キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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07:黒猫の目覚め

 

 

 

 

          □□□

 

 

 猫型戦機を倒す事に成功した。一番の勝因はサチの援護射撃であった。不意に攻撃を受けてしまって動けなくなった自分に迫った猫型戦機を、サチが撃ってくれた。そのおかげで猫型戦機は姿勢を崩して倒れ、隙だらけになった。その時にキリトは復帰できて、猫型戦機の弱点に一撃入れて、そのまま倒せた。

 

 そして残った猫型戦機もヴァンの一撃によって倒され、クエストは完了された。これでサチとマキリは助かったのか――そう思って振り返り、彼女達の様子を確認したが、二人はそこで眠っていた。先程のような苦悶の表情は一切なく、安心しきった顔で、寝息を立てながら眠りに就いていた。

 

 解析をかけたユイとユピテル、そこに加わったイリスによると、二人を蝕んでいたブラックボックスは消失し、二人はまともな状態に戻ったのだという。それによって二人は眠りに()いたが、もうしばらくすれば目を覚ますだろう――イリスはそう告げて、二人を一旦リランの背中に載せさせた。

 

 その後すぐにレイアが何かメッセージを受信したと報告してきた。《夜の女王への道が開かれた》。メッセージにはそう書いてあったらしい。《夜の女王》とは今の二体の猫型戦機ではなかったのか――キリトが疑問を抱いた直後、戦場の中央付近にワープ装置が出てきた。床の下に格納されていたものが起動したらしい。

 

 サチとマキリの事が一番気になっているが、一応クエストを最後まで見ておいてみよう。アルトリウスの提案にキリトは乗り、皆一緒になって転送装置に乗り、転移した。その先にあったのは雪原の一角であったが、すぐさま異変に気が付いた。

 

 夜空に宇宙船が浮かんでいたのだ。SBCフリューゲルよりかは小さい、黒いボディをした宇宙船。あれこそが《夜の女王》であり、新ステージであるという。それこそが猫型戦機の母船であり、今回のアップデートの本命であったらしい。なるほど、新ステージを二つも追加したアップデートであったのか。今回のアップデートの内容を改めて知らされたキリトはうんうんと頷いていたが、すぐさまその興味はサチとマキリに移った。

 

 あの時消滅したはずだったのに、《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》として蘇ってきたサチとマキリ。どうしてそのような事が起きたのか。それを全て知っているのはイリスであり、彼女はクエストが終わったら全てを話すと言っていた。そして突然姿を見せてきたエイジとヴァンの事も話してくれる約束だった。

 

 それについて尋ねてみたところ、イリスは一旦ホームへ帰還しようと提案してきた。確かに、こんなエネミーがいつ出てくるかわからないような場所ではじっくり話もできないし、話を聞くメンバーも限定しておきたい。

 

 キリトはその提案に乗り、皆と一緒にホームへ帰還する事にした。SBCグロッケンに到着すると、アルトリウス、レイア、ツェリスカは修復中のリエーブルを見に行ってみると言って離脱し、パーティメンバーはサチとマキリを知る者達だけになった。ある意味では丁度良い。エイジとヴァンはサチとマキリの事は知らないが、イリスを通じて《電脳生命体》を知る事になっているので、聞かれても問題ない。

 

 

「それでイリスさん、サチとマキリですが」

 

 

 ホームに設置されているテーブルを囲む椅子に座り、キリトは問いかけた。対岸にはイリスが居る。彼女が抱える真実を話してもらいたい。この場に居るほぼ全員が同じ事を考えているのは確かのようだった。

 

 皆から視線を向けられているイリスはくいと顔を上げた。帽子を外しているため、ユイと同じ色相の黒髪がよく見えた。

 

 

「あぁ、話すよ。まずはサチの事から話そうか」

 

 

 イリスはそう言って目を隣へ向けた。そこにはサチが座っている。彼女は一足先に目を覚まして、話に応じてくれたのだ。この時点でわかっている事があったが、キリトはひとまずそれについては話さず、イリスに説明を頼んだ。説明を頼まれたイリスは、その口を開く。

 

 

「サチを蘇らせたのは私だ。その理由はさっきも言った通り、《SAO》で死亡してしまった彼女へのせめてもの償いと、キリト君への償いだよ。君はサチの入っていたギルド、《月夜の黒猫団》を壊滅させた事に負い目を感じていて、傷心していた。そんな状態だったからこそリランが君のところにやってきたわけだ」

 

 

 キリトは黙って話を聞いていた。イリスの言った事は全て事実だ。自分が《月夜の黒猫団》を壊滅に導き、サチを死なせ、生き残りのマキリを狂わせた。だからこそキリトは否定も何もせず、ただ沈黙する事を選んでいた。

 

 

「私が君の口から直接サチ達の話を聞いたのは、《SA:O》でマキリに襲われた辺りだったけれど……実は《SAO》の時からその話は知ってたんだ。言わなかっただけで」

 

 

 キリトは目を見開いた。

 

 

「えっ。イリスさん、知ってたんですか。どうして」

 

「……私が話したの。私がイリス先生に話してたの」

 

 

 答えたのはシノンだった。彼女はキリトの隣に座っていたが、縮こまっているような姿勢になっていた。そんなシノンの応答にイリスが返答する。

 

 

「そうさ。《SAO》で初めてキリト君と出会った時から、キリト君の中にも辛い部分があるんじゃないかって気になってね。試しにシノンに聞いてみたら、教えてくれたんだよ。黙っててすまなかった」

 

「そうだったんですか……だからイリスさんはサチを?」

 

 

 イリスは(うなづ)くかと思いきや、テーブルに(ひじ)を載せてそのまま頬杖をついた。

 

 

「そうなんだけどさ、実はもっと後にしようと思ってたんだ。茅場さんが見せてくれた《電脳化(アニマライゼーション)》の技術をもっと深く掘り進めて確立させ、ほぼ完全な状態で蘇らせられるようにしたかったんだけど、そうも言っていられなくなった。ある時やたら《SAO》の詳細情報を提供してくれる子が居るって、菊岡さんから連絡が来てさ」

 

 

 《SAO》の詳細情報を提供してくれる子――ふと首を傾げたが、すぐにその正体が割れたような気がした。それをイリスは肯定してきた。

 

 

「そうだよ。その子の名前はマキリだった。それを聞いた時は何も思わなかったんだけど、マキリが時々《サチ》って言ってたって菊岡さんから聞いた時にびっくりした。あのサチを知ってるのかってね。これは間違いなくサチの関係者だってわかった」

 

 

 イリスはサチへ顔を向ける。キリトも同じように目を向けたところ、サチは悲しそうな表情を浮かべていた。イリスの話がどういう事なのか、わかっているようだ。

 

 

「そしてマキリはキリト君の場所を欲した。《SAO》の情報を提供するから、キリトの居場所を教えろってね。本当はそういう事に答えてはいけないんだけど、如何(いかん)せんマキリの持っている《SAO》の情報はとても濃くて、政府関係者や《SAO》事件対策課にとっては貴重なものだった。だから菊岡さんも答えちゃったんだ。キリト君は今、《SA:O》のベータテストに参加しているってね」

 

 

 自分の居場所を掴んだマキリは、《SA:O》へやってきて偽名《ヴェルサ》を名乗り、マキリであるという事を知られないようにした。周りのプレイヤー達を協力するプレイヤーという化けの皮を被り、密かに自分への報復の機会を探り続けていた。

 

 マキリにそうさせたのは自分であり、マキリを狂気に呑み込ませたのも自分だ。キリトは改めてマキリに犯した罪というものを感じて、胸を締め付けられるような気になっていた。その感覚は必然であり、自分に必要な物だ。

 

 

「だから私はマキリの姉であるサチを《電脳生命体》として蘇らせた。かなり急ピッチで行った事だったから、上手く行かない可能性もあったんだが、結果はこの通り。サチはしっかりとこの世に蘇ってくれたわけだ。そしたらサチは一目散に君とマキリのところへ向かって行って……後は君達の知る通りさ」

 

 

 その辺の事は既にサチから聞いていた。だからこそなのか、サチは口を閉ざしたままになっていた。そんなサチへキリトは問いかける。

 

 

「サチ。君は今どこまでを(おぼ)えているんだ。マキを止めた時の事とかはわからないか」

 

 

 サチは首を横に振った。

 

 

「……全部憶えてる。マキがどうなったのかも、私が何をしたのかも、全部憶えてるんだ。それで、あの時私も本当に死んじゃったはずだったのに……」

 

 

 つまりここにいるサチは《SA:O》でマキリとの最終決戦の際に現れたサチと同一人物であり、あの後にもう一度蘇ったという事になる。マキリがどうしてあぁなったのか、自分がその事に対してどう思っていたのか。

 

 そして――自分が元々サチにどんな思いを抱いていたのかなどの全てを、このサチは知っているという事のようだ。そのサチの状態について、イリスは話を続けた。

 

 

「そう。ここにいるサチはマキリを巻き込んでネットの海に消えかかっていたのをサルベージして、もう一度再構築して直してあげたんだ。ネットの海に(ただよ)ってるサチの意識や記憶の欠片を集めるのは大変だったけど、職場にトンデモスパコンがあったおかげで、上手く行った」

 

「職場のスパコンって、そんなの使って良かったんですか」

 

 

 アスナが恐る恐る尋ねると、イリスは溜息を吐いた。

 

 

「勿論本来は駄目だ。だから使用痕跡だとか接続時のドライバとかを一々消したりして、バレないようにしてやった。そうでもしなきゃサチを生き返らせる事はできなかったから、止まるわけにはいかなかったのさ」

 

 

 職場の機器を無断使用しても、サチを蘇らせる事を選んだイリス。その情熱にキリトは敬意を払いたいような、そうではないような気になっていた。そんな情熱を向けられて蘇ったサチに、キリトは声を掛けた。

 

 

「サチ、やっぱり君なのか」

 

 

 サチは頷き、顔を上げた。その顔には(はかな)い笑みが浮かんでいた。

 

 

「うん……まさか、また会えちゃうなんてね……キリト」

 

 

 やはりサチだ。自分の知っている彼女だ。自分がかつて守りたかった人、贖罪(しょくざい)の対象。その人にまた会う事ができているなんて、夢の中に居るのではないか――そんなふうに思えてさえ来た。そんなサチを(なが)めていると、途中でユピテルが声を掛けてきた。

 

 

「それでアイリ、マキリは、あのマキリさんはなんなのでしょうか。少なくともぼく達の知っているマキリさんとは異なっているように見えたのですが」

 

 

 ユピテルの問いかけでキリトもはっとする。それは自分も気になっている事だった。つい先程再会する事になったマキリだが、彼女の様子はおかしかった。狂気と報復心に呑み込まれた恐ろしき少女であったはずのマキリは、普通の少女――どちらかと言えば姉思いが少し強い――になっていた。

 

 それは自分が《月夜の黒猫団》にまだ居た頃、サチを含めた団員が全員生きていた頃のものと酷似している。まるでマキリだけ時計の針が巻き戻り、まだ普通だった頃になっているかのようだった。

 

 直後に、部屋の出入り口のドアが開いた。部屋の外から招かれざる客がやってくる。

 

 

「おねえちゃん、見つけた!」

 

 

 マキリだった。皆で思わず驚くが、マキリは完全に無視してサチの許へ走った。サチが応じる。

 

 

「マキ」

 

「よかったぁ、おねえちゃん。どこかもわからないところなのに、近くにいないんだもん。びっくりしたよ」

 

 

 そう言ってサチに寄り添うマキリの様子は、やはり《月夜の黒猫団》がまだあった頃のそれそのものだった。自分達の知る狂気の白猫のものではない。姉思いの元気な黒猫だ。

 

 

「って、あれ。キリトじゃん!」

 

 

 そのマキリはキリトを視界に取られるなり声を掛けてきた。マキリは自分の事をわかっているらしい。当然だ。マキリはかつて、自分への報復だけを生きる(かて)にして生きていていたのだから。イリスを除く皆の間に緊張が走り、キリトもまた悟られないように(つば)をごくりと飲んだ。その後にキリトは声を出す。

 

 

「……マキ」

 

「よかった、キリトもここに来てたんだね。ねぇキリト、ここがどこなのか知らない? あたし達、どこに飛ばされちゃったの。っていうかここって《SAO》の、アインクラッドの何層目?」

 

 

 マキリは矢継ぎ早に質問をしてくるが、その内容にキリトは驚かされていた。《SAO》の中、アインクラッドの何層目――彼女は自分がまだ《SAO》の中に居ると思っているらしい。つまりこの娘は《SA:O》での出来事を知らないという事になる。恐らくは《月夜の黒猫団》がどうなったのかも知らないのだろう。

 

 キリトは不意にイリスの方を見た。イリスはホロキーボードを操作していた。口頭に出せない事を伝えようとしてくれているのだろうか。その予想は当たった。すぐさまキリトの許へメッセージが届けられてきた。

 

 キリトはアスナとユピテル、リランとシノンとユイを呼び寄せ、メッセージを展開する。差出人は当然イリスだった。

 

 

『サチの妹のマキリ、復讐鬼だったっていう彼女は、手を加えたうえで蘇らせた。まず彼女のナーヴギアは彼女が死んだ後に、政府管轄(せいふかんかつ)のナーヴギア保管場所に移送されたようだ。それを特定して、内包されていたマキリそのもののデータをサルベージした。その辺はまぁ、サチと同じだね。

 

 けれどマキリの場合は、ナーヴギアからサルベージしたデータのうち、記憶の範囲をキリト君が《月夜の黒猫団》に入った辺りまでだけに限定して、残りは完全に消去した状態で蘇らせたんだ。

 

 だからマキリは《月夜の黒猫団》がその後どうなったのかとか、《SAO》がクリアされたのかどうかも知らないうえ、《月夜の黒猫団》の壊滅の原因をキリト君だと決めつけてないし、キリト君を暗殺するために血盟騎士団に入ったりだとかもわからないし、キリト君に報復する理由だって、心当たりがない状態だよ』

 

 

 キリトはマキリを見た。彼女は首を(かし)げてこちらを見ていた。本当に何も知らなそうな顔をしている。いや、彼女は本当に何も知らないのだろう。だからこの場に居る者の中でマキリが知っているのは自分とサチ程度で、残りの者達の事は初対面。

 

 あれだけ付け廻していて、自分の姉だと思い込んでいたシノンの事も知らなければ、血盟騎士団の団長にならなかった事に腹を立てていたアスナの事も知らない。彼女を狂気に落としていたモノが全て抜き取られた状態――それが今のマキリの状態で間違いなさそうだ。

 

 直後、マキリが何かに気付いたような声を出した。

 

 

「いやいやいや、だから結局ここはどこなの。あたし達は結局どうなっちゃったわけ。ここって《SAO》だよね? それにしてはなんだか雰囲気がファンタジーっぽくないし、おねえちゃんとあたしの服装もそれっぽくなくなってるし。ここって本当に《SAO》なんだよね?」

 

 

 いよいよマキリは本当の事を尋ねてきた。それに対する答えは全部用意されているが、自分はその事を話しても良いのだろうか。《月夜の黒猫団》が自分のせいで壊滅してしまった事、それを原因とした出来事でサチとマキリが死亡した事、二人以外に《月夜の黒猫団》の生存者はいない事。

 

 これらはどんなに壊そうとしても壊れない、変えようとしても変わってくれない事実だ。それを話されたマキリは耐えられるのだろうか。迷うキリトを横目にしつつ、口を開いたのはサチだった。

 

 

「……マキ、悲しいと思うけれど、落ち着いて聞いて」

 

 

 キリトは再度驚いてサチを見た。彼女は真相を話すつもりでいるらしい。それでマキリがどうなるか――わかっていたように、サチは頷きを返してきた。

 

 どうか私に話させてほしい。妹に事実を話しておきたいの――サチは無言でそう伝えてきていた。それを見た途端キリトの口は塞がる。間もなくして、サチはマキリに真相を話し始めた。

 

 《SAO》は無事にクリアされた事、《SAO》をクリアしたのはキリトを中心とした、ここにいる人達である事、《月夜の黒猫団》は攻略の最中で全滅した事、サチとマキリは同様に死んでいたものの、イリスの施術(せじゅつ)によって辛うじて生き返った事、先輩達は助からなかった事。一部虚構(きょこう)()り交ぜた真実を、サチはマキリに話したのだった。

 

 意外にもマキリは自分とサチが一度死んで身体を失ったものの、生き返っている事には驚かなかったが、《月夜の黒猫団》が全滅した事、つまり自分の先輩達が全員死んだ事実を聞かされたところで一気に顔を蒼褪(あおざ)めさせた。

 

 

「そんな……《SAO》はクリアされたのに、先輩達は皆、死んじゃったの……?」

 

「うん……助かったのは私達だけ。それも私達が生き返られたのは奇跡だったの。皆は助からなかったの……」

 

 

 マキリはがくりと肩を落としたかと思うと、膝に乗せた拳をぎゅうと握り締めた。

 

 

「……あたしのせいだ……あたしがナーヴギアで《SAO》をやろうなんて勧めたから……部活の皆で遊ぼうなんて言ったから……だから……こんな……こんなッ……ごめんなさい……ごめんなさいぃ……」

 

 

 間もなくしてマキリから嗚咽(こえつ)が漏れ始め、拳に涙が落ちていくのが見えた。キリト達は何も言わずにマキリを見ているしかなかったが、そんなマキリをサチが横から抱き締め、その頭をゆっくりと撫でてやっていた。

 

 あのマキリが、自分への報復心だけで動いていたような狂気の少女が、(うしな)った先輩達のために泣いている。自分への報復など一言も口にしておらず、そもそも報復しようとも思っていない。自分達の知るマキリと何もかもが異なり過ぎていて、キリトは茫然(ぼうぜん)としてしまっていた。

 

 

「マキリ、あなたはそんなふうに……泣く事もできたのね……」

 

 

 思わずであろう、アスナが零していた。アスナの知っているマキリも、《SAO》の血盟騎士団の二代目団長に就任したキリトを否定し、キリトを暗殺しようとしていて、《SA:O》で再会した時には厄災そのものと化していた凶悪な少女である。

 

 そのマキリと同一人物であるのが、目の前にいて、姉の胸で泣いているマキリ。ちぐはぐといった次元ではないだろう。未だに自分の知っているマキリと、あそこにいるマキリが同一の存在であるという事実を受け入れられていないのかもしれない。現にキリトもそうなりそうになっていた。

 

 そう思っていると、イリスからメッセージが飛んできた。

 

 

『私も最初びっくりしたんだけど、どうやらこれが本来のマキリのようだ。当時はサチも死んでいたから狂うしかなかったみたいだけど、今はサチと一緒に居るから、あの時みたいに狂ったりする事はないだろう。流石にマキリのやった事をすべて忘れるなんて事はできないだろうけど、彼女にそれを向けるのだけはやめてやってほしい』

 

 

 キリトは喉を鳴らした。確かにマキリには苦しめられた。特にシノンはこれ以上ないくらいに酷い目に遭わされた。マキリにそうさせたのは自分だが、だからと言ってシノンに手を出した事への怒りがないわけではなかった。

 

 そのマキリと、あそこにいるマキリは同じ存在だ。だが本人は狂う前の段階で蘇った者だから、あのような事をしてくる事はない。だから怒りを向けるのは間違いというものだが――それでも安易に受け入れられるようなものではなかった。

 

 

母親(おふくろ)、そろそろユナの話をしても良い頃じゃないのか。少なくともそいつが泣き止まない事には話は進まないんだろ」

 

 

 キリト達の思考をぶつ切りにしたのはヴァンだった。皆で驚いてそちらに向き直ると、ヴァンとエイジは壁に寄り掛かり、つまらなそうにしていた。彼らはサチとマキリについて興味が一切無いらしい。まぁ当然だろう。彼らはサチとマキリの事など知らないし、深い関係を持っているわけでもない。とっとと話を終わらせてほしいと思うくらいだろう。

 

 そんな二人を見たイリスは頷き、サチへ「ひとまずマキを休ませてあげなさい」と伝えた。サチはそれを承諾してくれ、泣いている妹を立ち上がらせ、ベッドルームへと歩いていった。色々積もる話はあるが、まずは状態を安定させないといけないし、確認しておきたい事もある。サチと話をするのはその後にしよう。出ていった二人を見ながら、キリトはそう思っていた。

 

 

「さてさてさーて、次はエイジ君とヴァンについて話そうじゃないか」

 

 

 かつて《オーディナル・スケール》で大きな事件を起こし、事件の黒幕の計画を乗っ取ってまで大切な人を蘇らせようとしていた二人の戦士。それらがどうして《GGO》にやってきて、尚且つ自分達のところへとやって来たのか。それもずっと気になっていた。キリトは二人に尋ねる。

 

 

「エイジ、ヴァン。お前達はどうしてここに。もうお前達の求めてる人はいないはずじゃなかったのか」

 

 

 答えたのはエイジだった。あまり話したくなさそうな仕草をしていた。

 

 

「そのはずだったさ。でも、芹澤博士のおかげでそうではなくなった。僕達の大切な人であるユナは、生き返ったんだ。丁度お前達のところに居るサチとマキリっていう二人と同じように、芹澤博士の作っている《電脳生命体》として蘇っていたんだ」

 

 

 その告白に皆で驚いた。

 

 エイジとヴァンにとって大切な人であり、自分にとってのシノンに当たる人物であるユナ。その命は《SAO》にて喪われ、《オーディナル・スケール》を利用した計画にて蘇るかもしれなかったが、結局それは最初から破綻(はたん)しており、彼女が蘇る事はついになかった。

 

 そのはずだったのに、ユナはイリスの技術によって実は蘇っていた。そんな事は全くと言っていいほど予想していなかったから、驚くしかない。先程から驚かされっぱなしだ。

 

 そんな事象を起こしたというイリス本人が口を開く。

 

 

「エイジ君とヴァンは明確な《SAO》の被害者であり、重村先生に都合よく利用されてしまっていた。そのせめての償いとして、ユナのナーヴギアを特定してデータをサルベージし、なんとか復元に繋げたんだよ。エイジ君が警察署を出てきた後に会わせてあげた」

 

「という事は、あの事件の黒幕だった重村教授は娘を取り戻す事に成功していたという事か」

 

 

 リランの問いかけにイリスは首を横に振った。

 

 

「い~や、重村先生にはこの事は一切教えていないし、向こうも一切知らない。曲がりなりにも自分の研究室の生徒を良いように利用して、あれだけの事件を引き起こして大勢の人間に迷惑かけて被害出した人に、娘と再会する権利なんてないよ。サイバーテロリストとしてせいぜい服役してりゃいいのさ」

 

 

 イリスはかなり冷たく言い放っていた。そう言う彼女だって曲がりなりにも重村教授の生徒の一人であり、重村教授は彼女にとって恩師のはずなのだが、どうやら彼女自身は彼を恩師のように思ってはいないらしい。

 

 そういえば重村教授は娘であるユナを人工知能として生き返らせようとして、あの《オーディナル・スケール》の事件を起こしたわけだが、それは上手く行かず、逆に彼が嫌っていた問題児とされるイリスがユナを上手く生き返らせた。イリスは異様なまでにAI研究に秀でていた技術者だったからだ。

 

 重村教授はそんなイリス/芹澤愛莉に頼れば、ユナ/悠那と無事に再会させてもらえたわけだが、彼は愛莉を嫌悪していたばかりに、自分の独善的なやり方でユナを生き返らせようとしてあんな大掛かりな計画とテロを引き起こし、東都工業大学の教授及び《カムラ》の名誉あるボスから、凶悪なサイバーテロリストへと()ち、逮捕されてしまった。

 

 最初から私情やプライドを捨てて愛莉を頼っていれば、彼もあんなふうにはならずに済み、大切な娘と今頃幸せに暮らせていたのだろうか。いや、それだと今度はエイジとヴァンが救われなかったかもしれない。あの重村教授がエイジとヴァンが悠那と接してくるのを許すとは思えないからだ。

 

 どちらにしても悠那はエイジ達だけの許へ行くか、重村教授だけの許へ行くしかなかった。どちらかが悠那を失うしかなく、結果的に悠那を失ったのは重村教授の方になった。

 

 それが現実である――という考えがキリトの頭の中で起きていた。そこでヴァンが話を引き継いできた。

 

 

「お前らが()()()()()()()あの事件の後、おれ達は母親が紹介してくれたところで暮らしていたんだ。また三人一緒に暮らせていたんだ。でもある時、悠那が居なくなった。ネットのどこかに()()()()()()()()()()()よ。その痕跡を追って行ったら、ここ《GGO》に辿り着いたわけだ」

 

「どうしてそんな事に? 悠那さんはエイジ君とヴァン君と離れるような人じゃなかったでしょ」

 

 

 ヴァンの言葉にアスナが問いかけると、イリスが答えてきた。やはり詳細を知っているのはイリスであるらしい。

 

 

「原因はARアイドルとして動いていたAIのユナみたいなんだ。重村先生が作っていたAIのユナは私の作ってる《電脳生命体》と違って、自己の唯一性を基盤とするように設定されているみたいなんだが、ユナの場合はやたらめったらコピーされまくったせいで多くのエラーを抱え込む事になって、色々危うくなっていたんだ」

 

 

 確かに《ARアイドルのユナ》は、イベントに合わせて色々なところに同時に出現したりしていた。いくらAIでも一度に違うところに出現するなんて真似はできないので、イリスの言う通り、《ARアイドルのユナ》はその存在をコピー&ペーストで増やされていたのだろう。まさしくイリスが最も嫌悪している、道具や奴隷としての使い方だ。

 

 

「そんなコピペを繰り返されてエラーを蓄積し、崩壊しかかっていたユナのうちの一体がどういうわけか《GGO》に迷い込んできたみたいなんだ。そしてそのユナは自分の崩壊を直そうとしたみたいなんだが……よりによって《電脳生命体》になった悠那を呼び寄せ、取り込む事で直そうとしたらしい」

 

 

 崩壊した部分を直すために、外部にあるものを取り込んで自分の一部にする。そのやり方は《電脳生命体》にみられる修復方法と同じであり、《電脳生命体》のみが行えるやり方だと思っていたが、あの《ARアイドルのユナ》もできたのか。いや、それ以前に《電脳生命体》としての悠那を、《ARアイドルのユナ》が取り込めたというのが解せない。

 

 

「悠那が《ARアイドルのユナ》に取り込まれてしまったって言うんですか。どうしてそんな事が?」

 

 

 キリトの問いかけに、イリスは溜息交じりに答えた。

 

 

「《ARアイドルのユナ》は結局、重村悠那を原形とする存在だ。そして《ARアイドルのユナ》にとって、自分を直す時に取り込むデータは自分に近しい性質や形を持っていたモノの方が都合がいい。この事から、悠那は《ARアイドルのユナ》にとって恰好の獲物になってしまったようだ」

 

 

 イリスはエイジとヴァンを見る。

 

 

「そもそも《電脳生命体》として蘇った悠那にも、まだ内部構成要素とか機構とかが完全になっていない部分があったんだ。それによる不調も時々見受けられていた」

 

 

 キリトは「そうだったのか」とエイジに尋ねたが、エイジは無言で頷いた。どうやら事実らしい。更にイリスが続ける。

 

 

「なのでその部分を近々補修してあげようと思っていたんだが、それよりも先に《ARアイドルのユナ》に取り込まれてしまったっていうのが、今回の事態なのさ。まさか今になって重村先生の負の遺産にしてやられるとは思わなかったよ」

 

「それで、悠那を助ける方法はあるんですよね。助からないなんて事はないんですよね!?」

 

 

 エイジが強くイリスに問いかける。その言葉の強さは、エイジがどれだけ悠那を思っているかを証明していた。イリスは答える。

 

 

「勿論助けるし、寧ろ悠那にとっては良い出来事かもしれない。元々ARアイドルとしてのユナは歌を歌ってイベントを盛り上げたりだとか、最低限の受け答えができるとか、所詮(しょせん)その程度の事しかできないし、重村先生が生き返らせようとしていたユナも、結局自分は悠那モドキって言って消えてしまうような娘だった。だがそれでも、悠那自身を補修するのには十分な素材になる。今回悠那を助けた時、悠那はもう不調に悩まされる事なく、エイジ君とヴァンと三人で暮らして行けるようになるだろう」

 

 

 イリスはキリトへと目を向けてきたが、一瞬だけ疑問を抱いたような顔になった。思わずキリトがきょとんとしたが、イリスはすぐに尋ねてきた。

 

 

「キリト君、その手伝いをしてあげないかね」

 

 

 その問いかけに対する答えは決まっていた。

 

 

 






 次回、えらい事がわかる。

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