キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 (くら)い雨のリンドガルム。


12:昏い雨のリンドガルム ―敵との戦い―

          □□□

 

 

 黒い雲の中を、キリトはリランと共に駆けていた。

 

 いつもはリランの背中に跨って、剛毛をしっかりと掴んで飛んでいるが、今はリランに抱えられるようにして飛んでいる。鋼鉄と機械で作られた狼型戦機となっているリランの、反転した背中に取り付けられるようにして、空を駆けていた。

 

 がっしりとした体躯(たいく)と大きな翼を持つリランが、ファンタジーからは程遠い未来世界に行ったらどうなるのかという疑問はキリトにずっとあったが、その答えは今出ていた。

 

 未来の世界にコンバートされたリランは、強いジェット噴射で風も雲も切り裂き、縦横無尽に飛び回る戦闘機へ姿を変えられる、頼もしい戦機になっていた。その戦機のリランを駆り、キリトは自身の偽者を追いかけていた。

 

 偽者――エネミーアファシスは、キリト同様に戦機を使っていた。エネミーアファシスは黒のカラーリングが施された戦闘機に固定されたような姿で飛んでいるが、その戦闘機も恐らくはリランと同じ《機鋼狼(きこうろう)リンドガルム》で間違いないだろう。

 

 その背後を追いかけて、黒い雲の中を二人で飛び回っているのが現状だった。エネミーアファシスは黒いリンドガルムに乗っているうえに、自分よりも黒い服を着ている。そのせいで闇の雨を降らせる黒雲の中に飛び込まれると、どこにいるのか、目だけでは全然見つけられなくなった。今もどこにいるのか、目視ではわからない。

 

 だが心配はいらなかった。リランの背中に搭載されている小型ディスプレイ機器が、リランの目――それは超高感度カメラ――とリンクして、闇の中にいてもエネミーの位置を見つけられるモニタとなっている。キリトはそこにだけ目を向けていた。

 

 一般的な普通乗用車に搭載されているカーナビよりも少し大きいくらいしかない、随分と小さい画面だが、あらゆる情報がそこの上下左右の隅に表示されている。高度、速度、リランの《HPバー》、バッテリー残量、積んでいる弾薬の残弾数。ビークルオートマタであるリランの情報が全て確認できた。

 

 その画面の中央――というよりも全画面――に、四角い光が表示されている。追っているエネミーアファシスだ。そこまでの距離もリアルタイムで計算されており、(およ)そ三キロメートルほど離れている。もう少し接近すればガトリング砲の銃弾が当たる距離まで詰められる。その時が攻撃のチャンスだ。

 

 だが、同時にそれはその時まで攻撃する手段がほとんどない事を意味している。速度を出して飛び回る相手にこそミサイルをぶち当てたいが、そうはいかない。

 

 そんな状況にキリトは軽く舌打ちをしていた。

 

 

「あーもう、ふらふら飛び回りやがって。如何にもミサイルが使えそうなのになぁ」

 

《そのミサイルは使えないのだから、イラつくのもわかる》

 

 

 リランの《声》が言う通り、彼女の背中――現在は機体下部――に搭載されているミサイルの《ヘルファイア》は使えない。

 

 現実世界のそれにかなり忠実に作られている《ヘルファイア》は地上の目標を狙い打つための、《対地ミサイル》というカテゴリに属している。これは地上の敵を狙い打つ事はできるが、空中の敵には使えないという事である。

 

 そして今追いかけているエネミーアファシスと、それが操っているであろうリンドガルムは飛行形態になっているために空中の敵と認識されており、《ヘルファイア》ではロックオンできない。空中戦力の天敵とも言えるミサイルを積んでいるというのに、それは地上戦力攻撃専用で使えないなど、歯痒いったらありはしない。

 

 なので、今のキリトとリランにできる事と言えば、超大口径狙撃砲(エレファント・スナイパーカノン)で撃ち抜くか、ガトリング砲《アヴェンジャー》で弾丸をばら撒いて当てるかのどちらかだけだが、超大口径狙撃砲(エレファント・スナイパーカノン)は真っ直ぐ飛んでいく強力な弾丸を撃てる代物であり、誘導機能はない。

 

 なのであのように速度を変えつつ、進行方向をジグザグにしながら飛んでいるエネミーを狙い撃つのは困難極まるし、そもそもこちらも飛行するエネミーを追って飛行しているので、狙いが安定する事など全くない。今現在の搭載重火器で頼りなのは《アヴェンジャー》の連射力と火力だけだった。

 

 こんな時、ユピテルの持っている《FIM-92 スティンガー》があったならば空中のエネミーも狙えるのだが、あれは個人携帯用のミサイルランチャーなのでビークルオートマタには搭載できないし、そもそもリンドガルムに搭載できる対空ミサイルは存在しないとまで来ている。

 

 リンドガルムは変形して飛行ユニットとなり、空を飛び回る事ができるが、一方で同じ航空戦力を狙える装備は《アヴェンジャー》あたりしかない。つまり空中の敵を相手にするのは意外と苦手な方に入るという弱点があるのだが、これをキリトは既に理解し、受け入れていた。

 

 もしリンドガルムが対空ミサイルも搭載できたならば、その時リンドガルムは空も陸も一方的に制圧できる存在となってしまう。それがエネミーとして出現するだけならば手強(てごわ)くて戦い甲斐(がい)のあるボスとして成立するが、リンドガルムはビークルオートマタとしてプレイヤーが所有できるようにもなっている。

 

 超高威力の、陸も空も狙えるミサイルを搭載できて、悪路を平然と踏破できて空も飛べる――そんなものをプレイヤーが手にできるならば、所有しているプレイヤーと所有していないプレイヤーの間にあまりにも巨大すぎる(みぞ)ができてしまって、所有するプレイヤーばかりが延々と得するだけになってしまい、最終的にゲームバランスが崩壊する要因へと繋がってしまう。

 

 なので、リンドガルムから対空ミサイルが取り上げられているのは仕方がないとはわかっている。だが、その弱点が諸に出てきている場面に出くわすと苛立ったりするのはどうしても避けられなかった。

 

 

「うぉっと」

 

 

 次の瞬間、リランの身体が上下にぐおんと揺れて、キリトも一緒に揺さぶられた。強い気流が襲ってきている。

 

 現実でも飛行機に乗った際、雲の中に入ると機体が大きく揺れる事があるが、どうやら《GGO》ではそんなものまでも再現されているらしい。《GGO》には妙にリアルなところがあると思っていたが、こんなものまでも再現してきているというのには驚かされた。

 

 こちらが上手く飛べなくなるのを見越して、あのエネミーアファシスは雲の中に入ったのだろうか。だとすればアレは随分とこちらを嫌がらせるのに頭が切れていると言えるだろう。自分と同じ顔、同じ声、同じ見た目をして、自分に嫌がらせに近しい攻撃手段をぶつけてくる。これに腹が立たないプレイヤーなどいないだろう。

 

 

「この野郎ッ!」

 

 

 流石に頭にきて、キリトは操縦桿(そうじゅうかん)引き金(トリガー)ボタンを押し込んだ。《アヴェンジャー》の七つの砲身の束がエンジン音を出して空転し、火を噴く。マズルフラッシュが闇の雲の中を照らし、ビークルオートマタに搭載できる重火器だからこそ発射できる三十mm弾が闇を切り裂いて突進していった。

 

 しかし手応えはなかった。ディスプレイの中にエネミーアファシスの反応はない。そこでキリトはディスプレイの左下部分に表示されているレーダーを確認する。エネミーの反応を示す赤い三角マークが、自身を示す白い三角マークの右後方へ移動していた。いつの間にか背後を取られている。

 

 しかし赤い三角マークの先端部分はまだ後ろを向いているので、攻撃が飛んでくる事はない。射線から逃れるならば今のうちだ。キリトは操縦桿を動かしてジェットを吹かし、急旋回を試みた。

 

 それはエネミーアファシスがこちらの背後を取るように向き直ったのと同時だった。ガトリング砲の空転音がしたかと思うと、猛烈な発砲音と共に弾丸が黒い雨水に混ざって飛んできた。びゅんびゅんと弾丸が掠めていくが、その全てはキリトではなくてリランを狙っていた。キリトは事実上リランが盾になる事で守られていた。

 

 そんな事を許せないキリトは、右操縦桿の中部にあるアクセルを握り締め、更にリランを加速させる。リラン自身の速度アシストのおかげもあって、かなりの速度で旋回できたが、エネミーアファシスから飛んできたガトリング砲弾のうちの数発がリランに当たった。金属や機械に穴が開く音がして、ディスプレイ内に表示されているリランの《HPバー》がかなり減少する。

 

 リンドガルムとなっているリランの耐久力はすごいものだが、それでも相手が持っているのはこちらと同じガトリング砲。戦車や戦闘機、装甲車や掩体壕(えんたいごう)を撃ち抜いて破壊する事を目的とした銃だ。

 

 そこから放たれる弾丸はビークルオートマタにも十分すぎるくらいのダメージを与える事が可能になっているのを、今までリランを使ってきた事でキリトは嫌というほど理解している。

 

 こちらもあちらのリンドガルムにガトリング砲弾を浴びせれば、大きなダメージを与えられるだろう。しかしあちらからのガトリング砲弾を浴びれば、リランも非常に大きなダメージを負ってしまう。置かれている状況はほとんど同じ。

 

 落とすか落とされるか、そのどちらかだ。自分が起こすべき状況はどちらだろう。それは当然――。

 

 

「落としてやるッ」

 

 

 自分とリランの顔と見た目をしている機械を撃墜してやるのだ。

 

 キリトは加速を維持したまま闇雲の中を旋回し、エネミーアファシスへ機首を向けて飛ぶ。ガトリング砲が当たる距離まで接近できたのを確認するより先に引き金ボタンを押してガトリングを空転させておくと、至近距離に来たタイミングで発砲が開始された。先程自分達を襲った三十mm弾が空を裂いて飛んでいき、エネミーアファシスの乗るリンドガルムへ突進した。

 

 今度こそ手応えがあった。エネミーアファシスの乗るリンドガルムの方から被弾音が連続で響き、あちらの《HPバー》が目に見えて減ったのが確認できた。ようやくダメージを負わせる事に成功したようだ。だが、勿論まだ足りない。もっともっと当てないと倒せない。いや、そもそもこのまま空中で好きにさせているわけにはいかない。

 

 エネミーアファシスはAI故に空中戦が得意で、だからこそこうして空へこちらを誘い込んだのだろう。だからこそ、こうしてこちらは不利な状況に立たされている。このまま空中戦を続けたところで、上手い具合に戦っていけるかは不明確であるし、ジリ貧に進むだけの可能性だって高い。

 

 ならばどうすれば良いか。

 

 エネミーアファシスを無理矢理にでも地上へ引きずり下ろせばいい。

 

 空を支配者を気取っているエネミーアファシスを、その聖域から無理矢理引きずり出せばよいだけだ。そのやり方はもう既にキリトの頭の中にあった。それをキリトは実行に取り掛かろうとする。

 

 思わず口角が上がった。

 

 

「リラン、あいつを落とす。もっと近付くぞ」

 

《お、おいおい! あまり近付くとぶつかるぞ。そうなれば我もお前もただでは済まないが!?》

 

「そう、ぶつかっていいんだ。あいつに()()()()()!」

 

 

 焦るリランに聞かせたところ、途中で《ぬ?》という《声》がして、やがて何か面白い事を思いついたような声色が返ってきた。

 

 

《なるほど、そういう事か。それなら我も賛成だ》

 

「そうだろ。さぁ、やるぞ!」

 

 

 キリトが言うなり、その操作とリランの動きが一致した。キリトを乗せたリランは一気に加速してエネミーアファシスとの距離を詰め始めた。

 

 傷を負ったリンドガルムに乗るエネミーアファシスは逃げようとしているようだが、リンドガルムの動きは少し鈍くなっている。今当てた弾丸が効いているようだ。あまり狙いすまして当てたつもりはなかったのだが、どうやらジェットエンジン部分に損傷を与えられたらしい。

 

 ならば尚更好機だ。キリトは強く操縦桿を握り締めてジェットを吹かし、加速する。

 

 黒いリンドガルムの背中がすぐそこまで迫って来た。キリトの目の前がぎらついた光沢のある黒い鋼鉄でいっぱいになる。このままではぶつかってしまうところだが、キリトには焦りはない。寧ろ、狙っていた瞬間がそこに来ている事で、口角が上がっていた。

 

 

「リラン、ここだッ!」

 

 

 キリトが叫んだ瞬間、リランは一瞬だけぎゅんと加速して、エネミーのリンドガルムの背中の真上にまで迫った。その瞬間にリランは変形し、飛行ユニットから狼型戦機形態へ移行する。キリトの居る位置がリランの腹から背中へぐるんと回転すると、大きな衝撃と轟音が腹にまで響いてきた。戦機形態になったリランが、飛行中のエネミーのリンドガルムの背中に圧し掛かり、抑え付けた。

 

 これがキリトが咄嗟に考えた作戦だった。飛び回っているリンドガルムを無理矢理にでも落とすには銃弾で下手に攻撃するよりも、重いものをその身体に載せてやり、重さで地上へ引きずり落とす方が手っ取り早い。そしてその重いものにこの場で最適なのがリランだった。

 

 全身を鋼鉄の装甲と人工筋肉で構成し、重火器を三種類載せているリランの重さは――リランも女性なので失礼だが――、上に載られた戦機がたちまちのうちに倒れ込んでしまうくらいのものになっている。

 

 空中を飛んでいる戦機ならば、地面へ落ちる事を余儀なくされる。そんなものに圧し掛かられたエネミーの黒いリンドガルムはがくんと揺れたかと思うと、地面へ吸い込まれるようにして落ちていき始めた。

 

 

「わ、わわわわッ」

 

 

 リランに組みかかられたリンドガルムに乗るエネミーアファシスから、なんとも情けない悲鳴が聞こえてきた。

 

 キリトは思わず笑い、返事をする。

 

 

「はッ、ダサいぞ。俺はそんな声出さないっての!」

 

《落ちろッ!》

 

 

 リランは全ての脚でがっちりとエネミーのリンドガルムにしがみつき、振り落とされないようにしていた。黒いリンドガルムは逃げられない。闇の雲の下へ抜け、雨の中を落ちていく。そしてそのまま、宇宙から降り注いできた隕石のように地表へ激突した。轟音とともに凄まじい衝撃が走ってキリトを内部から撫で上げ、闇の雨でぐしょぐしょになった地表の泥が爆発したように飛び散った。

 

 確かどころではない手応えがあった。黒いリンドガルムはリランの下敷きにされ、身体の内側から火花とスパークを見せている。破壊まではいかなかったようだが、激甚なダメージを与える事には成功したようだ。

 

 

「!」

 

 

 だが、そこでキリトはある事に気が付いた。

 

 エネミーアファシスがいない。黒いリンドガルムに搭乗していた、自分のエネミーアファシスの姿がなくなっている。てっきり黒いリンドガルムの下敷きになったかと思ったのに、そうではないらしい。

 

 そして黒いリンドガルムがまだ生きているという事は、エネミーアファシスは倒せていないという事を意味する。どうやらあの一瞬で黒いリンドガルムから脱出し、この黒い雨の闇に逃げ込んだようだ。

 

 《使い魔》を見捨てて自分一人だけ脱出するなど、キリトからすれば想像も付かないやり方だ。やはりあいつは自分の姿と能力をコピーしているだけの単純な機械に過ぎない。それもかなり不届きな機械だ。生かしておけない。

 

 

「……すぅ」

 

 

 キリトは目を閉じて息を吸い込んだ。取り込んだ空気を肺へ、全身へと行き渡らせるのをイメージして、深呼吸する。自分の中に周囲を包み込む空気を取り入れて循環させる事で、自分自身を周囲の地形、大気、雨の中に溶け込ませるのだ。

 

 周囲の自然と一体化する事によって、自然の中に存在する自然ではない存在の位置を把握できるようになる。これは《GGO》を始めてから、いつの間にかできるようになっていたものだ。《GGO》ならではの特殊スキルなのか、自分のプレイヤースキルによるものなのかはわからない。だがキリトは、その詳細を探ろうとはしなかった。

 

 これは負の意識や悪意から来ているような邪悪なものではない。そのようなものが自分の力になってくれて、自分の強さを押し上げてくれているならば、それでいい。キリトはそうだけ思い、その感覚を使っていた。

 

 深呼吸だけに動作を抑えて他の感覚を全て自由にして、そこに意識を集中させる。周囲のあらゆるものが見えた。闇の雲が作る空気と冷気の流れ、土砂降りの雨音、空から地面へ真っ直ぐに降る雨の幕、その雨が作り出す大気の波。

 

 その大気の波と雨の幕が乱れている部分があった。こちらから見て南西の方角、距離的にすぐ近くの位置で、自然の波と幕を乱して動く者の波長が帰ってきている。それはじわじわと、そうでありながら迅速に接近してきていた。

 

 キリトはもう一度深く呼吸をした。より正確に位置が割り出される。胸のうちで数字が浮かび上がり、カウントダウンされる。

 

 五、四、三、二、一――。

 

 

「はぁッ!!」

 

「ぐああッ!」

 

 

 胸の数字がゼロになると同時にキリトは光剣を抜刀して回転斬りを放った。刀身が気配を感じた方角へ向かった丁度その時に、悲鳴と手応えがあった。

 

 そこに居たのは闇のように黒い髪に、赤と白の光る模様の入った戦闘コートを纏った少年。紛れもなく自分自身のエネミーアファシスであった。

 

 丁寧に右手に光剣、左手に拳銃を持つ戦闘スタイルを再現しているエネミーアファシスの、その胴体をキリトの光剣が(えぐ)っていた。完全な不意を打ったつもりだったのに、逆に自分が不意打ちを受けてしまったのが信じられないような顔をしている。――いや、そう見えただけかもしれない。

 

 だが、いずれにしてもエネミーアファシスには予想できなかった出来事が起き、驚愕(きょうがく)しきっているようだった。流石にイリスの作るそれにまでは及んでいないであろうが、あらゆる出来事や過程を学習し、計算し、予測する事で、こちらの予想を上回る動きや攻撃をしてくるようになっているエネミーアファシスの不意を打つという、向こうの予測を上回る事ができた。

 

 キリトは胸のうちに高揚が突き上げてくるのを感じていた。

 

 

「その程度かよッ!」

 

 

 その気持ちを載せたまま、キリトはもう一閃浴びせようとしたが、エネミーアファシスはぐんとバックステップして回避、距離を開けてきた。その瞬発力はあの(シャチ)達を彷彿(ほうふつ)とさせるものだった。やはりこいつの原型はあの鯱だ。その鯱がさらに凶悪になった姿こそが、エネミーアファシスで間違いないのだ。

 

 その元々は鯱だった存在がキリトから離れると、その場が突然盛り上がった。リランが下敷きにしていた黒いリンドガルムが再起動し、こちらを突き上げてきた。キリトは開けていた左手で操縦桿を掴む事で振り落とされずに済んでいたが、次の瞬間には取り押さえていた黒いリンドガルムが変形、こちらから距離を取っていた。

 

 ぎらついた光沢のある金属の装甲に包み込まれている、漆黒の機械の狼。形はリランが該当している機鋼狼リンドガルムと同じだが、装甲のデザインや雰囲気が幾分(いくぶん)か異なっている事にキリトは気が付いた。

 

 そういえば《SBCフリューゲル》産の戦機達は、ぎらついた光沢のある装甲を身に纏っていて、尚且つこれまで見てきた戦機達とは少々異なったデザインをしていた。強さの面でも《SBCフリューゲル》産のものの方が強かった。

 

 つまりあの黒いリンドガルムは現状のリランの上位種に該当するものなのだろうか。もしくは単純に《SBCフリューゲル》で作られただけの色違い(カラバリ)のようなものなのか。いずれにしても、キリトの胸中にはとある予感が浮かび上がっていた。

 

 もしかしてあいつを倒せばSBCフリューゲル産のリンドガルムのパーツが手に入れられて、リランを進化させられるのではないだろうか。進化とまではいかなくとも、リランの強化に繋げる事くらいはできるのではないか。そうなればきっとリランも喜ぶだろうし、自分達の力も上がり、強くなろうとしているシノンの支えになれるのではないか――。

 

 

《キリト!》

 

 

 聞こえてきた《声》でキリトは我に返った。リランの眼前で身構えている黒いリンドガルムの背中の操縦席に、自身のエネミーアファシスが跨っている。これまでの、そして今現在の自分と同じように《人竜一体》を成していた。

 

 

「やっぱりそうなるよな……」

 

 

 自分のエネミーアファシスと黒いリンドガルム。その関係性は自分とリランのそれとほとんど同じであろう。しかしそうなると黒いリンドガルムはリランのエネミーアファシスという事になりそうであるが、一方で黒いリンドガルムからリランのものと同じ《声》が聞こえてきたのは感じられていない。

 

 

「なぁリラン、あのリンドガルムはお前のエネミーアファシスなのか」

 

 

 問いかけた直後、頭に《声》が届いてきた。他でもないリランの《声》であった。

 

 

《そういう事になりそうであるが、あいつは我のように喋ったりしておらぬし……》

 

「おらぬし?」

 

 

 リランは不機嫌そうな《声》を届けてきた。

 

 

《我はあんなマヌケな機械ではない。あいつは我のエネミーアファシスではないぞ》

 

 

 キリトは思わず苦笑いしつつも同意した。リランは自他共に認める程の賢くて強いAIであり、自分の相棒だ。それが自分の仕掛けた攻撃をまともに受けるとは考えられないし、意思疎通を行わないなども不自然極まりない。

 

 リランの言う通り、あの黒いリンドガルムはただのボスエネミーの類であり、リランのエネミーアファシスというわけではないようだ。だが、そうなると今度は違う疑問が出てきて、気になったキリトはリランに問うた。

 

 

「となると、お前のエネミーアファシスはいないって事なのか」

 

《わからぬ。そもそもエネミーアファシスに選ばれるプレイヤーの仕組みや規則性が何も分かっておらぬからな。我のエネミーアファシスが今後出てくるという予定が組まれているかもしれないが……良い気分はしないぞ》

 

 

 リランの思っている事はキリトも最初から思っていた事だった。黒いリンドガルムはリランのエネミーアファシスではないから良いが、もしリランのエネミーアファシスが出てきたならば、不快どころではないだろう。

 

 いやそもそも、一番出てきてもらいたくないエネミーアファシスといったら、それは――。

 

 

「どぉらッ!」

 

 

 エネミーアファシスが吼え、黒いリンドガルムの左右に搭載されているガトリング砲が火を噴いた。的にされているリランは脚のバーニアを吹かしてサイドスラスト、射線から離れようとするが、黒いリンドガルムから伸びる円柱状の弾幕は真っ直ぐリランを追いかけてきた。

 

 リランにさえ深手を与えるガトリング砲、恐らく《アヴェンジャー》と同型であろうものが、黒いリンドガルムには二つも搭載されていた。《アヴェンジャー》を搭載したエネミーとは出会いたくない、出会った時は最悪の時だろうと思っていたが、その最悪の時はいとも容易く訪れてきていた。もう一本を連れて。

 

 その最悪のエネミーである《アヴェンジャー二本持ち》の狙いは正確だった。かなりの速度を出して滑走しているリランに軽々と追い付いてきて、円柱弾幕をぶち当てようとしてきている。弾切れする気配もない。エネミー特有の無限弾薬みたいな仕様が乗っているのだろうか。

 

 だとすれば、あのマヌケ機械はシステムの加護を受けて一方的に攻撃できるという、随分と腹の立つ状態になっている事になる。こっちは《アヴェンジャー》の弾薬費に結構頭を抱えているというのに。

 

 キリトは吼えるように抗議した。

 

 

「この野郎、その銃弾は高いんだぞ。そんなばかすか撃つんじゃないっての!」

 

《エネミーに文句を言ってどうする》

 

 

 リランの冷静なツッコみにキリトは静まった。しかし腹が立っているのは変わりない。自分達の姿を真似ているだけのエネミーアファシス、あいつの《HPバー》は後一撃光剣による加えられれば倒せるくらいの量になっている。

 

 リランの背中から黒いリンドガルムの背中までジャンプし、乗っているエネミーアファシスを光剣で斬る事ができれば勝負は決着するのだが、如何せん黒いリンドガルムから連射されてきている円柱弾幕が邪魔だ。

 

 今の状態でジャンプすれば一瞬のうちに《アヴェンジャー》の照準がこちらに向き、あの円柱弾幕が飛んでくるだろう。リランでさえ十秒耐えられるかわからないくらいの威力のある弾幕をただのプレイヤーである自分が喰らえば、一秒経たないうちに終わりだ。

 

 そうなればあの自分と同じ顔と見た目をしているだけのマヌケなエネミーアファシスに負けてしまったという、二度と立ち上がれそうにない黒歴史を作りかねない。

 

 ……いや、それもそうだが、ここで自分が負ければ、あいつは残されたユウキ、カイム、そしてシノンを襲う。それだけは絶対に阻止しなければならないし、そんな事は許せない。だからあいつは自分が倒すしかないのだ。

 

 だがどうするべきか。黒いリンドガルムはリランと同じようにスライド移動しながら、尚且つ《アヴェンジャー》を連射してきている。相手も動いているので、こちらの搭載重火器で狙っても当たらない可能性の方が高いし、下手すれば重火器を使うために止まった瞬間、反動で鈍ったところを《アヴェンジャー》に狙い撃ちされる危険もある。

 

 こちらにある《アヴェンジャー》を使えないのは、その反動による減速とずれを回避するためだった。黒いリンドガルムが地上へ降りているおかげで《ヘルファイアミサイル》も使えるようになっているけれども、ロックオンするためには減速が必要だし、何よりミサイルを射出しても《アヴェンジャー》の連射で撃墜されて終わるだけの可能性もある。

 

 いや、ミサイルを飛ばす事で相手の《アヴェンジャー》の狙いをそちらに向けさせる方法もあるが、ミサイルを撃つには減速してロックオンする必要があるから、結局あの《アヴェンジャー》に撃ち抜かれて終わるだけだ。

 

 せめて、あの忌まわしい《アヴェンジャー》の動きを止める事さえできれば。だが、そのために何ができるというのだろう。自分に残されている手段と言えば――。

 

 

 

 ――そこッ……!!――

 

 

 

 その時、雨の音に混ざって声が聞こえた気がした。キリトがそれにはっとした次の瞬間、遠方で一際大きな銃声がして――黒いリンドガルムのアヴェンジャーがくわんっという何かが着弾したような大きな音を立て、停止した。

 

 

「今のは……!」

 

 

 それが何に、誰によるものだったのか、キリトはすぐに掴んだ。

 

 そうだ。あのエネミーアファシスと自分にはあまりにも決定的な差があった。冷たくて無表情な機械では絶対に手に入れる事のできない大きなものが、こちらにはあったのだ。それがこのタイミングでエネミーアファシスを襲い、弾幕を停止させた。

 

 

《向こうのガトリングが止まった! 今ぞ!!》

 

 

 リランの《声》を頭に受けて、キリトは思いきりジャンプした。そのまま真っ直ぐ、自分自身のエネミーアファシスへと突進する。自分と同じ顔、同じ容姿をしている偽者が目の前に迫る。それはリンドガルムを操るのに必死で、両手から武器を手放していた。それこそが決定打だ。

 

 

「はああああああああッ!!」

 

 

 誰かによって作られた冷たい機械の自分を、キリトは光剣《氷雨》で一閃して通り抜けた。エネミーアファシスは断末魔を上げたが、それを合図にしたかのように、

 

 

《吹き飛べ!!》

 

 

 ロックオンを終えたリランがミサイルを発射。放たれた十発の対地ミサイルは一旦上空へ飛んだ後にくるりと向きを変え、黒いリンドガルムへ降り注いだ。キリトが既に脱した黒いリンドガルムを、連続した爆発が包み込み、エネミーアファシスは爆炎へ消えた。

 

 




 次回、多分急展開。

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