キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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04:剣士達の野営

 

 

          □□□

 

 

 黒い鎧のような部位を持った異様な獣は倒れた。途中で姿を見せてきた二名の剣士、一名の弓使い、そして白き狼にも似た、これまた異様な姿の獣と手を合わせた事によって、無事に討伐する事ができたのだった。

 

 剣を収めた黒髪の剣士がメディナのところへと寄ってくる。

 

 

「お疲れ、メディナ。何とかなったな」

 

 

 メディナは黒髪の剣士を睨みつけた。相変わらず間が抜けているのかそうではないのか、よくわからないような顔をしている。

 

 

「むかつく。助けてくれなどと頼んだ覚えはないぞ」

 

 

 黒髪の剣士はぎこちない表情を浮かべた。

 

 

「とは言うけど、あの獣に一人で挑むのはあまりにも無謀だったぞ」

 

 

 無謀。その言葉がメディナの胸の内を曇らせた。確かに剣士の言うとおり、今の戦いは無謀と思われるような状況だっただろう。一歩間違えば簡単に命を落としそうな場面。本来ならば起こすべきではない状況――それを望んだのはメディナだった。そうでなければならなかったというのに、この剣士達のせいで台無しだ。

 

 

「……無謀と思えるような試練でいいんだ。そうでなければ、何のために剣技を磨く旅に出たのかわからない」

 

「剣技を磨く旅? って事は、メディナもザッカリアを目指してたりして?」

 

 

 亜麻色の髪の剣士の言葉にぎくりとしてしまった。まんまと当てられてしまった。すぐさま嫌な予感に似た感覚が胸の中で起こり始める。

 

 

「……当たってるみたいね。私達と同じところを目指してたんだわ」

 

 

 弓使いの言葉に目を見開きそうになった。やはりこいつらもザッカリアを目指して旅をしていた。そうではないと思いたいところだが、最終的な目的もザッカリアの衛兵になるための剣術大会に出る事である可能性も高いだろう。何とも奇異な偶然に出くわしてしまった。先程の獣の異様さと同じくらいに異様な偶然が、メディナとこの者達を結んでいた。

 

 

「なぁメディナ。もし行き先がザッカリアなら、一緒に行かないか」

 

 

 黒髪の剣士は当然のように言ってきた。メディナは即答する。

 

 

「なんでそうなる。私は貴様達とつるむつもりはないぞ。貴様達とはここでお別れだ」

 

「でも、ザッカリア行くなら、ルコ達と一緒。ルコ達と一緒の道、行く」

 

 

 急に幼子のような声がして、メディナはそちらに向き直った。白き獣のいる方から、一対の三角が目に付く帽子を被った少女が歩いてきていた。どうやらこの者達の連れの一人らしいが……こんなに小さい子供までも連れているとは、どういう集団なのだろうか。

 

 少女が更に言ってくる。

 

 

「同じところ行くなら、同じ道、一緒に通った方いい」

 

「ぐっ……」

 

 

 メディナは少女に反論できなかった。それは少女がかなり幼いように見えるのと、その割に言っている事が正論であるからだった。そこに黒髪の剣士が付け加えてくる。

 

 

「その子の言うとおりだぜ。一人で行動するのも良いかもしれないけれど、さっきみたいなおかしな獣に出会ったら危険だ。ここはザッカリアに付くまで、一緒に行動した方がいいんじゃないか」

 

「ぐぐっ……」

 

 

 黒髪の剣士も図星を突いてきていた。確かに先程の異様な黒鎧の獣も、一人で倒そうとはしていたものの、あのまま一人で戦い続けたところで勝てたかどうか怪しい。現にこの旅の剣士達と力を合わせても、倒すのに夜までかかった。

 

 もし本当に自分一人で戦っていたならば、夜を迎えたその時――あの獣の腹の中に納まっていたかもしれない。オルティナノス家の汚名返上など何一つできないまま、終わっていたかもしれなかった。そしてあのような獣に今後出くわす可能性もないわけではない。

 

 この者達の言っている事は、悔しい事に、正しかった。あのような獣に出くわして、襲われる事を防ぎつつ、目的を達成するには、この者達と行動を共にする方が良い。残念ながら。

 

 

「……わかった。貴様達と行動を共にしてやる。ただし、条件があるぞ。余計な詮索(せんさく)を私にするな。そして、貴様達と一緒に居るのはザッカリアに辿り着くまでの間だけで、以降は別れる。それでいいな?」

 

「あぁ、それで構わないよ。少しの間だけど、仲間としてよろしくな、メディナ」

 

 

 黒髪剣士に言われて、メディナは首を傾げた。仲間とはどういう事だ。少しの間行動を共にするというだけで仲間という扱いになるのか。

 

 

「仲間?」

 

「そうだよ。行動を一緒にするんなら、仲間になったも同然だろ。俺はキリトだ」

 

 

 メディナの疑問そっちのけで、剣士達はとても軽い自己紹介を行った。黒髪の剣士はキリト、亜麻色の髪の剣士はユージオで、白水色髪の女弓使いはシノンと言うそうだ。そして黒い髪で一対のとんがり帽子を被った少女がルコ、白い狼のような獣がリランというらしい。どうしてそんなに気軽に名前を教えられるのか、仲間扱いできるのか、メディナには掴めそうな事が何一つなさそうだった。

 

 

「さて、メディナも一緒にザッカリアの街を目指す事になったわけだが、暗くなったな」

 

 

 キリトが周囲を見回しながら言った。同じように周囲を確認してみたところ、すっかり日が暮れて夜になってしまっていた。夜間は夜行性の獣達が姿を見せて、場合によっては襲ってくるうえ、視界が悪くなるので、危険性が増す。先程のような黒い装甲らしき部位を持った異様な獣も出てくる可能性も高くなるだろう。

 

 それはメディナ一人だけならば大した事がないと言えるのだが、キリト達の中に混ざっている小さな少女、ルコにとっては一大事と言えるだろう。彼女は戦いが終わるまで出てこなかったし、戦うだけの力があるようにも見えない。夜更けになれば眠くなって余計に隙だらけになってしまう事だろう。

 

 オルティナノス家の汚名返上のための武者修行の面から見れば、どうでも良い事だが――ここであのような小さい子供を危険に放り出しながら武者修行をしたなどという話が広まれば、オルティナノス家の名が余計に穢されてしまうに違いない。

 

 

「……このままこんな暗い中を進むのは危険だ。ここで野営でもするか」

 

「えっ」

 

 

 シノンがメディナの発言に驚いたような反応をした。その反応に、今度はメディナも同じように軽く驚いた。

 

 

「なんでそんな反応をする」

 

 

 シノンが答える。相変わらず意外そうな顔をしていた。

 

 

「いえ、あんたは暗かろうが明るかろうが、進むべきとか言い出すんじゃないかと思ってたから……ここで野営するって言い出すのは意外だったっていうか」

 

 

 メディナは周囲に聞こえないように気を配りながら喉を鳴らした。完全に図星を突かれてしまった。どうしてこうも簡単に図星を突いてくるのだろう、この者達は。

 

 

「あぁ、その通りだ。私一人だけだったならば、夜だろうが朝だろうが構わず進める。第一出会ったばかりの男どもとの野営など気が引けるどころではない。だが、貴様達と一緒に居るその子供は、そうはいかないんだろう」

 

 

 メディナは例の子供ルコに向き直る。キリトとシノンの丁度間にいるルコは、少し眠たそうな顔をしている。どう見たってここから休まずに進むという事はできそうにない。気付いたキリトとユージオがルコに近付き、目の高さを同じにするべくしゃがみ込む。

 

 

「大丈夫かい、ルコ」

 

 

 ユージオに尋ねられて、ルコは答えた。かなり小さな声だった。

 

 

「少し、眠い。おなかも空いた」

 

「そうだね。メディナの言う通り、ここで野営しよう」

 

 

 ルコは頷き、シノンの近くへと寄っていった。間もなくしてキリトがメディナに再度声掛けをした。

 

 

「メディナ、ありがとうな。ルコの状態に気付いてくれて」

 

 

 メディナは軽く溜息を吐いた。自分が言わなければ、このまま進んでいたというのだろうか。だとすれば、このキリトという男、抜けている。剣を振るう姿は見事だと思える部分もあったが、それを台無しにしてしまっていた。

 

 

「キリトこそ、もっとしっかりしたらどうだ。あれぐらい小さい子供の異変など、見ていればわかるものだぞ」

 

「……仰る通りです」

 

「わかったならば、さっさと天幕を張るなりしろ」

 

 

 キリトはきょとんとしたような顔になって「ん?」と言った。メディナは内心驚きつつ、目を半開きにしてキリトを睨む。まさかこいつら、天幕も持たずに旅をしていたとでもいうのか。その事を聞こうとしたが、キリトはすぐに軽く笑んだ。

 

 

「あぁ、天幕ならいらないんだ」

 

「何?」

 

「リランの翼があるからな。ほら、見てみろよ」

 

 

 キリトが指差した先に、彼がリランと呼ぶ白き巨大な狼がいた。正確に言えば、狼のような姿をした獣だ。人間の頭髪を思わせるような金色の(たてがみ)を頭部周辺に生やしているうえ、(ひたい)からは剣と瓜二つの角が一本飛び出ている。そして自分の知る狼よりも一回りも二回りも巨大である。あんな獣を見たのは初めてだ。今日は妙に初めて見る獣と出会っている気がする。

 

 その初見の獣リランの肩が動いたかと思うと、ばさっと大きな音を立てて、純白の羽毛で構成された巨大な翼が広げられた。あの獣の肩には翼があるという異様な点には最初から気付いていたものの、広げられたそれの大きさはメディナの想像の遥か上を行っていた。あれだけの大きさの翼があるならば、あの獣は容易に空へと舞い上がる事ができるだろう。

 

 空を駆ける白い狼に似た、未確認の巨大な獣。そんなものを連れているキリト達。彼らが持つ謎は増々深まる一方だった。メディナの待ったなど、聞いてくれやしない。

 

 

「ほ、本当に翼だったのか、アレは」

 

「そうだぜ。リランは飛べるんだ。今は訳あって封印してるけどな。その封印している翼を有効活用する方法が、天幕なのさ」

 

 

 彼が言うからには、リランの翼を天幕代わりにして寝るという事らしい。なるほど確かに、あれだけの大きさのある翼ならば、下に入れば風は無理でも雨は(しの)げそうだ。

 

 キリトが続ける。

 

 

「それに、リランは火を吐く力があるから、近くに行くと程良く暖かいんだ。リランの背中辺りに寝転がってみろよ。気持ちよすぎて一瞬で寝れるぜ」

 

「火を吐ける!?」

 

 

 メディナはついに声を出して驚いてしまった。リランは火を吐けるだって? 人よりも巨大で狼みたいな見た目をしていて、肩からは翼を、額からは剣のような角を生やしていて、おまけに火を吐く力まで持っている獣。それがリランであるらしい。

 

 キリトがどうやってそんなリランを従えたのか、どこから捕まえてきたのかは全く想像が付かないが、リランと同じ種の獣が野生に存在しているのであれば、そいつの生息地はこれ以上ないくらいの危険地帯になっている事だろう。だがしかし、そんな話は聞いた事がないし、そんな獣の話も聞いた事がない。

 

 そのような獣を手懐けている、この者達――特にリランを連れているキリト――への疑惑というか謎は深まる一方で止まってくれる気配がなかった。如何なる動物でも獣でも従えさせられる貴族がいたとしても、リランと同種の獣を従えるのはきっと無理だ。あいつらは何者であるから、あのような獣を従える事ができているというのだろうか。

 

 リランから目を離せなくなっているメディナを横に置き、キリトはそのリランに近付いて行った。彼は「どうした?」と言ってリランの傍まで行くと、「えっ、お前の分の飯?」みたいなことを続けて言い出した。まるでリランと会話しているかのようだ。しかしリランは何も喋っていない。

 

 いや、喋られてたまるか。ただでさえ不気味な点の多い獣なのに、喋る力まであるなんてものが追加されたら、いよいよ受け入れられそうにない。そんなリランを従えるキリトの奇妙な素振(そぶ)りを見ていたメディナに、声を掛けてきた存在がいた。ユージオだ。

 

 

「その、駄目もとで聞いてみるけれど……メディナはリランみたいな獣、見た事ある?」

 

「ない。狼に似ていて、翼を生やし、炎を吐く巨大な獣など、どこにいるというのだ」

 

「だよね。僕も最初リランを見た時はびっくりしたよ。しかもそれがキリトに従ってるって言うんだから、もっとびっくりさせられたけどね」

 

 

 メディナは「おや?」と胸中で思った。ユージオはキリト達の事をあまりよく知らないのだろうか。試しにその事を聞いてみる。

 

 

「お前はあいつらの事を詳しく知っているんじゃないのか」

 

「うーんと、僕もキリト達と会ってまだ三日目くらいで……詳しい事はまだ何もわかってないんだ」

 

 

 ユージオの返答にメディナは目を半開きにする。てっきり一年以上一緒に居るんじゃないかと思っていたユージオは、キリト達と出会ってまだ三日程度。あの者達に対する知識は皆無と言える状態だったなんて。

 

 未確認の獣を使うキリトに、それに随伴(ずいはん)する弓使いシノンと、キリトに使われる怪獣リランに、何故か一緒に居る(とんが)り帽子の子供ルコ。そして彼らと出会って三日目のユージオという四人。なんて者達に出会ってしまったというのだろう。なんだか呆れに近しい気持ちが湧いてきそうだった。

 

 

「よくもまぁ、あんな者達と一緒に居ようと思うな。リランなんか、お前が隙を見せた途端に喰い付いてきそうだぞ。頭からばくりってな。もしかしたら私の事も狙っているのかもしれない――」

 

「大丈夫だよ。それだけはないから」

 

 

 メディナはユージオに向き直る。

 

 

「何故そう言い切れる」

 

「リランはそういう事をする子じゃないし、キリトだってリランにそんな事をさせたりするような奴じゃないんだ。それだけはこの三日の間でよくわかったんだ。だからメディナも安心してリランに近付いていいし、寝させてもらっていいよ」

 

 

 不思議な事に、ユージオの言葉には妙な説得力があった。嘘を言っていないという事がわかる。告げる彼の声によるものなのか、それとも彼の表情によるものなのか。いずれにしてもユージオからは真実性が感じられていた。そのせいなのか、それとも他の要因なのか――メディナの中からはリランに対する警戒心が徐々に消えていきつつあった。

 

 そのリランに近付いていたキリトのところに、シノンがやってくる。

 

 

「キリト、セルカからもらった調味料だけど……」

 

「あとどのくらい残ってる? リランの分は難しいか」

 

「えぇ。あなたと私とルコとユージオと、辛うじてメディナの分がある程度。明日の分はないわ」

 

「そうか。とりあえず今日のメディナの分が確保できててよかったよ。食材も余分にもらっておいたのが効いたみたいだな」

 

 

 キリトとシノンの会話に登場した自分の話に、メディナは目を丸くした。彼らはこれから夕食を作ろうとしているようだが――いつの間にか自分も夕食に混ざる事になっていたらしい。頼んでもいないというのに。

 

 

「ごめんリラン。お前の分の夕食が確保できなかった。大丈夫か。何なら俺の分を()けようか」

 

 

 キリトはまたリランに話しかけている。先程からキリトはあの調子だ。リランが人語を理解できるとでも思っているかのように、リランに話しかけ、会話しようとしている。時には返事までしている始末だ。

 

 リランとやら、頼むから人語を理解する能力まで持っていないでくれ。増々お前の正体や生態に理解が追い付かなくなる――メディナは内心でそう思って、キリトとリランのやり取りを見ていた。

 

 直後、シノンが声を出した。

 

 

「さてと、料理は私がやるわ。メニューはセルカから教わった《ルーリッド煮込み》だけど、いいわよね?」

 

「あぁ、構わないよ。お任せいたします、姫様」

 

「えっ」

 

 

 キリトの言葉にメディナは目を点にした。

 

 姫様? シノンはどこかの姫君だったのか?

 

 そういえばシノンの髪や目の色は、どこかの姫であってもおかしくはない色合いではあるが、一方で恰好はそこらへんで見受けられるものだ。もし姫――皇帝の娘などであれば、もっと豪勢な服装をしているはずだし、そもそももっと沢山の護衛が付くはずである。

 

 いや、待て。もしかしたらキリトとリランこそがその護衛であるという話ではないのだろうか。そうであるならば、キリトがリランという見たことのない獣を連れているのにも説明が付く。リランと同種の獣の目撃例がないのは、知っているのが皇帝家だけだからであるからで――。

 

 

「痛ぇ、痛ぇって、リランさん、やめてくださいって!」

 

 

 間もなく聞こえてきた情けない声でメディナは我に返った。見ればシノンが恥ずかしそうにキリトから身体を(そむ)け、キリトはというと、リランの大きな手で何度も頭を叩かれていた。そのキリトこそが情けない声の発生源だった。

 

 

「ごめんなさい、今はそう言っていいタイミングじゃありませんでした、ごめんなさい!」

 

 

 キリトは聞いた事の無い単語を口にしつつ謝るが、リランは許さないと言わんばかりにキリトを叩きまくっていた。それを横目に見ながら――だろう――、ユージオがシノンに近寄る。

 

 

「えっとシノン、キリトの今のは一体? シノンは皇帝家の娘……お姫様だったの?」

 

 

 シノンは顔を赤くしながら首を横に振った。

 

 

「ち、違う違う違う! そういうわけじゃなくて、ええっと……」

 

「じゃあ、どういう……」

 

 

 メディナが声を掛けたところ、シノンは白状するように話し始めた。 

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

 

「なるほど、そういうわけだったのか。お前達は婚約者同士だったのか」

 

 

 夕食を食べながら、キリトとシノンの事情をメディナは聞いた。何でも、キリトとシノンは互いに記憶喪失者でありながらも、婚約者同士であるという事だけは憶えているような状態であったらしい。キリトがシノンに向けて「姫様」と言ったのも、口癖のようなものであり、実際にシノンが姫であるという事ではないらしい。

 

 色々考えたというのに、全部間違いであった事がわかり、メディナは呆れとむかつきを胸に抱いていた。メディナにそうさせた張本人のキリトが、とてもすまなそうな顔をして言う。

 

 

「そうだよ。俺達は婚約者同士って言うか、そういうものなんだ。だから一緒に居るんだけど……姫様っていうのはつい癖で出ちゃったっていうか……」

 

 

 シノンは何も言わない。ただ、顔を少し赤くして縮こまったように座っているだけだった。どう考えても原因はキリトが姫様と呼んだ事にある。彼女からすれば、そう呼ばれるのだけは嫌だったのだろう。

 

 

「別に仲良くするなとは言わない。だが、いくら相手に愛情があるからとは言え、人前で姫様というくらいにまで惚気(のろけ)るのはどうだ」

 

「……反省してます……」

 

 

 キリトはしゅーんとしていた。昼間共に戦った、只者ではない剣士とは同一人物であるとは思えないくらいの変わりようだ。どうやらこいつはシノンの事になるとてんで駄目になるような奴らしい。意外な弱点が存在したものだ。

 

 

「婚約者? 婚約者って?」

 

 

 それまでシノンの作っていた料理を夢中で食べていたルコが尋ねてきた。口許(くちもと)に煮込み料理の欠片みたいなものがくっついたままになっている。それが如何にも子供っぽくて、メディナは笑いそうになった。その気持ちを押さえていたところで、ルコの疑問に答えたのはユージオだった。

 

 

「うーんとね、キリトとシノンは、お互いが大好きで、ずっと一緒に居る事を誓っていて、遠くないうちに一緒に暮らすようになるんだよ。そういう人達の事を婚約者って言ったりするんだ」

 

 

 互いを愛し合う男女が一緒に暮らす。それを結婚というのだが、ユージオは結婚をルコに教えなかった。理解できないと思ったのか、それとも別な意図があるのか。説明をされたルコは首を(かし)げた後に、キリトとシノンを交互に見つめた。

 

 

「一緒になる……じゃあ、キリトとシノン、おとうさんと、おかあさんになる?」

 

 

 メディナは思わずぎょっとした。キリトとシノンも同じような反応をしていた。間もなくして、二人の頬が紅潮し始める。

 

 

「いや、ええとだな、俺とシノンは確かに婚約者だけど」

 

「その、おとうさんとおかあさんの関係になるっていうのは……」

 

 

 二人してしどろもどろして、答えに困っているようだった。だが、二人ともまんざらではないというのがわかる。キリトがシノンを姫様などとふざけて呼んだ時、そして呼ばれたシノンがそんなに嫌そうにしていないという様子を見た時、メディナの中にはある種の確信が生まれていた。

 

 この二人は心の底から愛し合っている。互いに互いを思いやり、深い愛情を注ぎ合い、受け入れ合う。婚約者――将来結婚をするという約束をした者達がする自然な事を、この二人はできているのだ。

 

 自分と違って、二人は――シノンは、キリトという素晴らしい人に恵まれたのだ。

 

 戦えば強い癖に、何だかおかしな部分はあるけれども、腐っているような部分も、(いや)しい部分もない。そんなキリトに、シノンは愛されている。そう思った途端、メディナはシノンから眩しさを感じるようになってきた。

 

 

「……なんだか、お前達が(うらや)ましい」

 

 

 キリト、シノン、ユージオの三人が「え?」と言ってきた気がしたが、メディナは構わず、自分の分の煮込み料理の汁を(すす)った。肉とキノコ、野菜、調味料の味が溶け合ったそれは、やはり美味だった。

 


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