キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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深夜に読む事を推奨します。理由は深夜な内容だから。



09:温もり

「いてっ」

 

 俺が落ちた距離というものは、結構大きなものだった。暗闇の中に飛び込み、吸い込まれるように落ち続けて、闇が晴れて床が見えたのは落ち始めて数秒後だった。多分数十メートル近く落ちてしまったのだろう。

 まさかアミュレットを取ると床が抜けるようになるとは思ってもみなかった。まんまと、罠に嵌められてしまったらしい。

 

「くっそ。アミュレットを注視しすぎて、床の異常に気付くのに遅れっちまったか」

 

 立ち上がり、頭を軽く抑えたその時に、上の方から聞き慣れた声による悲鳴が聞こえてきて、俺は思わず驚いたと同時に、気付いた。そうか、シノンはあの塔の頂上にいたから、床が抜けても大丈夫で、あの部屋に残る事が出来たんだ。

 

 いや、残されてしまったんだ。そしてあの悲鳴から考えるに、シノンの身に何か起きたという事は想像するに難しくない!

 

「どうした、シノン!?」

 

 声を張り上げて言ってみると、闇に染まる天井から声が返ってきた。

 

「さ、祭壇からモンスターが出て来た! 《HPバー》が二本もあるわ! ボスモンスターみたい!」

 

「なんだって!?」

 

 あの部屋は、アミュレットを取ると床が抜けるだけじゃなく、ボスモンスターが襲ってくるようにもなっていたというのか。随分と手の込んだトラップだと、感心すると同時に怒りが込み上げてきた。だけど怒ってる場合じゃないし、それ以前に、シノンを脱出させなければ。いくらシノンでも、一人でボスモンスターを相手にするのは危険すぎる。

 

「シノン、転移結晶を使って脱出するんだ! 俺も追って脱出するから!」

 

「だ、駄目、ここ結晶無効エリアだわ!」

 

 おまけに結晶無効エリアと来て、一気に顔が青ざめたのがわかった。――この状況、あの時と完全に同じだ。閉じ込められて、結晶を使おうとしても無効で、沢山のモンスターに囲まれて袋叩きにされて、無残に死んでいった月夜の黒猫団……サチの時と、同じだ。

 

 あの時の瞬間が、サチが殺されて消える瞬間が頭の中で何度も何度も繰り返し映し出され、その度に冷や汗が額から頬へ、床へと落ちて行く。やがて、頭の中にフラッシュバックする映像がサチ達が死ぬ瞬間から、シノンがボスモンスターに襲われて殺される瞬間に変わり、何度も繰り返される。

 

 ボスモンスターの攻撃に晒され、逃げ場なく追い詰められ、殺されるシノンの姿が頭の中から消えていかない。

 そしてこの光景は、今から現実の映像になろうとしている。

 

 俺はサチ達が死んでから、人とのかかわりを避けてきた。だけど、そんな中シノンに出会い、シノンを死なせたくない、ずっと守りたいと思って来た。いきなり出会った俺を信じてくれて、ここまで一緒に来てくれて、そして俺の話を冗談と思わず、しっかりと聞いてくれた、シノン。

 

 その中で、この世界で最も愛おしいと思えるようになった、たった一人の少女、朝田詩乃。その命がかつてのサチ達と同じように、俺の目の前で失われようとしている。

 

 

 俺はまたこうやって大切な人を失うだけなのか。守るという約束が口約束だけの形になり、結局は守れずに終わるだけなのか。結局、何一つ変わりはしないというのか――。

 そう思ったその時に、頭の中の映像がサチ達の映像へ切り替わり、サチが死ぬ寸前に俺に感謝の言葉を述べた瞬間が映し出され、ハッとする。

 

 あの時俺はサチ達を、守りたいと思ったサチ達を死なせてしまった。そして、今まであんな事は絶対に繰り返さないと決めて生きてきた。

 

 あの時の俺は無力だった。だけど今は違う。リランという力は今ないけれど、代わりに大きな力を俺は得ている。

 

 シノンを、皆を守りたいという意志がこの力を齎してくれたのかどうかはわからない。だが、これを今使わずして、いつ使うというのだ。

 あの時の事を繰り返す事を、死んでいったサチ達が望んでいるわけがない。どんなに絶望的な状況になっても、絶対にあれだけは繰り返させないッ。

 

「ここで、諦めるわけには、いかないんだよッ!!」

 

「キリト!?」

 

 俺は天井に向かって、シノンに向かって咆哮するように叫んだ。

 

「今から全速力でそっちに戻る! 俺が到着するまで持ちこたえてくれ、()()ッ!!!」

 

「……わかったわ。何とか持ちこたえてみせるわ!」

 

 絶対に見捨てない。絶対に一緒に生きて帰るんだ。

 

 この絶望的な状況も、覆す。

 

 心の中で叫んで、俺は咄嗟に左手を振ってメニューを呼び出し、所持アイテムの武器の部分をスクロールして、今持ってる武器とほぼ同じ性能を持つ武器を選択してオブジェクト化。装備フィギュアの空白になっている部分――本来なら盾を装備する場所にそのアイテムを設定した後に今度はスキルウインドウを呼び出して武器スキルを変更する。

 

 それら全ての操作を終えてOKボタンをクリックしてウインドウを消すと、背に新たな重みが加わった。

 

 次の瞬間頭の中に、懐かしいサチの声が響いたような気がした。

 

 

 ――そうだよ、そうだよキリト。それで、いいの――

 

 

 俺はかっと顔を上げて心の中にたまった全てを吹き飛ばして、完全な白の状態に戻して、今やるべき事を一瞬で再確認した。

 

 よく見てみれば、親切にもこの部屋には元の部屋に続いていると思われる階段がある。これを全速力で駆け上がって行けば、きっと詩乃の元に辿り着く事が出来るはずだ。

 今は余計な事を考えている場合ではない。

 

 今考えるべきは、そして行うべきは、詩乃の元へ辿り着いて彼女を守る事だ。

 

「待ってろ、詩乃!!」

 

 俺は全速力で、脳が焼き切れそうなくらいの勢いで足を動かして部屋を出口目掛けて走り出し、扉を蹴り開けた。

 

 

 

 

       ◆◆◆

 

 

 

 

 

 キリトの事を信じて、私は弓を構えた。現れたボスモンスターは身体のあちこちが遺跡の壁のようになっている変わった姿の、石のような色をした飛竜だった。見慣れたリランとは違って、腕と翼が一体化しているような姿をした飛竜……恐らくこの飛竜が、あの老人が言っていた、目を撃ち抜いた事のあるドラゴンなのだろう。正確にはワイバーンだけど。

 

 レベルの方を確認してみれば、その値は80。レベリングを積んだ私でも、レベルはまだ75でしかない。あいつは5レベルも、私より強い。

 

「だけど……」

 

 怖気付いてはいけない。ここでやられたら、ここまで生きてきた意味が全て消え去ってしまう上に、またあの人を……キリトを独りにしてしまう。それにここで死んでしまったら、もうあの人に会う事も、温もりをもらう事も出来なくなってしまう。あの人は私の事を信じて、私の事を支えてくれた。今度は私があの人を支えてやらなければと考えていたんだ、絶対にここで力尽きるわけにはいかない。

 

「来なさい、リランの出来損ない! 相手をしてやるわ!」

 

 次の瞬間、石の飛竜は咆哮して私の元へ急降下してきた。いきなり攻撃してきた事に驚いて飛び降りた直後、石の飛竜の突撃を受けた塔は轟音を立てて崩れ落ちた。なんていう石頭なのと思うと同時に、まともに喰らったら一溜りもない事を感じて、お腹の底から震えた。

 

 そして床へと着地し、軽く前転した後に、石の飛竜の姿を捉えるべく、私は周囲を見回した。しかしあるのはがらりと広がる部屋と、崩れ去った石の塔だけで、あれだけ大きかった石の飛竜は確認できなかった。

 

 一体どこへ消えたのと口にしようとした直後に、背後から風を切るような音が聞こえてきて、何事かと振り返ろうとした――瞬間、私の身体は大きく吹っ飛ばされていた。

 

 そのまま広い部屋の床をごろごろと転がり、止まったところでうつ伏せになって倒れる。大きくて鈍い痛みのような不快感と息が詰まったような感覚に襲われながら、目の前に非常にされている《HPバー》に目を向けてみたところ、既にその量はごくわずかになっていて、色も危険を示す赤に染まっていた。

 

「な、なにが……」

 

 ぎこちなく身体を起こしたところで、私は目の前に姿をくらましていたはずの石の飛竜が再び姿を現している事に気付き、そして今の一瞬で何が起きたのかを悟った。あの飛竜は石の塔に突っ込んだ後、私の背後に回り込んで、私の死角の中に居続けたんだ。物音をなるべく立てないようにして。

 

 やがて私が動きを完全に止めた瞬間に、再び突進を開始して、そのまま私の事を吹っ飛ばした。しかもその威力はとんでもないくらいに、高くて強い。二発喰らえば、もう死ぬだろう。

 

「こんなに、強いなんて……」

 

 階層のボスでもないくせにここまで強いボスなんている物なのか。いやそもそも、このクエストはもっとレベルが高いプレイヤーに当てられて居る物であって、私のレベルがそれを大きく下回っていただけなのか、正直わからない。ここで負けるわけにはいかないと思って戦うつもりだったけれど、早速無理なんじゃないかって気がしてきた。

 

 あんな姿をしているくせに素早く動く事が出来て、しかも知能も高いうえに、その装甲のような甲殻は矢なんて簡単に弾き返す。多分柔らかい部分が存在してるだろうから、そこを狙えばダメージを与えられそうではあるけれど、それ以前に素早くて狙いを定める事が出来そうにいない。そしてその身体から繰り出される攻撃はどれも高威力で、一回喰らえば瀕死、二回喰らえば即死だ。

 

 回復を使おうにも、素早く回復できる結晶は結晶無効エリアであるから使う事が出来ない。ではポーションはどうかというと、ポーションはそもそも徐々に体力を回復していくアイテムだから、回復している最中に攻撃を受けてしまったらまったく意味がなくなる。

 

 

 改めて、あの石の飛竜は一人で相手にすべきモンスターではない事を、そして私一人の手じゃ本当に絶望的な相手である事を自覚する。キリトには強気に言ったけれど、すごく絶望的な状況で、お腹の底から全身に向けて恐怖が溢れ出て、身体ががくがくと震え始めている。

 

 ――もしかして、本当にここで死んでしまうの、私は……――

 

 いや、そんなわけない。そんな事が許されるわけがない。私は、強くなるって決めたんだ。そして、キリトに守られるだけの私だけじゃなく、同時にキリトを支える私であるって、誓ったんだ。その誓いと、キリトとの約束をこんな形で裏切るわけにはいかないし、裏切りたくない。

 

 あんなのに、負けてなんかいられないッ。

 

 そもそも私はリランと一緒に居るおかげでドラゴンやワイバーンの動きをほとんど知り尽くしている。相手の攻撃を受けないように考え続けて行動すれば、あいつは取るに足らない相手、恐れるような敵じゃないはずだ。キリトがこの状況を諦めないでここに向かって来てくれている――キリトが諦めないのに、私が諦めてどうする。

 

「負けなんか……しないんだからッ!!」

 

 全身に力を込めて、私は立ち上がり、リズベットが作ってくれた弓を構えた。そうだ、リズベットが作ってくれた弓はこの層でも十分に通じるような威力を持っている。これであいつの弱点を撃ち続ければ、倒せるはず!

 

 そう思って矢を携えた瞬間、石の飛竜はその翼を羽ばたかせて突進を繰り出してきた。咄嗟に私は横方向へ転がって石の飛竜の攻撃範囲から離脱、石の飛竜が起こした暴風を受けながらノーダメージである事を確認して素早く振り向き、石の飛竜の姿を見失わないようにしながら、どこかに弱点のようなものはないかと探す。

 

 石の飛竜の身体は遺跡の壁のような材質の石に覆われていて、非常に強固だ。だけど意外な事に、石が張り巡らされていないところがある。腹部と眼だ。あの部分だけは石に覆われておらず、柔らかそうに見える。

 

 いや、ひょっとしたら柔らかくないのかもしれないけれど、他の部位と比べて圧倒的に柔らかそうに見える。それに、あのお爺さんの話によれば、ドラゴンの目を矢で撃ち抜いたとあったから、恐らく同じ戦法を使えば効果的なはずだ。

 

 ……狙うべき場所が決まった。あの石の飛竜の目だ。

 

 私は咄嗟に弓を構え直して光り輝く矢を弦と一緒に引く。同時に、石の飛竜は大きく飛行してそのまま再び、私の元へ突進してきた。集中しているためなのか、先程よりも石の飛竜の動きは遅く思える。そしてあの石の飛竜は、意外にも余計な動きをしておらず、まっすぐこちらに向かってきているだけだった。これなら、目を撃ち抜く事は容易だと自覚する。

 

 矢を放つ姿勢と回避する姿勢を一つにして、私は迫り来た石の飛竜の目に向けて矢を放った。他のプレイヤー達は持っていないであろう、射撃スキルを取得している者だけが使えるソードスキル《エイムシュート》が、石の飛竜の右目に炸裂。私はもう一度咄嗟に横方向へ飛び込んで、石の飛竜の突進を避けた。

 

 直後に、石の飛竜は大きな悲鳴を上げて地面に衝突し、そのままバランスを崩して転がった。《HPバー》が目に見えて減ったのが見えたけれど、まだ倒すには至らなかったみたいで、石の飛竜はすぐに立ち上がって私の方に向き直した。右目が潰れたような形になっているけれど、まだ戦うつもりらしい。

 

「しぶといわねッ……」

 

 そう思って弓を構え直した次の瞬間、奥の方にある扉がいきなり轟音と共に吹き飛んだ。あまりに突然の事に私と石の飛竜が驚きながらそこへ目を向けた瞬間、私は更に驚いてしまった。キリトだ。

 

 扉があったところにいたのは、キリトだった。その手に、二本の剣を持っている。

 

「キリト!!?」

 

「シノンッ!!」

 

 キリトは私の方を軽く見た後に、すぐさま石の飛竜に向けて咆哮しつつ走り出し、その直後に、キリトの両手に握られている二本の剣が蒼い光を放ち始める。新たな敵の接近を感知したのか、石の飛竜が動き出した時にはもうキリトはその懐に居て、私が弱点であると見抜いた腹に向けて、斬撃を一回放った。

 

「スターバースト……ストリームッ!!!」

 

 キリトの声が聞こえた瞬間、キリトは蒼い光を宿す二本の剣を凄まじい速度で振るい、石の飛竜の腹部を切り始めた。

 

 まるで踊っているかのような素早くて隙のない剣捌きにより、目視できないくらいの速度で剣が暴れ回り、石の飛竜の弱点が容赦なく切り裂かれる。光と剣の乱舞、まさしく剣舞を舞うキリトによって、石の飛竜はもはや動く事さえ出来ず、その《HPバー》は瞬く間に減少し、やがてごくわずかの量になって赤色に変色する。

 

「くぅああああああああああああッ!!!」

 

 キリトの獣のような咆哮と共に、最後の一撃である突き攻撃が、石の飛竜の腹を貫いた。合計16回にわたるキリトの剣舞をその身に受け続けた石の飛竜は断末魔を上げながら、脆く後方へ倒れ、爆発するようにポリゴン片となって消滅した。

 

 彼はふらふらしながら剣を二本とも鞘に戻して、その場に立ち尽くした。そして私は、彼があんなに強かった石の飛竜をたった一回のソードスキルの発動で倒してしまった光景に唖然としてしまった。

 

 いやそもそも、剣を二本装備している姿のキリトなんて、今初めて見る。そしてあんなソードスキルも初見だ。一体何なんだろう、今のは。キリトはいつの間にあんな事が出来るようになっていたんだろう。そう思った瞬間に、キリトは私の方を振り向いて、驚いたような顔をした。

 

「し、シノン……」

 

 思わず頷くと、キリトは軽く走って、私のすぐ前まで来た。

 

「大丈夫かシノン、生きてる、生きてるよな?」

 

 彼の心配そうな、不安そうな表情を浮かべているのにもう一度軽く驚いた後に、私はもう一度頷いた。

 

「えぇ、生きてるわ……あなたのおかげよ」

 

 そう答えた直後、キリトは泣き出しそうな顔になって駆け出し、私の身体を強く抱きしめた。感じ慣れた彼の温もりが、《HPバー》が危険なところまで減ってしまった身体を包み込んできた。

 

「よかった……よかった……もし君が、君を守れなかったら、また俺は……俺は……」

 

 その時に、彼の思っていた事がわかったような気がした。彼は私を残して下の部屋に落とされた時からずっと、不安で心配だったんだ。あんなふうに強気に言ってくれたけれど、本当は私の事がずっと心配で、私が死んでいないか不安だったんだ。

 

 確かに私も石の飛竜の攻撃を受けた時には、もう死ぬんじゃないかって思った。だけど、あの時キリトが諦めないって言ってくれたおかげで、諦めずに戦おうっていう気になれた。

 

 それに、キリトが助けに来てくれるってわかっていたから、尚更立ち向かう気になれた。私が今の戦いを生き延びる事が出来たのは、全部、キリトのおかげだ。

 

 私はキリトの胸の中に顔を埋めながら、小さく言った。

 

「キリトは、私を絶対に守ってくれるんでしょう? そう、約束したよね」

 

「え、あぁ、そうだね。そう約束したな、絶対に守るって、現実世界に帰っても、この世界でも……」

 

「キリトは、ちゃんと守ってくれたよね。今も、これまでもずっと」

 

「ううん。俺が間に合ったのは、あんな状況に置かれてもシノンが諦めなかったからだよ。シノンが粘ってくれたから、俺は何とかできた。多分俺一人だとどうしようもなかったと思う」

 

「私を守るって本気で約束してくれたからよ、そんなふうに思えたのは。だからね、私は信じる事が出来たのよ。キリトは必ずここまで戻って来てくれるって。だから、私は戦えたし、怯える事なく立ち向かえたのよ。だからね、間に合ったのは、今こうして生きていられるのは間違いなくキリトのおかげよ」

 

 私はキリトの胸の中で顔を上げて、目を合わせた。涙が出かかったような潤った目を、彼はしていた。

 

「ねぇキリト。私はずっと、あなたに守ってもらうばかりじゃ駄目だって思ってたのよ。私は強くなりたい。守ってくれるあなたを支えていられるように。強くなりたいっていう願望を持っているって事は、この世界に来た時から、ずっと変わらないわ。でも、その中で、もし、もしも今みたいに私だけじゃどうしようもならなくなったら、その時は助けに来てくれる?」

 

 キリトは頷いて、私の身体をきつく抱きしめた。

 

「あぁ……あぁ勿論さ。俺は君の事を守り続けるよ。この世界にいる内も、現実に帰っても、ずっと、ずっと……」

 

「……ありがとう……キリト」

 

 そう言って、私はキリトの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。そして、その後に、キリトの方が先に口を開いた。

 

「なぁシノン、さっきと言っている事が矛盾しているかもしれないけれど、実は相談があるんだ」

 

 もう一度顔を上げて、彼と目を合わせる。

 

「なぁに?」

 

「やっぱり俺一人の力だと、出来る事にも限界があるみたいなんだ。だから、しばらくの間、本当に休みたいんだ。君と二人で、休みたい」

 

 その時、私は気付いた。そうだ、キリトはリランが居なくなった事によって、しばらくの間休暇を取る事になってたんだ。なのに私がクエストの事を話して、無理に彼を戦わせたようなものだ。その結果、二人ともぼろぼろになるような事になってしまった。……きっと、無理に彼を動かした代償だろう。

 

「そもそもあなた、休暇中だったわよね。なのに私は無理矢理あなたを動かして、こんな危ないクエストに付き合わせてしまって……」

 

「そんな事ないよ。このクエストのおかげで、新しい力を試す事が出来た。これは凄い威力だよ」

 

 そういえばこの部屋に飛び込んできた時、キリトは剣を二本持って、今まで見た事のないスキルを使っていた。あれは一体何なんだろう。

 

「そういえばあなたの使ってたあのスキルは何だったの。ものすごい威力で、あっという間にボスを倒しちゃったけれど……」

 

「エクストラスキルだよ。その名も《二刀流》っていうんだ。文字通り剣を二本装備して戦うものなんだけど……」

 

「どうやって出現させたの。そんなスキルの名前は聞いた事ないし、見た事ない」

 

「俺も同じく。ある日スキルウインドウを見たら出てたんだよ。どういう使い方をするのかよくわからなかったから、君とリランが寝た後に修行したりしてたんだけど……なんで現れてたのかはさっぱりわからないんだ。それこそ、君の射撃スキルみたいに」

 

「でも、その力が、今日私を守ってくれたんだよね」

 

「そうだけど……他のプレイヤーが見たらなんていうかなぁ」

 

 確かにこの世界に生きているプレイヤー達は、結構嫉妬深かったり、強さを持っている相手に的外れな批判をしてしまう人もいる。

 

 とんでもない力を持ったドラゴンであるリランを《使い魔》にしているキリトなんか常にそんな目で見られているけれど、リランだけじゃなく、二刀流なんてスキルまでキリトが得たなんて聞いた日には、アインクラッド中の攻略組プレイヤー達がキリトに釘付けになってしまうだろうし、的外れな批判をぶつけるようになるだろう。

 

「なら、黙っていましょう。本当に必要な時が来るまで、私達の秘密にしておけば、問題ないわ」

 

「……そうするかな。だけどなんだろ、みんなの前に公表する事になる日は、そう遠くないような気がする。例えばボス戦とかで、人竜一体ゲージの溜め込み方があまりよくなくて、みんなが追い詰められた時とか……そういう時とかには」

 

「ならそう言う時が来るまで、黙っていればいいわ。あまり注目を集めたりすると、疲れちゃうもんね」

 

 キリトは「そうするよ」と言ったが、すぐさま溜息を吐いた。

 

「……さっきは無我夢中で剣を振るったところだけど……しばらくは剣を握るのをやめたい。それこそ、リランが帰ってくるまでは」

 

「えぇ。あなた、ずっと頑張りっぱなしだったもの。そろそろ休んだっていいところ……ううん、休むべきなのよ」

 

「そうだな……思えばずっと戦いっぱなしだったな。そろそろ休もう……それで、相談があるんだけどさ、シノン」

 

「また相談? 今度はなぁに?」

 

 キリトはどこか言い辛そうに言った。

 

「俺はこれから休むわけだけど……それでも君は一緒に居てくれるか」

 

 キリトの今更な内容に、私は少し目を丸くした。直後に、彼の胸の中にもう一度顔を潜らせた。

 

「何を今更な事を言ってるの。私、最初からあなたと一緒に居るつもりだったけれど、どんな時も。それにねキリト、私、実はすごく大事な事を、あなたに伝えるのを忘れてたわ」

 

 私は一度彼の胸から離れて、心の中に溜め込んでおいた、彼に言いたかった事を、とうとう彼に伝えた。

 

「私、あなたが好き。今まで出会って来た誰よりも優しくて、誰よりも暖かいあなたの事が……大好き」

 

 彼の目は丸くなり、頬が桜色に染まった。だけどすぐに、彼は目を戻して、頬を桜色にしたまま微笑んだ。

 

「俺も同じだ、シノン。俺だって君の事が好きだ。それに君だって、すごく暖かいんだよ。それこそ、俺が出会ってきた人の、どの人よりも。だから、そんな君が俺は大好きだ。それでさ、シノン」

 

 彼は言い留まって口を閉じたが、すぐにまた開いて言葉を紡いだ。

 

「俺はそんな君を守りたいし、君の傍にいて、君の温もりを、ずっと感じていたい。リランが帰ってくるまでの間、前線からも、戦闘からも完全に離れて、22層の家で一緒にゆっくりして、一緒に22層のフィールドに出かけたりしよう。そのためにも、そのために……も……」

 

「そのためにも?」

 

 彼はもう一度言い留まったけれど、前よりも早く、その口を開いた。

 

「け……結婚しよう」

 

 彼の言葉は一瞬で私の身体と心の中に落ち、一気に広まった。

 今まで私は人を殺した忌み子だって言われてきた。そんな私に、好きだって言ってくれる人も、暖かさをくれる人も、いやしなかった。私はずっと、一人で生きていくしかないって、思っていた。

 

 ――そんな私の思い込みを、目の前の彼が完全に崩した。そのせいなのか、気付けば私は、瞳から雫をいくつも流していた。それは、止めようとしても止まってくれないけれど、嫌じゃなかった。だって、心の中も、身体の中も、流れ出る雫も、全てこれまで感じた事が無いくらいに、暖かいのだから。

 

「えぇ……えぇ。結婚……しましょう……キリト……」

 

 私達は互いに惹かれあうように顔を近付け、そのまま互いの唇を自身の唇で塞いだ。一気に、身体と心が暖かくなったのがわかった。

 

 そのままを維持し続けて数十秒後、私達は互いの唇を離したが、心の中の暖かさは一向に消えそうになかった。

 

 寧ろ、彼の温もりをもっと感じたい、もっと強く感じたいという不思議な欲求が私の中に起こっていた。今日だけでいいから、彼の温もりを独占したいという独占欲なのかはわからない。だけど、今日はとても、彼の温もりが欲しいと思える。それこそ、本当に独占したいくらいに。

 

「ねぇ……キリト」

 

「なに?」

 

 思っていた事を口にする。

 

「今日だけでいいから、私、あなたの温もりを、身体いっぱいで感じたい」

 

 彼の顔が理解できない物事に直面した時のようなものになる。

 

「え。えっと、それってどういう事?」

 

 もっと詳しく言おうとすると、顔が熱くなるような気がした。

 

「だから、あなたの温もりを、遮るもののない身体でいっぱい感じたい」

 

 彼は首を傾げたが、すぐに答えがわかったように身体をピクリと言わせて、顔を少しずつ赤くしていった。

 

「え、え、えっと、それって、まさか。いや、でも、それって……」

 

「そうよ……あなたが思いついたそれで、正解」

 

 彼はごくりと唾を飲み込んで、私の目を見ながら言った。

 

「……えっとその……いいんだよね? っていうか俺なんかで、本当にいいのか、それって」

 

「あなたじゃなきゃ言わない。あなただから、お願いする。ひょっとしたら、この世界はゲームだから、そんな事できないかもだけど」

 

 私はそれ以外何も言わないで、彼の目をじっと見つめていた。彼は私の目から顔を逸らして、何かを考えているような顔をした後に、再度私の顔を見つめた。

 

「出来ないわけじゃないよ。家に帰ったら教えるけれど……本当に俺なんかでいいのか?」

 

 私はそっと彼の手を両手で握った。

 

「本当にいいから、こうして聞いたりしてるんじゃない。それに、俺なんかなんて言い方はしないで。私にとって、あなたが一番愛おしい人なんだから……」

 

 彼はしばらく私を見つめていたけれど、やがて微笑み、小さく「わかった」と言って頬を赤色から桜色に染めた。ようやく、言いたかった事が伝わったような気がして、不思議な安堵が心の中に広がった。

 

 その後、私達は手に入れたアミュレットを持って遺跡群を抜け、街に戻って老人NPCに渡した。直後に、私の射撃スキルが強くなったような気がしたけれど、私達は大してそれを気にはしなかった。

 

 その時、既に時間は午後7時を回っていたので、私達はアルゴが紹介してくれたレストランにもう一度寄って適当な料理を食べて、他愛無い話をしながら過ごした。

 

 そしてレストランを出て転移門を使って飛び、22層に帰って来た頃にはすでに時間は午後9時を廻っていて、私からすれば丁度いい時間になっていた。それに、22層の気象設定も現実の4月の夜に近しいものになっていて、どこか肌寒く感じられ、尚更丁度いいと思った。

 

 私達は大して話をせずに村を出て、月明かりを浴びながらフィールドを歩き、やがて、私達だけのいるログハウスに入り込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

       □□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 もっと温もりを感じたい。だけどどうせ叶いはしないだろう――そう思っていたのに、まさか叶うなんて思ってもみず、シノンは驚いてしまった。

 

 彼から教わりながら、マニュアルで読んだ通りに、オプションの奥底まで潜り続けたところ、本当に倫理コード解除というコマンドが見つかった。シノンがそのコマンドボタンを躊躇いなく押すと、倫理コード解除のメッセージが出てきたので、シノンはすぐさま隠されていた機能が発動した事を悟った。

 

 普通ならば、いや、このゲームに入るまでの自分ならば、こんな事をしようだなんて思わなかっただろう。思ったとしても、相手が一人だけであっても人前で裸になるなんて、馬鹿のやる事だと思ってふんぞり返った事だろう。

 

 しかし今は違う。今はただ、愛する人の温もりをもっと強く感じて、包み込まれたい、一緒に居たいという気持ちだけが心の中を満たしており、恥じらいも気難しさも、何もない。寧ろここに来た事で、世界は自分の知らない事で満ちていて、人の温もりというものは、自分が思っていた以上に心地よいものだと知る事が出来た。

 

 そして今、それを教えてくれた人が目の前にいる。自分の知らなかった事を色々と教えてくれて、心を覆っていた氷を溶かしてくれて、暖かな日々を、温もりをくれて、ついには一生傍にいて、支えてくれると誓ってくれた人が――今となっては世界で最も愛おしいと思っている人が、静かに佇んでいる。

 

 もっと、愛する人の温もりを感じたい、今日だけでいいから、いや、この数時間だけでいいから、温もりと愛おしさを全身で、何も遮るもののない身体で感じて、包みたい。その思いは、シノンの身体に装着されている装備品の全てを、静かに外して行った。

 

 まるで森の中に居るかのように静まり返ったいつもの寝室。外から月の光が差し込んで、肌が青白く照らされている。自らの方に目を向けてみれば、身体を覆っているものは一つもなく、布が擦れるような音も聞こえてこない。一糸まとわぬ生まれたままの姿をした、()()()()()()()()()()()()()()が今、彼の目には映っている。

 

 愛する人に裸身を晒しているという状況であるのに、シノン――詩乃は全くと言っていいほど恥ずかしさなどを感じなかった。胸の中に耳を向けてみれば、とても穏やかな周期で鼓動が打たれている。全ての肌が何者にも守られず、外部に晒されているせいで、純粋に寒さを感じた。そしてそんな詩乃と同じ姿に、目の前の彼もまた、なっていた。

 

「びっくり、したか?」

 

 彼の声に頷く。まさか本当に全ての装備品を脱ぐ事が出来るシステムがあるとは思ってもみなかった。けれど今はそんな事さえどうだってよい。もはやこの世界がゲームであるとか、現実じゃないとか、そんなふうには感じない。目の前に広がっているのは、現実そのもので、自分の身体も現実のものと同じだ。きっと目の前にいる彼の身体だって、現実のそれと同じ。

 

「俺、こんな事初めてだから」

 

「私も同じ」

 

 彼の手が伸ばされて、白い肩に触れた。求めた温もりがじんわりと肩から身体中に広がり始めたが、そこで初めて、詩乃は自分の身体が震えている事に気付いた。

 

「震えてる……もしかして、怖い?」

 

「怖くないよ。ちょっと寒いだけ。だから、早く、したい」

 

 彼の顔が不安そうなものに変わり、手付きもまた、詩乃の肌を傷つけないように細心の注意を払っているようなぎこちないものとなる。

 

「俺は怖いんだ。何だか、君を傷付けそうで」

 

 詩乃は首を横に振り、肩に触れる彼の手を、自らの手で包み込み、静かな微笑みを返した。

 

「そんな簡単に傷付かない。それよりも、寒いよ。だから早く、暖かさをこれ以上ないくらい、頂戴」

 

「本当に、怖くないのか」

 

「怖くなんかないよ。だって、あなただもの」

 

 彼は「そっか」と言ってどこか安心したような表情をして、詩乃の後ろ頭に左手を回し、そのまま詩乃の柔らかな唇を自らの唇で塞いできたが、詩乃は一切拒否せず、彼の右手に左手を重ね、指を絡ませて、そのままベッドに静かに倒れた。

 

 そして、身体の全てを彼に預け、彼の温もりを全身で感じ始めた。彼の腕、足、身体、顔、唇といった何もかもを詩乃は拒否せず受け入れ、そして同時に自分の全てで、彼を包み込んだ。

 

 詩乃が初めて迎え、受け入れた夜だった――。

 

 


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