キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 いつの間にか500話目。

 アリリコ編、何話で終わるのだろうか?


23:脱した者、その心情

          □□□

 

 

 

「さて、イツキ。あなたがどうしてハンニバルに(くみ)していたのか、ハンニバルがどういう存在だったのか、教えてもらえるかしら」

 

「ごめんイツキ。俺としても、それを聞かずにはいられないんだ」

 

 

 キリトはツェリスカと一緒に、目の前にいるイツキに尋ねていた。二人だけじゃなく、キリトの仲間達も全員この場に揃っている。イツキが交流していたハンニバルに苦しめられた事のある者達だ。彼の者に《SAO》で実験動物のように扱われ、《ALO》でも計画に巻き込まされ、《SA:O(オリジン)》でも異変に強引に巻き込まされてきた。

 

 その異変と事件の根源にいるハンニバルと関係があったという話をしたのがイツキである。キリトは《死銃》事件の終息及び《GGO》のメンテナンスの完了後、すぐに仲間達全員に《GGO》にログインするよう伝えた。イツキからハンニバルの事を聞き出すために。その事を文面に入れたところ、やはり無視するわけにはいかなくなったのだろう、仲間達全員が集まってくれた。

 

 その中にイツキも含まれていた。イツキには「ハンニバルについて聞きたい」と書いたメッセージを送ったので、応じない可能性も十分にあった。断られるだろう――キリトはそう予想していたが、イツキ本人はその予想を良い意味で裏切った。彼はこの場に姿を現したのだ。「ハンニバルの事、僕の事を聞きたいんだろう」と言って。

 

 

「イツキ、本当なのだろうな。お前がハンニバルと関わり合っていたっていう話は」

 

 

 キリトの隣で腕組をしているリランが問いかける。その表情はかなり険しいものとなっていたが、恐らくは自分もそんな顔になっているだろう。他の皆の表情もそれとほとんど変わりない。あのハンニバルと繋がっていた人物と話ができているのだから。

 

 その問題の人物であるイツキは素直に(うなづ)いた。

 

 

「あぁ、それは前に言った通りさ。僕はハンニバルと協力関係を結んでいたよ。その事を話そうと思っているんだけれど……というか、それだけハンニバルの事を知ってるって事は、君達もハンニバルの関係者だったっていう事じゃないのかな」

 

 

「いいえ、わたし達はハンニバルに苦しめられてきたの。《SAO》の時からね」

 

 

 アスナに言われ、イツキは「ん?」と軽く疑問を抱いた声を出した。苦しめられてきたとはどういう事だと言いたそうだ。それもそうだろう。イツキ、アルトリウス、クレハ、ツェリスカ、バザルト・ジョーは自分達とハンニバルの因縁を知らないのだから。

 

 もしハンニバルが出てこなかったならば、話す必要もないと思っていたが、こうなってしまっては話すしかあるまい。キリトはその者達を見回しつつ、自分達とハンニバルの因縁と経緯についてを話した。

 

 

「何だって? あのハンニバルとかいう野郎が、《SAO》事件の黒幕の一人だぁ!? しかも、あの《()()(おとこ)》の根源みたいなものだとぉ!?」

 

 

 話の中盤に差し掛かったところで喰い付いてきたのがバザルト・ジョーだった。あまりにも予想外の話を聞かされて驚いているようだ。アルトリウス、クレハ、ツェリスカも同じような反応をしているが、バザルト・ジョーは一際大きかった。イツキはこれまでと同様に冷静な態度で話を聞いている。

 

 キリトはひとまずバザルト・ジョーに答えた。

 

 

「そうだ。あいつは俺達プレイヤーを実験動物(モルモットやマウス)か何かみたいに扱って、色々と実験をしていたんだ。俺達の方でその被害を確認できているのはごく一部で……多分、それで命を落としてしまったプレイヤーも沢山いたと思う」

 

「サイバーテロリズムを仕掛けて社会を散々混乱させまくっただけじゃ飽き足らず、閉鎖されたVR空間で人体実験だと? ふざけやがって! どれだけ罪のない人に危害を加えれば気が済むんだよ!!」

 

 

 バザルト・ジョーは身体を震えさせて怒っていた。それなりに高い頻度で怒っているような様子や仕草、声を見せる事もあった彼だが、今の彼からは本物の怒りが感じられた。悪事を働くならず者を許さないという、正しき意志を抱く者の怒りだ。

 

 《死銃》事件が明らかになった時にも思っていたが、やはり彼は警察かそれに近しい職に就いている者であるらしい。それについて深堀したいところであるが、マナー違反であるため、キリトはひとまずその事は頭の片隅に置いておく事にした。

 

 

「ハンニバル……まさか、そこまでの事をやっているような奴だったなんて」

 

 

 イツキの表情が、多少の戸惑いを感じているようなものに変わった。その反応の仕方から見るに、イツキもハンニバルに与していたものの、彼の者の詳細な情報や経歴を知ってはいなかったようだ。そんなイツキをキッと(にら)みつけ、バザルト・ジョーが声を出す。

 

 

「おいイツキ、お前さてはハンニバルと一緒に何か犯罪行為をしていたりしてないよな? 《死銃》と組んで人を殺したりとかしてないよな!?」

 

 

 その迫力にキリトは背筋をしゃんと伸ばしてしまった。怒声を飛ばしたバザルト・ジョーは、完全に事件の犯人を尋問する警察官のようになっていた。しかもかなり古典的な犯罪者を許さない正義感(あふ)れる警察官だ。

 

 そんなものを急に見せられたものだから、他の仲間達も驚いているような、(ある)いは怖がっているような様子を見せるようになっていた。

 

 特に最年少者であるシリカとセブンは明らかにバザルト・ジョーを怖がっているのが確認できた。その二人を(なだ)めるようにしてイリスが付き添っている。イリスは「年少者の前でそんな大声出すんじゃないよ」と苦言を(てい)しているような顔になってもいた。バザルト・ジョーのやり方を良いと思っていないのは間違いない。

 

 そんなバザルト・ジョーに詰め寄られているのがイツキだが、彼は態度も表情も変えていなかった。全く怖気づいていない。

 

 

「そんな事は一切していないと誓えるよ。(むし)ろそういう事をやっていたのは、逮捕されたパイソン君だ。そうだろう、ツェリスカ」

 

 

 イツキの視線の先にいたのはツェリスカだった。彼女は苦いものを噛んだような顔をして、頷いた。

 

 

「……ええ、そうね。その通りよ。パイソンの事について、皆にも話しておかないといけないわね。この話が終わったら、イツキは自分の事を話すのよ」

 

「あぁ、それでいい」

 

 

 イツキの返事を聞くなり、ツェリスカは皆の方に向き直った。その皆も同じようにツェリスカに視線を向けている。その一人であるキリトも、既に食い入るように声を聞く態勢になっていた。

 

 パイソン――本名は不明のそいつこそ、今回の事件における一番の《死銃》とハンニバルの協力者と言える存在だった。《GGO》を運営、開発する企業のザスカーの日本支部の人間であったパイソンは、表ではしっかりとした《GGO》の開発や運営を行っているように見せかけていた。

 

 しかし裏では、自分が気に入らないと思ったプレイヤーを強引に退会処理(バン)させたり、自分にとって都合の良い要素、()()()()()()()()()()コンテンツを導入させられるように手引きするなど、運営権限を利用して悪事を行っているような人物だった。

 

 この《裏面》こそがパイソンの本質であり、ツェリスカも随所(ずいしょ)で見ている彼の人間性そのものの形だったという。

 

 そこまで聞いたところで、キリトはとある事に気が付いたが、その事を口にするより先に声を発した存在がいた。イリスだった。

 

 

「……まぁ薄々気が付いていたんだけれど、やっぱりそういう事か。ツェリスカ、君は今《GGO》の運営と開発元であるザスカーの日本支部にいるんだね。そんでもって君はパイソンの部下として働いている。そうだろう」

 

 

 皆の方から「えぇ――!?」という驚く声が上がった。キリトもその中に混ざって声を上げていたが、同時に納得していた。

 

 確かにツェリスカは妙なくらいに、このゲームの仕様などを詳しく話してくれる部分があったし、マニアと呼べるくらいにまでアファシスに()けていた。

 

 リエーブルの時もそうだ。あの時彼女は、突然起こり出したイベントに自分達同様に驚いていたが、「こんなイベントがこんなに早く起きるなんて聞いてなかった」という驚き方をしていた。そして今、彼女はザスカーの日本支部にて《GGO》の開発と運営を行っているパイソンの事を詳しく話していると来ている。

 

 ここまで来れば、最早彼女がパイソンと同じザスカーの人間であると考える(ほか)ない。その事をイリスに言われたツェリスカはというと、白状するように答えた。

 

 

「……その通りです。わたしはザスカーの日本支部に勤めておりますわ。そしてこの《GGO》の開発と運営もしています」

 

「そうだったのか!? って事はまさか、ツェリスカも運営や開発の権限を利用して、俺達プレイヤーじゃできないような事を……!?」

 

 

 アルトリウスが言いかけたそこで待ったをかけたのもイリスだった。

 

 

「そう考えてしまいがちだろうが、落ち着いてくれ。ネットゲームを運営、開発していく以上は、運営や開発の方からもテストプレイを(うけたまわ)るデバッカーは必要なんだよ。自分達が作ったコンテンツが実際に上手く機能してくれるかどうか、バグを出さないかどうか、プレイヤー達に不快感を与えるだけになってしまっておらず、ちゃんと遊んでもらえるバランスになっているかどうかを調べるデバッカーがね。ツェリスカはそのデバッカーを受け持っていたんだ。そうだろ」

 

 

 イリスの問いかけにツェリスカは頷いた。

 

 

「はい。その部分を(おこた)ったが故に、潰れてしまったネットゲームはたくさんありましたからね。《GGO》をそうさせないために、わたしはデバッカーとしてログインしていました。

 ……その中で、同じようにデバッカーとして《GGO》にログインしている上司のパイソンの身勝手な行動を、傍観(ぼうかん)しているだけだった。彼が悪事を働いているところを、確かに見ていた事もあったというのに、何もせずに野放しにしていたわ」

 

 

 ツェリスカはこちらに向き直る。

 

 

「前にサトライザーっていうプレイヤーが襲ってきた時に、《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》を無効化するスキルを使っていたという話があったわね。アレを実装していたのもパイソンよ。彼が独断で勝手にアレを実装して、自分だけにとって楽しい《GGO》に作り変えようとした。まぁ、それはわたしを含めたスタッフの大勢に見つかって問題視されたから、結局非実装に戻されたんだけれど」

 

 

 サトライザー。《ALO》では《闇の皇帝》と呼ばれるくらいの実力を持っているプレイヤーである彼の者は、リエーブルに異変を起こさせた。その終結後に自分達に襲い掛かって来たが、その際、サトライザーからの攻撃を受けると尋常でない痛みが走るようになっているという異様な現象が発生するようになっていた。それはサトライザーが《痛覚抑制機構》を無効化させるスキルを持っているという事を意味していた。

 

 明らかに《GGO》に必要のない要素であるそんなものを実装しているなど、《GGO》の運営や開発はどういうつもりなのかと思っていたが、ハンニバルの協力者であるパイソンがやっていたというので納得できた。ハンニバルならばあんなもの喜んで付けさせるだろう。ハンニバルは底なしの悪趣味野郎なのだから。そう思うキリトの横にいるリランが、ツェリスカに言葉を掛けた。

 

 

「それだけではないだろう。リエーブルをイリスのところから盗み出し、この《GGO》に《アファシス Type-Z》として無理矢理実装したのもパイソンであろう。最高峰セキュリティで守られたイリスの所有物からデータを抜き出すなど、過去最悪のサイバーテロリストであるハンニバルとつるむ事のできた奴くらいしか、できぬからな」

 

 

 リランの問いかけに皆がはっとする。その中でツェリスカは素直に頷いてみせた。

 

 

「ええ。警察によると、パイソンが自分のパソコンを使って、他の人のパソコンから勝手にデータを引き出したという履歴が見つかったそうよ。その引き出されたデータがリエーブルっていう事で間違いないみたい」

 

 

 やはりそうか――キリトはまたしても納得していた。リエーブルを盗み出して《GGO》に実装し、挙句《痛覚抑制機構》を無効化するスキルまでも勝手に付け加えていた。それくらいの事をする奴など、ハンニバルと組んで好き勝手できるようになった奴くらいしかいない。パイソンはそうだったからこそ、あそこまでできたというわけだ。そしてそのパイソンの権限や能力を使う事で、ハンニバルは《死銃》事件を引き起こせたのだろう。

 

 この《GGO》は本当にハンニバルの手の中にあったのだ。パイソンが逮捕された今はそうではなくなっただろうが、それでも悪寒がしそうな状況だった。

 

 間もなくして、外を見ていたツェリスカはこちらに再度向き直った。申し訳なさそうな表情をしている。

 

 

「そこまでの事をしている上司を見ておきながら、わたしは何もせずにいた。ただ傍観しているだけだった。もしわたしがもっと早く行動を起こしていれば、パイソンの悪事がここまで深刻化する事もなければ、皆を巻き込むような事もなかったというのに。いいえ、《死銃》事件が起こる事もなかったかもしれなかったのに。それで皆を事件に巻き込むような事もなかったかもしれないのに……最悪だわ。わたしはあなた達から離れるべきかしらね……」

 

 

 そんな事あるものか。《死銃》の根底にいたのはハンニバルだった。こちらに異様なまでの執着心を持っている彼の者が根っこにいた以上、自分達が《死銃》事件に巻き込まれるのは必然だったであろう。その事を話そうとしたが、またしてもキリトより先に声を発した者がいた。アルトリウスの隣にいるレイアだ。

 

 

「ツェリスカは何も悪くないです! ツェリスカはパイソンみたいに開発や運営の権限を使ってズルをしたりしなかったじゃないですか。それにツェリスカはリエーブルの時も、今回の《死銃》の時も、自分から立ち向かって、リエーブルと《死銃》を止めようとしました。だからツェリスカは何も悪い事はしてません。悪いのは全部パイソンです!」

 

 

 ツェリスカはきょとんとしたような顔でレイアを見ていた。そこに続いたのは、同じくアルトリウスの隣にいるクレハだった。

 

 

「レイちゃんの言うとおりですよ。ツェリスカさんはツェリスカさん自身の実力だけで強くなって、それで闇風さん達とも友達になって、《GGO》全体で有名になったじゃないですか。もし運営や開発だけができるズルなんてしてたら、どこかでバレて、今みたいになってなかったと思います」

 

「実のところ、マスターの内部データを逐一(ちくいち)確認させていただいておりましたが、どこにも不正らしきもの、不自然なデータは見つかりませんでした。マスターは潔白です。その潔白の力を持って、《死銃》に挑んだのがマスターです」

 

 

 珍しくツェリスカから少し離れた位置にいるデイジーも、自身の主人に呼びかけていた。「だから安心してください、マスター」と声無く伝えている微笑みが、その顔に浮かんでいる。よく見れば、他の誰もがデイジーと同じような顔をしていた。

 

 誰もツェリスカを責めてなどいないし、疑ってもいない。当然キリトも同じ気持ちだったので、デイジーに続いて声掛けした。

 

 

「ツェリスカさんが運営と開発の人間であろうと、俺達の仲間である事に変わりはないよ。だからツェリスカさん、俺達から離れるべきっていう今の言葉、取り消してくれ。俺達はツェリスカさんに去ってもらいたくないよ」

 

 

 ツェリスカはきょとんとしたような顔をしてキリトを見ていた。間もなくして零すように言う。

 

 

「本当に、いいの……?」

 

 

 キリトは素直に頷いた。皆も続くようにして「そうだよ」「ツェリスカさん、ここにいて」と口々に伝えてくる。ツェリスカに去ってもらいたくない。それがここにいるほぼ全員の気持ちだった。

 

 それを受け取ってくれたであろうツェリスカは皆の事を見回すと、柔らかく笑んだ。目元に涙が浮かんでいるが、零れてはこない。

 

 

「……こうなってしまった以上は、皆のところを去らなきゃいけないって思ってたんだけれど……そう言ってもらえると、救われるわ。皆、本当に、ありがとう」

 

 

 ツェリスカは深々と頭を下げた。その行動に皆が驚き、今度は「そこまでしなくたっていいよ!」「ツェリスカさん、頭を上げてください!」と言い始めた。ツェリスカは今回の事で深く糾弾されて当然のように思っていたらしい。

 

 しかし、彼女から聞いている通り、《GGO》で起きていた事件や不正はほとんど全てパイソンとハンニバルの仕業だったわけだから、彼女は何も悪くない。

 

 それに、もしパイソンがハンニバルとつるんで悪行をしているなんて事を外部や上層部に報告しようものならば、ツェリスカは確実に殺されていた事だろう。ハンニバルは自身の邪魔をする存在を決して許さず、徹底的に潰そうとしてくるのだから。

 

 パイソンだけだったならば、もしかしたら何もしなかったツェリスカを糾弾しなければならなかったかもしれないが、ハンニバルがいたからには、ツェリスカの行動は正しいという他ない。それを伝えようとしたその時だった。

 

 

「……僕には兄がいた。双子の兄だ」

 

 

 急にイツキが喋り出した。皆が若干驚いたようにして向き直る。そうだ、ツェリスカの事情説明が終わったら、イツキに真相を話してもらうという話だった。今、ツェリスカの話が終わったので、イツキは話し始めたのだ。

 

 キリトは沈黙を持って続きを促す。イツキはその通りに続けた。

 

 

「僕の家は神社の家系でね、僕と兄の二人が跡継ぎになって、やっていっていたんだ。ぼく達はとても仲の良い兄弟で……僕は兄の事が大好きだったし、尊敬していた。能力的には僕とあまり変わらなかったんだけど、僕にとって兄はいつも僕の先を行っているように感じられる存在で……すごい尊敬できる相手だったんだ」

 

 

 皆の方からまたしても驚く声が上がっていた。特にイツキが神職の家系にいる事というのにはカイムとユウキが強く反応しているようだ。他の仲間達はイツキが双子の兄弟である事、兄がいる事に驚いているようだった。

 

 イツキは続ける。

 

 

「でもね、丁度《SAO》事件が起きた時くらいに、兄は交通事故で死んだ。不慮の事故だったとは思うんだけど……実に呆気ない最期だったよ」

 

 

 またしてもカイムが強く反応をした。神職の家系に弟として産まれ、事故によって兄を喪っている。それはカイムが経験した出来事とほとんど同じだった。まさか自身と同じような過程をイツキが経ていたとは思ってもみなかったのだろう。そう思っているのはキリトも同じだった。

 

 

「それからというもの、僕には常に寂しさが付き纏うようになった。生活に支障が出る程じゃあないけれども、いついかなる時も寂しい感覚に襲われるようになったんだ。兄が死んでしまった事によって、神社の後継者は僕一人に絞られる事になって、本当は嬉しく思う事もできたんだろうけど、そんな事できやしなかった。何をしたところで、何を目にしたところで、色が鮮やかに映る事もなければ、楽しさを感じさせてくれる事もない。空虚な毎日だった。そんな現状から逃げ出したくなって、僕はアミュスフィアを使い、《GGO》に入り込んだ」

 

 

 イツキはアルトリウスの横にいるレイアに目を向けた。しかしレイアを見ているのではなく、レイアの先にいる何かを見ているかのようだった。

 

 

「前にリエーブルが異変を起こした時、僕のエネミーアファシスが現れただろう? それで、あいつは今の僕とは全く違うような言動をしていたよね。実のところ、《GGO》入りたての時の僕はあんな感じだったんだ。この世界で、他の人達と出会えば、友達になって仲良くする事ができれば、きっとこの寂しさも空虚感も無くす事ができる、兄を亡くす前の自分に戻れるって思って、あぁやってたんだ。臭い事もいっぱい言ってね。《BoB》にもよく出たし、その都度好成績も沢山残した。

 

 でも、結局何も変わりはしなかった。寂しさも、空虚な感じも、消えてくれなかった。確かに僕に寄ってくる人は増えたさ。友達になろうとしてくれる人も現れた。でも、その人達と過ごしても、空虚な感じも寂しさも癒えなかった。あんな事をしたところで無意味だってわかってしまったからこそ、僕はあのエネミーアファシスが許せなかったんだ。無意味な事を繰り返す自分に腹が立って仕方がなかったんだ」

 

 

 確かに、エネミーアファシスのイツキを目にした時のイツキ本人は、普段の彼からは想像もできないような態度を取っていたどころか、燃え上がる激情を止められなくなっているかのようだった。寂しさと虚無感を打ち消そうとする自身が、挑発を繰り返す道化のように見えていたという事なのだろう。そこまで聞いたところで、キリトは隣にいるリランの異変に気が付いた。彼女は苦いものを噛み締めたような顔をしていた。

 

 

「……すまぬ、イツキ」

 

 

 イツキはきょとんとしてリランを見る。

 

 

「え? なんでリラン君が謝るんだい」

 

「お前のように思い詰めている者こそ、我が駆け付けて色々聞いてやり、その心を癒してやらねばならない存在だ。我ら、いや、我がもっと早くにお前の心のあり様に気が付けていれば、お前をそこまで思い詰めさせる事もなかったかもしれない。気が付いてやれなくて、すまなかった」

 

 

 リランは、『自分の《使い魔》として共に戦っていく』という使命を胸に抱いてここにいるが、同時に『苦しむ人々の心を癒す』という使命も抱いている。そんな彼女にとって、ここにいるイツキの心の状態を把握せず、見逃し続けていたというのは、これ以上ないくらい申し訳ないと思う事なのだ。それを聞かされたイツキはというと、苦笑いをしていた。

 

 

「いやいや、リラン君が気に病む必要なんかないよ。他の皆もそうだよ。僕の事であれこれ考える必要も、気に病む必要も、何もないんだ」

 

「ハンニバルとつるむ事になったのも、その寂しさと空虚感のためであろう」

 

 

 リランの指摘を受け、イツキははっとしたような顔になり、やがて俯いた。

 

 

「その通りかもね。寂しさと空虚に襲われる日々を続けたある時、偶然にも僕はパイソン君と出会った。いや、彼は前もって僕の事を知ったうえで接触してきたんだ。僕は《BoB》で好成績を残していたし、女性プレイヤーを中心としたファンクラブを作られるほどにまでなっていたからね。運営と開発の人間である彼が僕を知るなんて余裕だったと思うよ。

 

 それからパイソン君は色々とやってくれた。僕に最新型の強いビークルオートマタをプレゼントしてくれたり、アルファルドっていうスコードロンを作ってくれたりね。このビークルオートマタこそが、僕の相棒である《神武》さ。ズルいもんだろう? 八咫烏型戦機と戦う事、パーツを手に入れる事、修理する事全部すっ飛ばして、ビークルオートマタを入手できていたんだから。でもさ、結局パイソン君は僕の仲間というわけではなかったんだ。

 

 パイソン君は僕を崇拝していたみたいだけど、彼が僕を崇拝するのは、僕がものすごく良い広告塔だったからだ。《GGO》にはこんなにすごい人がいるんだぞ、《GGO》はこんな人がいるすごいゲームなんだぞっていうのを広報する存在でしかなかったんだよ。僕を本当の仲間や友達みたいに考えてなんていなかった。当然、僕の中の寂しさと空虚感、虚無感は満たされなかったわけだ」

 

「なるほどね。確かにパイソンなら、そんなふうに考えていたでしょう。技術が人や社会の役に立つかどうかではなく、金を生むかどうかで考えていたような奴だったから。イツキの事を崇めるようにしていたのは、パイソンにとってイツキは金の()る木だったからなのね……」

 

 

 ツェリスカの言葉によって、部屋に重い沈黙が降りた。兄を喪って傷心し、友人や仲間を欲していたイツキに近付いたパイソンは、イツキの能力や容姿や人柄を利用して金を稼ごうとしていた。彼の本当の気持ちなど一切考えず、言葉なく「広告になれ」「金を呼べ」と彼に繰り返し言い続けていたのだ。

 

 この仕打ちがどれだけイツキを傷付けていたのか、容易に想像できて、口の中に苦みが広がった気がした。

 

 

「そんなパイソン君と接触し続けているうちに、僕の存在にハンニバルが気が付き、パイソン君同様に接触してきた。「君の願いを叶えてやろうか」とか「君の欲しいものは何だ?」と言ってきてね」

 

「それでお前はなんて返したんだ?」

 

 

 キリトの問いかけにイツキは首を横に振った。

 

 

「何も返さなかったよ。言ったところでパイソン君の時と同じ結末しか待ってないって目に見えていたからね。だから僕はハンニバルに何も言わなかったし、何も願わなかった。意外だったのが、ハンニバルはそのまま食い下がった事だね。パイソン君みたいに色々言って誘ってくると思ってたんだけど、そうならなかったんだ。これが僕とハンニバルの唯一無二の接触で、この後は何もなかった」

 

 

 そこでキリトは疑問を抱いた。イツキがハンニバルの勢力から抜けると言ったその時、ステルベンが「あれだけの恩恵を与えてくれたボスを裏切るというのか」と言っていた。あいつらの言っている事が事実ならば、イツキはハンニバルに何かしらの恩恵をもらっていたはずだ。

 

 

「本当に何もしてもらっていなかったのか。ステルベンは裏切るお前に怒っていたみたいだが」

 

 

 問おうとした事を言ってくれたのはリランだった。イツキは答える。

 

 

「それは多分パイソン君のやった事だね。僕とハンニバルが接触した後、パイソン君は変わらず色々やってくれたけど、それは全部ハンニバルの指示だったみたいだ。ハンニバルも結局僕の事は気になってたみたいで、パイソン君を通じて色々やって、僕の気を引こうとしていたんだろう。でもまあ、その時既に、僕は本当に大切なモノを手に入れられたんだけどね」

 

 

 イツキはキリトとアルトリウスを交互に見た。親しい者を見る目をして。

 

 

「キリト君とアーサー君、《エクスカリバー》の皆だ。君達と出会って、一緒に《GGO》を遊ぶようになってから……僕の中の寂しさと空虚感、虚無感は徐々に薄れていったんだ。本当に驚いたよ。あれだけ色々あっても消えてくれなかったのが、君達と一緒に居る事で消えていったんだから。

 それで、本当に楽しかった。君達と一緒に狩りに行くのも、プレイヤー達やエネミー達と戦いに行くのも、クエストに行くのも。何気ないお喋りっていうのをするのもね。君達《エクスカリバー》は、僕にとって一番の救いだったんだ。だから僕は《アルファルド》を棄てて、君達《エクスカリバー》の一員になる事を選んだ。変な言い方をすれば、君達と一緒に居られるなら、世界を壊す魔王にさえなれそうだったよ」

 

 

 リエーブルの異変の時だ。《エクスカリバー》が解散し、自分達が《GGO》からいなくなるかもしれないという例え話を持ち掛けた時、イツキは奇妙さを感じる程にその事を拒否していた。それほどまでに、イツキは《エクスカリバー》に居る事を喜びに感じ、離れる事を恐怖していたのだ。間もなくしてイツキは俯いた。

 

 

「……そこまで思えるくらいだったのに、まさか君達がハンニバルに苦しめられてきた被害者達だったなんてね。そのハンニバルとつるんでいた僕の事は、さぞかし憎いだろう」

 

 

 そう言って、イツキは顔を上げて両腕を広げた。表情は先程のそれと変わっていないが、目元に涙が浮かんでいる。

 

 

「いいさ。追放でも処刑でも何でもしてくれ。ハンニバルの仲間だった僕に、君達と一緒に居る資格なんてないだろ」

 

 

 イツキの震える声が部屋の中全域に届けられていった。沈黙が再びやってくる。しかしそれは先程のものとは違い、重さはなかった。

 

 イツキは確かにハンニバルの関係者だった。その事に責任を感じているのは間違いない。だが、彼の話を聞いたところ、イツキはハンニバルやパイソンに利用されていただけの被害者の一人にすぎないとわかる。それに、ここにはリランとユピテルという、VR世界でのみ作用する超強力自白剤がいる。もしイツキがまだ何か隠し事をしているのであれば、その事を喋っているはずだが、それもない。

 

 彼の言った事こそ、彼とハンニバルの関わりの全てなのだ。もしパイソンやハンニバルと結託し、《死銃》連中やヘカテーのような事をしていたという事実があったならば、彼の言うとおりにするしかなかっただろう。

 

 だが、そうでないのであれば――。

 

 

「イツキ」

 

 

 キリトの声掛けにイツキは反応をした。向けられてきたその目を、キリトは見つめ返す。

 

 

「判決を下されたいなら、下してやる。俺達と力を合わせてハンニバルを追いかけ、討つと約束しろ」

 

 

 イツキの目が丸くなった。キリトは続けた。

 

 

「今、この国と社会、VR産業の一番の天敵はハンニバルだ。ハンニバルがいるせいで、VRで気軽に遊べなくなってるって言っていい。ハンニバルさえいなくなれば、俺達も、他のプレイヤー達も、VRで問題なく遊べるようになるし、暮らす事ができるようになる。そのために、俺達と一緒にハンニバルを討つって約束してくれ。それが約束できるなら、お前は俺達の仲間だよ」

 

 

 イツキは瞬きをした。そのせいで涙がついに零れたが、イツキは気にしていないようだった。呆気に取られてしまっているらしい。

 

 

「本当に……それでいいのかい」

 

 

 その問いかけに、キリトは不敵に笑った。

 

 

「逆に聞くぞイツキ。俺達がハンニバルに苦しめられてきたって知った今、お前はハンニバルをどう思う?」

 

 

 イツキは「あ……」と言った。そのままキリトと目を合わせ続けていたが、やがて強気な表情がその顔に浮かび上がった。

 

 

「……許せないね。僕の大切な居場所を、仲間達を奪おうとしているハンニバルに、腹が立って仕方がなくなってきたよ」

 

 

 直後、イツキは腕で涙を拭って、改めて顔を向けてきた。キリトだけではなく、周りにいる仲間達全員に。

 

 

「キリト君、アーサー君、それに皆。皆で力を合わせて、ハンニバルを討つんだろう? その手伝いを僕にさせてもらえないか。皆と一緒なら、どんな強敵にだって。あのハンニバルにだって勝てると思うんだけど、どうかな」

 

 

 その問いかけに、皆一斉に頷きを返した。物の見事な満場一致だった。その答えの光景を目にしたイツキは、柔らかい笑みを見せた。

 

 

「ありがとう。精一杯、努力させてもらうよ!」

 

「あぁ、よろしく頼むよ、イツキ!」

 

 

 キリトに言われるなり、イツキは「任せてくれ!」と力強く言い放った。まさしく、彼が本当にこちらの仲間になってくれた証拠だった。

 

 だが、その直後だった。彼は急にキリトに問うてきた。

 

 

「……だけどキリト君」

 

「え?」

 

「君の大切な恋人はこの場にいないみたいだけど、彼女も同じ気持ち、かな?」

 

 

 そう言われて、キリトは思い出した。

 

 ふと部屋の中をぐるりと見回したが、そこに恋人であるシノンの姿はなかった。

 

 


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