キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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20:エンプーサ ―死銃との戦い―

         □□□

 

 

 

「これがヘカテーの切り札だったのか」

 

《随分と巨大な蟷螂(かまきり)であるな。こいつを呼び出すのは最終手段のように思える》

 

「そうだろうな。こんなデカいのなんて、最初から出しておくわけがない」

 

 

 リランの《声》にキリトは応じていた。皆が来たかと思えば、ヘカテーがとんでもないものを呼び出してきた。全身を黒みがかった銀色の装甲と、それよりも漆黒の人工筋肉で構成していて、背中から大きな(はね)が生え、腕はレーザーブレードの装備された鎌になっている。

 

 本来の数より二本多い六本の脚部には機関銃が一丁ずつ装備され、顔は虫と竜のそれが複雑に混ざり合っているかのような形状になっている、超巨大な蟷螂だった。その背中に当たる部分にヘカテーが搭乗しているようなのだが、こちらからは全くその姿が見えない。

 

 当然だ。ヘカテーの呼び出した鋼鉄の蟷螂の全高は、リランの全高五メートルを余裕で超え、二十メートル位にまで到達しているとわかるくらいに巨大なのだから。しかも身長だけが高いのではなく、横は(およ)そ十メートル、奥行きも全高と同じ二十メートル位ある。

 

 前の事変の際に交戦した時には巨大に思えていたはずのリエーブルのビークルオートマタである魔獣型戦機ベヒーモスが小さく見えるくらいだ。全高と全長、質量はここにいる戦機のどれよりも大きく、武装数も圧倒的に多い。

 

 流石に歩行要塞形態となった《SBCフリューゲル》よりは小さいものの、街の一つや二つを更地(さらち)にするのが何もよりも得意そうな、移動する多脚歩行要塞戦機。それがヘカテーの呼び出した巨大な鋼鉄の蟷螂であった。

 

 更に、脚部の頂点に位置する部位には花弁(はなびら)のような装飾らしきものがあるから、蟷螂は蟷螂でも、花蟷螂(ハマカマキリ)だとわかった。花蟷螂はその名の通り美しい花に擬態し、蜜を吸いにやってきた虫を食らう生態を持つ昆虫である。

 

 そこから考えると、あの巨大な鋼鉄花蟷螂も何かしらの花に擬態する能力を持っているという事になるが、アレが擬態できるほどに巨大な花など存在しない。あるとすればそれはファンタジーの世界にしかないだろう。花蟷螂らしい事は何もできやしないのに、花蟷螂の姿をしているのは何故なのだろうか。

 

 

「……(むし)ろ、こんなものを呼び出せるようなところを見て、また安心したかも」

 

 

 突然背後のシノンが独り言のように言った。それは独り言ではなく、キリトとリランに言っていた。キリトは少し振り向きながら返事をする。

 

 

「安心って?」

 

「私、こう見えて虫は好きじゃないの。だから例え強力なビークルオートマタでも、虫型は選びたくない」

 

 

 シノンはあまりそういったところを見せないが、だからこそキリトは知っている。確かに彼女は虫が嫌いな方であり、見る事も触る事も嫌がる傾向にある。VRMMO内で敵として戦う場合は平気のようだが、現実ではそんな事できはしない。

 

 

「そうだったな。君は虫が嫌いだったんだ。そんなのを使っているヘカテーは、やっぱり君じゃないな」

 

「そういう事よ!」

 

 

 きっぱり言い返したシノンは《ヘカートⅡ》の引き金を絞り、発砲する。対物狙撃銃(アンチマテリアル・ライフル)という戦車や戦闘機、装甲車を破壊する事を目的として作られている銃の銃口から放たれた弾丸は真っ直ぐ飛び、鋼花蟷螂――そういえばヘカテーはエンプーサと言っていた――の脚部に装着された機関銃に命中した。ギフトのビークルオートマタの時、そしてリランが被弾した際と同じようにぶおんという奇妙な音が鳴り、火花が散ってスパークが起こる。

 

 だが、そのままもげ落ちる事はなかった。どうやらあの機関銃は見た目より頑丈になっているらしい。そもそもあのエンプーサは身体が巨大であるが故なのか速度はほとんどなく、どの動作も鈍重な方に入るくらいだ。素早く動く事ができない分、防御力が高くなっているという事なのだろう。

 

 それはエムのビークルオートマタである霊亀(レイキ)もそうだが、しかし今のところ霊亀よりも、このエンプーサは素早いと感じられる。あの霊亀よりも身体が大きくて質量も膨大なはずのエンプーサの方が身軽であるというのは、ちぐはぐというレベルではない。何かチート(ズル)のようなものが感じられて仕方がなかった。まるでそういった悪質なやり方で改造されているものが出てきているかのようにさえ感じる。

 

 いや、そもそもあいつの根源にいるのはPoH(プー)、《笑う棺桶》、須郷(すごう)伸之(のぶゆき)、ジェネシス、パイソンといった悪人達――(ある)いは元々普通の人間であったが悪人の道へ落とされた者達――を(こま)として動かし、その者達からボスと呼ばれていたハンニバルだ。それがこれまでやってきた事は、いつだって常軌(じょうき)(いっ)していたし、チートも改造も常套的に使われていたようなものだった。

 

 そのハンニバルがヘカテーの根源にいるのだから、何が繰り出されてきたとしても驚くような事ではない。そしてそれらが何かしらの改造を受けていたとしても、何もおかしな事はないのだ。

 

 だが不思議な事に、ハンニバルはそういう事をする割には、どうやっても乗り越える事ができないようにはしてこない傾向にあるというのもわかっている。このエンプーサもそうだ。恐らく速度の倍化がかかっているという予想だが、理不尽なまでに早くなっているというわけでもない。

 

 もしこちらを完全に潰すつもりであるならば、いくら攻撃しても倒せないステータスになっているとか、ダメージを与える事ができないようになっているなどの仕様にして詰ませるのが一番手っ取り早いはずだ。そうなればハンニバルは自分達に計画の邪魔をされる恐れを取り除く事ができるのだから、これが一番合理的なやり方のはず。

 

 しかしハンニバルはこれまでそんな事を仕掛けてくる事はほとんどなかった。あったとすれば完全に人格が崩壊して狂ったマキリの時くらいであり、それ以外は一見絶望的に見えるものの、攻略の糸口が存在しないような状況ではなかった。

 

 まるでこちらを(おとしい)れようとしているのではなく、こちらの実力や攻略のための能力、勇気を(はか)るための試練を出してきているかのように。それこそゲームマスターや神か何かのように。

 

 ハンニバルはこちらに理不尽をぶつけてきているのではなく、ギリギリ乗り越えられる試練を与えてきている。そんな気が感じられてきていた。ハンニバルについて、日本の社会全体構造を作り変えるくらいの悪行をしていて、数々の大きな事件の黒幕であるなどの断片的な情報しかわかっていないというのもあるのだろうか。

 

 いずれにしても、ハンニバルはこちらを計画の邪魔をする厄介な存在だと思っている、だからこそ殺そうとしているというわけではない? こちらを殺す気など最初からない?

 

 

(……いや)

 

 

 キリトは咄嗟(とっさ)に首を横に振った。ハンニバルがそういった試練めいた事を仕掛けてくるという事は、つまりこれまで同様自分達を実験動物扱いしているという事に他ならない。自分達が《SAO》をクリアしたプレイヤー達である事、他のプレイヤー達よりもタフだと判断できるからこそ、こういった試練に見せかけた状況を吹っ掛けてきているのだ。

 

 あいつは自分達を邪魔だとは思っておらず、(むし)ろ噛み付いてくる事を望んでいる。そうすれば他の連中からは得られないような実験データを得る事ができるから。あいつが自ら表に出てくるのは、そうすれば自分達が真っ先に駆け付けてくる事を、実験データになりに来てくれるのを知っているから。

 

 結局、自分達の事を最高の実験台だと思っているから、殺さない――キリトは先程まで抱いていた疑問を振り払った。

 

 ハンニバルとは、結局そういう奴だ。本人には頼られている部下と思わせておき、裏でそいつを実験台にした実験を行う。仲間意識も友愛も何もありはしない。ハンニバルに従っていた須郷もセブンも、PoHも《笑う棺桶》も、ジェネシスもマキリも結局は実験台。

 

 そして今はシノンが実験台にされている。予想の段階を出ないが、シノンとヘカテーを戦わせるというのが、恐らくハンニバルの今回の実験だ。

 

 何のデータを得るためにやっているのかまではわからない。自分達が勝つ事がその実験の成功を意味するのか、はたまた失敗を意味するのかもわからない。なので、本来ならばこの場から逃げ出し、実験を中止に追い込むのが一番良いのだが、退路は既に断たれているし、何より逃げる気になどならなかった。

 

 これがハンニバルの得になろうがなるまいが、シノンのためにもヘカテーは確実に仕留めなければならない。ヘカテーを討ち、《死銃》事件を終息させる。その目的は変わらない。変えてはいけないのだ。

 

 

「脚の機関銃を狙うんだ。まずは火力を()ぎ落せ!」

 

「相変わらず的確な指示で何より!」

 

 

 ディアベルの号令にリズベットが答えるように言い、彼の言ったエンプーサの脚部の機銃を撃った。ぶおんという音と共に撃たれた機関銃がスパークと火花を散らせる。《SAO》の時から司令塔を務め、狙うべき部位、戦い方を即座に見定めてくれているディアベルのその能力は《GGO》でも健在だ。おかげでリズベットのように、他の皆もエンプーサの火力の削ぎ落しにかかってくれていた。

 

 無数の弾丸が飛び交い、エンプーサの脚部に備え付けられている機関銃に次々と着弾していく。やがて六つのうちの二つの機関銃が破壊されたのが確認できた。しかしエンプーサも一方的に撃たれていただけではなく、狙われている機関銃で反撃を仕掛けてくる。お返しと言わんばかりに飛んでくる弾丸は、リランが搭載している《GAU-8 アヴェンジャー》が放つ三〇mm口径と同じくらいあるらしく、着弾した場所で軽い爆発が起きていた。

 

 全体的に高レベルであり、防御力も高くなっている皆ならば、ごく多少の被弾は何とかなりそうではあるが、それでも耐えられるのは四発から五発程度だろう。それ以上喰らえば一溜りもない。そんな火力を出せる武器を脚に、しかも六機も装備しているなど、やはりチート(ズル)もいいところである。

 

 

「なんつー威力だよ。あんなの当たったら一溜まりもないぞ」

 

「当たらなきゃどうって事ない……っていうわけには行かせてくれそうにないわね」

 

 

 アルトリウスとクレハのいる方から声がして、アサルトライフルからの弾丸とプラズマ砲弾がエンプーサの脚部に飛んでいくのが確認された。間もなく、エンプーサの二番目の左脚に装備されている機関銃が爆発し、もげ落ちた。これで三つ目。しかしまだ三機残っているから、油断などさせてくれない。

 

 それにそもそもエンプーサの武装が機関銃だけなわけがない。エンプーサの腕部は超巨大レーザーブレードが装着されているし、背中から生えている翅も、よく見ればハニカムのような模様があり、それはリランが普段装備している《ヘルファイアミサイル》の射出口の上蓋に似ている。恐らくあれは翅に見せかけたミサイルランチャーだろう。

 

 その砲門の数は咄嗟に数えて出せないくらいに多い。まるでとてつもなく巨大な雀蜂(スズメバチ)の巣だ。一度開かれて中の雀蜂――ミサイルの群れが発射されようものならば、あたり一面が無数の爆発に包み込まれ、さぞかし綺麗な更地になる事だろう。巻き込まれようものならば確実に(ちり)にさせられて敗北。その瞬間が鮮明に想像できて、キリトは背筋が凍りそうな気持ちになった。

 

 

「ねぇさ、オレ達の事を忘れないでくれるかなぁ!」

 

 

 直後、キリトの目の前に黒い影が躍り出た。黒い髑髏の仮面をつけた男、黒い戦闘服の男。ギフトだ。ビークルオートマタは破壊されたが、ギフト本人はまだやられていなかったのだった。瞬時にその事を思い出したキリトへと、ギフトの持つ大型ナイフが迫ってくる。

 

 

「このッ!」

 

 

 できる限りの速度を出して、キリトは光剣を抜刀してギフトの大型ナイフを迎撃した。不思議な事に、この《GGO》では鉄などの刃を持つ剣と光剣は鍔迫(つばぜ)()いができるようになっている。なので、ギフトの大型ナイフやステルベンのエストックの刃を防ぐ事も可能だ。

 

 光の刃と鋼鉄の刃が衝突し合って互いを止め、光と火花を散らす軽い爆発が起こり、両者の周囲が一瞬だけ昼のように明るくなった。ギフトの黒い髑髏の仮面がキリトの目前で光を反射してその姿をはっきりさせる。相変わらず表情は見えないし、どんな目をしているのかもわからない。だが眼光だけはしっかりと確認でき、そこにあるものが存在している事がわかって、キリトは一瞬だけ驚いた。

 

 対象を(しいた)げ、殺戮(さつりく)する事への快楽だけを求めているかと思われたギフトの目には、従順する者の光がある。まるで愛を与えてくれる親に愛を与え返そうとしている、もしくは親を喜ばせてあげたいと思っている子が宿すような光だ。

 

 やはり《笑う棺桶》の者達はハンニバルの事を親だと思っている。そして親を喜ばせたいという純粋な気持ちを原動力にして行動している。先程抱いていた疑問が確信に変わりつつあった。《笑う棺桶》はハンニバルの子供達。異常極まりないであろう愛で結ばれている者達――そう思った途端、激しく冷たい衝撃が背筋を()(まわ)った気がした。

 

 

「ねぇ、キリトさん」

 

 

 金属とエネルギーがぶつかり合うという、現実では考えられない現象が起こる事によって起きているために鳴り響いている不協和音に混ざって声がした。声色からしてギフトの声のようだった。こちらと鍔迫り合いをしているというのに、喋る余裕があるのか。キリトは軽く驚かされていたが、顔にそれを出さないようにした。

 

 続きが飛んでくる。

 

 

「キリトさんとシノンさんってね、ボスのお気に入りなんだよ」

 

「は?」

 

「ボスがさっきも言った通り、キリトさんとシノンさんに来てほしいんだよ。オレ達がいるところと同じところに、二人に来てほしがってるんだ」

 

 

 キリトは目を細めた。またそんな話か。ハンニバルがこちらを気に入っている事、来てほしがっている事など聞き飽きている。ギフトの大型ナイフに押し負けないようにしながら、キリトは返す。

 

 

「なんでそんなに俺とシノンに固執してるんだよ。ハンニバルはどうしてそこまで俺達にこだわるって言うんだ」

 

 

 そこに付け加えてきたのがシノンだった。

 

 

「どうせ実験台でしょ。私達に実験台になってもらいたいから、来てもらいたいとか、そういう話なんでしょ。《SAO》で色んなプレイヤーを実験台にした時みたいに、私達を使う実験があるから、誘いをかけてきてる。そうでしょ」

 

 

 シノンの言った事はキリトの言いたい事だった。ハンニバルがこれまでやってきた事を知っている身としては、こちらを誘っている理由などそんなものしか思い付かなかった。それを肯定(こうてい)するか否定するか――ギフトの反応は否定的に(かたむ)いていた。

 

 

「キリトさんにシノンさん、ボスはね――」

 

「そんな事は、しない。悔しくても、お前達は、ゴミではない」

 

 

 ギフトが急に力を抜いて後方に退いた。それによってできた暗闇から、今度は鋭い針のようなものが飛んでくる。ギフトの大型ナイフと同様にガードすると、それがエストックである事、そして赤い光を放つ目をした骸骨仮面の亡霊がすぐ目の前に来ていたのがわかった。ギフトがステルベンと交代したらしい。ギフトが突然退いた時点で予測できたので、キリトは驚かずに済んでいた。

 

 

「お前達は、俺達と同じ、特別だ。ボスが技術の開発などで、実験台にするのは、ゴミだ。だが、ゴミとして捨てるだけでは、惜しいから、実験台にしていたのだ」

 

 

 ステルベンの言った事にキリトは目を見開き、すぐさま歯を食い縛った。これまでハンニバルに実験台にされたプレイヤー達の姿が目に浮かぶ。彼らは何の罪も犯していないというのに、ハンニバルにゴミ扱いされ、実験台にされ、そして場合によっては殺されてきたというのか。

 

 

「ゴミだと? 他のプレイヤー達は、人々はゴミだっていうのか」

 

「そうだ。俺達が生きる事になった、このVR世界も、お前達が生きる現実世界を、破壊しようとしている、危険な、ゴミだ。それを、ボスは正しく処理している。お前達は、そうではない。お前達は、特別な存在、なんだ。だから、ボスは、お前達を実験台にする事は、ない」

 

 

 自分達は特別で、他はゴミ。最早面白いくらいの選民思想だった。自分達はハンニバルという最高神に選ばれた種族――どこまでも(おご)り高ぶっているハンニバルの思想を諸に受けて染まってしまっている。受け継がれてはいけない意志がウイルスのようになって伝染している。そんな気までしてきているキリトに、ステルベンは続けてきた。

 

 

「正直なところ、お前達を、俺は、許せないで、いる。だが、ボスの意向にも、賛成している」

 

「つまり、お前の言いたい事はジョニーと同じで、俺達に来いってか?」

 

「そういう、事になる」

 

 

 だろうな。キリトは直感でそう思った。ハンニバルに異様なまでに忠実であるこいつらは、例えかつて《笑う棺桶》を滅ぼした者を勧誘する事さえも、ボスの意志ならば(いと)わない。普通ならば絶対にやりたくないと考える事さえ、ボスの意志ならば従う。自分自身の意志などあるのかどうかさえも怪しくなるような有様と言えた。

 

 それと同じになれだって? ハンニバルに操られるだけの傀儡になれだって?

 

 

「ふざけるな」

 

「ふざけるんじゃないわよ」

 

 

 キリトの応答はシノンの声と重なった。合わせてシノンが《ヘカートⅡ》を発砲する。その狙いの先にいたのはステルベンだ。キリトと鍔迫り合いの状態になっている事によって動きが麻痺している隙を彼女は狙った。ステルベンがおかしな事を言っているのもその行動を助長したのは間違いないだろう。

 

 放たれた《ヘカートⅡ》の弾丸を、果たしてステルベンは一瞬の動きで回避して見せた。驚くべき瞬発力の発揮にキリトは目を見開き、そのまま闇へ踊ったステルベンを見る。

 

 何だその動きは。

 

 どうしてそんな動きができる?

 

 すぐに納得がいく事項を思い出した。そうだ、こいつらは既に人間ではなく、《電脳生命体》だ。リランとユピテル、ユイとストレアとヴァン、プレミアとティア、リエーブルとは違い、サチとマキ、エイジのところにいるユナと同様の、ナーヴギアが保存していたプレイヤーそのものの蓄積データから生き返ってきたタイプの《電脳生命体》。言うなれば人間の魂を素材にして作られているAIだ。それは彼女らと変わらない。

 

 彼女らとは明確な違いがこいつらには存在している。ハンニバルの手が加わっているのだ。元々の人格や性格等が完全に復元されたところに、AIならではの瞬発力、計算能力、状況把握能力が追加されている。身体の一部、或いは大部分を機械に換装する事で病気や怪我の治療をする以外に、身体能力や判断能力を大幅に引き上げる事のできるサイボーグと同じようなものだ。

 

 こいつらはVR世界におけるサイボーグのようなものになっている――そうとしか思えないようにしてくるのが、今のステルベンの動き、そして先程のギフトの移動方法だった。

 

 

「……!」

 

 

 それを思い付いたその時に、赤い光を放つ一対のカメラアイとキリトの瞳が交差した。禍々しい赤い光の中に、「どうだ?」とコメントを求めているような感情が垣間見えた。そこでキリトはステルベンの意思を把握できた。

 

 「俺達の仲間に、ハンニバルの子供になれば、こんな事だってできるようになるんだぞ」、「ハンニバルの子供になるという事は、こんなにも素晴らしい事なんだぞ」。ステルベンが、そしてギフトが身を以てこちらにそう教えてきている。「俺達の見ている世界はこんなにも素晴らしいのだから、ボスの誘いを断る理由なんてないだろう」、そんな問いかけをしてきているのがわかって仕方がなくなってきた。

 

 ハンニバルの子供になれば、あいつらと同じになれば、確かに人間では想像もつかないような世界が待っているのだろう。そうでなければ、ステルベンとギフトが報復心を封印してまでこちらに勧誘をかけてきている理由がわからなくなる。こいつらが見ている、ハンニバルの作る世界とは一体どんな――。

 

 

《人間から兵器に()ちた化け物が、偉そうに見せつけるでないわ!》

 

 

 不意に頭に響いた《声》でキリトは我に返った。リランの怒声だ。彼女は《GAU-8 アヴェンジャー》を起動し、闇を踊るステルベンに向かって弾丸を連射していた。ステルベンは《電脳生命体》ならではの動きを繰り出して回避して見せているが、同時にこちらに近付く事が困難になっていた。

 

 

「リラン……!」

 

 

 思わず声を漏らすと、返事が返ってきた。

 

 

《お前の事だ、大方あいつらがハンニバルに(くだ)ったが故に見えるようになった世界などに興味が湧き、その想像でもしていたのだろう》

 

「……」

 

 

 図星であるので何も言い返せなかった。リランの《声》は続く。

 

 

《あいつらは確かに不可抗力で《電脳生命体》になった。それだけならばサチやマキ、ユナと変わらないが、あいつらは明らかに《電脳生命体》だけが持てる能力を悪用したものを獲得している》

 

 

 やはりリランも自分と同じ結論に辿り着いていたらしい。彼らがハンニバルによって改造を受け、サチ達とは異なる能力を持つようになったという結論に。

 

 

《本来であれば、そんなものは必要ないのだ。VR世界に限定されるとはいえ、生きられるようになっただけで良いはずだ。なのにあいつらは、あのような不必要な力を得て、そしてこれまで多くの人間を殺してきている。生きるためには不必要な力を持ち、人間を効率的に殺してきた》

 

 

 リランは若干振り返って顔をこちらに向けようとしてきていた。白き鋼鉄の装甲の内に、見慣れた狼竜の顔が見えた気がした。

 

 

《キリト、他者を効率的に殺すために作られた道具は、何だ?》

 

 

 キリトは咄嗟に思考を巡らせようとした。他者を効率的に殺すために設計されてきた道具。それはすぐ傍にあった。口にしようとしたそこで、声に出したのはシノンだった。

 

 

「……銃」

 

 

 リランは頷いた。

 

 

《そうだ。その銃と、あいつらはもう何も変わらなくなっている。あいつらは銃のような兵器に堕ちたのだ。人間が持つべきではない力を持つ、兵器へと姿を変えている。ハンニバルの手下になるという事とは、そういう事なのだ》

 

 

 そこでキリトは気が付いた。ハンニバルの手下になったあいつらが見ている世界は、最早兵器が見ている世界と何も変わりがないという事。ハンニバルの下に入れ込まれようものならば、その時自分達もまた兵器と何も変わらないモノに変えられてしまうという事。

 

 ハンニバルは自分達を実験台にしたがっているのではない。兵器に変えたがっている。兵器と何も変わらない存在になってほしいから、実験台にしようとはしてこないし、こうやって何度も誘いをかけてきている。ようやく納得がいったような気がしたと同時に、胸の内に一つの感想が湧いて出てきた。

 

 それをキリトは口にする。

 

 

「……気色悪いな」

 

《そうであろう》

 

 

 リランが返してきた《声》を聞き取って、キリトはステルベンとギフトに向き直った。

 

 

「悪いけどお前らの誘いには乗らないよ。お前らがどういう存在になってしまったか、よく考えてから出直せ!」

 

 

 キリトは起動済みの《GAU-8 アヴェンジャー》のレバーを掴んで引き寄せ、ステルベンに向かって連射した。戦車や戦闘機を撃つための弾丸である三〇mm弾の簡易弾幕を、ステルベンは驚異的な速度と反射で回避していく。やはり化け物だ。プレイヤーでも人間でもない動きを発揮している。

 

 しかしキリトは射撃をやめようとは思わなかった。これ以上の暴挙など許してなるものか、今度こそ仕留めてやる――そう思って引き金を引き(しぼ)り続けた。地面に弾丸が飛び込み、その都度軽い爆発を引き起こす。その中をステルベンは悠然と飛び回っていた。

 

 当たる気配がほとんどない。視界のインターフェースに表示されている《GAU-8 アヴェンジャー》の残弾もかなり減ってきた。このまま撃ち続けたところで全弾を回避され、弾切れさせられるのが目に見えてきている。

 

 いや、それが狙いなのだろう。《GAU-8 アヴェンジャー》は非常に強力な重火器だ。先に潰しておきたいという気持ちは痛いほどわかる。ステルベンもギフトも、ハンニバルから受けた改造によって得た力で、リランの弱体化を(はか)っている。これではあいつらの思う壺だが、他にできそうな事が思い付いてこなかった。

 

 早い者には早い攻撃をするしか対処方法は基本的にない。遅い攻撃を仕掛けたところで、余程の追跡(ホーミング)力がなければ、何もしなかったのと同じになる。何ならばあの化け物達に打ち勝てる?

 

 

「ねぇ、私の事忘れてないかしら」

 

 

 その時キリトの隣で(ささや)くような声がした。思わず反応して目で追うと、シノンがいた。キリトの背後にいたはずの彼女はいつの間にか移動し――《荷電粒子ガトリング砲》のレバーを握り締めていた。そこはリランの背中からはみ出た空間のはずだったが、シノンは立っている。

 

 キリトは下を向いて彼女の足元を見た。器用な事に、シノンはリランの横腹、左脚の装甲の(わず)かな出っ張りに足先を乗せる事で体勢を維持していた。ほんの少し重心がずれればそのまま落ちてしまいそうだが、シノンはしっかりと立っていた。

 

 あまりの光景にキリトは言葉を失いそうになったが、

 

 

「なッ……!」

 

「げッ……!」

 

 

 ステルベンとギフトの驚きと焦りの混ざった声で我に返った。直後にシノンの構えている《荷電粒子ガトリング砲》が駆動音を立てて空転を開始する。

 

 

「私達の敵はヘカテーなの。あんた達の相手をしてる暇も、勧誘を受けてる暇もないのよッ!!」

 

 

 シノンの咆吼(ほうこう)に等しい怒鳴り声が飛ぶと同時に《荷電粒子ガトリング砲》が目を覚ました。闇を照らす青みがかった光の弾丸の筒状弾幕が、キリトの《GAU-8 アヴェンジャー》のそれと並んで展開される。

 

 

「ぐ、おぉッ」

 

 

 まさか二つのガトリング砲が同時に狙ってくるとは思っていなかったのだろう、ステルベンのペースが明らかな乱れを見せた。すぐさま二つのガトリング砲の射線とステルベンの現在地が合致し――無数の超大口径弾丸がステルベンの身体を貫いた。

 

 あれだけ得意げに色々言っていたステルベンは瞬く間に穴だらけになり、その《HPバー》を一瞬のうちに空にした。そして超大口径弾丸を喰らった衝撃によって後方へと吹き飛んでいった。間違いなく倒せた。だがこれで終わりではない。

 

 キリトはシノンと息を合わせて《GAU-8 アヴェンジャー》を動かした。その銃口の先にいたのは当然、ギフトだった。

 

 

「ちょっと、それは卑怯だって!!」

 

 

 ギフトの命乞いが聞こえた。

 

 卑怯?

 

 プレイヤー達を下等生物か何かのように見下し、浄化やら何やらの名目で殺してきたお前達が何を言うか。

 

 キリトは容赦なくギフトに射線を向け、撃った。そこにシノンの《荷電粒子ガトリング砲》も続く。予想外の二つのガトリング砲の一斉射撃がギフトを襲う。

 

 

「うわ、うわぁッ――」

 

 

 ステルベンと同様に、ギフトの位置とこちらの射線が一致した次の瞬間、ギフトはその身体を穴だらけにして飛んでいった。《HPバー》がゼロになったのも確認できた。ステルベンとギフト、ザザとジョニー・ブラック。これでどちらも沈黙させられた。

 

 後はもう一人のシノンというべき敵であるヘカテーだ。エンプーサという巨大花蟷螂型戦機に乗り込んでいるため、その姿は見えなくなっている。恐らくこのままでは攻撃を当てる事もできないだろう。そのためにはエンプーサを戦闘不能にし、ヘカテーを強制的に引きずりおろす必要がある。ここからが本番だ――キリトはそう思ってエンプーサに向き直ろうとした。

 

 

「皆さん気を付けて! ミサイルが来ます!!」

 

 

 同刻、レイアの叫びが聞こえた。皆がそれにはっとした次の瞬間だった。エンプーサが軽く身構えたかと思うと、その鋼の翅が展開された。張り巡らされているハニカム模様が動き、開く。そうして見えるようになったのは、無数のミサイルの弾頭部分だった。

 

 

「退避、退避してください!!」

 

 

 更に続けてデイジーが大声で伝えたそこで、エンプーサの翅から頭を出していたミサイルの群れが飛翔を開始した。

 


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