか軽い口調。自分達より確実に年下だとわかる。恐らくはロニエとティーゼと同じ初等練士であろう。そんな事を考えながら改めて振り向いたその時に、キリトはその正体を確認できた。

 

 灰色の初等練士の制服を着た少年だ。自分と同じくらいの背丈で、長さが自分達と同じくらいの赤茶色の髪をしていて、飴色(あめいろ)の瞳をしている。顔つきからして、いつも気合が入りまくっていて、活発に過ごしているのだろう。そんな感じで比較的特徴の強い少年が、メディナに随伴していた。勿論、そのような人物をキリトは知らないので、こう尋ねる(ほか)なかった。

 

 

「お前、誰だ?」

 

 

 赤茶色の見習い剣士は「あっ」と言って、何かに気付いたような顔になる。自己紹介もせずに話しかけてしまったというのを失敗だと思ったのだろう。彼が名乗ろうとしたその時、先に声を出したのはメディナだった。

 

 

「こいつはグラジオ。私の《傍付き練士》になった奴だ」

 

 

 これは意外だ――キリトはそう思った。てっきりメディナは上級修剣士になっても《傍付き練士》を選ばないとばかり思っていたが、実際の彼女は《傍付き練士》を付ける事を選んでいたのだ。何でも一人でこなそうとしてしまう彼女からすると、グラジオなる《傍付き練士》の存在は本当に意外に思えるものだった。

 

 先輩から言われた《傍付き練士》グラジオは走りながら応じる。

 

 

「あっ、はい。メディナ先輩の《傍付き練士》に任命されたグラジオ・ロレンディアです。先輩方、よろしくお願いいたします!」

 

 

 グラジオ・ロレンディア。姓名があるという事は、この少年も貴族かそれに近しい家の出身であるようだ。貴族であるならばライオスやウンベールと同じような階級の家にいる可能性もあるわけだが、彼の者達のような腐敗しているような雰囲気は一切ない。

 

 メディナに嫌がらせをする貴族出身の者達があまりにも多かったものだから、貴族は基本的に腐敗しているのではないかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。ごく少数なのだろうが、まともな精神を持っている貴族もいるようだ。キリトはメディナの選択を讃えたい気持ちになっていた。

 

 だが、今はそんな事をしている場合ではない。腐敗貴族ライオスが化け物のようになって、学院を襲おうとしているかもしれないのだから。まずは彼の者を見つけ出さなければならない。考えを瞬時にまとめたキリトはグラジオに答える。

 

 

「メディナの友達のキリトだ。一緒に居るのは――」

 

「シノン先輩と、ユージオ先輩ですよね! 三人のお話はメディナ先輩からよく聞いてましたんで、存じ上げております!」

 

 

 グラジオの返事にキリトは目を丸くした。メディナは自分達の事をグラジオに話していたというのか。友達と言われて気を悪くしているように見えたのがメディナだったが、そうではなかったのか。キリトは思わずメディナに振り返ったが、果たして彼女は苛立ったような顔をしていた。

 

 

「おい、こっちに振り返るな。前を見ろ」

 

 

 メディナにユージオが答えようとする。

 

 

「いや、だって、まさかメディナが僕達の事をグラジオに話してるとは思ってもみなくて――」

 

 

 ユージオが言いかけたその時、グラジオが急に驚いたような声を上げた。

 

 

「って、ええ!? 何ですか、あれ!?」

 

 

 その声が導きとなり、キリトの目線は前方へ向けられた。グラジオを驚かせた犯人の姿がそこにあった。赤黒い光の粒子を周囲にばら撒きながら、地面から一メートルほど離れたところを浮かんでいる、粒子と同じ色をした光でできた禍々しい卵だ。つい先程ライオスが変じたものであり、ウンベールを呑み込んで外に出てしまったモノ。割と近くにそれはまだ居たようだった。

 

 

「アレがライオスよ。あいつ、突然あんなふうになったの」

 

 

 立ち止まったシノンが弓に矢を(つが)えて構える。その目は先程ライオスを撃った時のそれに戻っていた。ルコをあんなにも傷付けて苦しめた醜悪なるライオスへの正しき怒りが燃えているのだ。

 

 その気持ちはキリトの中にも残っており、禍々しい光の卵を見た途端、それが胸の内から一気に全身へ広がってきた。今自分の目を見る事ができれば、ライオスを斬ってルコを助けた時の目になっているだろう。

 

 

「ライオスッ!!」

 

 

 聞こえるのかどうかもわからないが、怒りを載せてキリトは呼びかけた。ライオス、ルコを駆除すると言って苦しめたお前の駆除はまだ終わっていないぞ。そう思いながら剣を構え直したその時、光の卵が動き出した。

 

 まるで見えない手にこねられている粘土のように形を変えていき、やがて腕らしきもの、足らしきもの、頭部らしきものが出来上がっていく。そして変形が止まったそこで赤黒い光が弾けて消え、卵だったモノが居た空間に新たな異形が姿を現した。

 

 

「な、な……!?」

 

 

 メディナとグラジオは絶句しかかっていた。それだけ、現れた異形の姿は衝撃的なモノだと言えた。異形は、古風なヨーロッパ貴族の服装を模した外皮に身を包んでいるが、一部が人工物のような質感の黒い甲殻になっている。

 

 腕と脚は人間のそれであるが、血色など微塵もないような不気味な白色になっており、しかもそれぞれ六本ずつ生えており、合わせるようにして胴体も長い。まるで人間の意匠を持った蟲のようだ。

 

 それでも頭部は人間と同じ位置にあり、そこには顔もあったが、行き過ぎた選民思想の末に虚無へ至ったかのような表情が浮かんだまま変化する気配がなくなっている。いずれにしても異形であり、化け物と呼ぶほかないナニカが、禍々しい卵から生まれてきた存在だった。

 

 

「何なんだ、あの化け物……!?」

 

 

 ユージオは率直に感想を述べる。呼びかけておいてなんだが、その意見にキリトは全く同意見だった。アレがライオスだというのだろうか。もし自分達があの変異の瞬間を見ておらず、他人に「アレがライオス・アンティノスである」という説明を受けたならば、まず信じようとはしなかっただろう。それくらいにまで、ライオスの現在の姿は原形を失ったモノとなっていた。

 

 西洋ファンタジーの世界であるものの、ある程度現実世界と変わりがないように作られているかと思いきや、現実世界とは全く異なる現象が存在している。人が怪物になるという怪奇現象――この二年間生きてきた中で、新たに見る事になった出来事がそれだった。

 

 そんな現象を目にしたシノンは動揺したような声を出す。

 

 

「待って、ライオスがあれになったっていう事? いいえ、あれがライオスの本性って言うか、本当の姿だったっていうの……!?」

 

《あいつが人の皮を被り、擬態していた怪物だったのか。それとも我らの知らぬ力が働いて怪物になり果てたのか。気になるところだが、そんな事はどうでもよい》

 

 

 本来の姿である巨大な狼竜の姿を取り戻したリランの《声》にキリトは頷く。ライオスが化け物であったのか、それともライオスが化け物になったのかは定かではないが、あの怪物は尋常ではない敵意と殺意をこちらに向けてきている。交戦を避ける事はできそうにないだろう。

 

 いや、そもそも交戦しないなどという選択肢は存在しなかった。ライオスは無垢な子供であるルコをあそこまで苦しめた悪鬼に近しいモノ。許しておく事などできやしない。あいつが人間に擬態していた怪物だったか、人間から怪物になったかどうかなど、どうでもいい話だ。あいつを今ここで倒す。

 

 キリトの気持ちが通じたのか、怪物は上半身を持ち上げて咆吼した。くぁーんという甲高く、不気味な声だ。凡そ人間が出すものとは思えず、ライオスの声色とも異なっているそれである。

 

 その事についての疑問を抱くより先に、怪物は六本の脚に力を込めて、飛び掛かって来た。虚無に呑み込まれた後のような醜悪な顔がすごい勢いで迫ってくる。

 

 

「来たぞ!」

 

 

 キリトは皆に声を掛けつつ、右方向にダイブして怪物の突進を回避した。咄嗟(とっさ)に振り返れば、五人もそれぞれ違った方向に回避行動を取っていた。怪物の突進は空振りに終わったが、その時怪物は六本の腕を勢いよく何度も振り下ろし、地面を殴打していた。空振りしているというのに、何度も地面を殴り付け、地表を(えぐ)らんとしている。

 

 突進が当たっていたならば、続けてあの連続殴打攻撃を受ける羽目になっていただろう。思わず背筋が凍りそうになったが、キリトは首を横に振って振り払う。

 

 

「そっちには何もいないぞ! 殴り付けるのがそんなに好きか!」

 

 

 メディナが挑発するように言い放ち、怪物に接敵して剣を振るう。よく見れば彼女の持っている剣は片刃の長剣だった。どちらかと言えば刀に近しい性質を持っていると言えるかもしれない。

 

 そして彼女自身も、《SAO》や《ALO》、《SA:O(オリジン)》で刀を使った際の構えにとても良く似たそれを取っている。どうやらあれは刀であり――メディナは単語こそ知らないのだろうが、刀を使う剣士であったようだ。

 

 その刀として扱われているであろう長剣の刃は、怪物の右脚のうちの一本を斬り裂いた。怪物は動じていない。脚を斬った程度では大したダメージには繋がらないくらいに丈夫なのだろうか。或いは痛みを感じない異常な存在であるのか。どちらの可能性もありそうで判断に困る。

 

 直後、怪物はぐあっと振り返り、メディナに身体を向けた。また甲高い声を上げて四本の腕を振りかぶる。振り下ろされる前にメディナはそこからステップして離脱し、怪物の六本の腕は空を裂いて地面へ振り下ろされる。メディナのいた空間の地表が(めく)れ上がって、(つぶて)となった地表の破片が飛び散った。あの怪物は相当強い腕力を持っているようだ。まともに喰らったら本当に一溜りもないかもしれない。

 

 

「メディナ先輩に手を出すな、化け物め!!」

 

 

 メディナと入れ替わるように、今度はグラジオが接敵して怪物の横方向に回り込み、斬りかかる。グラジオが使っているのはティーゼやロニエが使っているような片手直剣ではなく、ソルティリーナが在学中に使っていたような両手剣だった。先程までは雨と闇に隠れていてわからなかったが、彼の背中にはあの大きな剣がずっと負われていたらしい。

 

 この世界では剣の重さというのは何の補正もなしに直に来るようになっているため、力が強くなければ両手剣なんてものを使う事はできない。グラジオはユージオや自分と同じくらいの体型をしているが、その力の強さは両手剣を扱えるほどであったようだ。メディナは中々に良い人を《傍付き練士》に選んだと言えるだろう。

 

 そのグラジオの両手剣による一撃が炸裂しようとしたその時、驚くべき出来事が起きた。怪物が突然姿を消したのだ。そして一秒も経たないうちに、グラジオの右前方向に姿を現わした。

 

 その光景に皆で言葉を失った。今、怪物は瞬間移動をした。いや、厳密に言えば瞬間移動ではないのだろうが、目に見えないほどの速度で動き、グラジオの攻撃を回避してみせた。その速度のまま、怪物は右手で振り払う直前の態勢を取る。グラジオを薙ぎ払うつもりだ。

 

 

「グラジオ、避けて! 駄目そうなら防ぐんだ!」

 

 

 ユージオの咄嗟の声にグラジオは反応し、これもまた咄嗟に両手剣を盾代わりにして防御態勢に入った。そこへ高速で振られた怪物の三本の腕が襲い掛かる。どぉんという重々しい音が鳴ったかと思えば、グラジオは後方へ吹っ飛ばされていた。空中で体勢を立て直す事はかなわず、地面に激突して転がる。

 

 その光景は怪物の力強さがどれ程なのか、どれ程恐ろしいものなのかを物語っていた。とんでもない異形を相手にしてしまっているらしい。ライオスを止めようと思って追ってきてみたら、最悪の怪物が待ち構えていたという事のようだ。

 

 

「グラジオッ!」

 

 

 メディナが《傍付き練士》に呼びかけるが、それが引き金になったように怪物の顔の向いている場所が変わった。怪物はメディナを狙っている。しかし怪物とメディナには結構な距離があった。

 

 あれが瞬間移動に近しい移動方法を持っているというのであれば、次にやりそうな事は恐らく、メディナへの急な接敵であろう――キリトの予想は次の瞬間に当たった。怪物の足元が突然紫色に光ったかと思うと、地面に大きな穴が開き、怪物はその中に潜るようにして消えた。

 

 

「また消えた!?」

 

 

 メディナが驚いて声を上げる。彼女が今何歳なのかは定かではないが、恐らく彼女が相手にしてきた獣の中に、こんな能力を持った存在はいなかっただろう。驚いて当然だ。現にキリトも今日こいつを目にするまで、瞬間移動や潜行能力を持った怪物などに出くわした事などなかった。

 

 だが、同時にわかっている事もある。あの怪物は人間のような知能を持っているわけではないという事だ。あの怪物は初撃を当てるのに失敗していたというのに、そのまま何もいない空間に必死になって殴り掛かっていた。人間張りの知能があれば、初撃を外した時点で攻撃をやめているはずだ。

 

 そういう事ができていないという事は、あれは獣ぐらいの知能しかないという事になるだろう。ライオスの時と比べて知能が下がっているのであれば、それは僥倖(ぎょうこう)と言える。

 

 ならば、次にあいつが取りそうな行動と言えば――キリトは咄嗟に次の瞬間を想像し、それが起こりうる場所へ目を向ける。同時にリランへ指示を下した。

 

 

「リラン、俺と同じ方向を向いてくれ!」

 

《何か思い付いたようだな》

 

「あぁ。俺の予想が正しければ、あいつは……」

 

 

 素早く振り向き、リランが自分と同じ方向を見ているのを認めてから、キリトはもう一度前へ向き直る。あいつの知能の薄さからすれば、きっとあいつは――メディナの背後に現れようとするはずだ。メディナの声を聞いた事によって、彼女に狙いを向けているのだから。

 

 あいつが地面から出てきたところに奇襲を仕掛けてやる。リランの火炎ブレスという一番凶悪なのをぶつけてやるのだ。

 

 ――それは本当にそうか?

 

 どこからともなく小さな声がしたような気がしたが、キリトにそれを聞き留めている余裕などなかった。怪物の動きを予想する事に、そして怪物に一撃喰らわせる事に夢中になっていた。

 

 どうした事か、待てども怪物はメディナの背後に現れなかった。地面にあの紫色の穴を開けて出てくるかと思っていたのに、そうならずにいる。地面に潜ったまま出てこないとは、一体どういうつもりなのか。目を細めてもう一度メディナの背後を見ようとしたその時だった。

 

 

「きゃあああッ!?」

 

 

 急に背後から声がして、キリトは驚いた。今の声はシノンのものだった。その悲鳴を耳にした瞬間に寒気がして、キリトはできる限りの速度を出して振り向く。

 

 瞬時に抱いた嫌な予感は的中していた。怪物は後衛にいたシノンの背後に姿を現し、六本のうち四本の腕でシノンを捕えていた。シノンは両手両足を無理矢理広げられた大の字の形にされて拘束されている。

 

 

「シノン!?」

 

 

 キリトが声を上げると、メディナとユージオとグラジオが驚くように振り向いてきた。誰もシノンが狙われているとは思っていなかったのだ。拘束されたシノンの姿を見せられたキリトは茫然(ぼうぜん)としそうになる。

 

 メディナに狙いを付けていると見せかけて、あいつはシノンを狙っていた。あの怪物の知能は獣並みに見せかけて、それより上だったのだ。こんな状況で相手の事を見くびってしまうだなんて。おかげでシノンが危機に晒された。――随分と甘い予想をしてしまったな?

 

 

「シノンッ!!」

 

《このッ!》

 

 

 キリトはシノンへ、怪物へ駆け出そうとした。リランも一緒になって走り出すが、すぐさま立ち止まらされた。怪物がシノンの身体をぐいっと前に出してきたのだ。それはシノンを盾にしながら、人質にしているという事だった。

 

 こいつの命が惜しければ動くな。怪物は言葉を出す事なく、そう伝えてきていた。直後にキリトは怪物の考えた事がわかったような気がした。

 

 あの怪物ほどの大きさを持つ存在ならば、リランの火炎弾ブレスが高い効果を示してくれる。しかしリランの火炎弾ブレスは着弾時に大爆発する性質があるので、今の状態で撃てば確実にシノンも巻き込む。

 

 ならば格闘戦に持ち込むしかないが、リランの体躯ではやはりシノンを巻き込んでしまう。つまりどうやってもリランに攻撃させればシノンは巻き込まれ、被害を受ける。あの怪物はシノンを盾にすればリランから身を守れると判断したのだ。メディナからよく聞いている――気がする――むかつく思考と行動を怪物に取られていた。

 

 

「シノン……!」

 

 

 キリトは歯を食い縛りながら呼びかけた。怪物の多腕によって大の字(はりつけ)状態にされているシノンは、苦しみで歪んだ表情をしていた。怪物の腕はかなりの力でシノンの腕と足を掴んでいるのだ。

 

 

「キ……リト……」

 

 

 そうは言っていないものの、シノンは助けを求めていた。

 

 しかし、キリトは動く事ができなかった。虚無に染まり切ったような顔をしているせいで何を考えているのかさっぱりわからない怪物だが、こちらが動くような事があれば、シノンに確実に危害を加えるだろう。そのつもりだから、怪物はわざとシノンを見せつけるようにしている。――助けてって言ってるのに無視するのか?

 

 

「シノン…………」

 

 

 ユージオもメディナも、立ち上がったグラジオも動けなくなっていた。シノンが人質にされているというのがわかったのだろう。立ち向かって来る者全員の動きを麻痺させた事により、怪物は得意げになっているようだった。

 

 

「ひッ……!?」

 

 

 やがて怪物の腕の内の二本がシノンの身体へ伸ばされた。血の気がなくて不気味な白をしている右腕と――その時気が付いたが、黒い装甲と赤い半液で構成されている左腕が、シノンの身体を()(まわ)す。

 

 

「いや、いやあ……ッ」

 

 

 シノンは首を横に何度も振り、身体を(よじ)って怪物の腕から逃れようとしているが、他の腕に四肢を掴まれているせいで何もできない。怪物はやはり得意げになってシノンの身体を(まさぐ)る。ロニエとティーゼの時と同じだ。彼女らに最悪の(はずかし)めを与えようとしていた時と同様に、シノンを辱めようとしている。

 

 

「やだ、やだっ、いやっ、いやああああッ」

 

 

 何度も首を横に振っているうち、シノンの瞳から涙が飛び散った。彼女は尋常ではない恐怖に襲われている。

 

 そうだ。前にもこんな事があった。アインクラッド百層でハンニバルの手先だったアルベリヒ/須郷(すごう)伸之(のぶゆき)に囚われた時、彼女はあんなふうに多数の腕によって辱められ、犯されていた。あの怪物はその時の再現だ。多数の腕で彼女を辱め、最終的には犯すつもりでいるのだ。――ほら、やられるぞ?

 

 あの時の光景がまた起きている――それがキリトの胸のうちに高熱を作り出した。全てを焼き尽くして溶かすような炎の如き怒りだった。あの怪物を、怪物になっても尚、誰かを辱めて犯そうとしているライオスへの怒りだ。だが、それをぶつける事は叶いそうにない。キリトの胸の内で燃えるしかなかった。

 

 

「ティーゼとロニエとルコをやって……まだ足りないのかあッ!!」

 

 

 キリトと同じ怒りを爆発させてしまったユージオが、怪物に向かって走り出した。彼はライオスとウンベールがティーゼとロニエを犯そうとしているところを見ていたのだろう。ライオスが怪物になってもそれを続けているというのに我慢ならなくなったに違いない。だが、それは最悪の選択だった。

 

 

「あ、うッ……!?」

 

 

 ユージオが動いたのを見逃さなかった怪物は、シノンから手を離した。かと思いきや、悍ましい速度を出してシノンの右腕を更に掴む。そしてそのまま力をかけ、シノンの右腕を曲げてはならない方向へ曲げた。

 

 

 ごきり。

 

 

 嫌な音が鳴った時、シノンの右腕は本来ならば曲がらない方向へ曲がっていた。シノンは一瞬何が起きたかわからないような顔をしていたが、間もなくかっと目を開き、布を引き裂いたような悲鳴を上げた。

 

 

「いやあああああああああああああああぁぁぁぁぁあぁぁああああああああッ」

 

 

 雨も闇も貫くようなシノンの絶叫が響き渡った。怪物はライオスだった。ルコの両耳を斬り裂くという蛮行に出て最悪の苦痛を与え、最悪の悲鳴を上げさせた次は、シノンを同じように苦しめて悲鳴を上げさせた。虚無に浸ったような顔で、(わら)っていた。勿論それは、キリトをだった。ルコを、シノンを苦しめ、ライオスは嗤っている。惨めに動けないでいて、奪われるキリトを。

 

 キリトは腕を折られたシノンを見つめていた。ぐったりとしていて、身体のあちこちから命が流れ出ていっている。最早彼女以外の姿が見えなかった。雨も闇も、怪物の姿も見えない。何の音も聞こえてこない。

 

 胸の内が熱い。先程から感じる、この熱さは、怒りの炎だ。いや、怒りではないのかもしれない。怒っているはずなのに、頭の中にそんな感覚はない。異様なまでに静かだった。

 

 ――おい、いつまでそんな事をしているつもりだ?

 

 先程から時折聞こえてきている声が再びした。その時ようやく、それが自分自身の声と何ら変わらない声色であるという事に、自らと彼女までの間の空間に純白の粒子のような光が舞っている事にキリトは気が付いた。その声は問いかけてくる。

 

 ――あの少女は誰だったか?

 

 あの少女はシノン。朝田(あさだ)詩乃(しの)。俺の大切な人だ。

 

 ――今、あの少女は奪われようとしているぞ。奪おうとしているあいつは何だ?

 

 怪物だ。許されざる大罪人だ。俺の大切な人に手を出した大罪の怪物だ。

 

 ――誰があいつを大罪人と決めつけた?

 

 俺だ。俺があいつを大罪人と決めつけた。あいつを許しておけないんだ。

 

 ――なら、あいつに裁きを下すの誰だ?

 

 俺だ。俺があいつに裁きを下してやるんだ。

 

 ――裁きを下して、どうするんだ? 下した後に、何をしたいんだ?

 

 詩乃を、守るんだ。あの怪物に裁きを下して、詩乃を守るんだ。

 

 ――あいつを殺せば、お前が大罪人だ。

 

 それがどうした。詩乃を奪われるよりずっとマシだ。

 

 ――詩乃を守る代わりにあの怪物を殺す。それが願いか。

 

 あぁそうだ。それの何が悪い。

 

 ――じゃあ、やってやろうじゃないか。

 

 あぁ、やってやるよ。

 

 ――お前の胸に、願いを叶えられるものがあるぞ。

 

 

 キリトは両目を強く見開き、胸に手を当てた。何かがある。棒状の燃え盛るモノが胸から突き出ていた。それをキリトは強く握り締める。感覚は――剣の柄を握っている時のそれと酷似していた。いつの間にか胸に剣が刺さっていたかのようだ。

 

 

「う……おおおおおおおあああああッ!!」

 

 

 その剣を、キリトは胸から引き抜いた。

 

 次の瞬間、辺りが燃え上がった。周囲の草が、芝生がごうごうと燃えている。燃やしているのは赤い炎ではなく、純白の炎だった。雨が降っているというのに、消える気配がない。寧ろ降ってくる雨を蒸発させていた。

 

 その炎を生み出したのが、キリトの左手に納まった一本の剣だった。美麗な装飾は一切なく、本当に質素な外観の長剣。しかし一般的な長剣にある(つば)に当たる部分が刀身と一体化しており、ほぼ刀身と柄だけで構成されているような形だった。

 

 その色は、白以外の何色も持っていない。純白の光で闇を照らし、燃えそうなものを直ちに純白の炎で燃やすが、持っているキリトの手は焼かない。奇妙で見た事もないような剣が、キリトの左手に収まっていた。右手に《悪魔の樹》と呼ばれたギガスシダーの枝から作り出された漆黒の剣が握られている事により、見事に対を成す。

 

 左手に純白の炎の剣を、右手に黒曜石の如き漆黒の剣を手にし、キリトは許されざる大罪を犯した怪物を、捕えられた大切な人に意識を向けていた。怪物は何もない顔でこちらを睨み付けていたが、得意げな表情をしているというのがわかった。今、キリトは動いた。今度はシノンの左腕か、脚のどちらかを折るつもりだろう。だが、そのいずれも現実にはならない。

 

 どちらも、やらせない。

 

 

「はぁッ」

 

 

 キリトは地面を蹴り上げて跳んだ。驚くほどの瞬発力が発揮され、次の瞬間には怪物のすぐ目の前の少し上空へ到達していた。そのまま勢いを載せて両手の剣で斬り裂いて怪物の背後に跳び、そこから更に怪物の前方へ斬り裂きながら跳ぶ。そして怪物の前方上空へ戻り、二本の剣を振り下ろしながら急降下して地面に着地した。

 

 

 アインクラッド流秘奥義《ナイトメア・レイン》。

 

 

 ライオスには知りえなかった剣技に斬り裂かれ、ライオスだった怪物はその手からシノンを滑落させた。解放されたシノンが落ち始めるより前に、キリトは怪物に狙いを定め、回転斬りを放った。両手の剣は新緑の光を宿し、怪物を二度斬り裂く。

 

 

 アインクラッド流秘奥義《エンド・リボルバー》。

 

 

 遠心力を(まと)う渾身の一撃を受けた怪物はキリトから見て前方、自分自身の後方へと吹っ飛ばされていった。やがて轟音を立てて地面に激突し、泥まみれになる。その無様な姿を見送りながら、キリトは両手の剣を地面へ突き刺し、ジャンプ。怪物の手から解放された大切な人を両手で抱き止めて着地した。

 

 即座にその人の顔を見る。やはりというべきか、苦悶の表情が浮かんでいた。犯されかけたうえで腕を折られたのだから、当然だった。

 

 

「……シノン」

 

 

 キリトに呼びかけられたシノンは一瞬だけ苦しむような声を出し、目を開けた。

 

 

「キリ……ト…………」

 

 

 愛しき人の声にキリトは少しだけ安堵する。ひとまずは命を奪われずに済んだ。だが、最悪の苦痛を与えられた事実は揺るがない。それを与えてきた怪物を許しておく事はできない。

 

 キリトは怪物をぎりっと睨み付けた。泥まみれになった怪物は立ち上がろうとしていたが、すぐさまバランスを崩して地面へ倒れ込む。六本あった腕と脚が五本以上切断され、立ち上がる事さえ困難になっていた。それでも立ち上がろうとするのを、奇声を上げるのをやめない。こちらにやり返す事に執着しているのだろう。見るに()えない。

 

 

「リラン!」

 

 

 キリトは《使い魔》に呼びかけた。ずっと共に戦ってくれている頼もしき相棒は、既にキリトの右隣に並び、身構えていた。

 

 

《シノンは取り返した。最早何も気にする必要はあるまい。そうであろう》

 

「そうだ。焼いてやれ!!」

 

 

 キリトは咆哮するように言い放った。指示を受けたリランはより強く身構え、口を軽く開ける。彼女の口内から、体内よりごうごうという炎が燃え盛るような音が聞こえ始め、漏れ出た熱がキリトの胸中より現れた剣と違って、キリトの肌を軽く焼く。そしてリランの目は、怪物を捉えた。

 

 

《燃え尽きろ!!》

 

 

 《声》が頭に響いた次の瞬間、リランの身体の奥から、凝縮された事により光線状になった火炎のブレスが放たれた。雨を蒸発させて闇を切り裂く火炎光線は真っ直ぐに怪物へ突進し、直撃。

 

 呑み込まれた怪物は断末魔を上げ、全てを溶かされていった。

 






















――くだらないネタ オリキャライメージCV――

 グラジオ・ロレンディア ⇒ 下野紘さん

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