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鯱達を撃退する事に成功したキリトは、仲間達を引き連れて街へ帰還した。
《SBCグロッケン》の公道をリランの背に乗って走り、途中でアルゴとフィリアと別れ、そのままガレージへ向かう。ビークルオートマタ専用のガレージに入り、エレベーターに乗って《リンドガルム》であるリランを入庫。
事実上のパイロットにもなっていたリランに出てきてもらい、エレベータでマイルームへ向かった。ドアの鍵は開け放っており、他の仲間達でも利用できるようにしておいたので、カードキーが反応する事なくドアが開いた。
「おぉ三人とも、お帰り」
入って早々迎えてきた声に三人で向き直る。部屋にあるテーブルとセットになっているソファに腰を掛けている人物が声の主だった。ユイと同じ色合いの長い髪を垂らし、ストレアのそれと同色に近しい赤茶色の瞳をしている、黒いコンバットスーツに身を包む、プレミアのように小さな体格の少女。
キリトの恩師、シノンの元専属医師、そしてリランとユイ、その
「イリスさん、居たんですね。丁度良か――」
その途中で驚き、キリトは思わず声を止めた。ソファに居るのはイリス一人ではなく、もう一人姿を見せていた。明るい茶色の髪をしていて、赤と紺色を基調としている、腹部を露出した戦闘服を纏った小さめの体型をした少女が、イリスの膝に頭を乗せた状態でソファに寝転んでいた。
SAOで出会い、今日この時までずっと一緒にゲームで遊んでいる仲間の一人、シリカだった。その姿を認めたキリトはそこへ目を向け、声を出し直した。
「あれ、シリカ?」
キリトの隣にいるシノンもこの展開は予想できなかったのだろう、似たような様子で続いた。
「シリカじゃないの。なんでイリス先生といるの」
そこでキリトは気が付いた。シリカの髪型がいつもと異なっている。シリカはその明るい茶髪をツインテールにしているのだが、今の彼女は髪留めを外し、肩にかかるかかからないかくらいの長さの髪を自由にさせていた。このように髪を解いたシリカを見たのは初めてかもしれない。
キリトは少し興味深く思い、シリカを見ていたが、やがて彼女はその瞼を開き、赤い瞳を見せてきた。
「んあれ……キリトさん達の声……?」
今まで寝ていたのだろうか、どこか眠たそうな様子を見せてから、シリカは顔をこちらへ向けてきた。やはりイリスに膝枕をしてもらっていたというのが衝撃で、キリト達はきょとんとしたままになっていた。
やがてシリカはびっくりしたような反応をして、がばっと上半身を起こした。そのままイリスと頭部をぶつけ合うかと思いきや、イリスは即座に上半身を後ろへ逸らす事で回避していた。
「き、キリトさんッ!? それにシノンさんとリランさんも!?」
「や、やぁシリカ。お楽しみのところを邪魔してすまない……」
キリトのぎこちない答えを聞いてすぐに、シリカはウインドウを展開して操作、髪型をいつものツインテールの形に直し、ほぼ瞬時にイリスの隣に座って、恥ずかしそうな様子で縮こまった。あまり見られたくない瞬間を見られてしまったというのは明らかだった。
「うぅぅ……まさかキリトさん達にばれちゃうなんてぇ……」
見慣れたシリカの姿を認めると、リランが問うた。
「珍しい取り合わせだな。お前がイリスのところに居るとは。いや、イリスがシリカのところに居るのか?」
間もなくイリスがリランに答える。
「どっちでもあるよ。いや、どちらかと言えばシリカが私のところに来てる、かな」
そう聞いても、キリトはその理由が解せない。イリスのところへシリカが行っていて、尚且つ今のように膝枕をしてもらっていた理由とは何だろうか。探りをかけるべきか、そうするべきではないか。
キリトがふと考えようとしたその時に、イリスが顔を向けてきた。
「シリカはSAOの時から、私のところへよく来てたんだよ」
証言に驚いたのはシノンだった。その頃イリスはシノンの専属医師だったのだから、この反応は当然だ。
「えぇっ、そうだったんですか。けど、イリス先生のところにシリカが来てるところなんて、私見た事ありませんでしたよ」
「そりゃあそうさ。シリカは君達が攻略に出向いてて、自分が非番になってる時とかに来てたからね。君達が見てなくて当然さ」
確かに、自分達が攻略に出ている間はイリスのいる教会がどうなっていたかなど知れるはずもない。自分もシノンも居ない間にシリカがイリスのところに居たならば、わからないで当然だ。しかし、やはりシリカがイリスのところへ行っていたというのは意外過ぎて仕方がない。
そんなキリトへ答えるように、シリカが顔を上げてきた。
「……あたしが皆さんと一緒にイリス先生のところに行った時から、イリス先生はあたしの事を気にかけてくれて、とても良くしてくれたんです」
「気にかけてくれた?」
シノンが首を傾げると、イリスが補足するように言った。
「私が院長を務めてた教会には沢山子供達が居ただろう? あの子達はほぼ全員が十歳、十一歳、十二歳、十三歳くらいだった。十歳から十三歳なんて小学校五年生から六年生か中学生なりたてくらい、まだ親の庇護や世話が必要な歳だ。なのにあの子達は親から離されてしまってデスゲームに閉じ込められてしまった。だからあそこで保護して、ケアをする必要があったんだよ。それは君達もよく知っているだろう」
イリスは横目でシリカを見つめた。
「そうしてたらどうだね、その子達と年齢がほとんど変わらないシリカが君達のところに居て、果敢に戦ってると来たじゃないか。びっくりしたさ、まさかあの子達とほとんど同じくらいの歳の
後からシノンにこっそり教えてもらったのだが、シリカは自分達の中で最年少であり、SAO開始時は十二歳、自分達と出会った時には十三歳だった。本来ならばイリスの居た教会で他の子供達同様に保護されて、ケアを受けていなければならなかった年齢だったのだ。
そんなシリカが攻略組として戦場に出ていると聞いたイリスがどれだけ驚いたのかは、容易に想像できた。そこまで聞いて、キリトはイリスに尋ねる。
「だから、シリカが心配になって?」
「そうさ。精神的に辛いところはないか、苦しいところはないかって聞いたりした。というか、その時既にシリカから見えてたんだけどね、そういうのが」
イリスを見つつ、シリカが続けてくる。
「あたし、ピナやキリトさん、皆さんが一緒に居てくれるから、何も怖くないって思ってました。攻略に出る事も、ダンジョンの探索をする事も、モンスターと戦う事も怖くないって思ってました。けれど、やっぱり怖くなる時もいっぱいあったんです。それに、どうしようもなく寂しくなったり、ものすごく不安になったりする事も結構あって……そういう事を、全部イリス先生に話したんです」
当然だ。シリカはあの時まだ十三歳で、本来ならば生死が常に絡む戦場に出てくるべきではない。それにシリカ自身、SAOに閉じ込められた事によって両親や友達と言った親しい人達と一切会う事も話す事も出来ない状態になっていた。これら要素がどれだけ彼女の精神に負荷をかけていたのかは、容易に想像できる。
シリカが実はそれだけの負担を抱えていたという事に、どうしてあの頃の時点で気付いてやれなかったのだろうか――今更思っても仕方がないとわかっていても、キリトはそう思わざるを得なかった。
直後、シリカの表情が少し明るくなる。
「そしたらイリス先生は、教会にあたしを招いてくれて、他の子供達と一緒にご飯を食べさせてくれたり、一緒に街に出かけたりしてくれたり、たまに院長室で一緒に寝させてくれたりして……すごく、良くしてくれたんです」
イリスがすすんと笑う。
「今みたいに膝枕してあげた事もいっぱいあるよ。まぁ、それは他の子供達にもいっぱいやってあげた事なんだけどね」
「おかげであたし、攻略するのも怖くなくなりましたし、皆さんと一緒に戦っていけるようにもなったんです。イリス先生があたしに良くしてくれたから、あたしは最後まで戦えた……そう思えるんです」
そう告げたシリカの顔はとてもすっきりしているものだった。
確かにシリカは攻略組の中では最年少であるはずなのに、他の大人達と同じように上手く戦えていたものだから、キリトは驚く事も多かった。大人でさえ怯えてしまうような戦場に出ても怯えないで居るうえ、時には大人達よりも上手く立ち回る彼女は強いなと思っていたが、今の話で納得がいった。
シリカは自分達の知らない間にイリスという精神科医の名医の治療とケアを受けていたからこそ、怯えずに戦えていたのだ。イリスの事は当初から影の攻略組の協力者だと思っていたが、まさしくその通りだった。
キリトがようやく全部を掴んだような気になっていると、イリスがまたしても笑った。
「私はあくまでシリカの背中を押してやれたり、シリカにかかってる負担を少なく出来ないかなと思ってやっただけで、行動は全部シリカが自ら望んでやった事だよ。でもまぁ、私がやった事がシリカが生きてSAOからログアウトする事に繋がってくれたんなら、元精神科医としては本望さ」
そこでまた、シリカが恥ずかしそうな様子を見せた。
「でも、SAOをクリアした後も……なんだか時々イリス先生の膝枕とか、そういうのが欲しくなったりする事もあって……ALOや《SA:O》でも、イリス先生が居てくれてる時間を狙って……今みたいに膝枕してもらったりしてたんです……。
けど、今でもあたしがイリス先生にそんな事してもらってるのは……皆さんに言うのがとても恥ずかしくて……」
聞かれる前に白状したシリカに、キリトは微笑んだ。シリカはまだ最年少なのは変わらないし、極限環境に居た時に支えてくれたイリスのところへ今も尚行きたくなっても、おかしな事はない。本人はそれが恥ずかしい事のように思っているようだが、そうではないのだ。
その事を伝えたのが、シノンだった。
「シリカ、そんなに恥ずかしがらなくたっていいわよ」
「え?」
きょとんとするシリカにシノンが続ける。
「私だって今でもイリス先生に色々してもらってるし、あんたみたいに膝枕してもらったりする事もあるし、抱き締めてもらったりする事もあるわ。そういう事をイリス先生がしてくれるのは、それが治療だからよ」
「治療……あたしはイリス先生に治療してもらってたんですか」
キリトは気付かれないように驚いていた。
どうやらシリカはイリスから治療を受けているという自覚はなかったらしい。シリカは、イリスが名の立つ精神科医であったという話は知っているというが、シノンの治療のみを行っている医師だと思っているところもあったのかもしれない。
そもそも自分達とイリスが出会ったのは病院ではなく、SAOという全く違う場所だったから、尚更SAOに居る時にイリスから治療を受けた患者は、治療を受けていたという実感がなかったのかもしれない。シリカは無自覚なうちにイリスの患者の一人になっていたのだ。
そして無自覚な患者を増やしていた医師は、苦笑いに近しい笑みを顔に浮かべた。
「まぁ、治療を受けていたかどうかについては、好き勝手に思えばいいさ。シリカについては、やってほしいっていうお願いがあったからやってただけだよ」
直後、イリスはシリカへ向き直った。
「ところでシリカ、私の膝枕の寝心地は随分変わってただろう。如何せんアバターが君並みに小さくなってしまったものだから、SAOとか《SA:O》の時みたいな寝心地は再現出来ていないかもしれない」
申し訳なさそうにしているイリスへ、シリカは首を横に振って答えた。
「全然そんな事ないですよ。イリス先生の膝枕、やっぱりすごく気持ちいいです。身体が小さくなっても、寝心地は全然変わりませんでした」
「そうかい? それなら良かったよ」
「また、お願いしても良いですか」
「勿論さ。私がログインできるタイミングはまちまちだから、私がログインできてるタイミングを見計らって、来るといいよ」
シリカは「ありがとうございます」と言って嬉しそうにした。随分とシリカがイリスに懐いているのがよくわかる光景だ。
あの教会にいたストレア曰く、あそこにいた子供達の中でイリスに懐いていなかった者はいなかったらしい。そのイリスを慕う子供達の中に、シリカもいつの間にか含まれていたようだ。意外な事もあったものだ。
そう思っているキリトへ、イリスは何かを思い出したように向き直ってきた。
「ところでキリト君、君は私に何か話したい事があったんじゃないかな」
その声掛けによって、キリトははっとさせられた。
そうだ、こんな何気ない話をするためにここへ来たのではなかった。イリスは勿論、その他の皆にも伝えなければならない事があるのだ。
その話を、キリトはイリスとシリカに話した。地下遺跡で襲ってきた鯱、そしてそれを束ねる黒髑髏の話を。話の途中でシリカは驚いた様子を数回見せてきたが、イリスはじっと黙って話を聞いていた。
「という事が、ついさっきありました」
「……なるほどね。この前君達を襲った連中が、またしても君達を襲ってきたと。それもフィールドじゃなくて、地下遺跡っていうダンジョンで」
鯱達と以前フィールドで交戦した時、黒い豪雨が降っている中で連中と出会った。黒い豪雨が降っていない時には鯱達は現れない。だからダンジョンでは現れないとばかり思っていたが、連中は平然と現れてきた。
「それで今回は一人増えてた、と」
「はい。そいつはその……自分でも滅茶苦茶な事を言ってるように思うんですが、《
キリトの言葉に、シノンとリランが同時に驚いた。まさかそんな名前が出てくるとは、そして自分がこう思っている事は読めなかったのだろう。
《
その組織の幹部であった一人、毒短剣使いジョニー・ブラック。ほぼ常に異様なハイテンションで、完全にゲーム感覚で殺人を行う猟奇快楽殺人鬼のようなプレイヤーであったそいつと、あの黒髑髏は奇妙なまでに類似点があったのだ。
それを聞いたシノンが、真っ先にキリトへ反論をしてきた。
「待ってよキリト。まさかあいつが《笑う棺桶》の生き残りで、しかも幹部やってた奴だったっていうの。そんなの有り得ない。だってあいつらはアインクラッドで……」
そこまで言ったところでシノンははっとしたように言葉を止めた。ほぼ同刻、リランが俯き加減になりつつ、歯を食い縛った表情を見せた。
そうだ。数々の犯罪行為と殺人行為でプレイヤー達を恐怖のどん底に突き落とそうとしてきた《笑う棺桶》は、攻略組の猛者達で組んだ連合隊によって行われた討伐戦の最中、カーディナル・システムの防衛機構によって暴走したリランにより
この事件によって《笑う棺桶》は幹部も構成員も一人残らずアインクラッドから消滅する事になり、攻略組は一時安全に攻略を進める事が出来たのだった。だからもう《笑う棺桶》はどこにもおらず、生存もしていない。それが事実だ。
その事を誰よりも知っているリランが、口を開く。
「……しかし、PoHは生きていたな」
キリトは頷く。
討伐戦にはリーダーであるPoHも参加しており、PoHもまたそこで死亡したと思われたが、PoHは生き延びていた。そもそもPoHは諸悪の根源であるハンニバルの部下であり、ハンニバルが提示したコンセプトで《笑う棺桶》を作り上げ、基本的にハンニバルから受け取った指示で動かしていた。
惨劇となった討伐戦もハンニバルの作戦によって避ける事が出来、《笑う棺桶》が壊滅した後も一人だけ生き延びていたのだった。
そしてハンニバルもまた存命しているとわかった今、彼の者も引き続きその部下として行動し続けているのは間違いない。
その話を聞いたシノンが、続けてキリトに問うてくる。
「もしかして、ジョニー・ブラックもPoHと同じような形で生き残ってたっていうの」
「もしくは、蘇ったかのどっちかだね」
割り込んできたイリスに全員で向き直る。考えたくない事だが、イリスの言った事こそがキリトが考えていた事だった。
「現にハンニバルのところには私が持ってる技術……特に《アニマボックス》と《
イリスは鋭い瞳を向けてきた。身体が小さくなっても、目付きは全く変わりがない。
「……《笑う棺桶》の構成員や幹部のデータを彼らのナーヴギアから
キリトはもう一度頷くしかなかった。
イリスの言うとおり、ハンニバルは死したはずのサチを《電脳生命体》として蘇らせ、自分達の目の前に出現させてみせた。ハンニバルは初めて聞いた時から常軌を逸した事をしている奴だったが、ついにSAOの犠牲者を《電脳生命体》としてこの世に蘇らせるなどという行為にまで至れた。
そんなハンニバルがかつて自身の動かしていた殺人ギルドである《笑う棺桶》、その幹部であったジョニー・ブラックを蘇らせたとしても不思議な事はない。
「はい。さっき会ったあいつ、どうしてもジョニー・ブラックが蘇ってきたとしか思えなくて……」
「だが、我は何も感じなかったぞ。あいつがもし我らと同じ《電脳生命体》として蘇ったのであれば、《アニマボックス信号》があるはずだ。しかし我はそのようなものを感じなかった」
リランの言うとおりでもある。もしジョニー・ブラックや《笑う棺桶》の構成員がハンニバルの手によって《電脳生命体》として蘇ってきたのであれば、その時は《アニマボックス》の信号が出ているはずで、リランがそれを感じ取れているはずだ。
しかしあの時リランは何も反応せず、ただ攻撃をしていただけだった。そしてリランは何より嘘を吐かないのが最大の特徴なので、その言葉は真実である。だからこそ、あの黒髑髏がジョニー・ブラックであるというのは憶測の域を出ない。
「イリスさん、どう思いますか」
ふと問いかけると、イリスは数秒沈黙した後二深い溜息を吐き、口を開けた。
「どうとも言い難いね。けど、仮に君達が交戦した黒い髑髏仮面がジョニー・ブラックだったとしても、そんなに警戒する必要は無いんじゃないか」
シリカが驚いたように言った。
「えっ、なんでですか。相手はあの殺人ギルドだった人なんですよ」
シリカの言うとおり、ジョニー・ブラックは《笑う棺桶》の幹部であり、自ら進んで殺人をするような奴だった。そいつが解き放たれたとしたら、とんでもない事になるのは容易に想像できる。しかし、イリスはいたって冷静だった。
「そうだよ。けれど、もしそれが仮に《電脳生命体》として蘇ったところで、何が出来るんだい。そもそも彼らが簡単に人を殺せていたのは、SAOプレイヤー全員がナーヴギアを使っていたからであって、アミュスフィアに機器が移った今ではゲーム内殺人なんて出来ない。
それにさ、相手がもし《電脳生命体》として蘇ったとしても、生身の身体はとっくになくなってるんだよ。《電脳生命体》として電脳空間に居るしかないから、君達を殺そうとしたところで、身体が無いから何もできない。そうじゃないか?」
確かに、アミュスフィアにはナーヴギアのような電子パルス攻撃機能はなく、SAOの時のような殺人行為をしたとしても、それが被害者プレイヤーを実際に死に至らしめるような事はない。
そしてもし《電脳生命体》として《笑う棺桶》の幹部や構成員が蘇っていたとしても、彼らは既に生身の身体を失っているので、殺人行為に至る事さえ出来ない。リランやユピテル、ユイやストレアが現実世界に何も影響を及ぼせないのと同じだ。
もし《電脳生命体》として蘇っていたとしても、彼らの脅威度は皆無に等しくなっている。
「確かに……」
「それにもし私達にそいつらが絡んできて、嫌がらせとか妨害行為をやってくるなら、それこそ運営に通報して追放させてやればいい。そしたら彼らは何もできなくなる。そうだろ、キリト君」
キリトは喉を鳴らした。今ので全部の不安要素を否定されてしまった。もしも《笑う棺桶》のいずれかが《電脳生命体》として蘇ってきていたとしても、こちらにSAOの時のような危害を加える事は出来ないに等しいし、もしそんな事をしようものならば、たちまちGGOの運営によって消される。
確かに、《電脳生命体》となったとしても、連中は危険ではなくなっている。
「そのとおり、です……」
思わず声を小さくして言うと、イリスは朗らかに笑った。「安心なさい」と言ってくれている表情だった。
「だから、そんなに気を張りなさんな。ここはもうデスゲームじゃない。デスゲームは既に終わってる。そうだろう」
キリトはもう一度頷いた。確かに安心していいかもしれないが、かつて殺人ギルドであった者達が蘇ってきているとすれば、その目的や動向は気になるし、場合によっては止めなくてはならない必要が出てくるかもしれない。
そんなキリトの考えを読み取ったように、イリスは続けてきた。
「けれど、そいつらが今になって《電脳生命体》として蘇って来てるってのは気になってるし、何より《アニマボックス》の技術をそんな事に使われてるのはとっても心外だ。少なくとも、情報は可能な限り集めた方が良い」
またしてもイリスの言うとおりだったものだから、キリトは頷いた。
《笑う棺桶》、お前達が蘇ったとして、その願いは何だ。何のために動くんだ――キリトは一人、そう思っていた。
(フェイタル・バレット 02に続く)
次から第二章。
いよいよ彼女達が登場。