キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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15:反逆する《道具》 ―戦機使いとの戦い―

 

 

          □□□

 

 

 

「ユウキッ!!」

 

 

 シノンの悲鳴に近しい声が木霊(こだま)する。

 

 ユウキがサトライザーにやられたのは確認できていた。その光景は驚くべきものだ。絶対なる速度の剣――即ち絶剣の異名を持つユウキの剣捌(けんさば)きを、あのサトライザーという男は容易(たやす)くいなし切り、受け止めて無効化し、そしてユウキを格闘術だけで戦闘不能に(おちい)らせた。

 

 自分の仲間達の中でほぼ最強の立ち位置にいるはずのユウキがあんな簡単にやられてしまうなど、信じられないような光景だ。それだけサトライザーとユウキの戦いは一方的なものだった。いや、最早(もはや)ユウキがサトライザーに(なぶ)られただけと言っても間違っていないくらいだ。

 

 更に彼女だけではない。ユウキにとって大切な人であり、キリトにとっては親友であるカイムもサトライザーの連れている鋼黒龍(こうこくりゅう)にやられてしまっていた。カイムもほとんど反撃も攻撃もできないまま、あっという間に追い詰められてやられた。彼も今、鋼黒龍の足元で戦闘不能のアイコンを頭上に出して倒れている。

 

 そのカイムがやられる寸前、キリトは妙なものを見せられた気になっていた。鋼黒龍はカイムの腕に喰らい付き、そのまま喰い千切ったのだが、その時にカイムは身の毛が粟立(あわだ)つような悲鳴を上げていた。まるで本当に腕を千切られたかのような絶叫だったものだから、聞いた者全員が驚いて戸惑っていた。

 

 《GGO》には部位欠損という状態異常があるため、腕や足が攻撃を受ける事によって損失する事は珍しくない。そしてそうなった場合は《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が比較的強く働き、痛みによく似た不快感が若干走る程度で済む。そのはずなのに、カイムはあの時《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が動いていないような反応を示してしまっていた。

 

 それがわからない。カイムのあの苦痛の感じ方は一体なんだ。少なくとも嫌な予感しか(いだ)けない。サトライザーと鋼黒龍は何かがおかしい。あいつらには《GGO》の常識を(くつがえ)している部分があるようにしか感じられなかった。

 

 その鋼黒龍はカイムを戦えなくしたのを確認すると四つん這いの姿勢になって、そのままとある方向へと走り出した。その先に居るのはリエーブルと、彼女を守ろうとしているアルトリウス、レイア、クレハ、ツェリスカの四人だ。

 

 サトライザーと鋼黒龍は使えない道具となったリエーブルを処分するためにここへやってきた。ユウキとカイムが障害となってくれていたが、その排除に成功したため、鋼黒龍は本来の目的であるリエーブルを狙い始めたのだ。

 

 精鋭であるユウキとカイムをあんなに容易く撃破してみせたのがサトライザーとその従者の鋼黒龍、そんなものに狙われたら彼らでは一溜りもない。キリトは咄嗟(とっさ)にリランを走らせて鋼黒龍へ突進を仕掛けた。

 

 鋼黒龍の動きの速さもあって一瞬のうちにリランと鋼黒龍の距離は縮まり、リランの渾身(こんしん)の突進が鋼黒龍の横腹に直撃した。

 

 重い鉄がぶつかり合ったような轟音(ごうおん)が鳴り、火花が散って世界が一瞬オレンジ色に発光する。衝撃がリランの身体を通じてキリトの腹の底にまで伝わり、鋼黒龍の防御力の高さを認識させてきた。

 

 手応えはほとんどない。リランのタックルはいつもかなりの威力を発揮してくれるものだが、鋼黒龍にとっては些細(ささい)なものであったらしい。しかし鋼黒龍の進路、ターゲットの変更には成功させられた。

 

 鋼黒龍はオレンジ色のカメラセンサーをこちらに向けてきているが、それはキリトの目と合った。攻撃してきたリランではなく、その搭乗者であるキリトを(にら)み付けてきている。

 

 つまり狙いは自分の方だ。こいつはビークルオートマタに攻撃されると、その搭乗者を狙うような思考ルーチンをしているのか。キリトはごくりと(つば)を呑み込む。鋼黒龍のカメラセンサーはあまりにも禍々しかった。まるで本当に生きていて、殺戮(さつりく)と破壊を何よりも愛しているかのような異常極まりない雰囲気だ。

 

 それこそ、《SAO》の時にPoH(プー)――その根源はハンニバルだった――が作り出した殺人ギルド、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の者達のように、殺戮と破壊の快楽を覚えてしまっているかのよう。

 

 そんな感情を抱いているかのような鋼黒龍とその主であるサトライザーは、やはり異常だ。あいつらは一体何なのか改めて気になってきたが、そんな事を気にする(ひま)を鋼黒龍は与えてくれなかった。彼の者は(あぎと)を開いて咆吼(ほうこう)したかと思うと、肩から伸びている火砲を発砲してきた。

 

 砲弾の襲来を瞬時に察知してくれたリランが咄嗟にサイドステップして回避してくれたが、それまでいた空間を砲弾が貫いた直後に爆発が起きる。榴弾(りゅうだん)だ。あの火砲は榴弾砲か重迫撃砲であったらしい。

 

 できればリランが搭載している超大口径狙撃砲のような狙撃砲、超大口径貫通弾砲であってほしかったが、鋼黒龍はそんなに甘くなかった。放った弾はしっかり爆発する重榴弾。つまり鋼黒龍は肩に二台戦車を搭載しているようなもの。

 

 更に見れば左上腕部にはリランのそれと同じと思われるガトリング砲が、右上腕部にはより強力そうなミサイルランチャーまでもが搭載されている。とりあえず火力のあるものをとりあえず載せまくったような、見方を変えれば頭が悪いとしか言えないような武装の数々。まさに重火器の欲張りセットだ。

 

 なんてこった。最高じゃないか。アレは最早(もはや)黒き首長ドラゴンの姿をした高機動型要塞のようなものだ。そんな何とも頭の悪い武装をしたドラゴンの火力は単純明快であろう。何もかもを消し炭に変える事ができ、広大な廃墟(はいきょ)十分(じゅっぷん)も経たないうちに更地(さらち)になる。

 

 是非(ぜひ)とも手に入れてみたい、もしくはリランに再現した武装をさせてみたいと思うが、そんなものが敵になっているこの状況は笑えないどころではない。まともに戦ったところで勝てるかどうかは怪しく、そして一撃でももらえばリランでさえ危ういだろう。やはりとんでもない奴が敵になってしまった。

 

 そしてあの鋼黒龍の防御力もかなり高いようだ。現にリランの突進を喰らっても鋼黒龍は平気な顔をしているし、《HPバー》も減少している様子がない。

 

 圧倒的な防御力を持っているものと言えばエムのビークルオートマタである《霊亀(れいき)》がそれであるが、霊亀には鈍足という弱点があった。

 

 しかし鋼黒龍は霊亀並みの防御力を持っているにも関わらず、素早い動きを可能としている。つまりは霊亀の上位互換。そして搭載している重火器、近接攻撃の威力は恐らく自分の知っている戦機達の上を行き続けているだろう。

 

 そして何よりあいつは――そう思った矢先、鋼黒龍は左腕を突き出してきた。間もなく取り付けられているガトリング砲の空転が始まり、大口径弾丸が連射されたが、目の前が赤白色に染め上げられて(まぶ)しくなった。《弾道予測線(バレット・ライン)》が伸びてきている。リランを狙っているかと思われる簡易筒状弾幕(かんいつつじょうだんまく)は、果たしてキリトを狙って飛んできていた。

 

 まさか自分の方を狙ってくるとは思ってもみなかったキリトはぎょっとしながらも、瞬時に伏せる事で弾幕の中から少しでも外れようと(こころ)みた。しかし完全に回避できたわけではなく、キリトの右腕の周辺を一発の弾丸が(かす)った。

 

 

「ぐッ!?」

 

 

 その時起きた異変にキリトは呻いた。今、弾丸の飛来を受けた右腕に熱と痛みが走った。いつもの弾丸を浴びた時の不快感ではあるものの、いつもよりもそれが抑えられているというか、本当の痛みと熱に近しい感覚だった。やはりそうだ。嫌な予感が当たってくれた。

 

 どういう理屈なのかわからないが、あの鋼黒龍の攻撃は《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》を抑制しているような不快感――最早痛みと熱と変わらない感覚を与えてくるようになっている。《ALO》でも一部そんな効果があるスキルがあったような気もするが、《GGO》でもそれは採用されており、あの鋼黒龍に適用されているのだろうか。

 

 だとすればカイムがやられた時の反応も説明がつくが、それならば尚更(なおさら)最悪だ。あいつの攻撃は本当に近しい痛みを与えてくる。迂闊(うかつ)に攻撃を受けないようにしなければならないし、あいつの攻撃を受けた皆がどんな事になるか想像もしたくない。

 

 何もさせずに倒すしかなさそうだが、どうすれば良いのか想像もつかない。それだけ鋼黒龍とサトライザーの組み合わせは自分の遥か上にいる存在だと思えた。

 

 

「言っておくが、そいつは私が気に入っているものだ。少しの事では壊れないから注意しろ」

 

 

 鋼黒龍の持ち主サトライザーは注意勧告のように言ってきた。それだけ自分のビークルオートマタに、そして自分自身の戦闘能力というものに自信があるという事の現れである。それが間違っていないうえに、どう(くつがえ)せばよいかわからないから、キリトは怒りを(あらわ)にするしかなかった。

 

 

「このっ、調子に乗りやがって……」

 

《自信はあるだろうな。ユウキをあのようにいなせておるだけでも、それだけ奴には戦闘力があるという事だからな》

 

 

 リランは冷静にサトライザーの分析をしてくれているようだった。だが、その答えはキリトの欲しいものではなかった。サトライザーと鋼黒龍が持っているスキルについての説明が欲しい。《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》をほぼ無効化しているような痛みと熱さを与えてくる攻撃の仕組みが知りたい。

 

 それをキリトは問うた。

 

 

「リラン、分析してるなら教えてくれないか。あいつらの攻撃を喰らったら、本当に痛かったぞ。あれはどういう仕組みなんだ」

 

《本当に痛かった?》

 

「あぁ。《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が働いてないみたいだった。カイムがあれだけ痛がったのもそれが原因だろ。あれはどういう理屈なんだ」

 

 

 リランのカメラアイの光が細くなる。サトライザーと鋼黒龍に更なる解析を試みようとしているようだが、すぐに《声》が返ってきた。

 

 

《それについてはわからぬ。だが、《GGO》にはそういうスキルが存在していて、あいつらがそれを持っているのは確かのようだな》

 

「……それ、俺も思った事なんだけど」

 

《我も考えたらそう思ったのだ。今のところはせいぜいそのくらいしかわからぬ。だがいずれにしても、奴らの攻撃は下手に喰らえないぞ。喰らえば本当の痛みが来るのであれば、プレイヤーそのものの肉体や精神に影響が出る危険性も(ぬぐ)えなくなる》

 

 

 アミュスフィアでフルダイブVRMMOを遊んでいるプレイヤーは安全が確保されている。フルダイブVRMMOには原則として《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が搭載されており、ゲームの中で痛みを感じそうな体験をしたとしても、それが軽い不快感になる程度になっているからだ。

 

 本当の痛みを感じたりするようであれば、現実の脳にまでその信号が伝わってしまい、身体や精神に異常をきたしたりする危険性がある。

 

 だからこそ《ザ・シード》で作られているゲームには基本的に《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が搭載されるようになっているのだが、時には厳しい条件付きではあるものの、それを無視する事ができるようになるものが出てくる事もある。

 

 《GGO》にそれがあり、そして奴らはそれを持っている。現状はそうだった。

 

 

「そんなもんを使うなんて、とんでもない異常(サイコ)野郎だな」

 

《同感だ》

 

 

 リランの《声》がした直後、鋼黒龍は再びガトリング砲を連射してきた。狙いはやはりキリトに向けられていた。今度はリランは地面を蹴り上げて更にバーニアも吹かす事で速度を上げて回避をしてくれた。しかしそれでも鋼黒龍は執拗(しつよう)に弾幕を飛ばしてきた。

 

 反撃しようにもリランに搭載されている重火器を使おうとすれば、その時には減速が起きてしまうため、一瞬のうちにリラン共々あの弾幕に撃ち抜かれて穴だらけにされるだろう。全く反撃ができない。

 

 恐らくはそれも計算のうちだろう。鋼黒龍は思いの外高い知能を持ったAIを搭載しているタイプのビークルオートマタなのだ。本当に揃ってほしくない要素ばかりが揃い踏みしている。

 

 

「キリトさんばかり狙ってんじゃないわよ!」

 

「こっちにもいるんだぞ!」

 

 

 ふと声がしたかと思うと、鋼黒龍を火薬の爆発と電気の爆発が襲った。アルトリウスとクレハだ。アルトリウスは《M4》下部に装着されているグレネードランチャーで、クレハは光学弾対応型ロケットランチャーで鋼黒龍を撃った。

 

 

(まず)い……!)

 

 

 キリトは口の中で(つぶや)いた。リランでさえ相手にするのが難しいのがこの鋼黒龍であり、生身のプレイヤーでは全く歯が立たないのは目に見えている。彼らがあいつに狙い撃ちされたら一溜りもない。

 

 そして更に拙い事に、鋼黒龍の狙いはアルトリウス達の方に向いてしまった。鋼黒龍は頭をアルトリウス達の方へ向けるなり、またしてもかっと咢を開いて咆吼した。ターゲットがアルトリウス達の方へ向けられてしまったのだ。

 

 鋼黒龍の目線の先に居るのはアルトリウス、クレハ、レイア、ツェリスカの四人。デイジーとイリスがリエーブルを守るために離れてくれているが、鋼黒龍はあの四人を退けた後にリエーブルを含む三人を襲うだろう。

 

 《GGO》で戦っている時間の長かったシノンは一人、誰からも離れて鋼黒龍の死角に入って狙撃銃を構えている。シノンは狙われる心配はないかもしれないが、アルトリウス達は明らかに危険である予感しかしない。

 

 その予感は即座に的中した。鋼黒龍の開かれた口の奥から爆炎が吐き出された。火炎放射攻撃である。鋼黒龍の口のすぐ近くは青く、遠くなるにつれて赤くなっている火炎がアルトリウスとクレハとレイアを薙ぎ払おうとするが、三人はすぐさま反応して回避してくれた。

 

 

「熱ッ……!?」

 

 

 しかし回避が若干遅れていたクレハは火炎を受けてしまい、衣装のデザインの関係上露出している左腕にダメージエフェクトを発生させていた。

 

 クレハは一瞬驚いたような顔をしたかと思うとすぐに苦悶(くもん)の表情を浮かべ、焼けた左腕を押さえた。鋼黒龍の《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)弱化効果》が働いて、本当に火炎を当てられたような感覚を抱いたのだろう。

 

 キリトは皆に呼びかける。

 

 

「そいつの攻撃には当たるな! 《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が何故だか上手く機能しないんだ。喰らうと本当に痛いぞ!」

 

「《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が機能しない? そんな不具合が……いえ、そんな危険なスキルを実装してしまっているの!?」

 

 

 一番最初に喰い付いてきたのは意外にもツェリスカだった。彼女は信じられないものを聞いたような顔をしている。

 

 そういえばツェリスカはいつもこんな感じだ。このゲームであまりに大きな出来事や常識外れの現象に遭遇したりすると、決まってこんな反応をする。まるでこのゲームを近くで観察し続けているかのように。

 

 その理由は何故なのか聞いてみたい気もしているのものの、それは彼女のプライベートを詮索(せんさく)する事になるので、余計な事だと思っていつも取り下げていた。そして今もそんな反応をしている理由を尋ねたいと思いそうだが、鋼黒龍とサトライザーに狙われている今はそんな事をしている場合ではない。

 

 現に鋼黒龍は攻撃を回避したアルトリウスとクレハとレイアに狙いを定めて次の攻撃を繰り出そうとしていた。最早(もはや)鋼黒龍とまともにやり合うのは得策(とくさく)とは言えない。何か別の方法で奴らを止めるしかないだろう。

 

 ビークルオートマタを持っているプレイヤーと戦っている時、そのビークルオートマタが強すぎて勝ち目がない場合にはどうするべきか。それはビークルオートマタの持ち主を倒す事だ。ビークルオートマタと持ち主は一心同体みたいなものであり、持ち主が戦闘不能になればビークルオートマタも機能停止し、戦闘不能となる。

 

 つまり今やるべきは鋼黒龍とまともにやり合うのではなく、鋼黒龍の持ち主であるサトライザーを撃破する事だ。鋼黒龍は最早レイドボスと何ら変わらないほどの戦闘力を持っているから、少人数での撃破は不可能と考えていい。サトライザーを撃破する以外に、あの鋼鉄の黒き龍を止める方法はないだろう。

 

 ほぼ本末転倒みたいになっているが、鋼鉄の黒き龍という従者を止めるために、あの《闇の皇帝》を倒すのだ。キリトは咄嗟にシノンの方へ向き直った。シノンは狙撃手という立場上、鋼黒龍から離れて、ターゲットの外にいる。

 

 そしてシノンの持っている《ヘカートⅡ》は並みのプレイヤーを一撃で倒せるだけの威力を誇っている。あれでサトライザーを狙い撃てば一撃で終わらせられるはずだ。それを何よりも理解しているであろうシノンはというと、キリトが考えるより先に射撃体勢に入ってくれていた。その銃口はサトライザーを狙っている。後は引き金を絞るだけでサトライザーを撃ち抜けそうだ。

 

 その先に居るサトライザーは足元に戦闘不能になっているユウキを置いたまま腕組をして鋼黒龍を見つめていた。シノンに気付いている様子はないように見える。

 

 まるで鋼黒龍が暴れる様子が楽しくて仕方がないかのようだ。サトライザーはあの鋼黒龍に何か思うところでもあるのだろうか。

 

 いや、まさかサトライザーと鋼黒龍は心を通わせている? 自分とリランのように?

 

 そんな考えにふと頭を支配されたそこで聞こえた発砲音でキリトは我に返った。シノンの《ヘカートⅡ》の引き金が絞られ、大口径の弾丸が空気を切り裂いて飛翔した。そのまま真っ直ぐサトライザーへ向かっていく。放たれたのは対物ライフルの弾丸。避ける事も耐える事も不可能だ。

 

 これで決まりだ。

 

 

「ふっ」

 

 

 と思われた刹那(せつな)、サトライザーの顔に笑みが浮かんだかと思うと、その身体が動いた。その動きによって飛んで来ていた対物ライフル弾が何もなくなった空間を切り裂いて飛んでいき、サトライザーの背後の壁に突き刺さった。

 

 

「な……」

 

「え……」

 

《なん……》

 

 

 キリト、シノン、リランの順で思わず声を発した。三人揃って瞠目(どうもく)してしまっている。サトライザーは避けた。シノンの放った対物ライフル弾を、撃たれたが最後回避不可能とされている弾丸の飛翔を、(わず)かな動きだけで回避してみせた。

 

 しかもこちらに目を向けていなかったというのに。瞬発力だとか咄嗟の判断力でどうにかなる問題ではない。常軌(じょうき)(いっ)した反応速度の発揮だった。

 

 

「そうだな。ジブリルだけにやらせておくのは怠惰(たいだ)というものだ」

 

 

 サトライザーはそう言ったかと思うと、床を蹴って走り出した。その速度は敏捷性(アジリティ)極振りのレンやユウキに(かな)わないが、かなりの速さが出ていた。その速さでサトライザーはシノンの許へ向かっていっていた。今度はシノンを狙う気だ。ユウキの時のようにシノンを叩き伏せるつもりでいる。

 

 

「!」

 

 

 シノンはぎょっとして逃げ出そうとしていたが、それより先にサトライザーはシノンのところに辿り着こうとしていた。次の瞬間には絞め上げられるシノンの姿がキリトの脳内に浮かび上がる。

 

 

「やめろッ!」

 

 

 キリトは咄嗟にリランからジャンプし、サトライザーへと向かう。しかしシノンの位置がかなり遠い事が裏目に出たようで、すぐさまサトライザーとシノンのところへはいけそうになかった。着地したキリトは全身の力を脚に乗せて走り出す。だが、それでもまだ足りない。

 

 そしてサトライザーはシノンのところに辿り着いた。シノンは咄嗟にサブウェポンとして携行しているマシンピストルを取り出したが、サトライザーはすぐさまシノンの手を叩いて落とさせる。ユウキの時と同じだ。反撃を許さない。

 

 

「あっ……!」

 

 

 走った痛みに驚いたのだろう、シノンの動きが止まってしまった。すかさずと言わんばかりのサトライザーは彼女の鳩尾(みぞおち)に向けて拳を放った。どすんという鈍くて嫌な音が鳴ると同時にシノンの身体が前のめりになる。

 

 

「――かはッ……」

 

 

 シノンは目をかっと見開いて(うめ)いた。明らかにこれまでの《GGO》では考えられない反応をしている。サトライザーはやはり《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》を無視して痛みを与える事ができるのだ。つまり今シノンはサトライザーに本当に痛め付けられている。

 

 それがキリトの中の怒りを燃やした。怒りは口に到達して咆吼となって出る。

 

 

「貴様ァァァッ!!」

 

 

 その怒りを乗せてキリトは光剣でサトライザーを一閃しようとした。しかしその時にサトライザーは回避に入っていた。反撃に入ってくるかと思いきや、サトライザーは回避を繰り返してこちらから距離を取った。

 

 同時にサトライザーのいた空間を次々弾丸を貫いていった。独特の稼働音がする。ミニガンのものだ。キリトはシノンを支え、音の発生源へ視線を向けた。そこにいたのはリエーブルだった。リエーブルはミニガンを構え、サトライザーに銃口を向けている。

 

 狙われたサトライザーは涼しい顔でリエーブルを見つめ、リエーブルは息を荒くしてサトライザーを睨んでいた。

 

 

「何のつもりだ、リエーブル。私はお前のマスターだが」

 

「えぇそうですよ。あなたはわたしのマスターでした。わたしに役目を与えてくれた人でした。あなたに役目を与えてもらえて、わたしは嬉しかった。こんなわたしでも必要としてくれる人がいたんだって思えて、嬉しかったですよ。だからこそ、どんなに無茶な命令でもこなそうと思えました」

 

 

 リエーブルは首を横に振る。

 

 

「でも、それは最初から間違っていました。わたしはそもそもアファシスじゃなかったんですよ。自分で自分をアファシスだと、特別なアファシスだと思い込んでいただけだったんです。無茶な命令に従う必要もなければ……」

 

 

 言いかけたリエーブルはサトライザーをきっと睨み付ける。明確な怒りがそこに見えていた。

 

 

「世界を滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にしようとするあなたをマスターと思う必要もなかったんですよ。だってわたしはそもそもアファシスじゃないんですから。あなたの下した命令に従うべきだったのは、他の《アファシス Type-Z》であり、わたしじゃなかったんです」

 

 

 サトライザーは「ほぅ」と言った。意外なものを見せつけられているかのようだった。いや、実際そうなのだろう。リエーブルがここまで口答えしてくるのは意外だったのだ。

 

 

「お前は自分をアファシスではないと認識しているのか。そんな事ができるAIがこのゲームに実装されているとは……これは予想外だな」

 

「だから言っているでしょう。リエーブルはアファシスではなかったの。だからあなたの命令にこれ以上従う事もないし、そもそもあなたはリエーブルのマスターですらないの」

 

 

 アファシスを愛しているというツェリスカが強い口調でサトライザーに告げる。それはつい先程も言っていた事だったが、それを無視したのがサトライザーだった。そのサトライザーに向けてリエーブルは言い放つ。

 

 

「あなたはさっき、わたしを処分しに来たと言ってましたよね。ならわたしは、あなたのその目的を全力で拒否します。アファシスとしてではなく、わたし一個人として、あなたのやろうとしている事を拒否させていただきます。それでですね、あなたが今襲っているこの人達の中には、わたしの家族もいるみたいなんですよ。なので、家族に手を出しているというあなたの行為は許しがたいものなんです」

 

「リエーブル……!」

 

 

 そこで驚いていたのがイリスだった。リエーブルは今明確に家族という言葉を使い、サトライザーに銃を向けている。リエーブルには家族の記憶がないうえに、家族を認識できないという話だったが、それは外れているという証明だった。

 

 リエーブルには家族という概念を認識でき、誰かが族なのか、誰が大切な人なのかをしっかり理解できるのだ。リエーブルはサトライザーを見つめつつ下唇を噛んでから、再度口を開けた。

 

 

「わたしにとってあなたはマスターであり、大切な人でした。しかしそれも本日この時を(もっ)て終了です。お覚悟を……!!」

 

 

 その言葉を皮切りにしてリエーブルはもう一度ミニガンでサトライザーを撃った。サトライザーは連続ステップで回避していく。あまりに軽やかな動きは現実でもそのような動きができると判断できるものだった。こいつはただならない運動をするような生活を送っているらしい。

 

 リエーブルからの射撃が止むと、サトライザーは不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「まさかお前が私に牙を剥いてくるとは、面白い事もあるものだ。いいだろう。ならばお前の大切な家族を全部奪ってやろうじゃないか!」

 

 

 その声に合わせて鋼黒龍が再び咆吼するや否や、サトライザーはジャンプして鋼黒龍の背中に飛び乗った。キリトがリランに《SAO》の時からやっている《人竜一体》を成し遂げると、その一対の操縦桿(そうじゅうかん)をしかと握り締め、鋼黒龍はこの時を待っていたと言わんばかりの歓喜の声を上げる。

 

 その様子はまるで西洋の(いにしえ)の皇帝が馬を(またが)る絵画のようだ。《闇の皇帝》という異名を持つサトライザーは鋼の黒龍に跨る事で本当の皇帝となる。そんな気がしていた。そして今の瞬間を以てサトライザーと鋼黒龍はターゲットをリエーブルから自分達全員へと移したようだ。

 

 現にサトライザーと鋼黒龍を中心にして恐るべき悪意が渦を巻いている。倒すべきものは徹底的に倒して叩き潰して、跡形もなく消し去る――そのような思想が現れている禍々しい悪意が空間を満たそうとしていた。サトライザーはこの悪意を持って自分達を消し去るつもりでいるのだろう。

 

 

「キリト……!」

 

 

 キリトははっとして顔を向けた。サトライザーに一撃入れられて動けなくなっていたシノンが顔を上げてこちらを見ていた。

 

 

「シノン!?」

 

「リランのところに戻って……悔しいけどあいつにはあなたとリランが揃ってないと太刀打ちできないわ。私の事は良いから、早くリランのところに」

 

 

 頼み込んできているシノンだが、どうにも顔色は優れているとは言い(がた)い。サトライザーの一撃がかなり効いてしまっているのだ。動けるだろうが、そこまで早く動く事はできないだろう。そこでサトライザーと鋼黒龍に狙われたら一溜りもないし、あいつらの攻撃には《痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)》が働きにくいと来ている。

 

 強い痛みを伴う一撃を受けた後のシノンがもう一度それを喰らったならば、それこそ本当に現実の身体に影響が出かねないだろう。しかしリランのところに戻れという彼女の頼みを放っておく気にもならない。

 

 ならばどうすれば良いか。その答えをキリトは即座に出して、シノンに応じた。

 

 

「あぁ、リランのところに戻る。ただし、君を置いてはいかないよ」

 

「え?」

 

 

 キリトは地面に落ちているシノンの銃器を拾い上げてシノンに持たせると、その身体をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。マシンピストルと対物ライフルというだけあって、いつもよりかなり重く感じたが、それでも構わずキリトはシノンをしっかりと抱えてジャンプし、リランの背中に飛び乗った。

 

 ずしんという重い音がして、リランの身体が一瞬だけ下方向にずれ、《声》が頭に響く。

 

 

《し、シノンも一緒なのか!?》

 

「シノンは重傷だから放っておくわけにいかないだろ。だからシノンも一緒だよ。シノン、俺にしっかり掴まってくれ」

 

 

 シノンはきょとんとしっぱなしだったが、やがて頷いてキリトの身体に手を廻してきた。ひとまずはこれでシノンを心配する必要があまりなくなった。後はサトライザーと鋼黒龍のコンビと戦うだけだが、それはとても強大だった。

 

 サトライザーは自身がどれだけ優勢になっているかわかっているようで、不敵な笑みを浮かべたままになっている。

 

 

「いいぞ。そうではなくては面白くない。いや、潰し甲斐(がい)がないというものだ――」

 

 

「はぁ。どうしてこう、僕の友達には変な奴らが絡んでくるんだろうね。おかげで安心している暇が全然ないよ」

 

 

 

 サトライザーの言葉の直後、どこからともなく声がしてきた。飄々(ひょうひょう)とした余裕のある青年の声色。聞き覚えがあるどころではないもの。その声に皆が驚いた次の瞬間、鋼黒龍の背中が爆発して炎上した。それまで凍て付くような悪意に満たされようとしていた空間が激しい熱風に支配される。

 

 

「今のは――!」

 

 

 その一部始終を見ていたアルトリウスが声を上げたその時、鋼黒龍の背後方向から甲高い音が聞こえてきた。非常に身体の大きな鳥が発するような鳴き声。誘われて視線を向けたところで、その正体が割れた。

 

 白い装甲で身体を構成した三つ目と三つ足の巨大鳥だ。日本神話に出てくる八咫烏(やたがらす)を未来科学技術で再現したようなもののアルビノバージョンとも言うべき存在が、こちらに向けて飛んで来ている。その背中にいるのは茶髪で茶白のスーツの青年。

 

 イツキだった。

 

 

「「「「イツキ!!」」」」

 

 

 キリト、アルトリウス、レイア、ツェリスカの声が重なった。まさか現れると思っていなかったイツキは飛ぶ白の鋼鉄八咫烏《神武(ジンム)》の背中に乗ったままハンドサインを返し、そのままこちらへと飛んできた。やがてアルトリウス達の前に壁のようになって、鋼黒龍の前に立ち塞がる。

 

 

「イツキ、どうしてここに?」

 

 

 誰もが思って居るであろう疑問をアルトリウスが口にすると、イツキは軽く頭を掻いた。

 

 

「ようやくログインする時間が確保できたから、アーサー君達と遊ぼうと思ってね。チームのウインドウを見てみたら、交戦中になったまま変わらなかったから、何かあると思って駆けつけたんだよ。……こんな恐ろしいのが出てきてるなんてね」

 

 

 そう言えば《ホワイトフロンティア》が実装されたからというもの、イツキの姿を確認する事はできていなかった。きっと多忙(たぼう)でログインできないんだろうと思っていたが、そのとおりであったらしい。そしてとても良いタイミングで来てくれた。

 

 

「この炎はナパームか……厄介なものを……」

 

 

 ごうごうと燃え上がる鋼黒龍の背中から声がした。見ればサトライザーが身体を燃やしながらこちらを睨み付けていた。驚くべき事に、一向に減る気配のなかった《HPバー》が減少していた。しかもかなりの勢いで。

 

 まるで地獄で燃やされる幽鬼のような相貌(そうぼう)になったサトライザーに、イツキは答える。

 

 

「そうさ。僕の神武は君のドラゴンと同じで……いや、君のドラゴンよりも火炎攻撃が得意なんだ」

 

《炎が得意なのは我もそうなのだが……我が一番遅れておる……》

 

 

 消え入りそうな音量のリランの呟きが聞こえた。どうやら自分にしかチャンネルを合わせていなかったようで、イツキは何もなかったように続けた。

 

 

「どうやら君は炎に弱いみたいだね。それだけ炎の扱いが得意そうなドラゴンを従えてるっていうのに、皮肉だ」

 

 

 あいつは炎に弱い? キリトは一瞬疑ったが、それが真実だとすぐに分かった。サトライザーの身体を包む炎が一向に消えない。普通ならばあそこまで長く燃えている事はないはずなのだが、サトライザーは燃え続けており、《HPバー》の減少も止まらない。一度火が付くと燃え続けてしまって消えない。それがあいつの装備の弱点なのだろうか。

 

 その装備を(まと)い、炎に包まれているサトライザーはというと、苦痛を感じつつも冷静さを保とうとしているような、歪なものになりそうになっていた。

 

 

「くそッ……余計な機能だ……だが、だからこそ面白い――」

 

 

 サトライザーは燃やされながらも戦う気を失っていなかった。そんな、まだやるのか――そう思ったその時、彼の者を乗せる鋼黒龍はミサイルポッドの蓋を開かせて、ミサイルを十数発発射した。それはこちらの前方、自分達とサトライザーの間の空間に降り注ぎ、爆炎と煙を撒き散らしてきた。

 

 

「なんだ!?」

 

 

 思わず腕で顔を覆い、炎と煙を防ぐ。これは目くらましか。だとすれば危ない――キリトは炎と煙が去り切るより先に目を向け直したが、そこで驚く羽目になった。

 

 こちらを完全に叩き潰すつもりであったであろう鋼黒龍とサトライザーの姿はなかった。

 

 

「あ、あいつらは……」

 

《……あの黒龍が、サトライザーを逃がしたのか……?》

 

 

 驚いているリランの呟きが頭の中に響いた。それまで空間を包んでいた悪意も殺気も、轟音もなくなって静まり返っていた。

 

 




――原作との相違点――

・リエーブルがサトライザーに反逆する。

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