キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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08:白銀の大剣 ―それぞれの戦い―

 

 

          □□□

 

 

 

「はああああああああッ!!」

 

 

 開始早々叫んで、ティアは大剣で前方を一閃した。その刃で叩き斬らなければならない敵は、バックステップをして回避する。

 

 その敵とは、プレミアという名前を持っている、ティアの双子の姉妹である。自分とは逆に人間を信じ込み、教われる事なく過ごす事の出来た、忌むべき対象とも言える存在。それに向かって、ティアは持ち前の大剣を振るっているのだ。

 

 もしかしたら大剣を振るっていい相手ではないかもしれないとも思っているが、もう後に引く事などできない。ティアは少しがむしゃらになって大剣を振るった。

 

 

「はっ、はぁッ!」

 

 

 襲いかかってきた大剣の刃を、プレミアは身軽な動きで次々と回避する。プレミアと戦うのはこれで二度目だが、どうやらプレミアもプレミアで、戦闘訓練を重ねていたのだろう。勿論それはティアのように一人ぼっちではなく、その背後にいる仲間達とやらと一緒に、暖かいところで行われたのだろう。

 

 その想像をするだけで、ティアは奥歯と腕に力が入り、胸の中に激情が湧いてくる。それを発散しようとして、ティアは吼えながら大剣を振るっていく。

 

 薙ぎ払い、切り下ろし、かち割り。あらゆる方向から大剣での斬撃を仕掛けるが、プレミアにはなかなか当たらない。しっかりプレミアの動きを見ながら振るっているはずなのに、大剣は空を裂く一方だ。

 

 

「このぉッ!!」

 

 

 どんなに怒りが湧いてこようとも、ティアの頭の中にはしっかりしたものがあった。ソードスキルを使用する事への制止だ。

 

 ソードスキルは確かに協力であるが、それ故に使用後硬直してしまって隙を晒してしまう。もしソードスキルを放っても、回避されたらその時点で硬直が始まり、攻撃を受けるのを待つ状態となる。だから身体に力をなるべく入れ、ただの攻撃を繰り返していくしかなかった。

 

 しかしどういうわけか、プレミアにはその攻撃は届いていかない。更におかしいのは、プレミアも回避を続けるだけで反撃してこない。それは自分の攻撃の激しさに押されているのではない。

 

 明らかに好きができているとティア自信が理解できるところがあっても、プレミアは様子見と回避をするだけで、手に持ったレイピアによる攻撃はやってこない。それがティアにとっては不思議で、不気味で仕方がなかった。

 

 どうして攻撃してこない?

 

 

「だぁぁぁあッ!!」

 

 

 渾身の力を込めて切り下ろしを仕掛けるが、振り下ろした時既にプレミアはその範囲内から脱出していた。大剣はまたもや空を切り裂いて地面に衝突して、雪と土が煙のようになって舞い上がる。しかし、橋のような形状の崖の上というのもあって煙はすぐに晴れる。

 

 その時プレミアはティアから距離をおいて、ただレイピアを構えているだけだった。明らかに攻撃を仕掛けるチャンスだったというのに、何もせずに見送っていたのだ。

 

 

「なぜだ……」

 

 

 思わず呟いてみても、プレミアは何も言わず、ただこちらを見つめつつ構えているだけだ。様子見をしているだけのようにも思えない。何かがあるはずだ。何か考えがあって、プレミアはあぁやっているのだろう。しかしそれはなんだというのだろうか。

 

 

「……!」

 

 

 そこでティアは思い付いた。もしかしたらプレミアは、決定的な隙を狙っているのかもしれない。完全にこちらの動きが止まり、攻撃を確実に叩き込めるタイミングを見計らっている。

 

 例えばソードスキル。使用後は硬直が発生する奥義。もしかしたらプレミアはその時を狙っているのかもしれない。こちらがソードスキルを放ち、隙だらけになるのを待っているのだ。攻撃を仕掛けてこないのは、隙が出来た際に全力を込めるために違いない。

 

 

「このッ……」

 

 

 それがわかるなり、苛立ちに襲われた。プレミアは遊んでいるに等しい。こちらが決定的な隙を見せるまで、ずっと攻撃を避け続ける。そうやって、こちらが隙を見せるのを待ち続けるのだ。

 

 こちらは自分の異変を、自分の未来の可能性を潰すという目的がある。ここで足を止めているわけにはいかないのに、プレミアは率先して足止めを仕掛けてきている。考えれば考えるほど答えに辿り着き、苛立ちが増してくる。その苛立ちを乗せて大剣を振るっても当たらないのだから、本当にどこまでも苛つく。

 

 そもそもプレミアはティアと対照的だった。ティアのように迫害される事もなければ、寧ろ人間達にしっかり愛された。愛してくれる人間達のところでぬくぬくと過ごし、苦労する事なく強くなる事も出来た。その一方で、自分は人間達に虐げられ続けた。プレミアと何も変わらない顔の形をしていて、同じ役割を背負っていたはずなのに。

 

 だからこそティアはなるべく、プレミアには会いたくなかった。自分と同じ顔をしている事への嫌悪は勿論、どこまでも対照的な日々を過ごしてきたというのが苛立って、憎たらしくて仕方がない。

 

 その憎たらしくてたまらないそれが今、目の前に敵として立ち塞がっている。どこまでも嫌な状況だった。しかも敵なのに攻撃してこないから、尚更苛立って仕方がなかった。

 

 

「どうしてだ。どうしてわたしに攻撃しない。どうして反撃しない!」

 

「それがわたしのやりたい事ではないからです!」

 

「なに……?」

 

 

 ティアは思わず手を止めた。プレミアは武器を構えつつも、戦闘の姿勢をしていなかった。

 

 

「わたしは時折ひどい頭痛に襲われます。その時感じるのは、とても寂しくて悲しい、辛い思いです。どんなに助けを願ったところで叶わない、ひどい思いです。頭痛がする度、わたしの中にそんなものが流れ込んできます。それは未来のあなたが抱く事になるものなのでしょう。これに襲われる事になるのは、あなたなのでしょう。ティア」

 

 

 ティアは仮面の下で瞬きを繰り返した。この姿になってしまってからというもの、時折頭痛がして、今プレミアの言った感情が容赦なく流れ込んでくる。それに加えて声もする。「わたしは永遠にひとりぼっち。誰にも愛されない」。得体の知れないなにかが囁き続けるのだ。それを討ち滅ぼすために行動しているが、その障害になっているのがプレミアだった。

 

 

「だから、わたしはあなたを放っておけないのです。苦しむあなたを、こんなひどい思いをする事になる未来に行かされようとしているあなたを、そのままにしておけない。だから、わたしはここに来ました。あなたを傷つけるためではなく、あなたを助けるために」

 

「助ける、だと」

 

「そうです。だからティア、どうか剣を振らないで。今のあなたは剣を振るう事さえ辛いはずです。今にも倒れそうになっているはずです。これ以上の無理はやめてください!」

 

 

 ティアは目を見開いていた。プレミアは遊んでいたのではなく、こちらの攻撃をやめさせようとしていたのだ。

 

 そしてその指摘は当たっていた。この手で振り回す大剣はいつもより重く感じられていて、気を抜くと身体を持っていかれそうになる。その身体でさえ重くて怠く、時折歩く事さえ困難になる有り様だ。しかし立ち止まっている暇などない。未来の可能性に打ち勝つためには、休まず動き続け、戦わなければならない――ティアは何度も自分を説得し、ここまで歩いてきた。

 

 それは誰にも話していないはずなのに、プレミアには見通されている――驚くと同時に、強い苛立ちが、怒気が心から、胸からせり上がってきた。

 

 

「ふざけるな……」

 

 

 ティアは思わず呟いていた。お前などに何がわかる。誰にも迫害されず、特別視されてきたお前などに、明るい可能性で未来が満ちているお前などに、何がわかるというのだ。

 

 

「お前なんかに、お前なんかに何がわかるんだぁッ!!」

 

 

 胸中に渦巻く怒りを吐き出しながら、ティアは走り出す。狙うは憎き双子の姉妹。自分と何もかもが対照的で、何か持を理解できるはずのない少女。その首を撥ね飛ばさずにはいられない。こいつの首をこの大剣で撥ね飛ばした後で自分は自分の可能性を潰す――。

 

 

「うぐッ……」

 

 

 プレミアへ向かい、その距離が一気に縮まったその時だ。また頭が痛くなった。守っているはずの壁を難なくすり抜け、頭の中に直接入り込もうとしてくる。この姿になってから生じるようになった、時も場所も選ばないでやってくる頭痛。寄りによってそれは、こんな大事な時に襲ってきた。

 

 

「うっ、うぐ、ぁぁあぁ」

 

 

 走る足が止まり、ティアは膝を付いた。間もなくどこからともなく《声》が聞こえてくる。

 

 『わたしはずっと一人のまま』。

 『わたしがここに存在する理由は何?』。

 

ティアに反論を許さず、《声》は一方的にティアに囁き続けてくる。頭痛と一緒になって流れ込んでくるそれは、耳を塞いでも掌をすり抜けて入り込んでくる。

 

 

「ぐぅ、う、うるさ、い。うるさい、うるさいッ! わたしの、わたしの求める可能性は、哀しみしかないとでも、いうのか!?」

 

「ティ、ア……!」

 

 

 辛うじて出せた反論の後、違う声が聞こえた。見ればそれはプレミアであり、彼女もまた片手で頭を押さえつつ、苦悶の表情を浮かべていた。しかしその目はしっかりとティアの方へと向けられている。同じ頭痛に襲われているというのに、ティアの事を心配しているようだった。

 

 

「ティア、そんな事、ありませ、ん。あなたの可能性、わたし達の可能性は、そのようなものではありません……あなたの辿り着く可能性は、そんなものではありません……大丈夫、です……」

 

 

 プレミアはゆらゆらとしながら、ティアの許へ向かってきた。痛む頭を、動きが鈍くなった身体を引きずりながら、プレミアは歩いてきた。その光景に驚かされ、ティアは動く事が出来なかった。

 

 

「お、まえ……」

 

「大丈夫です、ティア……何度も、言います……あなたの可能性は、決してそんなものではありません……そんな《声》に、耳を貸しては駄目……」

 

「おまえ……い、や、あなたにも、この《声》が……?」

 

「は、い……ですが、これは聞いてはいけない《声》です……だから、聞いては駄目……」

 

 

 この《声》と頭痛にやられているのはこの少女もまた同じ。しかし彼女は、この《声》に真っ向から反抗しようとしている。自分も反抗しているが、それよりも遥かに強く歩み出て、《声》を消そうとしているように見えた。

 

 これは自分一人だけの問題である。そのはずなのに、プレミアはこの問題に立ち向かおうとしている。それが把握できた途端、プレミアの先程の言葉が痛みに襲われる頭の中で再度響いた。

 

 

――だから、わたしはあなたを放っておけないのです。苦しむあなたを、こんなひどい思いをする事になる未来に行かされようとしているあなたを、そのままにしておけない。だから、わたしはここに来ました。あなたを傷つけるためではなく、あなたを助けるために――

 

 

 それがプレミアの言っていた言葉だ。プレミアは生意気にも、自分を助けたいと言っていた。そんなのは嘘に決まっている。いや、嘘だからこそ言える言葉なのだ。そう思っていたはずなのに、その思いはティアの中で崩れ去ろうとしていた。

 

 もしかしたらプレミアは本気で自分の事を、この問題、可能性に襲われている自分を助けようとしてくれているのかもしれない。彼女は本気で助けてくれようとしている。ティアはいつの間にか、そう思えていた。

 

 

「あなたは……本当に……」

 

 

 ティアに声かけられたプレミアは、既にティアのすぐ目の前にまで来ていた。身体が重そうなのは相変わらずだが、それでも頭痛に逆らい、救いの手を伸ばそうとしてくれていた。

 

 

「ティア、ここは危ない、です……だから早く、もっと安全な所へ行きましょう、一緒に……」

 

 

 真っ青な顔をして、プレミアは手を差し伸べてきた。ティアはそこから目を離せなくなる。

 

 双子であるがゆえに自分と全く同じ形状、色をしているその手は、とても華奢に見えた。触れたらその場で崩れてしまいそうだ。なのにプレミアはその手で、自分の事を救おうとしてくれている。

 

 かつて自分も救いを求めて手を伸ばした事もあったが、全て振り払われるか、追い回されるかのどちらかで終わっていた。救いの手を差し伸べる者など、この世界にはいない。ティアは毎日そう思って生きてきた。

 

 だが、その考えは崩されようとしている。目の前にいる双子の姉妹、プレミアのおかげで。気付いた時、ティアは同じように手を伸ばしていた。その手が、指先が触れ合ったそこで握ると、プレミアと同じタイミングだった。その温もりが手先から伝わるようになったその時。

 

 

 突然目の前が真っ白になった。同時に激しい爆音が耳を襲う。

 

 

 一体何が起きたかわからない。確かにプレミアの手を握り返したはずなのに、それだけのはずなのに、何が起きたのだろう。

 

 視界を覆う白色が晴れたその時、ティアは空中に投げ出されていた。足を付けていた橋が遠ざかっていっており、橋には白紫の炎と煙が巻き起こっていた。どうやら橋が爆発し、自分は吹っ飛ばされたようだ。

 

 

「――ッ!?」

 

 

 把握できたのはそれだけではない。自分の手を取ってくれていたプレミアも、一緒に空中に投げ出されていた。しかも爆心地の近くにいてしまったようで、身体のあちこちが一瞬のうちに火傷だらけになっていた。

 

 間もなくして、二人の身体は落下を始めた。猛スピードで身体が谷底へと引っ張られていく。白い靄がかかっている谷底が近付いてくる。

 

 

「!!」

 

 

 咄嗟に手を伸ばすと、プレミアの手に届いた。そのままぐいと引き寄せて抱きかかえたそこで、ティアはプレミア共々白い靄の中へ飛び込んだ。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

「プレミア、ティア――ッ!!」

 

 

 ほぼ一瞬にしてそれは起きて、キリト達に驚く暇を与えなかった。プレミアがティアの説得をするべく戦闘を開始したと思ったら、二人揃ってまたあの頭痛を起こした。それでもプレミアは止まらずにティアに接近していき、やがてその手を取れた。

 

 誰もが安堵した直後に、突然プレミアとティアのいたそこが爆発した。勿論予測など出来ていなかった二人はその爆発に巻き込まれ、空中に投げ出された。キリトとシノンが思わず二人の名を叫んだその時、既に二人は谷底へと落下しようとしていた。

 

 

「このッ!!」

 

 

 そこでキリトの《使い魔》であり、プレミアとティアの遠い姉であるリランは走り出し、空中に身を投げた。彼女はすぐさま狼竜形態に姿を変えて翼をはばたかせ、二人の許へ向かう。空を飛べるという能力で、二人を受け止めるつもりだ。

 

 そうだ、行け!――キリトが声無く叫ぼうとすると、白き狼竜となったリランは妹達のすぐ下に辿り着いた。

 

 

《ぐああああッ》

 

 

 が、その時リランの背中が爆発した。リラン自身の力によるものではない。その証拠にリランは空中で姿勢を崩し、妹達同様に谷底へ真っ逆さまになった。

 

 

「リラン!!?」

 

「なんなの、一体!?」

 

 

 シノンと一緒にキリトが声を出すと、リランは翼を激しく羽ばたかせて体勢を立て直し、妹達へ向かおうとするが、そのまま妹達のところへは行く事は出来なかった。上空より隕石のようなものが飛来してきたのだ。しかもそれはリランの背中を狙う軌道で降ってきている。

 

 おかげでリランは空中を激しくジグザグに飛び回る事しかできず――彼女の妹達は谷底へ消えていた。

 

 次から次へと急な出来事が続き、頭が追い付かなかったが、隕石のうちの一つを認める事が出来たそこで、キリトはその正体に気付いた。

 

 隕石は白紫色の燃え盛る火球だった。そして先程プレミアとティアを襲った爆発、リランの背中を襲った爆発もまた、白紫の炎が含まれていた。中に紫の毒の混ざった炎。それにキリトは見覚えがあった。

 

 

「あれは……!」

 

 

 胸に嫌な予感を生じさせ――キリトは隕石の降る上空を見た。星と月の煌めく夜空に、紫色に光る影があった。それもかなり巨大である。やがて月明かりによってその姿はくっきりとしたものになった。

 

 

 闇のように黒い毛と、古代エジプトの女王が着ていたような豪勢なドレスと鎧を混ぜ合わせたような黒と金の外装に身を包み、背中から紫色のエネルギーで作り上げた、文様の走る翼を四枚生やしている。頭部には一対の角を持ち、雄ライオンのような(たてがみ)を首元になびかせている、凶悪な顔をした黒猫。

 

 しかも尾の先端が槍の穂先のようになっているそれは、まるで誰かの歪んだ空想が産んだ、歪な猫の邪神のようだった。

 

 

「セクメト!!」

 

 

 その名前を、キリトもシノンも知っていた。エジプト神話に登場する破壊神及び疫病を司る死神であるセクメトの名を冠する猫龍(びょうりゅう)。キリト達がフィールドを歩いていると、突然の空爆を挨拶代わりにして襲い掛かってくる、謎めいた龍である。

 

 推測によれば誰かの《使い魔》であり、主人から命令を受けているが故にキリト達を襲ってくるのではないかとされているその猫龍の放つ炎が、白紫の毒炎だった。だからこそ、燃え盛る白紫の炎を見た時、咄嗟にセクメトの来訪を予想した。その予想は大当たり――最悪だった。

 

 セクメトと以前出会ったのは、まだジュエルピーク湖沼群を攻略している時で、それからセクメトが現れる事はなかった。もう自分達を襲うのはやめたのではないかとも思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。そしてそんなセクメトは、最悪なタイミングで現れてくれた。

 

 自慢の毒火炎弾ブレスを放った後、セクメトは真っ直ぐにリランの許へ飛び掛かった。既に空中で体勢を立て直しているリランは、更に翼をはばたかせてセクメトから距離を離そうとするが、それより先にセクメトはリランの許へ到達。鋭い牙と爪でリランへ攻撃を仕掛けた。

 

 

「「リランッ!」」

 

《キリト、シノンッ!》

 

 

 シノンと一緒になってキリトが思わず呼びかけると、リランは《声》を返しながら二人へ近付いてきた。「我一人では(らち)が明かないから乗れ」。リランの思惑を理解したキリトは咄嗟にシノンの手を握り、崖を飛び降りた。

 

 シノンが驚きの悲鳴を上げたその時にリランはキリトとシノンの下方向を飛び――丁度項と背中の間に二人を受け止めた。

 

 人竜一体を果たしたキリトはリランの剛毛を掴んで同じように前を向き、シノンはその手をしっかりとキリトの腹に回す。現実世界でバイクに乗り、シノンと一緒に走っている時と同じだ。だが事態は現実世界よりも切迫しているし、乗っているモノも違う。その乗り物となってくれている狼竜より、《声》が届けられてきた。

 

 

《あいつめ、こんな時に現れおってからに!》

 

「リラン、プレミアとティアはどうなったの!? あの二人、大丈夫なの!?」

 

 

 シノンの言った事はキリトも気にしていた事だ。プレミアとティアは明らかにセクメトの爆撃を受けて、崖から放り出された。白い霧が出ているせいで底がどれくらいの深さのところにあるか把握できないが、かなりの落下ダメージになるはずだ。もしかしたら二人はあのまま――。

 

 

《谷底からプレミアのアニマボックス信号が検知できる。どうやら無事ではあるようだな》

 

 

 脳裏に浮かんだよからぬ想像はリランが打ち消してくれた。安堵を覚えたキリトは溜息を吐きたいところだったが、すぐさまそれは体内へ引っ込んだ。リランが急降下と急上昇を行った。間もなくそれまでリランが居た空間を白紫の火炎弾が通り過ぎ、壁にぶつかって爆発する。

 

 後ろを見れば、セクメトがしっかりとリランの後を追って飛んできているのが見えた。確実にこちらを狙っている。

 

 

「……待て!?」

 

 

 そこでキリトは気が付いた。よく見ると、この前見た時と比べてセクメトの姿が変わっている。全体的なシルエットはあまり変化がないが、現在のリランのように豪勢なデザインをした鎧と布に身体を包んでおり、背中から出ているエネルギーの翼の文様も複雑化と大型化を遂げている。

 

 距離を離しているせいで名前を確認する事は出来なかったが、明らかに進化をしているのが把握できた。

 

 

「あいつ、進化してるぞ!?」

 

「やっぱり、あいつは誰かの《使い魔》だってわけ!?」

 

 

 シノンの問いに頷くしかない。進化するモンスターは《使い魔》に限定されているのがこのゲームだ。明らかにこれまで襲ってきていたセクメトだとわかるそれが姿を変えているならば、見ていない間に進化した他ない。《使い魔》の主人である《ビーストテイマー》はセクメトを進化させたうえで、またこちらを襲わせている。

 

 どこまでも付け狙ってくるストーカーのような、暗い意思が垣間見(かいまみ)えて、キリトは戦慄を覚えた。セクメトの主人は何を考えて、こんな事を仕掛けてくるというのだ。そもそもそれは誰だというのだろう。頭の中を回して連想しても、答えは出てきそうにない。

 

 そんな事を考えていると、リランが更に激しく上下左右に動き回り、キリトとシノンは振り回された。すぐ近くに白紫の火炎弾が爆発する。出来る事ならばプレミアとティアを助けに行きたいが、このままではセクメトも一緒に連れていく事になってしまうだろう。

 

 プレミアとティアは落下ダメージ――その前の戦闘でボロボロだ、とてもセクメトと戦う余裕があるとは思えない。二人のところへ行くのは、セクメトを何とかしてからだ。

 

 

《キリト!》

 

「何の目的でやってくるのかわからないけど、とりあえず迎撃だ。こいつを落とすぞ!」

 

 

 指示を与えると、リランは急降下した。ぐんと下方向に引っ張られたかと思いきや、目の前に崖の岩壁が出現する。このまま衝突するかと目を瞑ろうとした直前でリランは垂直に急上昇し、崖を登りきる。

 

 崖の最上部よりも遥か上空に飛び上がると、リランはくるりと背後に向き直り、ブレスを放った。放たれた複数の火炎弾は、リランを追う事に夢中になっていたセクメトを襲うが、セクメトは複雑な軌道を描いて飛んで回避してみせる。

 

 

「なんだあれ!?」

 

 

 キリトは思わず声を上げて驚いてしまった。どう考えても生物的な動きではない。重力を軽く無視したようなやり方でセクメトはリランの攻撃を回避せしめた。あれもセクメトが《使い魔》固有のAIを搭載しているから出来る動きなのだろうか。

 

 そもそも、セクメトはリランと飛び方が異なっている。リランは四枚の翼をはばたかせて飛んでいるが、セクメトはエネルギーの翼を背中に具現させているだけで、羽ばたいてはいない。まるであの翼を半重力ドライブにして宙に浮かんでいるかのようだ。いや、恐らくそうだろう。セクメトは飛ぶ事ができるのではなく、浮かぶ事ができるのだ。

 

 古代エジプト神話に登場する最高神ラーが、生み出した事を若干後悔する程の凶暴さで殺戮の限りを尽くしたとされる破壊神であり、疫病までも司る死神セクメト。その名前を冠しているというのは伊達ではないという事か。古代エジプト神話の神々の名を持つ龍は――リランもそうだが――常軌を逸した能力の持ち主である事が通例のようだ。

 

 しかしだからと言って怯んでいるわけにはいかない。こいつをここで退けねば、落とされてしまったプレミアとティアの許へ駆けつける事も出来ない。襲ってくる理由も、襲われているわけもわからないが、セクメトが行くべき道を塞ぐ障壁である事は間違いないのだ。

 

 

「リラン、やるぞッ!」

 

《わかった! 掴まっておるのだぞ!》

 

 

 《声》を送った後に、リランはセクメトへ飛び掛かった。

 


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