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《忘却の神殿》を出たキリトは、忘却の森の転移装置で別の場所へ飛んだ。
行き先はシュピーゲルが戦闘不能にされたと思われるオールドサウス方面。かつて大きな街があり、沢山の住民や利用者で
そこにいるのは、自分と同じ姿をしたエネミーアファシスだと聞かされ、それが事実だと確認できたからだ。
《忘却の神殿》で遭遇したエネミーアファシス達を倒した後に出会った、レイアそっくりのアファシスであるリエーブル。彼女はエネミーアファシス達の居場所がわかる独自の仕様を持っているそうで、シュピーゲルの通信でキリトのエネミーアファシスが出現しているとわかった後、その場所を細かく教えてくれた。
クレハやイツキ、ツェリスカ達ならばなんとかなったが、抜きん出た強者の一人として《GGO》に君臨しているキリトをコピーしたエネミーアファシスが現れたとなると、多くのプレイヤーが苦しめられる事になるし、キリトにあらぬ噂や変な話をつけられる可能性も出てくる。
キリトがそんな事になるのは許せない――そう強く提言してきたシノンにキリトは同意見を持ち、《SBCフリューゲル》攻略よりも、エネミーアファシスの自分を討伐する事を選んだ。
扉が開かれたとされる《SBCフリューゲル》には、アルトリウス達に向かってもらった。アルトリウス、クレハ、レイア、アスナ、ユピテル、アルゴ、フィリアの七人なので、攻略に必要な戦力が不足している事はないはずだ。
そこにリエーブルも加わって八人だが、リエーブルの戦闘力は未知数であったため、カウントしていいか悪いかわからなかった。
一方、パーティに同行していた残りの三人であるリーファとリズベットとシリカは別の場所へ向かっていた。リエーブルの話によると、倒された三人のエネミーアファシスが廃墟フィールドの一角に再出現して、活動しているというのだ。
自分達の偽物が出たのだから止めなきゃいけない。彼女達はそう言って、リエーブルの示す座標のある場所へ向かっていった。
彼女達は《GGO》では数少ない女性プレイヤーであるため、エネミーアファシスの出現で不利益を被る危険性は男性プレイヤーよりも高いと言える。
シノンが言ったようにあらぬ噂を付けられたり、良からぬ話を広められる可能性だってあり過ぎているくらいだろう。早く止めなければならないという気持ちに駆られるのは聞かなくてもわかった。
《忘却の神殿》に集まっていたパーティは再び個別のパーティとなり、それぞれの場所へ向かっていた。
「フィリア達、リーファ達に続いてクレハ達のも出て、キリトのまで出るなんて。なんだかエネミーアファシスがどんどん増えていってるような気がするんだけど、気のせいじゃないよね?」
そう聞いてきたのはユウキだった。
確かに彼女の言うとおり、エネミーアファシス達は突然現れたかと思えば、いつの間にかフィールドにもダンジョンにも出没するようになってきている。リーファ達のエネミーアファシスだって、倒したからもう出ないかと思っていたのに、すぐさま再出現を果たした。
これでは倒していないと同じであり、更にこれまで確認されていなかったプレイヤーの姿をしたエネミーアファシスが次々確認されてきているのだから、エネミーアファシスはどんどん増殖していっていると考えていいだろう。
キリトから見て左後方に乗っているカイムがユウキに答える。
「気のせいじゃないよ。クレハとイツキとツェリスカのエネミーアファシスも、確認されてたんならその話が出てたはず。でもそんな話はなかったから、あいつらは新しく出てきた奴らだったんだ」
「しかも俺のエネミーアファシスまで出てきてるっていうんだからな。エネミーアファシスは間違いなく増えていってるぞ」
キリトが続けて答えると、ユウキから「そうだよね……」というか細い声がした。戦闘を非常に好み、強いエネミーやレアエネミーとの戦いになれば高揚する彼女にしては、珍しい反応だった。
しかし、先程のホームでの作戦会議でも、ユウキはエネミーアファシスとして出てきたフィリアとレインを斬れなかったと言っていた。いくら戦闘好きの彼女でも、エネミーアファシスとの戦いは楽しくないようだ。この先のエネミーアファシスとの戦いも望んでいるわけではないらしい。
そんなふうになっているユウキが気がかりなのか、カイムが問いかける。
「ユウキ、どうしたの。なんか元気ないよ」
「あのさ、カイム。エネミーアファシスの出現条件とかって、わかってないんだよね。誰のが、いつどこで出てくるか、わからないんだよね?」
ユウキの言った事はキリトも気にしていた事だ。
エネミーアファシスの厄介な点は、対象となったプレイヤーの過去の姿が再現されていて、過去の情報がほぼダダ漏れになっているところもそうだが、出現の直前まで誰がその対象となるかわからないというところが一番大きい。
なんらかの法則や条件がどこかに存在しており、それに一致したプレイヤー達がエネミーアファシスのモデルとして採用されるという仕組みになっているのは、これまでプレイしてきたゲームの経験によって予測できる。だが、その法則や条件がどうなっているかは全く予想が付かない。
その事を話していたユウキは続けてくる。
「って事はさ、もしかしたらこの後、ボクやカイムのエネミーアファシスが出てくるかもしれないんだよね……?」
「……キリトやリーファ達のエネミーアファシスがもう出てきてるから、近いうちにそうなるかもしれないね」
カイムは少し険しい声で答えていた。誰がエネミーアファシスにされて、そいつがいつ、どこに出現してくるのか、何もかもわからない。だからこの先カイムやユウキ、シノンのエネミーアファシスが出てきたとしても、何ら不思議な事はないだろう。
直後、カイムが今度は意外そうな声を出した。
「ユウキ、まさかとは思うけど……エネミーアファシスのぼくが出てきたら、斬れないとか言うんじゃ」
ユウキは小声で答えた。
「……斬れない」
カイムは「えぇっ」と言って驚いた。ユウキからの答えがあまりに意外だったらしい。
「なんでさ。君、あれだけぼくにデュエル吹っ掛けて、模擬戦闘でも散々ぼくに剣で斬り付けてきてたじゃないか。ぼくを剣で斬る事くらい慣れてるでしょ」
「……そうだけど、ボク《
ユウキは《GGO》に来てからも好戦的であり、様々なプレイヤーを相手取っては、その剣で斬り倒してきた。《GGO》は一々デュエル申請をする必要なく相手を斬っても良いので、戦闘好きのユウキにとっては快適な環境であった。
しかしその中で、ユウキがカイムとのデュエルや戦闘を行う事はなかったのを知っている。それはユウキとカイムが互いに思いを伝え合って、互いを思い合うようになったからというのもあるのだろうが、それ以前にカイムにデュエルを吹っ掛けてきた事をユウキが後悔しているからというのが一番だったらしい。
ユウキは小声で続ける。
「だからもう、なんだかカイムを剣で斬るような事はできないんだ。それがエネミーアファシスっていうエネミーでも……なんだか、できそうになくて……皆も勿論そうだけど、カイムのは一際……」
「ユウキ……」
カイムはどこかきょとんとしているような、そうでないような顔をしていた。ユウキにここまで言ってもらえるとはまるで考えていなかったとわかるような反応だ。
そんな二人のやり取りをキリトは何も言わずに見ていたが、そこでユウキがまたしてもカイムに声を掛けた。
「ねぇ、カイムはどうなの。カイムはボクのエネミーアファシスが出てきたら、どうするの」
カイムは少しユウキを見つめて一呼吸入れてから、正面を向いた。
「……いち早く倒すよ。そいつはユウキの事を勝手にコピーして出てきた奴で、ユウキに勝手に迷惑をかけまくってる。そんな奴はすぐに倒してとっちめるさ。ぼくの大切なユウキに迷惑かけて、苦しめようとしてる奴なんて、絶対に許さない」
そう告げるカイムの声には、キリトも聞いた事がないような決意の色が混ざっていた。ユウキという大切な恋人――であり、家族である――を手にしたカイムは、彼女と彼女にまつわる事全てを守る決意を固めているようだ。その意志はキリトの抱いているものに近しい事がわかって、キリトは少し驚いていた。
それを聞かされたユウキは先程のカイムのようにきょとんとしてしまっていたが、そこで続けてきたのもカイムだった。
「それに、ユウキがそう思ってくれてるなら、ぼくのエネミーアファシスはぼく自身で倒すよ。一緒にユウキのエネミーアファシスがいるなら、そいつもぼくが倒す。だからユウキ、心配しないで。ユウキで駄目なら、ぼくがやるからさ」
その言葉を皮切りにカイムは黙った。ユウキも同じように沈黙していたが、やがてぷっと吹き出した。
「ごめんカイム。やっぱりボクも戦うから、今の無かった事にして」
カイムはかっとユウキを見た。
「は!? なんで」
「だってカイム、ボクに一回しか勝った事ないじゃない。その事を思い出してたら心配になってきちゃった」
カイムは「うぐ」と反応していた。確かにユウキにカイムが勝ったところは見た事がない。カイムがエネミーアファシスのユウキに挑んだところで返り討ちにされるのは、容易に想像できてしまった。……カイムには申し訳ないが。
そんなカイムに、ユウキは笑いかけた。
「ボクも戦うよ。カイムと一緒にエネミーアファシスを倒すんだ! ボクは一人でも強いけど、カイムが居ればもっと強くなるんだから!」
その宣言に思わずキリトは笑ったが、それはカイムと同時だった。
ユウキの不安を解決させたのは結局ユウキ自身だ。なので今の相談事はほとんど無駄だったのだが、カイムは怒らずに笑っていた。ユウキが元の調子に戻ってくれたのが嬉しいのだ。
少し前くらいならば怒っていたであろうはずのカイムが、今は「なぁんだ」と言って笑っている。ユウキは確かにカイムを変えた。そんなユウキと一緒のカイム、カイムと一緒のユウキならば、この先のエネミーアファシスなど恐れるに足らないだろう。本当に頼もしい二人だ。
「その調子ならこの先も大丈夫そうだな。二人とパーティ組んでここまで来てよかったよ」
そう言いながらキリトはシノンの方へ向き直る。ユウキとカイムの二人の調子は良いが、シノンの様子はどうだろうか。
このところ《GGO》での強さが増して、心身共に強くなってきている傾向にあるのがシノンだから、何も心配はいらないだろう――キリトは勝手に憶測をしていたが、それは外れていたとわかった。
シノンはきゅっと口を結んだまま何も喋らず、俯いていたのだ。
「シノン?」
シノンは答えない。よく見ると口許が動いているのがわかった。何か独り言を言っているのはわかるが、リランの身体からの駆動音のせいで、何を言っているかまでは上手く聞き取れない。
だが、それでもキリトは一応耳を傾けてみた。
「……トのがいるなら……と……のもいる……そ……を……」
聞き慣れたシノンの声なので、割と小さな声量でも聞き取れるのだが、今に限ってはどんなに聞き取ろうとしても、ほんの少しよりも更に少ししか聞き取れない。何か不安な事があるのか、心配している事があるのか。
気になったキリトは、大きな声でシノンに呼びかけた。
「シノン」
「……!」
シノンは少しびっくりしたように振り向いてきた。まるで今ので我に返ったかのようだった。
そのままキリトに応じてくる。
「なに、キリト」
「いや、ずっと何も言わないでいたからさ。大丈夫かなって思って」
キリトにとって大切な人である狙撃手は、やや引き締めた顔で答えた。
「大丈夫よ。ただ、キリトのエネミーアファシスってどんなのかしらって思ってて――」
シノンが正面を向いたその時に、急に言葉が止まった。間もなく目がゆっくりと見開かれていく。正面方向に何か信じがたいものがあるような反応だった。そして、
「……嘘」
という呟きがしたのと合わせて、正面に向き直ったところ、上半身に冷たい水滴がいくつも当たったような感覚がした。
その感覚によって背筋に悪寒を走らせた時には、無数の冷たい水滴が全身を打ち付けてくるようになっていた。
雨だ。しかし、ただの雨ではない。闇の雨だ。周囲が闇に呑み込まれて真っ暗になってしまっている。黄昏に似た光を降らせる空が分厚い雨雲に覆いつくされて、昼夜が逆転していた。
闇色の雲による闇の雨。それは
「ちょ、ちょっと待って、この雨って!?」
焦るユウキの声がした。続けてカイムの声もする。
「待ってって! この先に居るのはキリトのエネミーアファシスじゃないの!?」
カイムも焦っている。それはキリトもシノンも同じだった。
どす黒い闇の積乱雲が空を覆い、黒い闇の雨が降る時、地上は凶悪な《
闇の雲と一緒に突然現れては、そこに居るプレイヤー達に無慈悲な力で襲い掛かり、狩りつくす。異様なまでの連携と、異様なまでのステータスを持っていて、出くわした時には倒すよりも逃げる事が推奨されるような危険集団。それが鯱だ。
何故現れるのか、何の目的があるのかは一切判明しておらず、そもそもプレイヤーなのかNPCなのかさえも識別できない。プレイヤー反応が返ってこない事から、エネミーである可能性が高いと言われているが、それにしたって強すぎている。
初心者は勿論、経験者さえも容易に叩き伏せてしまう異様な者達の群れ。それについて運営からのアナウンスはなく、プレイヤーからの問い合わせがあっても発表も返信もしないという、良くない姿勢が貫かれている有様だった。
その正体不明の不気味な存在である鯱が現れる気象になっているところに、よりによってこれから討伐するエネミーアファシスの座標がある。強さが不明確なエネミーアファシスと一緒に、あの凶悪な鯱達が合流している可能性は高いだろう。
エネミーアファシスだけでも厄介だというのに、鯱達まで来るなんて、最悪以外何物でもない。しかし鯱達は自分の仲間以外の全てに襲い掛かっているような傾向が見られる事もあった。鯱達はエネミーアファシス達の事をどのように認識しているのだろうか。
もしかしたら鯱達もエネミーアファシスを敵と認識しており、エネミーアファシス戦になると一時的に協力してくれたりするようになったりしないだろうか。これまでのゲームで見る事のあったケースのように。そんな明るい想像を、キリトはせずにはいられなかった。
エネミーアファシスと鯱がセットで襲ってくるなど、考えたくもない状況だったからだ。頼むからエネミーアファシスと鯱は敵対関係にあってくれ。そんなふうに考えていた頭の中に、《声》が響いてきた。リランのものだ。
《キリト、もうすぐリエーブルの送ってきた座標地点に着くぞ》
「って事は、いずれにしてもあいつらと一緒に相手にするしかないのか」
キリトの返事を聞いたユウキが嫌そうな声を出す。
「えぇー!? 確かに戦うって言ったけど、エネミーアファシスと鯱を一緒に相手にするとか、いくらボクでも無理だよ!?」
「けど、この雨が降ってるって事はあいつらもいるって事だから、なんとかするしかないよね。エネミーアファシスだけを釣り出して引き離すとか、とにかくあいつらと一緒に戦うのだけは避けないと」
そう言ったカイムは既に次の作戦を考えているようだ。流石は自分がいない時の作戦考案担当だ。
カイムの言っているとおり、このまま行けば確実に鯱とエネミーアファシスの二つの勢力が合わさった軍団に出くわす。そんなものに勝てるほどの力はこちらにはない。
エネミーアファシスの討伐を一旦中止して様子見だけするか、それとも――。
「はあッ!!」
その時不意に声がして、キリトは目の前をはっと見た。紫に輝く光の刀身が迫ってきていたのが一瞬だけ見えたが、次の瞬間に刀身はキリトの胴体を浅く斬っていた。
「ぐあッ」
胴体を走った痛みと熱さに似た不快感にキリトが呻いた時には、紫の刀身はいなくなっていた。いや違う。ここから見て右後方へと飛んでいった。どうやら光剣を持ったエネミーがジャンプでこちらに飛んできて、辻斬りのように斬り抜けていったらしい。
間もなくして、驚いたシノンが声を掛けてくる。
「キリト!?」
「皆、リランから降りて散らばれ! もうエネミーに見つかってる!」
キリトの咄嗟の指示を皆は聞いてくれて、そのとおりに地面へと降りた。キリトも救急キットを使用してHPを回復させつつリランから降りる。そしてすぐさま、あの光剣が消えていった方向を確認した。
「な……」
「えぇッ……!?」
見えた光景に驚いたが、その声はユウキと重なった。闇の雨の中に縦長の紫の光が認められた。それはやはり光剣だったが、その持ち主が驚くべき存在だった。
ユウキだ。長い髪に軽装コンバットスーツ、左手の拳銃。その容姿はユウキそのものだった。しかし本人はキリトから見て左前方にいる。ユウキがもう一人現れていた。
目の前に自分がいる。そんな光景を目にしたユウキ本人は、明らかな動揺を見せていた。
「あれは、ボク……?」
そう呟くユウキの前方に居る、もう一人のユウキをキリトは改めて確認した。ユウキと言えば
髪は灰色がかった黒色であり、瞳は血のように赤い。服装も黒と灰色になっていて、白と赤の奇妙な紋様がところどころに浮かび上がっている。色のせいなのか、全体的に鋼のように無機質で、氷のように冷たい雰囲気だ。
勿論、そんな雰囲気を出すような娘でないのがユウキである事は熟知している。それを誰よりも知っているカイムの声がした。
「なんだよ、キリトのエネミーアファシスだけじゃなくて、ユウキのエネミーアファシスまで出てくるの!?」
ユウキとカイムは先程まで自分達のエネミーアファシスの対処についての予想をしていたが、まさかこんなに早く出てくるとは本人達も予想していなかっただろうし、その話を聞いていたキリトも全く予想できていなかった。
直後、今度はシノンの声が聞こえてきた。
「待って! ユウキだけじゃないわ!」
キリトはシノンの前方に向き直った。降りた時の位置の関係で、シノンの隣にカイムがいるのだが、彼女達の前方にも人影がある。
右手に光剣、左手に拳銃。男性にしてはかなり小柄な体型。カイムの外観的特徴を映し出しているかのような人影が、こちらに歩いてきて、姿を見せてきた。
顔も身体もカイムと瓜二つだ。その配色はエネミーアファシスのユウキと同じになっている。その姿を認めたカイムは、唾を飲んだような仕草をしてから言った。
「ぼくのエネミーアファシスまでいるのか……」
ユウキもカイムも冷や汗を掻いているようだ。互いにエネミーアファシスの予想をしていた二人のエネミーアファシスがここに揃ってくるとは。予想していなかった事が立て続けに起きているせいで、頭の中がこんがらがってきそうだった。
(……待てよ?)
キリトはからまりそうな頭の中を解きほぐして、もう一度思考した。
そういえば鯱はどこにいる。この闇の雨は鯱が出現する気象のはずだが、鯱の姿は確認できていないし、気配さえも感じられていない。ここに居るのはユウキとカイムのエネミーアファシスだけだ。
これはどういう事なのだろうか。闇の雨にいるはずの鯱はどこへ行ってしまったのだ。闇の雨の降る場所に鯱がいるのではなかったのか。そんな疑問を抱きながら、エネミーアファシスを改めて見てみると、その服装の配色や色相に引っ掛かるものを見つけた。
あれらの服装には、ど事なく鯱達の着ていたスーツに似た雰囲気がある。基本の色が黒であり、色合いは鯱達の着ていたスーツのどす黒さとほぼ同じだ。
ところどころに出ている白と赤の紋様も、鯱達のスーツにあった白い模様が変化して、あの形を作ったかのように見える。観察すればするほど、あのエネミーアファシス達と鯱達に共通点が見えてきた。
あれではまるで、鯱達の衣装や服装が変化して、《GGO》のプレイヤーが身に着けているものになって、今のエネミーアファシスになったかのようではないか。
「……!」
そこまで考えたところで、キリトは背筋に強い悪寒を走らせた。指先にまで冷たさが来て、身体の熱が奪われていきそうになっている。
「……まさか」
あの時、突然出てくるようになっていた鯱達はプロトタイプ、言い方を変えれば幼体であり、その鯱達が成熟した結果の姿こそが、エネミーアファシスなのではないか。そうであるならば、ここにいるエネミーアファシスの特徴が鯱達と一致しているのにも説明が付く。
鯱が進化した姿こそが、あのエネミーアファシスなのだ。自分達が戦っていた鯱は、エネミーアファシスがそうなる前の姿だった。そんな気がしてならなかった。
「そういう事だったのか……!?」
思わず呟いた次の瞬間、轟音がした。ブオオという鋼鉄の獣が唸る声にも似た音。それはリランに搭載されているガトリング砲の駆動音と同じであったが、リランの方からではなく、闇の雲の中から聞こえてきた。
かっと顔を上げると、闇の雨に混ざって、大きな銃弾が飛んで来ているのが瞬間的に補足できた。
「ッ!」
間に合え――口の中で呟いて後方にダイブすると、それまで居た位置を巨大な銃弾が貫いていた。体勢を立て直して空を見上げると、雲の中から大きな黒い影が飛び出して来たのが見えた。それはぐんと上昇したかと思うと、その姿勢を維持したままホバリングをして、姿を見せつけてきた。
そこに居たのは自分だった。《黒の竜剣士キリト》の《GGO》での姿をそのまま再現した存在が、黒い戦闘機のようなものの腹に
しかしその身を包むもの、髪、瞳の色といった特徴は地上に居るユウキ、カイムのエネミーアファシス達と同じであり、鯱のそれを継承したような色合いの服と、灰色がかった黒髪、赤い無機質な光を放つ瞳をしていた。
一体何を考えているのかさっぱり理解できない《GGO》の開発によって作られた、自分の似姿。過去の自分を再現しているエネミー。
それを目にした時に感じるものは何かと気になっていたが、ようやくわかった。
とてつもなく、気持ち悪い。今すぐにでも潰したい気持ちに駆られる。それがエネミーアファシスのモデルにされたモノが抱く感情だ。
そんな感情を抱かせてくる、嫌がらせのような存在を認めたシノンが驚いたように声を上げた。
「見つけた、キリトのエネミーアファシスッ!!」
シノンの声には怒気が感じられた。彼女は明確に怒っている。先程も聞かせてもらった通り、自分にとって大切な人の偽者がエネミーとしてのこの事出てきているのが許せないというのが理由であろう。
「悪いな。すぐに終わらせてやるよ」
エネミーアファシスのキリトは得意そうに言っていた。間もなくシノンの怒りがキリトの中にも既に宿った。
こちらと同じ顔、同じ声をしているエネミーが、こちらが思っていない事を口にしたり、こちらが取らない行動を取ったりする。そんなイベントや現象を目にして、不快に思わない人間などいるのだろうか。
この広い《GGO》の中を探し尽くせばいるかもしれないが、少なくともキリトはそうではなかった。すぐさま、リランの《声》が頭の中に届く。
《姿形はそっくりだが、それ以外は似ておらぬな》
「……なんだか、あの時のイツキの気持ちがわかる気がするよ。俺と同じ姿をして、俺の声で喋ってるエネミーが居るって、こんなにむかつく事だったんだな」
キリトが言うと、ホバリングしているエネミーアファシスのキリトが飛行を再開し、雲の中へ飛び込んだ。空中から好き放題に攻撃してくる算段でいるらしい。
ならば甘いぞ。こちらにだって手がないわけではないし、空はそっちだけの領域ではない。
胸中で呟いたキリトはジャンプしてリランの背に飛び乗ってシートに
「リラン、あいつを追いかけるぞ!」
《空中戦はバッテリーを使うが、良いのだな》
「バッテリーならさっき充電してきたし、燃料費も十分にある。気にせず飛べ!」
《了解だ!》
リランの《声》がした次の瞬間、リランは地を蹴ってその場にジャンプした。直後、リランはくるりと身体を反転させて腹部を背に、背中側を下にする。合わせて後ろ足が音を立てながら変形して、戦闘機の後部にあるジェット部分のそれに似た形状を取る。
更に前足が折り畳まれて、肩に収納されていたシールドが展開して翼を作った。腹部より槍の穂先に似たパーツが飛び出て頭部と合体すると、変形が止まった。
《
その腹部に該当する操縦席に、キリトはがっちりと背中を付けている。ハンググライダーなどのそれと同じように、操縦者が落ちてしまわぬように固定するハーネスが腰に廻っているのだ。一応落ちない事を確認してから、キリトは左右の操縦桿をしっかり握り締めつつ、リランと皆に声掛けた。
「空は俺達に任せてくれ! さぁリラン、飛ぶぞッ!」
キリトの号令を合図に、リランは後部のバーニアを吹かして急加速し、エネミーアファシスのキリトを乗せた戦機を追って闇の雲へ飛び込んだ。
――今回登場の戦機紹介――
・
本作オリジナル要素の戦機。ビークルオートマタにできる戦機の一つ。機械の身体を持つ巨大な狼型戦機という外観をしているのが特徴。戦車や装甲車が通り抜けられないような悪路も余裕で踏破できる運動性能を持っているのが売り。
更には変形機構を持っており、後ろ足を畳んでジェットエンジンに、前足を畳みつつ肩に折り畳まれているシールドを展開することでウイングとし、腹部から伸びるパーツと頭部を合体させる事で飛行ユニットとなり、空を自由自在に飛び回る。この際操縦者はハンググライダーと同様に機体に固定された状態となるため、落ちる心配はない。
《GGO》では銃がメインであるため、空の敵にも問題なく対応できるが、それを振り切るほどの運動能力を出せるのがリンドガルムである。装備している武器は使用者や仕様によって異なる。
――原作との相違点――
・キリトのエネミーアファシスがリンドガルムを使っている。
・ユウキのエネミーアファシスが出現。
・キリトのエネミーアファシスの出現場所が違う。原作ではダンジョン内。